Blog. 「音楽の友 2020年11月号」ベートーヴェン特集 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/21

クラシック音楽誌「音楽の友 2020年11月号」に久石譲インタビューが掲載されました。〈ベートーヴェン生誕250周年記念特集第4弾〉「革新の人 ベートーヴェンーー名曲から探る後世への影響」企画によるものです。

 

 

Interview
現代を生きる作曲家から見るベートーヴェン 久石譲

もっとも豊かな時代の人ベートーヴェン
だからこそ、惹かれてしまうのだと思います

 

クラシック音楽の世界ではライリーやライヒからの影響を受けたポストミニマルの作曲家として知られ、近年は指揮者としても注目される機会が増えてきた久石譲。彼が指揮した『ベートーヴェン:交響曲全集』は『レコード芸術』誌の月評で特選盤を、2019年度第57回レコード・アカデミー賞では「特別部門 特別賞」を受賞し、話題を呼んだ。

 

指揮を通じて拓けたベートーヴェンの新たな世界

久石譲がベートーヴェンの指揮に力を注ぐようになったのにのは、作曲家としての意識が深く関わっているという。

「音楽を木に喩えると、多くの人は葉や花をみて綺麗だと思うけれど、作曲家が追求しなければならないのは幹をつくり、枝をつくる行為。それが音楽の本質であり、未来への可能性を作ることになりますからね。グレゴリオ聖歌以前から音楽の歴史をみてきた上で、いま我々はなにを行わなくてはいけないのか?作曲家はそういう使命をたえず持っているのです」

もともと現代音楽の作曲家として活動していた久石だが、30歳代にポップスの世界へ転身。映画音楽の領域で高い評価を得たが、自身の音楽が徐々にエンターテインメントの枠に収まらなくなってくると、21世紀に変わる頃「本籍地」をポップスからクラシック音楽に戻している。その一環としてクラシック音楽作品も指揮したいと考えるようになり、秋山和慶に師事した。そしてベートーヴェンなどを指揮する経験も積むことにより、新たな世界が見えてきた。

「実際にベートーヴェンをオーケストラで指揮すると、スコアを読んでいるだけでは見えてこなかった、なぜこう書かれているのか、どこに問題があるのか、ということがわかるようになりました。学問のような論理ありきの作曲ではなく、実践に即して観客に聴いてもらう作曲を行う上で、その感覚が非常に役立つのです。そして『ベートーヴェンってここが良いんだ!』という実体験を味わってしまうと、指揮をやめられなくなるのですよ」

 

音楽の骨格が重要視される「絶対音楽」に向き合う現在(いま)

久石を魅了してやまない、ベートーヴェンの魅力とは何なのか。

「ベートーヴェンは、音楽の骨格となる幹と枝を重要視している古典派の時代と、葉や花が重要視されるロマン派の両方にかかっていますよね。音楽表現のもっとも豊かな時代を生きたベートーヴェンだからこそ、惹かれてしまうのだと思います」

だからこそベートーヴェンの交響曲全集の次には、葉と花の部分が魅力的でありつつも、やはり重要なのは幹と枝となるブラームスに取り組んでいるのだ。意外かもしれないがブラームスと同じロマン派でも、標題音楽にはさほど惹かれないというのが興味深い。

「ロマン派になると文学の要素が入ってきますよね。このような音楽は、何を基準に善し悪しを決めるのですか?ムードで決まるのなら、それは一人ひとり違うわけで、好き嫌いの問題ですよね。だとしたら良い演奏とは、美しい音だった、よく歌ったなどそういうことになります。もちろん、それ自体を否定するつもりではないのです」

具体的には、R.シュトラウスの《アルプス交響曲》のような楽曲に対して、「So what?(それがどうした?」と思ってしまうのだという。もう、そうした物語性のある音楽は映画との仕事のなかで充分追求してきたからこそ、クラシック音楽に「本籍地」を戻した現在は、いわゆる絶対音楽に注力しているのだ。そして、もう一つ久石のベートーヴェンを語る際に重要なファクターとなるのがナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)である。

「開館準備から長野市芸術館の芸術監督を務めることになったのですが、観客の皆さんがホール自体を応援するというのが、あんまり想像できなくて。そこで応援対象になる室内オーケストラをつくろうと思いました。東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスター近藤薫さんに相談した上で、将来を担う若手を中心に、各オーケストラの首席クラスに声をかけたのです。では、彼らと何を演奏するべきか?オーケストラとしての形ができてから、ベートーヴェンの交響曲に取り組むことも考えたのですが、まずベートーヴェンに取り組み、同時に現代の音楽をプログラムに取り込むことで、自分たちがいまどこにいるのかを確認するべきだと考えたのですね」

 

”現代音楽”をふまえて読んでもリズムの扱いが天才的

クラシックの音楽家にとって、ベートーヴェンの交響曲は常に隣にあるべきもの。こうした考えにより、2016年から2年半かけてベートーヴェンの交響曲を番号順に演奏・録音。これが交響曲全集となった。最大の特徴はリズムにある。

「ドイツ流のスタンダードなベートーヴェンの演奏を、私も秋山先生から習いましたが、室内オーケストラで重々しい演奏をするのは無理があります。でも、古楽のように演奏すればいいかといえば、それもしっくりこない。やっぱり自分はミニマルをベースにしてきた作曲家ですから、スコアに書いてあることを素直に読んで、ミニマルや現代のポップスにも通じるリズムを中心に組み立てようと考えました。そういう観点でベートーヴェンのスコアを読み直してみると、リズムの扱いが本当に天才的だと思いました」

その到達点だと久石が語るのは意外にも、演奏機会の多くない「交響曲第8番」だ。

「『第8番』は本当にすべてが上手くいっていますね。第2楽章一つとっても、あそこまできちんと無駄なく、技術的にも非常に上手く書かれており、なおかつ人を幸せにする音楽は類を見ません」

久石が理想の作品と語る「第4番」「第8番」の録音をお聴きいただければ、スコアを読めないかたにもベートーヴェンがどれほど鋭敏なリズム感覚をもっていたのかが、手に取るようにおわかりいただけるはずだ。

長野市芸術館芸術監督の任期満了に伴い、NCOは本拠地を東京に移し、フューチャー・オーケストラ・クラシックスへと名義を変更した。今後もたびたびベートーヴェンに立ち戻り、汲めども尽きない楽聖の新たな魅力をまた照らしだしてくれるに違いない。

取材・文=小室敬幸

(音楽の友 2020年11月号より)

 

 

目次

特集
ベートーヴェン生誕250周年記念特集第4弾 革新の人ベートーヴェン ――名曲から探る後世への影響
(かげはら史帆/久石 譲/小室敬幸/山田治生/越懸澤麻衣/平野 昭/渡辺 和/七條恵子/飯田有抄/西原 稔/高関 健/高山直也)

ベートーヴェンの描いた音楽が、後世の作曲家にどのように受容され影響を与えたのか、またその作風や技術はどのように作品と結びついているのか……。長年にわたり演奏され続ける名曲の魅力を「ベートーヴェン⇔後世への影響」で紐解き考察します。

and more…

 

 

また、同時期に公開されたWebマガジン ONTOMOでは「久石譲が続けてきた音楽を未来につなぐチャレンジ」、これまでの自身の音楽活動をたっぷり語ったロングインタビューとなっています。

 

 

 

 

 

 

 

Info. 2020/11/20 久石譲「Music Future Vol.7」初日を聴いて 前島秀国(Web medici.tv JAPAN)

Posted on 2020/11/20

クラシック音楽サイト medici.tv JAPAN(メディチTVジャパン)。先日11月19日に開催されたばかりの「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.7」コンサートのレビューが掲載されています。久石譲CD作品のライナーノーツでおなじみの前島秀国さんによる、プロ視点の解説&レポートになっています。ぜひご覧ください。 “Info. 2020/11/20 久石譲「Music Future Vol.7」初日を聴いて 前島秀国(Web medici.tv JAPAN)” の続きを読む

Info. 2020/11/19,20 「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.7」開催決定!! 【11/16 Update!!】

Posted on 2020/02/13

久石譲のコンサートシリーズ「久石譲&FOC」の第3弾から第5弾と「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.7」の開催が決定いたしました。

チケット先行予約などの詳細はコンサート公式サイトをご覧ください>>> “Info. 2020/11/19,20 「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.7」開催決定!! 【11/16 Update!!】” の続きを読む

Overtone.第36回 オーロラ管弦楽団を聴く Listen to Aurora Orchestra

Posted on 2020/11/12

ふらいすとーんです。

好きなアーティストを日々追いかけていると、いろいろなものがくっついてくることがあります。そして、偶然か必然か、つながりと発見にびっくりすることがあります。

マックス・リヒターという作曲家を追っかけています。オリジナルアルバム、映画サウンドトラック、さまざまな企画やコラボレーション。そうしていくと、あるアーティストのために書き下ろした作品なんかは、マックス・リヒター名義ではないアルバムに収録されたりします。1曲のためにアルバム1枚買うのか!?、そんなささやかならぬ葛藤もありますが、買います。なぜ、マックス・リヒターは新曲を提供したのか。コラボレーションのコンセプトやアーティスト性は、全体から聴いていかないとつかめないこともあると思っています。

 

  • マックス・リヒター
  • モーツァルト交響曲の現代的アプローチ
  • ニコ・ミューリー
  • 久石譲FOCコンサート
  • 久石譲MFコンサート

 

こういったピースが、グルグルつながっていく流れを、なるべくサクサクご紹介していきます。

 

 

”2020年、マックス・リヒターが、とあるオーケストラのために、新曲を書き下ろした。”

これがすべてのきっかけです。

以下、引用します。

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世界で最もクリエイティヴなオーケストラのDGデビュー盤!

近年、急激に存在感を増しているオーロラ管弦楽団は、並外れた音楽家により構成された卓越した室内オーケストラであり、非常に高いクオリティで感動的な演奏をするばかりでなく、先駆的で斬新な様々な手法で豊かな音楽体験を提供している世界で最もクリエイティヴなオーケストラ。

『ミュージック・オブ・スフィアーズ(天球の音楽)』は、惑星の動きが、宇宙の調和(ハーモニー)を生み出すという古代ギリシャの数学的な概念に基づいています。当アルバムのために特別に委嘱されたマックス・リヒターの新作『ジャーニー(CP1919)』は、最初に発見されたパルサー「CP1919」に触発されて作曲されました(注:パルサーはパルス状の可視光線、電波、X線などを発生する天体で、超新星爆発後に残った中性子星と考えられています)。 この作品は、古代ギリシャの天文学者が惑星の軌道を説明するために使用した数学的な比率によって支配されたリズムを使用して、オーロラ管弦楽団が暗譜で演奏することも取り入れて作曲されています。

出典:HMV|コロン&オーロラ管/モーツァルト:交響曲第41番『ジュピター』、他
https://www.hmv.co.jp/news/article/2007271007/

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マックス・リヒター作曲「ジャーニー(CP1919)」の説明文は、なんとも難解な印象を受けますが、約9分半の作品、とっても神秘的で浮遊的、心とからだの瞑想っといった感じです。落ちつきます。弦楽合奏とシンセサイザー低音、複数のパターン・モチーフが交錯します。マックス・リヒター公式にティーザー動画が公開されています。

 

Max Richter – Journey (CP 1919) Teaser (約1分)

from Max Richter Music YouTube

 

ここまでなら、マックス・リヒターのコレクションとして終わりますが、このアルバムはそれだけではありませんでした。

 

 

メインとして収録された「モーツァルト:交響曲 第41番 ハ長調 K.551《ジュピター》」を聴いてびっくりしました。久石譲FOC(フューチャー・オーケストラ・クラシックス)が演奏してるのか!? と思うほど、キレッキレのモーツァルト。古典クラシック音楽の最高峰ともいわれる交響曲、こんなに現代的な演奏が聴けるなんて。堂々として風格のある往年の名盤たちとは一線を画する、風の吹き抜けるような響き。久石譲FOCのベートーヴェン交響曲やブラームス交響曲と同じような印象をうけます。

その後見つけた2つの公式動画で、さらに納得しました。

 

Mozart’s Jupiter Symphony from memory – Aurora Orchestra (約2分半)

from Aurora Orchestra YouTueb

 

立奏スタイル、室内オーケストラ編成(規模の小さいオーケストラ)。さらに、彼らは交響曲を暗譜、アルバムはセッション録音です。

 

 

Aurora Orchestra – ‘Music of the Spheres’ Trailer (約5分半)

from ドイツ・グラモフォン公式YouTube

 

トレーラー動画のほうは、アルバム収録曲すべて紹介され、そこにはマックス・リヒターやニコ・ミューリーまでも登場します。ニコ・ミューリーという作曲家は、このオーロラ管弦楽団と深いつながりがあり、本作では一曲編曲を担当してます。

 

 

『ミュージック・オブ・スフィアーズ(天球の音楽)』/オーロラ管弦楽団 (2020)

【収録情報】
1. モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551『ジュピター』
2. マックス・リヒター: ジャーニー(CP1919)
3. ダウランド/ニコ・ミューリー編:時は立ち止まり
4. アデス:ヴァイオリン協奏曲 Op.24『同心の道』
5. デヴィッド・ボウイ/ジョン・バーバー編:火星の生活

 ペッカ・クーシスト(ヴァイオリン:4)
 イェスティン・デイヴィス(カウンターテナー:3)
 サム・スワロー(ピアノ、ヴォーカル:5)
 オーロラ管弦楽団
 ニコラス・コロン(指揮)

 

Music of the Spheres / Aurora Orchestra (2020)

1 Mozart: Symphony No. 41 in C Major, K. 551 “Jupiter” – 1. Allegro vivace 11:29
2 Mozart: Symphony No. 41 in C Major, K. 551 “Jupiter” – 2. Andante cantabile 10:17
3 Mozart: Symphony No. 41 in C Major, K. 551 “Jupiter” – 3. Menuetto. Allegretto. Trio 4:10
4 Mozart: Symphony No. 41 in C Major, K. 551 “Jupiter” – 4. Molto allegro 8:21
5 Richter: Journey (CP1919) 9:31
6 Dowland: Third Booke of Songs, 1603 – 2. Time Stands Still (Arr. Muhly) 3:42
7 Adès: Violin Concerto “Concentric Paths” – 1. Rings 3:53
8 Adès: Violin Concerto “Concentric Paths” – 2. Paths 9:57
9 Adès: Violin Concerto “Concentric Paths” – 3. Rounds 4:39
10 Bowie: Life on Mars? (Arr. Barber) 3:41

Deutsche Grammophon (DG)

 

 

久石譲は、2016年から新しい取り組みとして、ベートーヴェン交響曲を演奏・録音し、2019年度第57回レコード・アカデミー賞特別部門特別賞を受賞するなど、指揮者としてもさらなる注目を集めています。そして2019年からはブラームス交響曲を演奏・録音するプロジェクトがスタートしています。ブラームスからは、立奏スタイルを採用しています。それぞれ詳しいことは、紐解いてみてください。

 

 

 

 

オーロラ管弦楽団の過去作を見てみると、ニコ・ミューリー名義のアルバムで録音を残しています。マックス・リヒター同様、オーロラ管弦楽団が作曲家に委嘱したその作品は「Seeing Is Believing」。

実はこの曲、久石譲の新しいコンサートシリーズ「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.1」コンサート(2014)で披露された、エレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーした約25分の作品です。

さらには、翌年「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.2」コンサートで、久石譲は触発されたようにエレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーした作品を新たに書き下ろし初演しました。また同プログラムでは「ジョン・アダムズ:室内交響曲」も披露していますが、オーロラ管弦楽団も同作を録音・演奏しています。

 

すごいつながりかたですね!

ちょっと整理しますね。

 

Seeing Is Believing / Nico Muhly (2011)

 

「ニコ・ミューリー:Seeing Is Believing」や「ジョン・アダムズ:室内交響曲」をプログラムした2011年コンサート公式動画。

Nico Muhly: Seeing is Believing (約1時間)

from Aurora Orchestra YouTube

 

「久石譲:エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための 室内交響曲」、「ジョン・アダムズ:室内交響曲」収録

 

「久石譲:エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための 室内交響曲」抜粋、2015年コンサート公式動画。

Joe Hisaishi : Chamber Symphony (selections) (約8分)

from Joe Hisaishi Official YouTube

 

 

すごいつながりかたですね!

久石譲がオーロラ管弦楽団の音楽活動をなぞっている、もちろんそんなことではありません。大切なのは、《現代(いま)の音楽》を発信する、演奏する、というスタンスが共鳴していることです。だからこそ、偶然か必然か、つながってくるものがある。

もうひとつ大きなポイントは、久石譲もオーロラ管弦楽団も、古典クラシック音楽も現代音楽も、どちらも並べて演奏・録音しているというところです。言い換えれば、現代的アプローチで古典作品も現代作品も演奏している。この共通点からくる、音楽的表現や響きは大きいと思います。

だから、オーロラ管弦楽団のモーツァルト交響曲を聴いて、久石譲FOCが演奏しているのかと思うくらいな印象をうけ、それは同時に、もし久石譲FOCがモーツァルト交響曲を演奏したらこうなるんだろうなあという、想像する楽しみ方すらあります。

 

  • マックス・リヒター
  • モーツァルト交響曲の現代的アプローチ
  • ニコ・ミューリー
  • 久石譲FOCコンサート
  • 久石譲MFコンサート

 

グルグルつながることが、サクサク伝わったならうれしいです。

 

 

オーロラ管弦楽団は、コロナ禍の今、2020年9月に再開されたイギリスBBCプロムスでの無観客演奏で「ベートーヴェン 交響曲 第7番」を披露。少数精鋭な室内オーケストラ編成と立奏スタイル、さらに距離を大きくとったステージながら、躍動した大迫力な演奏に驚きます。

 

Aurora Orchestra performs Beethoven 7 at the BBC Proms (約1分半)

from Aurora Orchestra YouTueb

 

 

また、ロンドンのキングス・クロス駅での屋外演奏も。日本でも、少しずつオーケストラの演奏活動がいろんな場所で増えていったらいいですね。

 

First symphony since lockdown at Kings Cross (約2分)

from Aurora Orchestra YouTueb

 

 

なんでイギリス音楽って、聴いてすぐイギリスってわかっちゃうんだろう。気品漂い、はたまた、牧歌的な香り。1枚とおして心地よい。けっこうお気に入りの、とっておきのアルバムです。オーロラ管弦楽団を紐解いているなかで、みつけた宝物です。

 

Introit: The Music of Gerald Finzi / Aurora Orchestra (2016)

 

 

久石さんの音楽も、どこかアイルランド的だったりしますよね。久石メロディを感じさせるというよりは、なんだかDNA的におちつくような安心感。

たとえば1曲目♪

Finzi: Lo, the full, final sacrifice, Op.26 – Amen (Instrumental) (約2分半)

 

フィンジというイギリス作曲家の楽曲を集めているアルバムです。おそらく合唱曲などを器楽版にしたものもあるのかな、きれいで親しみやすい旋律にうっとりします。もし気に入ったら1枚とおして聴いてみてください。おすすめです。

 

……

いろいろとフィンジを聴きあさっていったら。この曲、なんと14分近くある合唱曲のエンディングにだけ聴けるひと旋律を器楽版にアレンジしたものだったんです。オーロラ管弦楽団の選曲とセンスが光ります。原曲は下、13:10-。

 

Lo, the Full, Final Sacrifice, Op. 26 (約14分)

 

ほかにも。

オーロラ管弦楽団のインストゥルメンタル版。

Finzi: Clear and gentle stream, Op.17, No.4 (Instrumental) (約4分半)

 

原曲の合唱版。

7 Partsongs, Op. 17: 7 Unaccompanied Partsongs, Op. 17: No. 4. Clear and gentle stream (約4分)

 

とまらなくなるので、フィンジについては、またいつか。原曲2曲と少し聴き比べてもらっただけでも、オーロラ管弦楽団のこのフィンジアルバム「Introit: The Music of Gerald Finzi / Aurora Orchestra (2016)」のおすすめ度が伝わるなら、うれしいです。

 

 

最後に。

2020年12月23日開催予定「久石譲コンサート 2020 in ザ・シンフォニーホール」では、モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」がプログラムされています。日本センチュリー交響楽団との共演です。久石譲FOCの編成とは異なりますが、指揮者久石譲のアプローチは、オーロラ管弦楽団に近いものではないかと期待できます。

ぜひ楽しく予習したい人は、『ミュージック・オブ・スフィアーズ(天球の音楽)』/オーロラ管弦楽団 (2020)を手にとってみてください。

ぜひ楽しく予習したい人は、オーロラ管弦楽団のステージ動画もどうぞ。約1時間におよぶこの動画では、楽しいレクチャーコーナーが演奏前にあって(11:00-)、第4楽章のモーツァルトの天才的な交錯するモチーフたち、その聴きどころをわかりやすく分解して、やさしく紹介してくれます(13:00-23:00)。こんなふうになってるんだあ、楽しいです。2016年のパフォーマンスですが、2020年10月つい先日に公式公開されたホヤホヤです。

 

Mozart’s Jupiter from memory at the BBC Proms – Aurora Orchestra – Complete performance (約1時間)

from Aurora Orchestra YouTueb

 

 

 

 

それではまた。

 

reverb.
今回紹介したのは、オーロラ管弦楽団のアルバム2枚です♪

 

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1997年9月号 No.152」『もののけ姫』久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/05

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1997年9月号 No.152」に掲載された久石譲インタビューです。

映画『もののけ姫』について、たっぷり語られた貴重な内容になっています。

 

 

久石譲
アルバム『もののけ姫』インタビュー

「やり残したことはないです」

(インタビュー by 秋谷元香)

宮崎駿監督の集大成ともいわれる話題作『もののけ姫』が7月から公開中だ。音楽を担当しているのは、84年の『風の谷のナウシカ』以来、今回で6作目の宮崎作品となる久石譲さん。その久石さんに、宮崎監督との”奥深い”制作中のコミュニケーションや音作りの方法について、じっくりお話を伺うことができた。

久石さんが宮崎作品の音楽を担当するのは今回で6作目。宮崎さん自身、プロモーション的な意味合いもあってテレビや雑誌などで、今回の作品に関して発言されていた。制作エピソードの中には、久石さんとの今回の音楽に関することも紹介された。その中で、公開前から話題になっていたのは、やはり、宮崎さん自身の”気合い”。構想16年、制作費や制作期間はこれまでの倍になるというエピソード。原画枚数は『ラピュタ』の8万枚に対して12万枚…。

サウンドトラックが、ベーシックにはオーケストラによる音楽であることは、正統派映画音楽の必須条件だから、この映画のサウンドトラック・アルバムもオーケストラ作品になっていること自体、驚きではない。しかし、完成した映画作品から聞こえるテーマ、歌、音楽、すべてが一体になって視覚にせまり、耳の奥に鳴り続ける。

シーンの中心は室町時代の日本を背景にした、”殺戮”と”戦い”、それを取り巻く”自然”。最後の宮崎作品といわれる、この『もののけ姫』をさらに印象づける久石ミュージックの制作エピソードにせまります。

 

●作曲ツールを一新

ー今回のアルバムはオーケストラは全部生ですよね。

久石:
そうです。東京シティ・フィルハーモニック。『もののけ姫』はオーケストラをベースにするというのは、最初からずっと考えていたんです。でも、基本的には、いつものペースでシンセでほとんど全部作りこみました。それだけでもうCDとして出せるくらいのクオリティだったんですけど、それをあえてオーケストラの部分は別に録りました。また、映画の内容からも”日本”というのがすごく大事なテーマですから、生楽器として和太鼓とか篳篥(ひちりき)という和楽器は相当使いました。

 

ーシンセだけで作り上げる時は、生楽器はやはりサンプラーですか。

久石:
今回はね、今まで僕が使ってきた楽器を一新したんですよ。ふつうだと、こういう大きい仕事をやる時は、使い慣れた方法を取るじゃないですか。でも、今回はどうもそれじゃ違うと思ったんです。今まではフェアライトをベーシックにして全体を組んでいたんだけど、今回からAKAIのサンプラーを5台も買っちゃいました(笑)。全部フル・メモリーの状態にしてね。

でもね、いちばん上はループ用に使っているんですけど、下の3つは全部弦用なんです。しかも、1台にバイオリンとビオラという2つの音色を呼んだら、もう終わり(フル・メモリー)なんですよ。で、その下はチェロとコントラバスで終わり。

 

ー1音色で16MBも使っているんですか!

久石:
サンプラーが5台あるけれども、弦セクションと木管系、ループ用と打楽器系用だけなんです。木管系にはフェアライトのほうがいい音色もずいぶん多いから、両方併用という新たなシステムに切り替えて、今回の『もののけ姫』は臨んだんですよ。それがよかったみたいですね。

 

ー『Kids Return』(北野武監督映画のサントラ)の時は、生楽器にヤマハのVL1というシンセサイザーも使われたとおっしゃってましたね。

久石:
VLのほうがやっぱり生の感じは出ましたね。今回もやっぱり同じヤマハのVPを使いました。でもこんなに頻繁に使っているのは、恐らく世界で俺だけだろうね(笑)。

AKAIのサンプラー5台と、ヤマハのVPだとか、それから自分が作ったループだとか、そのへんで今回やったんです。それをベーシックにもう1回オーケストラを組み上げたわけです。シンセだけで、山の8号目ぐらい登っているわけ。もうほとんど頂上。それを最後にもう1回オケでやったという感じなので、全体のクオリティは本当に高かったですね。

 

 

●最初の2発で決まり

ーアルバムの最初に「ドーン」おいう太鼓の音が入っていますね。

久石:
すごいでしょ? あれね、映画館だともっとすごいですよ。椅子とかビリビリいってますから。こんなにいい音で録れるとは思わなかったというのが、正直なところなんですけど。

あの音は、自分のサンプリングで持っている、すごいいちばん重低音の出る「グランカッサ」という西洋的な大太鼓、それからエスニックのモノと、それから実際の東京シティ・フィルの大太鼓と、ティンパニなどをミックスして作った音なんです。でも、結局ティンパニは、芯が出ちゃうから極力抜きました。生の音とサンプリングと全部混ぜた音ですね。大太鼓を録る時にも相当苦労した。叩く場所なども、「この辺を叩いて、それをこっちから録って」とか、相当細かくやって録った音ですからね。出だしで「ドーン、ドーン」って二発鳴った時に、「あ、勝った」って思いましたね。

 

ーひとつの音に対しても、そんなにこだわられていたんですね。

久石:
今回は、なんというか、やり残したという感じはないですね。

この『もののけ姫』は本当に幸せな出会いだったと思うんです。宮崎(駿)さんとかれこれ6本もいっしょにやっていますけど、最初に『風の谷のナウシカ』をやった時と同じ感じでした。それにプラス6本やってきたというある種の深みというか、すごく深いレベルでコミュニケーションできました。このサントラを作りながら「この仕事、終わってほしくない。でも寝ていないから早く終われ」とかいろいろ思いました(笑)。作品ができた時「これでしばらく宮崎さんと会う口実がなくなるな、残念だな」と素直に思いましたね。

 

 

●映画と音楽の構造は同じ?

久石:
映画監督の黒澤明さんがおっしゃるには、映画というのは、あくまで時間軸上に作る建築物なんだそうです。時間と空間軸の中で作るもの。音楽もまったく同じだと思うんです。実際、黒澤さんも「映画の構造は音楽にいちばん近い」ってはっきりおっしゃっていますし。それはすごくよくわかるんです。

僕は、やっぱり今度の映画の中の2時間15分をいかに構築するか、つまり音楽を入れないところも含めて、どうやってテーマをリアルに浮かび上がらせるか、宮崎さんの言いたいことを浮かび上がらせるかをいちばんに考えていたんです。だから、核になるメイン・テーマ曲が、ものすごく重要になってくるんです。

これがサントラを作る最初の段階で、相当納得するものができていないと、メインディッシュ抜きの料理みたいなもので、どんなに飾ったりなんかしても、どうも制作がうまくいかない。

 

ー今回は「もののけ姫」「アシタカせっ記」のメロディーがアルバムを通しての柱になっている感じがしました。

久石:
そうですね…メイン・テーマとしての曲は「もののけ姫」になるんでしょうか。最初はこの曲がメインテーマ曲になると思わなかったんですよ。(自分としては)「こういうのもあっていいや」という感じの曲だったんですけど、宮崎さんがあんなに気に入るとは思わなかった。自分としては、『もののけ姫』という大作ですから、もう少し勇壮な世界観のあるものをメインに据えようと思っていたんですね。

でも、ああいうさらっとした曲があったおかげで、かえって世界観が、結果的には作りやすかったですね。まあ、トータルでいうと「アシタカせっ記」という曲がメイン・テーマと取れるかもしれませんね。アタマにあって、大事なところに入って、最後に流れてくる。

それで、それを彩る形で「もののけ姫」がその対になった感じで、それで全体を組んでいきました。そういう意味では、構成的にも相当うまくいきました。自分ではすごく納得しています。

 

ー折に触れ、『もののけ姫』の最後にリフレインしている部分のメロディーが顔を出してますよね。

久石:
最後の部分のメロディーでしょ。あれを考案した段階で「勝った」と思いましたね。「いただき!」という感じです(笑)。結局歌の曲のメロディーをそのまま1コーラス使ってアルバムの中に歩かせると、すごくダサイんですよ。「いかにもテーマ曲ですね」みたいな感じというか。だから、いちばん最後のリフレインのところを使って、インスト・バージョンをもう1個作った。それを映画の旅立ちの場面のところから、順番に要所要所、サン(もののけ姫)と出会うシーンなどにその曲をつけていって、それがだんだんメロディーが伸びてきたら、「もののけ姫」の歌になるという。その設計が自分でも相当気に入ってます。

 

 

●”間”を大切にする。

ーぜひ、”『もののけ姫』交響組曲”みたいなものを聴いてみたいな、と思いました。

久石:
交響組曲を作るとすると相当勇壮な感じになるでしょうね…そう、今回のサントラでひとつ言えるのが、戦いのシーンなんかは極力音楽を控えめにしたということです。地味めなサウンドにね。音楽家ってどうしても戦いのシーンなんかになると、自分のワザを駆使して、ジャーンって効果音と張り合ってやってしまいがちなんですけど、そういう誘惑は一切断ち切って、むしろ戦いが終わってからの主人公の気持ちなどのほうに音楽をつけることに集中しました。だから、戦いのシーンは必要最小限の音楽で、極力隙間の多い戦闘シーンの作り方をしていますね。

”間”というのか、わりと沈黙をどう作るかというか、それは、いちばん気を使った部分ですね。なにか、沈黙を作るって、音楽家は恐いんですよ。次々とメロディーを出したくなるから。だけど、あえてそういうのをずいぶん作っている。『レクイエム』なんかはそうですよね。だから、その作りが相当うまく、自分の中では新しく、「こういう表現も成り立つんだよな」って。その辺は自分でもすごく嬉しいところですね。

 

ー”間”といえば、「神の森」でも…。

久石:
音を抜くところ? それが相当、従来だともっと勢いで押していたけど、止めるということをずいぶん今回やりましたね。今回今まで使っていないやり方、新しいやり方では、もちろん音源を入れ替えたりというのはあるけれど、シーケンサの組み方自体も、すごくテンポを変えているんですよ。1曲の中でもものすごくテンポを変えている。なおかつ、映画のひとコマ=1フレームが1秒の1/30ですが、これにぴったり合わせている。あるいは、合わせた上であえてずらす。そういうのが1曲の中で最低6~7カ所はあるんですね。異常ですよね。リタルダンド、アッチェレランド、急激なテンポの変動というのが絶えずあって、それでシーケンスを組んでいるから、すっごい大変。

同じテンポで通した曲って、40曲中3~4曲ぐらいしかない。後は全部途中でテンポが異常に変わってますね。

 

ーすごく作り込まれている感じですね。

久石:
トラックダウンだけでも、10何日間かかりました。これはひとつには、デジタル(処理)というやり方に対するノウハウが、日本にないんですよ。L/C/R、つまりレフト/センター/ライトのスピーカーに後ろのL/Rと、あとスーパー・ウーハーという6チャンネルですから。ハリウッドやなんかでは、10年ぐらい前から、ほとんどの作品をそれでやってます。だけど、日本では、『耳をすませば』についで2度目ぐらいで、本当にノウハウがないんですよね。ハンデがありますね。

つまり、トラックダウンをやっていて、これでいいのかどうかという基準になるものがない。1回トラックダウンをしますよね。それでMAのところでかけてくる。そうすると「あ、後ろの音が弱い。もっと大きくないと迫力がない」となると、また戻ってやり直し。そういうところでね、僕の考えとしては、作曲というのはもう仕方がないわけ。これは俺の能力の問題で、いい曲ができなかったらそれは俺の問題だ、と。だけど、トラックダウンだとかいうのは、あくまでも技術的な問題だから。技術的な問題というのは、みんなが努力したら絶対ある程度は行けるんですよ。そんなところで自分の音楽がだめになるというのは、絶対に許せないから。とことんTDやりましたよね、やれるところまで。

 

 

●人間の”二面性”を体現するボーカル

ー「もののけ姫」はインストゥルメンタル・バージョンがありますね。

久石:
インスト・バージョンでメロディーをとっている楽器は、4タイプぐらい録ったんですよ。篳篥、竜笛(りゅうてき)、ケーナ、それからもうひとつなんだったかな。結果的にいちばんクセのないケーナを選んだんですよ。インストゥルメンタルでボーカル曲をやると、本当に陳腐になっちゃう。それをどう避けようかというのがやっぱりあって。

それは、歌と同じぐらい説得力があるインストゥルメンタルがメロディーをとっていないと、相当難しいんです。今回はたまたまケーナだったけど、希望でいうと僕は篳篥で行きたかった。だけど、映像と合わせると音楽が強くなり過ぎてしまったんです。つまりその曲は、サンが乾し肉をかんでアシタカに口移しするシーンつまりラブシーンともとれるシーンに使われているんですね。だから、妙にムードに際立たせられると宮崎さんが恥ずかしいわけですよ(笑)。

あっ、そうそう、その場面でおもしろい話があるんだけど、逆にムードを際立たせるような曲を、あえて1回目に宮崎さんに聴かせたんですよ(笑)。口移しをした瞬間に、「ザァン!」とかいって、ハープかなんかで「ピロロ~ン」とかいって思いっきり盛り上げてやったら、宮崎さん下向いちゃって(笑)。「う~ん、もっとさりげなくできませんか?」って。だから「そうですよね」って。これが通るわけないと思ったんだけど、1回やっておきたくて。まあ、これだけ長い仕事やっていると、そういう遊びぐらいあってもいいかな、と。

 

ー「もののけ姫」のボーカルも、すごく不思議な雰囲気ですね。

久石:
カウンター・テナー米良美一(めら よしかず)さんのボーカルですね。カウンター・テナーというのは、外国ではそんなに珍しくないんですよ。男の人の裏声状態なんですけど。でも日本でこれだけの人はいないですね。

正確に言うと、カウンター・テナーは男性の裏声を使っているためにソプラノの音域には行かなくて、女性のアルトの音域までをカバーするんです。実のところを言うと、アルトというのはやっぱりちょっと暗めになる印象が僕の中にはあって、もしかしてメイン・テーマではどうかな、という不安はあったんですよ。男の人が歌っているという先入観を除いて、純粋に音楽的に大丈夫なのか、暗くならないかという心配が、僕にはあったんです。だけど、やっぱり米良さんは本当にすばらしい歌手で、そういう心配は無用でしたね。

恐らく宮崎さんは、今回の”犬神モロ”というキャラクターの声優に美輪明宏さんを起用したことに象徴されるように、”ひとりの人間の中の二重構造”とか、もっと言ってしまえば、”ひとりの人間の中の善と悪”を意識されていたんではないでしょうか。だから、内容的には、けっして山を切って鉄を作っている人たちを”悪”とも決めてないですよね。要するに、ひとりひとりが矛盾というか、二律背反するものを抱え込みながら、それでも生きていかなければいけないというのが、いちばん深いテーマとしてあったと思うんです。米良さんの声を聴いた時、恐らく宮崎さんは”男性なのに女性の声”というその複雑さにすごく興味を持たれたんじゃないかなという気がするんです。

(「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1997年9月号 No.152」より)

 

 

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Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/03

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号」に掲載された久石譲インタビューです。同年1月号から開始された連載の第10回で、オリジナル・ソロアルバム『Piano Stories』についてたっぷり語っています。

 

 

HARDBOILED SOUND GYM by 久石譲
VOL.10
「ナウシカ」のイマジナリー変奏曲

ピアノ・アレンジにもとづいて録音された「Fantasia (for Nausicaä)」、久石さんは”テレやはずかしさ”があるとはいえ、やはり代表曲。今回もこの曲を中心に。

 

まず先月号の訂正から。ページの最後に「2重奏によるナウシカのスコアを掲載する予定です」とありますが、これはあくまでもソロ・プレイです。久石さん自身の最初のプランでは「ダイナミックになり過ぎる。それをもっと抑えたかったから2重奏で、と考えた」ということなのですが、しかし、実際にやってみたら、最初のプレイの”揺れ”に合わせてダビングするのが難しく、結局、アルバムには、その直後、ソロでプレイしたものが収められています。読者のみなさん、そして、久石さん、ごめんなさい。

というところで、この2重奏→ソロの経緯のお話から伺うことにします。

 

呼吸しているメロディーの微妙なノリ

ー「Fantasia (for Nausicaä)」のレコーディングのときのお話を確認の意味でもう1度聞かせてください。

久石:
『ピアノ・ストーリーズ』を作ったときの、僕の中のナウシカの扱いから話しましょうか。

重複しちゃうかもしれないけれど、僕の中に非常に難しいものがあるんです。なぜなら「久石譲イコール、風の谷のナウシカ」という公式が出過ぎちゃう、あの曲が僕の名刺がわりになり過ぎてる。するとやっぱりテレもあるし、はずかしさもあるんです。

ふつうはこれが代表曲ですっていうものがあれば開き直れるのかもしれないけど、僕は少しはずかしい。それがいつもついてまわるわけですよ。すると『ピアノ・ストーリーズ』で、自分の、久石譲メロディー集でいうと、こういう曲がメインになるのがふつうのはずなんですよね。

だけど、7分近い大曲にした割には、むしろ後ろの方で抑えた状態で収録してある。しかも原曲にいちばん遠いかもしれない。中のいろんな音楽、音型を出してみたりしつつ、変えて作ってしまった、と。それはやっぱり作家の中でその楽曲と自分との独特の位置があるわけですよ。

まあそういうことが前提にあって、当初はピアノの2重奏でやりたかった。実際には、ダビングを1回しようとしたんです。なぜかというと音域が広いのと、部分的に、1人でやろうとするとかえってやかましくなり過ぎるところがある。たんたんとさせるためにも2つでやったほうがいいだろうと考えたんです。

ところが今回のピアノ集は全体にそうなんだけど、ふつうはドンカマと言って、リズムをうすく入れて、その中で自分が自由に弾くということをするんですが、今回はひとつもドンカマを使っていない。そのためにメロディー・ラインが自由に呼吸してるわけ。そしてこの日も第2パートから入れてみたんです。7分近い中でピアノを2重奏にする部分は、ほんの1コーラスだけだったんです。ほんの一部だった。ところが今度、それを入れちゃったら、それに合わせようとするんです、音楽が。すると、それまで呼吸していた音楽が一気に死んじゃった。

 

ー音楽が合わせようとする、というのは?

久石:
自分で合わせようと思うわけだけど、それは、音楽のほうで、入れてあるパートに合わせて弾くように働きかけてくる。そこでもう、何か世界が違っちゃうんです。微妙なタイミングのズレが出るわけですよ。

ドンカマが入れてあれば、まず第2パートを合わせて入れて、次にそれに合わせてメロディー・パートを入れるということができるかもしれないけれど、第2パート自体もエモーショナルに弾こうとすると、すでにそのテンポが揺れている。その揺れているヤツにもう1回自分で重ねようとすると、よほど何百回というリハーサルをやって同じような揺れにならない限りは、滅多に合わないですよね。

それでかなりのところまでは合ったの。でも他の人が聴いたらそうは思わなかっただろうけど、自分の中では、精神的な呼吸感が、もう違うから、ダメだって思った。で、スタッフも全員そう思ったので、もうこのスタイルはやめようということになったんです。

ところがこっちも2重奏のつもりでスタジオに入っているから、いきなりやめるというのもまずい。また練習して戻って来るというわけにもいかない。

それで結局、そこでまた全部壊して…、まあアレンジしてあった形はそのまま生かしてその場で一発録りみたいなかたちで録ったんです。それが、あの『ピアノ・ストーリーズ』の中の「ナウシカ」なんですよ。

 

不思議な響きのルーツにいたのはマル・ウォルドロン

ー2重奏にしたかった部分というのはどのへんですか。

久石:
途中で盛り上がっていくところでね。ちょっと音自体は抑えたいんだけどぶ厚さが欲しいわけ。それができないわけではないことはわかっていたんだけど、いろんな音型をにらみ出すと、非常にヴィルトゥオーゾ…名人芸というかテクニックを披露するような音楽になりやすいんだ。それを控えたかったんです。

 

ーそれであの形になったわけですね。

久石:
そう。そのへんがあの曲を録るときの難しさだったんですね。

だから今回の『ピアノ・ストーリーズ』をやっていていちばん思ったのは……、みなさん言うのは、非常に不思議な音楽だ、ということなんです。ピアニストの練習は、バイエルから始まってツェルニーの30番、40番とやってくると、当然クラシックの音楽には独特のスタイルがあるわけですよ。それは何かというと3度、5度、6度構成という音の関係の練習でしかないんです。あとスケールとね。これはテクニック自体のことだけど、それの組み合わせでできていると思って間違いない。

ところが僕の音楽というのは4度体系なんですよ。だから、ド・ファ・シと押さえていってしまう。ある意味でジャズのテンションに近いものがあるんです。けれどジャズから出て来ているテンションではないんですけどね。で、そういう積み重ねが多く出てくる。すると、パッと押さえた瞬間の指の形、指の幅がクラシックの人とは違うんです。パッと押さえた指が、クラシックの人はド・ファ・ラとか、ド・ミ・ソとかクラシックの形態のところに指が行くんです。このへんが、ちょっとクセがあってやりづらいところかもしれないんですけどね、ピアノに関していうと。

ただこれは、自分のアレンジものも全部ひっくるめて、響きの原点みたいなところなんです。

で、『ピアノ・ストーリーズ』の話に戻すと、非常に不思議な音楽だと言われたと。ピアノのテクニックっていうのはリチャード・クレイダーマンみたいに、ドソミソ・ドソミソとかパターンがあるんです。左手の音型にしろ何にしろ。ところが僕のピアノは全部その形態がはずれているんですよ。

じゃクレイダーマンではない。それならレイモン・ルフェーブルかと言ったらそれでもない。ではジャズか? それでもない。そのへんのギリギリのところで作っていたんです。

で、僕のタッチというのはすごく強いんです。いいか悪いかは別として頭の中で、ピアノというのは打楽器みたいなとらえ方をしているために、きれいな響きを作ろうとするよりは、”ガシーン”と叩いた太鼓が鳴ったと同じような打楽器的な効果が自分では好きなんです。そのままの感覚でピアニッシモもあるんです。

 

ー打楽器的なピアニッシモ…?

久石:
ようするに響きをきれいに出す方法というのは僕もクラシックの奏法として習ったし、あるんだけど、僕のピアノ奏法の発想にはそれがないんです。

それで、これは誰に近いのかなと僕もずっと思ってたんだけど、今度11月に出すアルバム『イリュージョン』の中のタイトル曲「イリュージョン」、これもピアノ曲なんですが、これは少しジャジーな要素を入れてあって『ピアノ・ストーリーズ』よりジャズっぽいかんじがする。それを聴いたある人がこう言ったんですよ。タッチはマル・ウォルドロンだ、と。

僕は17、8歳…高3の頃からレコードでマル・ウォルドロンを聴き漁ってね。だから現代音楽を聴いてるかマル・ウォルドロンを聴いてるかっていうくらい彼が好きだったんですね。『オール・アローン』っていうピアノ・ソロなんか全曲コピーしましたもんね。

 

ーそういう一面もあったんですか。

久石:
そうなんだ。それがこの年齢になってソロ・アルバムを作ってピアノで勝負しなくてはならないときに、はからずも自分の音楽のタッチというのはそういうところにあったなっていうことに、後で気付いたね。

マル・ウォルドロンっていうのはビリー・ホリディのバックで、ピアニスティックに弾こうとしたとき、ビリー・ホリディから「歌えないフレーズは弾かないほうがいい」と言われて、できるだけシンプルに、心を込めて弾くようになった人でしょ。オスカー・ピーターソンとは対極にあるんですね。今、ピアノのテクニックというのはいかに早く機能的に動くかという運動に終始してる。ジャズにしても練習となると、そういうところで終始してる。比較的ね。スピリットとかいいながら、興奮してきたら、いかに16分音符を正確に弾くかとか、そのへんがピアノ・スタディの原点みたいなところがあって、それはそれで大切なんだけど、マル・ウォルドロンはそれとは180度違っていた。ただし、彼は根っからのジャズ・マン。僕は現代音楽からやってきて、こうなってきた。そしてメロディーという共通項で仕事をしようとしたとき、ジャズという土壌と僕の土壌は全然違うんだけど、”アプローチの角度”は似たかもしれないね。いかにシンプルに音楽を相手に伝えるかという姿勢はね。タッチが強いという点もひっくるめて思わぬ共通性を最近感じてとまどってるんですよ(笑)。

(KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号 より)

 

 

久石譲 『piano stories』

 

 

 

Blog. 「キーボード・マガジン 1989年3月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/02

音楽雑誌「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1989年3月号」に掲載された久石譲インタビューです。オリジナル・ソロアルバム『illusion』についてたっぷり語っています。

 

 

”鏡のような音楽”に秘められた超一流のサウンド・テクニック

優れた音楽は耳に優しく、それでいておどろくほどの技巧を内包している。虚飾をそぎ落とした無駄のない音の数々。それはまるで、多種多様の光線を含みながら特定の色を感じさせない陽の光のようなものだ。

ー全体の概要について教えて下さい。

「前作の『ピアノ・ストーリーズ』なんかは、聴く側が勝手に心象風景を自分たちで投影しやすかった。こちらから押し付けがましいメッセージがない分ね。今までそうやって作ってきたんですけど、長年やってくると、もっと直接的にメッセージを訴えかけたくなる。それには歌の表現がいちばん適切なんです。僕は井上陽水さんとか中島みゆきさんとか、非常に歌のうまい人の仕事をいっぱいさせてもらっていたんで、中途半端に歌はやりたくなかった。で、今回いろいろやってみて、何とかいけそうじゃないかということで。アレンジャーだとかいろんな人が、サウンドの一部として歌を歌うみたいなのがありますけど、あのてのものはやりたくなかったんですよ。どうせ歌うなら、徹底して歌をやる」

ー最初から完全なスコアがあったわけですか。

「いや。ラフなものをフェアライトで作ってるんで、スケッチみたいなものから始めて、ベーシックなものを作るわけです。スコアをおこすことは最近めったにやらないですね。譜面を書いてる時間がないし(笑)、ベーシックなものができた段階で頭に全部入っていますから」

ー作業としてはフェアライトでリズムを作って、それに生のストリングスを合わせるという形になるんですね。

「そうです。仮で入れておいてやるケースもありますしね。最初から、たとえば弦なんかを入れると決めておく場合と。いろいろなんですよ」

ー今回の弦アレンジの特徴は?

「このアルバムに入る直前までの、僕の弦のスタイルというのは確率されていたんですね。いろんな人の歌のときのバックのスタイルとか、あるいは、フル・オーケストラで8-6-4-4とか(注1)6-4-2-2とかいう編成で歌用、オーケストラ用、映画用とか、自分なりの癖が確立されていた。ですから、またゼロから、全く弦が書けない状態に戻して、普通ならこうくる、というのを極力排除してアレンジしました。もう1回クラウス・オガーマンとか、あのへんの弦アレンジを聴いたりとか。そういうのを徹底しましたね」

(注1)弦の編成。第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ、チェロの順に数を表す。

ー弦の編成は?

「全部6-4-2-2です。僕は絶対ダビングしませんから。弦はキーで配列が全部違いますけど、そのポイントさえ押さえれば、2倍にも3倍にも鳴らすことは可能なんですね」

ー弦アレンジのどこをどう変えたんですか。

「断片的なんですね。たとえばA-A’-B-C、そしてサビへ行くとするでしょ、するとだいたいA,A’は休んでてBくらいから入って、Cで盛り上げて、とかね。弦が駆け上がってサビに行くとか、パターンがあるでしょ。今回はAの後半に突然ちょこっと弦が出たりとか、そういう断片的な独立の動きをけっこうさせました。「ナイト・シティー」のCのサビなんかは、普通だと弦が駆け上がっていくんですが、フレーズはブラスにまかせて、逆にブラスっぽい動きを弦にさせている」

ー「ナイト・シティー」ではディビジ(注2)をつかってますね。(譜例1参照)

「今までなら、6-4-2-2しかいないときは、ああいう高いポジションでディビジは使わなかったんです。それをあえて今回は……」

(注2)ひとつのパートをいくつかの声部に分けて、人数を配分する手法。div.と表記する。

ーそれもパターン崩しの?

「そうですね」

ーディビジは3-3ですか。

「だいたいそういう形になります」

ー中間部のバイブ・ソロのところは凝った展開をしてますね。

「今度のアルバムって全部そうなんですよ。ただ、そんなこと譜面を見なかったらなかなか気づかないでしょうね。表面はポピュラー・ミュージックなんだけど、再現してみようとすると思っても簡単には絶対できない」

ーソロ前の2小節なんかも面白い展開をしているし……。

「そのへんが大変なんですよ。そのたびにベーシックでコードを何度も取り替えましたから。この曲だけでベーシックを3回か4回録り直しています。結局、ドラムだけ生かして、コードを差し換え、差し換えで」

ーサビに行くところは非常に転調感が強いですね。劇的というか。

「今回はだいたいそうなんだけど、間奏部分が原調のキーと同じやつがほとんどないんです。全部いろんなキーに跳んでいっちゃってる。日本の曲ってあまりにも単純すぎるんです。外国の曲って、ヒット・ポップスにしたってサビからキーが変わるなんて当たり前でしょ。それが日本では最初からDmの曲だったら、ずっと全部Dmでしょ。その単純さはやめなきゃいけない。転調感を持たなかったら絶対、外国では通用しない。たとえばこれC#mなんですよね。それで間奏がEmなんですよ。そうすると、これは短3度上だから非常に遠い。普通だと、平行調だとか、シャープやフラットが1個多くなったり少なくなったりするくらいでしょ。で、とんでもなく遠いキーに跳ぶわけ。もっとすごいのは、A durの曲が間奏でE♭mになって、Fmに行っちゃう。長3度低いマイナーのキーになるわけです。ですから、どう見ても近隣調の範囲には入らない」

ー「風のハイウェイ」のサビに行くところも調感が大きく変わりますね。

「パーッと世界が変わるでしょ。こういう感じが大事なんですよ」

ーいちど崩してしまうと、テーマに戻すのが大変という気がしますが。

「難しいですね。外国の一流のアレンジャーはそれがうまいんですよ。アレンジャーというか、外国の曲のうまさというのは、サビに行くときに、日本のアレンジャーだとA-A’は同じとしてもBで少し変わって、サビになるとまたリズムが変わるでしょ、ドラムのパターンとか。ところが、マドンナでも何でも、リズムはほとんど変わらない。せいぜいスネアを1個抜くか抜かないくらいなのに、ちゃんとサビで世界が全部変わってるでしょ。あれがすごい。日本の曲は変えてるつもりなんだけど、歌が変わってないし何も変わってないから、色が変わらないんです。色彩感がとぼしい。いろんな音をいっぱい入れたら色彩感があると思われてるけど、逆に、極力抑えているからこそ変わった瞬間のインパクトがあるんですよ。映像なんかの仕事でも、このへんは一流とそうでない人の差なんです」

ー「冬の旅人」の中間部がピアノ・ソロになってますね。

「ここはピアノを聴かせるために弦を入れてないんですよ。リズムをうんとスカスカにしちゃって、そうするとピアノが浮き立ってきますよね。弦にしても1コーラス目と2コーラス目で必ず変えています(譜例2)。後半はピアノがだんだん小さくなって、弦を出しているんです。フェード・アウトしながら弦がだんだん大きくなってくる。これはね、全体を普通の曲に仕上げたかったんですよ。いわゆる昼の恋愛ドラマですから。すると、サビに戻るときの部分にいつものアバンギャルドな部分を集約させておいて、あとはいかに歌をちゃんとさせるかという」

ー弦の駆け上がりなんかは……。

「ヘンなところでしかやらない(笑)」

ー弦のフレーズにしても、クラシカルですね。

「頭の中ではブラームスを意識してるんですよ。歌のメロディ自体、ピアノで弾くととてもブラームス的なんです。すると、どこかでクラシカルな格調をのこした弦やピアノのアレンジをしたい。そこから考えてこういう感じになったんです。「ナイト・シティー」とは全然譜づらが違うでしょ(譜例2)。このへんがやっぱり大事なところで。これも徹底しないとおかしくなる。日本のアレンジってだいたい中途半端なんだよね。それをきちんとすれば色彩が明確になってくる」

ー歌をメインにしたアレンジで大切なことは?

「最も大事なのは、歌のバックに入っているオブリガートのフレーズが歌をじゃましないこと。次に大事なのは、それぞれのフレーズがぶつかり合わないことですね。これが絶対条件です。『鏡の音楽』と僕は言っていますけど、できるだけ削る作業。とりあえず削って、削っていって有効なフレーズがきちんと有効なところに入っていれば、ベタに弾いてないのに全体がとてもゴージャスに聴こえる。昔、ロンドンでケン・ソーンとかロイ・バットなんかの、超一流のアレンジャーと言われる人の仕事をまのあたりにしたことがあったんです。そのとき彼らが『アレンジのコツは、コードからはずれた音をどう使うかだ』と言ったわけです。ド・ミ・ソのときにドとミとソを使うのはイモで、そのときにレ・ファ・ラ・シのその他の音をどう入れるか。これをやるとぶつかった色彩感が出てくるんですよ。瞬間でもいいわけです。つまりジャーンってド・ミ・ソを鳴らしますね。鳴った瞬間に、弦がレ→ミって行くと、出だしはド・ミ・ソにレが鳴ってるわけですね。これは別に違和感はない。コードが鳴った瞬間に他の音をどう入れるか。倚音(いおん)とか経過音とかいろいろあるけど、そういう音をいかに使っていくかでコード的色彩感が倍増するんです。メジャー7thとか9thとは、そんな単純なものじゃなくて。それをうまくアレンジしていかないと、特にオーケストラの曲はできないですね」

(キーボード・マガジン Keyboard magazine 1989年3月号 より)

 

 

久石譲 『illusion』

 

 

 

Blog. 「GAKUGEI 1996」久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/01

青山学院女子短期大学の冊子「GAKUGEI 1996」に掲載された久石譲インタビューです。とても具体的で突っ込んだ内容は読み応えあります。

 

 

久石譲さん(作曲家)

音楽家になろうと決めたのは、三、四歳。それ以外(の職業)は考えたことがない

ーはじめに、「久石譲」さんという名の由来を教えてください。

久石:
学生時代、テレビなどのアルバイトのために、友人につけてもらいました。江戸川乱歩が、エドガー・アラン・ポーからきているように僕も、外国人の名前でいいのないかなって思ったのですよ。そしてクインシー・ジョーンズを使ってみたんです。一回こっきりのつもりだったんですけどなんとなく気にいってたのでそのまま続いちゃったのですよ。

ー先日行われたコンサートのお話をきかせてください。

久石:
今年、自分のコンサートをまだやっていなかったので、軽い気持ちで、小さいのをやりました。ピアノのソロコンサートは、初めてです。しかし、規模が大きかろうとと小さかろうと、弾くという行為に変わりはなく、プログラムは凄まじくハードでしたね。一日に十時間位練習しました。結果には、満足していますが、正直な気持ちこんなに大変とは思いませんでした。(笑)

ー舞台で弾くのは緊張しますか。

久石:
緊張はいつでもしますが、あがることはありません。前日までは、胸が締め付けられるほど、緊張していても、ピアノの前に座ると落ち着きます。オーケストラでは、二千人の聴衆より、ピアノの左にいる、「小さなころから、バイオリンを習い、留学し、コンクールで入賞している人」が審査員のような気がして、ガマの油のようです。

ー音楽以外の趣味は。

久石:
ウーン…あんまりないですね。強いてあげれば、泳いだり、体を動かすことは好きです。

ー家にこもりっきりってわけではないのですね。

久石:
体育会系ミュージシャンと言われたぐらいですから。(笑)昔は一日中、家にいて作曲などしたけど、今はだめですね。気持ちが変わらないから。

ー普段どんな音楽を聴きますか。

久石:
ありとあらゆる分野を聴きますよ。本当にプライベートで、ひとりで落ち着いたときは、モーツァルトなどのクラシックや、イギリスのピーター・ガブリエルです。

ーご自分の曲は聴かれますか。

久石:
聴かないです。作ってから仕上げるまで、何百回も聴いてますから、世の中に出る頃には「もう聴きたくない」という状況か、次のアルバムにとりかかっていますから、仕事以外では、自分で好んでは聴きません。

ー出来上がった映画はどうですか。

久石:
試写会だけです。

ーテレビで流れていると…

久石:
照れ臭いです。映画って、二時間なら二時間、長い時間を設計するわけですよね。そうすると、色々な意味で、「ああすればよかった、こうすればよかった」という反省が多くて、一年以上経たないと冷静にみられないですね。

 

 

ー学生時代のお話を聞きたいと思います。どんな大学生でしたか。

久石:
…つっぱっていて、鼻持ちならない(笑)学生だったかもしれない。高校は女性が各クラス一、二名しかいない共学で、ほとんど男子校だったんですが、音大に来たら立場が逆になって男女比が一対一〇くらいで、一瞬「どうなったんだろう」って思いました。だから音大の人たちよりは、よその学校の人とつきあっていました。自分が何をするかに集中していたから、あんまり大学通っていた感じがしないんですよ。四年生でまとめて単位とった感じです。学生時代から、外でコンサートをしていましたし、有名な作曲家に委嘱して、プロデュースしたりしてました。

ーす・ご・い。

久石:
音大の先生から、売り込みにきましたから。そのくらいガンガンにやってました。そういう意味で、つっぱっていましたね。学内では、先生方でも聴いたことのないような譜面を見つけてきて学生を集めては、練習させ、月一回コンサートを開いて、自分で全部やっていました。だから変な話、三年生ごろ先生から「授業出なくていい、お前が出るとうるさい」と言われました。先生より知ってましたからいろんなこと。だから何か一言先生が言うと、「あっ、すいません、それ古いんです。今はもうこうなってます。」とかいちいち言うもんだから、「単位はあげるから出ないでいい」そんな感じでした。だからあんまりまともないい学生ではありませんでした。

ーどうして先生より、そんなに知っていたのですか。

久石:
音大って、基本的にクラシックの古典中心の教えですよね。それはそれで音楽大学って、すごくいい。今思えばもっと勉強しとけばよかったけど、それは、英語勉強すればよかったとあとで思うようなもので、必要に迫られてなかったし、もっと新しい動き[コンテンポラリーミュージック]を追求したかった。それは学校ではできなかった。だから自分で、楽譜を探したりレコード買ったりするしかなかった。

ー学生時代の一番の思い出は。

久石:
…暗かった。(笑)絶えず何かに焦っていた。自分の音楽はどんなものを書いたらいいのか、そういう悩みが多かった気がします。あとはよくみんなで飲んだこと。

 

 

ー四歳のころから、バイオリンを習っていたそうですがそれは誰の意志ですか。

久石:
あのー、本当のところは分からないんですけど、たぶん僕の意志なんです。

ー小さい頃から音楽が好きだんたんですねー。

久石:
ウン、おもちゃのようなものを鳴らしているか、歌を歌っているか、レコードを聴いているか、朝起きてから夜寝るまで。

ーピアノではなくて、バイオリンだったわけは。

久石:
楽器屋さんの前を通ったとき、凄くかっこよく見えて「これやりたい」って。

ー久石さんにとって、音楽とは。

久石:
…ウーン…ALL OF MY LIFE、空気のような存在。僕が音楽家になろうと決めたのも、三歳か、四歳の頃なんですよ。つまり音楽以外考えた事がない。数多くある自分の外側の仕事から音楽を選んだのではなくて、自分の内にあるものだった。そのままここまできていることは本当に幸せです。もし自分が音楽をやってなかったら、とてもじゃないけどまともな人間になれなかった。エゴとかいろいろなことを含めて。僕が僕でいられるのは音楽を抜いたら考えられない。音楽をやることによって、最低限の人間らしいことができている。或いは普通の人だったら、とてもじゃないけど許せないことも、ものを作るという一点のために、世間と少しずれた行動をとってたりする。それは自分と音楽の関係で計っているものだから、世間の物差しとはちょっと違うよね。そういうときやっぱり、音楽を抜いちゃったら、自分は存在しないよ。

ー行き詰まったことはありますか。

久石:
しょっちゅうです。僕は、一時間おきに自分は天才だと思い、そしてもうだめかもしれないと思ってたりしますから。ただ僕は、考え方に合理的な部分があって、たとえば一時間の曲を頼まれたとする。一時間なんて大曲でしょ。しかもオーケストラでって言われたら二、三年かかちゃう。でもね、一時間の曲って、一〇分の曲だと六曲、五分の曲なら一二曲。僕は書くのが早いから五分の曲なら、一日でできる。すると一二日間で出来上がる。もっと言うと、一二曲全部違う曲を書いたらまとまりがつかない。そうすると、メインテーマのメインフレーズが何箇所かで出てくるから、これは実質七曲以内。僕の場合、一週間でできると言える。つまり、ある目標があって、どうするか考える時、みんなこの全体を見てしまうから「自分にできるか」って舞い上がるかもしれない。でも僕なら「これは何と何でできている、だから、自分ならどうなる。」そういう組立がうまいんです。

ーと、言うことは理系の頭ですか。

久石:
僕は感覚的に作曲したことはないです。論理的に割り切れることは割り切ってやる姿勢だから。

ー生活の中でフレーズが浮かんできて作曲することはありますか。

久石:
全然ない。(笑)

ーそれでは、即興で作曲はなさらないのですね。

久石:
遊びではよくやります。でも自由な音楽ってありえないんだよね。例えば、ジャズは基本的にコード進行など色々な規制の中で遊ぶわけで、ただの自由ではない。人間の生き方もそうなんだけど、勝手に生きなさいって言われれば、民主主義でもなんでもないわけで、ルールをきちんと守るからこそ、その中でどうやって自由にするかっていうところがあるじゃない。インプロビゼーション(即興曲)っていうものは僕の考え方ではそういうとらえ方ですね。

 

 

ーでは、人生と岐路についてお聞きします。生きがいは何ですか?

久石:
音楽でしょう。それ以外考えたことないです。それぞれの年代のときにそれぞれの形で常に音楽と向かいあってきたからね。かけだしの頃は「いい仕事がしたい」と思っていましたし、少しいい仕事が出来るようになると今度は「自分にしか表現出来ない世界をつくりたい。」いつもそう思いながらやってきたから、でも今になってもまだ表現していないことってあるから、ずっとそれがテーマになるだろうね。

ー音楽の道を選んだ訳を教えて下さい。もし作曲家にならなかったら何になりたかったのですか?

久石:
音楽を選んだのはさっき言ったように、三歳頃からもう決めていたから。ただ音楽と言っても、歌手になる道もあれば、演奏家になる道もあるし作曲家になる道もある。中学生位のときに吹奏楽などの音楽関係のクラブをやっていて、演奏するよりはその演奏の大基をつくる方が自分には向いていた。再現してやるもの。これが弾けたという喜びを余り感じなかったからね。それで自分はものを造る方がいいと思いました。

ーその頃からご自分で作曲なさっていたのですか?

久石:
うん、知ってる曲があったとして、これをみんなでやりたいって時に、音とって、譜面かいて、それをみんなに配って演奏する訳だ。それで音が出たときの感動といったら。その喜びって、やっぱり今でもあって、オーケストラでかくとかね、レコーディングなどでかく時に、本当は譜面かくの嫌いなんだよね。なんだか学生が残されて宿題やっているようでさ。(笑)何でこんなことしなくちゃならないんだろうっていつも思いながら、もうこれで止めたいっていつも思うんですよ。けれどスタジオで何十人という人が集まって、一斉に音を出したりすると、毎回同じテンションで、同じ真剣さで感動していますからね。そういう意味ではこれが自分の天職だな、と思いますね。

ー久石さんに影響を与えた人物・出来事を教えて下さい。

久石:
精神的な影響を受けた人っていうのは、二十歳位のときにテリー・ライリーっていうミニマル系のアメリカの作曲家の作品を聞いて、それが自分に影響しているな、と思うことはありますね。

ーそれから作風が変わったということですか?

久石:
ええ、結局作風を変えるといっても「はい、これ。」って変わらないじゃない。だからその音楽に対して自分がなじんで、その世界と同じような、自分独自の世界を作るような努力、そこから始まった訳ね。それから十年位はかかるけど、少なくとも自分がミニマル系の作曲家に変わったという感じならある。

ー幼いころから周囲の環境も音楽に関係のあるものだったのですか?

久石:
なかったよ。父は高校の化学の教師だったし。ただみんな音楽は好きだった。映画も家族でしょっちゅう見たし、そういう環境であった訳だから、いろんな意味で言うと自分がどうしても求めたんだな、と思います。

ー音楽をやると決めたとき、親の反応はどうでしたか。

久石:
冷たかった。(笑)やっぱり世間並の反対はあったりしましたよ。だけど、そんなに凄い反対ではなかった。自分でやりたかったら、と最終的には。たぶんテレビに出る歌手になりたいとか言ったりしたら、大変だったろうと思うけど。(笑)音楽大学に行って、作曲科を受けたいっていうのは、そういう意味でいうと、それほど抵抗のあるものでもなかったようだね。

 

 

ー次にその他の事にいきたいと思います。今一番興味のあることは何ですか?

久石:
インターネット。どういうものなのか、それをどうやって仕事に役立てるのか、個人的に興味がありますね。

ー事務所ではもう使ってらっしゃるのですか?

久石:
ええ、今、「やろう!」と言ってる最中。

ーでは、音楽以外でこれからやりたい事って何かありますか。

久石:
しいてあげると、自分が監督する映画を作りたいかな。

ーそれは音楽ではなくて、映画を撮るほう、つまり監督さん、ということですか?

久石:
そうだね、それも含めてね。本当にいいものを作りたいからね。今日本の映画ひどいでしょう。映画を観にいくって言ったらみんな洋画でしょう。(一同納得)だからこの二年間映画を作るのを断ってきたんですよ。来年からまた復活しますけどね。自分がこれだ!と思う仕事をしたいと思います。

ー一緒に仕事をした人とその後の付き合いはありますか。

久石:
ある人はありますよ。

ーでは、その中で一番印象に残っている人は誰ですか。

久石:
去年キングクリムゾンっていうバンドがあったんですけど、最近また復活して、この間も日本公演があったんです。そのキングクリムゾンの中に、ビル・ブラッフォードっていうドラマーがいるんですけど、そのときの彼のドラミングのワーク力とか、いろんな意味でやっぱり本当に一世を風靡した人だと、そういうのがとても印象に残っています。「やるときはやるぞ!」ってがんばりますからね、それは凄く感動しました。

ー一緒に仕事をした人と飲みに行くなんてことは無いんですか。

久石:
多いですよ。最近でも甲斐よしひろさんとか、長いつきあいの人とはしばしばですよ。ある仕事の企画で一緒になって、結局仕事の内容によって別れが全然違うものになるので、大体はそのままになっちゃうんですけど。お互いに「連絡しなきゃね。」って言いながら「お久し振りですー。」っていうようなケースが多いよね、やっぱり。(笑)

 

ー最後に、青短生にメッセージをお願いします。

久石:
女子だけなんだよね。そうだなー、この不況はしばらく続きますけど(笑)大変だろうとは思いますが、要するに自分達が生きていくうえで、「仕事」というのが生活の延長での仕事ではなくて、「可能性を保つ場」というとらえかたで、それがどんなことであれ、「自分達の存在理由をみつけていく場」だというつもりで頑張って下さい。

 

お忙しい中のインタビューにもかかわらず、音楽について熱っぽく語ってくれた久石譲さん。楽しくお話する中で、久石さんの音楽に対する真剣な姿勢が感じられました。今年は映画音楽にも復活なさるということで、今後の活躍がとても楽しみです。また素敵な久石譲ワールドがくり広げられることでしょう。

(GAKUGEI 1996より)

 

 

Info. 2020/10/30 久石譲が続けてきた音楽を未来につなぐチャレンジ WEBインタビュー (ONTOMO)

Posted on 2020/10/30

音楽之友社WEBマガジン「ONTOMO」に久石譲インタビューが公開されています。「久石譲が続けてきた音楽を未来につなぐチャレンジ」ロングインタビューです、ぜひご覧ください。 “Info. 2020/10/30 久石譲が続けてきた音楽を未来につなぐチャレンジ WEBインタビュー (ONTOMO)” の続きを読む