Blog. 「月刊ピアノ 2006年10月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2018/11/27

ピアノ楽譜付きマガジン「月刊ピアノ 2006年10月号」に掲載された久石譲インタビューです。

オリジナル・ソロアルバム『Asian X.T.C』の発表、活発となったアジア映画音楽の仕事、アルバムを引き下げての国内ツアーに、アジア五都市でのオーケストラ・ツアーです。

 

 

Pianist interview

久石譲

最新CDはアジアをテーマに、秋にはコンサート・ツアーで全国をまわる

次はアジアでいこう、という方向に風が吹いてきた

つねに新しい”何か”をテーマにかかげ、独自の音楽、そして映画を彩る音楽を次々と作り続けてきた久石が、今回、形にしたものは”アジア”。韓国の大ヒット映画『トンマッコルへようこそ』をはじめ、中国、韓国映画の音楽を数多く手掛けたこともきっかけとなり、彼は、自分の原点を探ることにベクトルを向けたのだった。

 

Depapepe、いいでしょう? 音楽に年齢は関係ないからね

-アジアをテーマにしたアルバムを作ろうという考えはいつごろからあったんですか?

久石:
「たとえば、トトロの中の『風のとおり道』だってそうだし、いま流れている伊右衛門のCM曲だってそうだし、アジア的なものをモダンな視点で作る、というコンセプトはずっとあるんです。今回は、もっとコアなところで、自分のなかのアジア的なものをきちんと確認して、それをアルバムとして表現しようと思ったんですよ。ここ数年、韓国映画や中国映画の音楽をやる機会が続いて、漠然と、次はアジアだなって決めていたところもあったし、そういう時期がきたな、という」

-自分のなかのアジア的なものを確認する、というのは具体的には?

久石:
「音楽をやっていると、目がどうしてもヨーロッパやアメリカに向いてしまって、そっち経由で見ちゃうところがあるんですよ。ピアノだって西洋楽器なわけだからね。そういう意味でいうと、アジアというのは近いのに最も遠い国、という感じなんです。でもぼくはアジアの一員で、自分自身を確認するうえでも、音楽的に自分がアジア人として何ができるのかをすごく考えたんですよね」

-確かにアジア的なサウンドですが、いままでの久石さんの世界から大きく逸脱した印象はありませんね。

久石:
「中国とか東南アジアの楽器を使えばアジア的になるかっていったら、そういうものでもなくて、結果的に使うのはいいんだけど、元々、音楽のコンセプト自体が西洋っぽいところに、そういう楽器を使ったからって、アジアにはならないんですよ。自分のなかのアジアを確認するということは、まずぼくの音楽の原点を考える、ということだったんです。そうしたら、ミニマルミュージックをもう1回作品として取り組みたいという強い意識が出てきたんですよ。学生時代はフィリップ・グラスやマイケル・ナイマン、スティーヴ・ライヒなんかを追いかけていたわけですけど、それをそのままやるわけじゃない。ミニマルが自分のアイデンティティを通ったときに、イギリス人でもアメリカ人でもない、アジア人が作ったミニマルになるわけですよね。それをいま、きちんとやるべきだと思ったわけです」

-韓国の大ヒット映画『トンマッコルへようこそ』(日本では10月公開)のテーマ曲がニューアレンジで収録されていますが、Depapepeのギターサウンドが新鮮でした。

久石:
「いいでしょう? たまたま、ぼくが通っているジムの受付の女性にDepapepeっていいですよ、って言われてね。でも、知らなかったんだよ、そのとき。で、すぐにCDを聴いてみたら、本当によくて。なんか一緒にやりたいなあと思ったんですよね。ぼくと彼らと3人だけで、どんなふうになるのかなと思ったんだけど(笑)すごくいい感じだった」

-きっと、ふたりは緊張したでしょうね。いきなり久石さんからのオファーで。

久石:
「音楽に年齢は関係ないからね。もし自分を中途半端に巨匠だなんて思ってるようなところがあったらできなかったかもしれないけど、そんなこと思ったらそこで終わっちゃう。ぼくは新しい出会いを大事にしたいし、彼らもすごく伸び伸び演奏してくれて、和気あいあいとやれましたよ」

-ワールドワイドになっていく活動のなかで、久石さんのフットワークはどんどん軽く、自由になっているように感じます。

久石:
「変なこだわりがなくなってるのかもしれないですね。自由になるためにはチャレンジしていくしかないし。やりたい、と思ったことも多少実績を積んできたことで、前よりも実現しやすくなってるのも確かだし」

-年末にはテーマの仕上げとしてアジア五都市でのツアーもありますが、その前の国内のツアーはどんな内容になるんですか。

久石:
「今回はバラネスクカルテットと一緒にやります。彼らとは6、7年前にも一緒にやったんですけど、そのとき、とてもいろいろなことを勉強したんですよ。演奏に関して。彼らはぼくが考えうる現代的なカルテットのなかではナンバーワンなんです。ロック、ポップスのようなリズム感から、クラシカルな実力も全部あわせ持ってる。自分が求めている音楽を最も表現できる弦楽四重奏団ですね」

-その直後はアジア五都市で、しかも各地のオーケストラと共演するそうですね。

久石:
「台北で始まって、北京、香港、上海、年明けはソウル。去年からやってきたアジアというテーマの仕上げとして、アジア各地でやりたいという気持ちは強くあって、あといろんなオーケストラとやることで、文化の交流ができればいいなと……なんて言っちゃうと大げさだけど、ダイレクトに、自分の音楽を、ぼくの指揮で彼らがどう演奏するか、どういう反応がくるのかすごく楽しみなんです。アジアといっても、各国全然違いますからね。そんな多様なアジアの魅力を存分に楽しみたいと思っています」

(月刊ピアノ 2006年10月号 より)

 

 

 

 

久石譲 『 Asian X.T.C.』

 

 

Blog. 「週刊ポスト 2006年9月22日号」著書『感動をつくれますか?』 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/11/26

雑誌「週刊ポスト 2006年9月22日号」に掲載された久石譲インタビューです。久石譲著書『感動をつくれますか?』発売にあわせての内容です。

 

 

ポスト・ブック・レビュー
著者に訊け!

久石譲

即物的なテレビや携帯が隆盛を極め、「感じる心」を失った日本人への伝言

音楽・久石譲──。そのクレジットを映画のオープニングやCM画面で目にするたびに、こういうトクベツな人間のもとには何もせずとも音楽が天から舞いおりるのだろうと、私たちはその奇蹟に易々と嫉妬しがちである。だが果たして、現実はどうなのか。『もののけ姫』『ハウルの動く城』といった一連のジブリ作品や北野武作品、CM『伊右衛門』『いち髪』などいまやトップブランドの趣さえある久石譲氏の音楽。その創造の現場を詳(つまび)らかにしたのが、本書『感動をつくれますか?』である。

結論から言えば、奇蹟は奇蹟的に、直感は直感的に、感動は感動的に、ただただもたらされるものではなかった。感動を”つくる”という、まさに死にもの狂いの工程が本書には言葉を尽くして綴られ、とかく曖昧にされがちな感性や直感の正体にも真正面から迫る。

いわく〈モノづくりは感性に頼らない!〉──創造し続ける人間にしか語れない言葉が、ここにはある。

 

 

〈ものをつくる姿勢には、二つの道がある〉〈一つは、自分の思いを主体にして、つくりたいものをつくる生き方〉〈もう一つの在り方は、自分を社会の一員として位置付けてものづくりをしていく在り方〉とある。そして作曲家・久石譲のスタンスは、意外にも後者だと。

 

「作曲家というのは、もちろん自分の頭の中で曲を作るんですが、その曲を第三者が聞き、共有して、初めて完結する世界ですから、そもそもが社会的な存在だと僕は思っている。

だからと言って、できるだけ沢山の人に聞いてもらうことが”正義”なのかというと、これがまた違うわけですね。自分がつくりたいものと社会的需要の間で常に揺れながら、どこまで独創的なものをつくれるかに心を砕く。その行為自体が社会的ですし、それ以前に誰しも生活している時間の8割5分は人間関係に悩み、社会での役割に悩むもの。僕ら音楽家だっていろいろあるんですよ(笑)。

そんな社会の一員である自分を受け入れることは、しかし何ら自分を損なうことにはならないと僕は思うんですね。それは曲をつくる人間であろうと工業製品をつくる人間であろうと、たぶん変わりはない」

 

『第一章 「感性」と向き合う』、そして『第二章 直感力を磨く』では、〈より完成度の高い”良い音楽”を書く〉ために、久石氏が自らに課す心得が披露される。

まず作曲家として最もプライオリティを置いているのは〈とにかく曲を書きつづけること〉。ハイレベルの力を継続的に発揮してこそ一流であり、そのためには〈その時々の自分の気持ちに依存しないことだ〉〈気分は感性の主軸ではない〉。

また気分に煩わされないよう、環境も徹底して整える。生活に一定のペースを保ち、食事や睡眠も、空腹でなかろうと眠くなかろうと定時にとる……あたかも長距離走者のように創造というゴールに向かって坦々と過ごす日々が綴られる。

 

「そうは言っても僕も誘惑には思い切り弱い人間なんで、遊びの誘いにはとりあえず乗る。そしてもう帰らないとやばいなと思いつつ飲んで、翌日反省する……スタティックにやってたら人間死んじゃうよ(笑)。それでも、いい音楽を書きたいという芯だけはブレない。そもそも規則的な生活にしても何にしても、すべてはいい音楽を書くための方策なわけで、あらゆる行動や選択の基準をこれと決めているから、逆に楽なのかもしれないですね。だいたい人間が本当に創造力を発揮できるのは1日2時間が限度だと思う。むしろ集中力を失った状態で仕事にしがみつくほうが危険で、自分が凄いものをつくっているような気になったり、主観に走りがち。主観だけでも、客観だけでも、いいものはつくれませんから」

 

〈日本人は、漠然としたイメージだけで「感性」という言葉を大事にしすぎている〉と語る久石氏によれば、感性と呼ばれるものの95%は、その人の知識や体験を土台にしたあくまでも論理的な思考。残る5%が感覚的な閃き、直感で、〈これこそが”創造力の肝”だ〉。

だからその直感はただ待っていれば降って湧くものではなく、論理の限界を自覚しながらも論理を重ね、あらゆる作為が意識から削ぎ落とされた地点に到達してようやく、〈頭で考えていたものを凌駕するものが生まれてくる〉。そのためには感覚的な自分も、論理的な自分も〈すべてひっくるめたカオス状態の中で向き合っていくこと〉……。久石氏が〈迷路の中で音を見つける悦び、これは音楽家として最高の悦びといってもいい〉と書くとき、その興奮と歓喜は読む者にも手に取るように伝わってくる。

 

「悲しい場面に悲しい曲」の薄っぺら

さて本書には昨今の感動をめぐる風景への戸惑いも微かににじむ。

とりわけ若年層における〈感じる心〉の鈍化は〈今日的な緊急課題になっている〉と久石氏は書き、〈感じる心が希薄であれば(中略)どんな事実もその人の頭と心を素通りしていくだけだ。それはすなわち無知となる〉と。

 

「感動が薄っぺらで底の浅いものになりつつあるのは事実でしょうね。例えばポップス系のライブに行くと観客は1曲目から総立ちで”感動”している。あればその場にいる自分に感動しているだけなんだろうな。

音楽でも映画でも、ある表現に重層的にこめられたものを汲み取ることをして初めて、熱くて深い本物の感動はあると僕は思う。でも今はテレビにしても常時テロップを流して、考えずとも情報が全部伝わるようにつくってあるし、携帯のような便利なツールがあることで、逆に人と関わるという本来圧倒的な経験からも感動が薄れてきている」

 

その果てに広がるのは、想像力を働かせるべき奥行きをなくした単純な世界。悲しい場面に悲しい曲が求められ、自分で考え、感じなければわからないものは、排除される一方だと。

 

「ある美術大学の教授が、19世紀には絵画に出会って人生が変わった人間が大勢いた、しかし20世紀に入って美術は社会的影響力を失い、21世紀はもはや絶望的、音楽はまだいいですね、と嘆いていた。でも音楽にしても、あるいは映画にしても、昨今の状況を見れば、こちらの感動も結構怪しくなっている気がする。

この、説明されないものを読み取り、感じ取る力の低下は、もしかすると日本が抱えている相当大きな問題で、一見大ごとに見えないのがかえって恐いよね。そして音楽はそれでは困るんです。想像力がなければひもとけない世界に生きることを誇りに思う僕としては、何とかしなければと」

 

だからというわけではないが、ここ数年、久石氏の感性は「アジアの風」をとらえているのだという。

 

「10月に出るアルバム『Asian X.T.C.』のテーマもそうなんですが、陰と陽なり、神と悪魔なり相反するものを両立させてしまうアジア的世界観が、僕の中ではとても大事なものになっていて……。信ぜよ、さらば救われんというキリスト教的価値観とは対照的に、南無阿弥陀仏と唱えていれば救われるとする懐の深さが、こんな時代にこそ必要なのかもしれない。

善悪や損得というった二元論で物ごとを決めつけず、混沌(カオス)の中にもどこか規律のあるアジアのよさ、ある種の官能性になぜ惹かれるのかと言えば、僕自身が常に混沌の中でのたうちまわっているからかもね(笑)。でもそうでなければ重層的で奥行きのある、つまり本当の感動に値する音楽などつくれない。表層的、即物的な情報を処理するだけの人生なんて淋しすぎます」

 

羞恥心さえ自在に操り、自分を開け放てるのも、ひたすら音楽のため。そういう仕事には人格すら宿るのだと教えられる、すべての仕事人のための実用書である。

構成/橋本紀子

 

 

”アジアの風”を感じる
久石氏が「感動」した一冊

『シッダールタ』 ヘルマン・ヘッセ著 岡田朝雄訳 草思社

ヘッセ後期の傑作を新訳。最上位階層バラモンの恵まれた境遇を捨て、苦行の旅に出た美青年・シッダールタ。あらゆる欲を、知への渇きさえも憎んだはずの彼が〈世界をあるがままにまかせ、それを愛し、この世界と進んで密接に結ばれるようになることを学〉ぶまでの魂の彷徨。

「シッダールタとは仏陀の幼名。でもドイツ人のヘッセは仏陀とは別人のシッダールタの物語を描くことで、仏教でもキリスト教でもない新たな価値観を創出する。さすがノーベル賞作家です」(久石氏)

 

(週刊ポスト 2006年9月22日号 より)

 

 

 

 

 

Blog. 「月刊ピアノ 2001年7月号」映画『Quartet』 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2018/11/25

音楽雑誌「月刊ピアノ 2001年7月号」に掲載された久石譲インタビューです。

初監督作品となった映画『Quartet カルテット』についてたっぷり語っています。

 

 

初監督作品は、まず初めに音楽ありき、の純音楽映画

音楽は僕をけっして幸せにはしない。こんなに苦しんでるのだから

宮崎駿、北野武ら名監督の作品の音楽を手がけてきた久石譲が、音楽映画『カルテット』を初監督。音楽ってそれほどのものですか。『カルテット』では何よりこの台詞をいわせたかったのだという。すでに2作目の監督作品も撮り終えたところだという彼に、初監督に挑んだワケを聞いてみた。

 

音楽とドラマが密にからんだ、ほんとうの”音楽映画”を撮りたかった

-初監督ですね。とてもおもしろい撮り方をなさったそうですね。スタッフたちは、ふつうなら脚本を持つところを、譜面を手にして撮影に臨んでいたとか。

久石:
「ふつうはいい絵をつないで、あとで音楽を作りますよね。ところが、『カルテット』は音楽を先に作ったから、時間軸がまず固定されちゃう。つまりMTVというか、ああいうビデオクリップと同じ作り。まず音楽があって、それに対して必要な映像を撮るというやり方なんです。譜面をもとにこの小節ではこっちの角度から撮って、こっちはアップとかっていうのを事前に作っておかないといけなかった」

-作曲しながら、同時に映像も考えていったんですか。

久石:
「それは、脚本の段階で見えてました。自分の原作の話だし、共同ですけど、同時に脚本も書いてましたから、脚本を書く段階でどういう映像にするかというのは、当然考えてますよね」

-それに合わせて、作曲したわけですね。

久石:
「そうですね。音楽が台詞代わりみたいなところがすごく多いから」

-やっぱりそうですか。

久石:
「クライマックスなんかでも、台詞はほとんどなくて、演奏していたり走ったりしてるだけというのが多いから。音楽が、台詞となって語ってなきゃいけない。その辺は大事にしました」

-演奏シーンは全体のどのぐらいを占めてるんですか。

久石:
「う~ん。4、50分くらいかな」

-4分の1から3分の1くらいですか。

久石:
「そうなると思いますね。日本で音楽映画って実はないんですよ。『ここに泉あり』っていう、経営危機に陥った群馬交響楽団が再生するまでを描いた映画がありましたけど、それ以外はあんまりないんです。海外には『シャイン』だったり『ミュージック・オブ・ハート』『海の上のピアニスト』『シャンドライの恋』『ブラス!』とかたくさんあります。でも、たしかにいっぱい音楽を演奏してるけど、シチュエーションにしか音楽がなってないんですよね。主人公が音楽家である証明にしかなってない。音楽がドラマとからんでクライマックスに向かっていくっていうのがないんですよ」

-音楽映画とはいわれているけど、実はそうではない?

久石:
「と、僕には思えてしまうんですよ。音楽家が主人公だから音楽映画になってるんだけど、音楽が主役になってるかどうかっていったら、あんまりなってない気がする。その辺を、僕はもっとやりたかった」

-具体的にはどんなふうに、音楽がストーリーとからんでいるんですか。

久石:
「メインテーマに相当する楽曲が、主人公のお父さんが作った曲という設定で、最後にコンクールを受けるときに、その楽曲で受けるわけですね。お父さんは優秀なコンサートマスターで、ソリストだったんです。それがある日、オーケストラを辞めて売れない弦楽四重奏団を始めたことで、家庭は窮乏、お母さんは家を出てしまって、家庭崩壊。主人公は、父親に対する恨みと、イコール音楽に対する恨みみたいなものとを両方抱えちゃってるという設定で、物語は始まるんです。それが最後に、父が残した弦楽四重奏を演奏することで、ある意味で父親を受け入れていく、と。その主人公の心理の変化の過程が、音楽をやっていく過程でわかっていくっていうかね。その辺がちゃんと出ればいいな、と」

-40曲くらい作られたとうかがってますが?

久石:
「演奏するシーンはそのくらいありますけど、同じ曲をリハーサル・シーンで繰り返しやりますから。それがいろんな音楽だったら、通常の音楽映画になってしまうでしょう。何のためにそこで音楽を演奏するのかといったら、単に音楽家だからじゃなくて、このドラマに即してリハーサルをしているわけですから。コンクールを受けるためのリハーサルだったら、いろんな曲をやったらヘンですよね。だから、実は、音楽映画としては音楽がすごく少ないんですよ」

-たしかにそんなに必要ないですよね。

久石:
「あともうひとつ、本当のことを言うと、時間がなかった(笑)」

-『カルテット』は久石さんご自身の物語でもあるとコメントなさってますが、そうなんですか。

久石:
「ストーリーは自分とはそう関係ないんですけども、僕にとってのリアルという面でね。たとえば、大学のシーンをどこで撮ろうかと、いろんな大学を見せてもらったんですけど、結局、自分が出た大学、国立音大しかない、と。キャンパスの真ん中にはやっぱり噴水(笑)。あったほうがいいんじゃなくて、なきゃいけない。庭ではラッパを練習していないと。ピャラララ、ピャラララとかってやっててくれないとダメなんです(笑)。監督というのはみんなどこかで虚構をやってるから、ウソっぽくなることをすごく恐れるんですね。そこでいちばんリアルなのは、自分の体験なんですよ」

-父親という存在を取り上げたのは、どうしてですか。

久石:
「父親をひとつのテーマにやりたいというのは、最後までこだわった部分ですよね。17歳の犯罪とか、少年事件が多発してますよね。報道を見ていると、彼らには父親の顔が見えないんですよ。事件に対応しているのは母親ばかりで。本来、ロックミュージシャンがね、なぜロックをやるかというと、父親の存在を乗り越えるためだったんですよ。つまり、いちばん身近な社会が父親だった。ところが、いまは父親がいない。いったいいつから日本はこんなになっちゃったのかなって。失われた父親ってやつをやってみたかった。やる必要がある、と」

-なるほど。久石さんは、音楽についても、「社会を反映できない曲を書きだしたらおしまいだ」ということをおっしゃってますよね。でも、音楽という抽象的なものに、社会をこめるってすごく難しいと思うんですけど。

久石:
「それはね、とっても深い問題で。僕はアーティストじゃないんですよ。芸術家じゃない。芸術家っていうのは自分を掘り下げていって、自分のことを表現できればOKなんですよ。僕がいまいるフィールドは一応ポップスフィールドなんですね。ということは、極端なことをいうと、売れてなんぼ、人に聞いてもらってなんぼ、という世界なわけですよ。一般の人たちが求めるニーズに無関係であってはならない。かといってニーズに迎合してもいけないんですよ。その辺のバランスがね……。時代の音ってありますね。それを、どこか自分のフォーカスのなかにちゃんと入れておかないと、いつのまにか孤立するだけになってしまう。たとえば、いま、ヒーリングが流行ってます。僕は癒し系って大嫌いなんですけど、でも、みんなが疲れてることは事実。だったら、エキセントリックではない音楽を聴きたいなというのが、ひとつの事実としてあるわけですよね。その部分はちゃんとつかまえておかないといけない」

 

音楽に対するコンプレックスが僕を走らせる

7月にスタートする福島県のうつくしま未来博・ナイトファンタジアの総合プロデュースと演出も担当なさって、そこでも映画を撮ってらっしゃるそうですね。2本目の監督作品ということになりますよね。

久石:
「『4 MOVEMENT』というんですけど、これは1本目の反省から、最新テクノロジーを駆使する方法でやってるんですよ。やっぱり100パーセント満足することって、ないじゃないですか。『カルテット』を撮りおえたあとも、あのシーン、なんでもうひとつ顔のアップを撮っておかなかったんだとか、そんなことばかり考えてたら、もう1本撮りたくなっちゃんたんですよね。『4 MOVEMENT』はね、すごくいい映像が何カットか撮れてるんです」

-何カットか、ですか。

久石:
「あっ、そういうこと言っちゃいけないか(笑)。でも、実はこれが映画のピンポイントなんですよ。北野監督もみんなおっしゃるんですけど、このシーンを撮りたくてストーリーを作ったということはあるんです。それが5つか6つ、その監督が命がけで、どうしてもこれを撮りたかったというシーンを持っている映画は、すべていい映画ですよ」

-そういうシーンのときには、音楽の音量は控えたりするんですか。

久石:
「音楽はないほうがいいくらいですよ(笑)」

-『カルテット』でいうと、どんなシーンですか。

久石:
「主人公が、お父さんが家を崩壊させてまでカルテットに打ち込んだことに対して、「音楽ってそれほどのもんですか」っていうシーンがあるんですよ。観ていると、すっと流れちゃう場面かもしれないけど、音楽家である僕が監督しながら、この台詞をいわせるっていうのは、すごく重いんですよね」

-久石さんのなかでそういう思いが?

久石:
「あります、正直いえば。こんなに全部を犠牲にして…。たとえば、この2日間すさまじい指揮をしました。その前は籠もりきりで一日10数時間、譜面を書いてます。そのまた前は、2ヵ月間籠もってレコーディング。1年間、ピアノにさわってないのに、ピアノをダビングするなんてことまで起きてくる。まったくよくやってますよね。何のためにやってるんだろうって、ふと思うことがあるんです。「音楽ってそれほどのもんですか」。この台詞をいわせるために、僕はこの映画を撮ったんじゃないかという気がしてます」

-いろんなものを犠牲にしてる、というかんじがあるんですか。

久石:
「もちろん、根底には、好きだからやってるというのがあります。ともかく、好きだからやってる。でも、音楽は僕個人をけっして幸せにはしてないんです。音楽のためにこんなに苦しんでるんだから。自分では、あんまり幸せな人生じゃないなってかんじはしてますよね」

-それでも、今回の初監督にしてもそうですけど、つねに新しい場所に向かって前進させてますよね。

久石:
「それはね、簡単なんです。音楽に対してコンプレックスがあるから」

-というと?

久石:
「つまり、僕よりうまいピアニストって山ほどいるし、僕よりもちゃんとスコアが書ける作曲家もいっぱいいるわけじゃないですか。いま、作ってる音楽にしても、いい部分もあるけど、こうやったほうがよかったかなっていう思いは、絶えずあるわけですよ」

-そういう意味でのコンプレックスですか。

久石:
「現実にも、もうちょっと早い曲を書けるんじゃないかとか、いろんなことを考えます。それを克服するためにやってるようなところがありますよね。どこかの落語家がいってましたけど、ふたつの道があって、険しい道といままでのやり方に近い道があると、必ず自分は険しい道を選んできたって。そういうわりにはその人たいした落語はやってないんですけどね(笑)。それと同じようなもので、安全なラインを狙わないようにはいつも心がけるんです。そうすると、ドキドキするじゃないですか。うまくいくかわからないから。だから、真剣になるでしょ」

-つまり、自分で自分を追い込んでいくわけですね。

久石:
「そういうことだと思いますよ。たとえば、『BROTHER』の作曲のとき、『ソナチネ』『HANA-BI』のラインを踏襲すれば問題なかったんですけど、あえて北野さんがあまり好きではないブラスの音を全面に押し出して、わりと硬質な響きにもっていった。これで説得したい、と思ったんです。そうなると、もう息が抜けませんよ」

-説得するには、それだけ構築させてないとできないですものね。

久石:
「そういうところで、自分を追い込んでいくんですよね」

-次はどこを見てらっしゃいますか。

久石:
「次は、秋のツアーに向けて、どうやってピアニストに戻れるか、去年はずっと映画を撮ってましたし、フランス映画の音楽もやったりで、実はあんまりピアノをさらってないんですよ。でも、秋は期待してていいですよ。久しぶりにフル・オーケストラとやりますから。頑張らなきゃと思ってます」

(月刊ピアノ 2001年7月号 より)

 

 

誌面写真下コメントより

「すごい名手が4人集まったからといって、弦楽四重奏はいい音を出せるわけじゃない。4人それぞれが個性的でありながら、どこかで自分を殺しつつ作りあげていったときに、はじめて音楽になる」

(月刊ピアノ 2001年7月号 より)

 

 

 

QUARTET カルテット

 

久石譲 『カルテット DVD』

 

 

 

Blog. 「LATINA ラティーナ 2018年1月号」 久石譲×三浦一馬 対談内容

Posted on 2018/11/01

世界の音楽情報誌「LATINA ラティーナ 2018年1月号」に掲載された久石譲と三浦一馬の対談です。

2017年「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.4」コンサートで初共演を果たしたコラボレーション。久石譲がバンドネオンのために書き下ろした新作『室内交響曲第2番《The Black Fireworks》〜バンドネオンと室内オーケストラのための〜』について。共演のきっかけや、作品コンセプトや演奏に際して。久石譲が狙ったものと三浦一馬が挑戦したもの。バンドネオンという楽器の奥深さについてもわかりやすく理解が深まります。充実のロング対談になっています。

 

 

久石譲×三浦一馬が探求するバンドネオンの新しい可能性

文:小沼純一

去る10月24日~25日、バンドネオン奏者・三浦一馬は、久石譲の新作を初演した。「MUSIC FUTURE」は、久石譲が2014年から、この列島ではほとんどコンサートで演奏されていない現代作品を積極的にとりあげているシリーズ。デヴィッド・ラング、ガブリエル・プロコフィエフらの作品によるプログラムの最後をこのバンドネオン・コンチェルト《The Black Fireworks》が締めくくる。

ソリストとしてアンサンブルの前に立つ、というよりは、アンサンブルの一員のようにして席につき、淡々と、しかしとても集中し、熱をこめながら演奏する三浦一馬。

はたして作曲家と演奏家はどのようにしてこの作品を生みだすことになったのか──。

 

-お二人が一緒にやるきっかけから教えてください。

久石:
去年、2016年「MUSIC FUTURE Vol.3」に三浦くんが聴きに来てくれたんです。終演後、楽屋で会ったのですが、バンドネオンの譜面などを持ってきてくれて。そのとき、もう瞬間的に、来年はバンドネオンだって──アイデアは何もないんですけど、バンドネオンでミニマル・ミュージックは誰もやってないな、面白いかもとひらめいた。それがきっかけですね。

三浦:
「MUSIC FUTURE」、音楽の世界で生きている中で最先端な部分を見ることができるコンサートだと思っていました。初めてお会いして、ご挨拶させていただいた時、「ねぇ、バンドネオンの曲を書いていい?」ってその場で仰ってくださって、嬉しかったと同時に、本当かなぁとも思ったわけで(笑)。まさかこんな急展開で作品を書いていただき、本当にすごい感激しています。

久石:
何度かバンドネオンを使った曲は、映画などいろんなところで書いてはきてるんです。「Tango X.T.C.(タンゴ・エクスタシー)」という曲を書いた時からこだわるようになったし、楽器への思い入れもつよく持っていた。あと、なんて言ったらいいんだろう、呼吸かな。アコーディオンにはでない独特の呼吸感みたいな。それがすごく好きだったんですね。人間的な…やはりフレーズが独特なんです。蛇腹を返す時にも情感が出るので、弓やボーイングを返すのよりも、もっとはっきり出るんですよね。人間が歌っている感じがすごくある。歌かなぁみたいな。それがやっぱり一番面白いなと思いますね。

三浦:
今回作曲された作品でなら、第二楽章「Passing Away in the Sky」で、ここがすごく人間っぽくって仰ったところがありました。具体的にバンドネオンという楽器に対して、あるいは音色に対して、今おっしゃっていただいたことをすごく象徴的に語って下さったなと、僕はお話をうかがっていて、思いましたね。

久石:
ありがとうございます。二楽章は大変だったようね(笑)。

三浦:
今まで色んな曲を弾いてきて、大変なものもたしかにありました。こういうものが来たらこうしよう、というのが自分なりに持っていました。でもマエストロの楽譜を見せていただいたとき、なんだこれは!って。悪い意味じゃないです、はじめて見る楽譜だったんです。もちろん音符は普通ですが、バンドネオンでは見たことがないものだった。今まで自分が音楽に対してアプローチしてきたメソッドとは全く違うプロセスと思考回路で、向き合わないといけない。これはバンドネオンにとって、また僕自身にとっても新しい。正直難しかったです(笑)。けれども、僕にとっては刺激に溢れる挑戦でもあり、心地よい良い緊張感でした。

久石:
譜面を渡してから二、三日後に一度電話でどうですか? と話をしたんですよ。書きたい音を書いてしまったから、弾けないところがあったりするかもしれないので、その辺はどんどん言ってくださいねと言ったんですけど、三浦くんは何も注文付けないんですよ。そういう時に細かくごちゃごちゃ言わない人間って素晴らしいですよね。

三浦:
僕としてはもうごちゃごちゃなんてもうそんな……。作曲家が書いた音は、何が何でも、無理でも何でもやるっていうスタンスでいますから。あとはこっちがどこまでそにの近づけられるか、高められるかっていうことなんで……。

久石:
コントラバス・コンチェルトやエレクトリック・ヴァイオリンなどのソロ楽器を持つ曲を書くときは、いつも楽器を買うんですよ。コントラバスのときも買って、響きを体感するために毎日作曲の前に15分くらい弾いていましたね。だから今回もバンドネオンを買おうとしたけど、売ってないんです!もう作ってないですし。それで三浦くんに相談したら、お持ちの楽器の中の一つを貸していただくことになって。それを毎日弾いてたんですけどね、弾いたって言ってもまあ、びっくりしました。こうやって引っ張ってレ~って鳴ってるのに、押したらミになっちゃうんだよ!違うんだよね。往復で違うんだ音!みたいな! キーの配列もまるで規則性がない。これじゃ覚えられない……。でも逆に、このバンドネオンだからこそ(配列のおかげで)音の跳躍ができるというのがわかってきた。裏技を使えばなんとかなるんじゃないかみたいな。ということがあって、あとは信頼して書くしかなかった。

三浦:
跳躍って意味で言ったら、もうまさにバンドネオン以外の何物でもないですね。マエストロは、弾くレベルじゃないと仰いましたけど、それでも楽器に向き合ってくださったのが貴重でした。

 

[作品のアイデア]

-作品はいわゆるヴィルトゥオジティを前面にだすのではなく、他の楽器と一緒にアンサンブルとして成り立ってる作品です。それでいて、アンサンブルとやりながら、その音色ゆえにちゃんと目立つ作品でした。

三浦:
従来のコンチェルトみたいにソリストとオケが対峙するわけでもなく、書かれていますよね。

久石:
発表する場の問題はすごく大きいと思います。「MUSIC FUTURE」は、新しい、まだ誰もやってないようなことをチャレンジする、日本で聴かれない音楽を提供する場と考えています。そこで、古典的なスタイルよりは、たまたま今自分がやっているようなシングルトラックというか単旋律から組みたてる、この方法で、バンドネオンを組み込めないかというのが、最初のアイデアではありました。

 

[作品のプロセス]

この作品、「8月の中旬まで全く手がつけられなかった」という。久石氏のことばを要約する。まず、2か月強でしあげなくてはならない。はじめは3つの楽章で、「最後はタンゴのエッセンスを入れた形に仕上げようと思った。だけど曲を書き出した段階で全く検討がつかなくなって……」2つの楽章を書いて、それぞれ異なった方法をとっているし、これで完成と考えた。すでに楽譜も送った。しかし何かが足りない。これがリハーサルの10日前。そしてこのあいだに1週間で最後の楽章を書き上げた。「これは今までにやったことがない」。

 

[作品について]

-あの第三楽章があると、すごくまとまりがよくなります。バンドネオンって細かい音型が多く、特に第一と第三楽章は、第二楽章の息の長いものとコントラストになっています。だから古典的ではないながらも、やっぱり古典的な傾向もある作品として受けとれます。

久石:
第三楽章を入れることで、いわゆるコンチェルトとしても三楽章的な世界観にどんどん寄りましたよね。

-ところどころ、金管奏者にハミングをさせるようなところもありました。

久石:
最近くせになっているんですよ。マウスピースだけで音を出したり。

三浦:
あれはよかったですよね。自分で言うのもヘンかもしれないんだけど、マウスピースの音にバンドネオンがうっすら重なると、両者が融けあって何かわからなくなるんですよね。何の楽器か、声なのか楽器なのか。

久石:
あれは狙った音だったから、本当にうまくいってよかったな。

-まさに最初久石さんが仰っていた呼吸、それがアンサンブル側から、オーケストラっていうのはふつう管楽器も使ってるけどそれはみんな慣れてしまっているから呼吸のかんじがなくなってしまうのだけど、でもそういったマウスピースなどを使うことで、バンドネオンの開閉の呼吸音みたいなのと呼応するというのも体感できて。

久石:
ミニマル・ミュージックをベースにした曲はどうしても縦割りのカチカチカチカチしたメカニカルな曲になりやすいんです。でもなんかもっとエモーショナルでも絶対成立するんだというのがあって、それをチャレンジしたかったんですね。ミニマルなものをベースにしながらも広がりのあるものを、あるいはヒューマンなものを今回けっこう目指しました。

 

[バンドネオンに対する固定概念]

-三浦さんはこの作品を実際に弾き終わって、いま、どんなことをおもっていらっしゃいますか? 練習しているうちの大変さ、実際にオケとリハをやってみたとき、初演も終わったというとき、いろんなプロセスがあって、と。

三浦:
コンサートを終えてみて、バンドネオンという楽器に対して、自分の中で新しいものを獲得したという感覚がすごく大きい。今まで弾いてきたいろいろな曲のどれからも得られなかったものです。バンドネオンにはある種の固定概念がつきまとう。それが運命だし、どこか宿命にある楽器なんです。それをここまで強烈にバン!と影響を与えてくれる曲が今までなかったんでしょうね。ですからコンサートが終わって、何日かしても、ちょっと鼻歌で口ずさんじゃうくらい身体に入り続けているし、バンドネオンそのもので考えても、やっぱりタンゴとかそういうものとは違う奏法がやっぱり必要とされていたんだと思うんです。またミニマル・ミュージックという新しいジャンルが、僕にとってはじめて扉を開けた世界で、そこに足を踏み入れ皆さんとご一緒することができた。今度は僕が普段やってる音楽も考え方がちょっと変わってくると思うんです。バンドネオンのチラシとか、8割がた「魅惑の~」とか「情熱の~」とか「哀愁の~」とか入ります。そういうことじゃなく、フェアに楽器として考えるっていうのは常日頃から思っていることです。嬉しかったですね。

久石:
実は一番悩んだところでね。「魅惑の~」に(笑)、引っ張られちゃうんです。やっぱり僕はピアソラが好きだし、ずっと聴いてきたから、ふとコンチェルト・スタイルというか、ちょっとそういう感じをフィーチャーしてバンドネオンの特性を出そうと思った瞬間から、どうしても「哀愁の」じゃないけど(笑)、そういう情緒系のフレーズが出てきてしまう。非常に多彩な楽器なので、それを駆使しだすとどうなるのかというのもまたすごくある、いくつかそういうフレーズも試してみたけど、結局、全くこっち側はやらないと決めた。新しい可能性になかなか出会えないんじゃないかと思って。

三浦:
バンドネオン=タンゴで、開拓されて花開いてっていう楽器ではありますけれど、楽器としてみたときにできる可能性があまりにも大きいなとおもっているんです。タンゴだけにとどめるのは勿体ない。タンゴを否定しているわけでは全然ありません。僕はタンゴが大好きだし、これからも弾いていくでしょう。でも、楽器としてもう右も左もなく、まっすぐ真ん中からフェアに見ていきたい。できることは何でもやろうと思ってるんです。そこがバンドネオン奏者としての最大の使命であり、人生をかけてやらないといけないと思ってるんです。僕はタンゴ弾きというよりも、バンドネオン弾きという意識です。

 

[これから]

-地方・海外での再演も視野にいれたい作品では。と。

久石:
本当にそうです。この曲はニューヨークで演奏したいなと思います、正直ね。来年にはアルバムにも収録する予定ですし。

-今後お二人で一緒に、バンドネオンを使ってというようなことは…

久石:
今回は始まりです。だからやりたいんですよ。オケとやる。小さいオケでもいい。オケで演奏することになったら、そこでやんなきゃいけないのが、コンチェルトを作る。そうすると今の音は当然フィーチャーする楽器対オケになりますよね。ですから、そういう方法を取るなり、なんかでまた是非書きたいなと。

三浦:
ありがとうございます! バンドネオンっていう未来を感じますよね。

(LATINA ラティーナ 2018年1月号 より)

 

 

本誌表紙も飾った久石譲×三浦一馬 対談ですが、誌面でも表紙テイストのコンサートや対談風景の写真が複数掲載されています。

 

 

 

 

(Webニュースより)

 

 

 

 

 

Blog. 「キネマ旬報 2006年11月上旬号 No.1470」久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/29

雑誌「キネマ旬報 2006年11月上旬号 No.1470」に掲載された久石譲インタビューです。前号(10月下旬号)と2回にわたって前編・後編でソロアルバム『Asian X.T.C.』について語った貴重な内容です。その当時の立ち位置や進むであろう方向性が見えてくるようなインタビューです。

 

 

サントラ・ハウス
sound track house

文:賀来タクト

A Conversation with Joe Hisaishi Vol.2
久石譲【後編】
アジアの風をつかまえながら日本をきちんと考えていきたい

アジアをテーマに制作した最新アルバム「Asian X.T.C.」は、単にアジア風味が効いたポップス作品集に終わらず、そのままズバリ、久石譲という作曲家の現在を映す鏡となった。その一つの証左となるのがミニマル技法への回帰である。12年前と同様に「今は過渡期だ」と言い切るその表情には、作曲家として完成すること=巨匠への道を避け、新たな可能性を追い求める最前線の戦士としてのさわやかな野心がみなぎる。

「リセットしたというのかな。原点に戻るというよりも、らせんのように描いていって、その先でもう一回遭遇したような感じだね。ミニマルをベースにやってきた経験とポップスをやって培ったリズム感、単純にいうならノリ、グルーヴ感。それが両方きちんと息づいたところでの自分にしかできない曲。それを書いていこうと決心がついた最初のアルバムが『Asian X.T.C.』なんです。確かに今は過渡期だと思うし、94年頃に”映画をやめる”と言ったときと同じような節目になってるね。だいたい僕は10年おきにそういうのがあるんだよね(笑)」

西洋のミニマル作品の担い手たち、すなわちフィリップ・グラスやマイケル・ナイマンといった面々に対するライバル意識も小さくない。「作品」を書くことで彼らに自身をぶつけてみたい。そんな活力のみなぎりは実に微笑ましい。

「アジア人のミニマリストっていないとマズイんですよ。いるべきだと僕は思う。それを誰がこの時代で担うのかといったら、僕しかいないだろうと。グラスって東洋思想に刺激を受けてやっていたけれど、それって形式からの脱却を考えてあがいた結果、東洋に目を向けたわけだよね。でも、そういうふうに目を向けられている肝心のアジアから誰も育たないというのは変ですよ。で、考えてみたら、僕のベースはアジアで、端からそういうものが血の中にある。ミニマルが原点だった自分がやっぱりきちんとやらないといけないだろうと。アジアをテーマにするというのも、その意味で必然性があったわけ。ミニマルに戻るってことと、アジアに目を向けることは同じ延長線上にあるんです」

駆け出しの新人作曲家ならいざしらず、十分にキャリアを積んだ久石譲が「アジアのミニマリスト」宣言をする痛快さをどう喩えようか。

「ちょっと大きい作品を書きたいね。長さもあって、スケールも大きいものを。西洋的な形式でいうところのシンフォニーだったりレクイエムだったり、1時間以上ある大作というのは、体力のあるうちに書いておかないとね。この2、3年のうちに、そういう大作をまずは作ってみたい」

一方「Asian X.T.C.」は、編成がぐっと小さくまとめられている点にも注目すべきだろう。ここ最近、指揮者として遮ニ無二取り組んできた大編成管弦楽の起用はここにはない。これまた一種の「再出発」であり、個人的にはピアニスト久石譲のリハビリの場ではないかとの印象も強くある。

「僕ね、このままやっていくと、たぶんピアノを弾かなくなっちゃうと思うんだ。だからここで一回しっかりとピアノに戻って、ピアノのソロツアーを来年に是非やりたい。今回、アンサンブル編成にしたのは、オケのエッセンスだけを抜き出したっていう感じだね。そのエッセンスと自分のピアノがどれくらい絡むかということで、次が変わるんじゃないかって思ったの。オケは作曲家にとって最大のパレットだし、やっていかなきゃいけないというのはあるんだけど、一方でお決まりの方法論でもある。確かにいつもそれだけというのは飽きちゃうかもしれないよね。飽きなかったらそれは巨匠でしょ。でも、僕はジョン・ウィリアムズにはなれないから(笑)」

個人的にはジェリー・ゴールドスミスという作曲家が雑草の人である。何度も苦難を味わった彼は、絶えずウィリアムズという生き方の彼岸にあった。すなわち巨人であっても、決して巨匠ではなかった。

「ゴールドスミスってすごくシンプルなんだけど、やりたいことが明快だったよね。それって作家としてずっと持っていなきゃいけない姿勢だよね。前に『オーメン』の譜面を見たんだけど、すごくユニゾンの強さがあった。今度ヨンさまのドラマをやるんだけど、そのときはオールユニゾンのようなちょっと強い音楽を作らなきゃいけないと思ってる。韓国の作品って荒っぽいところがあるでしょう。少し照れるけれど、オールユニゾンみたいな強さがないとちょっと乗り切れないなと思ってる」

来年に放映が予定されているペ・ヨンジュン主演のドラマ『太王四神記』もさることながら、同じく音楽を書いた韓国映画「トンマッコルへようこそ」も10月28日より日本で上映開始。中国、香港映画の公開も控え、11月にはアジア5ヶ国を巡るツアーも待機する。かつて、あれほど海の向こうに対して慎重だった久石譲にどんな事態の変化があったというのか。

「それはもう時代の風ですよ。ちょうどこの時期にアジアの風が吹いた。そうとしか言いようがない。映画音楽とか映像の仕事をしていく限りは、いい作品に出合わないといい音楽が書けない。そういう中で今、風が吹いているんだったら、それをちゃんとつかまえようと。それがすごく大事だった。最初はそんなにうまくつかめないだろうと思っていたら、本当にいい感じで全てがアジアに向いていったんだね。一回、自分の日本というフィールドをアジアというフィールドに広げたうえで考えていく必要があるなと思ったんです」

それはアジアに拠点を移すとか、日本を振り切るということではない。むしろ、久石譲にとてはいっそう日本を考える機会につながっている。

「当然です。僕は最終的には日本しか考えてないですよ。海外の映画をやっていても”日本は日本は”って絶えず考えてる。それがいちばん大事だから。今、日本は政治一つとっても大変な時代でしょう。危険とすらいえるんじゃないかな。そういうことに対して、文化をやってる人間は文化の中で言わなければいけないし、僕も僕なりの方法できちんと言っていきたいと強く思っています」

(キネマ旬報 2006年11月上旬号 No.1470 より)

 

【前編】
Blog. 「キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469」久石譲インタビュー内容

 

 

久石譲 『 Asian X.T.C.』

Disc. 久石譲 『Asian X.T.C.』

 

 

Blog. 「キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469」久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/28

雑誌「キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469」に掲載された久石譲インタビューです。次号(11月上旬号)と2回にわたって前編・後編でソロアルバム『Asian X.T.C.』について語った貴重な内容です。その当時の立ち位置や進むであろう方向性が見えてくるようなインタビューです。

 

 

サントラ・ハウス
sound track house

文:賀来タクト

A Conversation with Joe Hisaishi Vol.1
久石譲【前編】
二面性が潜むアジアと自分をもう一度見つめなおしてみたい

久石譲が最新ソロ・アルバムでアジアをテーマに掲げた。かつて「日本はアジアではないのではないか」との声を漏らしていた作曲者に、いったいどのような心境の変化があったのか。

「ヨーロッパの先にアジアがあったわけです。ファッションだって、だいたいフランスだったりアメリカからのものでしょう。つまり、自分たちが憧れたり、何かを感じたりするものの基準というのは、まず欧米を指すわけ。アジアってその先にある。だから、近いんだけど、いちばん遠い。僕自身、西洋音楽の教育を受けてきているからアジアは遠いものだった。ただ最近韓国や中国、香港の映画を立て続けにやったことで、自分の中のアジアをもう一度見つめ直す必要が出てきてね。そこで改めて思ったのが、西洋の先にあるアジアではなくて、我々がいちばんアジア人であるということ。近いはずなのに、なぜ遠いのか、もう一度検証しなければならないんじゃないか。そういう気持ちが強く出てきたんです」

題して「美しく官能的でポップなアジア」。

「アジアの貧困だとか、発展途上だとか、そういったものを題材につくることは絶対にしたくなかった。それどころか、アジア人っていうのは非常にかっこいい。女性は肌がきれいだし、男性は欧米人に比べたらずんぐりむっくりだけど、大地に根ざしているかのようにガッチリしていてエネルギーがある。1+1=2では終わらない世界がまだアジアにはいっぱいあるんですよ。例えばバリ島の闇なんて、見たら驚くよ。それこそ富士の樹海くらい、いやあれよりも暗いかもしれない。何かいるんじゃないのって。その闇を見ているだけでもね、何か普通の足し算では片づけられないプラスαが確実にある」

そんな感覚の行き着いた先が東洋思想だったと、語気が強まる。

「何が違うかというと、キリスト教だと”信ぜよ、さらば救われん”というような、一種の選民思想になる。これは今のアメリカやヨーロッパの動きそのままでしょう。でも、アジアって善と悪が共存していて、悪はダメっていう発想がない。人間が持っている二面性も決めなくていい、両方持っているのが自分なんだと。この考えにたどり着いたとき、やっとアルバムの方向が見えたんだね」

その「決心」はアルバム構成に具体的に集約された。映画やCM曲の楽曲群(陽サイド)と、ミニマル・ベースの楽曲群(陰サイド)がそれぞれ別個に固められて前後に並んでいる。まるでLPレコードの表裏を連想させる「二面性」をあえて1枚のディスクの中で訴えているのだ。統合性や平衡感覚に囚われず、はっきり違ったものがザクッと並んでいてもいいのではないか。そんな力強い作曲者の声が、手に取るように伝わる。

「曲を書き終えたあとに初めて構成が決められたんです。とりあえず今、自分がやれることはこれなんだと。その決断ですね」

アルバムの詳細に今少し踏み込むなら、全11曲を収めたアルバムには、韓国映画「トンマッコルへようこそ」、中国映画「叔母さんのポストモダン生活」、香港映画「A Chinese Tall Story」の主題曲が盛り込まれており、最近目覚ましいアジア圏での作曲者の活動が簡潔に伝えられている。ピアノは久石自身が担当し、ゲストにはバラネスク・カルテット、ギター・デュオのDEPAPEPEが連なり、二胡・古箏などの中国楽器も加わる。テーマの中の「ポップ」とは、個人的な意見を記すなら、要は「かっこいいこと」に通じ、「官能的」とは闇の喩え話に顕著な「神秘性=ゾグゾグ感」と換言することができるだろう。音色といい、発想といい、整然とした世界がそこに広がる。

「僕は論理性を重んじて曲を書いています。でも、音楽ってそれだけでは通じない。直接脳に行っちゃう良さが歴然とあるわけだし、それは大事にしないといけない。そこまで行かないと作品にならないしね」

これまた今回のテーマを地でいく声として注目してよく、要するに感性と論理性の拮抗こそが作曲家・久石譲の本質であり、この二面性を正面から引き受けなければいけないという意識において、実のところ従来と変わらぬ野心と探究心の表れでもあろう。となれば、今回のアルバムはアジアを展望した新しい出発であると同時に、ミニマル時代やピアノ奏者としての自身も見つめなおした一種の再出発ともいえる。立ち位置の再確認といえば、思い当たるのが12年前、自ら「映画を少し休む」と宣言した94年暮れの事態であろう。あの瞬間と同じ作曲家としての惑いや不安がここににじむ。そこでふと思う。久石譲は再び過渡期にあるのではないか、と。

「それはね、一つ正しい。そのとおりだと思う。たぶん、いちばんつらかった時期は、4、5年前くらいから一昨年くらいの間かな。あのまま行ったら巨匠の道を歩んでいたと思うし、実際歩みつつあった。特に『FREEDOM PIANO STORIES 4』というアルバムの頃はそっちに行きそうな悪い予感がしてた。それが『WORKS III』っていうアルバムを作ったときに組曲の『DEAD』を完成させたでしょう。あのときに自分が何をやりたいのか、非常に明快に思ったことが一個あって、それは要するに”作品を書きたい”ってこと。もうすごく単純に。アメリカのフィリップ・グラス、イギリスのマイケル・ナイマン、どちらもミニマルの作家で、映画の音楽も書いているでしょう。そんな彼らと僕の大きな違いって何かというと”作品”を書いていないことなんですね。作家としていい曲を書いて売れることはもちろん大事。でも、それだけでは生きていたくない自分というのも確かにいる。やっぱり”作品”を書くことなんだね。それを考えたときに、いわゆる巨匠の道はやめたんです」

巨匠=完成されそれ以上前にいけなくなった作家ではなく、最前線で汗まみれの切磋琢磨=挑戦と実験を繰り返したい。そんな久石譲のこわだりはどこへ向かおうとしているのか。次号でその着地を試みたい。

(キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469 より)

 

【後編】
Blog. 「キネマ旬報 2006年11月上旬号 No.1470」久石譲インタビュー内容

 

 

久石譲 『 Asian X.T.C.』

 

 

Blog. 「kamzin カムジン FEB. 2005 No.3」”ハウルの動く城” 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/27

雑誌「kamzin カムジン 第3号 FEB. 2005 No.3」に掲載された久石譲インタビューです。

映画『ハウルの動く城』について、メインテーマのワルツの効用からオーケストラレコーディング方法の変化まで、とても興味深い内容になっています。

 

 

編集長インタビュー

「宮崎作品」の”音”作り20年 音楽家 久石譲さん

音楽家・久石譲さんは、宮崎駿監督作品の音楽を20年以上も担当。上映中の最新作『ハウルの動く城』(東宝洋画系)は、年明けで観客動員千万人を超える大ヒットとなっている。スクリーンを飛び出し、観る人の心にからむ”久石メロディー”。その制作秘話に迫った。

(湯浅 明)

 

映像との調和を考え、シンプルなワルツの力を借りました。

-手応えはあったのですか?

久石:
「評価は音楽家のいうことではないからお任せします。一昨年の初め、「戦時下の恋愛、メロドラマを作りたい」と宮崎さんから聞かされ、「得意分野です」と言っておきましたけれどね(笑)。」

-この2年の世界情勢の変化は著しく、メッセージ性の強い宮崎作品にも影響したのでしょうね。

久石:
「どう反応されるのか、個人的興味はありました。映画にAからEのパートがあるとすると、最後のE部分が30分はかかると予想していたのに、10分程度でまとめたのにはビックリしました。」

-物足りなかった?

久石:
「いいえ、見事ですよ。作家として、この時代ならいろいろといいたいことがあるだろうに、実生活で皆がくたびれ果てているのだから、ああだのこうだのと自分の認識を出さず、メロドラマのコンセプトを貫いた。作家の勇気を見ましたね。これは本当にスゴイことですよ。」

-音楽への注文はありました?

久石:
「今回の主人公は十代から九十歳まで年齢幅があるけれど、宮崎さんには、同じテーマ曲で統一したいという強い意志がありました。僕がいきついたのはワルツ。曲を決めるとき、今まではシンセサイザーなどでデモテープを作りました。今回は3曲を用意して宮崎さんの前でピアノを弾いてみました。証拠が残らないように…。というのは冗談ですが。最初弾いた曲は合格点の予想がつくもの。2曲目がワルツ。」

-そうしたら?

久石:
「すごい反応。宮崎さんは「これはやってない。驚くよね。もう一回弾いて!」」

-3曲目は?

久石:
「弾かなかったし、去年の2月6日のことなので、もう忘れちゃいました。映像に音楽を合わせるサウンドトラックは6月ごろ。全編30曲のうち17曲がテーマがらみで、あるときは物悲しく、あるときは勇壮であったり、優雅になったり。新しい扉を開けた最上の仕事ができたと思っています。まあ『千と千尋の神隠し』や『もののけ姫』も、新しいことをやっているつもりでしたけれど。」

-ワルツを選んだ理由は?

久石:
「舞台が西洋で、フルオーケストラでやろうと決めていました。個人的には音楽的な主張が強くなって、複雑な方向にいきそうな時期でしたから、映像との調和を考え、シンプルなワルツの力を借りました。」

-昭和の不安な時代にも、なぜかワルツが流行しました。

久石:
「そうね。歩くリズムを考えれば二拍子や四拍子の偶数系は安定し、三拍子はズレます。それが立ち止まって音楽を聴きやすくなるのかな。そこに日本人が好む、哀愁が入りやすくなるんでしょうか。でも、三拍の中身はアバウトで「ズンチャッチャ」もあれば、「ズン チャチャ」もある。」

-すき間をを作れる!

久石:
「そう。余韻を楽しめるし、民族の差もそこにでます。でもね、ものを創造する環境として今はよくないですよ。今日食べるパンが大切という現実を前に「音楽を聴いて心を和ませて」とはいい難いでしょう。CDが売れるとかいう問題ではなく、メディアとしての音楽の本質の話です。世界でも日本でも、カリスマが次々と表舞台から消え、確実に時代は動いています。人の気持ちは変化する。「祇園精舎の鐘の声…」という句がありますが、「鐘の声」は十年前も、30年前もあまり変わっていない。聴く僕らの価値観が変化しています。いま起こっている戦争と、『ハウル』が描く戦争を引っ掛けたら、納得しやすいですよね。『もののけ姫』のときなら宮崎さんは思いっきり突っ込んだでしょう。しないのは、理屈をこねるよりも作家として勇気が必要。ただ、将来の人と人のつながりや家族のあり方についてのメッセージが『ハウル』は込められている気がします。」

-宮崎さんとの話から推測?

久石:
「僕らはそんなこと言い合いません。「最高!」と僕はいい、テレもあるのか「とんでもないものを作っちゃいましたね」と宮崎さんは毎回いわれる。僕が『ハウル』で「やったな!」と思うのは、これまでは1秒の30分の1まで計算して、映像と音楽を合わせてきました。今回はアバウトにしています。映像を見ながらオーケストラを指揮して、音楽をつけたのですから。」

-気分を大事にしたから?

久石:
「デジタルだとテンポが一定になるじゃない。そうした計算づくではなく、たとえシーンの合わせ目が微妙にズレたとしても、気分の充実を大事にしたかった。この方法は『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』以来。20年ぶりですが、後退ではなく、前進だと思っています。」

-時代や社会情勢は、文化にも大きな影響をおよぼしますよね。

久石:
「この時代に生きていますからね。昨年『ワールド・ドリーム』という曲を書きました。国歌のように朗々としたメロディーを考え、明るくおおらかなものを作っているはずなのに頭に浮かぶのは、『9.11』だったり、イラクで子供が逃げ惑っている姿。平成10年の長野パラリンピックの音楽をやったとき、『エイジアン・ドリーム・ソング(アジアの夢の歌)』を書きました。「世界の夢」だから、大きくなったはずなのに地域紛争多発で、世界の夢がなくなった。そうした現実に音楽の無力さを感じ、こんな中途半端ではいけないと悩み、発言や主張を盛り込もうとしたら書けなくなりました。また、先月発売したアルバム『FREEDOM PIANO STORIES 4』の制作でも、タイトルにひっかかりました。これは政治体制の自由ではなく、心の自由と解釈して乗り切りました。」

-作曲のほかイベント、演奏、指揮…。多忙ですが今年は?

久石:
「そろそろ仕事をセーブしなければと思っています。『ワールド・ドリーム・オーケストラ』の夏ツアーなどの予定はありますが、自分で作った枠を壊していく作業を一番やりたい。そういう年齢になったのですかね。素朴な感動ではなく、技術力でこなすことは減らしたい。仕事の速度に気持ちが追いつかず、忙しいからこの程度でとか、求められるものに迎合する、作家にあるまじきことはせず、一曲一曲、なぜ書きたいのかを考えていきます。実験精神が薄くなっているのが反省で、守りに回らず、自分が驚くものをキッチリやっていきたいですね。」

-期待しています。

(kamzin カムジン 第3号 FEB. 2005 No.3 より)

 

 

ハウルの動く城 サウンドトラック

 

 

 

Blog. 「日経エンタテインメント 2005年3月号」飯島愛×久石譲 対談内容

Posted on 2018/10/26

雑誌「日経エンタテインメント 2005年3月号」に掲載された久石譲インタビューです。飯島愛さんがナビゲーターとして連載していた対談です。

2002年5月号から2006年12月号までの各界著名人との対談、その連載をまとめたものは「お友だちになりたい! ~43人のクリエイターとの対談集~ /飯島愛」(日経BP社・2006)として書籍化もされています。

 

 

作曲家 久石譲

「ハウルの動く城」の音楽ウラ話を教えてください

飯島:
よろしくお願いします。

久石:
最近、徹夜が続いていたから、今日はお話ができるかどうか、ちょっと不安なんですよ。今度出るCD(『FREEDOM』)が、昨日最後の仕上げだったんです。

飯島:
お疲れ様でした。あとでピアノで聴かせてください。

久石:
えっ、だめ(笑)。

飯島:
何で(笑)?ピアノがあるのに。

久石:
弾くのが好きじゃないんですよ。コンサートのたびに、必ず「これが最後」と言っています。10日くらい、ピアノにはさわってないですね。

飯島:
いいんですか?音楽家は毎日楽器にさわらなきゃだめとか言うじゃないですか。

久石:
だから、僕は本当に失礼なんですよ。ピアニストじゃなくて作曲家だから、ピアノを弾くのはすごく大変なんです。

飯島:
肩がこると言いますよね。

久石:
そう。それに、腰にもきます。本当に肉体労働なんですよね。それに、コンサートの場合は、毎日その時間帯にベストコンディションに持っていかなきゃいけない。寝不足だとすごく大変で、演奏の最中にぱっと空白の瞬間が来るんですよ、慣れ親しんだ曲であっても。次のコードは何だったかというのがふっとなくなるんです。だから、今日は危ないと思ったら、最初から最後まで譜面から目を離さない。そうやって振り回される自分が嫌なので、コンサートはできるだけやりたくない(笑)。

飯島:
やってくださいよ(笑)。

久石:
ツアーの2ヵ月くらい前から訓練していって、終わったら、もう次までやらない。スタジオで曲を作っている方が多いですね。

飯島:
作曲の方が疲れませんか?

久石:
疲れるんだけども、昼にスタジオへ入るとします。そのときは何もできていない状態だけど、夜に出る時に1曲誕生していると、その喜びはやっぱり圧倒的に強いですね。自分の存在証明みたいなものだからね。

飯島:
子供を産む感じですね。さっき、日本アカデミー賞の額が山積みになっているのを見ましたけど、すごいですね。それだけの曲を作られたんですね。私、オルゴールCDまで買いました。

久石:
え、そんなのが出ているんですか。勝手にいっぱい出ているので、僕は知らないんですよ。

飯島:
えーっ。

久石:
何かの機会に言ってやろうと思っていたのが、ひとつあったんです。市販されている譜面は、一部を除くと僕はまったく知りません。目を通したことがないです。

飯島:
でも、入ってきているんじゃないですか?お金が。

久石:
お金は財布の中しかわからないんですよ、本当。

飯島:
すごいですよ、CDショップとかで。子供が読める一番難しい漢字は「譲」か「駿」か、どっちかというくらい(笑)。でも、全然知らないんですか。

久石:
全然知らないですね。それと、オーケストラや何かで、よく僕の曲をやっているらしいんだけど、あれも僕の譜面じゃないです。音楽の教育を受けた人が採譜するらしいですね。だから、僕が出ていないコンサートでやるのは、オリジナルじゃないですよ。

飯島:
勝手に使うなということですね。似てるわけでしょう。

久石:
相当違いますよ。僕はあんな下手なアレンジしてないよ、という(笑)。でも、逆に言ったら、そうやってみんながやってくれて、メロディが生きているのは、いいことなのかもしれないとも思っているんですけどね。

 

宮崎さんは兄貴的存在

飯島:
私は嫌ですね。やっぱり本物の久石さんの曲がいいな。私が久石さんを知ったのは小学生のときなんです。『風の谷のナウシカ』を見たのが最初です。

久石:
今でも自分で大事に思う作品は『ナウシカ』ですね。あれよりも音楽的にうまくいっている作品はあるんだけれども、ストレートな思いが全部出ているのは『ナウシカ』なので、好きですね。

飯島:
日本のアニメで、幅広い世代の人たちに、音楽もああいうふうに届くのって、それまでなかったんじゃないですか。

久石:
それはもう、宮崎駿さんにすごく感謝です。出会えたことは、すごく大きかったです。

飯島:
久石さんにとって、宮崎さんは音楽活動をしていく上で大きな出会いのひとつでしたか?

久石:
一番大きいかもしれないですね。音楽を作っているときでも、こういうとき宮崎さんならどうするかなとか考えますよ。年が9歳離れているので、いい兄貴みたいな、ずっと追っかけているような。

飯島:
『ハウルの動く城』の曲もよかったです。ワルツで、タンタンタンターン(ハミング)。

久石:
バッチリ。覚えてくれてありがとう。

飯島:
『人生のメリーゴーランド』で、同じ曲なんだけど、ちょっと違う感じですよね?

久石:
そう。『ハウル』は全部で30曲書いたんですよ。そのうちの17曲は、ワルツのメロディーのアレンジ替えです。

飯島:
ハウルが登場して空を歩くシーンのワルツが一番印象的でした。最初に入ってきちゃうから。

久石:
宮崎さんの「空を飛ぶシーン」って有名だから、音楽的にも勝負しておいた方がいいなと思ったんです。3つくらいデモは作ったんですけど、あのワルツで行ってほしいなと思っていたんです。

飯島:
じゃあ、よかったですね。今までで、この映画はほかの曲があったけど、こっちになっちゃった、とかあります?

久石:
Aテーマ、Bテーマがあって、それがひっくり返ってBをメインに、ということはあります。北野武さんの『菊次郎の夏』で書いた『Summer』は、CMにも使われて有名になっちゃったけど、実はBテーマで出していて、メインテーマは別に書いたんですよ。

飯島:
メインはお蔵入りですか。

久石:
いいえ、映画の中で使う比重が変わったんです。ほかにも、3日間くらい徹夜して、つける位置をやり直した曲もあります。

飯島:
『ハウル』では、さすがの久石さんもちょっと緊張なさっていたんじゃないかなと、スタジオジブリの鈴木敏夫さんがテレビで言っていましたよ。

久石:
緊張しますよ。楽曲がNGにだったり、「イメージが違う」と言われると、もうその後がぼろぼろになっちゃうからね。鈴木さんといえば、「『ハウル』は新しい家族の在り方を問うているんだ」とずっと言っていましたね。

飯島:
守るべき家族ができたハウルが、逃げないでおうちを守らなくちゃと。でも、守ってくれる人がいない、私みたいな場合はどうすりゃいいんでしょう(笑)。

久石:
犬を飼うとかどうですか。僕もすごく犬を大事にしてますよ。

飯島:
何を飼っているんですか。

久石:
ウエスト・ハイランド・スコッチ・テリア。ハムみたいな胴体をして、ずどーんと太くて、重いんですよ。

飯島:
普通、テリアはスマートなんですよ。名前は何ですか。

久石:
ジョイ。僕が帰るまで、僕のベッドで寝ているんです。帰ると、もうカアーッてね、枕をして寝ているの。ちょっとどいてよ、という感じで。大変だよ。ちゃんとあおむけになっちゃって(笑)。

飯島:
いやあ、かわいい。あおむけというのは、恐怖心がないという状態なんですって。

久石:
完璧にそうだと思う。

飯島:
でも、寂しかったんじゃないかしら、久石さんが徹夜とかだったりすると。

久石:
いや、僕よりはかみさんの方がかわいがっているから。犬のヒエラルキーってすごいんですよ。家族が4人いると、5番目は自分じゃないんですよ。必ず自分の下にもう1人いるんだね。うちの場合、娘よりも自分の方が偉い。何かやっても、ウーとかやるんですよ。僕にはやらないんだけど。

飯島:
お嬢さんがいらっしゃるんですか。おいくつですか。

久石:
26歳。『ナウシカ』の中の「ランランラララララン」って、あれを歌っているんですよ。あのときが3歳か4歳。

飯島:
えーっ、初めて知っちゃった。子供のナウシカが、オームを取り上げられて「お父様」とか言って追いかけているシーン。

久石:
よく覚えているね。映像の音楽の中に声を使うのは、みんなけっこう嫌がるんですよ。せりふを持っていっちゃうから。プロの人に歌ってもらうと後で大変だから、誰かいないかなと思って。

飯島:
ふっと横を見たら。

久石:
娘がいる、みたいな。仮に歌って、どうかなと思ったら、それがよかったので、そのままいっちゃった。

飯島:
すごい、それはお嬢さん、喜んでらっしゃるでしょう。

久石:
親として子供へのプレゼントというのは、あれで一生分終わっているな、みたいな(笑)。

飯島:
最初の映画作品というのが、またいいじゃないですか。

久石:
そうかもね。自分でもあのシーンを見ると、じーんとするところがありますよね。

飯島:
娘も成長したなと。こんなパパだったら素敵ですね。あまり家庭のイメージがないですけど、今のお嬢さんの話とかがあると、たぶん「お父さんになってほしい人ナンバーワン」になりますよ。

久石:
僕、家族の話をしたのは初めてなんです。ちゃんと家庭を見直さなきゃな、と最近思うようになっていて、だから僕にとってこれは旬な話題なんですよ。

飯島:
そうなんですか。ありがとうございます。音楽って思い出と直結しますよね。思い入れがある曲を聴いた瞬間に、急にその当時の気持ちに戻れませんか?

久石:
ありますね。20代の前半にあれを歌っていたよな、なんて、そのときの自分にすぐ戻ってしまいますね。

飯島:
ところで、今度出されるCDはどんなアルバムですか。

久石:
『FREEDOM』というタイトルなんです。それは、ツアーのときによく話したんだけど、本当に最近、生きづらいなと思うんです。だから、心の自由を求めて、という意味を込めました。

飯島:
生きづらい?

久石:
何をやってもやりづらい、生きづらいと思っちゃう。それは、自分で壁を作っているからなんだね。何かやろうとしても、結果がなんとなく見えちゃうじゃないですか。きっと、こうだなと。もっとフリーに、壁を取り外さないと、物事は動かない。それをテーマに、明るいアルバムを作りたいと思ったんです。でも、終わった後は反省ばかりで、冷静に聴ける状態じゃないんですよね。『ハウル』も、こういうつもりで作ったけれども思ったほど効果が出ていないとか、あそこはこういう方がよかったかもとか反省をするから、ゼロ号試写で1回見ただけですね。

飯島:
納得しないから、ずっといい音楽を生み続けることができる、というのもありますよね。

久石:
次に、これを絶対クリアしよう、と思いますね。それで、2年くらいして見ると、結構よくできているじゃんと思える(笑)。ピアノ、弾けるかな…。

飯島:
え、弾いてくださるんですか?うれしい。

(『人生のメリーゴーランド』を演奏)

飯島:
すごい、感動しちゃう。

久石:
久しぶりだから、指が動かないです(笑)

飯島:
本当にじーんと、くるんですよね。ありがとうございました。

 

対談を終えて
久石さんのピアノは、最高、最高、超最高。涙が出るくらいすごくよかったです。やっぱり本物の久石さんの曲が一番いいですね。お疲れの中、ピアノを弾いてくらさって感激しました。みんな、今度のCDを買ったほうがいいよ。オススメだから。

(初出「日経エンタテインメント 2005年3月号」・同内容掲載書籍 より)

 

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年8月号 No.139」久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/25

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年8月号 No.139」に掲載された久石譲インタビューです。

北野武監督映画『Kids Return』についてのとても具体的な音作りについて語られた貴重な内容です。

 

 

今年ほど日本ということを意識したことはない。

久々に映画のサウンド・トラックを手掛けた久石譲さんの新作『Kids Return』がリリースされた。この作品のサウンドの背景には”日本”を強く感じ、今までの久石サウンドとは少し異なる印象を与えてくれた。久石さん自身の心境の変化、また次に控える宮崎駿さんの映画のサウンド・トラックのお話を含めて、彼の今の音楽観について語っていただいた。

 

●日本を意識した音

-今回のアルバム『Kids Return』は映画のサントラですね。

久石:
「そうです。僕も映画への復帰は2年ぶりです。ほとんど映画の仕事を断っていたから(笑)。ちょっと「日本の映画は終わったなあ」と感じていたんです。それで、しばらく休もうと思ってたんですよ。でも、日本の映画の状況は、もっと悪くなってきて、休んだからってよくはならないなと思ってね。やっぱり、ちゃんとやるところはやっておかなきゃ、と思っていた矢先にたけしさんの映画の話と、宮崎駿さんの次回作、ほとんど同時にオファーがあって…。「あ、これはやっぱり復帰するタイミングだな」と思ったんです。」

-今回のアルバムを通して聴いて、映画を観ていなくても”絵”が浮かんでくるような感じがしました。

久石:
「今回は、主人公が若い2人で、片方はヤクザの親分になって、片方はボクシングのチャンピオンになろうとするんだけど、両方とも挫折するという映画でね。だから、ある意味じゃ青春映画なんですけど。で、どういうスタンスを取ろうかなと考えてたんです。以前にたけしさんが作った『ソナチネ』は、けっこう虚無的な世界感だったんだけど、今回は青春映画だから違うだろうと思っていた。台本読んだ段階でも「違うな」と思っていたんですよ。でも、上がりはまったく同じだったという(笑)。」

-アルバムからはアジアの香りを感じたのですが…。

久石:
「それは、僕の今年のテーマなんですが…たとえば、パラリンピックのテーマを担当するんですが、この大会は、オリンピックの影に隠れてしまうし、規模も全然小さいんだけども、世界中の人々が注目する大会なんですよ。それが初めてアジアに来たわけですが、日本はいちばん福祉の遅れているところだから、日本人がいちばんその重大さをわかっていない。

そうすると、テーマを書く僕は、自分のアイデンティティやオリジナリティ、日本人であるということを、すごく一生懸命考えてしまうんです。そういう意味で、わりと”5音音階”とかに今年は積極的に取り組んでいるんです。

このことは、そのまま次の宮崎駿さんの次作のサントラの『もののけ姫』までつながるんです。ストーリーは日本が舞台だしね。だから、すごく今年ほど日本ということを意識したことはなかった。でも、たとえば「5音音階を使ったら日本風」とか、やたらアジアを出したりとかはしない。そういう決め事はないんだけれど、”自然に出てきて納得するもの””シンプルに作ってそうなるなら、いちばん望ましい”という発想でやっています。」

 

●こだわりの音色

-このアルバムの重要なポイントに、パーカッションがあると思うんですが、全部生での録音ですよね。

久石:
「それは企業秘密(笑)。でも、教えてもみんなマネできないから、教えてもいいんですけどね(笑)。

いわゆる通常のリズム・サンプリングをやっているんですよ。ただ、そうとうな数の組み合わせと、エスニックのミュージシャンを入れて、1パートは全部生なんです。いい意味でも悪い意味でも、生の持っている人間臭さと、そういうリズム・ループやなんかを使った時のメカニカルな部分、その両方が好きなんですよ。

音楽というのは、時間の上に作っていく構築物だから、出だしとおしまいというのは絶対違うわけです。それなのに全コーラス同じようにいこうとする…たとえば、メロディが1コーラス、2コーラス、3コーラスと出てきますよね。1コーラス始まって2コーラスに入る瞬間に、リセットする。なんで単に2回3回繰りかえさなきゃならないの? と思うんです。「衣装変えて、出てこいよ」という感じがあるじゃないですか(笑)。インストというのは実はそのへんがとても重要なんですよ。」

-今回のアルバムでも、いろいろなピアノの音が入っていると感じたのですが…。

久石:
「実は、今回の『Kids Return』も、最後の最後まで生のピアノって1回も弾かなかったんですよ。全部ふつうにコンピュータで、サンプリング中心に作っていた。で、今の質問が出たということは、ピアノの音が印象に残られたでしょ?」

-ええ、一瞬のフレーズとか…。

久石:
「あれは本当に、最後の最後に録った。ピアノは、実際に弾いて入れた音はすごく少ないんですよ。でも、それが印象に残るぐらい、生の存在感ってあるんですよね。それはプレイヤーの質もあるけどね。でも、結果的にピアノが目立ってくれて、僕自身は本当にほっとしているし、嬉しく思いますね(笑)。」

-クラリネットがメロディを取っている曲がありましたが、あれは生ですか?

久石:
「”ミニマル”っぽいやつね。あれは、すごく苦労しました。ヤマハのVP-1とVL-1に、いくつか音色をブレンドして、あの空気感が出るまでやってみたんです。だから、あれを聴いた人はなかなか打ち込みとは思わないと思う。」

-てっきり生だと思っていました。

久石:
「でしょ? うん、そう(笑)。あのぐらいやると、打ち込みとは思わないだろうと、僕も思いながら作ったから。そう思ってくれたなら、嬉しいですよ。人間やればできるって(笑)。」

 

●5年ぶりの宮崎作品

-宮崎さんの次回作の音楽もやられるということで、今はどのぐらいまで進んでいるんでしょうか。

久石:
「ほぼ、できているんですけどね。さっきも言ったように、わりと今年は日本人としてどう生きようかとか、そういうことを考えていた時期なんです。哲学の本とか司馬遼太郎さんの本をたくさん読んでいて、宮崎さんが対談なさっている本とかね。で、そういう中での巡り合わせのようなものですよね。『Kids Return』もそうなんですけど、”この時期になぜ自分が作るのか”、そういう意味をすごく考えながらやっています。

宮崎さんは『紅の豚』から監督はなさっていませんでした。プロデュースだけです。そうすると、宮崎さんとしては5年ぶりの作品で…だから僕とのコンビも5年ぶりということですが、そうすると、宮崎さんの今世紀の集大成の作品なわけです。その熱気がすごすぎて、こっちもそれに負けずに頑張らないと大変だなという感じです。

聞くところによると制作費が20億(!)だそうで。とにかく日本映画の枠の話じゃないですよね。当然、海外にもすぐに封切られるだろうし…。だから、そういう意味では大変な作品になりますよ。」

-楽しみですよね。

久石:
「絶対楽しみにしておいたほうがいいと思う。すさまじいですよ、内容もすごいし。本当に宮崎さんが、人生で考えてこられたことが全部凝縮されているから。

すでに、音楽の制作期間が4ヵ月越しているんですよ、しかも単なるイメージ・アルバムだけで。まだサウンド・トラック自体に手を付けていないのに…イメージだけに4ヵ月。それで、まだできていないんですから。みんな、目がつり上がりながら待ってますよ(笑)。」

(KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年8月号 No.139 より)

 

 

なお、本誌には『Kids Return』のエンジニア浜田純伸の話も内容濃く掲載されています。使用機材、音色の特徴、パーカッションの音の秘密、ピアノの音の秘密。専門的に精通している人が見たらきっと唸ってしまうディープで貴重なサウンド分解です。

 

 

久石譲 『Kids Return』

 

 

 

Blog. 「別冊カドカワ 総力特集 ゆず 2009」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/19

「別冊カドカワ 総力特集 ゆず 2009」に掲載された久石譲インタビューです。ゆずオリジナルアルバム『WONDERFUL WORLD』に久石譲プロデュース・指揮楽曲「ワンダフル・ワールド」が収録されています。

 

 

特別寄稿 2

久石譲(音楽家)

前アルバムの表題曲「ワンダフルワールド」のプロデュースを手掛けた久石譲。シンプルなデモテープとして手渡されたこの曲の種に壮大な世界観を読み取った久石は、オーケストレーションによるスケールの大きなアレンジを施し、楽曲を育んだ。曲の誕生秘話、ゆずの魅力、新作に感じる成長について、メッセージを寄せてもらった。

 

フルオーケストラをバックに歌っても、ゆずは「ゆずであった」

出会った時の第一印象は、二人とも非常に爽やかであったこと。今の若者の中にあって変なクセもなく、すごく前向きで純粋な、いい青年たちだなあと思いました。「ワンダフルワールド」の話をもらった当時の僕は、映画の仕事が立て込んでいて、少し違う世界のことをしてみたいなと思っていたところだったんです。そこに届いた曲が「ワンダフルワールド」でした。ギターと歌だけのデモテープは、おそらくこれまでのゆずとは違うであろう世界観があり、社会性も感じられました。

僕の曲で、「WORLD DREAMS」という、ある種、国歌のような朗々としたメロディが頭を過って書いた祝典序曲があるんですが、それを作っていた時は、9.11のテロの映像や、悲惨な状況下で逃げ惑うイラクの子供たちの映像が頭の中に浮かんできていました。実はこの「ワンダフルワールド」を聴いた時にも、同じ感じが過って、「あ、これは自分ならこうしたい」というイメージが湧いたんです。そんな話を、ゆずの二人との打ち合わせの場でもした記憶があります。

大きい世界観があったので、楽器編成はどうしてもオーケストラでやるのがいいと思いました。しかし、ある意味で西洋的な世界だけでは表現できないと思ったので、そこにエスニックパーカッションといったものを取り入れ、もっと第三世界の雰囲気を表現しました。そして最終的には「We are The World」のように皆が参加できるような、そういう世界観になったら良いなと思い、少しスケールの大きなアレンジを試みました。結果としては、自分でも非常に満足する出来です。

大人数のフルオーケストラをバックに歌っても、ゆずはゆずだった。「ゆずであった」というのはどういうことかと言うと、決してオケにも負けていないし、彼らの歌はオケと「対立」するのではなくて、むしろオケを「味方」にして、より歌がスケールアップしていたということです。そういうところが一緒にやっていてとてもエキサイティングだったし、楽しかったところです。

彼らの歌からは「いろいろ悩みも一杯あるんだろうけれど、前向きに生きようよ」というようなメッセージが、いつも伝わってきます。ですから、みんなにそういう勇気をしっかり与える力を彼らはきっと持っているんだと思う。そこがゆずの素晴らしい魅力です。

最新アルバム『FURUSATO』を聴くと、1曲目に弦などを使って、より大人の鑑賞に堪えるような世界観に持ち込もうとしていますね。コード進行一つにしてもツボを心得ているというか、すごく人の気持ちが高まるところで効果的なコードをきちんと使っていて、以前に比べて1歩も2歩もその世界観が大きくなっている。そして、もちろん二人の歌声は変わらず自信を持っている声に聴こえるし、キャリアを積むに従って、より音楽性も高くなっている。それはとても素晴らしいことだと思うので、これからも彼らを見守っていきたいと思います。

(別冊カドカワ 総力特集 ゆず 2009 より)