Posted on 2018/10/28
雑誌「キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469」に掲載された久石譲インタビューです。次号(11月上旬号)と2回にわたって前編・後編でソロアルバム『Asian X.T.C.』について語った貴重な内容です。その当時の立ち位置や進むであろう方向性が見えてくるようなインタビューです。
サントラ・ハウス
sound track house
文:賀来タクト
A Conversation with Joe Hisaishi Vol.1
久石譲【前編】
二面性が潜むアジアと自分をもう一度見つめなおしてみたい
久石譲が最新ソロ・アルバムでアジアをテーマに掲げた。かつて「日本はアジアではないのではないか」との声を漏らしていた作曲者に、いったいどのような心境の変化があったのか。
「ヨーロッパの先にアジアがあったわけです。ファッションだって、だいたいフランスだったりアメリカからのものでしょう。つまり、自分たちが憧れたり、何かを感じたりするものの基準というのは、まず欧米を指すわけ。アジアってその先にある。だから、近いんだけど、いちばん遠い。僕自身、西洋音楽の教育を受けてきているからアジアは遠いものだった。ただ最近韓国や中国、香港の映画を立て続けにやったことで、自分の中のアジアをもう一度見つめ直す必要が出てきてね。そこで改めて思ったのが、西洋の先にあるアジアではなくて、我々がいちばんアジア人であるということ。近いはずなのに、なぜ遠いのか、もう一度検証しなければならないんじゃないか。そういう気持ちが強く出てきたんです」
題して「美しく官能的でポップなアジア」。
「アジアの貧困だとか、発展途上だとか、そういったものを題材につくることは絶対にしたくなかった。それどころか、アジア人っていうのは非常にかっこいい。女性は肌がきれいだし、男性は欧米人に比べたらずんぐりむっくりだけど、大地に根ざしているかのようにガッチリしていてエネルギーがある。1+1=2では終わらない世界がまだアジアにはいっぱいあるんですよ。例えばバリ島の闇なんて、見たら驚くよ。それこそ富士の樹海くらい、いやあれよりも暗いかもしれない。何かいるんじゃないのって。その闇を見ているだけでもね、何か普通の足し算では片づけられないプラスαが確実にある」
そんな感覚の行き着いた先が東洋思想だったと、語気が強まる。
「何が違うかというと、キリスト教だと”信ぜよ、さらば救われん”というような、一種の選民思想になる。これは今のアメリカやヨーロッパの動きそのままでしょう。でも、アジアって善と悪が共存していて、悪はダメっていう発想がない。人間が持っている二面性も決めなくていい、両方持っているのが自分なんだと。この考えにたどり着いたとき、やっとアルバムの方向が見えたんだね」
その「決心」はアルバム構成に具体的に集約された。映画やCM曲の楽曲群(陽サイド)と、ミニマル・ベースの楽曲群(陰サイド)がそれぞれ別個に固められて前後に並んでいる。まるでLPレコードの表裏を連想させる「二面性」をあえて1枚のディスクの中で訴えているのだ。統合性や平衡感覚に囚われず、はっきり違ったものがザクッと並んでいてもいいのではないか。そんな力強い作曲者の声が、手に取るように伝わる。
「曲を書き終えたあとに初めて構成が決められたんです。とりあえず今、自分がやれることはこれなんだと。その決断ですね」
アルバムの詳細に今少し踏み込むなら、全11曲を収めたアルバムには、韓国映画「トンマッコルへようこそ」、中国映画「叔母さんのポストモダン生活」、香港映画「A Chinese Tall Story」の主題曲が盛り込まれており、最近目覚ましいアジア圏での作曲者の活動が簡潔に伝えられている。ピアノは久石自身が担当し、ゲストにはバラネスク・カルテット、ギター・デュオのDEPAPEPEが連なり、二胡・古箏などの中国楽器も加わる。テーマの中の「ポップ」とは、個人的な意見を記すなら、要は「かっこいいこと」に通じ、「官能的」とは闇の喩え話に顕著な「神秘性=ゾグゾグ感」と換言することができるだろう。音色といい、発想といい、整然とした世界がそこに広がる。
「僕は論理性を重んじて曲を書いています。でも、音楽ってそれだけでは通じない。直接脳に行っちゃう良さが歴然とあるわけだし、それは大事にしないといけない。そこまで行かないと作品にならないしね」
これまた今回のテーマを地でいく声として注目してよく、要するに感性と論理性の拮抗こそが作曲家・久石譲の本質であり、この二面性を正面から引き受けなければいけないという意識において、実のところ従来と変わらぬ野心と探究心の表れでもあろう。となれば、今回のアルバムはアジアを展望した新しい出発であると同時に、ミニマル時代やピアノ奏者としての自身も見つめなおした一種の再出発ともいえる。立ち位置の再確認といえば、思い当たるのが12年前、自ら「映画を少し休む」と宣言した94年暮れの事態であろう。あの瞬間と同じ作曲家としての惑いや不安がここににじむ。そこでふと思う。久石譲は再び過渡期にあるのではないか、と。
「それはね、一つ正しい。そのとおりだと思う。たぶん、いちばんつらかった時期は、4、5年前くらいから一昨年くらいの間かな。あのまま行ったら巨匠の道を歩んでいたと思うし、実際歩みつつあった。特に『FREEDOM PIANO STORIES 4』というアルバムの頃はそっちに行きそうな悪い予感がしてた。それが『WORKS III』っていうアルバムを作ったときに組曲の『DEAD』を完成させたでしょう。あのときに自分が何をやりたいのか、非常に明快に思ったことが一個あって、それは要するに”作品を書きたい”ってこと。もうすごく単純に。アメリカのフィリップ・グラス、イギリスのマイケル・ナイマン、どちらもミニマルの作家で、映画の音楽も書いているでしょう。そんな彼らと僕の大きな違いって何かというと”作品”を書いていないことなんですね。作家としていい曲を書いて売れることはもちろん大事。でも、それだけでは生きていたくない自分というのも確かにいる。やっぱり”作品”を書くことなんだね。それを考えたときに、いわゆる巨匠の道はやめたんです」
巨匠=完成されそれ以上前にいけなくなった作家ではなく、最前線で汗まみれの切磋琢磨=挑戦と実験を繰り返したい。そんな久石譲のこわだりはどこへ向かおうとしているのか。次号でその着地を試みたい。
(キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469 より)
【後編】
Blog. 「キネマ旬報 2006年11月上旬号 No.1470」久石譲インタビュー内容