Blog. 「久石譲指揮 日本センチュリー交響楽団 第262回 定期演奏会」コンサート・レポート

Posted on 2022/03/06

3月4日開催「久石譲指揮 日本センチュリー交響楽団 第262回 定期演奏会」です。昨年4月に首席客演指揮者に就任にして以来、定期演奏会や特別演奏会に登場しています。毎回多彩なプログラムで一期一会のコンサート、本公演はわりと現代に近い作品たちが並び久石譲作品も初演されました。

 

 

日本センチュリー交響楽団 定期演奏会 #262

[公演期間]  
2022/03/04

[公演回数]
1公演
大阪・ザ・シンフォニーホール

[編成]
指揮:久石譲
ピアノ:Piano duo Sakamoto(坂本彩・坂本リサ)
管弦楽:日本センチュリー交響楽団

[曲目]
ペルト:フェスティーナ・レンテ
久石譲:Variation 57 ~2台のピアノのための協奏曲~ *管弦楽版 世界初演

—-Soloist encore—-
マックス・レーガー:5つの絵画的小品 作品34より 第1曲
(Piano duet: Piano duo Sakamoto)

—-intermission—-

プロコフィエフ:交響曲 第7番 嬰ハ短調 作品131

—-Orchestra encore—-
ハチャトゥリアン:組曲『仮面舞踏会』より ワルツ

 

 

 

まずは会場で配られたコンサート・パンフレットからご紹介します。

 

 

2021年4月にセンチュリー首席客演指揮者に就任した久石譲。9月の特別演奏会、定期演奏会でのマエストロ渾身のプログラムと熱演が記憶に新しいところです。

ポスト就任イヤーの最後を飾る今回は、20世紀に活躍したプロコフィエフと、私たちと同時代を生きる作曲家の作品をお届けします。エストニア出身の作曲家・ペルトの「フェスティーナ・レンテ」は、美しく透きとおるような広がりを感じさせる一曲。そしてソロピアノ2台とオーケストラという編成による久石自身の楽曲では、第70回(2021年)ARDミュンヘン国際音楽コンクールピアノデュオ部門で、日本人デュオとして初の第3位に入賞した姉妹デュオが登場、期待の新星にも注目です。メインのプロコフィエフ交響曲第7番は、色彩の豊かさと打楽器などでの遊び心が随所に散りばめられた作品です。

久石×センチュリーによる魅惑のプログラム、どのような出逢いになるのかご期待ください!

(日本センチュリー交響楽団 第262回定期演奏会 フライヤーより)

 

 

Program Notes

ペルト:フェスティーナ・レンテ
A.Pärt: Festina Lente

*小味渕彦之氏による楽曲解説

 

久石譲:Variation 57 ~2台のピアノのための協奏曲~(管弦楽版 世界初演)
Joe Hisaishi: Variation 57 -Concerto for Two Pianos and Orchestra-
(Version for Orchestra, World Premiere)

Variation 57は僕が主催しているMusic Future Vol.6のために2019年10月に2台のピアノとチェンバー・アンサンブルのために書き下ろした。今回その曲を2管編成のオーケストラのためのコンチェルトとしてRe-Composeした。

3楽章形式だが、第2曲は2分程度の短い曲で第1曲と第3曲のブリッジのような役割を果たしている。作曲のスタイルは僕が提唱しているSingle Track Musicという手法で構成している。ここでは和音がなく、ただ単旋律が変容しながら続いていく。だが、ある音が高音に配置され、またある音が低音に配置されると3声のフーガの様に聴こえ、発音時は同じ音でもそれがエコーのように弾き伸ばされると和音的効果も生まれる。

この曲でもその手法を基本としているが、第2曲はより自由な形式で和音もあり、奏者の即興性に委ねられている。初演は滑川真希、デニス・ラッセル・デイヴィス夫妻だったが、今回のコンチェルト・バージョンでは若い坂本姉妹が演奏する。YouTubeで観た演奏が良かったのでオファーした。

Variation 57は文字通り各楽章の3つのモチーフのほか、57のヴァリエーション(変奏)でできている。ニューヨークの57thストリートに滞在していた時に着想し、スケッチも書いたからである。また第3曲は2016年のダンロップのCM(福山雅治が出演)として書いた曲をベースに再構成した。

久石譲

 

プロコフィエフ:交響曲 第7番 嬰ハ短調 作品131
S.Prokofiev: Symphony No.7 in C-Sharp minor, Op.131

*小味渕彦之氏による楽曲解説

 

(Program Notes ~日本センチュリー交響楽団 2022年3月演奏会 カタログ より)

 

 

 

ここからはレビューになります。

 

 

オーケストラ楽団の定期演奏会というのは、その地域に根づいたもので固定ファンが多いのも特徴です。そんな日本センチュリー交響楽団ファンの皆さんの定点チェックによりますと、観客8~9割、いつもより女性客多い、対向配置、そんなSNS投稿が飛び交っていました。

僕の定点チェックはというと、ステージマイク(前半あり/後半なし)、撮影カメラなし、弦10型、舞台に並んでいる楽器たちは、、とずいぶん違いますね。オーケストラファン視点と久石譲ファン視点、いろいろな見え方で浮き上がってくることも多くうれしく楽しいです。

 

ペルト:フェスティーナ・レンテ

静謐なる弦楽作品です。久石譲をきっかけにアルヴォ・ペルトを知ったという人も多いのでは、僕もその一人です。久石譲コンサートでもこれまでに複数作品が登場しています。この作品は「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.2」(2020)でもプログラムされました。

日本センチュリー交響楽団とは、「久石譲:I Want to Talk to You ~ for string quartet, percussion and strings ~」「久石譲:Encounter for String Orchestra」といった弦楽作品も共演しています。個人の印象ですが、センチュリーの弦楽はとても濃厚で重く勢いがある、とこれまでの演奏会を聴いて思ってきました。管弦楽(フルオーケストラ)のときもすごくパワーがある。こういった静かな作品でも、たしかな重み、たしかな存在感を感じる演奏でした。

楽曲解説やコンサート感想などはよかったら下記ご参照ください。そしてぜひ曲を聴いてみてください。

 

 

久石譲:Variation 57 ~2台のピアノのための協奏曲~(管弦楽版 世界初演)

久石譲の楽曲解説をなぞるように20回くらい読んで、曲を研ぎ澄ますように20回くらい聴いて。そうしたら何か少し見えてくるような気がします。全体の楽曲構成はアンサンブル版とほぼ同じか近いと思います。そして編成が拡大されたぶん、よりパンチの効いたダイナミックな響きになっていて、堂々たる管弦楽Single Track Music!そんな印象でした。実際に、なだれ込むように勢いよく終わる第1曲で盛大な拍手(まばらじゃない)が起こりました。

久石譲が提唱するSingle Track Music(単旋律)ですが、一番わかりやすいのは「Single Track Music 1」や「The Black Fireworks」あたりかと思います。純粋に単旋律の手法で貫いている(ほぼハーモニーも発生していない)。ただし、以降の作品を並べていくとその手法も定義も少しずつ広がっているように思います。単旋律の手法で統一されている、単旋律の手法がふんだんに(あるいはあるパートに)盛り込まれている。このあたりの《久石譲 Single Track Music》のカテゴライズは時期尚早、これから先まだまだ慎重に作品を系譜的に線で眺めていく必要がありそうです。「Variation 14」ではその手法が一部垣間見えるとか、新作「2 Dances」の楽曲解説でも、”単一モチーフ音楽、いわゆるSingle Musicといえる”という捉え方をしていたりもします。むずかしい。

この作品において。位置的には単旋律の手法がふんだんに盛り込まれているになるかと思います。もっと、単旋律の手法で貫いているに近いのかもしれません。アンサンブル版もオーケストラ版も、弦楽器などで単音をすーっと伸ばしている箇所が随所にあります。そうだもんだからいろいろな音が鳴るなか単音になってないよね、と思ってしまいそうですが、”発音時においては同じ音が鳴っている、瞬間的には同じ音しか鳴っていない”という単旋律の一面になっているのだろうと思います。

もう、めまぐるしく音が連なるなか、超スローモーションで解析しないと、たしかにどの瞬間を切り取っても同じ音しか鳴ってないね、とはわからないほどです。実際はルール破ってるんじゃないの?!(大変失礼)そんなイヤな見方をするのは僕くらいでしょうか。そんなことよりも、めまぐるしい音の連なりのなかから、音をいくつか抜き出していって違うフレーズを作ったり、リズムを生み出す旋律を作ったり。豊かな楽器と声部なのに、瞬間的には同じ音しか鳴っていない。ここに注目しないとです。みずから作ったルールでゲームを構築する、ゲームを展開する、新しいゲームの楽しみ方をみせる。

第2曲は、おもむろなピアノの同音連打に和音感も加わる短い曲です。これを聴きながら、曲想的に横揺れするような音像を感じたんですけれど、垂直的にストンと音たちが落ちていく(下に吸い込まれていく)ような音像になってもおもしろいなあ、と意味不明な妄想をしていました。

第3曲も、とにかく細かい音符のタイミングを合わせるのが大変、難所のオンパレードです。《久石譲 Single Track Music》はオーケストラがリズム感覚を磨くための現代の課題曲のようでもあると思ったりもしました。習得することで免許皆伝、久石譲作品はもちろん世界中の現代作品をリズム重視のソリッドなアプローチで表現できるようになる。そんなことを思いはじめると、現代の作品を遺すことに注力する久石譲と、現代の表現力を磨くオーケストラ、ちゃんと両輪になっているそんな気さえしてきます。スパイラルアップしていく創作と表現の追求。

 

 

アンサンブル版とオーケストラ版、早く聴きくらべたり聴き楽しめる日がくるといいなと思っています。聴くほどにかっこよさがにじみ出てくる。「2 Dances」あたりとつづけて聴きたい感じです。アンサンブル版はただ今特別配信されています。ぜひご覧ください。

 

単旋律についてのもっと詳しいことや、CD紹介などは下記ご参照ください。

Blog. 「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.7」コンサート・レポート

 

 

アンコール

マックス・レーガー:5つの絵画的小品 作品34より 第1曲

ソリスト・アンコールは、1台のピアノ連弾で披露されました。2分くらいの小曲でリズミカルにあっという間でした。なにかのインタビューで坂本姉妹お二人は、小さい頃からピアノのポジションが変わらないそうです。お姉さんが低音のほうだったかな(?)。久石譲作品のときにはプロのオーラあり、この連弾ではふっと気心知れたアットホーム感も伝わってくるようで。こうやって小さい頃からずっと一緒に演奏されてたんだろうなあという姿が見えるようでした。映画『羊と鋼の森』の姉妹は曲ごとにポジション入れ替わったりして遊んでいましたね。映画『羊と鋼の森』のエンディングテーマは「久石譲×辻井伸行:The Dream of the Lambs」でしたね。いや、思い出したことをそのまま口にしてしまいました。

 

ー休憩ー

 

プロコフィエフ:交響曲 第7番 嬰ハ短調 作品131

プログラム予定で初めて知った作品で、コンサート前に予習しながら初めて聴いた作品です。第一印象はとっつきやすい・とても現代的・色彩感のある作品、そんな印象でした。この作品には静かに終わるバージョンと急速に勢いよく終わるバージョンのふたつがある、そんなことだけ調べて聴き分けていました。

やっぱり生演奏!CDで聴くよりもダイレクトに感じるものがありました。明るくて、朗らかで、快活で。とてもハツラツとした作品で気持ちまで明るくなるようでした。僕の感想はこのひと言で終わりです。というのも、これ以上に言えることが見つかりません。初めての作品だから、なにかと聴き比べるものさしもないし(ベートーヴェンやブラームスなら多少は…)、作品解説や歴史背景のようなものもあえて深く掘りあてることはせず。コンサートをきっかけにこの作品に出会えたことで満足、そして会場で聴きながらそのとき春の芽吹きのようなものを感じれたことで満足です。

SNSでは”ここがこうだった”そんな特徴点をあげた感想もありました。久石譲×日本センチュリー交響楽団ならではの演奏だったこと、そしてアプローチやパフォーマンスに満足していることがわかるものたちばかりで、僕の見えない視点も解消してくれました。静かに終わるバージョンでした。

 

 

アンコール

ハチャトゥリアン:組曲『仮面舞踏会』より ワルツ

プロコフィエフ作品からつながる選曲なんだと思います。フィギュアスケート浅田真央選手が使用したことのある人気曲だそうです。ブラームス交響曲コンサートのときもアンコールでハンガリー舞曲、久石譲コンサートで「Merry-Go-Round(ハウルの動く城より)」がアンコール披露されることも。なんだか久石さん=ワルツで踊る指揮、そんなイメージもそろそろ定着しそう?

この曲を聴きながらこんなことをふと思いました。久石譲楽曲がアンコール推進されるときがきた。クラシック定期演奏会もそうですが久石譲FOCコンサートもそうです。古典作品をメインとしたコンサートではアンコールもクラシック作品から選ばれています。理由はもちろんわかります。プログラムの統一性、久石譲作品コンサートとの線引きなど。

でも本公演で仮面舞踏会を聴きながら、これがMerry-Go-Roundでも全然いいんじゃないかな、そう思ってしまったんです。それは久石譲の曲がもっと聴きたいとかそういうことよりも、いやそういうことはもちろん最初からある、作品のクオリティや作品の力として遜色ないということです。スタジオジブリ作品だからエンターテインメントだからここに持ってくるのはちょっと気が引けるなあ、と久石さんは言うかもしれない言わないかもしれない。でも、かねがねクラシック作品も当時のエンターテインメント作品ですよね。それを当時の現代作品として演奏していた歴史です。

クラシック演奏会で映画音楽やるのか、久石譲だからそんなこと許される、ほんとにそうでしょうか。久石譲という作曲家がタクトを振るコンサート、これこそが一番の強みです。だから前述した文言は、《クラシック演奏会でも自作の映画音楽を同じクオリティで聴かせてしまう、久石譲だから自作の現代作品を自らの指揮で披露できる》ここに早く照準を、これまでのアングルを調整して照準を合わせてほしいときがきた!そう強く思いました。

久石譲ファンの皆さんはどんな曲が浮かびますか? 僕ならパッと「World Dreams」「Dream More」「Le Petit Poucet」アンコールにもってこいな曲たちです。なんなら贅沢に「Merry-Go-Round」に匹敵するような新しいオリジナル曲をコンサートアンコール用に書き下ろす、大変失礼しました。

”オーケストラの魅力を発揮できる作品であれば、どんな作品でもプログラムする、その価値がある”、そんなことを言ったのは指揮者ドゥダメルだったか誰だったか忘れました。まさにです。そろそろクラシック演奏会もアンティークな品格に固執せずに…。久石譲音楽をプログラムするのは客入りのためなんて穿った見方もやめて…ダ・カーポ(D.C.;”オーケストラの魅力を発揮できる~” に戻る)。ワルツに踊る久石さんの指揮を見ながら、曲を聴きながら、こんなことをふと強く思った瞬間でした。

….「ハチャトゥリアン:仮面舞踏会」のたたみかけてくるメロディも頭から離れなくなります。すごいパワーをもった曲です。

 

 

コンサートに行くと、必ずなにか新しい出会いがある、発見がある、感動がある。そして少しひとつ音楽生活が、自分のなかの音楽が豊かになっていく。いいですよね。今回のコンサートもそうでした。くわえて音楽のほかにも、かねてからSNSでつながっていたファンの方とリアルにお会いすることもできました。初対面ということもあってせっかくのコンサートなのにいらぬ緊張感や疲労感を与えてしまったのではないかと反省しきり….。そういうことも乗り越えながら!? SNSの楽しみ方とリアルの楽しみ方をお互いができたらいいなあと….どうぞお付き合いいただけたら。よくよく、久石譲ファンじゃなければ出会うことのない人たちと、僕は出会い時間をともにしなにかしら影響されています。出会うことのなかった人たちを今は実際に知っている。これってすごいことですよね。そんな幸せをありがたくかみしめています。

 

 

怒涛のコンサートラッシュ、数日後の3月6日には周南特別演奏会、3月8日には豊中特別演奏会です。以降も9月の定期演奏会でシューマン交響曲ツィクルス始動、2023年は九響との合同演奏会と、久石譲×日本センチュリー交響楽団のコンサートはつづいていきます。これまでの歩みとこれからの歩みをチェックしましょう。

CONCERT 2020-

 

 

本公演関連

 

 

久石譲×日本センチュリー交響楽団 レポート

 

 

 

久石譲オフィシャル、日本センチュリー交響楽団オフィシャル、各SNSでリハーサルから終演後までワクワクする投稿が溢れていました。たくさんの写真のなかから少しセレクトしてご紹介します。今後のコンサート情報や日頃の音楽活動など、ぜひ日常生活のなかでいろいろチェックしていきましょう。

 

リハーサル風景

from 日本センチュリー交響楽団公式ツイッター

 

from 久石譲公式ツイッター

 

from 日本センチュリー交響楽団公式ツイッター

 

公演風景

from 坂本彩 ツイッター
https://twitter.com/ayasakamoto

 

from 坂本リサ ツイッター
https://twitter.com/risakumapf

 

from 久石譲公式ツイッター

 

from 久石譲本人公式インスタグラム

 

久石譲公式ツイッター
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久石譲本人公式インスタグラム
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日本センチュリー交響楽団公式フェイスブック
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2022.03.10 update
追って公開された写真からいくつか紹介します

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

Blog. 「テレパル TeLePAL 1994年 6.25-7.8」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/02/27

TV番組情報誌「テレパル TeLePAL 1994年 6.25-7.8」に掲載された久石譲インタビューです。 NHK連続テレビ小説「ぴあの」とソロアルバム『地上の楽園』についての内容になっています。

 

 

ボクはもうヒットじゃ許されない。最低でも2塁打は打たなきゃ

日本映画の不振ぶりは、いまや話題にもならない。が、宮崎アニメや大林映画などここ10年ほどの日本映画の話題作の音楽をほぼ独占している久石譲は、ひとり気を吐く活躍ぶりだ。その彼が、NHKの朝の連続テレビ小説『ぴあの』の主題歌から劇中音楽までを手がけている。

 

インストゥルメンタルでも歌でも楽しい曲が理想です

日本映画界を代表する映画音楽作家・久石譲がNHK朝のテレビ小説『ぴあの』を手がけていることを知ったときは、新鮮な感動とともにほんのちょっぴり驚かされもした。

久石:
「いちばん驚いたのはボク自身じゃないですか。じつは以前、朝ドラの音楽を依頼されたことがあるんです。そのときは、朝8時台はボクにとって真夜中(笑)、見ることのできないドラマの音楽なんて付けられませんって(笑)、断ったんです。そのあとドリカムが主題歌をヒットさせ朝ドラの音楽が注目を集め出したでしょ、それからですね興味を持つようになったのは」

今回は主題歌込みのすべての劇中音楽を手がけてほしいと依頼され、「ムクムクとヤル気が出た」そうだ。

久石:
「でも最初はね、主題歌を創るつもりはなかったんです。ピアノソロで押し通すつもりだった。それがなにかの拍子にインストゥルメンタルでも歌でも楽しめる曲もイイなぁと思ったのね。たとえば『ティファニーで朝食を』の〈ムーンリバー〉みたいな曲ね。インストゥルメンタルでも歌でも楽しめる曲って音楽の中でももっともインパクトをあたえるものなのに、最近めっきり少なくなっているでしょ。これは挑戦しがいがあると思い直して詞を付けて主題歌を創ったわけなんです」

 

〈ニュー久石〉音楽の誕生!新アルバムで歌メロめざす

テレビは、映画のように、観客が入場料を払って、積極的にが、画面に向かってくれるわけではない。「半年間、毎朝聴いてもらって飽きない音楽」が『ぴあの』で「自分に課したテーマ」だったという。

久石:
「映画は脚本を読んで曲を考えることができますが、テレビの場合は脚本があるといってもせいぜい最初の2週分ぐらいでしょ。脚本の細部を読みながら曲を創ることはまず無理ですから、登場人物の性格設定や作り手の意図などを説明してもらい、そこから曲を構想するしかないんですね」

「ヘビーな仕事だった」と振り返る。

久石:
「最初の10週間は収録画を見ながら付けるんです。細かい場面の音まで付けますからね…月曜から土曜までの分、1回15分が6回、1時間30分でしょ。それが10週間。これはもう毎週1本ペースで映画に音を付けるのと変わらない。しばらくたってからです、あっこれテレビの仕事だったんだ、と思ったのは(笑)。ノリは映画のときの、それも大林宣彦組に就いたときのようで、もう修羅場でした」

『ぴあの』の久石音楽はちょっとしたディティールショットにまで付いている。「場面と場面のつなぎを計算してすみずみまでビシッと付けた」そうだ。『ぴあの』の音の量は最近のテレビドラマの中では群を抜いて多い。そんな超多忙をきわめた中、ソロアルバム『地上の楽園』のレコーディングも進めた。音楽家・久石譲は疲れを知らない。

久石:
「じつは3年前、今井美樹のアルバムのプロデュースが終わったあとロンドンのスタジオにこもって『地上の楽園』というコンセプトで何曲か創ったんですけど、どうも納得できない部分があってアルバム作りを中断したんです。あの時期は自分の中ではっきりと音への志向性が変わっていきつつあることが感じられて…一時期、ボクは完全にスランプに陥っていましたね。映画やテレビのスタッフワークの中からはいくらでもアイデアは出るんですけれど、ソロアルバムとなると自分の中にたまったものが勝負になる。それがあのときの自分には少なかった」

何年もつねに第一線を走ってきた。アメリカの作家フィッツジェラルドをテーマにしたソロアルバム『マイ・ロスト・シティ』で「やっとやりたいものができた」という手ごたえを感じた。ひとつの到達点を見た。次なるステップへ自分を持っていこうと意欲が出てきた。それで「壁にぶつかった」。幻と終わった最初の『地上の楽園』はその過渡期にあった。「なにかのきっかけがつかめれば…」という思いで東京、ロンドンを往復する生活が1年8か月続いた。そんな中から待望のソロアルバム『地上の楽園』はじょじょにスタイルを固めていった。『地上の楽園』は7割がボーカルナンバーで、まさに久石譲の〈変身〉を物語っているアルバムだ。

久石:
「器楽のメロディーアーティストとしては日本でナンバーワンになったという自負はあります。仕事の量も多く、映画でも大作が多くなって、周囲の人たちの自分に対する期待は単なるヒットでは許してくれないところまできたわけですよね。最低でも2塁打、できれば3塁打かホームラン。責任の重いところに自分はいるんだという認識で、そろそろ自分が変えなければならないものが出てくる…そう思い始めたとき、ボーカルのメロディーに積極的に取り組むことに気づいたんです」

器楽のメロディー作家からボーカルの歌メロ作家へ。「自分の中にあるリズムをもう一度見直す必要があった」ともいう。それで『地上の楽園』はまるまる3年を費やしてしまったのだ。『ぴあの』の主題歌創りとボーカル7割の『地上の楽園』制作。ふたつは密接に結びついた、〈ニュー久石〉音楽を創造する作業だったと言ってもいいだろう。

インストゥルメンタルでも、歌を付けても楽しめる、耳に残るメロディーが「究極の音楽」だという。そうした音に一歩でも近づくため「ボクが考えうる最高で完璧な音創り」をめざすのが今後の課題だともいう。

久石:
「歌メロをやっていく中で、これまでのインストゥルメンタルの活動がいかに重要だったか痛感させられましたね。というのも、たとえば歌詞で簡単に〈愛してる〉と歌うところをインストゥルメンタルだとかなり細かく、かつ量も豊富にメロディーを積み重ねて聴いてくれる人を説得するわけですよね。細かい音創りが求められるわけです。そうした経験がどんな内容の歌詞が乗ろうと十分に聴きごたえのある音創りに生かされる。ボクはつねづね日本でもデイヴィッド・フォスターやクインシー・ジョーンズのようなメロディー作家が出てくるべきだと思ってた。彼らは自分で作詞も演奏もしなくてもでき上がってきたアルバムには彼らの個性が貫かれている。ひとつにまとまったプロジェクトを組んでアルバム作りをしているからなんですけど、そうしたスタイルをボクは日本でも定着させたいんですよ」

『ぴあの サントラ1、2』『地上の楽園』は〈JOE’S PROJECT〉として発表される。いまの彼自身の個性を前面に押し出したアルバムだ。

久石:
「ただ歌メロはいい曲、いい歌詞、いい編曲がそろっても歌手に左右されたりもして、必ずしも耳に残るいい音楽になるとは限らない。奥深く難しい世界です」

と結ぶ。もちろん「それでも自信はありますよ」と会心の笑みは浮かんでいた。

(「テレパル TeLePAL 1994年 6.25-7.8」より)

 

 

 

地上の楽園

 

 

 

Blog. 「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.4」コンサート・レポート

Posted on 2022/02/16

2月9日開催「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.4」コンサートです。当初予定からの延期公演です。プログラムも新たにアップデートされリアルチケットは完売御礼。さらに、Vol.2,3に引き続いてライブ配信もあり、国内外からリアルタイム&アーカイブで楽しめる機会にも恵まれました。

 

 

久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.4

[公演期間]  
2022/02/09

[公演回数]
1公演
東京・東京オペラシティ コンサートホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:Future Orchestra Classics
コンサートマスター/ヴァイオリン・ソロ:近藤薫

[曲目] 
レポ・スメラ:Musica Profana
久石譲:Winter Garden

—-intermission—-

ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調 Op.90

—-encore—-
ブラームス:ハンガリー舞曲 第6番 ニ長調

 

 

 

まずは会場で配られたコンサート・パンフレットからご紹介します。

 

 

Future Orchestra Classicsの第4回目のコンサートを迎えることができました。大勢のお客様がご来場されたことに心から感謝いたします。

ブラームス交響曲ツィクルスの今回は第3番です。他に僕の「Winter Garden」、スメラの弦楽合奏曲「Musica Profana」といつも通り現代と古典楽曲を組み合わせたプログラムを用意しています。

ブラームスの第3番を演奏するたびに僕は高畑勲さんとのやりとりを思い出します。

映画「かぐや姫の物語」のファイナルダビングの最中、ロビーでこの第3番のポケットスコア(総譜)を勉強していたところ、通りかかった高畑さんが嬉しそうにそのスコアの最終ページを指差し、「ここですよ!ここ!第1楽章のテーマがまた出てきて!・・・・最高なんですよ!」。僕は呆気に取られていたのですが、同時に高畑さんの音楽に対しての深い造詣、もちろん映画、美術、文学に対してもそうなのですが、心から楽しんでおられた姿に感動しました。

高畑さんが愛してやまなかったこの楽曲を、今晩皆さんの前で演奏できることを本当に嬉しく思っています。

最後に、今とても長い冬が続いています。
が、春はもうすぐ訪れます。
頑張っていきましょう!

2022年2月初旬 久石譲

 

 

レポ・スメラ:Musica Profana(1997)

エストニアのレポ・スメラ(1950-2000)は、アルノルト・シェーンベルクの対位法を研究するなど、現代音楽の技法をベースに、交響曲から映画音楽まで幅広く表現してきた作曲家。晩年はコンピューターを用いた曲作りにも傾倒し、人間の心臓の鼓動を使った「Heart Affairs」を発表するなど、意欲的な試みを続けてきた。

室内楽の作曲家としても評価が高く、スメラの楽曲は世界中で演奏されている。「Musica Profana」もその一つで、イタリア語で”世俗音楽”と名付けられたこの曲は、すべてのパートが同じモチーフで力強く進行しながら、中間部より高音部パートに遅れて低音部パートが追いかける構成で、バロック時代の弦楽協奏曲を彷彿とさせながら、高揚感とエネルギーを獲得している。一方で、リズミカルな流れは突如、反射的に停止し、中断を繰り返しながら進行する。映画音楽のようなこの手法は、スメラが他の楽曲でも用いてきたもので、音の運動性を研究し尽くした作曲家ならではの魅力に溢れている。

 

 

久石譲:ウィンター・ガーデン(2014年版)
Joe Hisaishi:Winter Garden (2006/2014)
・1st movement
・2nd movement
・3rd movement

「Winter Garden」は、2006年に鈴木理恵子さんのSolo Album用にヴァイオリンとピアノのために作曲したもの(全2楽章)をベースにして、ヴァイオリン・ソロとオーケストラの小協奏曲として、2010年の改訂の際に新たに第3楽章を付け加えた。さらに2014年に大幅改訂し、よりヴァイオリンとオーケストラのコントラストを際立たせつつ、ミニマルの手法になぞらえた作品とした。

8分の15拍子の軽快なリズムをもった第1楽章、特徴ある変拍子のリズムの継続と官能的なヴァイオリンの旋律による瞑想的な雰囲気を持つ第2楽章。そして第3楽章は、8分の6拍子を基調とし、ソロパートとオーケストラが絶妙に掛け合いながら、後半はヴィルトゥオーゾ的なカデンツァをもって終焉へと向かっていく。

ヴァイオリン・ソロを担当するFOCのコンサートマスターである近藤薫の演奏を心から楽しみにしている。

久石譲

 

 

ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調 作品90

*寺西基之氏による一頁楽曲解説

 

(「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.4」コンサート・パンフレットより)

 

 

 

ここからはレビューになります。

 

 

レポ・スメラ:Musica Profana(1997)

約12分の作品です。久石譲がホットに取り上げている作曲家レポ・スメラは、前回FOC Vol.3「交響曲 第2番」(2021.7開催)、日本センチュリー交響楽団定期演奏会「チェロ協奏曲」(2021.9開催)、MF Vol.8「1981 from “Two pieces from the year 1981”」(2021.10開催)、これらのプログラム歴を見てもよくわかると思います。

そして今回、この作品を聴いてみると、久石譲が取り上げている理由も説明の必要ないくらいよくわかる、肌でひしひし感じることができました。久石譲作品と並列してもなじみよく親近感すら感じてくる作品です。

楽曲解説からふれると「すべてのパートが同じモチーフで力強く進行しながら~」、ときに全奏者で一斉にユニゾンする旋律の圧力たるやすごいです。まるで太い一本の稲妻のよう。そして声部(楽器パート)が枝分かれしていくさまもまた稲妻の閃光が散っていくようです。一気に弦楽オーケストラのうねりに引き込まれていきます。

楽曲解説からふれると「中間部より高音部パートに遅れて低音部パートが追いかける構成で~」「一方で、リズミカルな流れは突如、反射的に停止し、中断を繰り返しながら~」、このあたりを言葉で眺めてみても、久石譲のあの作品もそういうところあるよね、と曲が浮かぶ人いるかもしれませんね。この作品は、どの箇所のことかすぐに見つけることができるくらい明快な構成を聴きとることができると思います。

楽曲解説からふれると「音の運動性を研究し尽くした作曲家ならでは~」、今の久石譲の志向性からも俄然近しい距離感に感じているのかもしれませんね。この1~2年で驚異の短期間に発表された久石譲:交響曲第2番・第3番も運動性をコンセプトに追求した作品づくりになっています。

ほんと弦楽オーケストラらしい作品だなと思います。たとえばデッサンを鉛筆や木炭を使って巧みに表現するような趣を感じます。弦楽合奏なので楽器の色彩感はないけれど、モノクロだけで鋭角な線を描いたり(たとえばヴァイオリンだけで鋭く)、太く(力強くユニゾンで)、ぼかしたり影をつけたり錯覚効果を狙ったり(旋律のズレやハーモニー)、輪郭線をはっきりさせたり(アクセントやフレージング)。そんなことをイメージクロスさせながら聴くと、久石譲作品「Encounter for String Orchestra」「I Want to Talk to You ~ for string quartet, percussion and strings ~」なんかもまたおもしろい出会い方があるかもしれませんね。そして未音源化の「螺旋」という弦楽作品もまだまだ控えているのです。

現代作品であり演奏も現代的です。リズムを重視したソリッドなアプローチは一貫しています。「タ~ラッ」となりそうなところも徹底的に「タッタッ」と横に流れない縦のラインをきっちりそろえたパフォーマンスは意識向きだすと病みつきになってきます。たとえば、音楽に乗って体が横に揺れてリズムとっているなら「タ~ラッ」、一方で首を縦に振ってリズムをとっているなら「タッタッ」となる、そんなイメージです。ただこれを一貫してキープするのはとてもとてもな集中力です。たとえ聴いている人でも、一曲のなかで体は横にも縦にも動きながらリズムにのっているのが普通ですよね。

リズムを刻む動パートであっても、ゆるやかな静パートであっても、旋律に抑揚をつけたりだんだん大きくしたりしていないのは、かなり徹底していたんじゃないかなと推測です。同じ強さと大きさですーっと伸びている。あくまで高音から低音までの楽器の出し入れで音の大きさや厚みをつくっている。その効果を狙っているからこその弦楽合奏。そんなこともまた感じました。

コンサートマスターの近藤薫さんは、次の演目でヴァイオリン・ソロを担当することもあって、この作品にはいませんでした。協奏曲をプログラムしたクラシック演奏会ではよく見られる光景です。このあとに向けて集中力高めてスタンバイしているところです。

 

 

久石譲:ウィンター・ガーデン(2014年版)
Joe Hisaishi:Winter Garden (2006/2014)

約20分の作品です。そういうこともあってか久石譲は「小協奏曲」と控えめに(?)言っているのでしょうか(?)。小協奏曲の概念にはいろいろ分類パターンがあるようですが、正確には20分を切りそうなこの作品はおそらく時間的な尺度から「小」としているのだろうと思います。久石譲作品「コントラバス協奏曲」や「The Border(ホルン協奏曲)」は約25-30分の作品です。時間というのは作品の大きさを表すうえで作曲家にとって大切なひとつだと思います。ですが!!とっぱらってもらって「協奏曲」でいい!!堂々たる「ヴァイオリン協奏曲」だ!!という強い気持ちを語っていきたいと思います。

 

その前に作品経歴です。

楽曲解説からふれると「2006年に鈴木理恵子さんのSolo Album用にヴァイオリンとピアノのために作曲したもの(全2楽章)をベースにして、ヴァイオリン・ソロとオーケストラの小協奏曲として、2010年の改訂の際に新たに第3楽章を付け加えた。さらに2014年に大幅改訂し~」、このとおりです。

・2006年 CD発表(Vn&Pf版)
・2007年 WDO(Orchestra版 全2楽章)
・2010年 WDO 豊嶋泰嗣
・2014年 ジルベスター 岩谷祐之
・2016年 上海 五嶋龍
・2022年 FOC 近藤薫

すごいですね。演奏機会は少ないなか日本を代表するヴァイオリン・トッププレーヤーがこの作品を演奏してきたことがわかります。今回満を持してFOCで披露となったわけですが、同時にそれは秘められてきた珠玉の作品が光放たれる瞬間でもありました。

 

・室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra(2015)
・Contrabass Concerto(2015)
・室内交響曲第2番《The Black Fireworks》〜バンドネオンと室内オーケストラのための〜(2017)
・The Border Concerto for 3 Horns and Orchestra(2020)

これから先リリースされる日が来たとしても(いや来ますよね願)、オーケストラ版全3楽章となった2010年を点としても、作品系譜としては一番若い作品になります。これは久石譲作品を線でつなげていきたい人は押さえておきたい。もし仮にいうなれば、《協奏作品 第1番》それが「Winter Garden」にほかなりません。

 

もっと。

”実はこの「Links」を作る前に「Winter Garden」というヴァイオリンとピアノのための曲を書いたのだが、変拍子のリズムと、それでも違和感が無いメロディーが合体するヒントが掴めた。それと同じアプローチでオーケストラに発展させたものが「Links」だ。この「Links」を書いたことによって、徐々に自分の中でミニマル・ミュージックへ戻るウォーミング・アップが出来た。”

(『Minima_Rhythm ミニマリズム』CDライナーノーツより 抜粋)

 

そうなんです。「Winter Garden」があったから「Links」があるんです。そして「Orbis」「The End of The World」「Sinfonia」輝かしい久石譲オリジナル作品群の新しい歴史が進んでいくことになります。「Links」も8分の15拍子の曲です。Winter Garden 第1楽章のリズムのとり方とはまた違うからおもしろい。

 

 

第1楽章
1st movement

急緩急の全3楽章の第1楽章は、口ずさみたくなるくらい印象的なモチーフから始まります。8分の15拍子を基調としていますが、リズムは2・2・3/2・3・3で取っています。モチーフを分解すると7拍と8拍(15拍子=1モチーフ)に大きく切り分けることができます。そこに斜線を入れました。ここで注目してほしいのが、後ろの8拍のところは4拍子のような2・2・2・2じゃなくて2・3・3でリズムに乗りましょう。このグルーヴ感は曲が進行するなかでよりはっきりと活きてきます。

基本モチーフはすぐにオーボエやフルートに引き継がれていって変化していきます。ソロ・ヴァイオリンはずっとメロディを歌っていることはなく、メロディとリズミカルに掛け合ったりと、ソロ楽器とオーケストラが主従関係(主旋律・伴奏)に定まらないのが久石譲協奏作品のうれしい特徴です。

オーケストラが大きくふくらむパート(1分半経過あたり)で、ティンパニやテューバがリズムを打ち鳴らしています。ここ2・2・3/2・3・3のリズムのとり方が一番わかりやすいですね。この前もこの後も、15拍子になってるところはほとんどそうです。なにかしらの楽器で伴奏的リズムを2・2・3/2・3・3で刻んでいると思います。ぜひ探してみてください。指揮姿からもわかるかもです。第1楽章に秘められた高揚感です。

ヴァイオリンをフィーチャーした「Untitled Music」という作品もそうですが、トライアングル・ピアノ・チェレスタ・ハープ・グロッケンシュピールなど、キラキラ輝いた印象のオーケストレーションが魅力的です。まるで雪が反射して煌めいているようです。さりげなく随所に配置されているピッツィカートも巧妙です。冬感たっぷりに散りばめられています。

 

第2楽章
2nd movement

緩徐楽章ともいえる第2楽章は、ヴァイオリンのたゆたう旋律に誘われるままに、なにか深いところへ深いところへと。くり返される漂うハーモニーに危うい雰囲気を感じながらもカウベルの響きが心地よさを、その両極なふたつが溶け合っていくようです。

目立ちにくい楽章ですが、こういった楽想は久石譲作品にみられるひとつの特徴です。『DEAD』より「II. The Abyss~深淵を臨く者は・・・・〜」、『The End of the World』より「II. Grace of the St. Paul」、『THE EAST LAND SYMPHONY』より「II. Air」など。メランコリックだったり瞑想的な雰囲気をもつ楽章があります。現実と夢、現実世界と異界、というようにひとつの作品に別世界を持ち込むといいますか、異なる空間軸や時間軸な次元を描くといいますか。そうして楽章間や作品そのものを有機的につなぐ役割を果たしているようにも感じてきます。あらためて気に留めてそんなことも思いながら。大切に聴きたい楽章です。

 

第3楽章
3rd movement

ワクワク止まらないイマジネーション豊かな第3楽章です。聴き惚れて満足しきり、感じたことをたくさん書きたいところですが、ちょっとぐっとこらえます。少し背伸びして音楽的にこう聴いてほしい3つに絞って進めます。感じるままに聴きたいんだ!という人もいるでしょうが、よかったらお付き合いください。

1.基本モチーフはスケールそのまま。

冒頭からヴァイオリンの基本モチーフが現れます。音をなぞっていてビックリしました。これホ長調のスケールそのままなんです。F#-G#-A-B-C#-D#-E,D#,E(ファ#-ソ#-ラ-シ-ド#-レ#-ミレ#ミ)です。文字だとわかりにくい。

 

ミからはじまる、ドレミファソラシドの響きと思ってください。イントロ導入が弦楽器トレモロのE(ミ)で通奏しているなか、基本モチーフが次のF#(ファ#)からそのまま上がっていっています。だからスケール(音階)そのままなんです。すごい!

もっとすごい!冒頭の基本モチーフは2回繰り返しています。なんと2回目は1音違っています。これは音をさらっていかないとなかなか気づかないことかもしれません。AがA#に変化しています。基本モチーフ1回目「F#-G#-A-B-C#-D#-E,D#,E」2回目「F#-G#-A#-B-C#-D#-E,D#,E」です。この一音のズレは絶妙です。生楽器で奏するからこその微妙なピッチのズレを生かした得も言われぬ揺らぎやハーモニーをつくることになります。指の位置で音程を探るヴァイオリンだからこそこの半音ズレたまりません。音程をつくる管楽器もそうですね。ピアノなどの打楽器だと鍵盤おすと誰でも同じ音程の音が出せるからまた違ってきます。気づかないほどに微細な変化、奏者や楽器ごとに生まれる音程のニュアンス、無意識な違和感をつくる仕掛けと奥ゆかしく広がるハーモニー。すごい!!

 

 

2.基本モチーフはアウフタクト。

休符からはじまります。小節の頭が1拍お休みなので、ン・F#-G#- ン・A-B- ン・C#-D#-E,D#,E ですね。それはなんとなく聴いててわかるよ。そうなんです。この第3楽章は8分の6拍子ですがリズムが裏なんです。1・2・3・4・5・6/1・2・3・4・5・6 この2小節分で基本モチーフ、休符から始まっているのでアクセントも小節の頭じゃなくて1・2・3・4・5・6/1・2・3・4・5・6 と裏拍になっています。これがシンコペーションになって躍動感を生みだしているように感じます。モチーフは転調を繰り返しながら変化していきます。8分の6拍子を基調としながら変拍子もはさみます。

3.リズムも裏拍で。

中間部の展開するパート(4分経過あたり)、低音「ド・シ♭・ド・や・す・み」と力強くどっしり刻んで進んでいきます。ふつうに聴いていると、歩くようにドン・ドン・ドン[1・2・3・4・5・6]と頭でリズムをとってしまいそうになりますが、ここも裏拍です。なので正解は(ン)ド・(ン)シ♭・(ン)ド [1・2・3・4・5・6]となります。このリズム感をつかんでくると快感すらおぼえてきます、きっと。このグルーヴ感を見失わなずにカデンツァ前までいけたらもうばっちりです。とびきりのウィンター・ガーデン広がっています。

 

とにかく聴くたびにどんどん喜び溢れてきます。発見も溢れてきます。近藤薫さんのカデンツァの完璧さに圧倒されたなんて言うまでもありません。すごすぎて体震えて目も見開いて次第に顔もほぐれて緩んでいったしかありません。雪のなかの炎のように熱かったです。

2000年代からの指揮活動も影響を与えていると感じられる色彩感に満ちたオーケストレーション。そしてストレートなミニマル手法がたっぷり堪能できる作品です。現代誇る新しいヴァイオリン協奏曲のレパートリー登場です。広く演奏してほしいずっと聴かれてほしい作品です。記憶に新しい「コントラバス協奏曲」の石川滋さん、「ホルン協奏曲」の福川伸陽さんもメンバーにいるなんて豪華すぎます。久石譲と一心一体FOCのパフォーマンスで音源化されることを心から楽しみにしています。

 

 

さて、ここからメインディッシュきます。もうお腹いっぱいですか、そしたらまた明日にでも。油っこくならない加減でご用意はしたつもりです。デザートも春めいたお味かもしれません。

 

 

ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調 作品90

ブラームスは○○だ!

FOCは室内オーケストラに近いですが本公演はなんと弦8型。コンサート・パンフレットからメンバー一覧/編成表をみると第1ヴァイオリン8人、第2ヴァイオリン8人、ヴィオラ6人、チェロ5人、コントラバス5人となっています(管楽器は2管など通常編成)。交響曲第1番・第2番はたぶん弦10-12型だったと思うので、FOC史上一番コンパクトな編成で臨んだ第3番です。これがすべての感想に結びついていく最大ポイントです。

FOCは立奏スタイルなので、体で重心かけて大きく響かせられる、高い位置から音が出るので遠くまで飛ばせる、リズム重視のソリッドなアプローチにも適している、視覚的にも動き大きく見せれて躍動感や臨場感たっぷり。そんなメリットがあるように思います。そして、ブラームスも想定して書いたと言われる対向配置。よく響くホールもあいまって、プログラム前半2作品もふくめてボリュームや体感に物足りなさを感じるなんて決してなかったと思います。

第1楽章からダイナミックな音圧で迫ってきます。そして同時に、ブラームスこんなに細かく振り分けてたんだとわかってうれしくなるほどパートごとによく聴こえてきます。第2楽章の管楽器と弦楽器のかけあいもそうですが、室内楽な構成というか響きを感じる作品だとわかります。第3楽章のブラームスきっての美しい旋律も、とろけるようなホルンはもちろん、オーボエやクラリネットなど木管楽器たちがメロディを受けつないでいくさまも美しい(ライブ映像のカット割りもそうでした)。第4楽章の駆け抜けるような速さ、みなぎる推進力、そして川の流れを思い浮かべるような終結部。

交響曲第3番において、楽章ごとのコントラストが素晴らしかった。とりわけアンサンブルしているのがよくわかるFOCパフォーマンスでした。もしひと言でいうなら親密さ、そう楽器間の親密さが極上に伝わってくる。古典回帰といわれたブラームス、でもやっぱりロマンな人なんだな、それがたまらなくわかる演奏を聴かせてもらった気分です。

ブラームス交響曲ツィクルスにおいて、作品ごとのカラーをしっかり打ち出しているように思います。「ベートーヴェンはロックだ!」のようなわかりやすいキャッチコピーはありません。最もその作品を表現できる編成とアプローチでそれぞれ臨んでいるように感じます。このダイナミックさを聴かせられると、交響曲アルバムによくカップリングされる「大学祝典序曲」や「悲劇的序曲」も聴きたくなってきます。このアンサンブル力を聴かせられると、バロックの面影のこる気品「セレナード第1番・第2番」も聴きたくなってきます。そのどれもがFOCの魅力をいかんなく発揮できるとともに、新風を巻き起こしてくれそうな作品たちです。

次回のFOC Vol.5(2022.7開催予定)は、いよいよフィナーレ交響曲第4番です。ほかにどんな作品がプログラムされるのか、気は早いですがその後の展望は、ブラームス交響曲全集は、とにかく目が離せません。ブラームスは○○だ、いつか久石さんにその魅力をたっぷり語ってほしいです。

 

(余談1)

ロータリートランペットとウィーンティンパニ。前回Vol.3で気になって、それから少し学んだこと、文量が過ぎるので次回にまわしたいと思います。交響曲第3番はそんなにティンパニ炸裂しないですしね。

(余談2)

僕の隣に座っていた人、ブラームスの曲にあわせてリズムとったり体が動いていました。ブラームス好きな人が聴きに来てるんだなあとうれしくなりました。そして大きな拍手を送っているのをみてブラームス好きも大満足だったんだなあとうれしくなりました。

 

 

アンコール

ブラームス:ハンガリー舞曲 第6番 ニ長調

緩急ある起伏に富んだ曲はFOCの個性豊かなパフォーマンスにもぴったりです。

どうしても好奇心から、なんで今回第6番を選んだんだろう(前回FOC Vol.3は第17番)と探求したくなってきます。全21曲あるハンガリー舞曲で有名なのは第5番、第6番、第1番とつづくようで、そのくらいポピュラーな曲とあります。知らなかった。もちろんそれだけではないような気もしてきます。調べていくととても興味深いことを発見しましたので、ここに背筋のばしてご報告いたしますっ。

この曲なんと1967年2月にNHKみんなのうたで放送されていた、歌になっていた曲だったんです。「ふるさとの空は」(作詞:峯陽/作曲:ハンガリー民謡)とありがちな作者クレジットになっていますが、この曲がハンガリー舞曲第6番であることもまた周知のことのようです。

歌詞に注目しました。2番の歌詞に「春を待つ 歌声聞こえて来る朝は 春が来たぞと 足を踏み鳴らして みんなで 歩き回るよ ~」とあります。久石さんとしてはこれも言いたかった、伝えたかった選曲なんじゃないかなと勝手にじんわり震えてきました。コンサート・パンフレットの挨拶むすびにこうあります「春はきっと訪れます」と。この想いを音楽に託したんじゃないかな、とそう勝手に受け取らせてください。明るく快活なこの曲、前向きに明るくなって心軽やかになってきます。いろいろなパフォーマンス動画をすぐに見つけることできる歌だと思います。春を待ちわびる気持ちで一気にこの曲第6番が好きになりました(単純です笑)。

 

 

会場では開演前の胸躍る期待や楽しみ感を表現できない昨今ですからね。「会話もなるべくお控えください」アナウンスな昨今ですからね。ちょっと緊張気味にはじまった本公演でしたが、会場もプログラムが進むごとに温まっていき、最後には熱い拍手のやまない空間となりました。そうして再登場して笑顔で応えてくれた決定的瞬間はぜひ下の公演風景(from公式SNS)から味わってください。

 

メンバーに感想を伝えたい。

クラシック・ファンには顔なじみの豪華メンバーが結集したFuture Orchestraです。FOC/MFとどちらにも登場していたり、久石譲とよく共演するオーケストラに在籍していたりと、久石譲ファンでも少しずつ顔を覚えていけそうな皆さんです。きっと、好きな奏者や好きな楽器の音色で気になっている人もいるんじゃないでしょうか。

終演後感想ツイートしていた方もいます。そこへ僕はコメント返してリアクションさせてもらいました。もちろん面識ない方が多いです。それなのにいきなり、普通なら失礼にあたるかもしれない、なんだこいつ誰、そうなんだけど、、それができるのもまたSNSです。せっかくチャンスあるなら伝えたい、感動やお礼をひと言でも伝えられるなら、勢いにまかせたっていいじゃないか!(笑)そういう温度感だけでも届けることできたならうれしいそう思っています。

メンバーは公演ごとに流動的だったり網羅はできませんので、ファンサイトのツイッターやりとりでもご参考いただけたら。[ツイートと返信]をのぞいてもらうと、どんな方がいらっしゃるかきっかけになるかもしれません。そして気になる演奏家をフォローしたら、在籍オーケストラや活動プロジェクトの情報をキャッチできるようになりますね。どんどん広がっていきます。これからはますます、届けることに意味がある、そう思ってアクティブにいきたいところです。感動や感謝を伝えられるってよくよく幸せなことだなあと。

 

久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋ツイッター
https://twitter.com/hibikihajimecom

 

 

みんなの”FOC Vol.4”コンサート・レポート、ぜひお楽しみください。

 

 

 

久石譲公式SNSには、それぞれに違う写真や動画が投稿されていたりします。ぜひくまなくチェックしてください。

 

リハーサル風景 / 公演風景

ほか

リハーサル風景動画もあります

from 久石譲本人公式インスタグラム
https://www.instagram.com/joehisaishi_composer/

 

 

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from 久石譲オフィシャルTwitter
https://twitter.com/official_joeh

 

 

ほか

from 久石譲コンサート@WDO/FOC/MF公式Twitter
https://twitter.com/joehisaishi2019

 

 

ほか

from 久石譲オフィシャルFacebook
https://www.facebook.com/JoeHisaishi.official

 

 

 

みんなの”FOC Vol.4”コンサート・レポート、ぜひお楽しみください。

 

 

FOCシリーズ

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

Blog. 「Hundred ハンドレッド 1987年11月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/01/26

音楽雑誌「Hundred ハンドレッド 1987年11月号」に掲載された久石譲インタビューです。その次号から「連載 久石譲の今月の気になるアイツ」(全何回/不明)もスタートしていきます。

 

 

INTERVIEW

「映画音楽で一番気を使うのは、監督のテンポ感。それが僕にとっては生命です」
久石譲

あるときはキーボード・プレーヤー、またあるときは作曲家、編曲家。映画音楽、CM音楽、アーティストのアレンジと八面六臂の仕掛人。やがて、映画『となりのトトロ』で新しい世界を聴かせてくれる人。

 

ー久石さんのお仕事は大変多岐にわたっているわけですが、まず、映像に関係したお仕事についてお聞きしたいと思います。久石さんとラピュタの宮崎駿監督とは今や珠玉のコンビといわれていますが、宮崎さんと仕事をする醍醐味のようなものをお聞かせください。

久石:
実はアニメーションは宮崎さんの作品以外はあまりやっていないんです。というのは、やっぱり宮崎作品は単にアニメーションということでなく、映像として非常に優れていると思うわけなんです。実写ものでもなかなかあそこまでは表現しきれないんじゃないですか。ラピュタはいま香港で大ヒットしてるんですよ。空前のヒットらしいです。あの時の『君をのせて』という歌を中国語と英語で吹き込みたいというオファーが来てるんです。香港といえば「アチョー!」の映画ですけど、それを超えるヒットだそうで、ラピュタなんかはもう国際的な広がりの中で十分やっていける作品だと思うんです。単にアニメだとか映画だとかそういう区別を抜きにして、大変なもんですよね。

宮崎さんとのやり方というのはけっこう特殊で、映像にかかる前に必ずイメージアルバムっていうのをつくるんですよ。音楽の打ち合わせっていうのは、どうしても抽象的になっちゃうでしょ。ここでキレイなメロディーをとかいっても、こちらの考えてるキレイと監督さんの考えるキレイとは違ったりするでしょ。それを極力避けるということで、イメージアルバムがあれば、あのテーマをこの部分のテーマにしたらどう、とか、このシーンにはあのメロディーのアレンジでどうですか、とか、非常に具体的なやり方でつっ込んで話すんですよ。だから、ナウシカにしてもラピュタにしても、とってもレベル高くできたんじゃないかと思うんです。

 

ー映像に関係したお仕事で最も気を使うのはどういうところでしょうか。

久石:
監督のテンポ感です。カット割りとか、画面の演出のテンポ、編集のテンポですね。それが僕にとっては生命です。僕の場合、台本を読んだ段階で60~70%はできていて、あとラッシュを見に行くのは、監督のテンポをつかむため。

『ドン松五郎の大冒険』っていう正月映画なんですけど、その監督が後藤秀司さん。すごくコミュニケーションうまくとてまして、台本を読んでからラッシュ見に行って、ああ後藤監督のテンポってこんな感じだなあ、で、自分なりに曲を書き出す。そうしたら、ほとんどのシーンがピタリピタリと合っていっちゃうんですよ。おもしろいもんですよ。例えばここからどっかに歩いていくだけのシーンだって、監督によって演出が全然変わるでしょ。だけど、その監督の全体を見ていくと、だいたいここではこういうカット割りになるとかって読めてくるんですよ。

それは『漂流教室』の大林監督の時もそうだし『この愛の物語』の舛田監督の時もそうだし『Wの悲劇』『早春物語』の澤井監督の時もそうですね。みんなそれぞれのテンポ感が違うし、それをつかまえるのがコツというか、一番大変なところですね。

 

ー今度の『となりのトトロ』という映画は、どういうイメージなんでしょうか。

久石:
全体に日本の古きよき時代というか、空気が汚れてなくて、山があって川があって、子供たちは目いっぱい遊んでいる、というイメージでしょうね。ただ、時代考証的に何年頃とかいうんじゃなくて、もう宮崎ワールドですから、時代とかいうものには僕はあんまりこだわらないようにしてるんです。トトロの歌のアルバムはすごくいいと思いますよ。ものすごく時間もかけましたしね。本当に素直に大きな声で歌える歌をつくってくれっていう宮崎さんの注文ですから、だからすごく大変でしたよね。まず、そういう歌手がいないんですよ、基本的には。そういう人を捜すことから始めましたからね。でも、これは楽しみにしてください。

 

ー今度はもうひとつ別の仕事、アーティストのためのアレンジャーとしての意見をお聞かせください。

久石:
日本には優秀なアレンジャーって大勢いるんですよ。だから、わざわざそこで僕も頑張ることないなとか思ったりするんだけど、ただ、例えばちょっとマニアックな、ジェネシスっぽい音だとか、ああいったアプローチでアレンジできたらベストだなあ、と思いますね。あるいはホール&オーツのようなすごくスッキリしたアレンジだとか、あんまりゴチャゴチャしないでね、キッチリした仕事だったらやってもいいなと思ってますね。最近はだんだんそういう風にやれるようになってきたんで、それなりの成果が出せてるな、という気がちょっとしてます。ただ、自分でメロディー書いた時の方がいいものができますね。アレンジだけだと、そこで主張しちゃって、やりすぎるから、あまりよくない(笑)。

 

ー15秒の世界は、どうでしょう。

久石:
CMは瞬間瞬間を切りとっていく作業だから、メロディーで勝負ってことではないですよね。論理的に解釈するには時間が短かすぎるんです。映画ってある程度論理的に解釈できるんですね、このテーマはこう使ってとかね。CMは15秒、30秒ですからね。その短い時間に時代の先端の音を切りとって入れていかなければならない。そうすると、非常にサウンド主体にしていかなければいけなくなりますよね。切り売りですよね。

全体が15秒として、音楽を聞かせられるのは頭の7秒ですからね。7秒っていうと1小節か2小節しかないですからね。頭7秒で、エッ何これってふり返らせられるかどうかが勝負だと思ってるんですよ。おもしろいけど、大変ですね。

 

ーフェアライトという楽器について、お聞かせください。

久石:
とにかく民族音楽が死ぬほど好きなんですよ。フェアライトというのは、オーストラリア製のサンプリング・マシンなんですが、前だと民族楽器なんていうのはどこかまで行ってその楽器を手に入れてこないとその音は出せなかったわけですけど、これだとデジタルで記憶させて鍵盤でその音を弾けるわけです。機械合成音っていうのはあんまり好きじゃなくて、サンプリング・マシンというのを駆使していくことによって、新しいアコースティックな世界がつくれんじゃないかと思ってるわけです。音もすべて管理できているし、ニュアンスも出しやすいんですよね。意外と完全主義者でね、曖昧なものが入ってくるのは好きじゃなくて、そういう意味では今のスタイルが自分には一番あってると思ってます。

 

ーこれからの予定を聞かせてください。

久石:
去年から懸案のピアノのソロがありまして、去年の11月にロンドンで4曲録って来てそのままなんですよ。日本で残りを録ろうとしたら、音質が違いすぎてダメなんですよ。環境も違うし楽器の鳴りが違うし、しかたがないんで、11月か12月にまたあっちへ行って残りをやるつもりです。これは、僕がやってきた映画の音楽をできるだけシンプルに一人で弾くというやつなんですよ。もちろんナウシカも入ってるしラピュタも入ってるし『Wの悲劇』『早春物語』それから『漂流教室』まで全部入れて、久石譲メロディー集みたいなね、ものになると思うんですよ。どうしてもアレンジの仕事もしてますと、いろんな音を使って壮大なサウンドをつくるみたいなのが多いでしょ。それで、できるだけ原点に戻りたくて、ピアノ1本で、しかもメロディーをケバケバしく弾きまくらないで、サティのようにシンプルにしてアルバムをつくりたいということなんですね。そのためには、音質がね、飛びぬけて深い音のするところに行かないと。ロンドンのエアー・スタジオっていうところの1スタのピアノが世界で最高だと思うんですよ。どうしてもあそこで録りたいですね。

あと、藤原真理さんとう国際的なチェリストがいますが、この人と実は春先からLPつくってんです。これもすごいゼータクでね、ちょっと録っては2~3ヵ月おいてまた録って、で、ちょっと気に入らないから全部捨ててまた録り直ししてるというね、信じられないことしてんですけど、これはすごいですよ。ナウシカ組曲というチェロとピアノのためだけの作品をつくってる最中なんです。

やり始めるとね、すべて大変になっちゃいますね。

(「Hundred ハンドレッド 1987年11月号」より)

 

 

Blog. 「Jazz Life 別冊 ピアノプレイブック No.10」(1990)久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/01/25

音楽雑誌「Jazz Life別冊 ピアノプレイブック No.10」(年4回発行/1990年10月31発行)に掲載された久石譲インタビューです。映画『タスマニア物語』のタイミングですが、これまでの経歴を掘り下げていくような内容になっています。

 

 

JOE HISAISHI INTERVIEW

『タスマニア物語』では、正統派の映画音楽をやりたかったんです。
久石譲

『タスマニア物語』を始め『風の谷のナウシカ』『魔女の宅急便』などの映画や、NHKテレビ『人体』の音楽を作曲した久石譲さん。いつも、とっても美しい音世界を感じさせてくれますが、実は学生時代から現代音楽を研究し、ミニマル・ミュージックをポップスの世界に導入した先駆者でもあるのです。そこで、久石さんの創作活動の一端を覗かせていただきました。その音楽のように、親しみやすくてピリッと辛口のスパイスが利いたインタヴューです。

 

特にアニメだからという意識はないんです

ー『風の谷のナウシカ』を始め、アニメの音楽をお書きになってらっしゃいますが、映像と結んだ音楽を始められたキッカケというのは?

久石:
やはり、小さい時から映画が好きだったということはありますね。非常に映画に親しい環境だった……たくさん見たということで。

ー印象に残っている映画というのは?

久石:
もう、すごい量を見ていますので特にこれと限定できないですよ。多すぎて…。高校とか大学の時に一番見ていましたので、その頃のというと、(フェデリコ)フェリーニとか(ミケランジェロ)アントニオーニとか、あの一連のヤツですね。『サテリコン』『王女メディア』、あのへんのは印象に残っていますね。

ー特にアニメについては?

久石:
う~ん、実はね、特にアニメというものを意識したことはないんですよ。僕にとっては、映像の延長というか…。

ー久石さんの創作活動の一部という位置づけで?

久石:
まったくそうです。たとえば、宮崎駿さん(『風の谷のナウシカ』などの監督)は、特にアニメの人とは思っていないんです。日本の有数な映画監督のひとりと捉えているんです。彼にとっての手段がアニメかもしれませんけど、僕にとっては実写のものと同じようにしかやっていない。当然アニメの方が現実の動きと違うから、その分だけ音楽が少し多めにしゃべる、ということはあっても、アニメだから…ということは思っていないですね。

 

学生時代は過激なことばかりやって

ー大学は国立音楽大学の作曲科ですよね?

久石:
ええ。

ーやはり小さい頃から音楽を?

久石:
4歳からヴァイオリンをやっていました。よく言われるんですけど、一番幸せなのは一回も他の職業を考えたことがない、ということ。

ーそんなに早く、音楽の道に進もうと思ったんですか?

久石:
4歳の時に音楽家になるって決めて、そのまんま来ていますから…。全然悩んだことがない(笑)。

ー学生時代はどんな音楽を聴いていましたか?

久石:
高校時代くらいからは現代音楽。ジョン・ケージとかシュトック・ハウゼンなど、そういうのばかり聴いていました。そのまま、超アヴァンギャルドの方に走って行ってしまいましたから…。ナウシカとはずいぶん違いますけどね(笑)。

ーアヴァンギャルドというと?

久石:
僕が学生時代やっていたのは、舞台に出て椅子をバーンと放り投げて帰って来るとか、ピアノの中にシンバルとか入れて、弾いてもまともな音にならないとか、過激なことばかりやっていました。

ー久石さんの作品には、ミニマル・ミュージックの手法などを取り入れられたものも多いですが、ミニマルはいつ頃から?

久石:
大学2年くらいかな? ある時に、テリー・ライリーの「ア・レインボウ・イン・カーヴド・エアー」というのに出会って、3日くらい寝込むくらいにショックだったんです。それまで、僕らはオーケストラのスコアをね、60段80段1個1個書いて緻密に作ってた時に、あの単純な「ア・レインボー~」を聴いて…。一瞬ロックかな?って思ったんだけど、後で最先端のアメリカの現代音楽だということがわかった瞬間に、雷に打たれたようなショックを受けたんです。

 

自分はジャンルに拘ることはない

ー今まで緻密なスコアを書いていたのが、ミニマルに変わるというと、かなりのご苦労が?

久石:
大変でした。4年くらいかかりましたね。ミニマルをやるためには、譜面を緻密に書いて”これが僕の作曲です”というんじゃ意味がないんですよ。環境から全部作って行かなければならない。それで、バンドを組んだりとか、みんなで練習して…。同じパターン延々とやるわけですから、1曲40分くらいかかる。ひとつのコンサート3曲で終わったり(笑)。そういう活動をしばらく続けていたら、僕は現代音楽の方から登って行ったんだけど、ロックの方から登って来て同じフィールドでやっている人もいっぱいいる、ということに気がついたんです。そのひとりが、マイク・オールドフィールド、あの「エクソシスト」の。それから、クラフトワークだとか、タンジェリン・ドリームだとかね。彼等もミニマル・ミュージックとテクノ…、エレクトロニクスをドッキングさせた音楽ですよね。その中でも一番ショックだったのがブライアン・イーノだったんです。

ー現代音楽とロックの両方からアプローチがあって…。

久石:
そう、それでその境がなくなっちゃったんです。僕は、その時ムクワジュというパーカッション・グループを作ったんです。高田みどりとか、日本の若手の打楽器奏者の主だった人を集めてね。そのバンドでコロムビアから『MKWAJU』というレコードを出したんです。アフリカの素材をそのまま使ってパターンを作ったものなんですけど、日本初のミニマル・ミュージックのアルバムなんですよ。ところが、それがフュージョンのジャンルで売れちゃったんです(笑)。

ーフュージョンのジャンルで!?

久石:
そう(笑)。その段階で僕が思ったことは、これ以上クラシック(の世界)っでやっていても意味がない、ということ。何故なら、リズムが違う。硬いんですね。そうした時にブライアン・イーノなどを聴いて、自分はジャンルに拘ることはないと思いました。それで、クラシックの活動をいっさいやめて、ポップスというフィールドに出て行ったんです。それまでもテレビ(の音楽)とかもやっていましたけど、基本的には現代音楽の作曲家がメインでしたから。

ーポップスの世界に出て来ていかがでしたか?

久石:
むしろ、ポップスというフィールドの方がアヴァンギャルドがいっぱいできましたね。最初に『インフォメーション』というアルバムを作ったんです。これは糸井重里さんの「おいしい生活」とドッキングして、”おいしい生活にはおいしい音楽を”というキャッチフレーズで、知的ポップスという形で出したんです。それをやった後が「ナウシカ」などの作品ですね。

 

僕のベースにはアヴァンギャルドが

ーミニマル・ミュージックは、ある意味ではリズムのおもしろさみたいなものもあると思うのですが?

久石:
そうですね。リズムにはすごく興味がありますね。ある時期はリズムしかなかった、みたいな…。僕はアフリカの音楽がすごく好きで研究して、結局ミニマルの人ってアフリカの音楽を研究しているんですよ。イーノも行ったし、スティーヴ・ライヒもそうですね。アフリカといってもガーナ。ガーナの音楽が一番複雑なんですよ。リズム構造が。

ーポリ・リズムみたいな?

久石:
ものすごいですよ。2/4と3/8、16/8とかいうリズムが同時進行…。

ーどっか一カ所で合って、あとはズレていくような?

久石:
そうそう。そういう音楽にのめりこんでいまして、その時は『アルファベット・シティ』というアルバムを出しました。これはすごかった。大アヴァンギャルド。メロディなしのリズムの洪水なんです。ニューヨークでトラックダウンしたんですけど、A&Mとセルロイド・レーベルの2社から契約したいと言ってきましたね。

ー久石さんのベースには、アヴァンギャルドの世界があるんですね?

久石:
ええ。おもしろい話がありまして、そのアルバム作っている時に、某レコード会社のアイドルをプロデュースすることになって、『アルファベット・シティ』を聴かせたんです。そうしたら、その仕事がなくなっちゃった(笑)。うちの〇〇が壊されるって(笑)。そのくらいアヴァンギャルドだったんです。

ーこれは、オフレコにしておきましょうね(笑)。

久石:
ハッハッハッ(笑)。もう時効ですよ(笑)。

 

もう1回やろうと思ってもできないですね

ーリズムという面では、たとえばナウシカの音楽にしてもかなり凝っているという印象を受けるのですが、映像とのドッキングという自由度の少ない分野でお作りになる難しさはありますか?

久石:
作曲家というのは、基本的に自分のアイデンティティというか、自分の個性とかスタイルをどう築いていくか、というのが使命なんです。しかし、それを無理やり作って行くというのは不自然ですよね。僕の場合は、学生時代からミニマル・ミュージックというものにどっぷり浸かっていたわけです。それを否定しようとするとウソになってしまうんです。だから、ポップスのフィールドでも、それが自分のベーシックにあって構わないと思うんです。

ーミニマルとかが?

久石:
そう。ただ、ポップスのフィールドで一番必要なのはメロディなんです。ミニマルやってた頃は、逆にメロディは必要なかったんですよ。ポップスの場合、そのメロディがキチッとしていれば、バックでどんなアヴァンギャルドやっても平気だし、という捉え方もあるわけです。それが、今の僕のスタイルなんですよ。映画音楽らしいものを作ろうとするより、自分なりの映画音楽を確立しようと思ってやればいいんです。

ーそういう意味でも、ナウシカの音楽というのは、印象的な美しいメロディと凝ったリズムの対比が素晴らしく、今までにない映画音楽という感じがしますが…。

久石:
そう感じていただければうれしいですね。作っている最中は、自由な音楽表現をしたつもりなんですけど、後で聴いてみると映画音楽としてオリジナリティがあるんじゃないかな? という気がしています。ある意味では、僕の中でメロディというものの存在が大きくなったのはナウシカからですね。

ーナウシカは、今まで持っていたリズムの鋭さとメロディが融合した作品?

久石:
そうかもしれませんねえ。ただ、具体的に言うとナウシカの段階では、映画音楽としてのバランスは決してよくないんですよ。つまり、打ち込みものでやった明確な部分と、ミニマルとオーケストラの部分が渾然一体していなくて、はっきり別れながら存在しているように自分では感じるんです。だから、まとまりという面では『ラピュタ』の方が好きなんです。

ーしかし、そういう部分を超えたエネルギーみたいなものを私は感じるのですが?

久石:
そういうエネルギーはあるかもしれませんね。もう1回やろうと思ってもできないですね。狙ってやれるものではないですから…。やはり、あの時期、あの時でしかできなかったことでしょうね。

 

今、ピアノに魅力を感じているんです

ーやはり、監督とのコミュニケーションも大切ですよね。

久石:
打ち合わせ徹夜が2日とか3日続いたり…。凄まじかったですよ。

ー場面場面の細かい部分まで?

久石:
やりますよ。こちらも折れないし。あそこまで緻密に(打ち合わせを)やる映画音楽はないかもしれないですね。

ー何秒と何コマ目まで音が入るとか?

久石:
ナウシカの時はそこまでやっていないですけど、ラピュタ以降はやってますね。今度の『タスマニア物語』などは、もっともっと凄まじいですよ。1秒の何十分の位置まで合わせてますので、時間がかかりました。実質半年はかかってますね。

ー『タスマニア物語』を作る時に考えたことは?

久石:
プロデューサーからの注文は、日本中が口ずさめるもの。僕が考えたのは、基本的にはやさしさと広がりですね。すごく贅沢な作り方をした音楽ですよ。シンセサイザーですむ部分をわざわざその上にオーケストラをかぶせたり。ちょっと聴いただけではわからないですけど、かなり凝っていますね。そういう意味で贅沢な作り方といえますよ。

ーそれでは最後に、今後の活動などを。

久石:
今、ピアノにすごく魅力を感じているんです。学生時代はあまり好きでなかったんですけど(笑)。最近ではハノンをまたさらったり(笑)。

ーホントに!?

久石:
45分以上はやりますね。珍しいでしょ?(笑)好きなんですよ。

ーまた、ピアノ・アルバムを出されるとか?

久石:
実は、その予定があるんです。まだプリプロダクションの段階なんですけど、これからイギリスで録音します。

ー発売は?

久石:
来年早々くらいじゃないかな? まだ、どの雑誌にも言っていない(笑)。

ー貴重な情報ありがとうございます(笑)。また、その時にお話を伺いたいと思っています。

(「Jazz Life別冊 ピアノプレイブック No.10」より)

 

 

Blog. 「CM NOW 1988年 冬号 VOL.19」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/01/24

CM情報誌「CM NOW 1988年 冬号」に掲載された久石譲インタビューです。放映中のCMや出演俳優・アイドルにスポットを当てた雑誌らしい、当時CM音楽を数多く手がけ『α-BET-CITY』や『CURVED MUSIC』にその楽曲たちが収録された久石譲です。CM音楽にフォーカスした貴重な内容になっています。

ただし、話題に上がっている多くのCM楽曲は音源化されていないものもあります。

 

 

最初に画面を見た時のインパクトで音楽全体の70%が決まる
久石譲

リズムにこだわった、音楽作りをしています。

久石さんの手掛けたCM音楽は多く、カネボウ「ザナックス」シリーズ、ゴクミの「スコッチEG」シリーズ、日本生命「ジャスト&ビッグユー(菊池桃子)」、エスノラップの大韓航空、桂三枝がシリアスに決める「ミツカン味ぽん」など、いずれも話題になったものばかり。他にも「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「Wの悲劇」「漂流教室」「この愛の物語」他の話題の映画音楽や、菊池桃子・井上陽水らの曲のアレンジ等活動範囲は広い。

ー久石さんの音楽、特にCM音楽は、リズムに、特徴がありますね。

久石
「僕はずっと「ミニマル・ミュージック」をやっていた関係で、作曲法も自然にリズムにこだわるようになっていて、普通によくあるリズムでなく、特にCM音楽では「かつて誰も考えつかなかった」新しいリズムパターンを作ってやろうと思い、流行のリズムなどは、できるだけ意識して、使わないようにしてます。

ーCM音楽はどうやって作りますか?

久石
「できあがってきたフィルムを見て、そこに音楽をつけていくやり方が多いです。僕の場合は、画面を見た時のインパクトで、音も70%ぐらい決まります。最初見た時にこのCMは何を伝えようとしているのかということを読みとり、どういう音楽をつければ、それが見ているほうにうまく伝わるかを大事に考えます。

スタジオへ入ると大体5~6時間ぐらいで完成しますね。長くて30秒か60秒の短い時間の音楽を、長い時間試行錯誤して作っても良いものができるとは思わない。特に僕の場合、見る人を画面に引きつけるための、インパクトを大事にしています。インパクトという一瞬の力は、一瞬の集中力で作るべきだと、僕は思いますね。」

ーシンセサイザーをよく使われていますね。

久石
「そうですね。僕は今、フェアライトII、IIIという2台のサンプリング楽器を使ってますが、しょせん音素材にすぎないと思っています。自分の頭の中にある音をうまく伝えることができるので、シンセをよく使っているだけで、例えば自分のイメージにオーケストラが合うと思うと、そちらを使います。とにかく自分が頭の中に描いた音のイメージが最も重要な事だと思います。」

ーアイドルCMも、かなり手掛けてますね。

久石
「そうですね。後藤久美子さんは、最初見た時、すでに彼女が独特の世界を持っていることに驚きましたね。スコッチEGは、白い服と黒い服を着た2種類のCMがあって、普通音楽をつける時トーンと色の関係で、白い服には高いトーンのヴァイオリン、黒い服には低いトーンのチェロを組み合わせるんですが、彼女の持つ異質な雰囲気に合わせて、楽器を逆にしてみたら、成功しました。その時、普通のアイドルとは違うなあと感じました。

菊池桃子さんの場合は、また違ったキャラクターの持ち主で、遠くを見る眼差が印象的でした。その視点もニューヨークなどの大都会じゃなく、遠くのエスニックな世界を見ているようなイメージを受けました。それで、あのエスニックな感覚の音楽を作りました。」

 

過激に時代を超越するような音楽を作りたい。

ー一番印象深いCM音楽はなんでしょう。

久石
「カネボウの「ザナックス」のCMですね。これは、今までに3本シリーズで作っていて、全部メロディーは同じなんですけどアレンジを商品に応じて少しずつ変えています。最初にゆっくりとした部分があって、途中から、ティンパニが鋭角的なリズムを刻んでゆくという展開になっています。

このCM音楽の発想は、郷ひろみさんのかっこよさが、まずインパクトとしてあって、あとザナックスのロゴは、角張った文字で構成されてるんだけれど「その角張ったイメージを音で表現できないか」というディレクターの注文の2つの要素でできています。」

ーこれからの活動の予定は

久石
「実は夏頃からCMの仕事は減っています。映画等の大作モノを何本か並行して受けてしまって、時間がなかったのと、もう一つは、今のCMがあまりおもしろい状況ではなかったということです。

休みたいという理由は、現在のCM音楽の傾向は保守化してて商品も高級化志向が強く、車でも「ビッグオーナーカー」と呼ばれるものが出てきた。そういう商品に、過激な時代を超越するような音楽は必要なくてクラシックやきれいな音の方が好まれるんです。僕はそういう音楽は作りたくないので休んでいましたが、また少しずつ時代の流れも変わってきたという感じなので、11月から再び積極的にCMの仕事もやりだしています。

あと、チェリストの藤原真理さんと、「風の谷のナウシカ」の映画音楽をチェロとピアノ用に編曲した「ナウシカ組曲」やパブロ・カルザス作曲「鳥の歌」のピアノパートを作曲し直した作品を収めたレコードをリリースする予定です。クラシックのスタンダードを作ろうとする試みの第一弾です。」

(「CM NOW ’88 WINTER」より)

 

 

Blog. 「月刊 ログイン LOGiN 1985年5月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/01/23

雑誌「月刊 ログイン LOGiN 1985年5月号」に掲載された久石譲インタビューです。フェアライトCMIの話から『α-BET-CITY 』まで、当時の仕事環境がよくわかる内容になっています。

 

 

ミニマルからアニメ・映画音楽へ
180度方向転換

久石譲

日本には今、フェアライトCMIが15台あるらしい。その数少ないユーザーである作・編曲家、久石譲さん。そして可愛い声優、高橋美紀ちゃん。今月はこの2人にインタビューしました。

 

現代音楽+映画音楽=フェアライトCMI !?

久石譲という名前を知ったのは、アニメ映画『風の谷のナウシカ』のイメージアルバムだった。アニメビデオ『バース』にもその名前がクレジットされていた。その後、何かの雑誌を読んで、彼がフェアライトCMIの所有者であることを知った。

正直言って、そのときまで久石なる作曲家に大した興味があったわけじゃない。”きちんとしたアレンジをする人だな”、”またフェアライトの所有者がひとり増えたのか”、その程度にしか考えていなかったのだ。

ところが、4月号で紹介したイメージアルバム『吉祥天女』を聴いて、彼に対するイメージがすっかり変わってしまった。実にハードなサウンドなのだ。この手のLPにしては珍しいくらい、いたるところで”新しい音”が聴ける。たんに職業的アレンジャーなら、こんなことまでするはずがない。なにしろ、ふだんはイギシルのニュー・ウェイブにしか興味を示さない白川巴里子嬢まで「一度、会ってみたい」と騒ぎ出す始末。

とまあ、こんな経過を経て、久石さんと会うことになった。で、会う前に経歴ぐらい知っておかなくちゃ失礼だと思い、彼の事務所で用意してくれたプロフィールを読んで……ビックリ。5歳の頃からバイオリンを学び、国立音楽大学作曲科卒。大学在学中から現代音楽、それにミニマル・ミュージックの作曲・演奏活動を始め、1981年までその道一筋。

ところが1982年に大変身、アニメや映画音楽、歌謡曲を作曲するわ、フェアライトCMIを買うわ、挙げ句の果てに24チャンネル・マルチトラック・レコーダーまで買ってしまったらしい。

とても興味深いのだけれど、なんだか会うのがとてもコワイ……一番苦手なタイプの人間かもしれない。ミニマル対アニメ・映画音楽、歌謡曲、どう考えたって水と油。さらに『吉祥天女』のニュー・ウェイブっぽいサウンド…イメージがひとつに結びつかない。

「今、2枚目のソロアルバムを制作しています。昨日の夕方、録音し始めて、ついさっき終わったところなんですよ」

徹夜明けだというのに、嫌な顔もせずニコヤカに応対してくれた久石さん。まずは、ホッとひと安心だ。

 

超アバンギャルドはポップになる!?

5月に、徳間ジャパンから発売される2枚目のおソロアルバムのタイトルは”だまし絵”。そのなかの1曲を聴かせてもらった。

ムムム……、衝撃的!『吉祥天女』とも全く違う。今まで聴いた久石サウンドのなかでは一番過激だ。さまざまな音がひとかたまりになって、激しく突っ込んでくる──そんな感じなのだ。

「ほとんどノイズだらけで、まともな音はひとつも使ってないんですよ。アバンギャルドも行きすぎると、逆にポップになり得るんじゃないかと思っているんです」

だから中途半端に妥協するつもりはない。あくまでも過激に、しかもポップに、なのだ。一定のリズムを刻むのがドラム、という概念さえなくしてしまった曲もあるらしい。とにかく、最終的にどんなアルバムになるのか、今のところ久石さん自身も深く考えていないようだ。

「僕はもともとクラシックというか、現代音楽から来てるでしょ。するとどうしても、LPのコンセプトとか理論的なことを考えてしまう。それに対して自分がどこまでやれるか、ヘタをするとプログラムされた旅に出るみたいで面白くない。今回はアルバムの構成をいっさい考えずに、とにかく面白ければいいということで、まず14~15曲作り、最終的に10曲くらいにしぼろうと思ってます」

こうした録音の進め方自体、久石さんにとっては新しい試みなのだ。それにしても、現代音楽からいわゆるポップ・ミュージックに移ったのは何故だろう。

「現代音楽をやっていた頃、途中からミニマル・ミュージックをやるようになっていた。パターン音楽だから、ひとりで30~40分間、平気で弾いてるわけですよ。ところが当時のシンセサイザーは単音で、音色のプログラミングもできない。必然的にセットした音のままいじらない。シーケンサーも同じ。最初に組んだフレーズを最後まで使うしかない。タンジェリン・ドリームなんかと同じです。つまり、当時の最先端のロックとミニマルはものすごく近かったわけです」

で、どんどんロックの方へ近づき、リズム中心のサウンドでおしていたら、いつの間にかニュー・ウェイブの位置にいた、というわけらしい。リズム中心では、必然的に現代音楽の世界にはいられない。完全に現代音楽をやめてしまったのだ。とはいうものの、とてもクラシカルな面も久石さんは合わせ持っていて、その要素までを捨ててしまったわけではない。それが強く出たのが、『風の谷のナウシカ』のイメージアルバムだ。同時に、作家としていいメロディを書きたいという気持ちも常に持っている。

断片的に見たときにはそれぞれの仕事がバラバラに思えたが、こうして話を聞いてみると、ちゃんんとひとつにまとまった。「ストリングスのアレンジが好きだ」と言うのも、今はよくわかる。

頼まれたから引き受けるというのでは、決してない。”遊べない仕事”は、基本的に断るそうだ。遊べそうだと引き受けた仕事は、今年もかなりある。去年このスタジオで作ったレコードは、イメージアルバムや井上陽水のLPまで含めると14~15枚。今年はそれ以上の枚数になりそうだ。そのほかに、テレビドラマの音楽、CMなどもある。昼間は(株)ワンダーシティー社長としての事務処理もしなければならない。

「今、けっこう規則正しい生活をしてるんですよ。お昼ごろここにきて、5時まで事務、5時から夜中までがミュージシャンです(笑)」

今、自分から頼んででもやってみたい仕事があるという。大友克洋の『アキラ』のレコード化だ。久石さんをこれ以上忙しくさせるのはよくないかもしれないが、できることなら是非、実現してもらいたいと思う。

(「月刊 ログイン LOGiN 1985年5月号」より)

 

 

 

Blog. 「月刊 イメージフォーラム 1986年10月号 No.73」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/01/22

雑誌「月刊 イメージフォーラム 1986年10月号 No.73」に掲載された久石譲インタビューです。映画『天空の城ラピュタ』公開直後にあたります。アニメ特集が組まれ、宮崎駿監督のインタビューも9ページにわたって収められています。またラピュタにまるわる専門家らによる考察や、当時のTVアニメ事情など時代を切り取った深い内容になっています。

 

 

特集●アニメ爆発!

インタビュー────『天空の城ラピュタ』『めぞん一刻』の音楽 久石譲

日本映画は、音の遅れを取り戻さなければならない。

ー久石さんは七〇年代頃から作曲、編曲、プロデュース等の音楽活動を始められて、映画音楽は宮崎(駿)さんの『風の谷のナウシカ』から最近の『天空の城ラピュタ』、澤井(信一郎)さんの『めぞん一刻』まで九本の作品を手がけられていますが、映画音楽をやるようになったのはいつ頃どういうきっかけからですか。

久石:
映画は実は若い時からやっていたんです。うちの学校(国立音楽大学作曲科)に佐藤勝さんという黒澤明さんの映画音楽をずっと手がけていらっしゃる大先輩がいまして、僕は大学を出た当時佐藤さんのお手伝いをしていたんです。新藤兼人さんの映画とか、ドキュメンタリー、公害問題を扱った映画など、いろいろなものをやりました。それからテレビも少しやったんですけど、どうしても限られた二、三時間とか四、五時間で何十曲と録らなければならないので、だんだん辛くなっていったんですね。テレビはかため録りが多くて、しかもモノラル録音ですから、よりいい音楽を作るというよりは、商売的に技術的にやらないとできない。つまりかため録りして1クールなり2クールなりの間で処理していくから、悲しい曲、明るい曲、走っていく曲……とゴチャゴチャ作らなければならなくて、あれをやっていると、基本的に絶対クリエイティブな感じはしないですよね。それでもう少し時間をかけてよりクオリティの高いものを作りたいということで、テレビの仕事は少しずつ減らしてレコードのほうへ移していったんです。そうして久しぶりに本格的に手がけた映画が八四年の『風の谷のナウシカ』なんです。映画はシーン一つに音楽が一つ付いているわけですから、クオリティ高く作れるんです。

ー『──ナウシカ』と『──ラピュタ』では対象年齢が違う。そういう点で音楽を作る時の違いはありましたか。

久石:
ありましたよ。これはとても辛かったんです。大人向け、子供向けというわけではないですけど、自分の音楽は結構大人びたものだったんんです。それが今度のようにテーマが愛と夢と冒険というようなものだと、メロディが暖かいということが一番重要になる。それを表現するのに苦しみました。大人が聴いた瞬間にいいな、懐かしいなと思う曲を作りたくて、イメージ・アルバムを書くのに死ぬほど苦しみました。

ー『──ナウシカ』のほうが、取り組みやすかったですか。

久石:
ええ。この間、テレビでオン・エアされた時に見ていて思ったのですが、僕はもともとミニマル・ミュージック、現代音楽をやっていたんですけれど、『──ナウシカ』の中でもかなりその要素が強くて、あらためてびっくりしたんです。とてもストレートに自分の音楽をやっていたな、と感じましたね。それと澤井さんの『早春物語』なんかは基本的に青春映画で、蔵原(惟繕)さんの『春の鐘』は文芸大作なんですけど、それぞれ好きなんです。いわゆる大人向けの難しい作品がやりたいというわけではないんですが、意外と『春の鐘』のような作品で自分が出しきれたな、と思います。

ーそして『──ナウシカ』の次が『Wの悲劇』でしたね。宮崎さんと澤井さんでは音の付け方はまったく違いますでしょうか。

久石:
ええ。宮崎さんと澤井さんというよりは、アニメーションと実写の映画では音の付け方が全然違うんですよ。アニメーションは実写に比べて、どうしても表情豊かじゃないので、よりダイナミックに、より表情オーバーに雄弁に語る必要があるんです。音楽もかなり情報量が要求される。実写は逆に映像と同じ様にオーバーにすると絵空事になっちゃうから、音楽は極力少なく表現を抑えるというか、日常の音の感じに近いように作らなければならない。根本的な違いがあるんです。それから実写の場合は画面が変わって、三分とか四分位連続して音楽を流していても、そう異和感はないんですよ。ところがアニメーションはカット割りも激しいし、動きがチョコマカしているせいか、画面を無視して音楽をドーンと流すのは不可能なんです。特に宮崎さんのように細かい絵を描かれる人は、気持ちよく音楽が抜けていってしまうと、細かく表現した絵が見てもらえなくなってしまうということがあるんです。

ー今回の『──ラピュタ』もかなり精密な音楽だという印象を受けました。

久石:
そうなんです。『──ラピュタ』ではコンピューターを駆使して各場面を一秒何コマまで計って、ピタッと合わせていったんですよ。これは日本映画ではかなり画期的な試みだったんじゃないでしょうか。

ーあまりにも合いすぎていて、びっくりしたぐらいです。

久石:
例えば敵方と味方が交互に現れても、それぞれの音楽がピタッピタッと合う。この方法は昔ディズニーもやっているんですけど、冒頭の殴り合いのシーンではボカッと殴る時にオーケストラの音が合っているんですね。かなり時間がかかりましたが、『──ラピュタ』のように映画音楽で、あくまでも音楽を画面に連動させるのは日本映画で初めてできたことだと思うんです。

ーしかし、逆に映像に音を合わせるということで、制約というようには思われませんでしたか。

久石:
制約があるということは、セオリーさえ技術的な形でふめれば、曲を作る時逆によりどころになるんです。今回楽だったのは先に『──ラピュタ』のイメージアルバムという形で、メインテーマができていたんです。プロデューサーの高畑(勲)さんが大変音楽に詳しい方で、宮崎さんと僕とでどこにどの曲を使うかという、非常に突っ込んだ話ができていたので、今年の二月の段階でシナリオを読んだだけのイメージでどんどん作っていったんです。

ーということは先に音楽があったわけですか。

久石:
映像に音を合わせるというのは技術上の問題で、もっと大きなコンセプトが重要なんです。実は『──ナウシカ』の時に、宮崎さんと高畑さん、高畑さんは『──ナウシカ』でもプロデューサーだったんですけど、僕と三人で闘ったんですよ。一日十八時間くらいの話し合いを何日もやった。宮崎さんと高畑さんがこの曲をこのシーンに付けるというのを僕がことごとく否定したんです。「どうしてそこにその音を付ける必要があるんだよ」みたいな会話をし尽くしたんです。だから今回の『──ラピュタ』ではお互いの姿勢がわかり合った上で、しかもメインテーマはできてたわけだから非常に楽だったですね。

でも、いくつか使えない音楽もあったんです。例えばフラップターという飛行機の音楽は普通に考えると、パタパタッと飛んでいかにも明るいイメージなんですけど、映画の中でフラップターが出てくるところは、ほとんど危機一髪、助かるか助からないかというシーンですからイメージアルバムのフラップターのテーマは使えなくなってしまうわけです。そうした場合はイメージアルバムと映画の音は違うんです。ただし天空の城の音楽とか根本的なところはほとんど変わりませんでした。いきなり作曲家がメロディを書くのであれば、お互い抽象的な話しかできないでしょう。それが、例えばパズーのテーマを決める時に、「この曲の頭に、もっとインパクトの強い音があった方がパズーの気持ちがもっと雄大になるんじゃないか」と、そこまで話した上で録音に入っているんで、日本映画の音楽ではかなり緻細な仕事をしたと思います。

ーこれまで九本手がけられて、日本映画の音楽について何か言いたいことがありますか。

久石:
そうですね。ひとつ僕が言いたいのはアニメーションはすごく音に関して遅れていると思うんです。テレビのアニメの影響かもしれないんですけど、音楽が細切れになりすぎて効果音に頼りすぎちゃうんです。はっきり言って品が無いですね。擬音だとか音楽もME(ミュージック・エフェクト)なんです。三秒、五秒、一〇秒……長くて一分、それぞれを選曲家が選んでくっつけていくという形でやっていますよね。あれをやってる限りは日本のアニメーションは絶対良くならない。僕は断言しちゃいますね。録音やってる連中にはそういう傾向があって、それは闘っていくしかない。だから僕は「アニメを請け負ったのではなく映画を請け負った、映画としてこれをやらせていただきます」と宣言したんです。すべて三分、四分の長い音楽で、そのかわり徹底的に技術を駆使して、画面が変わった時には音楽も全部変えた。『──ラピュタ』を見て、僕は八〇%満足がいきました。

それと、とにかく早いうちにドルビーにして欲しいということですね。音の遅れを取り戻すのが急務だと思います。

ーそれは映画館の問題も含まれますね。

久石:
CDプレーヤーで聴いている時代なんですよ。みんなよりいい音で、ノイズもない状態で音楽を聴いているのに、このままだと映画の音の遅れはもっと拡がっていってしまう。こんなに音の便が発達しているにもかかわらず、映画だけ遅れているのは許されないでしょう。それで何十億かけた映画といっても通用しないと思います。この問題を解決して欲しいですね。『──ナウシカ』はモノラルだったんですが、『──ラピュタ』はドルビーにして宮崎さんも高畑さんもこんなに違うものかと驚いていました。宮崎さんがそのことを発見したのは収穫だったと思います。宮崎さんの作品はモノラルには戻らないですよ。そうやって一つ一つ監督さんが会社に対して、ドルビーでなければ絶対だめだと主張していってくれれば、必然的に映画館を改良していかざるを得ないでしょう。昔から女優さんの衣裳一枚と、音楽にかける予算が同じだったりするんですから。日本人の悪い体質で、目に見える物にはお金をかけるけれど、見えないものにはかけない。これは音楽をやっている者としてずっと言い続けようと思っています。自分の関わった映画では内容的には、いい監督さんたちに恵まれたので、あとはもっともっとこちらが変身して大胆な表現ができるようになりたい。昨年ぐらいまでは、できるだけ映画を壊さないように音楽を付けていたところがあるんですが、今年からは『熱海殺人事件』にしろ、『めぞん一刻』にしろ、前衛的な手法を取り入れているんです。

(七月三十一日、ワンダーシティ)

(月刊 イメージフォーラム 1986年10月号 No.73 より)

 

 

目次より(抜粋)

特集 アニメ爆発!

インタビュー 宮崎駿
視点の定め方で、見慣れた世界も変わるはずだ

『天空の城ラピュタ』映画的構造 暉峻創三
宮崎駿は天地の存在を忘れるなかれと語り続ける教祖である

音と映像のアニメ史 森卓也
前衛的、感覚的な娯楽

インタビュー 久石譲
日本映画は、音の遅れを取り戻さなければならない

映画の創造、アニメの原点 古川タク
動く絵にロマンを

アニメブームと日本映画のアニメ化 おかだえみこ
ロボットの敵はファミコンだった

アンケート 石坂裕一+植木吾一+編集部
アニメの観客は今……

アジアのアニメーション事情 小野耕世
文化の衝突はどんな作品を生み出すのだろうか

カナダ 西嶋憲生
アニメーションのパラドックス

 

 

 

Blog. 「『ラ・フォリア』ヴィヴァルディ/久石譲 編「パン種とタマゴ姫」サウンドトラック」(LP・2021) 新ライナーノーツより

Posted on 2021/12/27

2021年11月27日、大好評 “スタジオジブリ×久石譲‘’ 作品のアナログ盤シリーズに、いよいよ特別編とも言うべき 「Castle in the Sky~天空の城ラピュタ・USAヴァージョン~」のサウンドトラック、 「オーケストラストーリーズ となりのトトロ」、そしてジブリ美術館でしか観る事のできない『パン種とタマゴ姫』のサウンドトラックが登場しました。

各イメージアルバム、サウンドトラックとはまた異なる編曲で楽しめる作品です。こちらもリマスタリング、新絵柄のジャケットと豪華な仕様、解説も充実、ライナーノーツも楽しめる内容です。しかも、この3作品のアナログ盤は、これまで発売されたことがありません。ジャケットの美しさ、アナログならではの、音の豊かさを、お楽しみ下さい。

(メーカーインフォメーションより・編)

 

 

liner notes

フォリア(ラ・フォリア)とは?

録音や放送のようなテクノロジーが存在しなかった19世紀以前の西洋音楽において、ある曲がどれだけポピュラリティを獲得していたか、つまり”ヒット”を表す度合いは、演奏回数や楽譜の売れ行きだけでなく、その曲(メロディ)がどれだけ多くの作曲家によって引用または編曲されたかという点が重要な指標となっていた(フランス革命以前、音楽著作権という概念は存在しなかった)。本盤をお聴きになるリスナーにまず知っていただきたいのは、この《ラ・フォリア》という楽曲が、過去400年の西洋音楽史において最大の”ヒット”を記録したテーマのひとつに基づく音楽だという事実である。バッハやベートーヴェンのような著名な楽聖たちを含む、非常に多くの作曲家たちがフォリアに基づく音楽を書いているので、ある程度クラシックをかじったり聴いたりしたことがあるリスナーならば、フォリアに出会わないまま一生を終えることはあり得ない。意識的にせよ無意識的にせよ、フォリアは必ずどこかで耳にしているはずである。

フォリアとは、15世紀末から16世紀にかけてイベリア半島に登場した舞曲、あるいはそこから派生したテーマのことを指す。ポルトガル語の「folia」、あるいはイタリア語の「La folia」は、英語の「fool」などと同じ語源から派生した言葉で、「馬鹿」「狂気」「狂乱」などを意味する。このように、もともとは「馬鹿騒ぎの舞曲」という意味で呼ばれていたフォリアのルーツは、おそらく農民たちが熱狂的に踊るテンポの速い舞曲だったと推測されている。現在、一般的にフォリアと呼ばれているものは、17世紀に入ってからテンポが遅くなり、コード進行が一定の型に定まったテーマのことを指す(特に「後期のフォリア」と呼ばれている)。

フォリアの音楽的特徴を簡単に記すと、前半8小節+後半8小節=16小節のテーマの形で書かれ、2拍目にアクセントを置いた3拍子系で、おおむねニ短調をとることが多い。前半と後半の違いは、最後の2小節のコード進行が違うことで、一般的なフォリアのコード進行を記せば

前半8小節 iーVーiーVIIーIIIーVIIーiーV
後半8小節 iーVーiーVIIーIIIーVIIーI(V)ーi

という感じになる。

フォリアのテーマを用いた、楽譜が現存する最古の曲のひとつは、フランスの宮廷作曲家リュリがルイ14世の命で1672年に作曲した《スペインのフォリアに基づくオーボエのエール》だが、これ以降、地中海沿岸を中心とするヨーロッパ各地でフォリアのテーマを用いた変奏曲の作曲が大流行し、多くの作曲家が楽曲の中でフォリアを引用したり、あるいは実際に変奏曲を作曲したりした。J・S・バッハ、C・P・E・バッハ、ベルリオーズ、グリーグ、リスト、ブゾーニ、ラフマニノフ、ロドリーゴ、20世紀後半以降の作曲家ではヘンツェやマックス・リヒターなど、その数は現在確認出来るだけで500人(組)以上と言われている。また、非常に意外な例だが、ベートーヴェンの有名な《運命》第2楽章(この楽章も変奏曲形式で作曲されている)の第166ー183小節がフォリアの変奏として作曲されているという説が、1980年代以降ベートーヴェンの研究者たちから相次いで打ち出されている。

しかしながら、フォリアを用いた史上最も有名な楽曲は、おそらくヘンデルの組曲第4番 ニ短調 HWV 437の中のサラバンド楽章、通称《ヘンデルのサラバンド》として知られるチェンバロ曲であろう(フォリアの引用ではないとする異説もある)。この楽曲は、スタンリー・キューブリック監督が『バリー・リンドン』のメインテーマに使用したことで、クラシック愛好家以外のリスナーにも広く知られるようになった。

 

ヴィヴァルディの原曲について

ヴィヴァルディの《ラ・フォリア》は、正確には「トリオ・ソナタ集 作品1 ~ソナタ第12番 ニ短調 RV 63」のことを指す(1705年に出版された、現存する最古の出版譜の表紙には「2つのヴァイオリンとチェンバロのための3声の室内ソナタ集 作品1」と記されている)。トリオ・ソナタは、ヴァイオリンなどの独奏楽器のパート2つとチェンバロなどの通奏低音のパート1つの合計3パート(=トリオ)で構成されているが(演奏者は必ずしも3人とは限らない)、18世紀初頭においては非常に人気を博していたフォーマットであった。全12曲からなるヴィヴァルディのトリオ・ソナタ集は、現在の研究では1703年頃、すなわち彼が司祭の叙階を得てからピエタ音楽院の音楽教師に就任するまでの時期に作曲されたと推測されている。

「作品1」という番号が付されているように、このトリオ・ソナタ集は当時20代半ばだった若きヴィヴァルディの”公式デビュー作”であり、楽譜が何度か再版された事実が物語るように、彼にとって最初の重要な”ヒット作”となった(ちなみに有名な《四季》は、これよりも15年以上後の作曲)。作曲にあたり、ヴィヴァルディは当時大変な人気を博していたアルカンジェロ・コレッリの「ヴァイオリン・ソナタ集~ソナタ第12番」(1700年出版)を少なからず参考にした。すなわち、ヴィヴァルディはコレッリの方法論にならい、曲集最後のソナタ第12番をフォリアのテーマに基づく19の変奏で構成し(コレッリの変奏の数は23)、すべての変奏をコレッリと同じニ短調で作曲した。最後の第19変奏をのぞき、主題・変奏とも前半8小節+後半8小節=16小節の変奏の後、後奏(リトルネッロ)が演奏される。これも、ヴィヴァルディがコレッリの方法論を応用したものである。

トリオ・ソナタという流行りのフォーマットを用い、コレッリにあやかってフォリアのテーマを用いたヴィヴァルディの《ラ・フォリア》は、いわば当時の”ヒット曲の法則”をすべて詰め込みながら、ヴィヴァルディが作曲家としての個性を初めて開花させた重要作とみなすことが出来る。

 

『パン種とタマゴ姫』のスコアについて

意外に思われるリスナーも多いかもしれないが、久石が手掛けた宮崎監督のスコアにおいて、フォリア風のメロディが登場するのは、実は『パン種とタマゴ姫』が初めてではない。『風の谷のナウシカ』のサントラ盤『「風の谷のナウシカ」サウンドトラック~はるかな地へ…~』に収録された《ナウシカ・レクイエム》をお聴きになれば、上述の《ヘンデルのサラバンド》にインスパイアされたメロディが、弦の伴奏音形に使われていることに気づくはずである。

宮崎監督がヴィヴァルディの《ラ・フォリア》に惹かれた理由は明らかにされていないが、先に述べたように、フォリアのメロディそのものはクラシックを鑑賞していれば必ずどこかで出会う有名曲だし、『ナウシカ』からの連想は抜きにしても、宮崎監督のずば抜けた音楽的直感によってヴィヴァルディの《ラ・フォリア》に辿り着いたのは、ほぼ間違いないだろう。

その直感は、実のところ、きわめて音楽的な理由に裏打ちされている。

まず、ヴィヴァルディの原曲が、他ならぬ変奏曲形式で作曲されていること。これで思い出されるのが、宮崎監督が命名した《人生のメリーゴーランド》というメインテーマを、久石が多様に変奏していくことでスコアのほぼすべてを作り上げた『ハウルの動く城』の例だ。『ハウル』の変奏曲形式は、主人公ソフィーの年齢と外見がさまざまに変化していく物語と厳密に対応しているが、『パン種とタマゴ姫』においても、パン種のキャラクターが生地の状態から焼き上がったパンまでさまざまに変化していくので、本作においても変奏曲形式の音楽がふさわしいと直感的に判断したのではないかと推測される。

さらにヴィヴァルディの原曲には、いくつかの変奏において、彼が後年作曲することになる《四季》の自然描写の萌芽を見出すことが出来る。そうしたヴィヴァルディの音楽語法が、ブリューゲルの農民画や風景画にインスパイアされた本作の世界観と絶妙にマッチしているわけである。

そして、フォリアの原義である「狂気」すなわち「マッドネス」という要素が、本作の物語の中にも現れている点。本編をご覧になれば、パン種とタマゴ姫を執拗に追い続けるバーバヤーガのキャラクターにある種の「狂気」を感じ取ることが出来るが、それだけなく、村の中で繰り広げられるアクションシーンが──久石の名曲《Madness》が使用された『紅の豚』の飛行艇のシーンと同じように──いささか狂気じみた様相を呈していることに気づくだろう。

一方、作曲家の久石にとってみれば、宮崎監督から提示されたヴィヴァルディの《ラ・フォリア》は、バロック音楽への久石の敬愛を存分に表現し、しかも彼自身のミニマル・ミュージックの”新作”を発表する場にもなる、絶好の機会と感じられたはずである。

21世紀に入ってから顕著な傾向だが、バッハ以前のバロック音楽は実のところミニマル・ミュージックの元祖ではないかという見方が、海外の作曲家や演奏家のあいだから相次いで提示されるようになってきた。ことヴィヴァルディの原曲に限って言えば、主題から最後の第19変奏までニ短調という調性も変えず、各変奏内のコード進行すらも変えず、パターンの繰り返しを好んで用いる作曲手法は、実はミニマル・ミュージックの方法論とそれほど変わらない。そこに、久石は敏感に反応し、バロック音楽の古典的フォームを守りながらも実質的にはミニマル・ミュージックであるという二律背反を、本作の編曲によってやすやすと乗り越えてしまった。本編の物語に即してわかりやすく言えば、久石はヴィヴァルディのバロック音楽という”パン種”から、ミニマル・ミュージックという”パン”を成形し、それを本作のスコアとして”焼き上げた”のである。

映画音楽作曲家としての久石は、「映像と音楽は対等であるべき」という理想を一貫して求め続けながら作曲に臨んできた音楽家である。楽曲としての構成原理をいっさい妥協することなく、映像と音楽がこれほど対等に渡り合った久石の映画音楽作品は、宮崎作品か否かを問わず、他に全く存在しないと言えるだろう。しかも本作のスコアには、ミニマル・ミュージックの作曲家としての久石の作家性が紛れもなく刻印されている。そうした意味において、『パン種とタマゴ姫』の久石のスコアは彼の映画音楽の理想を最も純化して表現した作品であり、かつ久石自身の音楽的個性が遺憾なく発揮された作品であるということが出来るだろう。

なお、本盤に聴かれるスコアは、現時点で三鷹の森ジブリ美術館のみの限定販売となっているサントラ盤CD(本編バージョン)と異なり、本作のために編曲・録音した音楽を演奏会用作品として整えたバージョンが収録されている(本編バージョンはヴィヴァルディの原曲からいくつかのセクションをカットしているが、本盤はカットなしで収録したフル・バージョンである)。

 

楽曲(主題と変奏)解説
※物語の内容に深く触れていることを予めお断りしておきます。

先に述べたように、ヴィヴァルディの原曲はフォリアの主題と19の変奏で構成されているが、本盤に収録された久石のスコアは、変奏の順番を若干入れ替えながらも、原曲の19の変奏をすべて素材として使用し、ごくわずかな例外をのぞき、主題とすべての変奏を原曲と同じニ短調で統一している。さらに、本編のシーンの長さに合わせるために加えたブリッジやコーダなどをのぞき、ひとつの変奏につき前半8小節+後半8小節=16小節というフォームも、久石はそのまま踏襲している。

CD発売時、本盤に収録されたスコアは「主題」「第1変奏」「終曲」のようにトラック名が付されたが、これはスコア全体の構成を表すと同時に、本編における物語の区切りも表している。そこで、厳密な意味での音楽的変奏と混同を防ぐため、以下の解説では最初のフォリアのテーマをF、ヴィヴァルディの原曲の変奏番号をV1、V2…のように、久石の音楽の変奏番号をH1、H2…のように表記する。一例を挙げると、「H5 (V8) 」は久石の5番目の変奏がヴィヴァルディの原曲では8番目の変奏に対応している、という意味である。

また、クラシックの音楽解説の常として、以下の筆者の分析は、久石自身の編曲意図と必ずしも一致しない可能性があることを、あらかじめお断りしておく。

 

主題
F – H1 (V1)

本編においては、メインタイトルでFの前半が演奏された後、Fの後半とH1は未使用となっている。FもH1も、前半8小節はヴィヴァルディの原曲をほぼそのまま演奏しているが、後半8小節はコントラバスが通奏低音のパートに加わって弦の編成が厚くなり、音楽全体が深く豊かに響き渡る。

 

第1変奏
H2 (V2) – H3 (V3) – ブリッジ – H4 (V4)

本編においては、タマゴ姫の登場と、バーバヤーガの水車小屋の日常を描いたシークエンスの音楽。

H2は、ヴィヴァルディの原曲V2をほぼオリジナル通りに演奏しているが、本編未使用。

H3は、本編においては上述のFの前半から直接繋がる形で登場する。久石が加えた弦のピッツィカートが、せっせとパン種をこねるタマゴ姫の様子を可愛らしく表現していて見事である。

短いブリッジをはさんで登場するH4は、バーバヤーガ水車小屋の大臼を動かし、粉を挽くシーンの音楽。ヴァイオリンの2つの声部が忙しなく掛け合う形で書かれるヴィヴァルディの原曲V4を、久石が”労働の忙しさ”と読み替え、バーバヤーガの粉挽きの慌ただしい様子や、タマゴ姫が文字通り右往左往しながらバーバヤーガの食事の給仕をする様子を表現しているかのようである。

 

第2変奏
H5 (V8) – H6 (V9) – H7 (V10) – コーダ

本編においては、パン種が動き始めるシーンから、パン種とタマゴ姫がバーバヤーガの水車小屋を抜け出すシーンまでの音楽。

H5は、ヴィヴァルディの原曲V8をほぼそのまま演奏したもの。月の光が木の舟にねかされているパン種にさしこむ情景と、高雅な弦の響きが完璧に調和した美しい変奏である。

H6は、ヴィヴァルディの原曲V9では弦が階段を昇り降りするような音形を繰り返す。その音形が、パン種とタマゴ姫の忍び歩きと絶妙にマッチしてユーモラスだ。

H7は、水車小屋を逃げ出したパン種とタマゴ姫が、いばらの森を抜けていくシーンの音楽。ヴィヴァルディの原曲V10は、ヴァイオリンがアレグロで速い音形を演奏するが、久石のH7においてもその音形があたかもパン種とタマゴ姫の”はやる心”を表現しているかのようである。

Fに基づくコーダをチェンバロが短く演奏した後、次の第3変奏に移行する。

 

第3変奏
H8 (V11) – H9 (V12) – H10 (V13)

本編においては、パン種とタマゴ姫が麦畑を抜けて逃避行を続けるシークエンスの音楽。

H8は、ブリューゲルの名画「穀物の収穫」をそのまま映像化したような、麦畑の収穫のシーンの音楽。ヴィヴァルディの原曲V11は、後年ヴィヴァルディが作曲することになる《四季》の牧歌的な自然描写を先取りしたような変奏となっている。

久石は、この変奏をたっぷりとした弦に歌わせることで、音楽が潜在的に表現している豊かな自然の美しさを見事に引き出し、崇高なまでの”生命賛歌”を歌い上げている。全曲の中でも白眉と呼べる変奏だ。

H9は、臼に乗ったバーバヤーガが空を飛びながら、パン種とタマゴ姫を探索するシーンの音楽。ここで久石は、ヴィヴァルディ当時にはなかったマリンバなどを加えた編曲を施すことで、バーバヤーガの探索をユーモラスに表現している。

H10は、収穫した麦を載せた多数の馬車が、村に戻っていくシーンの音楽。久石は各小節の1拍目にティンパニを付加し、さらに通奏低音のパートを低弦で強調することで、文字通り山のように麦を積んだ馬車の重量感を見事に表している。

 

第4変奏
前奏 – H11 (V14) – H12 (V15) – H13 (V16)

本編においては、村の中を逃げていくパン種とタマゴ姫を、バーバヤーガが執拗に探し続けるシークエンスの音楽。

タンバリンによる短い前奏の後、H11は脱穀の作業で慌しい村の様子を描いたシーンの音楽。ヴィヴァルディの原曲V14は、楽譜に「アダージョ」と表記されているが、久石は思い切ってテンポを軽快に上げることで、中世の世俗音楽のようなリズム感を強調し、さらにタンバリンやマリンバを加えることで、村人たちの活気あふれる脱穀の様子を生き生きと描き出している。

H12は、ヴィヴァルディの原曲V15では楽譜に「アレグロ」と表記されている。久石のH12は、村の中を歩くバーバヤーガの歩調と、村人たちが動かす大臼の動きに合わせた変奏に仕上げている。

H13は、引き続きパン種とタマゴ姫を探索するバーバヤーガと、村人たちがパン生地からパンを成形する様子を描いたシーンの音楽。この変奏は、久石ならではのユニークな楽器法の面白さが現れた音楽のひとつで、ヴィブラフォンとサックスの現代的な音色と弦のピッツィカートが、のどかなユーモアを感じさせる変奏となっている。

 

第5変奏
前奏 – H14 (V5) – H15 (V6) – H16 (V7) – H17 (V17)

物語的にも音楽的にも、本編最大の見せ場(聞かせ場)である。

ミニマル風の前奏の後、H14は、パン種とタマゴ姫の変装を見破ったバーバヤーガがふたりを捕獲するシーンの音楽。久石が得意とするミニマルの語法が全開した楽曲だが、驚くべきことにヴィヴァルディの原曲V5自体が、通奏低音のパートにおいて16分音符のパターンを繰り返す事実上のミニマルとして作曲されている。久石は、そのミニマルの要素を強調することで、この変奏を現代的な”アクションシーンの音楽”に生まれ変わらせた。その大胆な発想には、脱帽するしかない。

H15は、バーバヤーガとタマゴ姫がパンを成形していくシーンの音楽。H14の勢いをそのまま受け継ぎ、ヴァイオリンの激しい音形がバーバヤーガとタマゴ姫の必死の形相を表している。後半8小節ではマリンバが隠し味的に加えられ、生地を丸めて成形していく様子がユーモラスに表現されている。

H16は、パンの成形を仕上げたバーバヤーガが、丸いパン(に成形されたパン種)をカマドで焼き上げるシーンの音楽。ヴィヴァルディの原曲V7の第1ヴァイオリンのパートと第2ヴァイオリンのパートを合成する形で、久石が作り替えた音形が変奏の中心になっている。

H17は、パンがカマドの中で膨張しながら焼き上がっていくシーンの音楽。ヴィヴァルディの原曲V17自体、ミニマルの要素が強いが、そこに打楽器も加わることで、音楽は文字通りのフォリア(狂乱状態)に達する。

 

終曲
前奏 – H18 (F、V18) – H8 (V11) – ブリッジ – H19 (V19) – コーダ

本編最後のシークエンスの音楽。

太鼓の短い前奏が王と后の到着を告げた後、H18は焼き上がったパン──公式パンフレットによればパン雄──がカマドから出てくるシーンの音楽。このH18に関しては、やや変則的な編曲になっており、前半4小節ではチェンバロとグロッケンシュピールがFを演奏し(太鼓のリズムは鳴り続けている)、後半4小節はヴィヴァルディの原曲V18がかなりデフォルメされた形に編曲されている。具体的には、V18後半4小節のヴァイオリン・パートからいくつか音符を抜き、よりキビキビとした変奏となっている。

この後、第3変奏の麦畑のシーンで初めて登場したH18が再登場し、一種の再現部のような役割を果たしている。

ティンパニによるブリッジを短く挟み、最後のH19は一同に祝福されたパン雄とタマゴ姫が村を後にするラストシーンと、エンドタイトルの音楽。ヴィヴァルディの原曲V19は、文字通り音楽が狂乱状態に達して凄まじいクライマックスに達するが、久石はこの変奏を本編の内容に合わせる形で大胆な編曲を施した。すなわち、フォリアの定型的なコード進行から初めて逸脱した明るい変奏となり、さらにティンパニなども加えることで祝典的な響きを強調し、V19の後半8小節をさながら”王宮の音楽”のように変えてしまうというものである。物語を締めくくる大団円の祝祭感を華やかに表現した、実に見事な編曲と言えるだろう。そして、V19の最後に出てくる後奏をそのまま活かしたエンドタイトルの音楽となり、最後にチェンバロが明るく締めくくるコーダで全曲の幕となる。

前島秀国 サウンド&ヴィジュアル・ライター
2021/7/27

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

『ラ・フォリア』ヴィヴァルディ/久石譲 編「パン種とタマゴ姫」サウンドトラック

品番:TJJA-10044
価格:¥3,000+税
※SIDE-Aに音楽収録 SIDE-A裏面はキャラクターのレーザーエッチング加工
(CD発売日2011.2.2)
音楽:久石譲 全7曲

2010年に三鷹の森ジブリ美術館の映像展示室「土星座」で公開された短編映画のサウンドトラック。ヴィヴァルディの「ラ・フォリア」を久石譲が現代的なアプローチで再構築した劇中音楽を組曲として収録。

解説:前島秀国

liner notes フォリア(ラ・フォリア)とは?/ヴィヴァルディの原曲について/『パン種とタマゴ姫』のスコアについて/楽曲(主題と変奏)解説 所収

 

Blog. 「オーケストラストーリーズ となりのトトロ」(LP・2021) 新ライナーノーツより

Posted on 2021/12/27

2021年11月27日、大好評 “スタジオジブリ×久石譲‘’ 作品のアナログ盤シリーズに、いよいよ特別編とも言うべき 「Castle in the Sky~天空の城ラピュタ・USAヴァージョン~」のサウンドトラック、 「オーケストラストーリーズ となりのトトロ」、そしてジブリ美術館でしか観る事のできない『パン種とタマゴ姫』のサウンドトラックが登場しました。

各イメージアルバム、サウンドトラックとはまた異なる編曲で楽しめる作品です。こちらもリマスタリング、新絵柄のジャケットと豪華な仕様、解説も充実、ライナーノーツも楽しめる内容です。しかも、この3作品のアナログ盤は、これまで発売されたことがありません。ジャケットの美しさ、アナログならではの、音の豊かさを、お楽しみ下さい。

(メーカーインフォメーションより・編)

 

 

liner notes

『オーケストラストーリーズ となりのトトロ』について

※以下の解説では、アルバム『となりのトトロ イメージ・ソング集』を”イメージ・ソング集”、アルバム『となりのトトロ サウンドトラック集』を”サントラ”と表記します。

作曲者自身の解説にもあるように、『オーケストラストーリーズ となりのトトロ』は、「ある種啓蒙的な、今まであまりオーケストラを聴いたことがない人に、オーケストラっていいなぁと感じられる作品」、つまりオーケストラ入門者がオーケストラの仕組みと魅力を容易に理解できるように意図して作られた作品である。と同時に、この作品は宮崎駿監督と久石譲の3度目のコラボレーションとなった『となりのトトロ』の映画音楽(フィルム・スコア)を常設オーケストラで演奏可能にした交響組曲、つまりフィルム・スコアから重要な音楽を抜き出し、宮崎監督の世界観をオーケストラの演奏だけで楽しめるようにした作品、という側面も併せ持っている。既存のフィルム・スコアを素材にしながら、同時に教育的な効果も備えているオーケストラ曲を作り上げたのは、音楽史上、おそらく久石が初めてではないかと思う。

この作品のユニークな特長は、久石も言及しているナレーション付のオーケストラ作品、すなわちプロコフィエフ《ピーターと狼》やブリテン《青少年のための管弦楽入門》と比較すると、よりわかりやすい。プロコフィエフもブリテンも、オーケストラの楽器を入門者に知ってもらうという作曲意図は共通しているが、《ピーターと狼》は特定のキャラクターに固有の楽器とメロディ(ライトモティーフ)をあてがいながら物語を表現していくという、どちらかといえばハリウッドの映画音楽に近い手法で書かれている(極端な言い方をすればジョン・ウィリアムズの『スター・ウォーズ』などもこの手法に基づいている)。もう一方の《青少年の管弦楽入門》(もともとは教育映画『管弦楽の楽器』のフィルム・スコアとして作曲された)は、変奏曲形式で楽器の紹介をした後、最後にオーケストラ全体でフーガを演奏するという、かなり本格的なクラシック音楽を志向した作品になっている。

『オーケストラストーリーズ となりのトトロ』はそのどちらとも異なり、最初の《さんぽ》でひと通りの楽器は紹介するが、それ以降の楽章では教条的になることなく、音楽そのものの魅力をオーケストラによって伝えていく。というのも、『となりのトトロ』の音楽自体が、すでにフィルム・スコアの段階で高い完成度に達しているからである。その音楽は、必ずしもクラシックとは限らず、童謡もあれば、ポップスのように楽しい曲もあるし、ミニマル・ミュージックのような現代的な音楽も部分的には含まれている。逆に言えば、宮崎監督の世界観をあますところなく表現するためには、それだけバラエティに富んだスタイルの音楽が必要だったということでもある。そうした音楽の多様性を尊重しながら、オーケストラを奏で、オーケストラの魅力を伝えていくところが『オーケストラストーリーズ となりのトトロ』の面白さであり、《ピーターと狼》や《青少年のための管弦楽入門》になかった強みでもある。

これは視点を変えてみると、オーケストラというものは、クラシックも演奏できれば、ポップスも童謡もミニマルも演奏できる、懐の深いフォーマットだということを意味する。つまり、「アートとエンターテインメント」の両方に長けている、ということだ。それこそが、久石自身が志向する音楽の目標であり、ひいては21世紀にあるべきオーケストラが目標とすべき理想のひとつでもある。それが、『オーケストラストーリーズ となりのトトロ』が伝えようとしているもうひとつの”サブストーリー”なのではないか、というのが筆者の考えである。

なお、本盤にはA面にナレーションつきの演奏、B面に音楽のみの演奏が収録され、ナレーターは『となりのトトロ』本編でお父さん(草壁タツオ)の声を演じた糸井重里が担当している。とはいえ、この作品の”ストーリー”は決してお父さんの視点で語られているわけではない。楽譜上では、ナレーターの配役に関して特にジェンダーや年齢の指定はないので、実演ではナレーターを自由にキャスティングすることが可能である。また、楽譜には「演奏・ナレーション上の註釈」として、ナレーションの入りのタイミングがすべて詳細に記されているので、特に高度な音楽的知識を持ち合わせていなくても(指揮者の指示によって)ナレーターが正確なタイミングで入ることが可能である。

 

楽章解説

1.さんぽ

サントラに収録された《さんぽーオープニング主題歌ー》と《おみまいにいこう》を基にしながら、オーケストラの楽器紹介を兼ねた音楽。楽章のほとんどの部分を通じて、スネアドラムが文字通り”さんぽ”するようなマーチのリズムを刻んでいる。

最初に前奏部分(サントラではバグパイプとシンセサイザーが演奏)をオーケストラ全体で演奏した後、有名な「♪あるこう あるこう」のメロディが、オーケストラのセクションごとに演奏されていく。木管、金管、弦の各セクションは、それぞれ4種類の楽器で構成されているので、原則的にセクションの中で高い音の楽器から、順に4小節ずつメロディを担当していき、最後の「♪くものすくぐって」の部分からセクション全体がまとまって演奏する、という仕組みになっている。ちなみに、打楽器でメロディを担当するのは、最初の4小節がティンパニ、次の4小節がシロフォン(木琴)だが、組曲全体ではその他にも多種多様な打楽器が使われている。

最後にすべてのセクションがそろってメロディ全体を演奏し、華やかに終わる。

 

2.五月の村

サントラでもオーケストラで演奏されていた《五月の村》を、よりシンフォニックに編曲し直したもの。本編においては、物語最初の引越しのシーンほかに登場する。

この楽章は、1950年代から60年代、ラジオやレコードを通じて幅広い聴衆に親しまれたオーケストラ音楽、いわゆる軽音楽(セミ・クラシック)を意識した音楽となっている。そのため、全体の形式も親しみやすくわかりやすい形をとっており、冒頭8小節の前奏のあと、A-B-A-C-Aというシンプルなロンド形式(小ロンド形式)で書かれている。

 

3.ススワタリ~お母さん

サントラに収録されている《オバケやしき!》《メイとすすわたり》《おかあさん》を素材に用いている。

最初に、弦楽セクションが可愛らしいピッツィカートで《オバケやしき!》を演奏し、「ドン!」とオーケストラが鳴った後、木管セクションが同じ部分を繰り返す。次に《メイとすすわたり》の音楽となり、木管セクションと多彩な打楽器がマックロクロスケの存在を表現した後、イメージ・ソング集の《すすわたり》で「♪すーすす すすわたり」と歌われていたメロディを、木管セクションが演奏する。この時、メロディは最初から全体の姿を現さず、「♪すーすす」「♪すーすす すすわたり」のように少しずつ現れてくるところが面白い(つまり、すぐに姿を隠してしまうマックロクロスケと同じである)。メロディがひと通り演奏された後、今度は金管セクションがメロディに華やかな装飾を加えて演奏する。あたかも、マックロクロスケにスポットライトが当たって輝くような感じだ。音楽が静かになると、グロッケンシュピール(鉄琴)とチェレスタが《おかあさん》のメロディを愛らしく演奏し、独奏ヴァイオリン(オーケストラのコンサートマスター/コンサートミストレスが担当)がそのメロディを引き継ぐ。最後は、病院に残るおかあさんへの恋しさを表現するかのように、音楽が後ろ髪を引かれるようにして終わる。

 

4.トトロがいた!

サントラの《小さなオバケ》と《トトロ》を素材に用いている。

最初の《小さなオバケ》の部分、すなわち小トトロが初めて登場するシーンの音楽は、サントラでオーケストラが演奏していた音楽をよりシンフォニックに編曲し直したものである。オタマジャクシの動きを木管セクションの演奏で表現した部分をはじめ、オーケストラの豊かな音色が小トトロの愉快な動きを見事に表現している。後半になると、「♪トトロ トトロ」のモティーフがさまざまな楽器の演奏で登場する。弦楽セクションとハープが一陣の風を吹かせた後、《トトロ》の部分、すなわち有名なバス停のシーンとなる。ここから音楽は7/4拍子に変わり、トロンボーンとマリンバが「ン・パ・パ・パ・パ・パ・ウン」「タラ・タラ・タン・タン」という不思議なテーマを演奏する。実はこのテーマこそが、トトロ(大トトロ)のテーマにほかならない(筆者との取材において、久石自身がそのように指摘している)。しかもこのテーマは、久石が得意とするミニマル・ミュージックの手法で書かれている。最後は、チェロとコントラバスが演奏する「♪トトロ トトロ」も顔を出す。

 

5.風のとおり道

イメージ・ソング集の《風のとおり道》(児童合唱版とインストゥルメンタル)と、サントラにも収録されている《風のとおり道(インストゥルメンタル)》が原曲。塚森の大きなクスノキのテーマ、あるいは自然の生命力そのものを象徴するテーマとして、本編の中で何度も登場する。久石が筆者に語ったところによれば、「童謡的なテーマだけでなく、《風のとおり道》のように日本音階を使いながらすごくモダンな世界を作ることで、初めて全体のバランスがとれた」という意味で、このテーマは「音楽全体の裏テーマ」の役割を果たしているという。

原曲は「♪森の奥で」で始まるAの部分(Aメロ)と、「♪はるかな地」で始まるBの部分(Bメロ)で構成されているが、本組曲では文字通り風がとおるような序奏のあと、A-A-B-A-C-B-A-Aに基づくコーダ、という形で構成されている。ある映画音楽のテーマから、オーケストラ作品として聴き応えのある演奏会用作品をいかにして作り上げていくべきか、そのお手本を示したような楽章である。

 

6.まいご

イメージ・ソング集およびサントラに収録のヴォーカル曲《まいご》と、オーケストラの演奏によるサントラの《メイがいない》が原曲。組曲全体の中でも、最も小さな編成で演奏される。

イントロのあと、コーラングレ(イングリッシュ・ホルン)が「♪さがしても みつからない」のAメロを歌い始めるが、このコーラングレはサントラの《メイがいない》でも(オカリナと共に)ソロを担当していた楽器である。「♪かくれんぼが だーいすき」のBメロからピアノのソロとなり、オーボエとコーラングレがBメロに加わった後、最後はオーボエが名残惜しむようにソロを吹く。譜面上および本盤B面の演奏においては、その後、チューバがトトロの声を真似る形で、「トトロ ボァ~~~」と吹くが、本盤A面の演奏においては、チューバのトトロの声は次の《ネコバス》冒頭のナレーションの後に出てくる。

 

7.ネコバス

サントラでオーケストラが演奏していた《ねこバス》を、よりシンフォニックな形で編曲し直したもの。最初の前奏部分は、イメージ・ソング集の《ねこバス》のイントロに基づいている。

イメージ・ソング集のヴォーカル版を聴くとわかるが、《ねこバス》はネコバスの疾走感を表現するため、ノリの良いポップスのスタイルで書かれている。そのため、オーケストラの演奏にも拘わらず、思わず体でリズムをとりたくなってしまう楽しさが、この楽章の編曲にそのまま受け継がれている。前奏の後、まず木管セクションが「♪ばけねこの ねこバスが」のAメロを演奏し、金管セクションがそれを繰り返す。今度は弦楽セクションが「♪ヘッドライトは」のBメロを演奏した後、オーケストラ全体で「♪それゆけ にゃあごー」のサビ(コーラス)を演奏する。以下、ピアノでAメロ、弦楽セクションでBメロ、木管セクションでサビ、最後にオーケストラ全体でサビを繰り返す。

 

8.となりのトトロ

もはや説明の必要もない《となりのトトローエンディング主題歌ー》を、サントラ収録の《月夜の飛行》後半、および物語最後に流れる《よかったね》も踏まえながら編曲したもの。この楽章単独で演奏される機会も多い。「♪だれかが こっそり」のAメロと、「♪となりのトトロ トトロ」のサビをそれぞれ短くした形で序奏に用いた後、改めてAメロ-サビ-Aメロ-サビの順でオーケストラが演奏していく。2度目のAメロでは、ピアノ・ソロ演奏が聴きもの(この部分に限らず、本盤の演奏ではピアノパートを久石自身が担当している)。最後のサビは、途中からロ長調に転調し、音楽がいっそう華やかになって全曲の幕となる。

 

参考文献:
『オーケストラストーリーズ となりのトトロ』 久石譲作曲 全音楽譜出版社

『久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~』公式パンフレット所収 前島秀国『「ナウシカ」から「ポニョ」までー久石譲、宮崎駿監督との9作品を語る』

前島秀国 サウンド&ヴィジュアル・ライター
2021/07/30

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

オーケストラストーリーズ となりのトトロ

品番:TJJA-10043
価格:¥3,800+税
(CD発売日2002.10.23)
音楽:久石譲 全16曲

子供達とかつて子供であった人達のためのオーケストラ入門
初めてオーケストラに接する人達のために久石譲が新たに「となりのトトロ」のストーリーを綴った交響組曲。お父さん役の糸井重里の語りで楽器の名前や音色なども分かりやすく解説した入門編と、語りの無い組曲との2部構成。 

演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団
解説:前島秀国

liner notes 『オーケストラストーリーズ となりのトトロ』について/楽章解説 所収