Overtone.第32回 Textsに寄せて ~雑文集ノススメ~

Posted on 2020/04/27

ふらいすとーんです。

このたび「Texts」ページができました。久石譲があらゆる媒体で発信したインタビューを一覧リスト化したものです。雑誌・新聞・Webなどで「久石譲が語ったこと Joe Hisaishi Interview」。

ファンサイトを運営するにあたり、ある時期からこれまでの雑誌インタビューを整理したり、切り抜きファイリングしたり、持っていなかったものを入手したり、知らなかった掲載情報を調べなおしたり。手元のコレクションを整理整頓するのと並行して、ファンサイト内でも内容紹介してきたものたくさんあります。

数年かかりました。ここでようやくひと区切り、まとめてきたものをインデックスしてご紹介しようと「Texts」です。

 

Texts

 

 

一覧リストにするにあたってどう並べようか。スタジオジブリ作品など映画ごとにまとめたほうがいいのか、CD作品ごとにまとめたほうがいいのか。そのほうが見る人も目的をもって探しやすいかもしれない。でも、ひとつの雑誌インタビューのなかで語られていることは、そのときの映画のことCDのこと重層的です。だったらと、シンプルに年代順に並べることにしました。そして、大見出しも載せることで、どういう内容について語られているのか、内容を開く前に目安にしてもらえるかもしれないと。

年代順に並べるメリットはあります。音楽担当したあの映画、リリースされたCDやその他音楽活動。いつの出来事なのか年表はわかっている、その年あたりに照準を絞って探してもらったなら、何か語っていることがあるかもしれない、ないかもしれない。わかりやすいものさしになります。

 

なぜやるのか?

ぜひこちらをご覧いただけたら幸いです。

 

雑文集ノススメ

あらゆる時期に、あらゆる媒体に、あらゆる分野のことを語っている久石譲。これら色とりどりのインタビューたちが、いつの日か一冊の本にまとめられたらいいなあと思っています。これまでの久石譲著書の特色は、ある時期の音楽活動に深く切りこんで記録したエッセイのようなもの、雑誌連載から書籍化されたもの、対談、これらが中心です。つまりそこには、時間軸や内容軸としてテーマがあります。それは局所的な狭義的な範囲でもって凝縮されている、本にもまとめやすい。

ある作家や作曲家のなかには、点として雑誌や新聞で発表してきた掲載物を、無造作にまとめたようなインタビュー集、いわば雑文集のようなかたちで出版されたものがあります。僕は、久石譲著書のなかにも、こういった性格のものがあってもいいんじゃないか、いやむしろ、あってしかりじゃないかくらい思っています。

思っている理由をすすめていきます。

 

◇インタビューのよさ

なんといっても、その時々の濃く深い内容が語られています。それが映画の音楽制作なのか、オリジナルアルバムなのか、コンサートなのか。いずれも、そのときの旬な話題について非常に高い鮮度で語られています。ホット=記憶が新しい、時間をおいて振り返ったときには語らないようなこと忘れてしまうようなことも、リアルタイムの濃密さがそこにはあります。

インタビュアーをおかずに久石譲だけが語っているタイプもあります。インタビュアーの質問に答えるタイプもあります。前者が語りたいことを語るなら、後者は聞きたいことを語らせる。また、インタビュアーが聞き手に徹していたとしても、必要な合いの手や質問を得ることによって、よりわかりやすく読者に届くようにかみくだかれる、インタビューという空間の魅力です。

そこで語られるテーマも、発信元メディアの特性を生かしたものもあります。音楽話はもちろんビジネスに置き換えれることだったり、切り口のバリエーション豊富です。

 

 

少しだけ選んだものをご紹介します。

 

「感性に頼って書く人間はダメですね。2~3年は書けるかもしれないけれど、何十年もそれで走っていくわけにはいきません。自分が感覚だと思っているものの95%くらいは、言葉で解明できるものなんです。最後の5%に行き着いたら、はじめて感覚や感性を使っていい。しかし、いまは多くの人が出だしから感覚や感性が大事だという。それだけでやっているのは、僕に言わせると甘い。ムードでつくるのでなく、極力自分が生みだすものを客観視するために、物事を論理的に見る必要があります。」

Blog. 久石譲 『WORKS IV』 発売記念インタビュー リアルサウンドより 抜粋)

 

 

「例えば、2時間の映画を手がける場合、1本につき30数曲、ややシリアスな作品で曲数を減らしても15~16曲を書かなければなりません。それらの曲を本編のどの部分に付けるのか。いわば、音楽が流れない沈黙の部分も含めた、2時間の交響曲を書くようなものです。メインテーマがひとつ、サブテーマが複数あるとして、それらのテーマをどのように配置していくか。同じテーマを悲劇的に使ったり、軽く流したりする場合も、画面と呼吸を合わせていかなければならない。それらをすべて構成し、組み立て、全体のスコアをどう設計していくか。その95パーセントは、テクニックで決まります」

Blog. 「オールタイム・ベスト 映画遺産 映画音楽篇 」(キネ旬ムック) 久石譲 インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「でも、そのことが良い音楽を作る決定的な要素になったんですね。全部で8トラックしかないということは、ハイハットとキックとスネアを使って、ベースを入れて、キーボードが4声だったらもう終わり。すると、そこで工夫が必要になってくるんです。当時、FAIRLIGHTのシーケンサーを使わせたら、僕は絶対に世界一うまかったと思いますよ(笑)。壮大な音を8つの音だけで、いかに作り上げるかということを考えることが、ものすごい訓練になり、その感覚は現在に至るまでずっと続いています。今のように、1チャンネルだけで幾らでも音が出るような環境でやっていると、90%以上は無駄な音を入れてしまっていると思いますよ。ああいうふうに音楽を作っていては、感性は育たない。必要なのは、いかに無駄な音を使わず、しかも色彩豊かに作り上げるかという訓練だと思います」

Blog. 「キーボードマガジン Keyboard Magazine 1999年8月号」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 


これ、好きな話です。当時読んだときよりも今のほうがよく響いてくる。1980年代初期シンセサイザーでの作曲活動がメインだった久石譲です。8つの音(チャンネル)だけで音楽を成立させるという訓練は、つきつめれば、フルオーケストラ作品を弦楽合奏や弦楽四重奏という限られた声部に置き換えることができるということ。フルオーケストラが30~40チャンネルあるとしたら、弦楽四重奏は4チャンネル(ヴァイオリン×2,ヴィオラ,チェロ)です。音楽編成を変幻自在に拡大・縮小して再構成する久石譲の技は、こういった時代の経験のなかで磨かれてきた。もっとさかのぼれば、源流にクラシック音楽の教養があったからこそです。なかなかに深いお話だと思います。

 

 

「難しかったんだよね。それまでガッチリとコンセプトを組んできたんだけれど、最後の最後で自分を信じた感覚的な決断をしたということです。あの弦の書き方って異常に特殊なんです。普通は例えば8・6・4・4・2とだんだん小さくなりますね。それを8・6・6・6・2と低域が大きい形にしてある。なおかつディヴィージで全部デパートに分けたりして……。チェロなんかまともにユニゾンしているところなんて一箇所もないですよ。ここまで徹底的に書いたことは今までない。結果として想像以上のものになってしまって、ピアノより弦が主張してる……ヤバイ……と(笑)。」

Blog. 「キネマ旬報 1996年11月上旬特別号 No.1205」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 


これは『Piano Stories II』のお話です。ちょっと聴き方が変わりますよね。ほかにも、たくさんのインタビューのなかには音楽制作の貴重な過程、録音や収録に使われた専門的な機材のことも話題にのぼったりします。手元にあるインタビューをすべて読み返し、各CD作品ページで必要な情報(インタビュー内容)はあわせて紹介しています。気が向いたら、好きなCD、気になるCDの”Disc.”ページものぞいてみてください。今まで知らなかったエピソードが、そこにあるかもしれない、ないかもしれない。

 

 

「コントラバス・コンチェルトやエレクトリック・ヴァイオリンなどのソロ楽器を持つ曲を書くときは、いつも楽器を買うんですよ。コントラバスのときも買って、響きを体感するために毎日作曲の前に15分くらい弾いていましたね。だから今回もバンドネオンを買おうとしたけど、売ってないんです!もう作ってないですし。それで三浦くんに相談したら、お持ちの楽器の中の一つを貸していただくことになって。それを毎日弾いてたんですけどね、弾いたって言ってもまあ、びっくりしました。こうやって引っ張ってレ~って鳴ってるのに、押したらミになっちゃうんだよ!違うんだよね。往復で違うんだ音!みたいな! キーの配列もまるで規則性がない。これじゃ覚えられない……。でも逆に、このバンドネオンだからこそ(配列のおかげで)音の跳躍ができるというのがわかってきた。裏技を使えばなんとかなるんじゃないかみたいな。ということがあって、あとは信頼して書くしかなかった。」

Blog. 「LATINA ラティーナ 2018年1月号」 久石譲×三浦一馬 対談内容 より抜粋)

 

 

「小学校の音楽の授業で習うことですけど、音楽の中には”メロディー”と”ハーモニー”と”リズム”という三要素があるんです。僕らが音楽を作る上でも重要なのはこの三要素なんですよ。今回、メインテーマの”メロディー”が非常にシンプルで分かりやすいので、”リズム”や”ハーモニー”が相当複雑な構成になっても成立するんです。そこは良かったところですね。この曲の良さは、”ポ~ニョポ~ニョポニョさかなのこ”という最初の部分のメロディーですべて分かってしまうところ。そのメロディーを認識させるために4小節とか8小節とか必要としないですから。1フレーズだけで分かるので、どんな場面でも使えるんです。すごく悲しい感じにもできるし、すごく快活にもできるから、いくつでもバリエーションが作れるんです。メインテーマのアレンジを変えて使うという方法は、前作の『ハウルの動く城』の経験が生きましたね。今回、『崖の上のポニョ』でも徹底的にアレンジを変えました。使い回しは一つもありませんよ」

「音楽を入れるのに楽なところは一つもありません。その中でも悩んだところは、宗介が”リサ!リサ!”って叫ぶ場面と、その後のおばあちゃんたちがいる”ひまわりの家”が水没している場面ですね。ひまわりの家の場面には音楽が必要だと思ったんですが、そうすると宗介のシーンには音楽が入れられないなって。2つの連続する場面のどちらにも音楽が入っていたら”音楽ベッタリ”な感じになってしまいますからね。僕も宮崎さんも悩んだんですけど、宗介のシーンには音楽は要らないという話になりました。ところが、作っていくうちに、”やっぱりこれだとおかしい”っていうふうに思えてきたので、宗介のところにも音楽を入れることにしたんです。でも、ひまわりの家の部分がフルオーケストラなので、違いが出せるように宗介のところはピアノ一本で入れることに。いやぁ、うまくいきましたね。惜しいのは、僕のピアノがちょっと強かったことかな。オケの録音の後にとったので、ちょっと力が入り過ぎたみたいです(笑)」

Blog. 「別冊カドカワ 総力特集 崖の上のポニョ featuring スタジオジブリ」(2008) 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 


ジブリ音楽に関しては、一番インタビューの質量ともに豊富かもしれません。映画ごとにたくさんのエピソードがあります。こういうのを読むだけでも、ファンはワクワクうれしいですよね。どれどれ「28.宗介のなみだ」聴きなおしてみようか、なるほど言われてみれば、愛着ますなあ、なんてことも。

 

 

「そうなんです。音楽としてつまらなくて、それが実は「劇伴」というやつなんですが、そんな単体で聴いたらつまらないものを何となく流しておくみたいな、そんな音楽なんてつけちゃマズイですよ。映画の音楽をやったことがある作曲家にね、「久石さん、映画の音楽って安いでしょう」って言いにくる人がいるんです。そのとき「あ、ごめん、俺、恐らく日本の映画の4、5本くらいの音楽予算がないとやらないから、決して安くないよ」って、はっきり言いますよね。「これはぜひ久石さんの音楽が欲しい。でも予算がなくて」なんてさ、それで役者の衣装に費用をかけたりするとさ、「こらっ」って、思うじゃないですか。だったら衣装の一つや二つ削って、音楽予算を作ればいいじゃないかと。例えば「内容さえよければ、どんなに低予算でも私はやります」っていえば、それは70点の回答なんだけれど、それって逃げてる言葉なんです。自分をカヴァーしているだけ。「安いものは基本的にやりません」って言う方が誠意があると思う。」

-それは久石さんを追い込み発言ではありますが、映画音楽ってお金が必要なんだという認識にもつながりますし、当然いい音楽を作るにはお金がいる。

久石:
「いります。シンセで後ろにちょこっと流しておこうという話でなければ、やはりちゃんとお金をかけなければいけない。もし僕が安いギャラで引き受けてしまったら、後に続く連中がもっと安くなってしまう。だれかが突っ張って言っていかないと、ほかの連中がもっとかわいそうになってしまう。自分が置かれた立場を考えると、責任感というものが少しは芽生えましたね。そういう意味では発言の場を作って、機会のあるごとに言っていかないと、日本の映画が豊かにならない気がするんですよ。自分自身がやりやすくなるためにも環境を作っていかなければいけないんです。」

Blog. 「キネマ旬報 2000年7月上旬 夏の特別号 No.1311」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 


こんな久石さんも好きです。そしてちゃんと芯がある。

 

 

「この次は絶対にクリアーにしようと、絶えず線になって反省して、さらに理想的な高い完成度の…、ここが難しいんですけどね。完成度が高ければいい音楽になるかというと、ものすごく立派な譜面を書いたからってそうはならない。むしろちょっと粗っぽく書いて、なんだかなあっていうときのほうが、人々に与えるインパクトが大きいケースもありますからね。実のところ、音楽がまだわからない。だからたぶん、10年後もそういうことに悩みながら、『いい音楽をどう創ろうか』と考えていくんじゃないかと思います」

Blog. 「MUSICA NOVA ムジカノーヴァ 2007年3月号」久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「結局、クオリティを上げるのは努力しかないんですよ。一にも努力、二にも努力。自分が納得するまで、これでいいと思うまでやり続けるしかない。それだけです。だから絶えず不安です。書けなくなるんじゃなうかとか、今回は本当にできるのかとか、いつも不安を抱えている。でも、そうするとどこかでアドレナリンがぶわっと出て、意欲が湧き上がってくれる。それで仕事をなんとか乗り切ってる。かっこいいことなんか何もない。いつもギリギリ。でも仕事って、そういうものじゃないですか。のた打ち回れば、のた打ち回っただけ少しはよくなるだろう。そう信じて、最後の最後まで粘り続けられるかどうか。それで作品の質は決まるのだと思う」

Blog. 「GOETHE ゲーテ 2013年7月号」映画『奇跡のリンゴ』久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「久石さんとは同じ時代を生きてきたと思う」。宮崎が語る。「作るに値する映画はいつの時代にもあるだろうという仮説のもとにやってきました。そのたんびにいっしょにやろうと。ここまで来たら最後までいっしょにやると思う。彼の音楽はぼくの通俗性と合っているんですよ。彼の音楽の持ち味は”少年のペーソス”です。それは彼のミニマルの底流にもあるし、『ナウシカ』のときからあった。映画によって隠したり、ちょっと出したり、うんと乾いて見せたり。手を替え品を替えやりながら生き残ってきた人だから、そう簡単に手札を見せるわけがない。でも”少年のペーソス”はずっと変わっていない。そこがたぶんぼくと共通している」

Blog. 久石譲 雑誌「AERA」(2010.11.1号 No.48) インタビュー より抜粋)

 

 

◇対談のよさ

これまでに各界著名人と対談しています。その魅力をひと言でいえば、対談で起こる化学反応な話題の広がりです。プロのインタビュアー(音楽や各業界に精通している人)であれば、こんなことは聞かないよなあ、でも!読者としては聞いてくれてありがとう!な話。思いもよらない切り口や質問がとんでくる。キャッチボールが豪球になっていったり、あるいはラフなゆるい空気になったからこそ生まれる会話。積極的には語ったことないんだけど、聞くなら答えるよ、そんなナイストス!の応酬も対談の面白さです。

インタビューに答えるための、もちろんプロモーションの側面も担った、準備された回答はぐっと減ります。その場、その時、空気、一期一会。これらの貴重な話は、この相手だから聞けたこと、このタイミングだから語られたこと、会話が生きもののように躍動感あるものになっています。

 

 

少しだけ選んだものをご紹介します。

 

秋元:
僕らはよくいろんな方とコラボレーションをするじゃないですか。ドラマでも映画でも悲しいメロディーというと、普通の音楽監督というのは聴いただけで悲しい曲を書いてきてくれる。でも驚かないんですよ。脚本でも音楽監督でも役者でも、やっぱり一緒にやった人が自分が投げたアイデア以上ものもを返してくれて、お互い驚きあいながら作っていかないとダメなんですよね。今回はそこが非常におもしろかった。日活の会議室で初めてブルガリアン・ヴォイスを聴いた日、久石さんが曲を流す前に「いっちゃっていいですか?」と訊ねられて、曲を聴いたら本当にいっちゃってた(笑)。すごくいいなあと思った。作詞でもそうなんですけど、どこまで奇を衒っていいかを判断するのは難しいんですよ。ただ奇を衒ってるだけだと単なる企画もの、イロモノになっちゃう。だから微妙に奇を衒っている新しさ、そこが一番難しいんですよね。

久石:
単に奇を衒うというのはできるんだけど、それがどう主題に関わってくるかですね。それができたのはやはり秋元さんに対する信頼です。受け止めてもらえるというのがあったので。こちらが窮屈にならずに持っているアイデアをぶつけられたんです。

秋元:
いや、それはプロの技ですよ。ブルガリアン・ヴォイスから嵐のシーンのオーケストレーションまで幅が広い。ブルガリアン・ヴォイスだけのアイデアを出せる人はブルガリアン・ヴォイスのテイストで最後までいっちゃうんですね。そうすると今度は映像と音楽が分離してしまう。それにしてもラッシュの音がない時に比べて数百倍良かったです。

久石:
日本映画としては本当にお金を出してもらったんですよ。ホールでオーケストラをきっちり録れるなんてまずないですから。これだけの規模でできたからこそなんです。

秋元:
オーケストラというと、それだけの人数と楽器を集めて、ホールまで借りるのは、すごくお金がかかる。だから大抵みんな打ち込みでやるんですけど、久石さんがホールでモニータに映像を流して同時に録ろうとおっしゃった。すごく贅沢ですよ。アメリカではそういうシステムが整っているけど、日本ではなかなかできない。

久石:
設備が整ったところで録るわけではないので、レコーディング機材を全部運び込まなくてはいけなくて、ものすごく大変なんです。しかもいろいろトラブルがあるし。

秋元:
我々も、いつもああいうことができると思ってはいけないんですね。

久石:
でもこの先デジタルになったら、もっとああいうやり方の重要性が出てきますよ。ホールのアンビエントがそのまま再現されるから、とても奥行きが深くなる。

Blog. 「秋元康大全 97%」(SWITCH/2000)秋元康×久石譲 対談内容 より抜粋)

 

 

 

久石:
ものをつくる場所というのはこだわりますよね。雰囲気的にものをつくれる環境を選びます。レコーディングスタジオに入るとミュージシャンやスタッフなど人も大勢いますし、作業場ですね。今日もこの取材後にスタジオに移動してCM音楽のレコーディングをするのですが、完成させた譜面を持ってスタジオに入ります。やはり曲づくりの場所とは分けています。演奏しないことにはレコーディングにならないので、レコーディングする場所としてそこはきちんと分けています。

稲越:
その場でアレンジとかして違ってきたりするのですか?

久石:
僕はスタジオに入ってしまったらもうまったく変えません。

稲越:
えっ、変えないんだ……

久石:
レコーディングは誰よりも早いと驚かれます。二日間のレコーディングを予定していても、たいてい一日目で半分以上の曲数を録ってしまいますから。一日の場合も、二一時までスタジオを借りていたとしても、一八時、一八時半には終わってしまうことが多いです。このあいだ久しぶりにスケジュールの組み方の問題もあり、遅くなることがありましたけど、これなんかは例外です。

Blog. 「CUE+ 穹+ (きゅうぷらす) Vol.12」(2007) 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

 

冨田:
「いや、ほんとうにぼくらの仕事は肉体労働だよ。やっとこの頃、どうにか自分でコントロールできるようになってきたけど。久石さんなんか、いまが死ぬほど忙しいでしょう? 仕事がいろいろな方向へ拡がっているものね。すごく興味を持って見させていただいているんですよ」

久石:
「いやいや、ボクにとっては、一瞬のうちに響きやサウンドが聴き手の耳を惹きつけてしまうという冨田さんの仕事がいつも一番気になってきたものなんです」

Blog. 「CDジャーナル 2002年4月号」 冨田勲 vs 久石譲 対談内容 より抜粋)

 

 

 

林:
「坂の上の雲」のテーマ音楽が聞こえると、意味もなく悲しくなるんですけど、雲の向こうに壮大な世界が広がっていくような気がして。あの音楽を聴いただけで、みんな胸がキュッとなるんじゃないですかね。

久石:
それはすごく嬉しいです。ああいう大型のドラマになると、大河ドラマのオープニングみたいに、「ジャジャジャ~ン!」という派手な音楽で出るのがふつうなんでしょうけれども、僕、そうはしたくなかったんです。あれだけの大作なんだから、その精神を受け止めるような、バラード的なもののほうがあの世界観が出るんじゃないかと思ったんです。

~中略~

久石:
映画の音楽だとかをしばらくやってると、飽きちゃうんです。「これでいいのかな」と思うと、逆に完全に作品風に振っちゃって。そうすると今度は独りよがりになりがちなんです。あっちでぶつかり、こっちでぶつかり、の繰り返しですね。

林:
團伊玖磨さんみたい。團さんは大作を書く一方で、シンプルで、みんなが好きな「ぞうさん」もお書きになっていて、懐の深さが似てますね。

久石:
「ぞうさん」は、まど・みちおさん作詞で、あれは名曲ですね。ああいうシンプルな曲ほど難しいんです。「♪ぞーうさん ぞーうさん おーはながながいのね……」って、言葉のカーブとメロディーカーブが一致してるんですよ。

林:
ほおー、そこまで考えたことなかったです。「♪歩こう 歩こう……」(「となりのトトロ」の主題歌)もカーブが合ってますよね。

久石:
合わせてます。ポニョ(「崖の上のポニョ」)もそうですね。

Blog. 「週刊朝日 5000号記念 2010年3月26日増大号」久石譲×林真理子 対談内容 より抜粋)

 

 

 

淳:
僕は宮崎監督が久石さんの楽曲に合わせて物語を作ってる部分もあるんじゃないかって思ってるんですが、その辺はどうですか? 「その曲ができたなら、こういう演出にしていこう」って。だって音楽があまりにも作品にマッチしてますもん!

久石:
それはたぶんないと思います。確かに早い時期にイメージアルバムを作って、それを宮崎さんがお聴きになってるっていうのは聞きますけど、非常にピュアに絵コンテをしっかり描かれる方だから。

Blog. 「月刊サーカス CIRCUS 2012年4月号」FACTORY_A 久石譲×田村淳 対談内容 より抜粋)

 

 

ほかにも、鈴木光司さん、飯島愛さん、そして対談本もある養老孟司さんとは、共著以後に2~3回ほど雑誌をとおして対談しています。

 

 

◇本としてまとめることが大切

スタジオジブリ関連本はたくさんあります。そのなかに、宮崎駿監督・高畑勲監督のインタビューをあつめたものも、きっちり歴史をのこすように出版されています。

鈴木敏夫プロデューサーは、こう語っています。

”以前、高畑勲・宮崎駿がいろんな媒体で書き散らかした文章、話したインタビューを、年代順にまとめた本があると便利だと思い、それぞれ一冊にまとめました。文庫も複数の出版社からばらばらに出ているんじゃなくて、一社でやってもらえないかなと”

 

Overtone.第27回 「映像から音を削る 武満徹 映画エッセイ集/武満徹 著」を読む ~ウソとマコト I~ で題材にしたこの本も、巻末に《初出一覧》がぎっしり掲載されています。○○○○年○月○日○○新聞、○○○○年○○雑誌○○月号というように。もしこういった編集作業をへた書籍化がなければ、今読むことはできなかったでしょう。

 

 

◇久石譲論 本ノススメ

宮崎駿も、高畑勲も、北野武も、武満徹も、ほかにもたくさんのプロフェッショナル。映画界、音楽界、スポーツ界。自らのの著書とならんで、そこには研究本があります。”宮崎駿論”は国内にとどまらず海外専門家によっても多数執筆されています。解説・分析・批評・論考・攻略・研究・専門・特集、どんな言葉を使ってもいいです、そういった類の書物。深く切りこんだタイプのものは、そんな視点や考察もあるのかと楽しく驚かされますし、クロノジカルにまとめたタイプのものは、まさに年代記、歴史の足跡を紐解く充実度があります。

 

でも、久石譲の音楽活動について、

そういった本はない。

ずっと不思議だったんです。

なんでないんだろう?

あるとき、ひとつの答えを得た。

 

それは、歴史的資料の絶対数が少ないからじゃないか。歴史的資料を本という単語に置き換えてもいいです。研究したいにも、分析したいにも、資料が少なければできません。どういう制作過程だったのか、当時の環境や志向性は、その時にどんなことを語っていたのか。可能なかぎり集めて広げて、自分なりの論考にまとめていく。

音楽という特性についても。音楽を聴いただけで語るなら、それは解説こそできても、深く鋭い研究はできません。もし仮に、音楽という素材だけで扱うにしても、そこには必ずスコアが必要になります。いくらプロの音楽評論家といえど、聴いたものだけで分析して語れというのは、とても難しい。

宮崎駿監督の著書は11冊あります(対談・インタビュー・共著も含む)。さらに、「ジブリの教科書 シリーズ」のように、各作品で本をまとめたものにも、製作当時のインタビューは収録されています。付随する製作スタッフ(原画・動画・色彩・声優・プロデューサーなど)の話から、浮かび上がってくることもあります。そして「イメージボード集」や「絵コンテ集」、これが映画をつくるための設計図になります。このような重層的な歴史的資料の充実と提示こそ、今なお論考を活発化させ深めさせている要因のひとつだとしたら。

スコアは音楽をつくるための設計図です。ベートーヴェンの音楽を専門的に分析するなら、そこには片手にスコア、片手に資料を準備して臨みますよね、たぶん。音楽評論家は、そこから新しい見方や解釈を得て、議論を深め、音楽と一緒に歴史的価値を引き継いでいく。ここは大切! それが指揮者や演奏者だったらどうでしょう。そこには片手にスコア、片手に資料を準備して臨みますよね、たぶん。深い理解を求め、新しい視点を模索し、”今”という時代に照らし合わせて表現豊かに奏でられる。長く演奏され聴きつがれる音楽になる。

 

僕は、ひとつの答えとしてそう導きました。

 

すべてを包括できてはいないけれど、ひとつの要因として、少しは当たっているような気がしています。つまるところ、僕が強く希求しているのは、「新しい聴き方」のサンプルの提示です。こういう聴き方もある、こういう背景がわかるともっとおもしろく聴けるよ。個性豊かな解釈の集合体が、よりその音楽を重層的に魅力あるものにするように。自分にはない音楽の聴き方、うけとり方を、もっともっと浴びたい。すごいな久石譲!と唸りたい。

日本映画音楽界のひとつの時代を築いてきた久石譲、日本現代作曲家として作品を発表しつづけてきた久石譲。次世代の音楽家たちに影響をあたえ、その血肉や遺伝子のようなものは、確実に音にも方法論にも見受けられることもあります。久石譲ファンであること、久石譲音楽を聴いて育ったこと、そう公言する作曲家は日本ではもちろん、海外作曲家からのリスペストを耳にすることも。

そんな輝かしい久石譲の軌跡をまとめた本が、バラエティ豊かな”久石譲論”書物たちが、久石譲著書と久石譲楽譜の横に並んで置かれている光景。ちっとも不思議なことじゃないですよね。

 

それではまた。

 

reverb.
久石譲インタビュー集と久石譲論の2タイプの書籍化希望のお話でした。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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