Blog. 「キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469」久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/28

雑誌「キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469」に掲載された久石譲インタビューです。次号(11月上旬号)と2回にわたって前編・後編でソロアルバム『Asian X.T.C.』について語った貴重な内容です。その当時の立ち位置や進むであろう方向性が見えてくるようなインタビューです。

 

 

サントラ・ハウス
sound track house

文:賀来タクト

A Conversation with Joe Hisaishi Vol.1
久石譲【前編】
二面性が潜むアジアと自分をもう一度見つめなおしてみたい

久石譲が最新ソロ・アルバムでアジアをテーマに掲げた。かつて「日本はアジアではないのではないか」との声を漏らしていた作曲者に、いったいどのような心境の変化があったのか。

「ヨーロッパの先にアジアがあったわけです。ファッションだって、だいたいフランスだったりアメリカからのものでしょう。つまり、自分たちが憧れたり、何かを感じたりするものの基準というのは、まず欧米を指すわけ。アジアってその先にある。だから、近いんだけど、いちばん遠い。僕自身、西洋音楽の教育を受けてきているからアジアは遠いものだった。ただ最近韓国や中国、香港の映画を立て続けにやったことで、自分の中のアジアをもう一度見つめ直す必要が出てきてね。そこで改めて思ったのが、西洋の先にあるアジアではなくて、我々がいちばんアジア人であるということ。近いはずなのに、なぜ遠いのか、もう一度検証しなければならないんじゃないか。そういう気持ちが強く出てきたんです」

題して「美しく官能的でポップなアジア」。

「アジアの貧困だとか、発展途上だとか、そういったものを題材につくることは絶対にしたくなかった。それどころか、アジア人っていうのは非常にかっこいい。女性は肌がきれいだし、男性は欧米人に比べたらずんぐりむっくりだけど、大地に根ざしているかのようにガッチリしていてエネルギーがある。1+1=2では終わらない世界がまだアジアにはいっぱいあるんですよ。例えばバリ島の闇なんて、見たら驚くよ。それこそ富士の樹海くらい、いやあれよりも暗いかもしれない。何かいるんじゃないのって。その闇を見ているだけでもね、何か普通の足し算では片づけられないプラスαが確実にある」

そんな感覚の行き着いた先が東洋思想だったと、語気が強まる。

「何が違うかというと、キリスト教だと”信ぜよ、さらば救われん”というような、一種の選民思想になる。これは今のアメリカやヨーロッパの動きそのままでしょう。でも、アジアって善と悪が共存していて、悪はダメっていう発想がない。人間が持っている二面性も決めなくていい、両方持っているのが自分なんだと。この考えにたどり着いたとき、やっとアルバムの方向が見えたんだね」

その「決心」はアルバム構成に具体的に集約された。映画やCM曲の楽曲群(陽サイド)と、ミニマル・ベースの楽曲群(陰サイド)がそれぞれ別個に固められて前後に並んでいる。まるでLPレコードの表裏を連想させる「二面性」をあえて1枚のディスクの中で訴えているのだ。統合性や平衡感覚に囚われず、はっきり違ったものがザクッと並んでいてもいいのではないか。そんな力強い作曲者の声が、手に取るように伝わる。

「曲を書き終えたあとに初めて構成が決められたんです。とりあえず今、自分がやれることはこれなんだと。その決断ですね」

アルバムの詳細に今少し踏み込むなら、全11曲を収めたアルバムには、韓国映画「トンマッコルへようこそ」、中国映画「叔母さんのポストモダン生活」、香港映画「A Chinese Tall Story」の主題曲が盛り込まれており、最近目覚ましいアジア圏での作曲者の活動が簡潔に伝えられている。ピアノは久石自身が担当し、ゲストにはバラネスク・カルテット、ギター・デュオのDEPAPEPEが連なり、二胡・古箏などの中国楽器も加わる。テーマの中の「ポップ」とは、個人的な意見を記すなら、要は「かっこいいこと」に通じ、「官能的」とは闇の喩え話に顕著な「神秘性=ゾグゾグ感」と換言することができるだろう。音色といい、発想といい、整然とした世界がそこに広がる。

「僕は論理性を重んじて曲を書いています。でも、音楽ってそれだけでは通じない。直接脳に行っちゃう良さが歴然とあるわけだし、それは大事にしないといけない。そこまで行かないと作品にならないしね」

これまた今回のテーマを地でいく声として注目してよく、要するに感性と論理性の拮抗こそが作曲家・久石譲の本質であり、この二面性を正面から引き受けなければいけないという意識において、実のところ従来と変わらぬ野心と探究心の表れでもあろう。となれば、今回のアルバムはアジアを展望した新しい出発であると同時に、ミニマル時代やピアノ奏者としての自身も見つめなおした一種の再出発ともいえる。立ち位置の再確認といえば、思い当たるのが12年前、自ら「映画を少し休む」と宣言した94年暮れの事態であろう。あの瞬間と同じ作曲家としての惑いや不安がここににじむ。そこでふと思う。久石譲は再び過渡期にあるのではないか、と。

「それはね、一つ正しい。そのとおりだと思う。たぶん、いちばんつらかった時期は、4、5年前くらいから一昨年くらいの間かな。あのまま行ったら巨匠の道を歩んでいたと思うし、実際歩みつつあった。特に『FREEDOM PIANO STORIES 4』というアルバムの頃はそっちに行きそうな悪い予感がしてた。それが『WORKS III』っていうアルバムを作ったときに組曲の『DEAD』を完成させたでしょう。あのときに自分が何をやりたいのか、非常に明快に思ったことが一個あって、それは要するに”作品を書きたい”ってこと。もうすごく単純に。アメリカのフィリップ・グラス、イギリスのマイケル・ナイマン、どちらもミニマルの作家で、映画の音楽も書いているでしょう。そんな彼らと僕の大きな違いって何かというと”作品”を書いていないことなんですね。作家としていい曲を書いて売れることはもちろん大事。でも、それだけでは生きていたくない自分というのも確かにいる。やっぱり”作品”を書くことなんだね。それを考えたときに、いわゆる巨匠の道はやめたんです」

巨匠=完成されそれ以上前にいけなくなった作家ではなく、最前線で汗まみれの切磋琢磨=挑戦と実験を繰り返したい。そんな久石譲のこわだりはどこへ向かおうとしているのか。次号でその着地を試みたい。

(キネマ旬報 2006年10月下旬号 No.1469 より)

 

【後編】
Blog. 「キネマ旬報 2006年11月上旬号 No.1470」久石譲インタビュー内容

 

 

久石譲 『 Asian X.T.C.』

 

 

Blog. 「kamzin カムジン FEB. 2005 No.3」”ハウルの動く城” 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/27

雑誌「kamzin カムジン 第3号 FEB. 2005 No.3」に掲載された久石譲インタビューです。

映画『ハウルの動く城』について、メインテーマのワルツの効用からオーケストラレコーディング方法の変化まで、とても興味深い内容になっています。

 

 

編集長インタビュー

「宮崎作品」の”音”作り20年 音楽家 久石譲さん

音楽家・久石譲さんは、宮崎駿監督作品の音楽を20年以上も担当。上映中の最新作『ハウルの動く城』(東宝洋画系)は、年明けで観客動員千万人を超える大ヒットとなっている。スクリーンを飛び出し、観る人の心にからむ”久石メロディー”。その制作秘話に迫った。

(湯浅 明)

 

映像との調和を考え、シンプルなワルツの力を借りました。

-手応えはあったのですか?

久石:
「評価は音楽家のいうことではないからお任せします。一昨年の初め、「戦時下の恋愛、メロドラマを作りたい」と宮崎さんから聞かされ、「得意分野です」と言っておきましたけれどね(笑)。」

-この2年の世界情勢の変化は著しく、メッセージ性の強い宮崎作品にも影響したのでしょうね。

久石:
「どう反応されるのか、個人的興味はありました。映画にAからEのパートがあるとすると、最後のE部分が30分はかかると予想していたのに、10分程度でまとめたのにはビックリしました。」

-物足りなかった?

久石:
「いいえ、見事ですよ。作家として、この時代ならいろいろといいたいことがあるだろうに、実生活で皆がくたびれ果てているのだから、ああだのこうだのと自分の認識を出さず、メロドラマのコンセプトを貫いた。作家の勇気を見ましたね。これは本当にスゴイことですよ。」

-音楽への注文はありました?

久石:
「今回の主人公は十代から九十歳まで年齢幅があるけれど、宮崎さんには、同じテーマ曲で統一したいという強い意志がありました。僕がいきついたのはワルツ。曲を決めるとき、今まではシンセサイザーなどでデモテープを作りました。今回は3曲を用意して宮崎さんの前でピアノを弾いてみました。証拠が残らないように…。というのは冗談ですが。最初弾いた曲は合格点の予想がつくもの。2曲目がワルツ。」

-そうしたら?

久石:
「すごい反応。宮崎さんは「これはやってない。驚くよね。もう一回弾いて!」」

-3曲目は?

久石:
「弾かなかったし、去年の2月6日のことなので、もう忘れちゃいました。映像に音楽を合わせるサウンドトラックは6月ごろ。全編30曲のうち17曲がテーマがらみで、あるときは物悲しく、あるときは勇壮であったり、優雅になったり。新しい扉を開けた最上の仕事ができたと思っています。まあ『千と千尋の神隠し』や『もののけ姫』も、新しいことをやっているつもりでしたけれど。」

-ワルツを選んだ理由は?

久石:
「舞台が西洋で、フルオーケストラでやろうと決めていました。個人的には音楽的な主張が強くなって、複雑な方向にいきそうな時期でしたから、映像との調和を考え、シンプルなワルツの力を借りました。」

-昭和の不安な時代にも、なぜかワルツが流行しました。

久石:
「そうね。歩くリズムを考えれば二拍子や四拍子の偶数系は安定し、三拍子はズレます。それが立ち止まって音楽を聴きやすくなるのかな。そこに日本人が好む、哀愁が入りやすくなるんでしょうか。でも、三拍の中身はアバウトで「ズンチャッチャ」もあれば、「ズン チャチャ」もある。」

-すき間をを作れる!

久石:
「そう。余韻を楽しめるし、民族の差もそこにでます。でもね、ものを創造する環境として今はよくないですよ。今日食べるパンが大切という現実を前に「音楽を聴いて心を和ませて」とはいい難いでしょう。CDが売れるとかいう問題ではなく、メディアとしての音楽の本質の話です。世界でも日本でも、カリスマが次々と表舞台から消え、確実に時代は動いています。人の気持ちは変化する。「祇園精舎の鐘の声…」という句がありますが、「鐘の声」は十年前も、30年前もあまり変わっていない。聴く僕らの価値観が変化しています。いま起こっている戦争と、『ハウル』が描く戦争を引っ掛けたら、納得しやすいですよね。『もののけ姫』のときなら宮崎さんは思いっきり突っ込んだでしょう。しないのは、理屈をこねるよりも作家として勇気が必要。ただ、将来の人と人のつながりや家族のあり方についてのメッセージが『ハウル』は込められている気がします。」

-宮崎さんとの話から推測?

久石:
「僕らはそんなこと言い合いません。「最高!」と僕はいい、テレもあるのか「とんでもないものを作っちゃいましたね」と宮崎さんは毎回いわれる。僕が『ハウル』で「やったな!」と思うのは、これまでは1秒の30分の1まで計算して、映像と音楽を合わせてきました。今回はアバウトにしています。映像を見ながらオーケストラを指揮して、音楽をつけたのですから。」

-気分を大事にしたから?

久石:
「デジタルだとテンポが一定になるじゃない。そうした計算づくではなく、たとえシーンの合わせ目が微妙にズレたとしても、気分の充実を大事にしたかった。この方法は『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』以来。20年ぶりですが、後退ではなく、前進だと思っています。」

-時代や社会情勢は、文化にも大きな影響をおよぼしますよね。

久石:
「この時代に生きていますからね。昨年『ワールド・ドリーム』という曲を書きました。国歌のように朗々としたメロディーを考え、明るくおおらかなものを作っているはずなのに頭に浮かぶのは、『9.11』だったり、イラクで子供が逃げ惑っている姿。平成10年の長野パラリンピックの音楽をやったとき、『エイジアン・ドリーム・ソング(アジアの夢の歌)』を書きました。「世界の夢」だから、大きくなったはずなのに地域紛争多発で、世界の夢がなくなった。そうした現実に音楽の無力さを感じ、こんな中途半端ではいけないと悩み、発言や主張を盛り込もうとしたら書けなくなりました。また、先月発売したアルバム『FREEDOM PIANO STORIES 4』の制作でも、タイトルにひっかかりました。これは政治体制の自由ではなく、心の自由と解釈して乗り切りました。」

-作曲のほかイベント、演奏、指揮…。多忙ですが今年は?

久石:
「そろそろ仕事をセーブしなければと思っています。『ワールド・ドリーム・オーケストラ』の夏ツアーなどの予定はありますが、自分で作った枠を壊していく作業を一番やりたい。そういう年齢になったのですかね。素朴な感動ではなく、技術力でこなすことは減らしたい。仕事の速度に気持ちが追いつかず、忙しいからこの程度でとか、求められるものに迎合する、作家にあるまじきことはせず、一曲一曲、なぜ書きたいのかを考えていきます。実験精神が薄くなっているのが反省で、守りに回らず、自分が驚くものをキッチリやっていきたいですね。」

-期待しています。

(kamzin カムジン 第3号 FEB. 2005 No.3 より)

 

 

ハウルの動く城 サウンドトラック

 

 

 

Blog. 「日経エンタテインメント 2005年3月号」飯島愛×久石譲 対談内容

Posted on 2018/10/26

雑誌「日経エンタテインメント 2005年3月号」に掲載された久石譲インタビューです。飯島愛さんがナビゲーターとして連載していた対談です。

2002年5月号から2006年12月号までの各界著名人との対談、その連載をまとめたものは「お友だちになりたい! ~43人のクリエイターとの対談集~ /飯島愛」(日経BP社・2006)として書籍化もされています。

 

 

作曲家 久石譲

「ハウルの動く城」の音楽ウラ話を教えてください

飯島:
よろしくお願いします。

久石:
最近、徹夜が続いていたから、今日はお話ができるかどうか、ちょっと不安なんですよ。今度出るCD(『FREEDOM』)が、昨日最後の仕上げだったんです。

飯島:
お疲れ様でした。あとでピアノで聴かせてください。

久石:
えっ、だめ(笑)。

飯島:
何で(笑)?ピアノがあるのに。

久石:
弾くのが好きじゃないんですよ。コンサートのたびに、必ず「これが最後」と言っています。10日くらい、ピアノにはさわってないですね。

飯島:
いいんですか?音楽家は毎日楽器にさわらなきゃだめとか言うじゃないですか。

久石:
だから、僕は本当に失礼なんですよ。ピアニストじゃなくて作曲家だから、ピアノを弾くのはすごく大変なんです。

飯島:
肩がこると言いますよね。

久石:
そう。それに、腰にもきます。本当に肉体労働なんですよね。それに、コンサートの場合は、毎日その時間帯にベストコンディションに持っていかなきゃいけない。寝不足だとすごく大変で、演奏の最中にぱっと空白の瞬間が来るんですよ、慣れ親しんだ曲であっても。次のコードは何だったかというのがふっとなくなるんです。だから、今日は危ないと思ったら、最初から最後まで譜面から目を離さない。そうやって振り回される自分が嫌なので、コンサートはできるだけやりたくない(笑)。

飯島:
やってくださいよ(笑)。

久石:
ツアーの2ヵ月くらい前から訓練していって、終わったら、もう次までやらない。スタジオで曲を作っている方が多いですね。

飯島:
作曲の方が疲れませんか?

久石:
疲れるんだけども、昼にスタジオへ入るとします。そのときは何もできていない状態だけど、夜に出る時に1曲誕生していると、その喜びはやっぱり圧倒的に強いですね。自分の存在証明みたいなものだからね。

飯島:
子供を産む感じですね。さっき、日本アカデミー賞の額が山積みになっているのを見ましたけど、すごいですね。それだけの曲を作られたんですね。私、オルゴールCDまで買いました。

久石:
え、そんなのが出ているんですか。勝手にいっぱい出ているので、僕は知らないんですよ。

飯島:
えーっ。

久石:
何かの機会に言ってやろうと思っていたのが、ひとつあったんです。市販されている譜面は、一部を除くと僕はまったく知りません。目を通したことがないです。

飯島:
でも、入ってきているんじゃないですか?お金が。

久石:
お金は財布の中しかわからないんですよ、本当。

飯島:
すごいですよ、CDショップとかで。子供が読める一番難しい漢字は「譲」か「駿」か、どっちかというくらい(笑)。でも、全然知らないんですか。

久石:
全然知らないですね。それと、オーケストラや何かで、よく僕の曲をやっているらしいんだけど、あれも僕の譜面じゃないです。音楽の教育を受けた人が採譜するらしいですね。だから、僕が出ていないコンサートでやるのは、オリジナルじゃないですよ。

飯島:
勝手に使うなということですね。似てるわけでしょう。

久石:
相当違いますよ。僕はあんな下手なアレンジしてないよ、という(笑)。でも、逆に言ったら、そうやってみんながやってくれて、メロディが生きているのは、いいことなのかもしれないとも思っているんですけどね。

 

宮崎さんは兄貴的存在

飯島:
私は嫌ですね。やっぱり本物の久石さんの曲がいいな。私が久石さんを知ったのは小学生のときなんです。『風の谷のナウシカ』を見たのが最初です。

久石:
今でも自分で大事に思う作品は『ナウシカ』ですね。あれよりも音楽的にうまくいっている作品はあるんだけれども、ストレートな思いが全部出ているのは『ナウシカ』なので、好きですね。

飯島:
日本のアニメで、幅広い世代の人たちに、音楽もああいうふうに届くのって、それまでなかったんじゃないですか。

久石:
それはもう、宮崎駿さんにすごく感謝です。出会えたことは、すごく大きかったです。

飯島:
久石さんにとって、宮崎さんは音楽活動をしていく上で大きな出会いのひとつでしたか?

久石:
一番大きいかもしれないですね。音楽を作っているときでも、こういうとき宮崎さんならどうするかなとか考えますよ。年が9歳離れているので、いい兄貴みたいな、ずっと追っかけているような。

飯島:
『ハウルの動く城』の曲もよかったです。ワルツで、タンタンタンターン(ハミング)。

久石:
バッチリ。覚えてくれてありがとう。

飯島:
『人生のメリーゴーランド』で、同じ曲なんだけど、ちょっと違う感じですよね?

久石:
そう。『ハウル』は全部で30曲書いたんですよ。そのうちの17曲は、ワルツのメロディーのアレンジ替えです。

飯島:
ハウルが登場して空を歩くシーンのワルツが一番印象的でした。最初に入ってきちゃうから。

久石:
宮崎さんの「空を飛ぶシーン」って有名だから、音楽的にも勝負しておいた方がいいなと思ったんです。3つくらいデモは作ったんですけど、あのワルツで行ってほしいなと思っていたんです。

飯島:
じゃあ、よかったですね。今までで、この映画はほかの曲があったけど、こっちになっちゃった、とかあります?

久石:
Aテーマ、Bテーマがあって、それがひっくり返ってBをメインに、ということはあります。北野武さんの『菊次郎の夏』で書いた『Summer』は、CMにも使われて有名になっちゃったけど、実はBテーマで出していて、メインテーマは別に書いたんですよ。

飯島:
メインはお蔵入りですか。

久石:
いいえ、映画の中で使う比重が変わったんです。ほかにも、3日間くらい徹夜して、つける位置をやり直した曲もあります。

飯島:
『ハウル』では、さすがの久石さんもちょっと緊張なさっていたんじゃないかなと、スタジオジブリの鈴木敏夫さんがテレビで言っていましたよ。

久石:
緊張しますよ。楽曲がNGにだったり、「イメージが違う」と言われると、もうその後がぼろぼろになっちゃうからね。鈴木さんといえば、「『ハウル』は新しい家族の在り方を問うているんだ」とずっと言っていましたね。

飯島:
守るべき家族ができたハウルが、逃げないでおうちを守らなくちゃと。でも、守ってくれる人がいない、私みたいな場合はどうすりゃいいんでしょう(笑)。

久石:
犬を飼うとかどうですか。僕もすごく犬を大事にしてますよ。

飯島:
何を飼っているんですか。

久石:
ウエスト・ハイランド・スコッチ・テリア。ハムみたいな胴体をして、ずどーんと太くて、重いんですよ。

飯島:
普通、テリアはスマートなんですよ。名前は何ですか。

久石:
ジョイ。僕が帰るまで、僕のベッドで寝ているんです。帰ると、もうカアーッてね、枕をして寝ているの。ちょっとどいてよ、という感じで。大変だよ。ちゃんとあおむけになっちゃって(笑)。

飯島:
いやあ、かわいい。あおむけというのは、恐怖心がないという状態なんですって。

久石:
完璧にそうだと思う。

飯島:
でも、寂しかったんじゃないかしら、久石さんが徹夜とかだったりすると。

久石:
いや、僕よりはかみさんの方がかわいがっているから。犬のヒエラルキーってすごいんですよ。家族が4人いると、5番目は自分じゃないんですよ。必ず自分の下にもう1人いるんだね。うちの場合、娘よりも自分の方が偉い。何かやっても、ウーとかやるんですよ。僕にはやらないんだけど。

飯島:
お嬢さんがいらっしゃるんですか。おいくつですか。

久石:
26歳。『ナウシカ』の中の「ランランラララララン」って、あれを歌っているんですよ。あのときが3歳か4歳。

飯島:
えーっ、初めて知っちゃった。子供のナウシカが、オームを取り上げられて「お父様」とか言って追いかけているシーン。

久石:
よく覚えているね。映像の音楽の中に声を使うのは、みんなけっこう嫌がるんですよ。せりふを持っていっちゃうから。プロの人に歌ってもらうと後で大変だから、誰かいないかなと思って。

飯島:
ふっと横を見たら。

久石:
娘がいる、みたいな。仮に歌って、どうかなと思ったら、それがよかったので、そのままいっちゃった。

飯島:
すごい、それはお嬢さん、喜んでらっしゃるでしょう。

久石:
親として子供へのプレゼントというのは、あれで一生分終わっているな、みたいな(笑)。

飯島:
最初の映画作品というのが、またいいじゃないですか。

久石:
そうかもね。自分でもあのシーンを見ると、じーんとするところがありますよね。

飯島:
娘も成長したなと。こんなパパだったら素敵ですね。あまり家庭のイメージがないですけど、今のお嬢さんの話とかがあると、たぶん「お父さんになってほしい人ナンバーワン」になりますよ。

久石:
僕、家族の話をしたのは初めてなんです。ちゃんと家庭を見直さなきゃな、と最近思うようになっていて、だから僕にとってこれは旬な話題なんですよ。

飯島:
そうなんですか。ありがとうございます。音楽って思い出と直結しますよね。思い入れがある曲を聴いた瞬間に、急にその当時の気持ちに戻れませんか?

久石:
ありますね。20代の前半にあれを歌っていたよな、なんて、そのときの自分にすぐ戻ってしまいますね。

飯島:
ところで、今度出されるCDはどんなアルバムですか。

久石:
『FREEDOM』というタイトルなんです。それは、ツアーのときによく話したんだけど、本当に最近、生きづらいなと思うんです。だから、心の自由を求めて、という意味を込めました。

飯島:
生きづらい?

久石:
何をやってもやりづらい、生きづらいと思っちゃう。それは、自分で壁を作っているからなんだね。何かやろうとしても、結果がなんとなく見えちゃうじゃないですか。きっと、こうだなと。もっとフリーに、壁を取り外さないと、物事は動かない。それをテーマに、明るいアルバムを作りたいと思ったんです。でも、終わった後は反省ばかりで、冷静に聴ける状態じゃないんですよね。『ハウル』も、こういうつもりで作ったけれども思ったほど効果が出ていないとか、あそこはこういう方がよかったかもとか反省をするから、ゼロ号試写で1回見ただけですね。

飯島:
納得しないから、ずっといい音楽を生み続けることができる、というのもありますよね。

久石:
次に、これを絶対クリアしよう、と思いますね。それで、2年くらいして見ると、結構よくできているじゃんと思える(笑)。ピアノ、弾けるかな…。

飯島:
え、弾いてくださるんですか?うれしい。

(『人生のメリーゴーランド』を演奏)

飯島:
すごい、感動しちゃう。

久石:
久しぶりだから、指が動かないです(笑)

飯島:
本当にじーんと、くるんですよね。ありがとうございました。

 

対談を終えて
久石さんのピアノは、最高、最高、超最高。涙が出るくらいすごくよかったです。やっぱり本物の久石さんの曲が一番いいですね。お疲れの中、ピアノを弾いてくらさって感激しました。みんな、今度のCDを買ったほうがいいよ。オススメだから。

(初出「日経エンタテインメント 2005年3月号」・同内容掲載書籍 より)

 

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年8月号 No.139」久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/25

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年8月号 No.139」に掲載された久石譲インタビューです。

北野武監督映画『Kids Return』についてのとても具体的な音作りについて語られた貴重な内容です。

 

 

今年ほど日本ということを意識したことはない。

久々に映画のサウンド・トラックを手掛けた久石譲さんの新作『Kids Return』がリリースされた。この作品のサウンドの背景には”日本”を強く感じ、今までの久石サウンドとは少し異なる印象を与えてくれた。久石さん自身の心境の変化、また次に控える宮崎駿さんの映画のサウンド・トラックのお話を含めて、彼の今の音楽観について語っていただいた。

 

●日本を意識した音

-今回のアルバム『Kids Return』は映画のサントラですね。

久石:
「そうです。僕も映画への復帰は2年ぶりです。ほとんど映画の仕事を断っていたから(笑)。ちょっと「日本の映画は終わったなあ」と感じていたんです。それで、しばらく休もうと思ってたんですよ。でも、日本の映画の状況は、もっと悪くなってきて、休んだからってよくはならないなと思ってね。やっぱり、ちゃんとやるところはやっておかなきゃ、と思っていた矢先にたけしさんの映画の話と、宮崎駿さんの次回作、ほとんど同時にオファーがあって…。「あ、これはやっぱり復帰するタイミングだな」と思ったんです。」

-今回のアルバムを通して聴いて、映画を観ていなくても”絵”が浮かんでくるような感じがしました。

久石:
「今回は、主人公が若い2人で、片方はヤクザの親分になって、片方はボクシングのチャンピオンになろうとするんだけど、両方とも挫折するという映画でね。だから、ある意味じゃ青春映画なんですけど。で、どういうスタンスを取ろうかなと考えてたんです。以前にたけしさんが作った『ソナチネ』は、けっこう虚無的な世界感だったんだけど、今回は青春映画だから違うだろうと思っていた。台本読んだ段階でも「違うな」と思っていたんですよ。でも、上がりはまったく同じだったという(笑)。」

-アルバムからはアジアの香りを感じたのですが…。

久石:
「それは、僕の今年のテーマなんですが…たとえば、パラリンピックのテーマを担当するんですが、この大会は、オリンピックの影に隠れてしまうし、規模も全然小さいんだけども、世界中の人々が注目する大会なんですよ。それが初めてアジアに来たわけですが、日本はいちばん福祉の遅れているところだから、日本人がいちばんその重大さをわかっていない。

そうすると、テーマを書く僕は、自分のアイデンティティやオリジナリティ、日本人であるということを、すごく一生懸命考えてしまうんです。そういう意味で、わりと”5音音階”とかに今年は積極的に取り組んでいるんです。

このことは、そのまま次の宮崎駿さんの次作のサントラの『もののけ姫』までつながるんです。ストーリーは日本が舞台だしね。だから、すごく今年ほど日本ということを意識したことはなかった。でも、たとえば「5音音階を使ったら日本風」とか、やたらアジアを出したりとかはしない。そういう決め事はないんだけれど、”自然に出てきて納得するもの””シンプルに作ってそうなるなら、いちばん望ましい”という発想でやっています。」

 

●こだわりの音色

-このアルバムの重要なポイントに、パーカッションがあると思うんですが、全部生での録音ですよね。

久石:
「それは企業秘密(笑)。でも、教えてもみんなマネできないから、教えてもいいんですけどね(笑)。

いわゆる通常のリズム・サンプリングをやっているんですよ。ただ、そうとうな数の組み合わせと、エスニックのミュージシャンを入れて、1パートは全部生なんです。いい意味でも悪い意味でも、生の持っている人間臭さと、そういうリズム・ループやなんかを使った時のメカニカルな部分、その両方が好きなんですよ。

音楽というのは、時間の上に作っていく構築物だから、出だしとおしまいというのは絶対違うわけです。それなのに全コーラス同じようにいこうとする…たとえば、メロディが1コーラス、2コーラス、3コーラスと出てきますよね。1コーラス始まって2コーラスに入る瞬間に、リセットする。なんで単に2回3回繰りかえさなきゃならないの? と思うんです。「衣装変えて、出てこいよ」という感じがあるじゃないですか(笑)。インストというのは実はそのへんがとても重要なんですよ。」

-今回のアルバムでも、いろいろなピアノの音が入っていると感じたのですが…。

久石:
「実は、今回の『Kids Return』も、最後の最後まで生のピアノって1回も弾かなかったんですよ。全部ふつうにコンピュータで、サンプリング中心に作っていた。で、今の質問が出たということは、ピアノの音が印象に残られたでしょ?」

-ええ、一瞬のフレーズとか…。

久石:
「あれは本当に、最後の最後に録った。ピアノは、実際に弾いて入れた音はすごく少ないんですよ。でも、それが印象に残るぐらい、生の存在感ってあるんですよね。それはプレイヤーの質もあるけどね。でも、結果的にピアノが目立ってくれて、僕自身は本当にほっとしているし、嬉しく思いますね(笑)。」

-クラリネットがメロディを取っている曲がありましたが、あれは生ですか?

久石:
「”ミニマル”っぽいやつね。あれは、すごく苦労しました。ヤマハのVP-1とVL-1に、いくつか音色をブレンドして、あの空気感が出るまでやってみたんです。だから、あれを聴いた人はなかなか打ち込みとは思わないと思う。」

-てっきり生だと思っていました。

久石:
「でしょ? うん、そう(笑)。あのぐらいやると、打ち込みとは思わないだろうと、僕も思いながら作ったから。そう思ってくれたなら、嬉しいですよ。人間やればできるって(笑)。」

 

●5年ぶりの宮崎作品

-宮崎さんの次回作の音楽もやられるということで、今はどのぐらいまで進んでいるんでしょうか。

久石:
「ほぼ、できているんですけどね。さっきも言ったように、わりと今年は日本人としてどう生きようかとか、そういうことを考えていた時期なんです。哲学の本とか司馬遼太郎さんの本をたくさん読んでいて、宮崎さんが対談なさっている本とかね。で、そういう中での巡り合わせのようなものですよね。『Kids Return』もそうなんですけど、”この時期になぜ自分が作るのか”、そういう意味をすごく考えながらやっています。

宮崎さんは『紅の豚』から監督はなさっていませんでした。プロデュースだけです。そうすると、宮崎さんとしては5年ぶりの作品で…だから僕とのコンビも5年ぶりということですが、そうすると、宮崎さんの今世紀の集大成の作品なわけです。その熱気がすごすぎて、こっちもそれに負けずに頑張らないと大変だなという感じです。

聞くところによると制作費が20億(!)だそうで。とにかく日本映画の枠の話じゃないですよね。当然、海外にもすぐに封切られるだろうし…。だから、そういう意味では大変な作品になりますよ。」

-楽しみですよね。

久石:
「絶対楽しみにしておいたほうがいいと思う。すさまじいですよ、内容もすごいし。本当に宮崎さんが、人生で考えてこられたことが全部凝縮されているから。

すでに、音楽の制作期間が4ヵ月越しているんですよ、しかも単なるイメージ・アルバムだけで。まだサウンド・トラック自体に手を付けていないのに…イメージだけに4ヵ月。それで、まだできていないんですから。みんな、目がつり上がりながら待ってますよ(笑)。」

(KB SPECiAL キーボード・スペシャル 1996年8月号 No.139 より)

 

 

なお、本誌には『Kids Return』のエンジニア浜田純伸の話も内容濃く掲載されています。使用機材、音色の特徴、パーカッションの音の秘密、ピアノの音の秘密。専門的に精通している人が見たらきっと唸ってしまうディープで貴重なサウンド分解です。

 

 

久石譲 『Kids Return』

 

 

 

Blog. 「別冊カドカワ 総力特集 ゆず 2009」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/19

「別冊カドカワ 総力特集 ゆず 2009」に掲載された久石譲インタビューです。ゆずオリジナルアルバム『WONDERFUL WORLD』に久石譲プロデュース・指揮楽曲「ワンダフル・ワールド」が収録されています。

 

 

特別寄稿 2

久石譲(音楽家)

前アルバムの表題曲「ワンダフルワールド」のプロデュースを手掛けた久石譲。シンプルなデモテープとして手渡されたこの曲の種に壮大な世界観を読み取った久石は、オーケストレーションによるスケールの大きなアレンジを施し、楽曲を育んだ。曲の誕生秘話、ゆずの魅力、新作に感じる成長について、メッセージを寄せてもらった。

 

フルオーケストラをバックに歌っても、ゆずは「ゆずであった」

出会った時の第一印象は、二人とも非常に爽やかであったこと。今の若者の中にあって変なクセもなく、すごく前向きで純粋な、いい青年たちだなあと思いました。「ワンダフルワールド」の話をもらった当時の僕は、映画の仕事が立て込んでいて、少し違う世界のことをしてみたいなと思っていたところだったんです。そこに届いた曲が「ワンダフルワールド」でした。ギターと歌だけのデモテープは、おそらくこれまでのゆずとは違うであろう世界観があり、社会性も感じられました。

僕の曲で、「WORLD DREAMS」という、ある種、国歌のような朗々としたメロディが頭を過って書いた祝典序曲があるんですが、それを作っていた時は、9.11のテロの映像や、悲惨な状況下で逃げ惑うイラクの子供たちの映像が頭の中に浮かんできていました。実はこの「ワンダフルワールド」を聴いた時にも、同じ感じが過って、「あ、これは自分ならこうしたい」というイメージが湧いたんです。そんな話を、ゆずの二人との打ち合わせの場でもした記憶があります。

大きい世界観があったので、楽器編成はどうしてもオーケストラでやるのがいいと思いました。しかし、ある意味で西洋的な世界だけでは表現できないと思ったので、そこにエスニックパーカッションといったものを取り入れ、もっと第三世界の雰囲気を表現しました。そして最終的には「We are The World」のように皆が参加できるような、そういう世界観になったら良いなと思い、少しスケールの大きなアレンジを試みました。結果としては、自分でも非常に満足する出来です。

大人数のフルオーケストラをバックに歌っても、ゆずはゆずだった。「ゆずであった」というのはどういうことかと言うと、決してオケにも負けていないし、彼らの歌はオケと「対立」するのではなくて、むしろオケを「味方」にして、より歌がスケールアップしていたということです。そういうところが一緒にやっていてとてもエキサイティングだったし、楽しかったところです。

彼らの歌からは「いろいろ悩みも一杯あるんだろうけれど、前向きに生きようよ」というようなメッセージが、いつも伝わってきます。ですから、みんなにそういう勇気をしっかり与える力を彼らはきっと持っているんだと思う。そこがゆずの素晴らしい魅力です。

最新アルバム『FURUSATO』を聴くと、1曲目に弦などを使って、より大人の鑑賞に堪えるような世界観に持ち込もうとしていますね。コード進行一つにしてもツボを心得ているというか、すごく人の気持ちが高まるところで効果的なコードをきちんと使っていて、以前に比べて1歩も2歩もその世界観が大きくなっている。そして、もちろん二人の歌声は変わらず自信を持っている声に聴こえるし、キャリアを積むに従って、より音楽性も高くなっている。それはとても素晴らしいことだと思うので、これからも彼らを見守っていきたいと思います。

(別冊カドカワ 総力特集 ゆず 2009 より)

 

 

 

 

 

Blog. 「Free & Easy 2002年4月号 Vol.5 No.42」久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/18

雑誌「Free & Easy 2002年4月号 Vol.5 No.42」に掲載された久石譲インタビューです。

 

 

21世紀の匠たち

音楽家 久石譲

誰もいない小学校の校庭、晴れた日の田んぼのあぜ道、裏山に作った秘密基地…。トヨタ「NEWカローラ」のCMソングに代表される彼の音楽は聞き手にそんなデジャブにも似た幼い日の記憶を色鮮やかに呼び起こす。単に映像を説明するのではない。かといって映像から逸脱するのではない。そこからしか生まれ得ないあのメロディーの秘密を聞いた。

 

風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタ、となりのトトロ、魔女の宅急便、紅の豚、青春デンデケデケデケ、Sonatine、HANA-BI、菊次郎の夏…。久石譲。現在の日本の映画音楽は彼なくしては語れないだろう。そんな彼は意外にも、大学時代は前衛音楽の流れの中に身を置き西洋音楽の洗礼を浴びていた。乱数表を使った偶然性の音楽などを学びながら、どうやったらギリギリの音楽が成立するかという世界で彼はオリジナリティーを模索していた。

「オリジナリティーは結果にすぎないからあまり意識したことはないですね。ただ海外で演奏していると、やっぱり誰かの借り物ではないアイデンティティが欲しくなる。そして、自分は間違いなくアングロサクソンではなく黄色人種の一人、アジア人の一人であることに気づくわけです。そうするとそういう自分が一番ストレートにできることが一番大事なんですよ。僕の持論でもあるんですけど、超ドメスティックであることがインターナショナルであるということですから。だからといって、ただ尺八使うんだとか、沖縄の音楽を持ってきて自分のコンサートに入れるとかそういう表面的なことではなく、手段はオーケストラでもやっぱりジャーマン系ではないなという個性を大事にしたいと思います」

今では映画音楽家として広く知られている彼だが、その前に前述のような音楽家であることを忘れてはならない。では、オーケストラを率いての純音楽と映像につける映画音楽。その違いとは何なのだろうか?

「映像につける音楽と、音楽だけで勝負するのは全く別モンだという捉え方をしている。人に何かを伝えるときに、音楽で100パーセント伝えられるものと、映像があって100パーセント伝えられるものとは別ですから。映像がないと成立しないような音楽は純音楽としては成立しないし、逆に映像につける音楽というのは映像が入り込む余地を創らなければいけないんです。だから、映像につける音楽というのはハリウッド的にキャラクターを説明しようとしたり、音楽や映像をなぞっては駄目なんです。映像と音楽のどちらかが一方を説明してはならないんです。例えば映画の中で誰かが泣くシーンがあるから泣いた音楽とか、走ったから速い音楽ではダメなんです。そのためにはどこか冷静に、映像に寄り添いすぎないで一歩ひいて、監督がこのシーンで何を言いたいか? を考えることが大切だと思います。感性だけに頼るのは凄く危険なんですよ。直感的な部分とそれを論理的に創る両面が要求されるんです」

天性のメロディーメーカーである彼の感性に論理が加わって、初めてあのメロディーが生まれる。しかし、それは言葉で聞くほど容易なものではない。

「自分を追いこんで追いこんでギリギリのところで自分が納得するもの。それも自分が意図しているものじゃないくらいのものに出会った時に、聞き手が納得してくれるものができると思う。絶えず良いメロディーを書きたいと思って作曲という作業をやっているわけですけど、そうしょっちゅう出会えるわけではないよね。ある意味ではラッキーに近い。ゾウキンを絞って絞って破けるくらい絞ってやっと出てくる最後の一滴。それに出会うために毎日作曲していると思うんですよ。それをポンと話せるようなコツがあるとしたらもっと大量生産してるよね。もしくは風景見たくらいでポンとメロディーが出てくるんだったらしょっちゅう旅行していますよ(笑)」

全ては最後の一滴のために。昨年映画『カルテット』を監督したのもそんな一滴のためなのだろうか?

「あくまで僕の活動の中心は音楽ですから、他のジャンルという意識はあんまりないんですよ。ただ音だけを追求してやっているとどうしても足りないものが出てくる時もあります。そういう欲求が凄く強くなって、それをやらないと次にいけないと思う時があったら何かやると思います。今の課題は日本語の解決。自分のメロディーと日本語のかみ合わせがどうしても納得できていない。ある意味で音楽と言葉の相性ってとても重要なんですよ。自分の中でそれが納得できたら将来的にはオペラとかミュージカルをやってみたと思いますね。そういう新しい自分に出会えるような仕事じゃない限りやりたくない。自分が入り込めない仕事は相手に逆に迷惑をかける気がするから。でも幸せなことに共感できる仕事をやらせてもらうことは多いですよね。誰も文句を言わないと解っていても安易な完成度に身を置くことはないんですよ。手を抜きたいと四六時中思っているんだけど、抜いてやったら後悔する自分を解っているから。だから徹底的にやります。オール・オア・ナッシングが自分の性格ですから」

今でも5、6本の仕事を抱え、これはインフルエンザで高熱が出た中でのインタビューであった。にも関わらず、ひたむきにこちらの話に耳を傾け、時折やさしそうな笑みを浮かべる彼の姿が印象に残っている。一体、いつ休まれているんですか? という問いに彼は少し自嘲気味な笑みを浮かべてこう答えた。

「でも生きていくというのはそういうことだし、モノを創っていくというのはそういうことだからね。知的な要素が強いストレスのある仕事が一番楽しいもんですよ」

(Free & Easy 2002年4月号 Vol.5 No.42 より)

 

 

Bolg. 「ROADSHOW ロードショー 2002年4月号」 淀川長治賞受賞 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/17

映画情報誌「ROADSHOW ロードショー 2002年4月号」に掲載された久石譲インタビューです。200年淀川長治賞受賞記念のスペシャル・インタビューとなっています。

 

 

2002年淀川長治賞発表!!

淀川長治賞とは

日本の映画文化の発展に長年にわたり多大な貢献をされてきた故淀川長治氏の業績をたたえ、これを記念して1992年に設立されました。この賞は、映画文化の発展に功績のあった人物(または団体)を毎年1名程度選考し、表彰するものです。

2002年の同賞受賞者として、選考を重ねました結果、『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』など宮崎駿監督のヒット作や、『HANA-BI』『BROTHER』など北野武監督の話題作を中心に斬新な映画音楽を手がけ、映画界に比類のない存在となった久石譲氏を選出いたしました。2002年4月12日に行われる「淀川長治賞授賞式」にて正賞を授与します。

 

●授賞理由

久石譲さんは、『風の谷のナウシカ』を皮切りに、40数本の話題作の映画音楽を手がけてこられました。特に、超ヒット作『千と千尋の神隠し』に至るまでの宮崎駿監督作品、『あの夏、いちばん静かな海。』から『BROTHER』に至る北野武監督の問題作において、きわめて現代的な映画音楽作りに取り組んでこられました。さらに昨年は、初監督作『カルテット』を発表、またフランス映画『リトル・トム』(仮題)で国際舞台にも進出され、日本の映画音楽の水準の高さを証明されました。

こうした業績をたたえて、ここに2002年淀川長治賞を授与いたします。

 

●受賞のことば

一緒に仕事をしてきた北野武監督も宮崎駿監督も、過去に淀川長治賞を受賞していますね。そういう素晴らしい賞をいただけると聞きまして、名誉だと思いますし素直に喜んでいます。思い出しますと、北野監督との初の作品『あの夏、いちばん静かな海。』は、淀川先生にほめていただいたことが世間の評価につながりました。おかげで名作として見直してもらえたという点で、淀川さんの発言力もすごく大きかったと思います。(久石譲・談)

 

[選考委員]
品田雄吉(映画評論家)、渡辺祥子(映画評論家)、髙澤瑛一(映画評論家)、ROADSHOW編集長

 

 

久石譲さん〈受賞記念 SPECIAL INTERVIEW〉

いま自分がやっている仕事は、世界でも先端をいくものだとわかりました!

北野監督や宮崎監督のように正反対な世界観を持つ人のほうがやりやすいですね

-久石さんは、北野武監督や宮崎駿監督らの、異なったジャンルの映画の音楽を同時に担当されたりして、違和感はありませんでしたか?

久石:
「海外で取材を受けると”ハートウォーミングな宮崎作品と、バイオレンスの北野作品を同じ作曲家が手がけるようなことは、ヨーロッパやアメリカにも例がない”と言われるんですよ。なぜ、できるのかと必ず聞かれる。でも、中途半端に似た監督の音楽を手がけるほうがつらい。正反対な世界観を持つ監督のほうが、逆にやりやすいですね。北野作品では、できるだけ感情を伴わない、同じパターンを繰り返すようなタッチで。宮崎作品ではメロディが主体。はじめから、はっきり区別してやってきたので苦労はしなかったです。でも最近、北野監督からはエモーショナルな音楽を要求されるケースが多くなった。逆に宮崎監督のほうは、『千と千尋の神隠し』などでは、冒頭から感動を押しつけるのではなくて、シンプルな音がいいねと言われるようになったかなあ(笑)」

-映画音楽というのは、どういう手順で作られていくのですか。

久石:
「それは監督によって違います。でも、まずは脚本を読むことから始まる。そして、どんな世界にしたらいいかを考える。具体的に言うと、オーケストラでいくのか、シンセサイザーでいくのかとか。それから、北野監督の場合は、余り多くのことを語られないかたですから、相当な部分を任されていると思って、音楽を作った上で提示するケースが多い。宮崎監督とは、絵コンテを見ながら、徹底的に話し合ってやっていきます」

-2001年は、おふたりの『BROTHER』と『千と千尋の神隠し』があり、久石さんの初監督作『カルテット』が公開されて、いそがしい年でしたね。

久石:
「『カルテット』では、過去に40本余りの映画に音楽をつけてきた作業の末に、こういう音楽映画も日本にあっていいのではないかと考えたことが、監督をするきっかけになりました」

-監督業は大変でしたか?

久石:
「多くの監督さんたちが苦しんでいる姿をそばで見てきましたから、そう簡単に監督業に手をつけるものではないと思って、断り続けてきたんですよ。やってみたら、思っていた以上に大変でした」

 

海外作品での初仕事、フランス映画『リトル・トム』で自信を持ちました!

-さらに、海外での初仕事になるフランス映画『リトル・トム』(仮題)の音楽も手がけられたのですね。

久石:
「シャルル・ペローのおとぎ話”親指トム”を下敷きにした、幻想的で、けっこう怖い大作です。監督は、30代のオリビエ・ダアン。この作品に音楽をつけていくうちに、ぼくたちは世界中の映画音楽のレベルでいっても、相当進んだ位置にいることがわかりました。ハリウッドのメジャーでやってきたエンジニアとケンカして、自分のやりかたを通しました。日本でいい音を作ろうとして、ドルビー5.1チャンネル・デジタル・ミックスその他の技術的な面のノウハウを追求してきた末に、いまぼくたちは世界でも先端にいると実感しました。現場での経験を積み重ねた結果、外国人スタッフと仕事をしてみたら、ぜんぜんイケテルじゃないかという気分になりました」

-ところで、外国映画で好きな作品とか、影響を受けた作品はありますか。

久石:
「好きな作品は、『ブレードランナー』と『セブン』ですね。それに、一緒にやってきた監督すべてに影響を受けています。でも、仕事が煮つまったり、疲れたりすると、スタンリー・キューブリックか黒澤明監督の作品を見ます。そして見るたびに、いろいろな発見をします。なんで、ここでこういう音楽を使ったのだろうとか、映像のもっていきかたを考えると、すごいんですよ。キューブリックなどの場合は、『シャイニング』にしても『フルメタル・ジャケット』にしても、長いシーンで緊張感を持続させる。何が映像的なのかを、とことんまで追いつめたのが、このふたりの監督です。彼らの映画は、バイブルみたいなものだと思います」

-2002年のお仕事の予定は?

久石:
「まずは北野武監督の新作、そのほかに何本かの作品のオファーがあります。今年も映画音楽家としてがんばります」

(ROADSHOW ロードショー 2002年4月号 より)

 

 

Blog. 「PREMIERE プレミア 日本版 October 2001 No.42」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/16

映画情報誌「PREMIERE プレミア 日本版 October 2001 No.42」に掲載された久石譲インタビューです。

『joe hisaishi meets kitano films』『千と千尋の神隠し』『Quartet / カルテット』『Le Petit Poucet』、怒涛の2001年を象徴するような、そして各作品ごとにしっかりと語られた貴重なインタビューです。

「Summer」(菊次郎の夏)は第2テーマのつもりだった?!宮崎駿監督はミニマルを要求した?!日本を代表する二大監督の音楽を手がけてきた久石譲。それぞれ別ベクトルで音楽を創作してきたものが、大きく交わろうとした2001年とも言えるのかもしれません。

 

 

映画音楽の魔術師
久石譲が奏でる新しい旋律

彼の音楽なくして、2人の映画は語れない。北野武と宮崎駿、共に日本が世界に誇る映画監督の作品を見るとき、久石譲の生み出したサウンドは単なる音以上の力を持つ。それは映像と一体となってイメージを膨らませ、見る者の耳と目に鮮烈な印象を残す。その彼が、『カルテット』では指揮棒の代わりに自らメガホンを握った。北野作品、『千と千尋の神隠し』、初監督作、そして初の外国映画とのコラボレーションなどについて、マエストロが語った。

Text by 前島秀国

 

北野武監督とのコラボレーションを集大成したベスト盤『joe hisaishi meets kitano films』の発売、宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』完成披露、自身の初監督作品『カルテット』完成披露、そしてフル・デジタル・ムービーによる監督第2作『4 Movement』の初上映……。

わずか1ヵ月の間に驚くべき密度の濃さである。秋には全国8ヵ所を訪れるツアーとソウル公演を控え、指揮者への意欲も見せる。八面六臂の活動ぶりを見せる久石譲を、もはや「音楽家」という枠組みにはめておくことはできない。

 

北野武監督作品

「今回のベスト盤は僕にとって重要な作品です。北野監督のために書いてきた音楽が、実は自分のソロアルバムのための音楽と呼べるものでもあった、という面を含んでいます」

最新作『BROTHER』ではトレードマークのピアノ・ソロでメインテーマを奏でることを潔しとせず、リード楽器にフリューゲルホルン(トランペットより若干、柔らかい音を発する)を使用して話題となった。

「もともと監督はピアノと弦が好きで、ブラス(金管)はあんまり好きじゃないんです。僕もあんまり好きじゃなかった(笑)。しかし、LAの乾いた雰囲気をフル・オーケストラでどう表現すればよいかを考えたとき、あえて硬質で乾いた響きをブラスや木管で表す方向に切り替えたんです。作品的に見れば『BROTHER』は『ソナチネ』や『HANA-BI』の延長線上に位置づけることができるので、その2作と同じような音楽を繰り返せば何の問題もない。ただし、それをやってしまったら今度、北野監督とコラボレーションを組むときに音楽がマンネリ化してしまう。北野監督の世界もどんどん大きくなっているわけですから、音楽の側もキャンパスを広げる作業をして対応しなければならない、という気持ちがあったのです」

北野監督や宮崎監督と組んで音楽を書くとき、久石は自分自身のソロアルバムでは得ることのできない大きな喜びを感じるという。

「例を挙げると『菊次郎の夏』のメインテーマ『Summer』。あれは僕にとっては第2テーマだったんです。もともと『菊次郎の夏』では北野監督が『絶対にピアノでリリカルなものを』というイメージをはっきりもっていたので、その意向に沿って第1テーマと、軽くて爽やかな『Summer』を作った。そして両方聴いて頂いたときに『あ、これ、いいね』と監督が洩らしたのが第2テーマだったんです。そう言われたら、こっちはパニック(笑)。つまり、映画のなかの重要な個所は第1テーマで押さえたつもりだったのに、監督が気に入ったのは第2テーマだから、全部入れ替えなければならない。しかし、そのときに監督が出した方向性というのは、実は圧倒的に正しいんですよ。僕なんかでは太刀打ちできない『時代を見つめる目』があるんです。軽かったほうの『Summer』が結局メインテーマになり、しばらくたってからそのテーマ曲が車メーカーに気に入られ、1年以上もCMで流れている。宮崎監督もそうですが、彼らは音楽が社会に出たとき、人々の耳にどのように聞こえるか、ちゃんと知っているんですね」

 

『千と千尋の神隠し』

その宮崎監督が引退宣言を撤回し、実に4年ぶりのコラボレーションとなった『千と千尋の神隠し』。これまでの宮崎アニメ同様、本作でもサントラ録音に先立ってイメージアルバムが制作された。このイメージアルバムと実際のサントラの仕上がりは時に大きく異なることもあり、作曲家は通常の倍の手間をかけなくてはならない。今回、『千と千尋の神隠し』のイメージアルバムで興味深いのは、本編で使用されていない歌が数多く収録されていること。しかもすべて宮崎監督の作詞によるものだ。なかでもムッシュかまやつの陽気なヴォーカルと「さみしい さみしい 僕ひとりぼっち」という歌詞が奇妙なミスマッチを生み出すカオナシのテーマソングなど、『千と千尋の神隠し』を読み解くための鍵が隠されているようにも思えるのだが。

「イメージアルバムの制作に入ったときには、すでに1、2ヵ月後に本編のサントラに取りかからなければならない時期にさしかかっていました。そこでイメージアルバムでは、あえて全部『歌もの』に切り替えたという事情があります。宮崎監督から頂いた説明がかなり詩的なものだったので、『じゃあ、これを全部歌にしちゃえ』と。ですから、映画と切り離して作ったアルバムですね」

ところが実際に本編に付けられた音楽を耳にし、大きな衝撃を受けた読者も多かったのではなかろうか。沖縄の島歌からガムラン、果てはロマンティックなワルツまで、驚くほど色彩的なスコアが展開されていた。

「宮崎監督は最初、すごくミニマルっぽいものを要求したんです。もともと『となりのトトロ』などでもミニマル風の音楽を付けたことはありますが、今回、監督から『ここのシーン、普通なら(フルオケで)ジャーン!と鳴らすところをミニマルで行きませんか?』と言われてびっくりしました。いつも宮崎監督は『自分は音楽のことはよくわからないので』とエクスキューズしていますが、北野監督と同様、映像に付ける音のあり方に関しては、ものすごく鋭敏な神経をもっていますね。『千と千尋の神隠し』のサントラでは、あまり好きなやり方ではないのですが、キャラクターごとに音楽を付けていくハリウッド的な手法をとりました。あくまでも少女の話なので、彼女の心情にできるだけ寄り添いながら静かな音楽で押し通し、あとは監督の世界観に(フルオケで)合わせると。ただ、その世界観をつかむのが大変でしたね」

 

真の音楽映画『カルテット』

これまで日本にもミュージカル映画や歌謡映画は存在した。しかし、久石監督のデビュー作『カルテット』は「日本初の音楽映画」だという。

「まず音楽映画とはどういうものか、明確な定期をしておかなければいけないと思いました。ドンパチがあればギャング映画、音楽があれば音楽映画というふうに考えれば、実際どのジャンルを見ても明確な定義など存在しないんです。そこで自分が考える音楽映画とは、まず第1に音楽自体がストーリーの展開と強く絡んでいなくてはいけない。第2に、せりふの代わりに音楽で半分ぐらいは表現してしまう。つまり、(音楽で)見る側にイマジネーションを広げてもらう。この2点を明確にして自分のスタンスをとろうというのが演出の根底にあったんです」

音楽大学の同級生だった4人の若者がカルテット(=弦楽四重奏団)を組んでコンクール優勝を目指すという青春映画、撮影にあたってスタッフに手渡されたのは、なんと監督の手による楽譜だったという。現場での混乱はなかったのだろうか?

「そりゃ大混乱ですよ(笑)。譜面を渡されて、『3小節目のジャン!で、左からカメラ寄る』なんて書いてあるわけです。結局、学生さんのアルバイトを雇い、たとえば阪本善尚カメラマンの後ろに1人付けて、「1、2、3、ポーン」という感じで背中を叩いてもらって撮ってもらいましたから(笑)。通常、オケを撮る場合もオケを恐れちゃって遠くから撮るだけっていうケースが圧倒的に多いんですよね。自分はオケの連中との仕事も長いんで、『はいっ!弦、全部どけ~!』ってガンガンなかに入って撮る」

袴田吉彦以下、主要キャストの演奏場面を、監督は「アクション・シーン」とみなして演出したという。

「袴田君たちは(プロの)ヴァイオリン奏者じゃないから、みんな(実際に)弾いていないってわかっているわけです。だから見る側が『あっ、本当に弾いている』と思えるところまでもっていくのが鍵でした。楽曲の小節ごとに顔のアップ、手のアップ……と決め、『その小節だけは何が何でも手とかは写るからね』と指示して、さらってもらったんです」

初監督の経験は今後、映画音楽作曲家としての彼にどのような影響を及ぼすのだろう?

「プラス、マイナス両面あると思います。プラスの面は、まず脚本の読み方が変わりましたね。つまり、カット割りを含めて監督の視線を前よりも強く認識するようになりました。映像をどうやって組み立てていくか、監督の気持ちがより深く理解できるようになった。マイナス面は、かえって深読みしすぎて映像のほうに寄った音楽を書いてしまう可能性がありますね。実は音楽を付ける作業では、直感的なところで決断したほうがかえって力強いものが生まれたりするんですね。映像と音楽が対等にあって、喧嘩するくらいの感じで距離をとりながら相乗効果になっていくのが、僕はいいと思います。そのあたりは今後、自分でも距離をとっていかなければならないですね」

 

初の海外作品は童話がベース

さらに驚くべきことに、こうした多忙な作業と並行しながら初の海外作品『Le Petit Poucet』のスコアも手がけたというから凄まじい。原作は「シンデレラ」などで知られる童話作家ペローの「親指小僧」だ。

「確かに子供も出演している童話ですが、結構残酷な映画なんですよ。なぜ僕のところに依頼が来たのかまったくわからないんだけど……スタッフは僕以外、全部フランス人なんですが、オリヴィエ・ドーハン監督は『トレインスポッティング』のフランス版のような映画をこの作品の前に1本撮っています。本人も鼻ピアス、目ピアスみたいな(笑)」

だが、久石はことさらフランスの風土に見合った音楽を提供するような、安易な姿勢をとらなかった。

「全体のサウンドの設計からいうと、〈日本〉をすごく出しました。和太鼓だったり尺八だったり……宮崎監督をはじめ、日本の監督は尺八を使うとすごく嫌がるんですよね。『尺八の音』とイメージを限定してしまうから、と。でも、フランス人には全然関係ないことなので、逆に前面に出したんですよ。そのほうが自分にとってリアリティがあるということもありますが、もうひとつはドメスティックなほうがかえってインターナショナルに通用する。要するに日本やアジアの風土に根ざした音楽を掘り下げた状態で提示すれば、それは世界中で通用するはずなんです」

これまでの名声に甘んじることなく飽くなき実験を重ねながら、活動の場は世界へ……。久石譲の新たなる挑戦が始まろうとしている。

(PREMIERE プレミア 日本版 October 2001 No.42 より)

 

 

Blog. 「CDジャーナル 2002年4月号」 冨田勲 vs 久石譲 対談内容

Posted on 2018/10/15

音楽雑誌「CDジャーナル 2002年4月号」に掲載されたものです。冨田勲と久石譲という日本を代表するふたりの作曲家の貴重な対談内容になっています。

 

【現代コンポーザーspecial対談】
音、映像、そして空間の魔術師たち
冨田勲 vs 久石譲

作曲家活動50年という時間のなかですこしも止まることなく、日本文学の最高傑作とされる『源氏物語』をテーマに、あらたにコンサート組曲と映画音楽というふたつの作品を仕上げた冨田勲。一方、宮崎駿、大林宣彦、北野武といった日本映画を代表する監督たちとともにその代表作を音楽面から支えてきた久石譲は、はじめて自分自身で映画作品を仕上げた。そんなふたりにとって映像と音楽の関係、そして自分らの作品への想いはどんなものだろう。そして、それぞれの仕事へ向ける興味とは。

久石:
「もう30年も前のことになりますか、ほんの少しだけ冨田さんのお仕事を手伝ったことがあるんですよ。NHK大河ドラマ『新平家物語』のテーマ録音でした」

冨田:
「へ~え。あれはたしかまだシンセサイザーを使ってないですよね」

久石:
「ええ、キーボードを弾かせていただいたんです。当時の学生仲間が琴で参加していまして、ちょっと助っ人に来いということだった。そのときスタジオでお目にかかって〈いや、3日寝てないんだよ〉と話されていたのがすごく印象に残っています。作曲って体力勝負だな、と思いましたよ」

冨田:
「いや、ほんとうにぼくらの仕事は肉体労働だよ。やっとこの頃、どうにか自分でコントロールできるようになってきたけど。久石さんなんか、いまが死ぬほど忙しいでしょう? 仕事がいろいろな方向へ拡がっているものね。すごく興味を持って見させていただいているんですよ」

久石:
「いやいや、ボクにとっては、一瞬のうちに響きやサウンドが聴き手の耳を惹きつけてしまうという冨田さんの仕事がいつも一番気になってきたものなんです」

冨田:
「なんだかいつでも押しまくられているなかで仕事してきた、というのが実感なんだけど、そんな風に感じてもらえたら最高ですね。でも、余裕があるから出来にも満足できるかというとそうでもない。緊張のなかでポッといいものができたりする」

久石:
「〆切ぎりぎりのテンションが高まったなかでやるのがよかったりしますよね」

 

『源氏~』に漂う幻想的なトミタ・ワールド

-エールの交換といった感じですが、そんななかで仕上げられた今回の仕事。冨田さんの『源氏物語』関連2作品、久石さんの『Quartet ~カルテットOST』と『ENCORE』、それぞれについて聞かせていただけますか。

冨田:
「ぼくの場合はたまたま『源氏~』が重なったんです。はじめにコンサート版の『源氏物語幻想交響絵巻』があり、そのあとに『千年の恋~ひかる源氏物語』のオリジナル・サントラといった具合いにね。偶然なんですよ」

久石:
「ロンドン・フィルとやった『~交響絵巻』は、サウンドも音楽も素晴らしかった。オーケストレーションは全部、ご自分で書かれたんですか?」

冨田:
「不思議なもので覚えてるんだよね。シンセサイザーを使うようになってから、楽譜を書くなんてこと一切やらなかったのに、今回試してみたらできるんですよ。30年ぶりだよ。でも、結局、自分でやってよかったというのが実感ですね」

久石:
「ナマの楽器を使っても間違いなく冨田さんの音ですよね」

冨田:
「普通、ぼくはテーマ音楽をつくるときには主人公に入れ込む。脚本などをとことん読み込んで自分なりのイメージをつくってね。それが今回は違っていたんですね。最後まで光源氏の顔がでてこない。人間の本質がでてこない。わからなかったんだね。だから結局、光源氏のテーマってないんだよ。その代わり、紫の上の哀しみのようなものがずいぶん強く漂っていますよ」

-『千年の恋』も同じことですか?

冨田:
「いや、ぼくのなかではまったく別ですね。具体的には源氏、六条御息所、若紫と、みんな役者さんがいる。その意味ではイメージはまとまりやすかった。ただ、彼らが暮らしているベールの向こう側の世界を表現するのには、ナマの楽器ではなくシンセサイザーで創った音、幻想的な音が適していると考えたんです」

久石:
「メロディを創るだけじゃなく、和音や音色まで創造する。自分が発想した音色をそのまま実現するのがシンセサイザーですからね」

冨田:
「ぼくはモノラル放送2ラインを同時に使ってステレオ放送を流すというNHKの『立体音楽堂』という番組から大河ドラマの音楽へというように、作曲の道に踏み込んだ。でも、そのうちに、いろいろな曲を書いても結局は自分の書いてる譜面は前に誰かがやっちゃってるんじゃないか、と悩むようになりまして。ピアノもヴァイオリンも、もう誰かがやり尽くしてるんじゃないかってね。そんなときに出会ったのがシンセサイザーだったんですよ」

久石:
「最初のころにシンセは、たしかにすごくイマジネーション豊かな楽器でしたよね。なんといってもひとつひとつの音から創っていかなければならない。逆に創れる。電子楽器とはいっても、その意味では手作りの楽器だった。それと、また別のところでボクが非常に面白いと思ったのは、作曲の過程というのが冷静に音を数値に置き換えていく作業だと気づいたことでした。自分と自分が出す音を客観的に見られるようになる訓練だったともいえますね。シンセは本来、音色を創らなければならない。でも、いまはあふれるほどサンプリングがありますよね。クラリネット、フルート、弦……それをそのまま使うなら、ナマの楽器の音の方がいいんじゃないかな」

冨田:
「アナログのころは同じシンセサイザーを使っても、個性があってそれぞれの作品に深みがあったよ」

久石:
「冨田さんの『月の光』を聴いたときのショックといったらなかったもの」

 

音以外の”世界創造”を、と映画制作に辿りつく

-ところで、久石さんのあたらしい方向性はどんなところからでてきたんですか。映画音楽から映画そのものへですよね。

久石:
「宮崎さんや(北野)武さんの映画作りをみていると、とてもじゃないけど、あんな大変な思いをするのはまっぴらだし、だいたい自分にはとても無理だ、というのが正直な感想なんですよ。でも、それとは違ったところで、これまでは”音楽で世界をつくってきた”のだけれど、もっとべつの形で”世界創造”をしてみたい、やってみたら、どんなになるのだろうという気持ちが強くなってきた。『Quartet~カルテットOST』という作品はそんな気持ちの表れなんです」

冨田:
「ぼくもそうなんだけれど、作曲するときって自分なりのイメージを持ちながら、つねに映像とのズレがあるよね。それがかえっていいものを創るバネになったりする。逆に自分で両方引き受けてしまうというのは辛くないの?」

久石:
「脚本を読み込むなかで自分のイメージができる。もちろん実際の映像は違ったものになるから、ある程度の距離を保ちながらその違いを出していく、ということなんです。ただ、だんだん音楽だけでは表現できないものがたまってきた。こういう映像でこういったものがあってもいいんじゃないか、ビジュアルをふくめて自分の創作を実現してみたい。そんな気持ちですね」

冨田:
「久石さんはライブラリーが広くて懐が深いから、それができるんだろうな。ぼくの場合、自分の志向は割と狭いんで、そこからはずれると意外に弱いんだ」

久石:
「いえ、じつは『Quartet~カルテット』は音楽映画ですから、逆にそのための音楽は必要ない。弦楽四重奏団が主人公だから、彼らの演奏だけで音楽は十分。劇中でかならず音楽がなるから、映画音楽を一切書かないでやろうということで、映像を創る自分と音楽の距離をとったんです。もちろん、そうは単純には行きませんでしたが」

-それと較べると、ソロ・ピアノの作品『ENCORE』の位置づけはどういったものでしょう。

久石:
「14年ぶりにやってみたピアノだけのアルバムなんですよ。映画音楽からはじまって、ここ数年、イベント・プロデュース、映画制作と仕事の枠を大きく拡げてしまったんです。音楽に向かう自分自身が一番ピュアな原点に戻らなきゃいけないという気持ちになった。それがこのピアノ・アルバムというわけです」

冨田:
「なにかをやってだれかを驚かそうとかじゃなく、たまたまやりたかったことや、やらなきゃいけないと突き動かされたものを手掛けるんだよね」

久石:
「活動は線だから、目前にあるものに向かって自分を表現していく。もちろんその向こうには聴き手がいるわけです。でも、まずは自分がどこまで納得できるかが大切でしょう」

冨田:
「ぼくの場合、それはずっとこだわり続けてきた立体感あふれる音楽だったりする。だからいま四方八方から音が聴こえる日常生活の音を体験できるDVDオーディオに興味津々だよ」

久石:
「長野パラリンピックの総合プロデューサーをやり、福島の『うつくしま未来博』ではフル・デジタル・ムービーとステージ・パフォーマンスを組み合わせました。あまりにも拡がりすぎたので音楽の仕事へ立ち返ったのがいまの姿。ここからまた踏み出そう、というところですかね」

そう語り合った冨田氏と久石氏。まだまだ新しい音楽の姿で、わたしたちを魅了してくれそうな予感を漂わせた対談だった。

 

「こだわっているのは、やはり立体感のある音楽ですね」(冨田)

「純粋に音楽へ立ち帰ろうと思っているのが今なんです」(久石)

 

(CDジャーナル 2002年4月号 より)

なお本誌には貴重な2ショット写真も掲載されています。

 

 

Blog. 「pen ペン 2011年7月15日号 No.294」創造の現場。久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/10/10

雑誌「pen 2011年7月15日号 No.294」に掲載された久石譲インタビューです。

世界で活躍する創造者たちがクリエーションを生みだす場所を写真家ベンジャミン・リーが写しだす、という好評連載コーナー「創造の現場。」に久石譲が登場した回です。2ページ見開きで1ページ分を大きな写真が掲載されています。取材に人が入るのは初めてというプライベートスタジオの写真です。

 

 

創造の現場。 36 久石譲 音楽家

音楽の根本を考える、ここは「世界の中心」。

「ここは、自分にとっては『世界の中心』みたいなところですね」と久石譲はやわらかな声で言った。自宅にあるプライベートスタジオでのことだ。

「音符やリズムの実践は、昼間、オフィスにあるスタジオで行います。でも、根本的なアイデアはここで生まれますね。とても重要な場所です」

深夜に自宅に帰ると、明け方までをこのスタジオで過ごす。

「ここでは、気になるCDを聴いたり、本や資料を読んだり。中心となるのは、昼間に実践している音楽の根本を考えることと、クラシックの勉強です」

自身の生き方を「螺旋を描くように進んできた」という。現代音楽家としてスタートを切り、映画音楽に数多く関わり、2年前からクラシック音楽を活動の芯にしている。コンサートではベートーヴェンやマーラーの曲を指揮し、自身の新作交響曲も披露する。長く親しまれてきたクラシックと、いま生まれたばかりの曲を同じホールに響かせるのは、大きな挑戦だ。

「いまやっておかなければ、という気がするんです。短い作品は2000以上作曲してきたので、そろそろ、全体でものを言うもの(交響曲)を書いてもいいのでは、と。それに、クラシックにもコンテンポラリーな視点を入れたほうがいいと思う。どんなにいい時代の曲でも、新しい視点で前の観念を壊し続けないと、生き続けないから」

自分にプレッシャーをかけ、全身全霊を捧げて音楽を追究する。3月11日を経て、思いはさらに強くなった。

「音楽はひとつの救いになるけれど、我々音楽家はそれに加えてもっと強く、音楽がなぜ必要なのか、自分で回答を出していく仕事をしなければ」

音楽はいつでも、いまを生きる人のためにある。音楽の潮流がこれからもみずみずしく強くあるために、そして螺旋状に続く道をその先へ進めるために、「世界の中心」がある。

 

写真横に掲載されたコメント)
プライベートスタジオ。オフィスのスタジオと同じ機材を揃えた。オフィスは実践、ここは思考。ふたつの場所を行き来し、気分を切り替える。取材のために人が入るのは初めて。

(pen ペン 2011年7月15日号 No.294 より)

 

 

この4年間におよぶ連載は2014年「創造の現場。」書籍化されています。紙面構成は同じです。各界著名人、約100人のクリエイターたちの言葉と象徴的写真を収めた本です。