Overtone.第90回 長編と短編と翻訳と。~村上春樹と久石譲~ Part.8

Posted on 2023/02/20

ふらいすとーんです。

怖いもの知らずに大胆に、大風呂敷を広げていくテーマのPart.8です。

今回題材にするのは『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』(2019)です。

 

 

村上春樹と久石譲  -共通序文-

現代を代表する、そして世界中にファンの多い、ひとりは小説家ひとりは作曲家。人気があるということ以外に、分野の異なるふたりに共通点はあるの? 村上春樹本を愛読し久石譲本(インタビュー記事含む)を愛読する生活をつづけるなか、ある時突然につながった線、一瞬にして結ばれてしまった線。もう僕のなかでは離すことができなくなってしまったふたつの糸。

結論です。村上春樹の長編小説と短編小説と翻訳本、それはそれぞれ、久石譲のオリジナル作品とエンターテインメント音楽とクラシック指揮に共通している。創作活動や作家性のフィールドとサイクル、とても巧みに循環させながら、螺旋上昇させながら、多くのものを取り込み巻き込み進化しつづけてきた人。

スタイルをもっている。スタイルとは、村上春樹でいえば文体、久石譲でいえば作風ということになるでしょうか。読めば聴けばそれとわかる強いオリジナリティをもっている。ここを磨いてきたものこそ《長編・短編・翻訳=オリジナル・エンタメ・指揮》というトライアングルです。三つを明確な立ち位置で発揮しながら、ときに前に後ろに膨らんだり縮んだり置き換えられたり、そして流入し混ざり合い、より一層の強い作品群をそ築き上げている。創作活動の自乗になっている。

そう思ったことをこれから進めていきます。

 

 

今回題材にするのは『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』(2019)です。

この本は、一般的には小説家ふたりの対談本といえます。が、タイトルにあるとおりインタビューする人とされる人の立ち位置を明確にしたかたちをとっています。村上春樹さんは、その理由を”質問する側と答える側それぞれに役割と責任が明確になる”からだと語っています。”ちょっとつかのま席を一緒にしたような、ちょっと顔合わせをしたような対談の場合には、「まあいろいろありますよね」みたいなお茶を濁したような曖昧な会話に終始しがちでそれが嫌だ”からだと、どこかにありました。

世代の異なる作家、村上春樹本で育った若い作家がインタビュアーだから、細部まで記憶が詳しいし質問も切り込む攻め込む。同じ分野で活躍するプロとプロの濃密な対話になっています。こういうかたちで同じ土俵にあがる、いいなあ、表には現れない白熱した胸のうちが伝わってくるようです。

 

自分が読んだあとなら、要約するようにチョイスチョイスな文章抜き出しでもいいのですが、初めて見る人には文脈わかりにくいですよね。段落ごとにほぼ抜き出すかたちでいくつかご紹介します。そして、すぐあとに ⇒⇒ で僕のコメントをはさむ形にしています。

 

 

 

“そうですね。例えば『東京奇譚集』という短編集では、まさにキーワードを三つずつ選んで、五編書いたんですよね。短編だとそういう遊びみたいなことができて楽しいです。あそこに入った短編小説はそういう感じで、一気にまとめて書いています。”

~(中略)~

⇒⇒
音楽をつくるときにも同じことが言えますね。コントラバスという楽器のために作った曲、三和音をコンセプトに作った曲、など。また映画音楽にも制約(セリフとかぶらない・曲尺など)がありますが、制約をアイデアとすることで楽しめたり、新しい切り口のきっかけになることもたくさんあるんだろうと思います。自らゲームルールを作ってプレイ楽しめる人は強いです。

 

 

”それは、僕にはわからないなあ。僕は翻訳を、できるだけ実直に、原文通りにやろうと思って、それを第一義に考えて翻訳しているんだけどね。うーん、もしそうだとしたら、それはあくまで無意識にしていることですね。自分ではわからないね。僕としては、ありのままに素直に、英語を日本語に移し替えているつもりなんだけど。短いセンテンスとかパラグラフで見ると、そんなに目立たないけど、全体で見ると、僕の味みたいなのがじわっと滲み出ているのかもいれないですね。そういうのを意識したことはあまりないけど。”

~(中略)~

⇒⇒
どうしてもにじみ出てしまうオリジナリティというのはあります。翻訳をするにしても、ひとつの英単語からどの日本語を選ぶか、たくさんある日本語候補のなかから。どのようにして単語と単語をつなげてひとつひとつの文章にしていくか。小さな選択のなかにオリジナリティが含まれ、それが全体のなかに蓄積されていきます。いい意味で、忠実にしようとしても隠せないものってあると思います。隠せないものそれこそが、翻ってその人の作家性といえるのかもしれませんね。

見方を変えて、久石譲の手がけた編曲って気づくものは多いです。作曲じゃないのに編曲だけでその人とわかってしまう。いかに強固なオリジナリティの現れかと思います。編曲や指揮という間接的なもののはずなのに、自身のシグネチャをのこせるってすごいです。

 

 

“それは僕の場合、まずリズムじゃないかな。僕にとっては何よりリズムが大事だから。たとえば翻訳をする場合、原文をそのまま正確に訳すことは訳すんだけど、場合によってはリズムを変えていかなくちゃいけない。というのは英語のリズムと日本語のリズムとは、そもそも成り立ちが違うものだから。英語のリズムを日本語のリズムに、自然にうまく移行しなくてはなりません。そうすることで文章が生きてくる。文章技術はそのために必要なツールなんです。”

~(中略)~

⇒⇒
よく語られていることで同旨あります。

 

 

“で、そこで何より大事なのは語り口、小説でいえば文体です。信頼感とか、親しみとか、そういうものを生み出すのは、多くの場合語り口です。語り口、文体が人を引きつけなければ、物語は成り立たない。内容ももちろん大事だけど、まず語り口に魅力がなければ、人は耳を傾けてくれません。僕はだから、ボイス、スタイル、語り口ってものすごく大事にします。よく僕の小説は読みやす過ぎるといわれるけど、それは当然のことであって、それが僕の「洞窟スタイル」だから。

うん。目の前にいる人に向かってまず語りかける。だから、いつも言ってることだけど、とにかくわかりやすい言葉、読みやすい言葉で小説を書こう。できるだけわかりやすい言葉で、できるだけわかりにくいことを話そうと。スルメみたいに何度も何度も噛めるような物語を作ろうと。一回で、「ああ、こういうものか」と咀嚼しちゃえるものじゃなくて、何度も何度も噛み直せて、噛み直すたびに味がちょっとずつ違ってくるような物語を書きたいと。でも、それを支えている文章自体はどこまでも読みやすく、素直なものを使いたいと。それが僕の小説スタイルの基本です。結局そういう古代、あるいは原始時代のストーリーテリングの効用みたいなところに戻っていく気がするんだけど。”

~(中略)~

⇒⇒
難しい言葉や言い回しで武装する難解な小説は、同じく難解で聴く人を無視した現代音楽に近いのかもしれませんね。メロディはシンプルに、ハーモニーやリズムは技術を駆使して聴きごたえのある曲に。聴いても聴いても飽きのこない、また新しい魅力に出会えるような曲。そして人の心をつかみやすいメロディだからこそ、すっとその曲に入っていける。

 

 

“うん。文体はどんどん変化していきます。作家は生きているし、文体だってそれに合わせて生きて呼吸しています。だから日々変化を遂げているはずです。細胞が入れ替わるみたいに。その変化を絶えずアップデートしておくことが大事です。そうしないと自分の手から離れていってしまう。

そうそうそう。文章というのはあくまでツールであって、それ自体が目的ではない。ツールとして役に立てばいいんです。だから完成形なんてあり得ない。僕も、昔は書けなかったものごとが今ではわりに自由に書けるようになりました。今は書きたいものはもうだいたい書けるかな。”

~(中略)~

⇒⇒
村上春樹さんは毎日机に向かって文章を書いているそうです。久石譲さんも毎日なにかしら曲をつくっているそうです。そうやって自分のスタイルを常に磨きながら更新していく。書きたいものを書ける技術力あってこそ創造性は花開くんだ、と言うは易し大変なことです。

ツールというのは小説家にとっては言葉、村上春樹さんの場合は言葉を道具として使う。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、実はそんなことありません。言葉を創造するというやり方もあるからです。美しい文章を書こうと凝る人や、言葉をつくろうとする人もいます。言葉に込めるものが多い、言葉そのものが独創性のあるものになっている。詩なんかもそうですね。で、村上春樹さんは、シンプルなツール(言葉)の組み立てで文章を表現する。ふだん誰でも使う道具(言葉)を使っている。

音楽でも同じですね。

ツールというのは、作曲家にとって楽器とも言えるかもしれません。一般に広く普及している生楽器を使って作曲するのか、あるいはシンセサイザーなどで自分の音色を作り込んで表現するのか。音響機材を駆使してそれらがないと鳴らせないもの。どちらが良い悪いではないですね。ただひとつ言えるのは、音色や音響に独創性(替えのきかないもの)を持たせるということは、それだけ再現性のむずかしい音楽になるということはいえます。生楽器にしても、尺八、篳篥や世界各国の民族楽器なんかは、楽器や演奏者の希少性もあって演奏機会が限られる、はたまた国を越えて演奏しにくいということも出てきます。時間(未来)と空間(接点)に広がりと普遍性を担保するということは、作品をのこす条件としてとても大切なことなのかもしれません。

 

 

“僕の場合、昔書いたことってほとんど忘れちゃってるから、そんなに気にならないというところはあります。「二世の縁」は土の中から即身仏を掘り出す話で、そこを起点に小説を書きはじめたわけだから、必然的に穴が出てくる話になってしまう。だから、これはもうしょうがないだろうと。やっぱり人間には思考パターンがあってね、どう変えてみたって、同じようなシチュエーションって必ずどこかに出てくるものだし、そのたびに少しずつ違う書き方をすればいいんじゃないか、と僕は思うけど。

うん。角度を変えたり、描き方を変えたり。道具立てが同じじゃないかと詰め寄られたら、まあ確かに同じなんだけど、でも、僕の感覚としては同じじゃないんです。そのたびに新しい。アップグレードされているとまでは言わないけど。しかし僕はなぜか穴とか井戸とか、そういうものに惹きつけられるところがあるみたいですね。自分でも不思議だけど。”

~(中略)~

⇒⇒
別の本ではこのように語っていました。”「詩人が書きたいことというのは、一生のあいだに五つか六つしかない。私たちはそれを違うかたちでただ反復しているだけなんだ」と。そういわれてみると、たしかにそうかもしれないと思う。僕らは結局、五つか六つのパターンを死ぬまで繰り返しているだけなのかもしれない。ただ、それを何年かおきに繰り返しているうちに、そのかたちや質はどんどん変わってきます。広さも深みも違ってきます。”(出典忘れ…)

僕はこの作家性やオリジナリティの考え方はもっと尊重されてほしいなと思います。あまのじゃくな何々風な作品群よりも、一本筋の通ったものから、作品ごとにテイスティングを味わう機微のようなものを大切にしたい。ラッセンがいきなりイルカじゃなくて恐竜を、海じゃなくてジャングルを描きだしたらびっくりします。イルカと海ばかりな作品たちに見えるけれど、ひとつひとつ目を凝らせば同じ作品や構図はありません。好きな人はあのテイストに魅了されているんです、きっと。

 

 

“そう、文章。僕にとっては文章がすべてなんです。物語の仕掛けとか登場人物とか構造とか、小説にはもちろんいろいろ要素がありますけど、結局のところ最後は文章に帰結します。文章が変われば、新しくなれば、あるいは進化していけば、たとえ同じことを何度繰り返し書こうが、それは新しい物語になります。文章さえ変わり続けていけば、作家は何も恐れることはない。文章さえ更新されていれば、血肉をもって動き続けていれば、すべてが違ってきます。

そうですね。響き、リズム、そういうものが自分の中で、前とは違っているという確信がなければ、やっぱり怖いんじゃないかな。文章が違ってくれば、同じ話でも進む方向性が変わってきます。作家はそうやって前進していくしかない。”

~(中略)~

⇒⇒
これは、、とても深く深く考えてしまう内容です。ひとつの考え方として、文章を「アプローチ、オーケストレーション、楽曲構成」としてみました。すぐに久石譲だとわかる久石メロディであっても、常にそのときのアプローチなんかによって楽曲はやっぱり最新版の久石譲になっている。それはオーケストレーションの違いなのか、構成の違いなのか、演奏アプローチも違うのかもしれない。いろいろ考え方はありますよね。とにかく、作家は止まっていないということです。

 

 

”四十代の半ばくらいまでは、例えば「僕」という一人称で主人公を書いていても、年齢の乖離はほとんどなかった。でもだんだん、作者の方が五十代、六十代になってくると、小説の中の三十代の「僕」とは、微妙に離れてくるんですよね。自然な一体感が失われていくというか、やっぱりそれは避けがたいことだと思う。”

~(中略)~

⇒⇒
次の引用がわかりやすくなるようにとひっぱってきました。次へ進む。

 

 

“もちろんそんなに簡単に文体を総ざらいして、新たなものをつくって、みたいなことはできません。そんなに急に、これまで使っていない筋肉を使うことはできないから。ただ気持ちとして、新しい方向性に文体を転換して行こうということです。新しい文体が新しい物語を生み、新しい物語が新しい文体を補強していく。そういう循環があるといちばんいいですね。”

~(中略)~

⇒⇒
具体的にいうと、一人称から三人称への転換などがあります。「僕は~」で書いていた小説のもつ同化や説得力から、物語や人を俯瞰的にみる三人称へ。登場人物が少ないときや主役がはっきりしているときに有効な一人称と、登場人物が多いときや対等に扱いたい複数人のときに有効な三人称、など。一人称から三人称へ、そうしないと書けない物語がある。書きたいことを書きたいように、あるいはこれまで書いたことのない世界を書きたいときに変化を遂げる。

ベートーヴェンも、ピアノソナタをつくって交響曲へと大きく拡大して弦楽四重奏曲に削ぎ落とす。こういった時代ごとの作風のサイクルに区切りをつけながら次に進んでいます。そしてその作風は決して終わったわけでも決別したわけでもなく、行きつ戻りつ、ときに確認して見つめなおしたりをくり返しながら。(久石譲語録の記憶から….)

久石譲もシンセサイザーからオーケストラへの転換などがあります。シンセサイザーでは映画の世界観を表現しきれないと、フルオーケストラへと舵を切る。そうやって軸はオーケストラに置きながらも、今もってシンセサイザーサウンドを排除したわけではない。

村上春樹はこの本の別頁でこんなふうにも語っています。”書けることだけを書いて、それはそれでまうまく機能していたんだと思う。でもそれは僕の本当に書きたかったこととは少し違うんです。自分の書きたいものがある程度書けるようになってきたのは、もっとずっとあとのほうですね”

 

 

“この前も言ったけど、僕は『ノルウェイの森』で、リアリズム小説を書き切るという実験をやりました。『スプートニク』は、これまでの文体の総決算をやってしまおうと思って書き始めました。それから『アフターダーク』では、ほとんどシナリオ的な書き方をしました。そういうふうに、「少し短めの長編」ではいつも自分なりの実験みたいなことをやっています。今回はこういうことを試してみよう、という挑戦をやっているわけです。『多崎つくる』も僕としてはわりに実験的というか、いうなればグループを描く小説です。そういうものは以前には書いたことがなかった。あれぐらいの長さの小説って、書き手としては一番実験がしやすいんです。

短編だとある程度のまとまりが必要になってくるし、長い長編だと生半可なことはできない。中途半端に実験的なことをやると収拾がつかなくなりますから。でも『スプートニク』とか『国境の南、太陽の西』とか、それから『アフターダーク』、『多崎つくる』、あのぐらいの一冊本だと、そういうわりに突っ込んだ実験ができます。感覚を思い切って解放し、新たなシチュエーションを試してみることができます。だから、僕にとってはすごく大事な容れ物なんです。でもあのサイズの小説って、おおむね読者の評判がよくないんですね。

わからない。なんでだろう(笑)。短編は短編で、ある程度評価してもらえるし、長い長編は長編として評価してもらえるんだけど、あの中くらいの小説というのは、少なくとも出した時点では、なぜか酷評されることが多いみたいですね。手を抜いているとか、これまでと同じだとか、あるいは逆に新しいことをやろうとして失敗しているとか。”

~(中略)~

⇒⇒
うーん、読者として不完全燃焼な感じがあるのでしょうか、中くらいなサイズ感もあいまって。短編のほどよい軽食感とも、長編のフルコースな満足感とも少し違う、なにか居心地のさだまらない感覚なのかもしれません。

そう言われると、久石譲『ミュージック・フューチャー・コンサート』で披露される作品って、第一印象でそういうところもあるかもしれません。時間の長さも楽器編成も中くらいな作品が多いです。そこに、そのとき旬な実験性みたいなものも含まれていて、どう受け取っていいのか、どう反応したらいいのか、まったく免疫のなかった聴衆は戸惑ってしまうような感じ。

でも不思議なもので、そういった中くらいの作品が、次の大きな作品につながっていたり、あとから振り返ったときにはおさまりよく据わっているような気もします。ああ、あの作品が節目や布石だったんだなと、余裕をもった心持ちで受け止めるときがきっと訪れることでしょう。だから、ひとつひとつの作品に愛着がある。

 

 

“小説的な面白さとか、構築の面白さとか、発想の面白さというのは、生きた文章がなければうまく動いてくれません。生きた文章があって初めて、そういうのが動き出す。でも多くの作家は、発想とか仕掛けが先にあって、文章をあとから持ってくる。意識が先にあって、身体があとからついてくる。僕の感覚からすれば、同時にあるものではなくて、まず文章がなくちゃいけない。それが引き出していくんです、いろんなものを。”

~(中略)~

⇒⇒
例えば、楽器や音色といった飛び道具を先に決めてしまって、それを使うことが最優先になってしまっている音楽ってありますよね。使うことが最大の目的になってしまっている。それが悪いわけではないんでしょうけれど、なんというか発想勝負、仕掛けの珍しさだけで突っ切ろうとしている感じ。奇をてらったものには、それなりの芯も持ち合わせていないとぐらぐら倒れてしまいます。

 

 

少し追加します。

同書からですが、テーマ(短編・長編・翻訳)からはそれるんですけれど、とても伝わる語り口だったのでぜひとご紹介します。

 

”朗読に使ったりするとき以外は読み返さない。もちろん自分の書いたものについて「くだらない」とか「つまらない」とか思っているわけじゃないですよ。ベストを尽くして書いたという手応えは僕の中にまだ残っているし、そのことに誇りのようなものだって持っているし、褒められればもちろん嬉しい。僕の小説が三十年経っても絶版にもならずに書店の棚に並んでいるのを目にすれば、ありがたいなと思うし、読者に感謝したいなと思う。それは当たり前のことです。作家だから。でもそれはそれとして、自分で自分の書いた小説を改めて読み返したいという気持ちにはなかなかなれない。

自分の書いたものはむずかしいね。カーヴァーのたとえば「大聖堂」とか、パン屋の話とか、「足もとに流れる深い川」とかは、今読んでもやっぱりすごいなと、手を入れるところもないよなと思うけど。自分の小説というのは、まあ、僕が書いた短編のベスト3なんてとても選べないけど、もし選べたとしても、読んだらやっぱりイライラするんじゃないかな。同じ話も、今だったら違うふうに書くと思う。

ただ、もし今僕がその自分の短編を、今の感覚と今の技術で書き直したとしても、読んだ人がよくなったと思うかというと、そうとは限らないと思う。それはあくまで僕自身の感覚の問題だからね。だからあまり読み直さないようにしているんです。読むとどうしても手を入れたくなっちゃうから。”

~(中略)~

⇒⇒
作家の思考が覗けておもしろいです。

 

 

”そういう書き方ももちろんあるわけだけど、僕はそういう書き方はしないというだけで。僕が自分の昔書いたものをまず読み返さないのは、だいたいにおいて自分の書いた文章に不満を感じるんです。でもそれは良いことだと思う。だって同じことを書いてたら、誰も読まなくなるよね。また同じかと。バージョンアップして自分を磨いて上げていかなちゃいけない。やっぱり世界は広いし、自分よりうまい人はたくさんいるし、日本のマーケットの中だけに留まっていたら、自己改革ってなかなかやるのは難しいと思う。ついつい締切りに追われたりしてね。

それから、いいところも一緒にある程度捨てていかないとね。でも、なかなか難しい話です。僕の読者でも初期の作品のほうがずっと好きだって人はたくさんいる。『ノルウェイの森』を今書いたら、もっともっとうまく書けると思うけど、きっとあればあれぐらいの段階で書いといて一番良かったんじゃないかって……。

今読むとね、青臭いなと思うとこあるんだけど、やっぱりああいうのはある程度青臭くないと、人の心は打たない。”

~(中略)~

⇒⇒
”いいところも一緒にある程度捨てていかないと”という部分が特に印象的でした。宮崎駿監督でいうと「トトロ2は作らない」になるだろうし、久石譲でいうと「過去は忘れる」になるだろうし。自身の完成モデルにすがらないということもあるんですけれど、文章を読んでいて、あの時だからこそ最も輝けるかたちで完成したことを作家が一番よくわかっている、だから捨てないといけないという逆説につながるのかもしれない、と思った次第です。

 

 

 

今回とりあげた、『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』。村上春樹さんの本を読んだことある人なら、もちろん楽しめる本です。そうじゃなくても、本を読むことが好きな人には興味をそそられる視点ばかりです。そして、今度本を読むときには、もっとぐっと近づけて、もっと深く楽しめるようになりたい。そう思わせてくれる本です。

 

 

-共通むすび-

”いい音というのはいい文章と同じで、人によっていい音は全然違うし、いい文章も違う。自分にとって何がいい音か見つけるのが一番大事で…それが結構難しいんですよね。人生観と同じで”

(「SWITCH 2019年12月号 Vol.37」村上春樹インタビュー より)

”積極的に常に新しい音楽を聴き続けるという努力をしていかないと、耳は確実に衰えます”

(『村上さんのところ/村上春樹』より)

 

それではまた。

 

reverb.
いろんな分野からクロスして学べるって楽しい。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Info. 2023/02/19,26 [ラジオ]「現代の音楽」四人組コンサート 久石譲ゲスト出演 放送

Posted on 2023/02/15

「現代の音楽」は、作曲家・西村朗さんの分かりやすい解説で現代音楽の魅力を紹介しています。2月5日、12日は、シリーズ「日本の作曲家」。5日は、カトリックの信仰に基づく独自の死生観が特徴的な権代敦彦の作品を、12日は、演奏家の身体と脳の可能性を広げることで実現される、独自のテンションや時間構造を追求し続けている原田敬子の作品をご紹介。2月19日、26日は「最近の公演から」。2022年12月9日に東京文化会館・小ホールで開催された「四人組とその仲間たち」をお送りします。1994年にスタートした池辺晋一郎、新実徳英、西村朗、金子仁美の4人による新作を初演する演奏会。2022年の公演はゲスト作曲家として久石譲を加え、5つの作品が披露されました。 “Info. 2023/02/19,26 [ラジオ]「現代の音楽」四人組コンサート 久石譲ゲスト出演 放送” の続きを読む

Info. 2023/02/13 舞台版『となりのトトロ』英国の演劇賞「WhatsOnStage Awards」5冠の快挙(Webニュース各種より)

Posted on 2023/02/13

舞台版『となりのトトロ』英国演劇界で権威ある「WhatsOnStage Awards」5冠の快挙

スタジオジブリのアニメーション映画『となりのトトロ』(1988年)を舞台化し、昨年10月~今年1月までイギリス・ロンドンで上演されていた舞台『My Neighbour Totoro』が、イギリスの舞台作品・産業を讃える「第23回WhatsOnStage Awards」で5冠に輝く快挙を成し遂げた。

現地時間12日に行われた授賞式で、ベストセットデザイン、ベストサウンドデザイン、ベストミュージカルディレクター・スーパービジョン、ベストライティングデザイン、ベストディレクションの5つの部門で受賞。同舞台は、9部門にノミネートされていた。

同映画の音楽を手がけた作曲家の久石譲氏が「この作品に本当の意味で普遍性があるなら――僕はあると思っていますが――まったく違うカルチャーで育った人たちが違う言語でやっても、きっと世界中の人に伝わるはず」と発案し、エグゼクティブ・プロデューサーを務め、イギリスの名門演劇カンパニー、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)と日本テレビが共同製作した。

昨年5月にチケットが発売開始されると、初日だけで約3万枚が売れ、ベネディクト・カンバーバッチ主演『ハムレット』(2015年)の数字を抜いて、バービカン劇場の初日販売記録を更新。その後もチケットが取りにくい状態が続き、開演初日の翌日(10月9日)付けの現地日刊紙「THE TIMES」では、「My Neighbour Totoro: why this RSC show is the hottest ticket in town」という見出しで、“ウェストエンドで最もチケットが売れている公演”と報じられた。連日チケット完売の盛況ぶりの中、先月21日に千秋楽を迎えていた。

出典:ORICON NEWS|舞台版『となりのトトロ』英国演劇界で権威ある「WhatsOnStage Awards」5冠の快挙 | 
https://www.oricon.co.jp/news/2267610/full/

 

 

舞台「となりのトトロ」英国の演劇賞WhatsOnStage Awardsを席巻!

英国の権威ある演劇賞「第23回WhatsOnStage Awards」の授賞式が2月12日にロンドンで行われ、スタジオジブリのアニメーション映画を舞台化した「My Neighbour Totoro」(「となりのトトロ」)が、最優秀演出賞など最多の5冠を獲得しました。

映画で音楽を手掛けた作曲家の久石譲が舞台化を提案し、宮﨑駿監督がこれを快諾したことで始まったプロジェクト。久石譲がエグゼクティブ・プロデューサーを務め、イギリスの名門演劇カンパニー、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)と日本テレビが共同製作し、舞台化しました。昨年10月8日~今年1月21日までロンドンのバービカン劇場で上演した舞台は、久石譲の音楽、原作を尊重した世界観、そしてRSCならではの作劇力で観客の心をつかみ、13万3,000枚のチケットは完売。連日万雷の拍手とスタンディングオベーションが続き、ガーディアン紙をはじめ多くの劇評で五つ星を獲得するなど、高評価を得ていました。

最優秀演出賞を受賞したフェリム・マクダーモットは授賞式で「原作の精神に導かれるように、皆で一丸となって作り上げたショーです。パンデミックで街に人がいない中、バービカン劇場で様々なトライを続けました。キャストは卓越したアンサンブルでこのショーを育み、お客様の気持ちが加わって完成しました。私はこの賞を、個人としてではなく、チームとして受け取りたいと思います」と喜びを語りました。

受賞したのはほかに、舞台美術、照明デザイン、音楽監督、音響デザインの各賞。ノミネートも最多の9部門でした。4月には英国演劇界で最も注目されるローレンス・オリヴィエ賞も控えており、さらなる受賞も注目されています。

My Neighbour Totoro 第23回WhatsOnStage Awards 受賞一覧
◆Best Direction(最優秀演出賞)- Phelim McDermott(フェリム・マクダーモット)
◆Best Musical Direction/Supervision(最優秀音楽監督賞)- Bruce O‘Neil(ブルース・オーネリ) and Matt Smith(マット・スミス)
◆Best Set Design(最優秀舞台美術賞)- Tom Pye (トム・パイ)and Basil Twist(バジル・ツイスト)
◆Best Lighting Design(最優秀照明デザイン賞)- Jessica Hung Han Yun(ジェシカ・ハン・ハンユン)
◆Best Sound Design(最優秀音響デザイン賞)- Tony Gayle(トニー・ゲイル)

 

メインスタッフと上演データ

エグゼクティブ・プロデューサー:久石譲
原作:宮﨑駿「となりのトトロ」
音楽:久石譲
脚本:トム・モートン=スミス
演出:フェリム・マクダーモット
製作:ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー/日本テレビ

美術:トム・パイ、衣装:中野希美江、照明:ジェシカ・ハン・ハンユン、ムーブメント:山中結莉、舞台にはバジル・ツイストによって創られたパペットが登場。さらに誰もが知る久石譲の音楽をウィル・スチュアートが新たにオーケストレーションし、ライブ演奏の音響デザインをトニー・ゲイルが担当。

会場:ロンドン・バービカン劇場
日程:2022年10月8日(土)~2023年1月21日(日) ※全118回で133,000人を動員(完売)

出典:PR TIMES|舞台「となりのトトロ」英国の演劇賞WhatsOnStage Awardsを席巻!|日本テレビ放送網株式会社のプレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000096921.html

 

 

from My Neighbour Totoro Twitter
https://twitter.com/totoro_show

 

 

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Info. 2023/03/18 「NHKアカデミア」第14回 久石譲 公開収録

Posted on 2023/02/10

「NHKアカデミア(3月18日)」公開収録

誰もがあこがれる各界のトップランナーたちが講師となり“今こそ共有したい”をテーマに語りつくす講座番組「NHKアカデミア」。第14回・久石譲さん(作曲家・指揮者・ピアニスト)のオンライン講座の参加者を募集します。 “Info. 2023/03/18 「NHKアカデミア」第14回 久石譲 公開収録” の続きを読む

Info. 2023/02/18 「久石譲、日本センチュリー交響楽団×九州交響楽団が奏でる 春の祭典 愛知特別公演 in 一宮」開催決定!! 【2/10 update!!】

Posted on 2022/12/26

2023年2月、久石譲指揮 日本センチュリー交響楽団/九州交響楽団 合同演奏によるコンサートが開催されます。すでに発表されている16日福岡公演、17日大阪公演につづいて、このたび18日一宮公演が決定しました。 “Info. 2023/02/18 「久石譲、日本センチュリー交響楽団×九州交響楽団が奏でる 春の祭典 愛知特別公演 in 一宮」開催決定!! 【2/10 update!!】” の続きを読む

Info. 2023/02/03 デヴィッド・ラング新作オペラ『note to a friend』トークイベント 久石譲ゲスト出演 【2/5 update!!】

Posted on 2022/11/24

2023年2月4,5日開催オペラ『note to a friend』です。東京文化会館とジャパン・ソサエティー(ニューヨーク)の共同制作によるもので、来年1月にジャパン・ソサエティーで世界初演した後、2月に東京文化会館で日本初演されます。その作曲・台本を担当しているのはデヴィット・ラングです。このたび久石譲とのゆかりのある作曲家、トークイベントゲスト出演が決定しています。 “Info. 2023/02/03 デヴィッド・ラング新作オペラ『note to a friend』トークイベント 久石譲ゲスト出演 【2/5 update!!】” の続きを読む

Overtone.第89回 モチーフ「アンリリース」

Posted on 2023/01/17

ふらいすとーんです。

Overtone モチーフです。

きれいに考えをまとめること、きれいに書き上げることをゴールとしていない、メモのような雑文です。お題=モチーフとして出発点です。これから先モチーフが展開したり充実した響きとなって開けてくる日がくるといいのですが。

 

モチーフ「アンリリース」

当サイトは、発売されていない楽曲を「*Unreleased」と表記しています。なぜこれにしたんでしょうか?

 

未発表
TV・映画・CM・コンサートなど、発表していないわけではない。公にはなっている。

未作品化
作品になっていないわけではない。発表されている。アルバム=作品の定義もある。

未音源化
一般発売ではない特定の人に届けられる非売品やプレゼント品などもある。音源化されたものが存在する。リスナーが所有しているフィジカル(CD)やデジタル(配信)が存在する。

未CD化
メディアを限定してしまう。DVD・Blu-ray Audioなども存在する。デジタル(配信)のみリリースされる場合もある。…記録媒体という点ではLP・カセットからのデジタル化=CD化も従来ある。ここでは重複混乱するのでデジタル=配信で進めている…

未収録
サウンドトラック未収録楽曲、などという使い方をする。ある作品のなかで使われた楽曲という狭義になる。公にはなっている。

未商品化
Music Videoやライブ映像などがDVD等発売される際、初商品化などと言ったりする。プロモーションやWEB公開されていたものが商品化されるという意味も含む。無形のダウンロードやオンデマンドであっても課金する商品となる。

フィジカル/デジタル
フィジカル(CD・DVD・LP)とデジタル(配信・ダウンロード・サブスク)に分かれる。日本ではサブスクという呼称が主流だが音楽ストリーミングサービスのひとつ。発売パターンや発売順序も複雑化している。

ディスク
CD・DVDはディスク化といえる。LPを円盤としてのディスクに含めるか、記録媒体としてデジタルではないので除外するか、などカテゴライズが煩雑化する。

ソフト
ハードとソフトという区分があり従来はCDソフト・GAMEソフトなどとも言われた。ソフトの定義は各分野で多岐にわたり有形無形の境界線もなくなっている。商品=ソフトと広義になる。最近ではフィジカル(物理メディア)を使用することが多い。

パッケージ
フィジカルやソフトに近いが、形態を表すことがある。複数パッケージ(初回・通常・収録曲・特典・仕様)で発売などある。また有形無形の境界線もむずかしい。デジタル版も複数パッケージのひとつの形態となりうる。

メディア
オーディオメディア(CD・レコード・カセット)となるし、音楽ソフト(CD・レコード・ビデオ等)ともなる。カテゴライズが煩雑化する。

アナログ・LP
レコードのみリリースされる場合もある。またCD化を飛び越えて、デジタルリリース後にアナログ盤として登場するなど複雑化している。世界的にみると音楽ファンの需要と供給はデジタル>レコード>CDとなり日本のみCD優位性がある。

Vinyl
日本ではCDなどのデジタルメディアと区別してアナログレコードと呼ばれている。海外では一般的にVinyl(ビニール)と表記される。アナログやLPでは通じないことも多い。

 

 

発売されたときには……

CD化・DVD化・LP化・アナログ化・アルバム化・円盤化・音盤化・ディスク化・パッケージ化・ソフト化・商品化・音源化・初収録・配信リリース・デジタルリリース・ハイレゾ化 など

 

発売されたときには……

待望のCD化/遂にフィジカル盤が登場/配信限定リリース/初LP化/残す未音源化コンチェルトは…/初商品化されるMV2曲を含めて全…/あの名盤が初ハイレゾ化 など

 

ほんとうは……

図解や表にしたほうがいいくらい、キーワードごとに重なり合う部分がたくさんあります。解釈や使い方もいろいろです。ただし、公式発信(アーティスト・レーベル等)は常に一番適したキーワードを選択していると思うことが多いです。

 

まだまだある……

新しく見つけたら追記するかもです。こんな言葉、こんな言い方、もあると見つけたら教えてください。コンテンツ(音楽・映像・ライブ)を届けるものがメディア(CD・ストリーミング・LIVE配信)です。一番大切なのはコンテンツそのものです。手段や媒体はその次です。うれしいIT社会のなか受け取れる方法や機会は格段に広がっています。文明の変容によって言葉も変容していくのだ、なんて。

 

 

久石譲作品でいうと……

1)『Piano Stories Best ’88-’08』「人生のメリーゴーランド -Piano Solo Ver.-」※未発表音源

”『PIANO STORIES 4』にオーケストラ伴奏のアレンジ版が収録されていたが、ここに聴かれるピアノ・ソロ・ヴァージョンはそれとは別に収録されたもので、本盤が初出となる。”(CDライナーノーツより)

音源としては存在していたが未発表だった楽曲。一般的に音源が存在したか否かリスナーにはわからない。「別バージョンがある」と公言していれば話は変わる。また、初めて公になる音源なのでこの場合の未発表は適している。未収録音源(すでに使われたけど収録されなかった)とはならない。もちろん初収録でもマルになる。どういった経緯をもつ楽曲なのかという特性やアピールにおいて、未発表音源という表現は最適といえる。

 

2)『Ghibli Best Stories ジブリ・ベスト ストーリーズ』「海のおかあさん」*初CD化

”9.海のおかあさん(CD初収録)『崖の上のポニョ』本編では1コーラスしか聴くことの出来なかったオープニング主題歌を、今回初めて2コーラスのフルヴァージョンで収録したもの。”(CDライナーノーツより)

楽曲は1コーラスものがサウンドトラック盤に収録されていて、同じ音源元のフルサイズが初めて収録された。未発表音源とはならない。未収録音源ともならない。もし近年なら初CD化ではなく初音源化のほうが適切にもみえる。この作品はデジタルリリース/サブスク解禁されていない。現時点でも初CD化のままを継続している。

 

 

日本語って難しい……

未発売
一番適切だと判断しました。一般に多くのリスナーが受け取れる(アクセスできる)かたちで発売されていない。

Unreleased
未発売を英語にしたのは、海外の人が見てもアイコンのように意味がわかるからです。日本語で未発売・未音源・未収録とニュアンスを混同してしまう言葉を使用するよりも、Unreleasedなら誰が見ても一発でその意味合いはわかります。一語の結論にここまで思考めぐらせていたなんて…暇ですね。

アンリリース
「その曲は発売されていないよ」「その曲はCDになっていないよ」「その曲はリリースされていないよ」なんて会話で使うこともあると思います。ここらで「その曲はアンリリースだよ」と通称でもいいんじゃないかな、個人的に使っていこうかな、和製英語だけど伝わりますよね。(だってRecomposedもリコンポーズって言うでしょ会話のなか)

 

そんなモチーフでした。

それではまた。

 

reverb.
アンリリースがなくなっていくことが一番うれしい。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Blog. 「音楽の友 2022年12月号」久石譲×ニコ・ミューリー 対談内容

Posted on 2023/01/16

クラシック音楽誌「音楽の友 2022年12月号」(11/18発売)に久石譲×ニコ・ミューリーの対談が掲載されています。

 

 

対談
久石譲×ニコ・ミューリー

共鳴し合う二人が語る”作品が生まれるとき”

取材・文=片桐卓也

久石譲のナビゲートで”現代の音楽”を紹介するコンサート・シリーズ「ミュージック・フューチャー」の第9回公演が10月に東京の紀尾井ホールで開かれ、アメリカから作曲家のニコ・ミューリーと、彼の友人でヴィオラ奏者のナディア・シロタが招かれた。この公演のため来日中のミューリーと久石による対談をお届けする。

 

「ミュージック・フューチャー」ニコ&久石がともに新作を披露

2014年にスタートした〈久石譲プレゼンツ〉による「ミュージック・フューチャー」も2022年の秋、第9回目のコンサートを迎えた。これは「明日のために届けたい音楽」を作曲家・久石譲がナビゲートするコンサート・シリーズで、久石の最新作だけでなく、いま世界の最前線で活躍する作曲家の作品を集め、紹介するというユニークなコンサートである。そのために「Music Future Band」も創設され、気鋭の奏者を集めている。

第9回のコンサートだが、アメリカを中心に活躍するニコ・ミューリー(1981年生まれ)を招き、紀尾井ホールで2日間開催された。両日とも満員の聴衆を集めた。

第9回ではまず久石の「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」が、西江辰郎のエレクトリック・ヴァイオリン・ソロをフィーチャーして演奏された。これは「ミュージック・フューチャー」Vol.2で初演された作品である。その後、ニコ・ミューリー(p)とナディア・シロタ(va)による《Selection from the Drones and Viola》が演奏された。飛行機のエンジン音を聴いたときにそのアイディアを思いついたという作品は、それぞれの楽器が奏でるドローン(長く持続する音)をモティーフにした連作からの2曲を繋げて演奏したものだ。

後半には、今回のコンサートに合わせて久石が書いた《Viola Saga》と、これもニコ・ミューリーの新作《Roots, Pulse》が演奏された。前者は、もちろん今回のゲストであるシロタの演奏を前提に書かれた作品だが、協奏曲的な要素を持つ室内交響曲のようなイメージでもあった。ミューリーの新作はミュージック・フューチャーのアンサンブルのために書かれた作品で、作曲家自身によれば「快活vs抽象的」「前景vs背景」という二つの要素の葛藤のなかでの模索を表現しているという。実際に、一種シンプルなハーモニーの組み合わせが、次第に複雑化し、さらにアンサンブルの楽器それぞれの音色とリズムが溶け合い、さらには分解されて消えて行くというような、シンプルと複雑の間を縫うようなイメージの美しい作品だった。

その翌日、リハーサル前の時間に、久石&ニコの対談が実現したので、今回のコンサートに寄せる想いをうかがった。

 

ミューリー作品がきっかけに生まれた久石作品

ーお二人が知り合ったきっかけを、まず押してください。

久石:
第1回の「ミュージック・フューチャー」を開催するにあたり、現在の世界の音楽家がどんな音楽を書いているのか、膨大なリサーチを行いました。そのときにスコアを見て、とても印象に残ったのがニコ・ミューリーさんの作品《Seeing is Believing》で、それを第1回のコンサートで取り上げました。それは6弦のエレクトリック・ヴァイオリンを使った作品で、近藤薫(東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)が初演してくれたのですが、実は日本にはその楽器がなかったので、アメリカから購入して使ったというエピソードがあります。それ以来、いつかは実際にニコさんと一緒にコンサートができたら嬉しいなという想いがあり、ようやく今回実現したのです。

ミューリー:
僕もほかの多くの音楽関係者と同じで、最初はフィルム・ミュージックの作曲家として久石さんの名前を知っていましたし、その音楽もよく聴いていました。そんなときに、久石さんから僕の作品を日本で演奏したいという連絡があったので、とてもびっくりして、かつ、嬉しかったのを覚えています。

久石:
彼の作品を演奏するためにエレクトリック・ヴァイオリンを購入したので、それを使って作品を書くことにもなりました。それが今回再演した「室内交響曲」ですが、そうした出会いがなかったら、この作品も書かれなかったかもしれないですね。

 

ヴィオラの個性をどう生かすか二人の考えは?

ー今回は、とくにヴィオラのソリストえあるナディア・シロタさんを招き、彼女のための作品を久石さんも書かれたわけですが、彼女とはどんなつながりがあったのですか?

ミューリー:
それは僕が説明しますが、彼女とはジュリアード音楽院時代からの古い、しかもとても親しい友人で、彼女のために数多くの作品を書いています。

久石:
そう、ニコさんの「ヴィオラ協奏曲」は彼女のために書かれた作品ですが、とてもすばらしい作品で、もちろん演奏もすばらしい。ニコさんを呼ぶなら、一緒に彼女も呼びたいとオファーしたのが今回のプロジェクトのスタートでした。

ーヴィオラという楽器はやはり地味な内声楽器という印象がありますが。

久石:
確かにそういうイメージはあるのかもしれませんが、オーケストレーションに気をつければ、ヴァイオリンにもチェロにもない個性を引き出せると思っていました。

ミューリー:
やはりヴィオラの音域が人間の声のそれに近いということは大きな要素だと思います。今回のコンサートでは、久石さんが彼女のために《Viola Saga》という新作を書いたのですが、この作品もそういうヴィオラの特性をよく理解して、非常に繊細に書かれた作品でした。それに久石さんの作品にはよく登場する和声感、それもいろいろな所に感じることができて、とても印象的でした。

久石:
いわゆるヴィオラ協奏曲というよりは、やはり室内アンサンブルとヴィオラのための管弦楽曲というイメージの作品になったと思います。

ミューリー:
久石さんがこのコンサート・シリーズのために組織した「ミュージック・フューチャー・バンド」の演奏もすばらしかったですよね。

ーニコさんの新作《Roots, Pulse》もとても興味深い作品でした。

ミューリー:
タイトルにもいろいろな意味を持たせているのですが、いわゆる基音となる低音=ルーツ、その上に展開されるリズムと色彩の変化というインスピレーションのもとで書かれた作品です。バンドのメンバーが見事に表現してくれました。実は今朝、ホテルのジムで過ごしていたときに、テレビで「芋」についての番組が流れていました。土の中で成長する芋もさまざまな形に曲りくねりますが、この音楽もまた同じように、さまざまに変型するルーツの上に音楽が展開されます。

久石:
おもしろいアイディアに満ちた作品でしたよね。一緒に作品を発表できて、本当によかったと思います。

(音楽の友 2022年12月号より)

 

 

目次

【特集】
●ショパン―その全魅力に迫る 演奏・作品・生涯・食
読者アンケート結果発表!!

【カラー】
●[News]パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマ―フィル コロナ禍を経て、来日決定!
●[連載]小林愛実ストーリー(5) 巻頭特別編(小林愛実/高坂はる香)
●[Report]トリトン晴れた海のオーケストラ&小林愛実(p)(越懸澤麻衣)
●[Interview]マリア・ジョアン・ピリス(p)― ふたたび日本のステージへ!(伊熊よし子)
●[Interview]アンネ=ゾフィー・ムター(vn)&パブロ・フェランデス(vc)― 愉悦の共演(中村真人)
●[Report]ロンドン交響楽団― サイモン・ラトルが音楽監督任期中、最後の来日(奥田佳道/池田卓夫/萩谷由喜子/山田治生)
●[Report]クラウス・マケラ&パリ管弦楽団― 世界を席巻する色彩の宝玉(那須田 務/長谷川京介)
●[Report]リセット・オロペサ(S)&ルカ・サルシ(Br) 世界屈指の絶唱に酔う(岸 純信)
●[Report]クリストフ・プレガルディエン(T) シューベルト「三大歌曲」を歌う(岸 純信/伊藤制子/那須田 務)
●[Report]新国立劇場《ジュリオ・チェーザレ》― 欧州で好評のプロダクションをもとに新制作(萩谷由喜子)
●[Report]神奈川県民ホール《浜辺のアインシュタイン》― 国内初の新制作上演(渡辺 和)
●[連載]わが友ブラームス(12)(最終回) ゲスト:坂入健司郎(指揮)(越懸澤麻衣)
●[連載]山田和樹「指揮者のココロ得」(7)(山田和樹)
●[連載]楽団長フロシャウアーかく語りき
●[連載]ショパンの窓から(19) ― ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド(川口成彦)
●[連載]宮田 大 Dai-alogue~音楽を語ろう(7) ゲスト:植松伸夫(作曲家)(山崎浩太郎)
●[連載]和音の本音(28)― ラヴェルとみる夢I(清水和音/青澤隆明)
●[連載]マリアージュなこの1本~お酒と音楽の美味しいおはなし

【対談】
●久石 譲×ニコ・ミューリー~共鳴し合う二人が語る”作品が生まれるとき”(片桐卓也)

【News】
●ヨーヨー・マ(vc)「ビルギット・ニルソン賞2022」受賞(後藤菜穂子)

【特別記事】
●[Report]東京フィル《ファルスタッフ》
●[Interview & Report] アンサンブル・ウィーン=ベルリン―伝統ある木管五重奏団が来日(高山直也)
●[Report]辻井伸行(p)×三浦文彰(vn)による「ARKクラシックス2022」
●[Report]百花繚乱の響き―弦楽四重奏団コンサートレポート(渡辺和彦)
●追悼 一柳 慧(柿沼敏江/成田達輝/池田卓夫)
●[座談会] 明日の巨匠は誰だ」プレ座談会(小倉多美子)
●[Interview]千住真理子(vn)
●[Report]第91回日本音楽コンクール~全国から新進演奏家が集結(梅津時比古)
●[Interview]野平一郎(p・作曲)
【連載】
●池辺晋一郎エッセイ 先人の影を踏みなおす(33)水上 勉(1)(池辺晋一郎)
…ほか

【People】

【Reviews & Reports】

【Rondo】

【News & Information】

【表紙の人】
小林愛実(ピアニスト)(c)ヒダキトモコ

【別冊付録】
●コンサート・ガイド&チケット・インフォメーション
観どころ聴きどころ
(戸部 亮&室田尚子)

【特別付録】
Music Calendar 2023「はばたく日本の若手アーティスト」

 

 

 

 

 

Info. 2023/01/13 ロンドンで上演中の舞台版『となりのトトロ』最多9部門ノミネートの反響 鑑賞した人の“生の声”(ORICON NEWSより)

Posted on 2023/01/13

ロンドンで上演中の舞台版『となりのトトロ』最多9部門ノミネートの反響 鑑賞した人の“生の声”

 昨年10月8日より、イギリス・ロンドンのバービカン劇場で上演中の舞台『My Neighbour Totoro(となりのトトロ)』。今月21日の千秋楽までチケット完売の盛況ぶりだ。さらに、イギリスの舞台作品・産業を讃える「第23回WhatsOnStage Awards」では、最多9部門にノミネートされており、イギリスで今一番“アツい”舞台作品になっている。一体、どんな人がチケットを買い、どのような感想を抱いているのか。終演後、劇場から出てきた観客にインタビューを敢行した。 “Info. 2023/01/13 ロンドンで上演中の舞台版『となりのトトロ』最多9部門ノミネートの反響 鑑賞した人の“生の声”(ORICON NEWSより)” の続きを読む