Blog. 「かぐや姫の物語 サウンドトラック」(LP・2021) 新ライナーノーツより

Posted on 2021/05/24

2021年4月24日、映画公開当時はLPでは発売されていなかった「崖の上のポニョ」「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」の3作品に、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売されました。各サウンドトラック盤には、前島秀国氏による新ライナーノーツが書き下ろされています。時間を経てとても具体的かつ貴重な解説になっています。

 

 

”『ナウシカ』について言えばね、最初にイメージ・レコードっていうのを作ろうということで、久石さんていう人に頼んで作ってもらったんですね。そしたらなかなか面白い曲がその中に含まれていた。で、いろいろ経緯はったんだけど、映画の音楽も久石さんにやってもらおうということになった時にね、(中略)要するに久石譲という人にとって、映像に劇伴としてつけるんじゃなくて、原作を読んで想像力を駆使して、独立した音楽として聞かせるつもりで全力をあげて書いたもんでしょ? その魅力を全面的に発揮させるように後で音楽設計をする。” (高畑勲『映画を作りながら考えたこと』徳間書店所収「「赤毛のアン」制作の全貌に迫る」 初出は「アニコムZ」vol.5 赤毛のアン特集 1985年8月 早稲田大学アニメーション同好会)

”テーマ主義による基本的な音楽設計が出来上がってみれば、ゆきなやんでいたことが嘘みたいに明快なのであった。久石氏は精神性の表現として必要なテーマのすべてをイメージ・レコードのなかに用意してくれていたわけである。” (前掲所収「しあわせな出会いー久石譲と宮崎駿」 初出はアニメージュレコード「久石譲の世界」1987年3月25日 徳間ジャパン)

これは、宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』のプロデューサーを務めた高畑勲が、同作の音楽制作の過程を回顧した発言および文章である。久石譲にとって本格的な劇場用長編映画作曲第1作となった『ナウシカ』の段階で、すでに高畑は映画音楽作曲家としての久石の特質を正確に見抜いていた。つまり「全力をあげて書いた」「精神性の表現として必要なテーマ」が適切な音楽設計により「その魅力を全面的に発揮」するという特質である。その高畑が、結果的に生涯最後の監督作となった『かぐや姫の物語』の音楽を久石に依頼することになった時、『ナウシカ』の経験を即座に思い浮かべたことは想像に難くない。イメージアルバムこそ制作されなかったものの、『かぐや姫の物語』の久石の音楽は、高畑勲監督が『ナウシカ』制作時に初めて見出した方法論の延長線上に位置づけることが出来るだろう。本盤の収録曲に聴かれるように、久石のスコアは明確なテーマ主義という一分(いちぶ)の隙もない音楽設計に基づいて作曲され、しかも『ナウシカ』に勝るとも劣らない高い精神性を表現しているからである。

その『かぐや姫の物語』について、久石は次のように筆者に語っている。

”かぐや姫という主人公は、月の世界にいる間は人間的な喜怒哀楽も知らず、完全な幸せの中で暮らしている存在です。その彼女が地上に下り、さまざまな人間の感情を経験し、再び月の世界に戻っていく時に、やはり彼女はそのまま地上にとどまっていたいと感じた。つまり、人間というのは日々悩み、苦しむ存在なのですが、それでもやはり生きるに値する価値がある。そのようなことを『かぐや姫の物語』からは強く感じます。” (前島秀国「久石譲《第九スペシャル》を語る」 2013年12月「久石譲 第九スペシャル」プログラムノート)

本作の音楽制作については、別掲の高畑監督と久石の対談、およびメイキングビデオ「高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~」の中で詳しく紹介されているでの、ここではその過程を簡単にまとめておく。

もともと本作は、宮崎監督の『風立ちぬ』──こちらは久石が本編公開の2年以上前に作曲の依頼を受けていた──と同時公開(2013年7月20日)が予定されていた。もし、本作の制作スケジュールが当初の予定通りに進んでいたら、『かぐや姫の物語』の音楽制作は『風立ちぬ』と時期が重なってしまうため、久石は『風立ちぬ』の作曲に専念せざるを得なかっただろう。しかしながら、本作の制作スケジュールに遅延が生じ、2013年11月に公開延期が決まったことから、2012年暮、高畑監督は久石に作曲を依頼した。その時点で、すでに多くの作曲スケジュールと演奏予定が詰まっていたにも拘わらず、久石は本作を「高畑監督との一生に一度の仕事」と位置づけ、作曲を快諾。2013年正月明けに設けられた音楽打ち合わせの後、まず久石は琴の演奏シーンの作画に必要な楽曲の録音に着手したが、この時に久石が書き下ろした琴の音楽を高畑監督が大変気に入り、その曲を基にした「なよたけのテーマ」をメインテーマにすることで、スコア全体が作曲・構成されていった(本編のための作曲作業が本格化する前に書いたが曲が、結果的に映画の中で最も重要な音楽となったという点でも、本作と『ナウシカ』は共通している)。

以下、本作の微に入り細を穿った音楽設計を明らかにするため、スコアに登場する全テーマと、それに対応する本盤収録曲を列挙する(テーマ名は、筆者が暫定的に付けたもの。「」はテーマ名、《》は本盤収録曲を示す)。

「わらべ唄」
《はじまり》《秋の実り》《春のワルツ》《月》《琴の調べ》《わらべ唄》《天女の歌》
高畑監督が作曲した5音音階の劇中歌。《わらべ唄》《天女の歌》は久石が参加した時点で曲は既に存在していたが、ヴォイス・キャストが歌う《わらべ唄》《天女の歌》は、演技の流れを重視してアフレコ収録されている。劇中でかぐや姫が演奏する《琴の調べ》は、久石の編曲・指揮により、姜小青が古箏(こそう、グーチェン)で演奏した。この「わらべ唄」で特に注目すべきは、第2節にあたる《天女の歌》が、歌詞の上でもメロディの上でも、地球の記憶に涙する天女の心境を反映したヴァリエーションとなっている点である。

久石のスコアにおいては、まずオープニングタイトルの《はじまり》において「なよたけのテーマ」の対旋律として導入され、かぐや姫が満開の桜の樹の下でくるくると舞い躍るシーンの《春のワルツ》後半部で西洋風のワルツ様式に編曲されている(つまりワルツのリズムが持つ旋回性と、かぐや姫の舞いの旋回運動がシンクロしている)。ラストシーンの《月》では、やはり「なよたけのテーマ」と共に演奏されるが、久石は《天女の歌》のメロディを用いることで、地球を懐かしむかぐや姫の未練を暗示している。

「なよたけのテーマ」
《はじまり》《小さき姫》《なよたけ》《蜩の夜》《悲しみ》《飛翔》《別離》《月》
先述のように、もともと作画用に書かれた琴の音楽(本盤には《蜩の夜》を収録)を基にしたメインテーマ。このテーマは《はじまり》で登場した後、翁が竹藪の中でかぐや姫を見つけるシーンの《小さき姫》で初めてテーマ全体が演奏され、以後、かぐや姫の出自やアイデンティティに関わる重要なシーンに限って登場する(《なよたけ》は、テーマのフル・ヴァージョンを久石自身のソロ・ピアノで収録したもの)。ちなみに本作の劇場公開後、高畑監督が新たに歌詞を書き下ろし、久石が女声三部合唱のために編曲した「なよたけのかぐや姫」が作られ、同様に久石が編曲した「わらべ唄」女声三部合唱版と共に録音・楽譜出版されている。

「生命のテーマ」
《芽生え》《生命》《生命の庭》《飛翔》
「なよたけのテーマ」冒頭のモティーフを長調に変えて発展させた、「なよたけのテーマ」の派生形。いわば第2のメインテーマである。本編においては、媼がかぐや姫に授乳するシーンの《芽生え》で初めて登場する。さらに《芽生え》《生命》《生命の庭》が流れる各シーンにおいては、いずれも画面に鳥が登場することに注目したい。つまり、このテーマは鳥のように自由に羽ばたき、まさに「鳥 虫 けもの」のように生命を謳歌したいかぐや姫の願望をも象徴しているのである。その願望の到達点が、彼女が捨丸と共に鳥のように大空を羽ばたくシーンの《飛翔》であり、ここで久石は文字通り大空を羽ばたくような壮大なサウンドをオーケストラから引き出している。

「喜びのテーマ」
《生きる喜び》《タケノコ》《衣》《春のワルツ》《帰郷》
鳥のさえずりをモティーフにした五音音階のテーマ。「自然讃歌」と呼び替えてもいい。西洋のオーケストラを用いて東洋的な自然観を表現した、マーラー風の方法論に基づいて作曲されている。

「春のめぐりのテーマ」
《山里》《手習い》《春のめぐり》《真心》
いわゆるホーリー・ミニマリズム(宗教的ミニマリズム)のティンティナブリ様式(鈴鳴り様式)に基づいて書かれたテーマ。心安らかな三和音の素朴な繰り返しが、自然の営みや季節のめぐりを象徴し、かつ、そうした自然の中で生きる幼いかぐや姫の無心な喜びを表現している。ただし、石作皇子が一輪の蓮華の花をかぐや姫に捧げるシーンで流れる《真心》だけは、他の3つとは大きく異るヴァリエーションとなっている(ハープの伴奏に、繰り返しの音形を聴くことが出来る)。このシーンにおいては、「この一輪の花、すなわち姫を愛する我が真心」という石作皇子の言葉にかぐや姫の心が揺れ動き、もしかしたら石作皇子が自分と同じ価値観を共有しているのかもしれないという期待感を抱く。しかしながら、《真心》が「春のめぐりのテーマ」をそのまま演奏したものではないように、かぐや姫の期待も所詮は錯覚に過ぎなかったのである(ファゴットなどの低音が石作皇子の腹黒さや下心を象徴している)。

「運命のテーマ」
《旅立ち》《宴》《絶望》《里への想い》《運命》
この「運命のテーマ」は、使用楽器の違いによってふたつのグループに分類することが出来る。ひとつはリュート、チェレスタ、ハープなどによってメロディが演奏される《旅立ち》《宴》《運命》のグループ。このグループは、「鳥 虫 けもの」のように生きたいかぐや姫の願望とは裏腹に、彼女を”高貴の姫君”に育て上げていく翁の上昇志向に逆らえず、翁が決めた生き方、すなわち”運命”をやむなく受け入れる彼女の胸中を象徴している(その意味では「翁のテーマ」とみなすことも可能である)。もうひとつは、ピアノを用いた《絶望》《里への想い》のグループ。こちらのグループは、いずれもかぐや姫が激情に駆られるシーンで流れてくるが、久石の音楽はその激情と一体化することなく、ミニマル的なアルペッジョの繰り返しを強調することで、あくまでも運命に翻弄されるかぐや姫を客観的に捉えている。クラシック音楽にある程度親しんだリスナーならば、《里への想い》でピアノが演奏する3連符の繰り返し、つまりミニマル的なアルペッジョの繰り返しから、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番《月光》第1楽章を連想するかもしれないが、そうした連想は物語を深く理解する上でむしろプラスに働くかもしれない。というのも、月光のように輝くかぐや姫は、まさに月に帰らなければならない”運命”を背負った存在だからである(《月光》のニックネームはベートーヴェン自身の命名ではなく、第1楽章を「ルツェルン湖の月光のさざなみ」と評した詩人レルシュタープに由来する)。いずれにせよ、どちらのグループの「運命のテーマ」も、ミニマル風のアルペッジョの繰り返しが、抗うことの出来ないかぐや姫の”運命”を象徴している。

「月の不思議のテーマ」
《光り》《衣》《月の不思議》《月の都》
むしろ「月のモティーフ」と呼ぶべき短いテーマ。古来より”赫映姫”とも”輝夜姫”とも表記されてきたかぐや姫の光り輝く姿、および月の輝きをメタリックかつ冷たい音色で表現している。4曲とも短い和音か、その分散形として演奏されており、旋律的な要素を全く持たない(《月の都》ではハープとチェレスタなどが和音を仄めかしている)。つまり、月には謳歌すべき”生きる喜び”が全く存在しないことを示唆している。

以上述べた主要テーマとそれに属する楽曲以外に、久石は雅楽や祭囃をパロディ化した《高貴なお方の狂騒曲(ラプソディ)》(実質的には5人の公達のテーマ)、かぐや姫が御簾越しに演奏する《美しき琴の調べ》、それに《天人の音楽 I,II》を状況内の音楽として作曲しているが、本作公開当時、観客に大きな衝撃を与えたのは、かぐや姫を迎えに来た天人の楽隊が奏でる《天人の音楽》である。

このシーンのために高畑監督が参考にした阿弥陀来迎図には、篳篥、横笛、琵琶などの邦楽器、あるいは方響(大まかに言うと編鐘の小型版)のような中国楽器などが描かれており(来迎図が描かれた時代によって楽器編成は若干異なる)、そのいくつかは楽隊の演奏シーンでも見ることが出来る。もし、作画通りにこれらの楽器を鳴らす形で《天人の音楽》を作曲したら、おそらくは日本の伝統的な雅楽(宮廷音楽)に非常に近いものになるだろう。だが、それだと本作は物語的に破綻をきたしてしまう。雅楽は──《高貴なお方の狂騒曲》が端的に示しているように──かぐや姫に想いを寄せる側の音楽、すなわち御門の音楽だからである。天人たちが、そういう音楽を奏でるわけがない。《天人の音楽》の久石の作曲が真にユニークなのは、阿弥陀来迎図に描かれた楽器の音色をある程度尊重しながら別の楽器に置き換える(例えば琴をケルティックハープ、琵琶をチャランゴやギターなど)ことで雅楽の文脈を離れ、アジア、アフリカ、あるいは南米の民俗音楽にも通じるエスニックな音楽──語弊はあるかもしれないが、”土俗的な音楽”と言ってもいい──を書き上げた点にある。別の言い方をすれば、我々が聖歌のような音楽から連想する”天の聖”と、世界各地の民俗音楽から連想する”地の俗”という常識が、この《天人の音楽》には全く通用しない。時代的・地域的制約を逃れ、我々の常識を撥ね除け、人間の感情など一切関係なく、つまり「心ざわめくこともなく、この地の穢れもぬぐい去り」ながら、能天気にリズムを鳴らし続ける音楽。ある意味で煩悩から解き放たれた音楽、もっと言ってしまえば”あの世の音楽”なのである。

本来ならば、そういう音楽を我々は耳にすることが出来ないし、想像することも出来ない。耳にしている時は、おそらくかぐや姫と同じようにこの地を後にしているはずだから。哲学者ウィトゲンシュタインの有名な言葉をもじれば、「我々が語り得ぬ音楽に関しては、我々は沈黙しなければならない」のである。だが、高畑監督と久石はそういう音楽を敢えて映画の中で表現するという無理難題に挑み、生に満ち溢れたエスニックな《天人の音楽》をこのシーンで反語的に鳴らし、しかも先に述べてきた主要テーマを周到に本編の中に配置することで、作曲家にとって最も困難かつチャレンジングなテーマである”生と死”を見事に表現してみせた。これこそが『かぐや姫の物語』の音楽設計と久石の作曲が到達した、精神性の高さに他ならない。

本作公開後、久石は2013年12月に単独で《飛翔》を、翌2014年8月に交響幻想曲『かぐや姫の物語』(物語順とやや異なり《はじまり》《月の不思議》《生きる喜び》《春のめぐり》《絶望》《飛翔》《天人の音楽》《別離》《月》の順に構成)を、それぞれ高畑監督を客席に迎えて世界初演した。演奏後、久石の楽屋を訪れた高畑監督の満面の笑みが、筆者は未だに忘れられない。ずば抜けた音楽的教養を持つことでも知られた高畑監督のこと、きっと極楽浄土でも、あの時と同じ笑顔を浮かべながら《天人の音楽》を奏でているはずである。

エンドロールで流れる二階堂和美《いのちの記憶》は、2011年にリリースされた二階堂のアルバム『にじみ』に感銘を受けた高畑監督が、本編完成の1年以上前に彼女を抜擢し、作曲を依頼した主題歌。その制作過程については、本編公開に合わせてリリースされた二階堂のアルバウ『ジブリと私とかぐや姫』に高畑監督と二階堂の往復書簡が封入されているので、そちらを参照されたい(文中敬称略)。

2020年11月23日、『かぐや姫の物語』公開から7年目の日に
前島秀国 サウンド&ヴィジュアル・ライター

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

かぐや姫の物語/サウンドトラック

品番:TJJA-10034
価格:¥4,800+税
※2枚組ダブルジャケット
SIDE-A,B,Cに音楽収録 SIDE-C裏面はキャラクターのレーザーエッチング加工)
(CD発売日2013.11.20)
音楽:久石譲 全37曲

高畑勲がプロデューサーとして参加した『風の谷のナウシカ』以来30年の時を経て映画監督・高畑勲と作曲家・久石譲がタッグを組む、最初で最後の作品となった『かぐや姫の物語』のサウンドトラック盤。二階堂和美の歌う主題歌も収録。

 

Blog. 「風立ちぬ サウンドトラック」(LP・2021) 新ライナーノーツより

Posted on 2021/05/24

2021年4月24日、映画公開当時はLPでは発売されていなかった「崖の上のポニョ」「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」の3作品に、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売されました。各サウンドトラック盤には、前島秀国氏による新ライナーノーツが書き下ろされています。時間を経てとても具体的かつ貴重な解説になっています。

 

 

ゼロ戦開発に従事した実在の設計者・堀越二郎の半生と、小説「風立ちぬ」の作者・堀辰雄の世界観を融合させ、美しい飛行機を造りたいと夢見る主人公・二郎の夢と狂気、そして肺結核に冒された妻・菜穂子との夫婦愛を描いた、宮崎監督と久石譲の記念すべき長編コラボレーション第10作『風立ちぬ』は、それまで2人が作り上げた9本の長編映画とはいくつかの点で異なる特徴を備えている。まず、3管編成と混声4部合唱という巨大なカンヴァスを用いた前作『崖の上のポニョ』から一転し、4型の1管編成という大変慎ましいオーケストラとピアノ、ギター、それにロシアの民俗楽器によってスコアが演奏されていること。そのスコアの大半は、劇中に登場する4人の主要登場人物(二郎、菜穂子、カプローニ、カストルプ)を表現した、4つのテーマに基づいて構成されていること。そして、いくつかの例外を除き、シーンの状況を説明するような音楽をほとんど含んでいないこと。要約すれば、物語的に必要な音楽を最小限に配置した、簡明にして凝縮されたスコアと呼ぶことが出来るだろう。このような異例とも言える音楽設計は、言うまでもなく、宮崎監督の演出意図を踏まえた上で生み出されたものである。

まず、音楽を含めた本作の音響設計について、宮崎監督が2013年9月の引退会見(のちに引退は撤回)で詳細に語っているので、少し長くなるが、該当箇所を引用する。

”自分の記憶の中によみがえってくるのは、特に「風立ちぬ」をやっている間じゅうよみがえってきたのは、モノクロ時代の日本の映画です。いろいろな昭和30年以前の作品ですよね。そこで暗い電気の下で生きるのに大変な思いをしている若者やいろいろな男女が出てくるような映画ばかり見ていたので、そういう記憶がよみがえるんです。(中略)そういう意味で、非常にこの「風立ちぬ」の映画はドルビーサウンドだけど、ドルビーではないモノ(=モノーラル)にしてしまう。周り(=サラウンドスピーカー)から音は出さない。それからガヤ、ガヤというのはがやがやとかざわざわとかというやつですけれども、そういうのを20人も30人も集めてやるのではなくて、音響監督は『2人で済んだ』と言っています。つまり、昔の映画はそこで喋っているところにしかマイクが向けられませんから、周りでどんなにいろんな人間が口を動かして喋っていても、それは映像には出てこなかったんですよ。そのほうが世界は正しいんですよね。僕はそう思うのです。それを、24チャンネルになったら『あっちにも声を付けろ』『こっちにも声を付けろ』、それを全体にばら撒くという結果、情報量は増えているけれども、表現のポイントはものすごくぼんやりしたものになっているのだと思います。それで思い切って──これは美術館の短編作品をいくつかやっていくうちに、いろいろ試みていたら、これでいけるんじゃないかと私は思ったんですけども──プロデューサーがまったくためらわずに『それでいこう』と言ってくれたのが本当に嬉しかったですね。それから、音響監督もまさに同じ問題意識を共有できていて、それができた。こういうことって、めったに起こらないと僕は思います。それで、これもうれしいことでしたが、色々なそれぞれのポジションの責任者たち(中略)、音楽の久石さんも、何かとてもいい円満な気持ちで終えたんです。こういうことは初めてでした。” (宮崎駿×鈴木敏夫×星野康二「宮崎駿監督 引退記者会見」スタジオジブリ『熱風』2013年10月号 (引用にあたり、若干の補足を加えた))

日本の映画製作現場において、音楽収録に磁気テープが導入されたのは1954年(昭和29年)の『七人の侍』と『ゴジラ』が最初であり、それ以前に製作された日本映画のサウンドトラックはすべて光学録音のモノーラル、当然のことながら音楽も非常に小さい編成で演奏されていた。本作の音楽もそれで充分だというのが、宮崎監督の言う「問題提起」なのである。

本作の物語は、1923年(大正12年)の関東大震災が発生する7年程前から、二郎が九試単座戦闘機のテスト飛行に成功する1935年頃までの、おおよそ20年間を舞台に展開している(ラストの夢のシーンのみ戦後を示唆)。映画史においては、十数名の楽士たちが映画館で伴奏していたサイレント映画の全盛期から、1931年の『マダムと女房』で日本初のトーキー映画が登場した時期とおおよそ重なるが、本作においても、久石がそうした時代背景を考慮しながらスコアを作曲しているのが大変に興味深い(後述するように、サイレント映画の伴奏音楽風に書かれた楽曲すら存在する)。宮崎作品としては珍しく、ピリオド・アプローチ(オーセンティック・アプローチ)で書かれた映画音楽と言ってもいいだろう。

本作のスコアを考える上でもうひとつ重要なのは、飛行機のエンジン音などの効果音を人間の声で収録するという宮崎監督のアイディアを踏まえながら、久石がスコアを書いているという点である。

これに関しては、宮崎監督と本作のプロデューサー・鈴木敏夫、それに高畑勲監督による鼎談の中でも触れられているので、それを引用する。

”鈴木 興味深かったのは音楽を担当した久石譲さんの指摘でした。効果音は音楽の邪魔にならないけど、人間の声でやると音楽とぶつかる、というんです。つまり、声で入れた効果音って一種の音楽でもあるんですね。
宮崎 あれは鋭い指摘でしたね。だから音楽とぶつからないよう、タイミングをずらしたり、音量を調整したり。” (高畑勲『映画を作りながら考えたこと』文春ジブリ文庫 初出は宮崎駿/高畑勲/鈴木敏夫「スタジオジブリ30年目の初鼎談」文藝春秋 2014年2月号)

具体的にわかりやすい例を、本盤収録曲の中から挙げてみる。

本編オープニング、少年時代の二郎が夢を見るシーンの《旅路(夢中飛行)》は、大まかにA-B-A-ブリッジ-B-A-コーダという形式で構成されている。Aのセクションはト長調のメロディ、Bのセクションはト短調のメロディをそれぞれ持ち、ブリッジとコーダの部分は基本的にトレモロの和音で構成されている。本編をご覧になってみると、(人間の声が奏でる)飛行機のエンジン音の音量が大きいカットに、トレモロの2つのセクションを当てていることに気づくだろう(つまり、メロディとエンジン音がかぶらないようになっている)。これが宮崎監督の言う「音楽とぶつからないよう、タイミングをずらしたり、音量を調整したり」している例のひとつだ。つまり久石は、効果音まで音楽のパートとみなした上でスコアを作曲しているのである。無論、そうした手法は作曲家にとっては大変な負担を強いられることになるが、映画のサウンドトラック全体をひとつの音響芸術と考えれば、これほど理想的なことはない。逆に言えば、そこまでこだわり抜いた映画音楽と音響の稀有な成果が、この『風立ちぬ』という作品に結実していると言ってよいだろう。

先に述べた通り、久石のスコアは4人の主要登場人物をそれぞれ表すテーマに基づいて構成されている。まずは、本作のメインテーマでもある「旅路」こと二郎のテーマ。愛のテーマの役割も果たし、多くの場合、久石の叙情的なピアノで演奏される「菜穂子」のテーマ。勇壮な行進曲として書かれた「カプローニ」のテーマ。そして、独特の暗さと苦々しさを持つ「カストルプ」のテーマ。本盤収録曲では、いずれもテーマ名が曲名に付されているので、リスナーはどの楽曲がどのテーマを基にしているか、容易に理解することが出来るはずである。

これらのテーマに該当しない(もしくはごくわずかしかテーマが用いられていない)楽曲として特筆すべきは、軽井沢のホテルで二郎と菜穂子が親密さの度合いを高めていくシーンの《紙飛行機》である。このシーンにおいては、音楽が流れる約2分半ものあいだ、菜穂子の「しっかり!」と「ナイスキャッチ!」、それにカストルプの「Oh…」というセリフ以外に言葉が発せられない。つまり、シーン全体が一種の黙劇(パントマイム)として演出されている。そのような演出意図を踏まえた上で久石が書いた《紙飛行機》は、まさにサイレント映画の伴奏音楽のような節度を保ちながら、紙飛行機の優雅な飛行と、それに重なり合うような二郎と菜穂子の心の高まりを見事に表現していて素晴らしい。このシーンにおける映像の動きと音楽の完璧な一致は、もはや”バレエ”の領域に達していると言ってもいいだろう。実際にサイレント映画のための伴奏音楽を書いたこともある久石の力量が遺憾なく発揮された映画美術の結晶を、この《紙飛行機》のシーンで存分に堪能することが出来るはずである。

久石らしい作家性が現れた楽曲としては、いずれもミニマル的な手法で書かれた《隼班》および《隼》を挙げることができる。特に《隼》は、18世紀イタリア音楽を思わせる擬バロック風なオーケストレーションが爽やかな風とテスト飛行のスリルを表現していて素晴らしい。また、同様にミニマル的手法が用いられた《避難》(脱線した列車から二郎たちが避難するシーンのための音楽)は残念ながら本編未使用に終わったが、余震の地鳴りを表現したようなリズムの反復がドラマティックな緊張感を見事に伝える忘れがたい楽曲である。

また、映画音楽作曲家としての久石の丁寧な仕事ぶりが見られる好例として、尺数は短いながらも《風》を挙げておきたい。この楽曲が流れるシーンにおいて、クリスティーナ・ロセッティの原詩を西條八十が訳した「風」を主人公の二郎が朗読する。「風」は、草川信がこの訳詩に曲を付けた童謡が日本では知られているが、草川のメロディはどちらかというとベルカントの歌唱向けなので、本作の世界観にはそぐわない。そこで久石は、このシーンのためにギターと弦楽四重奏曲だけの慎ましい《風》を書いているのだが、よく聴いてみると、ギターのメロディは西條の訳詩を乗せて歌うことが出来るように書かれているのである! 本編の中で二郎がそのメロディを歌わないにも拘わらず、である。これぞ、プロフェッショナルの仕事と呼ぶべきだろう。

以上、久石のスコアを概観してきたが、本作の音楽を深く理解する上で指摘しておかなければならない、非常に重要なポイントがある。それは、メインテーマである「旅路」(及び「カストルプ」)がロシアの民俗楽器、すなわちバラライカとバヤン(ロシアのアコーディオン)で演奏されているという点だ。

2013年3月15日、久石はニッポン放送「サンデーズバリラジオ 久石譲のLIFE is MUSIC」最終回において、すでに出来上がっていた特報用の音楽(「旅路」のテーマのプロトタイプ)を紹介した。その時、相手役を務めさせていただいた筆者は「なぜバラライカを使ったのか?」と質問したところ、「ロシアの空気はね、青年が旅立っていく時にこの音色がいいなと」というのが久石の答えであった。実はこの時、映画公開前という事情もあってトークが大幅にカットされてしまったのだが、放送されなかったトークで久石はおおよそ次のように説明していた。「この作品の主人公がドイツに旅する時は、シベリア鉄道に乗っていったので、ロシアの楽器が相応しいかと。以前、NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の音楽を手掛けた時にバラライカを使ったことがあるので、それが頭にあったんです」。

バラライカとバヤン(通常、この2つはセットで演奏される)の響きは、予備知識なく聴いたとしても、それだけで旅情と哀愁を感じさせる素晴らしい楽器である。物語の中で頻繁に旅をする二郎という主人公に相応しい。だが、それだけでなく、この楽器がロシアという土地と、物語の時代背景に結びつき、さらには『坂の上の雲』の原作者・司馬遼太郎と結びつくことで、筆者は「旅路」のテーマが言外の意味を持っているような妄想に囚われるのである。

宮崎監督が司馬遼太郎および堀田善衛と語り合った鼎談『時代の風音』(宮崎監督が「書生」として司会進行役を務めた)の中に、次のような箇所が出てくる。

”司馬 文学史的にいえば、昭和初年に中野重治さんたちが『驢馬』という同人雑誌をやってて、(中略)『驢馬』の同人はほぼ全員、左翼になった。
堀田 その同人の堀辰雄はね……。
司馬 堀辰雄さんは免れてるんですね。
堀田 そうなんです。だけど堀さんも、(中略)戦時中はやはり「堀田君、ヨーロッパ全部が社会主義になる日まで、俺、生きていたい」と言っていました。亡くなったのは戦後ですけど。” (堀田善衛/司馬遼太郎/宮崎駿『時代の風音』ユー・ピー・ユー、1992年)

本作において二郎を乗せたシベリア鉄道がロシアの大地を走り抜けるシーン、すなわち本盤収録の《ユンカース》が流れるシーンにおいて、久石は《ユンカース》冒頭部分に「旅路」のフレーズをほんのわずかだけ登場させている。そのフレーズが、あたかも革命歌「インターナショナル」のように聴こえてくるのは、筆者ひとりだけの錯覚だろうか? 物語の中で特高に目を付けられ、日本を去ることになる「カストルプ」の苦々しいテーマが、「旅路」と同じバラライカとバヤンで演奏されるのは、単なる偶然だろうか? 本作が実在の堀越二郎を基にした二郎の夢だけでなく、堀辰雄が抱いていた夢も反映しているのだとしたら、「旅路」と「カストルプ」のテーマ、その2つを演奏するバラライカとバヤンはどのような意味を持ってくるのだろうか? これらがすべて筆者ひとりの妄想に過ぎないとしても、『風立ちぬ』の久石のスコアは単なる映画音楽にとどまらない重層的な意味を備えた音楽であることは間違いない。

宮崎監督と久石がそれまで作り上げた9作とは異なり、本作では公開前にリリースされるイメージアルバムが製作されなかった。その代わり、久石は本編公開後に2つの演奏会用組曲を編曲・初演している。ひとつは、2013年12月に世界初演された〈バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」小組曲〉で、物語の時系列に沿って本編に使用された主要曲をまとめたもの。もうひとつは、2014年5月に世界初演された〈バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲〉で、こちらは物語の時系列に捉われない構成となっており、大幅に加筆した《避難》を組曲全体のクライマックスとすることで、演奏会用作品として聴き応えのある内容に仕上がっている(文中敬称略)。

2021年1月5日、宮崎駿監督の誕生日に
前島秀国 サウンド&ヴィジュアル・ライター

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

風立ちぬ/サウンドトラック

品番:TJJA-10033
価格:¥4,800+税
※2枚組
(CD発売日2004.1.21)
音楽:久石譲 全32曲

宮崎・久石コンビ11作品目の長編作品。本作はサントラ盤のみが制作された。オーケストラ演奏は読売日本交響楽団。バラライカやバヤン等の民族楽器の楽曲も印象的。荒井由実の主題歌「ひこうき雲」も収録。

 

Blog. 「崖の上のポニョ サウンドトラック」(LP・2021) 新ライナーノーツより

Posted on 2021/05/24

2021年4月24日、映画公開当時はLPでは発売されていなかった「崖の上のポニョ」「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」の3作品に、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売されました。各サウンドトラック盤には、前島秀国氏による新ライナーノーツが書き下ろされています。時間を経てとても具体的かつ貴重な解説になっています。

 

 

宮崎駿監督と久石譲のコラボレーション第9作目『崖の上のポニョ』は、それまで2人が築き上げてきた方法論の集大成的な作品と位置づけることが出来る。スコア全体の出発点となっているのは、『となりのトトロ』と同様、宮崎監督が希望した「誰もが口ずさめる歌」であり、宮崎監督との音楽打ち合わせから生まれた楽曲(ヴォーカル曲6曲とインストゥルメンタル4曲)が、まずは『崖の上のポニョ イメージアルバム』として録音された。その後、改めて本盤に収録されているサウンドトラックの作曲と録音が行われている。

ヴォーカル・パート以外に3管編成のオーケストラと混声4部合唱を要する巨大な編成で演奏された『崖の上のポニョ』の音楽は、疑いもなく日本映画音楽史上最大規模を誇るスコアのひとつであり、実際、本作の組曲が2008年8月開催のコンサート『久石譲 in 武道館』で世界初演された時は、マーラーの《千人の交響曲》世界初演時の編成を凌ぐ1160余名の大編成で演奏された。また、藤岡藤巻と大橋のぞみが歌ったエンディング主題歌は、2008年7月21日付オリコンデイリーシングルランキング第1位、同年8月4日付から4週連続でオリコン週間シングルランキング第3位を記録し、藤岡藤巻と大橋がNHK紅白歌合戦出場を果たすなど、『崖の上のポニョ』の音楽はひとつの社会現象となった。

さらに、映画公開時に久石が受けた取材のコメント、すなわち「(『崖の上のポニョ』は)死後の世界、輪廻、魂の不滅など哲学的なテーマを投げかけている。でも、子供の目からは、冒険物語の一部として、自然に受け入れられる。この二重構造をどう音楽で表現するかそこからが大変でした」(2008年7月30日付読売新聞インタビュー)は、現在ではこの作品を評する上で必ずと言っていいほど引用される、最も重要な発言のひとつとして知られている。

このように『崖の上のポニョ』は音楽的、社会的、文化的にも大きなインパクトを与えた作品として記憶されているが、なぜ、本作の音楽がこれほどの成功を収めたのか、さらには久石が実際に「二重構造をどう音楽で表現」したのか、それを解き明かした論考は、現在に至るまでひとつも存在しないと言っても過言ではない。本解説は、公開当時から現在に至るまで必ずしも充分に探査されているとは言えない深海、すなわち『崖の上のポニョ』のスコアという深海に潜水を試みた、ささやかな記録である。

まず強調しておきたいのは、有名な主題歌を書き下ろす最初の段階から、久石がきわめて論理的な作曲アプローチを貫いていたという点である。これに関しては、久石自身が本作の作曲着手から約1年が経過した2007年夏に執筆したエッセイが存在するので、それを引用する。

”宮崎さんとの最初の打ち合わせは昨年の秋(=2006年秋)だった。「子供から大人まで誰もが口ずさめるような歌を作ってほしい」という依頼だった。そのとき最初に浮かんだのは、「となりのトトロ」の「さんぽ」を作曲したときのことだった。声を張り上げて元気に歌える曲を、という依頼だったと思うが(20年前のことなので不確かだが)今回も同じ世界観なのだろうか? と考えた。「さんぽ」は幸運なことに最初の打ち合わせのときに、「あるこう あるこう わたしは げんき」のメロディが浮かんだ。密かに絵コンテの裏に5線を引いて書きつけた覚えがある。絵本『ぐりとぐら』で知られる児童文学作家の中川李枝子さんが書いた詞、その言葉の持つ力強さが自然にメロディを喚起したのだと思う。(中略)ところが、「となりのトトロ」から20年経った今、新しいアプローチでこの作品に挑もうと思った矢先、本当に幸運なことに今回もメロディが浮かんできたのである。それも宮崎さんと鈴木(敏夫プロデューサー)さんの目の前で。「ポニョ」という言葉は新鮮で独特のリズムがある。”ポ”は破裂音で発音時にアクセントが自然につくし”ニョ”へはイントネーションが下降しているので、メロディラインも上昇形ではなく下がっていくほうが自然だ。基本的にボクは言葉のリズムやイントネーションには逆らわない方法をとる。(中略)「ポニョ、ポニョ、……」と何度か呟いているうちに自然にメロディの輪郭が浮かんできた。もちろんこの2音節だけではサビのインパクトには欠けるので何度か繰り返す方法をとった。(中略)和音の進行もシンプルなものを使用することにした。(中略)後はリズムなのだが、それは先ほど書いたように言葉のイントネーションを採用する。” (久石譲「今、誰もが”口ずさめる歌”をつくるということ」 スタジオジブリ『熱風』2007年8月号)

このような論理的なアプローチに裏打ちされていたからこそ、主題歌のメロディを「誰もが口ずさむ」ことが可能となり、その結果、あれだけの大ヒットに繋がったという点を見逃してはならないだろう。

歌に関してはもう1曲、より声楽曲的なアプローチで書かれたオープニング主題歌《海のおかあさん》が、本作の世界観を構築する上できわめて重要な役割を果たしている。その作曲については、久石が本作の初号試写を鑑賞した直後、筆者との取材に応じた記録があるので、以下にご紹介する。

”日本で”海”の歌というと、「♪うみはひろいな 大きいな」の童謡くらいしか頭にパッと思い浮かびませんよね。宮崎監督との最初の打ち合わせの段階で、監督が「なにかもうちょっと、文部省唱歌じゃない”海”の歌が日本にもあってもいいですよね」という話をされていたので、「では、何かそういうものをひとつ作りましょうか」と。覚和歌子さんの詩をもとにしたイメージ・ポエムを宮崎監督から頂いた時に、”海”の詩に近いものがあったので、それを用いて作曲したのが《海のおかあさん》なんです。でも、これを普通のポップス歌手に歌わせても、あまり面白くない。そこで「今回は、ちょっとクラシックのテイストもアリですよね」と宮崎監督にお断りしてから、ソプラノ歌手の林正子さんに歌っていただいたら、すごく良かったんです。もともとはイメージアルバムに収録する予定だったのですが、曲を聴いていただいた鈴木(敏夫)プロデューサーの独特の嗅覚で、「映画でこの曲が出ると、凄いぞ」と。そこで、ソプラノの歌をオープニング主題歌で使うことが決まり、イメージアルバムでは敢えてヴァイオリンのインストゥルメンタル版を収録したんです。「こんなことは今まで誰もやっていないぞ」という意外性を演出するために、ソプラノのことは公開ギリギリまで伏せていた感じですね。” (2008年6月25日の筆者との取材)

これら2つの歌、すなわち《崖の上のポニョ》(ポニョのテーマ)と、《海のおかあさん》(グランマンマーレのテーマ)を主軸としながら、本作のスコアはオーケストラというパレットから豊かな色彩を存分に引き出した、正統的なクラシックの音楽語法で作曲されている。これに関しても、久石は非常に論理的なアプローチを貫いているので、再び久石との取材記録を引用する。

”簡単に言うと、この作品の内容はピュアなラブストーリーです。人間がある程度年齢を積み重ねながら、いろいろな経験をしていくと、「本当はこうだけど……」とか、いろんな思いが錯綜していきます。ところが、5歳ぐらいの子供というのはそういうものが全くない。「好きは好き」と、ポーンと気持ちを出すわけです。その潔い感じが、今回、宮崎監督がどうしても描きたかった部分のひとつだと思うんですね。では、そういう場合に音楽はどうするか? 音楽って、人間の気持ちが揺れ動いているときに一番入りやすいんです。例えば「好き」といったら、どういう感じで好きなのか、その感情のヒダを出すために音楽が効果を発揮します。だけど、この作品の主人公たちは果汁100%のジュースみたいなものだから、気持ちが揺れていない。つまり、葛藤というものがないんです。これほどストレートな”直球”だと(音楽でヒダを表現しようとしても)あんまり意味がないんですよ。もうひとつ、この映画で圧倒的に凄いのは、どのシーンを見てもムダなカットがひとつもない。つまり、本当に必要な長さだけを、必要な配分できっちり徹底的に切り詰めて作っている作品なんです。こういう場合は、音楽を相当激しく書いて、映像とぶつかっていっても大丈夫です。つまり、抑えて抑えてという書き方よりは、作曲家としてある程度やりたいことを全部出して映像にぶつけていかないと、かえって音楽が足を引っ張る恐れがある。そこで、音楽を書くための方法論としては、純正なクラシックのスタイル、つまりエスニックや(シンセサイザーのような)飛び道具を使わず、クラシックの王道という”直球”だけで極力行けるところまで行くことにしました。宮崎監督は、どちらかというとフランス印象派的な音楽の扱い方はあまりお好きではないので、こちらもずっと避けてきた部分でもあるのですが、今回は”海”を舞台にしたファンタジーですし、これだけイマジネーション豊かな世界が展開しますからね。今日、初号試写を見たら、単音でメロディを鳴らしているところから、オーケストラがすごく分厚いところまで、非常にヴァリエーションが豊かなので、その起伏の大きさがこの作品ではうまくいったと実感しています。” (2008年6月25日の筆者との取材)

以上のような方法論で作曲されたスコアは、あたかもそれ自体が”海”であるかのようにドラマティックなうねりを生み出しながら、物語の中で重要な役割を果たすいくつかのテーマを海原の小舟のように運んでいく。「ポニョのテーマ」と「グランマンマーレのテーマ」に関してはすでに触れてきたので、それ以外のテーマと、対応する本盤収録曲を以下に列挙する(テーマ名は、筆者が暫定的に付けたもの。「」はテーマ名、《》は本盤収録曲を示す)。

「宗介のテーマ」
「ポニョのテーマ」と共に、本作の物語を担っていくテーマ。《ポニョと宗介》の中で「ポニョのテーマ」の対旋律として初めて登場した後、《からっぽのバケツ》《ポニョと宗介 II》《ディプノリンクスの海へ》《宗介の航海》《宗介のなみだ》《いもうと達の活躍》で登場し、シーンの状況に応じてヒロイックに鳴り響いたり、あるいは(《ポニョと宗介 II》に聴かれるように)旋律の一部が断片的に展開されたりする。特に最後の《いもうと達の活躍》の前半部においては、「宗介のテーマ」に基づく勇壮なファンファーレとコーラスがバレエ音楽のクライマックスのように活躍し、本作が宗介の壮大な冒険物語として閉じる結末を予告している。

「リサのテーマ」
イメージアルバムおよび本盤で《発光信号》として演奏されているテーマで、《リサの家》や《リサの決意》でも登場する。物語終盤に混声4部合唱で歌われる《母の愛》が端的に示しているように、母親としてのリサの愛情を表現した美しいテーマである。

「フジモトのテーマ」
イメージアルバムでは藤岡藤巻が歌っていた《フジモトのテーマ》。本編では《浦の海》で最初に登場する。さらに《フジモト》では、木管楽器のソロをユーモラスに用い、どこか間の抜けた楽曲として演奏される。

「いもうと達のテーマ」
イメージアルバムで女性コーラス・グループのリトルキャロルが歌っていた《いもうと達》のオーケストラ・ヴァージョン。お姉ちゃん、すなわちポニョに対する愛情をストレートに表現したテーマ。

「ポニョの子守唄」
イメージアルバムでは大橋のぞみが歌っていた《ポニョの子守唄》を、オルゴールを思わせるチェレスタなどで演奏したもの。

「海のテーマ」
イメージアルバムで《サンゴ塔》として演奏されていたテーマ。本編冒頭の《深海牧場》、グランマンマーレが初めて姿を現すシーンの《グランマンマーレ》、《母と海の讃歌》のコーダ部分、そして《いもうと達の活躍》の後半部に聴くことが出来る。大海原と深海の神秘を表現したテーマであると同時に、グランマンマーレを表現したもうひとつのテーマでもある。

「船団マーチ」
海軍マーチと大漁節の2つの性格を併せ持つ。歌詞こそ付いていないが、人間(主として海洋で働く男性たち)が海を崇め奉る勇壮な歌、という側面を持っている。

「ひまわりの家のテーマ」
イメージアルバムでは麻衣が歌うヴォーカル曲《ひまわりの家の輪舞曲》として収録されていたテーマ。本編においては、木管セクションのニュアンス豊かな表現が印象的な《嵐のひまわりの家》と、麻衣がヴォカリーズで歌った《水中の町》の形で登場する。メイキングビデオ『ポニョはこうして生まれた。~宮崎駿の思考過程~』をご覧になったリスナーならば、宮崎監督が《ひまわりの家の輪舞曲》を何度も聴き返しながら、「♪おむかえは まだ来ないから その間に 一寸だけ歩かせて」という歌詞(作詞は宮崎監督)に涙ぐむ場面をご記憶だろう。このように、《ひまわりの家の輪舞曲》には明らかに死を意識した心境が反映されている。ただし、本編で流れる《水中の町》においては歌詞を敢えて削除し、あたかもセイレーン──ギリシャ神話に登場する、甘美な歌声で船乗りたちを死へ誘う半人半鳥の怪物──が歌いかけるようなヴォカリーズにすることで、水没したひまわりの家が生の世界に属しているのか死後の世界に属しているのかわからないような、幻想的な表現を獲得している。

「生のものと火を通したもののテーマ」
本稿執筆時点でも適当なテーマ名が思い浮かばないので、人類学者レヴィ=ストロースの神話分析の名著『生のものと火を通したもの(Le Cru et le Cuit)』をもじってテーマ名を暫定的に付けた。久石の言う「二重構造」の秘密を解く鍵とも言える、非常に多義的な性格を備えたテーマである。

このテーマが最初に登場するのは《リサの家》の後半、すなわちテーブルの上に足を乗せたポニョが、人間とは思えないほど──この時点ではまだ人間になっていないから当然なのだが──自由に足の指を動かす場面である。同じトラックの最後、再びこのテーマが登場すると、ポニョはあたたかいハチミツミルクを──人間の宗介を真似しながら──飲み干す。つまりポニョは、食(正確には火を通した飲み物)を通じて初めて人間の文化を学んでいくのである。

さらにこのテーマがファゴットで導入される《船団マーチ》前半の場面では、赤ちゃんにスープを飲ませようとしたポニョが、そのままでは赤ちゃんが飲めないこと、つまりスープを飲んだお母さんのおっぱいとして赤ちゃんが栄養を摂取できると知る。つまりこのテーマは、ポニョが人間の文化や生態に触れることで、人間というものを体得していく過程を表現していると考えることが出来る。

たいへん驚くべきことに、このテーマは短3度の上行音程を繰り返す形で構成されている。なぜ驚くべきかと言えば、それは他ならぬ「ポニョのテーマ」の出だし──「♪ポーニョ ポニョポニョ」の最初の「ポーニョ」──が短3度の下行音程で書かれているからだ。それにならってこのテーマを記せば、「♪ニョーポー ニョーポー ニョポニョポー」ということになる。このことから、このテーマは、人間ならざるもの(=さかなの子)が人間になろうとしている過程を象徴したテーマと解釈することが可能だろう。

さらに興味深いことに、このテーマは《新しい家族》の後半部分、すなわち夫・耕一の身を案じるリサが庭先にアマチュア無線用のアンテナを立てるシーンでも流れてくる。「リサ みんな沈没しちゃったのかな」という宗介のセリフが示唆しているように、この時点では耕一が生の世界に属しているか死の世界に属しているのかわからない。つまり、生(=人間である)と死(=もはや人間ではない)の曖昧な境界の中で、耕一に再び生の世界への帰還を強く願う家族の絆、すなわち家族愛をも象徴していると言える(その意味では、家族のテーマと解釈することも可能である)。そうした家族愛を知ることも、人間になるための重要なステップのひとつなのである。

以上分析してきたように、本作のスコアは”歌”を出発点としながら、正統的なクラシックのスタイルと、キャラクターや事象や哲学的問題を象徴するテーマを用い、冒険物語と生命の神話の二重構造を表現した音楽と考えることが出来る。これに近い音楽表現が他に存在するとすれば、それは間違いなく、伝説や神話を題材にした交響詩や楽劇だろう。それほどまでに、壮大なスケールを持つスコアを、映画音楽という枠組みの中で実現してしまったところに、久石の並々ならぬ意欲と作曲家としての矜持が感じられるのである。

最後に、本作の製作中に宮崎監督が愛聴し、物語の中にも影響が現れているワーグナーの楽劇《ワルキューレ》について。

”実は、ポニョが津波に乗ってやってくるシーンのために書いた曲も出来上がっていたのですが、《ワルキューレ》で思い切り行きたいという宮崎監督の意向を尊重し、《ポニョの飛行》という曲を新たに書きました。もちろん、ワーグナーをそのままコピーする気はありませんし、あくまでも僕のオリジナルとして書いているのですが、このシーンに関しては、《ワルキューレ》のような世界観でガーンと行くような音楽を書かなければいけないと。” (2008年6月25日の筆者との取材)

本作が公開された2008年の時点で、ある作曲家が既存のクラシック作品を素材に用いながら、その作曲家のオリジナリティを発揮していくリコンポーズ(再作曲)という概念は、一般にはほとんど知られていなかった。それから10年以上が経過した現在の時点から聴き直せば、《ポニョの飛行》が他ならぬ《ワルキューレ》のリコンポーズだということに気がつくはずだ。このように、既存のクラシック曲を宮崎作品の世界観に即した形で書き改めていく手法は、本作公開の2年後に宮崎監督が発表した短編『パン種とタマゴ姫』において、久石がヴィヴァルディの《ラ・フォリア》をリコンポーズしたスコアでさらなる実験が試みられることになる(文中敬称略)。

2020年12月6日、久石譲の誕生日に
前島秀国 サウンド&ヴィジュアル・ライター

(LPライナーノーツより)

 

 

 

 

崖の上のポニョ/サウンドトラック

品番:TJJA-10032
価格:¥4,800+税
※2枚組ダブルジャケット
(SIDE-A,B,Cに音楽収録 SIDE-C裏面はキャラクターのレーザーエッチング加工)
(CD発売日2008.7.16)
音楽:久石譲 全36曲

新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏に加え、本作では栗友会合唱団による大編成のコーラスが加わり、“海と生命”をダイナミックに表現している。林正子、藤岡藤巻と大橋のぞみの主題歌も収録。

 

Overtone.第41回 「ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン」を聴く

Posted on 2021/05/20

ふらいすとーんです。

映画音楽のレジェンド、ジョン・ウィリアムズです。わりと新しいCD作品から、ジョン・ウィリアムズが到達した偉業の集大成であり、かつ現在進行系でもある、そんなホットなアルバムを紹介します。4回にわたる予定、その4回目になります。

 

前回まで

 

 

黄金ディスクの誕生です!ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、クラシック音楽の歴史をそのまま体現してきたといっていい世界屈指のオーケストラと、ジョン・ウィリアムズ指揮による奇跡のコンサート。毎年「ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート」も開催される、あの黄金のホール音響を完全収録したものです。

 

CD帯にはこうあります。

心躍るメロディが最高の演奏で甦る!最高峰のオーケストラが本気で燃えた、白熱のライヴ映像!

世界最高のオーケストラが10年越しのラヴ・コールを実らせた奇跡のコンサート。映画音楽の神様ジョン・ウィリアムズとウィーン・フィルの全身全霊の気迫がこもった”一期一会”の演奏は聴く者全ての心を鷲掴みしに、元気と勇気を与えてくれるものです。

(CD帯より)

 

 

発売直前には、久石譲はじめ各界著名人がコメントを寄せたことでも話題は広がりました。

 

“これは素晴らしいコンサートだ。ウィーン楽友協会におけるジョン・ウィリアムズの楽曲は、誰でも知っている名曲ばかりで楽しめる。ウィーン・フィルはアメリカのオーケストラとは一味違った奥行きのある演奏で臨んでいるし、ゲストのヴァイオリニスト、アンネ=ゾフィー・ムターも若々しい演奏をしている。ジョン・ウィリアムズの楽曲はクラシック音楽のエッセンスが鏤め(ちりばめ)られており、彼がいかにクラシック音楽を愛でているかわかる。映画音楽の巨匠と世界最高峰のオーケストラの共演であるこのCD及びブルーレイは我々の財産となった。”

久石譲

 

 

結果(いまのところ)。

2020年8月に世界同時発売された本盤は、2020年度オリコン年間クラシックアルバムランキングで第1位を獲得しています。2020年、最も売れたクラシック作品となりました。その人気は日本のみならず、世界のランキングを席巻。アメリカ、イギリス、オーストラリアのクラシカル・チャートでは首位を獲得。ドイツ、オーストリアでは、ポップス・チャート10位圏内にランクイン。ストリーミング回数も1億5千万回を超え、iTunesクラシカル・アルバムチャートでは、世界15ヵ国以上で1位を記録するなど、発売から半年あまりの時点(2020.12月)ですでに快挙です。

 

 

ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン
JOHN WILLIAMS LIVE IN VIENNA

【デラックス盤(日本)】

CD
1.ネヴァーランドへの飛行 (『フック』から)
2.『未知との遭遇』から抜粋
3.悪魔のダンス (『イーストウィックの魔女たち』から)
4.地上の冒険 (『E.T.』から)
5.『ジュラシック・パーク』のテーマ
6.ダートムア、1912年 (『戦火の馬』から)
7.鮫狩り – 檻の用意!  (『ジョーズ』から)
8.マリオンのテーマ (『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』から)
9.メイン・タイトル (『スター・ウォーズ/新たなる希望』から)
10.レベリオン・イズ・リボーン (『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』から)
11.ルークとレイア (『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』から)
12.帝国のマーチ (『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』から)
13.レイダース・マーチ (『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』から)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 
ジョン・ウィリアムズ(指揮)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン3 & 13)
録音時期:2020年1月
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

[Blu-rayビデオ]
01.ネヴァーランドへの飛行 (『フック』から)
02.『未知との遭遇』から抜粋
03.ヘドウィグのテーマ (『ハリー・ポッターと賢者の石』から) ※
04.『サブリナ』のテーマ ※
05.ドニーブルーク・フェア (『遥かなる大地へ』から) ※
06.悪魔のダンス (『イーストウィックの魔女たち』から)
07.地上の冒険 (『E.T.』から)
08.『ジュラシック・パーク』のテーマ
09.ダートムア、1912年 (『戦火の馬』から)
10.鮫狩り – 檻の用意!  (『ジョーズ』から)
11.マリオンのテーマ (『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』から)
12.レベリオン・イズ・リボーン (『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』から)
13.ルークとレイア (『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』から)
14.メイン・タイトル (『スター・ウォーズ/新たなる希望』から)
15.すてきな貴方 (『シンデレラ・リバティー/かぎりなき愛』から) ※
16.決闘 (『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』から) ※
17.追憶 (『シンドラーのリスト』から) ※
18.レイダース・マーチ (『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』から)
19.帝国のマーチ (『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』から)
ボーナス:
ジョン・ウィリアムズとアンネ=ゾフィー・ムターの対談 (約27分) ※

※ ブルーレイのみ収録

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ジョン・ウィリアムズ(指揮)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン3-6 & 15-18)
収録:2020年1月 ウィーン、ムジークフェラインザールでのライヴ

 

 

パッケージ補足

◇本盤(2020年8月発売)はCD・LP・CD+Blu-ray(デラックス盤)として発売され、さらには日本盤と海外盤ではUHQCD、MQACD(ハイレゾ音源)の可否など、さまざまなタイプがあります。

◇Blu-ray映像はライヴ完全収録で、CDは全19曲から13曲が選ばれています(約74分)。収録時間の影響でしょうか。またCDは曲順が異なり、1曲終わるごとの拍手もきれいにカット、CD作品として聴いてほしいこだわりも伝わってきます。

◇完全収録されているCD+Blu-ray(デラックス盤)をおすすめします。日本盤は、音質も最新技術採用で、映像も日本語字幕付きで曲合間のジョン・ウィリアムズMCも楽しめます。もちろんジョン・ウィリアムズとムターの対談も日本語テロップ付き。

↓ここから最新情報追加↓

◆2021年2月には、2CD完全収録盤(SACDハイブリッド)と、ブルーレイ単体(デラックス盤からの分売)が発売されました。ただ…この2CDは映像から音楽だけを抜き出したような一体化した音像になっています。一般的に観客席から聴いたような。拍手もそのまま入っています。ステージの幾重のマイクから収録した音像は従来盤(CD・LP・CD+Blu-ray)のほうなので、やっぱりデラックス盤をおすすめします。

◆音響ファンもなやます最先端の録音技術でそれぞれパッケージ化されています。CDはどのタイプを選んだとしても、通常の音楽プレイヤー再生OKです。

 

パッケージ全ラインナップは公式サイトをご参照ください。

ユニバーサル・ミュージック・ジャパン|ジョン・ウィリアムズ
https://www.universal-music.co.jp/john-williams/discography/

 

 

ジョン・ウィリアムズが語ったこと

ムジークフェライン(ウィーン楽友協会)で偉大なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するという特権は、私の生涯における大きな名誉となりました。有名な大ホールの音響は、伝え聞く通り素晴らしいもので、ドイツ・グラモフォンが見事に演奏を収録しました。オーケストラのあたたかい待遇と、音楽に対する輝かしい熱意にも深い感銘を受けました。世界中の音楽家と聴衆が、同じ空間で音楽の喜びを共有することが困難な現在において、今回の特別なコンサートを愛おしく振り返りながら、私が美しいウィーンで体験した喜びのいくばくかを、リスナーの皆様にお伝えすることが出来ればと願っております。

(CDライナーノーツより)

 

 

レコード芸術誌から四連発!

本盤は、クラシック音楽誌「レコード芸術 2020年9月号」〈先取り!最新盤レビュー〉コーナーでいち早く紹介されただけでなく、翌「レコード芸術 2020年10月号」の新譜月評で特選盤にも選ばれています。専門家たちのレビューも、いつにもまして跳ねるように軽やかで、まるでいちファンのような距離感がこちらにもストレートに伝わってきます。

 

 

個人的なレビューいらずの、音楽専門家たちの声をご紹介します。

 

 

先取り!最新盤レヴュー

ウィーン・フィルで聴く&観る
圧巻のジョン・ウィリアムズの世界

遂にウィーン・フィルを振るジョン・ウィリアムズ

天下のイエロー・レーベルから、ジョン・ウィリアムズが指揮した自作自演集が出る、(~中略~)、今回のディスクで演奏しているのが、ウィーン・フィル(以下VPO)だという情報を目にした時には、さすがにびっくりした。

さて、音を聴いていこうではないか(今回はWAVファイルでの試聴)。ジョン・ウィリアムズに限らず、映画音楽の場合、サウンドトラックが映画館のスピーカーからの再生を前提にしていることもあり、オリジナル・スコアで演奏しても、音圧の面をはじめとして、どこか物足りなく感じるケースもあるのだが、当盤の1曲目に配されている《ネヴァーランドへの飛行》(『フック』から)では、シンフォニックな厚みが十分に確保されているのが好ましい。麗しいホルンの調べをはじめ、VPOのサウンドもじつにすばらしい。

ジョン・ウィリアムズのシンフォニック・スコアが備えているコルンゴルト的な味わい(さらに遡ればマーラーの第7番の終楽章)を、VPOが見事なまでに引き出しているのが圧巻だ。ムターがソロを担当したナンバーでは、その圧倒的なテクニックに加え、絶妙なフレージングと美音が耳に残ることだろう。そして、作曲者本人も絶賛したという《帝国のマーチ》(『スター・ウォーズ』から)もエキサイティングだ。

 

映像盤がつく「デラックス」はいっそうの楽しさ

なお、デラックス盤には、ブルーレイ・ビデオがプラスされ、コンサートの映像(通常盤には入っていない曲も収録)を見ることができる。ジョン・ウィリアムズが指揮台にのぼると、聴衆がスタンディング・オベーションで迎える様子や、真っ青なドレスに身を包んだムターの演奏姿に加え、VPOの楽団員がじつに満足そうに、そして、時には笑みを浮かべながらプレイしているのが確認できる。それこそ、あのムジークフェラインザールのステージには、あふれんばかりに弦楽器奏者たちがひしめき、《メイン・タイトル》(『スター・ウォーズ/新たなる希望』から)では、ウィンナ・ホルン奏者が8人も映っているカットも出てくるほどだ。なるほど、これだけの特大編成であるが故に、豊麗でシンフォニックなサウンドが、喜びをもって湧きあがってくるのだろう。老ジョン・ウィリアムズも、じつに幸せそうに指揮をしている。ここは、ぜひとも、デラックス盤をお勧めしたいと思う。

満津岡信育

(「レコード芸術 2020年9月号 Vol.69 No.840」より 抜粋)

 

 

特選盤

まちがいなく今年最高の話題盤だろう。今年1月、ウィーン・フィルはジョン・ウィリアムズを指揮台に招き、彼の作品ばかりによる演奏会を行なった。当盤はその模様を収める。演奏は最高の一言だ。ウィーン・フィルの輝かしい響きとのびやかな歌いぶりは、ウィリアムズの音楽と予想以上にぴったりで、ハリウッドの映画音楽が目指した理想のサウンドはこれだったのではないかとさえ感じる。ウィーン・フィルはこれまで夏の野外コンサートで『スター・ウォーズ』や『ハリー・ポッター』を演奏したことがあるが、比べものにならない。8曲(CDでは2曲)で独奏を務めるムターも興が乗っている。なお、このアルバムには複数のヴァージョンがあるが、もし買えるなら、ブルーレイ(映像)ディスクの入ったデラックス・エディションを強くお薦めする。CDより6曲も多いし、前島秀国氏の愛情あふれる解説も読めるし、曲間のウィリアムズの話も、短いが面白いし、なにより楽員や聴衆やウィリアムズ自身の笑顔が見られる。彼らの幸せそうな顔を見ていると、近年、20世紀音楽のレパートリー拡大やHIPの普及によってやや存在感の低下していたウィーン・フィルにとって、彼らがもっとも得意とするロマン派から20世紀前半あたりまでのクラシックを随所で参照するウィリアムズの音楽との出会いは、今後、彼らが進むべき道のひとつを示唆する歴史的なできごととなったのではないかとさえ感じた。

 

[録音評]

ステージ上のオーケストラから若干離れたところから見ているサウンド・ステージ。ホール自体の響きの魅力も含めてジョン・ウィリアムズの世界が音色的な深みを獲得。ステージ上の前後の距離感もきちんと見えてくるがさすがにマルチ・マイクで音数の多さの豪華絢爛なこと。ソロ・ヴァイオリンは若干のトリミング感はあるがオーケストラとの一体感も失っていない。CDでもいい録音だが、デコードして聴くとさらに空間の広がりがあり、現場の空気感が見事に再現されている。いい意味で金のかかった録音。

(「レコード芸術 2020年10月号 Vol.69 No.841」より 抜粋)

 

 

さらに(三発目)、翌「レコード芸術 2020年11月号 Vol.67 No.842」連載「View point」(音楽評論家二人が毎月一枚のディスクを取り上げて語りあうコーナー)では、6ページにわたってその魅力についてクラシックな視点で多角度的に語られています。ボリュームがすぎるため、ぜひ本誌を手にとってみてください。

そうして(四発目)、本盤は「レコード芸術」誌が主催する日本で最も権威のあるクラシック音楽賞「2020年度第58回レコード・アカデミー賞」において「特別部門 企画・制作賞」を受賞し高い評価を得ています。

 

 

オススメは溢れる。

夢のコンサートは、夢のディスクになった。黄金の輝きは、世界中の音楽ファンも黄金の笑顔に輝かせた。もうお祭り状態なんだけれど、イベント感に終わらない高い芸術性の到達点。どれほど言葉をついやすよりも、至福の音楽を浴びることで感じること。オススメしたい言葉や気持ちは溢れるばかり、行き着く先は、聴いて!の三文字になってしまいます。

 

 

ドイツグラモフォン公式チャンネルには、いくつか公式動画が公開されています。

 

John Williams & Vienna Philharmonic – Williams: Theme from “Jurassic Park”

ふくよかなホルン、壮観でしなやかな演奏。ウィーン・フィルの美質を輝かせるかのような作品です。ブラームス交響曲の、あのホルン名旋律や重厚な弦楽旋律にも引けを取りません。

 

John Williams & Wiener Philharmoniker – “Main Title” from “Star Wars: A New Hope”

純粋にシンフォニックなオーケストラ作品であり、ライト・モチーフなどの手法はワーグナーにも通じます。映画登場人物たちを象徴する旋律たちが、次々と奏であいながら、壮大な宇宙の物語を表現しています。果てのない宇宙空間が広がっているような、大きな音楽空間です。

 

Marion’s Theme (From “Indiana Jones and the Raiders of the Lost Ark”)

極上のシルクのようなストリングスにうっとりです。やわらかく、なめらかで、つやのある弦楽器の音色に、透明感のある木管楽器。珠玉の宝石のようです。

 

John Williams & Vienna Philharmonic feat. Anne-Sophie Mutter – “Hedwig’s Theme” From “Harry Potter”

クラシック音楽でいう「トランスクリプション(編曲)」の手法で、新たな可能性を示してくれた曲です。パガニーニやリストにもつながる超絶技巧を追求したコンサート・ピースと呼べるものに昇華していて、ムターのパフォーマンスは圧巻です。

CDには収録されなかった6曲は、すべてムター共演曲です。前年『アクロス・ザ・スターズ ~ジョン・ウィリアムズ傑作選』CDに、ウィーン・フィルではないですがセッション録音されすべて収録されています。コンサートからCDへの収録時間の調整で、優先順位からなくなく除外されたものと思われます。

ムターとウィリアムズがつくりあげたCD作品が先にあったからこそ、ウィーン・フィルとの歴史的コンサートで実現できた、ムタープログラムが華を添えるというスペシャルな演出ができたことはたしかです。

 

John Williams & Vienna Philharmonic – Williams: “Devil’s Dance” from “The Witches of Eastwick”

このムター共演曲は、『アクロス・ザ・スターズ ~ジョン・ウィリアムズ傑作選』発売時にはない、本盤CDに収録された世界初録音です。冒頭から1分間の緊張感にみちた無伴奏のヴァイオリン独奏は、もう映画音楽とは思えないほどです。アクロバティックな技術を、美麗にエモーショナルに聴かせるムターは、音楽のむずかしさではなく、音楽の魅力や楽しめる表現力で魅せてくれます。

 

John Williams & Vienna Philharmonic – Williams: Imperial March (from “Star Wars”)

from ドイツ・グラモフォン公式YouTube

ほとんど原曲から不変なこの楽曲は、最初からフル・オーケストラを前提にした楽曲であった証です。ウィーン・フィルの金管楽器奏者たちたっての希望でプログラムに追加されアンコールで披露されました。ジョン・ウィリアムズも「これまでで最高の演奏のひとつ」と語ったほど渾身の演奏です。

曲がはじまってからすぐに反応する、観客たちの最高潮に達したボルテージもすごいです。映像では熱気そのままに伝わってきますが、CD盤ではきれいに観客側の音はすべてカットされています。この曲だけでなく、全曲にいえることですが、曲が終わるごとに拍手喝采の起こったコンサート。曲終結部に起こる食い気味な拍手も歓声も、すべてきれいにカットされています。臨場感はライヴ音響そのままに、楽器ごとの音を細かく拾うマイクで、CD作品としても聴いてほしいこだわりを極めた、感嘆のため息がもれます。

ライブ会場の観客のリアクションを見ながら、まるで自分も観客の一員になれたような感覚になります。祝祭ムードに包まれたコンサートは、映像からも音楽からもきらびやかな喜びや幸せが舞っているようです。こんなにも心揺さぶられる、自然と笑顔になる、エネルギーが湧きあがってくる。コンサートは現代文化の宝物です。

 

 

ドイツ・グラモフォン公式チャンネルには、上の映像盤からの公式動画だけでなく、CD盤全13曲の公式音源も公開されていると思います。

また、CDライナーノーツは一曲ごとに充実した楽曲解説になっています。久石譲CD作品でもおなじみ前島秀国さんによる音楽的解説と、映画シーンから見た視点なども盛り込まれ、とても深く紐解いた分析になっています。ぜひ手にとってみてください。

 

 

「ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート」のジョン・ウィリアムズ映画音楽版といっていいほどです。ウィーンにゆかりのある曲たちで構成されたニューイヤー・コンサートと同じように、映画音楽のみでプログラムされた演奏会。そんななかでも、有名どころのメインテーマを並べたわけではない、短い曲を抜群の選曲と流れで配置し、飽きさせないフルコースのように仕立てられています。このあたりの曲と曲の流れるようなテンポ感もニューイヤー・コンサートに近いです。『E.T.』や『シンドラーのリスト』からの曲は、曲の後半ではじめてメインテーマが登場するなど、主題曲からではない再現部のような構成をもった楽曲が選ばれていて、あとから追いかけてくる感動があります。夢のテーマパークを、フリーパスで心おきなく楽しんだような幸せなコンサートです。

 

現代の大衆娯楽と伝統的な芸術のひとつの到達点。「カルミナ・ブラーナ」(カール・オルフ)だって、当時の大衆文化や世俗習慣を大いに盛り込んだ作品として誕生し、今ではクラシック音楽演奏会で人気のある作品になっています。現代の大衆娯楽である映画、その映画音楽のなかには伝統的な芸術であるオーケストラ作品として独立できる楽曲がある。オーケストラの魅力を伝えることのできる作品に、これはポップス寄りだとかこれは邪道だとか、、ジャンルの先入観や境界はもういらない。ジョン・ウィリアムズ×ウィーン・フィルの歴史的な公演は、そのことを力強く高らかに宣誓してくれました。

 

 

ジョン・ウィリアムズのCD作品は、年代ごとにいろいろなコンセプト盤やベスト盤が刻まれてきました。僕も同じ歩みで聴いてきたCDも多いなか、いくつか聴きなおしながら、今おすすめしたい4枚のディスクを4回にわたって紹介してきました。それぞれしっかりとしたカラーやコンセプトのあるアルバムです。ぜひゆっくり選んで聴いてみてください。

それではまた。

 

reverb.
この奇跡のコンサートは、COVID-19前夜の2020年1月開催でした。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Info. 2021/05/05 新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」劇中曲の配信決定、「風の伝説」「王蟲との交流」など6曲 (Webニュースより)

Posted on 2021/05/05

新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」劇中曲の配信決定、「風の伝説」「王蟲との交流」など6曲

新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」のサウンドトラックが、本日5月5日にiTunes Store、Amazon Musicほか配信サイトで販売された。 “Info. 2021/05/05 新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」劇中曲の配信決定、「風の伝説」「王蟲との交流」など6曲 (Webニュースより)” の続きを読む

Disc. V.A. 『新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」サウンドトラック』

2021年5月5日 デジタルリリース ANTCD-38078

 

2021年上演 新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」

 

このたび配信が決定したのは、久石譲が作曲、新内多賀太夫が編曲を手がけた「風の伝説」「王蟲との交流」「鳥の人」と、新内が作曲した「ナウシカのテーマ」「クシャナのテーマ」「巨神兵のテーマ」の劇中曲6曲。いずれも作品の世界観に合わせ、和楽器で演奏された楽曲となる。

新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」は、2019年に東京・新橋演舞場で上演された作品。宮崎駿の同名マンガをもとにした本作では、脚本を丹羽圭子と戸部和久、演出をG2が務め、全7幕で原作のストーリーすべてが舞台化された。出演者にはナウシカ役の尾上菊之助、クシャナ役の中村七之助らが名を連ねている。なお今年1月には、公演映像が収められたBlu-ray / DVDがウォルト・ディズニー・ジャパンから発売された。

(Webニュースより)

 

 

上演版およびパッケージ化されたDVD本編は、エンドロールに流れる「風の伝説」「鳥の人」は終結部のバージョンが異なっている。具体的には楽曲構成(パート展開や時間)とアレンジが少し違う。

 

 

1.風の伝説  新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」より
作曲:久石譲 編曲:新内多賀太夫
2.王蟲との交流  新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」より
作曲:久石譲 編曲:新内多賀太夫
3.鳥の人  新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」より
作曲:久石譲 編曲:新内多賀太夫
4.ナウシカのテーマ  新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」より
作曲:新内多賀太夫
5.クシャナのテーマ  新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」より
作曲:新内多賀太夫
6.巨神兵のテーマ  新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」より
作曲:新内多賀太夫

 

Info. 2021/04/30 「久石譲コンサート 2021 in ザ・シンフォニーホール」ライヴ映像公開

Posted on 2021/04/30

3月24日開催「久石譲コンサート 2021 in ザ・シンフォニーホール」のコンサート模様が、アンコールまでふくめて動画公開されました。

ぜひご覧ください。 “Info. 2021/04/30 「久石譲コンサート 2021 in ザ・シンフォニーホール」ライヴ映像公開” の続きを読む

Info. 2021/04/21-27 「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2021」コンサート・ツアー開催決定!! 【重要 4/27 Update!!】

Posted on 2021/03/08

久石譲&W.D.O.2021のお知らせ

久石譲と新日本フィルによるワールド・ドリーム・オーケストラ、2年ぶりの公演決定!待望のシンフォニーNo.2、いよいよ完成。そして交響組曲「もののけ姫」完全版を披露。 “Info. 2021/04/21-27 「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2021」コンサート・ツアー開催決定!! 【重要 4/27 Update!!】” の続きを読む

【お知らせ】「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021」レポート掲載しません

Posted on 2021/04/25

4月21日~27日「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021」コンサートにおいて、緊急事態宣言に伴い25日・27日公演が中止となってしまいました。あわせて27日公演のライブ配信も中止となってしまいました。 “【お知らせ】「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021」レポート掲載しません” の続きを読む

Info. 2021/04/25 ジブリ名曲生んだ久石譲 70歳でオケ首席客演指揮者に (日本経済新聞より)

Posted on 2021/04/25

ジブリ名曲生んだ久石譲 70歳でオケ首席客演指揮者に
「新しいクラシックやる」日本センチュリー交響楽団で

作曲家の久石譲が日本センチュリー交響楽団(大阪府豊中市)の首席客演指揮者に就任した。70歳にして、オーケストラの正式な指揮者ポストに挑戦する。 “Info. 2021/04/25 ジブリ名曲生んだ久石譲 70歳でオケ首席客演指揮者に (日本経済新聞より)” の続きを読む