Posted on 2018/05/14
久石譲と高畑勲監督、出会いから約35年、作品を通してのエピソードを紐解きます。
Episode. “NAUSICAÄ”
宮崎・久石コンビはこうして生まれた
久石譲と宮崎駿が初めて出会ったのは、映画「風の谷のナウシカ」(1984年)の制作の時だから1983年だったと思う。
「ナウシカ」はその内容といいスケールの大きさといい、ハリウッド並みの超大作である。この超大作の音楽をやれるのは誰か、宮崎駿の要請で音楽監督を務めることになったプロデューサーの高畑(勲)さんと僕らは、いろいろな作曲家について検討を重ねた。というのも、この種の超大作は日本映画が得意とするジャンルでは無かったし、経験者も少なかった。坂本龍一、細野晴臣、高橋悠治、林光…さまざまな候補が上がり、そのうち何人かとは実際にお会いして相談にも乗ってもらったのだが、この壮大なシンフォニーを任せられる作曲家はなかなか見つからなかった。
そこに当時の徳間ジャパンの担当者が、候補として推薦してきたのが久石さんだった。今でこそ巨匠と呼ばれる久石さんだが、当時はCMやTVシリーズの劇伴の仕事を手がける傍ら、自らのアルバムではミニマルミュージックを発表し独自の世界を築いていた新進気鋭の作曲家のひとりだった。
これはひとつの賭けだった。「ひとりの少女が世界を救う」という、ある種とんでもない「作り話」に真面目に向き合うには、ある種の無邪気さが必要、「高らかに人間信頼を歌い上げることができる人」「信じたことをまっすぐな眼で伝えられる熱血漢」、時代の流行に左右されることなく、その要素を一番持っているのは久石譲しかいない、高畑さんがそう見抜いたのだ。こうして、「ナウシカ」の音楽は久石さんに決定した。
鈴木敏夫
(Blog. 「Symphonic Special 2005」久石譲 コンサート・パンフレットより 抜粋)
すぐ彼に決まったわけではない。候補者には坂本龍一、細野晴臣、高橋悠治、林光といった錚々たる名前がずらり。前年に徳間グループ系列からアルバムを出していたので、その関係者の推薦でほとんど無名だった久石に声がかかったのだ。絵の作業に忙殺されていた宮崎駿監督の代わりにプロデューサーの高畑勲が音楽監督を務めていた。「ずいぶん悩んでましたが、結局高畑さんの決め手は性格でしたね」と語るのはスタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫である。「久石さんのそれまでに作った曲を聴いて、この人は高らかに人間信頼を歌い上げることのできる人だって見抜いたんです。賭けでした」
そこで高畑が久石に依頼したのがイメージレコードの制作だ。宮崎の書いたタイトルと詩に近いメモをもとにテーマ曲を書いてくれという宿題。「届いたメインテーマを聴いて不安は吹っ飛びました」と鈴木。「間違ってなかったと思った。本人は否定していますが、久石譲という作曲家を発見したのは高畑さんなんですよ。宮崎も絵を描きながらその曲を何度も何度も聴いていた」
それが「風の谷のナウシカ」(84年)のメインテーマとなった「風の伝説」である。それまでの久石のすべてが入っていてすべてが始まっている曲だ。映画は大ヒットした。この一作で久石は世に出た。
(Blog. 久石譲 雑誌「AERA」(2010.11.1号 No.48) インタビュー より抜粋)
「『風の谷のナウシカ』の作曲者を決めるとき、当時はまだ新進気鋭だった頃の久石譲さんを最終的に推したのは高畑さん。「久石さんの作る曲がいいのもさることながら、あの人には音楽的素地に加えて教養がある。いろんな曲を知っていると、映画音楽として助かるんだ」と言ったプロの意見を、いまでもよく覚えています。」(鈴木敏夫)
(Blog. 「オトナの!格言」 鈴木敏夫×久石譲×藤巻直哉 対談内容紹介 より抜粋)
「宮崎さんもそうですし特に高畑さんが音楽に大変くわしい方で、このお二人はもう異常に耳がいいみたいね(笑)。例えば最初に作った『腐海』という曲などは、後半に出てくるメロディーがドビュッシー的なので今度の映画には合わないんじゃないでしょうか──というくらいに突っこんだお話をなさるんです。曲のニュアンスがどうこうという点になると大変に熱心で、音楽の打ち合わせは毎回10時間くらい。えんえんとやっていましたよ(笑)」(久石譲)
「お二人ともメロディーはもう頭の中に入っているわけですから、じゃあこのテーマをもっと壮重な感じにして下さいとか、具体的な注文が次々に出てくるわけです。普通はある程度おまかせ的になるんですが、今回は音楽のイメージがはっきりしていますのでね。」(久石譲)
(Blog. 久石譲 「風の谷のナウシカ」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)
Blog. 久石譲 「風の谷のナウシカ」 レコーディング スタジオメモ
Disc. 久石譲 『風の谷のナウシカ サウントドラック はるかな地へ…』
Episode. “LAPUTA”
「『風の谷のナウシカ』をやって、徳間書店さんの大作アニメの二番目の作品である『アリオン』をやった後だったので、宮崎駿監督が新作を作っていると聞いても、僕に音楽が回ってくるとは思っていませんでした。でも、結局、久石がいいということになって、プロデューサーだった高畑勲さんと鈴木敏夫さんが、僕のところに依頼しに来て下さった時は、本当に嬉しかった。」(久石譲)
(Disc. 久石譲 『Castle in the Sky ~天空の城ラピュタ・USAヴァージョン・サウンドトラック~』 より抜粋)
●6月23日(月)『ラピュタ』の制作をしている、スタジオジブリの近くにある喫茶店でBGMの本格的な打ちあわせ。3月に制作したイメージアルバム『空から降ってきた少女』をもとに、監督の宮崎駿さん、プロデューサーの高畑勲さん、音楽の久石譲さんが互いに意見を出し合って決めていく。1曲目からたちまち熱のこもった議論に。シータが捕らわれている飛行船に、海賊たちのフラップターが急襲するシーンに、音楽をつけるのかどうか、それはどんな曲か。熱論2時間、結局この曲は最後にもう一度話し合うことになった。午後4時から場所をジブリ第2スタジオ(実は仮眠室)に移して、深夜まで打ちあわせが行われた。
(Blog. 久石譲 「天空の城ラピュタ」 レコーディング スタジオメモ より抜粋)
「高畑さんとは前回の『ナウシカ』のときの経験がありますから、むしろかなりラフにやっていたと思います。ただ密度そのものはかなり濃いんです。というのは、実際に映画用の音楽を書くまえに、イメージアルバム(『空から降ってきた少女』)を作っているでしょう。だから、高畑さんの頭にも、ぼくの頭にも、そのイメージアルバムのメロディが鳴っているわけです。たとえばこのシーンではあのテーマ、あのシーンには別のテーマ、というように、きわめて具体性があるんですね。おたがいにそのメロディを鳴らしながら、打ちあわせをしていくわけです。たぶんこんなことは、他の誰もやっていないでしょう。それだけレベルの高い打ちあわせなわけです。だから『ラピュタ』の音楽は、いわば2段階をへて書かれていったわけですね」(久石譲)
(Blog. 久石譲 「天空の城ラピュタ」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)
一方、久石・宮崎・高畑の間で解釈が異なり、議論で衝突したシーンもあった。まず、導入部の旅客船襲撃シーンについて、高畑は音楽なしを提案したが、久石は「入れたい」と希望。結局入れることに決まり、ギリギリの7月中旬に曲が書かれた。これとは逆に、ムスカがドームから軍の兵士を落下させる残酷なシーンについては、宮崎から「音楽を」と要請があったが、久石が「残酷さが強調された方が、シータとパズーの優しさや人間愛が胸を打つ」と音楽ナシを主張し、これが通った。ラピュタ崩壊シーンで流れる少女の合唱についても、高畑は「途中で止めるべき」、宮崎は「流し続けたい」と論議があったというが、高畑案が通ったようだ。
本編には主題歌は使われない予定であった。しかし、高畑は、観終わった観客に「宝を求めて行ったんだけれど、宝は手に入らなかった。かわりに何を手に入れたんだろう…」と和やかな気持ちで映画を反芻してもらいたい、そのためには歌があった方がいいのではないかと提案。急遽、高畑日く「映画全体と有機的に結びついた」主題歌制作が決定した。
高畑は宮崎に作詞を要請。曲は、「イメージアルバム」収録の「パズーとシータ」を元に中盤のサビを加えるよう久石に依頼した。高畑は久石と共に、メロディに合わせて助詞を添削してこれを補作し、主題歌「君をのせて」が出来上がった。レコーディングは86年7月7日であった。余りにもギリギリに完成したため、公開時にはシングルレコード発売は間に合わず、「サウンドトラック」に収録される形となった。
(Disc. 久石譲 『天空の城ラピュタ サウンドトラック 飛行石の謎』 より抜粋)
「あれは夜中の11時ぐらいだったかな、他のシーンの音楽を書いていて疲れた時に、ふと浮かんだメロディだったんです。「ワクワクするような冒険活劇に暗いメロディは必要ないな」と、いったんはボツにしたんですが、宮崎さんとプロデューサーの高畑さんがとても気に入られて「歌詞を付けよう」という話になり、気がついた時には《君をのせて》がメインテーマになっていてビックリ(笑)。冒険活劇というと「スター・ウォーズ」に代表されるジョン・ウィリアムズのような曲を連想しますが、それとは正反対の《君をのせて》をメインテーマに据えることで、音楽の方向性が大きく変わった。宮崎さんと高畑さんが《君をのせて》のメロディに新たな意味づけをなされたおかげです。」(久石譲)
(Blog. 久石譲 「ナウシカ」から「ポニョ」までを語る 『久石譲 in 武道館』より より抜粋)
Episode. “TOTORO”
「それから、バス停のシーンに出てくる《トトロ》という曲。「ン・パ・パ・パ・パ・パ・ウン」という7拍子の変わった曲なんですが、これも実はミニマルなんですよ。このテーマが出来るか出来ないかが、この作品では実は結構カギだったんです。はじめ、宮崎さんは「バス停のシーンに音楽は要らない」とおっしゃっていたのですが、鈴木さんは「絶対に必要だ」と。そこで鈴木さんが高畑さんにこっそり相談したところ、「やっぱりあそこは音楽を入れたほうがいいんじゃないか」という答えが返ってきた。それで僕が書いた《トトロ》の曲を宮崎さんに聴いていただいたら、とても喜びながら「やっぱり、このシーンに音楽付けよう!」と。その時、鈴木さんが「(前2作で音楽演出を務めた)高畑さん抜きの、宮さんと久石さんが初めて生まれた」とおっしゃってくださいました。「トトロ」のトラックダウンをしている時、「いやあ、こんなに音楽の現場って楽しいとは思わなかった。いつもこれ、高畑さんがやっていたのか。ずるいな」という宮崎さんの言葉が、とても印象に残っています。」(久石譲)
(Blog. 久石譲 「ナウシカ」から「ポニョ」までを語る 『久石譲 in 武道館』より より抜粋)
「ここで問題となったのが、トトロが初めて登場するバス停のシーンについてだった。宮さんは、「ここには音楽はいらない。無音で行きたい」と主張したのである。本当にそれで良いのか、不安になった僕は再び、「火垂るの墓」で忙しかった高畑さんに助言を求めた。高畑さんの判断は、「音楽は必要」だった。当時の宣伝方針では、トトロの持つアイドル性に注目して、それを前面に打ち出した宣伝が行われようとしていた。それを良しと思っていなかった僕は、トトロの持つ精霊、自然の精としての神秘さを強調し、大人が鑑賞しても、その存在を信じられるシーンにすべきだと思ったのだ。そのためには音楽の力を借りる必要がある、これが高畑さんと僕の結論だった。再び賭けだった。久石さんに、このシーンのためにエスニックでミニマルな曲の作曲を依頼した。監督である宮さんには一切知らせなかった。宮さんは、できたものが良ければそれで良しとする人である。結果は、音楽は採用された。つまり、久石さんの音楽が監督宮崎駿を動かしたのだ。僕はここに、宮崎・久石コンビが誕生したことを確信した。」(鈴木敏夫)
(Blog. 「Symphonic Special 2005」久石譲 コンサート・パンフレットより 抜粋)
「映画監督にはそういうところがあるものですが、一番大事なシーンに音楽を挿れずに画だけで見せたがる。『となりのトトロ』でサツキがトトロに出逢う雨のシーンがそうでした。子どもはトトロの存在を信じてくれるけど、大人まで巻き込むにはどうしようかと考えて、あのバス停のシーンが重要だと。それなのに宮さんは「画だけで」と言って。それを聞いた久石さんも「ハイ」と答える。
そこで、トトロの横で『火垂るの墓』を制作中の高畑さんに相談。音楽にも久石さんのことも詳しい彼は「あそこには音楽があったほうがいいですよ。ミニマル・ミュージックがいい。久石さんの一番得意なものができる」とアドバイスしてくれました。その高畑さんが言ったことは内緒にして久石さんに頼みに行きました。「でもここは宮崎さんはいらないって言ったけど、そんなことしてイイの?」と言う久石さんに、僕は言いました。「宮さんは、いいものができれば気が付かないから」。そして作曲してもらった。ジブリで完成した曲を聞く日、宮さんは「あっ、いい曲だ!」と喜び、あの幻想的なシーンが完成しました。僕は思うんですけど、久石さんはそんな綱渡りの状態のほうが、かえって名曲を生み出してくれるんです。」(鈴木敏夫)
(Blog. 「オトナの!格言」 鈴木敏夫×久石譲×藤巻直哉 対談内容紹介 より抜粋)
「久石さんの音楽で僕が感心したことがあるんです。それは『となりのトトロ』で「風のとおり道」という曲を作られたのですが、あの曲によって、現代人が“日本的”だと感じられる新しい旋律表現が登場したと思いました。音楽において“日本的”と呼べる表現の範囲は非常に狭いのですが、そこに新しい感覚を盛られた功績は大きいと思います。」(高畑勲)
(Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)
Episode. “KIKI”
「今回はぼくのほうのスケジュールがつまっていたものですから、高畑さんにはいろいろと助けていただきました。通常ですと、ぼくが自分で音楽監督も兼ねるわけですが、今回は時間的にむずかしかったので、高畑さんと宮崎さんが打ち合わせてどのシーンに音楽を入れるかというプランを立てて、それをもとにぼくが作曲するという形をとらせてもらったんです。宮崎さんはもちろんですけど、高畑さんも音楽にはたいへんくわしい方ですから、安心しておまかせしました。」(久石譲)
「おふたりのコンビネーションというのは、もう抜群ですね。『ナウシカ』『ラピュタ』のときのプロデューサーと監督という立場にしても、今回の音楽演出と監督という立場にしても、そばで見ていて非常に勉強になりました。おふたりとも、演出に関しては理論的といいますか、理知的な考えをもっていまして、ぼくもどちらかといえばそうなんです。たとえば、音楽のつけ方にしても感情に流されたつけ方は絶対にしませんから。そういう意味では、意見がくいちがうということはまったくないし、ぼくもおふたりを尊敬していますからいっしょに仕事をするのは楽しいですね。」(久石譲)
「この作品はいわゆるファンタジーではありません。『トトロ』もそうでしたが、大きな意味ではファンタジーに属するものでしょうが、もっと現実に近い物語であると宮さんは考えてつくった。たとえばキキは空を飛びますけど、それはカッコよく飛ぶのとはちがうし、ふつうの女の子の日常的な描写や気持ちが中心になっているんですね。ですから音楽が担当する部分も、世界の異質さとか戦闘の激しさとかを担当するわけではない。むしろふつうの劇映画のような考え方をして、しかもヨーロッパ的ふんいきをもった舞台にふさわしいローカルカラーをうち出そうということだったんです。それと、つらいところ悲しいところに音楽はつけない、とか、歌とは別にメインテーマの曲を設定して、あのワルツですが、あれをキキの気持ちがしだいにひろがっていくところにくりかえし使うとかが、音楽の扱いの上での特徴といえば特徴ではないでしょうか。はじめ、ホウキで空を飛ぶ、というのはスピード感もないし、変な効果音をつけるわけにはいかないので心配だったのですが、久石さんの音楽もユーミンの歌も、いまいったねらいにピッタリだったし、上機嫌な気分が出ていたのでホッとしているところです。」(高畑勲)
(Blog. 久石譲 「魔女の宅急便」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)
Blog. 久石譲 「魔女の宅急便」 レコーディング スタジオメモ
Episode. “KAGUYA”
「『ナウシカ』と『天空の城ラピュタ』で、宮崎×久石の名コンビが世間にも認知された。どちらも音楽担当をしていた高畑さんは、「だから自分が映画を制作するときには、久石さんに音楽を頼むことはできない」と話していたんです。ところが、突如『かぐや姫の物語』の音楽は、久石さんにお願いしたいと言い出した。当初、『風立ちぬ』との同日公開を目論んでいた僕は、困ってしまった。その両作を久石さんがやるのはどうかと。そこで宮さんがどう思うかと話しに行きました。「久石さんもかぐや姫の音楽をやりたがってるし、高畑さんもお願いしたいと言っている」と。そういうとき、宮さんはすこしキレ気味に、決まってこう言うんです。「そんなことは、久石さんが決めればいいんだ!俺の知ったこっちゃない」。このときもそう話した途端に、「久石さんやっちゃうよな~。マズイよ、鈴木さん。久石さんを阻止してよ。『風立ちぬ』だけでいいよ!パクさん(高畑勲)は他の人がいっぱいいるじゃん」と言うんですよ。結局、『かぐや姫』のほうの制作が遅れて、公開が4ヵ月延期されることになり、改めて久石さんにお願いしました。」(鈴木敏夫)
「初めて高畑さんと久石さんが組んだ『かぐや姫の物語』でも、同じように音楽の直しの指示を幾度も入れていた。そして気がつかないうちに久石さんの創る音楽がどんどん高畑さんの表現したい世界に近づいて行くんです。その裏で、「久石さんという人は、これだけの人じゃない。もっと出せるはずだ。このまま世に出したら、悔いが残るに違いない」、こんなふうに話していました。」(鈴木敏夫)
(Blog. 「オトナの!格言」 鈴木敏夫×久石譲×藤巻直哉 対談内容紹介 より抜粋)
「僕はこれまで久石さんにわざとお願いしてこなかったんです。『風の谷のナウシカ』以来、久石さんは宮崎駿との素晴らしいコンビが成立していましたから、それを大事にしたいと思って。でも今回はぜひ久石さんに、と思ったのですが、諸事情で一度はあきらめかけた。しかし、やはり、どうしても久石さんにお願いしようという気持ちが強くなったんです。」(高畑勲)
「最初にお会いした時から尊敬していましたし、ぜひご一緒したいという気持ちはずっとあったので嬉しかったです。」(久石譲)
「その琴の曲がものすごくよかったんです。大事なテーマとして映画音楽としても使っていますが、初めて聴いたとき、お願いしてよかったと、心から安心したのを覚えています。」(高畑勲)
「久石さんは少しおおげさにおっしゃっています(笑)。でも主人公の悲しみに悲しい音楽というのではなく、観客がどうなるのかと心配しながら観みていく、その気持ちに寄り添ってくれるような音楽がほしいと。久石さんならやっていただけるなと思ったのは『悪人』(李相日監督)の音楽を聴いたからです。本当に感心したんですよ。見事に運命を見守る音楽だったので。」(高畑勲)
「高畑さんが持っている創造性がこちらに影響した結果ですよね。僕の場合、音楽の組み立て方は論理的に考えるんですよ。高畑さんが自ら書かれた「わらべ唄」が重要なところに何回か出てきますが、この曲は民謡などで使う5音音階的な方法を使っていて、気をつけないと非常に安直に聞こえてしまう。そこで整合性をとるために「わらべ唄」に乗せる和声やリズムを工夫したりして。」(久石譲)
「久石さんの作られた旋律と「わらべ唄」に一体感が出たのはうれしかったですね。」(高畑勲)
「当然。30年前からずっと思っていましたよ。30年越しの夢が叶かなった気分。」(久石譲)
「久石さんはすごく誠実な方なんです。いい音楽を書いてくださるというだけでなくて、こんなに映画のことを考えて、細部までしっかりちゃんとやってくださる方はなかなかいません。」(高畑勲)
「もちろん。でも久石さんのことは何も知らなかったんです。それが『風の谷のナウシカ』のイメージアルバムを作っていただき、それを繰り返し聴いているうちに、映画に必要なものがこの中に全部入っているんじゃないかと気がついた。これは驚きであり喜びでしたね。」(高畑勲)
「それがあったから僕は今こうしているんですよね。」(久石譲)
(Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)
「高畑さんさんは音楽への造詣が深い方です。前に高畑さんが書かれた映画音楽についての文章を拝読したことがあるんですが、そこでは最終的な映画音楽の理想として「音楽と効果音が全部混ざったような世界」というようなことを書かれていました。なかなかそういうところまで理解する人はいませんし、そういうことも今回はできるという嬉しさを感じましたね。「光の音」についてはピアノを中心に、ハープ、グロッケン、フィンガーシンバル、ウッドブロックなどを掛け合わせて表現しています。今回は弦の特殊奏法も多いです。それは最近、現代音楽も手がけていることも含めた自分のパレットの中で、やれることは全部やろうとした結果ですね。その意味では比較的、自由に書いています。トータルで、今まであまりなかった世界に持ち込めたらいいなというのはありましたね。」(久石譲)
「皆さん、気に入ってくださっているみたいですね。そういう声をよく伺います。あの部分に関しては、最初から高畑さんは全くブレていませんでした。いわく「月の世界には悩みがない。喜びも悲しみもなく、皆、幸せに生きているのだから、幸せな音楽でなければいけない」と。つまり「悩みのない人たちの音楽」であると。最初「サンバみたいなものを考えている」とおっしゃっていて、それを伺ったときには本当にすごい方だなと思いましたね。発想が若いといいますか。わらべ唄にしても初音ミクでデモを作っているんですよ。あり得ないですよね?新しいものに貪欲というか、手段にこだわっていない姿勢といいますか。だから、天人の音楽にもそういう発想が持てるんですよね。結局、半年くらい寝かせた後に、今の天人の音楽を書いたんですけれども、却下されるかなと思っていたデモを高畑さんが「いいですね。気に入りました」とおっしゃってくださって。リズムとしてはアフロ系ですね。チャランゴやケルティック・ハープも使っていて、ちょっと民族音楽がかったものも入っているし、サンプリングでも邦楽の音とか入れています。できるだけ無国籍な、カオスのようなものにしようかなと思って作りました。作曲ではちょっと苦しみましたけれども。」(久石譲)
「これは非常に重要なところなんですが、高畑さんから持ち出された注文というのが「一切、登場人物の気持ちを表現しないでほしい」「状況に付けないでほしい」「観客の気持ちを煽らないでほしい」ということでした。つまり、「一切感情に訴えかけてはいけない」というのが高畑さんとの最初の約束だったんです。禁じ手だらけでした(笑)。例えば「”生きる喜び”という曲を書いてほしいが、登場人物の気持ちを表現してはいけない」みないな。ですから、キャラクターの内面ということではなく、むしろそこから引いたところで音楽を付けなければならなかったんですね。俯瞰した位置にある音楽といってもいいです。高畑さんは僕が以前に手がけた『悪人』の音楽を気に入ってくださっていて、「『悪人』のような感じの距離の取り方で」と、ずっとおっしゃっていました。『悪人』も登場人物の気持ちを表現していませんからね。」(久石譲)
(Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ビジュアルガイドより 抜粋)
Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー キネマ旬報より
「普通なら、今回のように主題歌がついて、大事なところで使われる曲もすでにあったら間違いなく断っています。いろいろなものをくっつけられてしまうと最終的に音楽全部に責任持てないですから。でも高畑さんのことはとても尊敬していたので今回はお引き受けしたんです。」(久石譲)
「監督が音楽にそこまで詳しいというのは、ほとんどの作曲家は嫌だと思いますよ。こんな話がありました。僕、翌月からクラシックを指揮しなければいけないので、休憩中にミニチュア・スコアを持って見ていたんです。そこに高畑さんがいらして、ブラームスの交響曲第3番の話になったらスコアをパッと見て「ここですよねー、ここのラストが。ここまた、第一楽章のテーマに戻りますよね。ここがいいんですよ」って。こんな会話ができる監督は見たことがありません。」(久石譲)
「書いた曲のチェックは、高畑さんは「想像できるのでピアノスケッチで大丈夫です」と言ってくださっていたので、ピアノスケッチを送っていました。だんだんとそれにオーケストラの色をつけたものをまた送る。これを六十数曲ずっと繰り返したわけです。送るたびにバッと修正オーダーが来る。高畑さんの場合は特に多く、「また来たか」みたいな。「またこんなにですか(笑)」とか。ところがある時期を越えたら、台詞とぶつかると音楽が損だからと、台詞とメロディーの入るタイミングをちょっと遅らせて欲しいとか、そういう修正が多くなってきたんです。その辺りから完全に高畑さんとシンクロしましたね。」(久石譲)
「例えば、台詞とぶつかると音楽は小さくせざるを得ない。台詞が聞こえないと困るから。だから「音楽が損だから遅らせましょう、そうしたら小さくしないで済む」ということを具体的に言う監督は数えるほどしかいない。これは音楽を大切にしていただいている証拠です。どう考えても映画ですから、何をしゃべっているのか分からないとマズい。だから台詞は聞かせないといけない、でも音楽をそのために小さくするのは忍びない、だから、タイミングを変えて欲しい。という言い方ですから、これはもうほんとうにありがたいですよね。おかげで音楽は変拍子だらけになりましたけど、こんな素晴らしい人はそうそういません。」(久石譲)
「印象で言うと、この作品は、普通の映画2本分という感じがしますね。すごくいろんなものが詰め込まれて、なお且つきちっと組まれている。そうするとね、これだけ見事につくられた映画は、もうアートです。これはほんとうに歴史に残ると思います。高畑さんとの仕事は、それなりの覚悟がいると思っていました。いつだったか、監督といろいろ話しているうちに「月の世界とは何なんでしょう」というテーマになりまして、要するに人間世界ではないということだったら、あれはもしかしたらあの世なのかもしれないねと。もしそういう考え方をするならば、これはすごく宗教的にもなってきます。そのようないろいろな捉え方ができるなかで、高畑さんはこれを「この世は生きる価値がある」という一点に集約していく。「喜びも悲しみもいろいろあっても、生きる価値があるんだ」というところに持っていこうとするとても強い意志が伝わってきた(少なくとも僕にはそう思えた)ので、僕はずっとそれに共感しながらつくってきたというところです。」(久石譲)
(Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー 熱風より 抜粋)
Blog. 「かぐや姫の物語をつくる」ドキュメンタリーより 久石譲音楽制作軌跡
Episode. “years…”
しあわせな出会い -久石譲と宮崎駿
「風の谷のナウシカ」のイメージレコード、「鳥の人…」。その第一曲「風の伝説」に針をおろす。風音の前奏に幅の広いリズムが打ちこまれ、やがてピアノが途切れがちにうたいだす……。すべてはここからはじまった。このピアノの音型は映画「ナウシカ」の中心テーマとなり、様々な姿をとりながら、久石氏のライトモチーフとして映画「天空の城ラピュタ」の重要なテーマにまで発展していく。
イメージレコード完成の半年後、映画「風の谷のナウシカ」のオールラッシュが行われ、映画音楽の打ち合わせに入った。おそらくこの時点で、宮崎駿の世界と久石譲の音楽がこれほど相性が良いと気付いていた人は誰もいなかっただろう。
無国籍でありながら、何らかの民俗色地方色をもち、とはいえ、土着の闇はなく、いわば都会的な「引用」であり、きわめて重いものを扱っていながら、どこか軽さがあり、現実にはあり得ない世界でありながら、密度濃いリアリティや存在感に支えられる必要があり、どんなにリアルにみえても、やはり人工的につくりあげられた自然や人物であり、自然をうたいながら、メカニックなものやスピードへの愛着もひとしおであり、必要な複雑さに到達しているイメージも、分解すれば、単純明快な要素の組み合わせであり、感情の表出は直接的であるよりは、情況のなかで支えられる必要があり……。
思えば、アニメーションファンタジィにとって、このような世界を音楽でしっかりと支えてくれる作曲家の出現こそ、待望久しかったのである。
高畑勲
(Blog. 宮崎駿×高畑勲×鈴木敏夫、久石譲音楽を語る 『久石譲 in 武道館』より より抜粋)
第11回:「祝福したい関係」—後編
高畑さんは、プロデューサーを務めた「風の谷のナウシカ」(1984年)で久石さんを音楽担当に抜てきした。「宮崎さんや高畑さんが要求するハードルはものすごく高く、毎回ぼろぼろ」と言う久石さんは、「かぐや姫の物語」(2013年)で監督の高畑さんから「観客の感情をあおらず、登場人物の気持ちを表現し過ぎない」などと注文を受け、「何を作ればいいのか」と悩んだと明かした。高畑さんは「映画の空間を音楽で埋めたくなかった。久しぶりの大作で緊張し、新しいことに挑戦しなければとも思っていた」と振り返った。
(Info. 2017/07/13 「久石譲さんと高畑勲さん ジブリ作品の舞台裏語る」(信毎Webより) 抜粋)
「最後に「天空の城ラピュタ」について。先日高畑勲監督と『かぐや姫の物語』の上映前にトークイベントをおこなったのですが、このラピュタについての話題がもっとも長かった。それだけ思い入れがあったわけです。考えてみれば宮崎監督、高畑勲プロデューサーという両巨匠に挟まれてナウシカ、ラピュタを作っていたわけですから、今考えれば恐ろしいことです(笑)。主題歌の「君をのせて」は多くの人々に歌われ、親しまれ作曲者としては嬉しい限りです。31年後の2017年、僕と新日本フィルハーモニーが主催 する World Dream Orchestra のコンサートのために交響組曲として再構成しました。」(久石譲)
(Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」 コンサート・レポート より抜粋)
2018年4月5日 高畑勲監督 逝去 享年82歳
「誠に残念です。『かぐや姫の物語』が遺作になるとは思っていませんでした。もっと作っていただきたかった。僕のコンサートにもいつも来ていただいて、クラシックや現代の音楽にも深い見識のある方でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。」
(4月6日 追悼コメント 久石譲)
久石譲著書からの紹介はしていません。書籍を読むともっといろんなエピソードが紐解けると思います。ぜひ久石譲はじめ高畑勲、宮崎駿、鈴木敏夫、いろんな角度からも関連書籍など手にとってみてください。
2018.05.16 追記
Info. 2018/05/15 「高畑勲 お別れの会」三鷹の森ジブリ美術館で開かれる
2018.08.08 追記
僕は仕事や人間関係や、いろんなことで悩むとき、よく「宮崎さんだったらどうするだろう」「鈴木敏夫さんだったらどうかな」「養老孟司先生だったらどうするだろう」と考えます。そのとき最後にはやはり「高畑さんならどうするだろう」と考える。
僕の中では、思考するときの羅針盤みたいな存在なんです。論理的なものと、感覚的なもの。自分はいまどちらを取ろうとしているんだろう? 高畑さんならこっちだろうか? そうやって考えているとき、いつも決まって浮かんでくるのは高畑さんの笑顔です。そうすると、何だか希望が湧いてきて、次の自分の行動が決まります。
そういう意味では、高畑さんは、僕の中ではいまも生きています。
無名だった僕を『ナウシカ』で起用していただいてから35年。今日の僕があるのは高畑さんのおかげです。長い間、本当にお世話になりました。いっしょに仕事ができたことを誇りに思っています。心からご冥福をお祈りします。でも、お別れは言いません。またいつか、どこかでお会いしましょう。
(Blog. スタジオジブリ小冊子「熱風 2018年6月号」《特集/追悼 高畑勲》 久石譲 内容紹介 より抜粋)
それまでの僕のやり方は、もう少し音楽が主張していたと思います。それに対して、『かぐや姫』以降は、主張の仕方を極力抑えるようになりました。音楽は観客が自然に映画の中に入っていって感動するのをサポートするぐらいでいい。そう考えるようになったのです。ただし、それは音楽を減らすという意味ではありません。『かぐや姫』では引いていながらも、じつはかなりたくさんの音楽を使っています。高畑さん自身、「こんなに音楽を付けるのは初めてです」とおっしゃっていたほどです。
矛盾するようですが、僕は映画音楽にもある種の作家性みたいなものが残っていて、映像と音楽が少し対立していたほうがいいと思うんです。映像と音楽がそれぞれあって、もうひとつ先の別の世界まで連れて行ってくれる──そういうあり方が映画音楽の理想なんじゃないでしょうか。そういう僕の考えを尊重してくれたのは、高畑さん自身が音楽を愛し、音楽への造詣がものすごく深い方だったからかもしれません。
(Blog. 「ジブリの教科書 19 かぐや姫の物語」 久石譲 インタビュー内容紹介 より抜粋)
2018.8.24 追記
「風の谷のナウシカ」から「かぐや姫の物語」まで。久石譲が鈴木敏夫プロデューサーらと作品ごとに語った貴重なエピソード。ラジオ番組対談書き起こし。
about “NAUSICAÄ”
「イメージアルバムというのは高畑さんの発案。当時の日本映画って映像が出来てから慌てて音楽をやる。しかも期間にして1日か2日、それで映画音楽をつけなきゃいけない。つまり音楽を重視してこなかったんですよ。それを高畑勲という人は、その歴史を変えようと。音楽にたっぷり時間を作ろうと。最初自由にイメージして音楽を作ってもらう。それで図々しいこと考えたんですよ。作ってもらったなかに作品に合う良いものと悪いものがある。そうすると映画音楽を当てはめるまでに2回チャンスがある、音楽が充実する。それが高畑さんの考えだった。
数多くいる候補の中から「久石さんがいい」って高畑さんが言い出した。高畑さんの決め手は「久石さんは教養がある。要するにクラシック音楽の勉強をしてる。その基礎があると、映像に音楽を合わせてもらう映画音楽をつくるのにその教養が役に立つに違いない。それがないと注文しにくい。」って言ったんですよ。音楽を聴いて高畑さんはそれを発見するんですよ。周りの人たちがみんな反対するなか、そこが高畑勲のすごさ。ここで決まっちゃうんですもん、宮崎・久石コンビ。
イメージアルバムを作るときに、高畑さんが宮崎に頼んだのが、タイトルとイメージを文章にして渡すこと。こんな感じの曲があるといいというのを10個くらい書いた。だからこれも高畑さんが考えたこと。イメージアルバムを最初に聴いたのは僕と高畑さん。高畑さんは「いける」って言ったんですよ。その後宮崎に聴いてもらって一発で気に入った。当時はカセットテープ、宮崎はそれを一日中大音量で聴くわけですよ。しかも朝9時から午前4時まで同じテープを延々鳴りっぱなしなんですよ、周りは静かに作業してるなか。」(鈴木敏夫)
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「それと僕が声を大にして言いたいのは、この「かぐや姫の物語」の映画音楽、大傑作ですよね。高畑さんと日常的にいろいろなこと話してたから、高畑さんは実をいうと、好みもあったんでしょうけれど、「ラピュタ」の音楽、大絶賛してたんですよ。そうするとね、高畑さんのなかにあったのは、全然違う作品なんだけれど映画音楽として、どういうものをやっていくかというときに、「ラピュタ」に勝ちたい、どっかにあったんじゃないかなあ。それを僕は実現したと思ったんですよね。明らかに久石さんの新たな面も見れたし、この人すごいなと思ったんですよ、まだ成長するんだって(笑)。」(鈴木敏夫)
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