Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE IV』

2019年11月20日 CD発売 OVCL-00710

 

『久石譲 presents MUSIC FUTURE IV』
久石譲(指揮) フューチャー・オーケストラ

久石譲主宰 Wonder Land Records × クラシックのEXTONレーベル 夢のコラボレーション第4弾!未来へ発信するシリーズ!

久石譲が”明日のために届けたい”音楽をナビゲートするコンサート・シリーズ「ミュージック・フューチャー」より、アルバム第4弾が登場。ミニマル・ミュージックを探求し続ける「同志」であるデヴィット・ラングと久石譲。2人の新作が日本初演された2018年のコンサートのライヴを収めた当盤では、ミニマル・ミュージックの多様性を体感することができます。日本を代表する名手たちが揃った「フューチャー・オーケストラ」が奏でる音楽も、高い技術とアンサンブルで見事に芸術の高みへと昇華していきます。EXTONレーベルが誇る最新技術により、非常に高い音楽性と臨場感あふれるサウンドも必聴です。「明日のための音楽」がここにあります。

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(CD帯より)

 

 

解説 松平敬

「MUSIC FUTURE」とは、久石譲が世界最先端の音楽を紹介するコンサート・シリーズである。2014年から年1回のペースで、これまで5回の演奏会が開催され、そのライヴ盤も本作で4枚目となる。

久石がこだわりを持つ、ミニマル・ミュージックを中心としてプログラムを構成するアイデアは、これまでのアルバムと同様であるが、本アルバムでは、フィリップ・グラスの作品を久石が「Re-Compose」するという、新機軸が導入された。スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリーらと共に、ミニマル・ミュージックの「始祖」として知られるグラスの古典的名作『Two Pages』に、久石が大胆なオーケストレーションを施し、新たな作品として提示するという、時代と国境を超えた野心的なコラボレーションである。

久石のオリジナル作品として収録された『The Black Fireworks 2018』は、『Music Future III』に収録された『室内交響曲第2番』の新ヴァージョンである。両ヴァージョンを聴き比べることで、基本的に同じ構成を持った両作の色合いの違いを楽しむのも一興であろう。

デヴィット・ラングも、久石と同様、ミニマル・ミュージックを探求し続ける、いわば久石の「同志」である。久石とラングの作品を交互に並べた本アルバムを聴くことで、ミニマル・ミュージックという「限定」された素材に基づく音楽が秘めた「多様性」を体感してほしい。

 

久石譲:
The Black Fireworks 2018
for Violoncello and Chamber Orchestra

この作品は、実質的にバンドネオン協奏曲であった『室内交響曲第2番 The Black Fireworks』を、チェロと室内オーケストラの作品として改作したものである。両者の音楽の基本的な構造は同じであるが、バンドネオンの軽やかな音色がチェロの重厚な音色に置き換わることで、軽やかに飛翔するような音楽であった前作が、重機関車を思わせる推進力と迫力を兼ね備えた音楽へと変貌している。ソリストのマヤ・バイザーによる熱量の高い演奏も、この作品の新しい魅力を引き出す。

『室内交響曲第2番』からの大きな違いとして、第3楽章が割愛されて2楽章構成へと変更されたことが挙げられる。前作の第3楽章における、明らかにバンドネオン向けのタンゴ的な曲調がチェロに相応しくないと判断した結果なのであろう。

前作の3楽章構成が、急ー緩ー急という伝統的なコンチェルトを想起させたのに対し、2楽章構成となった今作では、急ー緩という両楽章の対比よりはむしろ、兄弟のような類似性が浮かび上がることになる(この関係性はシューベルトの『未完成交響曲』を彷彿とさせる)。実際、第1楽章のテンポは♩=91、第2楽章は♩=84とほとんど同じで、どちらも16分音符を主体としたリズムが多用されているため、聴覚上のテンポ感もほとんど同じなのだ。しかし、第2楽章における息の長いメロディーや、しばしば挿入される和音の引き伸ばしという新しい要素は、無窮動のリズムが支配する第1楽章とコントラストをなす。ちなみに、この作品も『2 Pages Recomposed』と同様、Single Trackの手法を用いて作曲されている。

タイトルの「The Black Fireworks」は、ある少年が久石に語った「白い花火の後に黒い花火が上がって、それが白い花火をかき消している」という謎めいた言葉に由来するものだ。

 

デヴィット・ラング:
prayers for night and sleep

タイトルを和訳すれば「夜と眠りのための祈り」。本作品はタイトルどおり、「夜」「眠り」と題されたふたつの祈りの歌から構成されている。

1曲目「夜」の歌詞は、「夜になると」というキーワードでインターネット検索した言葉を集めたもの。これらの言葉は「I can」「I feel」「I will」という3種類の言葉で始める文章にまとめられ、この歌詞の構造が音楽の構造にもリンクしている。「I can」と「I will」で始まる文章を集めたセクションでは、ふたつの和音が揺らめくように交替する弦楽合奏を背景に、ソプラノ歌手が静的なメロディーを歌う。この両セクションに挟まれた「I feel」の部分では、一転して眠りを断ち切るかのような緊張感のある音楽へと変わり、歌唱パートも、語るような音形が支配的となる。

2曲目「眠り」は、「私の目に眠りが降りてくると」という、1曲目と呼応するかのような歌詞で始まるが、こちらはユダヤ人の伝統的な就寝時の祈りの言葉をまとめたものだ。チェロ独奏の分散和音と、それをエコーのように繰り返す弦楽合奏によって、音楽が霧に包まれたかのような謎めいた雰囲気が立ち現れる。ソプラノ歌手は、その「音のベッド」の上でまどろむかのように、始まりも終わりもない瞑想的なメロディーを歌う。時折聞こえるグロッケンの密やかな音は、安らかな眠りを見守る星の瞬きのようだ。

透明感に満ちたモリー・ネッターの歌声と、その歌声をさりげなく包み込むマヤ・バイザーのチェロの音色は、この作品の瞑想的なムードと一体化している。

 

フィリップ・グラス / Recomposed by 久石譲:
2 Pages Recomposed

この作品の原曲となったグラスの『Two Pages』は、今から約50年前の1969年に作曲された。G-C-D-E♭-Fというシンプル極まりないメロディーが、何度も繰り返されるうちに少しずつ増殖したり圧縮したりする、グラス初期作品の典型的な構造になっている。一般的な音楽に必須の、メロディーを支える伴奏のようなものはこの作品には存在しない。絶え間なく変化を繰り返す一本の線があるけだ。

『2 Pages Recomposed』は、グラスの原曲を、久石が「Single Track(単線)」と呼ぶ手法によって、室内オーケストラの作品へと拡張したもの。メロディーの構造は原曲そのままである。しかし、それを単にオーケストラ用に「編曲」するのではなく、ひとつのメロディー・ラインを複数の楽器で互い違いに演奏するように割り当てたり、メロディーのいくつかの音を引き延ばすといった処理が施されている。こうした手の込んだ操作によって、単旋律であるにも関わらず複数のメロディー・ラインが重なり合っているような錯覚が生じたり、メロディーからハーモニーがにじみ出たり、という独特な効果が生まれる。

編曲によって原曲の音色を他の音色に置き換える行為は、かつては作曲行為の下位に位置するものと捉えられていたが、ここでは、音色による構成が本質的かつ創造的な作曲行為と考えられている。そして、その思いが「Recomposed」というクレジットに表れている。作曲者本人が想像だにしないアイデアで生まれ変わったこのヴァージョンを聴いたグラスは、とても喜んだそうだ。

 

デヴィット・ラング:
increase

タイトルの「increase」は、作曲者のラングが自身の子供の名として有力な候補として考えながらも、結局は採用しなかった名前だ。そのポジティヴな語感を気に入ったラングは、この名前を自身の楽曲のタイトルとして「復活」させた。

本作品の楽譜冒頭に書かれた「with increasing energy 増大していくエネルギーとともに」という言葉どおり、作品全体は祝祭的な空気感に満たされている。先へ先へと急き立てるような音楽の秘密は、冒頭の軽妙なフルートのメロディーを支える、ヴィブラフォンのリズムにある。そのリズムは、(4分音符を1とすると)3/4-1/2-1/3-1/4-1/3-1/2-3/4という音価の繰り返しであり、耳で聴くと、加速と減速を繰り返すパルスのうねりのように知覚される。このうねりが異なる周期で重なり合うことで、シンプルな仕掛けから目まぐるしく変化する複雑なリズムが立ち現れる。作品後半では、ストラヴィンスキーの『春の祭典』を彷彿とさせる力強く不規則なビートの繰り返しから、雷鳴を思わせる圧倒的なクライマックスへとつながる、楽譜冒頭に記されたモットー通りの展開をみせる。

(まつだいら・たかし)

(解説 ~CDライナーノーツより)

 

*ライナーノーツには「prayers for night and sleep」のオリジナル歌詞 収載

 

 

フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

2014年、久石譲のかけ声によりスタートしたコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE」から誕生した室内オーケストラ。現代的なサウンドと高い技術を要するプログラミングにあわせ、日本を代表する精鋭メンバーで構成される。

”現代に書かれた優れた音楽を紹介する”という野心的なコンセプトのもと、久石譲の世界初演作のみならず、2014年の「Vol.1」ではヘンリク・グレツキやアルヴォ・ペルト、ニコ・ミューリーを、2015年の「Vol.2」ではスティーヴ・ライヒ、ジョン・アダムズ、ブライス・デスナーを、2016年の「Vol.3」ではシェーンベルク、マックス・リヒター、デヴィット・ラングを、2017年の「Vol.4」では、フィリップ・グラスやガブリエル・プロコフィエフを、そして本作に収録された「Vol.5」ではデヴィット・ラングを招聘し、コラボレートとして新旧の作品を演奏し、好評を博した。”新しい音楽”を体験させてくれる先鋭的な室内オーケストラである。

(CDライナーノーツより)

 

 

 

The Black Fireworks 2018
for Violoncello and Chamber Orchestra
久石譲 約20分

ここ数年僕は単旋律の音楽を追求しています。一つのモチーフの変化だけで楽曲を構成する方法なので、様々な楽器が演奏していたとしても、どのパートであっても同時に鳴る音は全て同じ音です(オクターヴの違いはありますが)。

ですが、単旋律のいくつかの音が低音や高音で演奏することで、まるでフーガのように別の旋律が聞こえてきたり、また単旋律のある音がエコーのように伸びる(あるいは刻む)ことで和音感を補っていますが、あくまで音の発音時は同じ音です。僕はこの方法をSingle Track Musicと呼んでいます。Single Trackは鉄道用語で単線という意味です。

「The Black Fireworks 2018」は、この方法で2017年にバンドネオンと室内オーケストラのために書いた曲をベースに、新たにチェロとオーケストラのための楽曲として書きました。伝統的なコンチェルトのように両者が対峙するようなものではなく、寄り添いながらも別の道を歩く、そのようなことをイメージしています。

タイトルは、昨年福島で出会った少年の話した内容から付けました。彼は東日本大震災で家族や家を失った少年たちの一人でした。彼は「白い花火の後に黒い花火が上がって、それが白い花火をかき消している」と言いました。「白い花火」を「黒い花火」がかき消す? 不思議に思って何度も同じ質問を彼にしましたが答えは同じ、本当に彼にはそう見えたのです。

そのシュールな言葉がずっと心に残りました。彼の観たものはおそらく精神的なものであると推察はしましたが、同時に人生の光と闇、孤独と狂気、生と死など人間がいつか辿り着くであろう彼岸をも連想させました。タイトルはこれ以外考えられませんでした。その少年にいつかこの楽曲を聴いて欲しいと願っています。(written by 久石譲)

 

2 Pages Recomposed
フィリップ・グラス / Recomposed by 久石譲 約16分

1969年に書かれたPhilip Glassさんの伝説的な楽曲「Two Pages」は5つの音の増減と8分音符で刻まれるリズムのみでできています。本来はある音色と繰り返しの回数を決定したら演奏の間中は一定に保たれるべき楽曲です。グラスさんは「最良の音楽は、始まりも終わりもない一つの出来事として経験される」と言っています。

今回、僕はあえてその楽曲を室内オーケストラの作品としてグラスさんの許可を得てRe-Composedしました。理由は彼を尊敬していること、親しいこと、それに加えてこの楽曲はSingle Track Musicでもあるからです。方法としては「The Black Fireworks 2018」と全く同じスタイルで、楽器の編成もソロ・チェロを除いてほぼ同じにしました。ニューヨークのリハーサルに立ち会った彼は大変喜んでくれました。この楽曲の強い個性はいかなる形を取っても変わらず、必ず現代に新たに蘇る!そんな思いをこめてRe-Composedしました。(written by 久石譲)

Blog. 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.5」 コンサート・レポート より抜粋)

 

 

 

2014年から始動した「久石譲 presents MUSIC FUTURE」コンサート。披露された作品が翌年シリーズ最新コンサートにあわせるかたちでCD化、満を持して届けられている。本作「MUSIC FUTURE IV」は、コンサート・ナンバリングとしては「Vol.5」にあたる2018年開催コンサートからのライヴ録音。約500席小ホールではあるが、好奇心と挑戦挑発に満ちたプログラムを観客にぶつけ、満員御礼という実績もすっかり定着している。さらに「Vol.5」はニューヨーク公演も開催された。

ライヴ録音ならではの緊張と迫真の演奏、ホール音響の臨場感と空気感をもコンパイルしたハイクオリティな録音。新しい音楽を体感してもらうこと、より多くの人へ届けること。コンサートと音源化のふたつがしっかりとシリーズ化されている、久石譲にとって今の音楽活動の大切な軸のひとつとなっている。

 

 

 

 

コンサート・プログラム、久石譲やデヴィット・ラングによるインタビュー動画、初のニューヨーク開催ともなったコンサート風景、東京公演の感想などは記している。

 

 

「室内交響曲 第2番《The Black Fireworks》」バンドネオン版

 

 

 

久石譲
Joe Hisaishi (1950-)
The Black Fireworks 2018 for Violoncello and Chamber Orchestra [日本初演]
1. The Black Fireworks
2. Passing Away in the Sky

デヴィット・ラング
David Lang (1957-)
prayers for night and sleep [日本初演]
3. 1 night
4. 2 sleep

フィリップ・グラス / Recomposed by 久石譲
Philip Glass (1937-) / Recomposed by Joe Hisaishi
5. 2 Pages Recomposed (1969/2018) [日本初演]

デヴィット・ラング
David Lang
6. increase (2002)

 

久石譲(指揮)
Joe Hisaishi (Conductor)
フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra
マヤ・バイザー(ソロ・チェロ)1-4
Maya Beiser (solo violoncello)
モリー・ネッター(ソロ・ヴォイス)3-4
Molly Netter (solo voice)

2018年11月21-22日 東京、よみうり大手町ホールにてライヴ録音
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 21, 22 Nov. 2018

 

JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE IV

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by Future Orchestra
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 21, 22 Nov. 2018

Produced by Joe Hisaishi
Recording & Mixing Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Assistant Engineers:Takeshi Muramatsu, Masashi Minakawa
Mixed at EXTON Studio, Tokyo
Mastering Engineer:Shigeki Fujino (UNIVERSAL MUSIC)
Mastered at UNIVERSAL MUSIC STUDIOS TOKYO

and more…

 

Disc. 久石譲 & 新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ 『Spirited Away Suite』

2019年7月31日 CD発売 UMCK-1636

 

久石自身の手により生まれ変わった「千と千尋の神隠し」組曲ほか、数々の名演。あの夏の感動、再び。

(CD帯より)

 

 

9.11以後の”異界”を”だまし絵”で生き抜くオーケストラの音楽──
久石譲『Spirited Away Suite』について

本盤のタイトル曲でもある「Spirited Away Suite」(「千と千尋の神隠し」組曲)の冒頭は、ピアノのメインテーマ「あの夏へ」──主人公・千尋のテーマとも言い替えてもいい──から始まる。その演奏を収録した本盤の音源を初めて聴いたとき、今から18年前の2001年7月の記憶が頭にパッと思い浮かんだ。まさに”あの夏”とも言えるような思い出だが、当時、発刊されて間もない映画雑誌『PREMIERE』のインタビュー取材のため、とても暑い日の午後、久石の下を訪れたのである。

このとき、すなわち2001年7月、久石は宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』の音楽を書き上げ、そしてフランス人のオリヴィエ・ダアン監督の映画『Pe Petit Poucet』の音楽を完成させたばかりの頃だった。当然、インタビューの中では、その2本にも話が及んだ。

映画本編の詳しい紹介はここでは割愛するが、まず『千と千尋の神隠し』は、親元から切り離された千尋という名の少女が異世界つまり”異界”に足を踏み入れ、自分の力で生き抜いていこうとする姿を描いた成長譚である。

この取材の中で久石は、宮崎監督の独特の世界観で作られた現実の風景とまったく違う世界=”異界”をどう音楽で表現すべきか、非常に苦労したと述べていた。通常の音楽のつけ方や作曲アプローチでは表現しきれないので、例えば今回の組曲内の「神さま達」では琉球音楽、「カオナシ」ではインドネシアのガムラン風の音楽、というように、アジアの民族音楽のさまざまな要素をオーケストラの中に足す方法で作っていったのだと。しかも、日本が属する東アジアやインドネシアが属する東南アジアだけでなく、シルクロードの向こう側、遥か西のユーラシア大陸全般に至るまでアジアというものを拡大解釈し、それを西欧音楽の象徴たるオーケストラの中に放り込んでいく。わかりやすく言えば、台湾の夜市のように、ありとあらゆる要素を投入していく方法だ。そのように雑多なものをオーケストラの中に取り込むことで、なんとか宮崎監督の世界観を表現できるかもしれないというのが、取材の中で久石が語っていた作曲アプローチであった(それが、メインテーマ「あの夏へ」以外の曲がいままでコンサートで演奏されにくかった理由のひとつでもある)。18年経った現在から振り返ってみても、これは日本人でありアジア人である作曲家・久石譲だからこそなし得た、非常にユニークなアプローチであると思う。

 

「Le Petit Poucet」は、『千と千尋の神隠し』と同じ2001年に久石が手掛けたフランス映画『Le Petit Poucet』のメインテーマである。フランスの童話作家シャルル・ペローの『親指小僧』に基づく実写映画だが、実はこの作品も、『千と千尋の神隠し』と同じく親元を離れた主人公プセたちが不思議な世界、つまりは”異界”に放り込まれてさまざまな冒険を体験し、生き抜いていく物語を扱っている。

本盤には本編オープニングで流れるメインテーマのオーケストラ版が収録されているが、映画のエンドロールでは、ヴァネッサ・パラディが歌ったヴォーカル版が使用されている。そういった事情もあり、久石はこのテーマを”シャンソン”として書いたと取材の中で語っていたが、いま、このメインテーマを改めて聴き直してみると、フランス映画にふさわしい気品に満ちた”シャンソン”であると同時に、久石でなければ絶対に書けない、いかにも彼らしいメロディで作られた音楽だと思わずにはいられない。日本人であり、アジア人である作曲家・久石譲から出てきた”久石メロディ”が、ヨーロッパの昔話の真髄とも言える童話を映画化した『Le Petit Poucet』のメインテーマになっているところが、実に興味深いのである。

本盤を手に取られたリスナーは、ぜひこの機会に『Le Petit Poucet』の全編を見て頂きたいのだが(現在はDVDで容易に視聴可能)、映画本編に流れるサウンドトラックでは、尺八や和太鼓などの邦楽器がオーケストラの中にふんだんに取り入れていることに気づくだろう。

取材当時、久石は「西欧のオーケストラだけで音楽をまとめてしまうよりも、日本的なものにこだわりながら作っていった方が、自分としてはリアリティのある音楽が作れる。ペローの童話の世界は、確かにヨーロッパの世界観に属しているけれど、逆に音楽では、日本的な要素をどんどん出した方が説得力が増してくる」と述べていた。

この発言を音楽用語の”ユニゾン”という言葉を用いて言い換えてみると、ヨーロッパの童話や題材をヨーロッパ的な音楽スタイルで”なぞる”つまり”ユニゾン”で音楽を付けるのではなく、すこし違った視点で物語を捉えながら敢えて”ズラした”音楽を付けていく。そうしたアプローチを用いながら日本人の作曲家が作曲することで、童話が本来持つ怖さや残酷さ──ヨーロッパ人は子供の頃からその童話に慣れ親しんでいるので、かえって意識に上りにくくなっている──が、より際立って見えてくるということなのだ。これが『Le Petit Poucet』の音楽の素晴らしさであり、同時に作曲家としての久石の特質が遺憾なく発揮された好例というべきであろう。

 

久石が同時期に手掛けたこれら2つの映画は、全く無関係な作品であるにもかかわらず、たまたま2001年に作られ、それぞれの本国で公開された。そして偶然にも、”異界”に放り込まれた人間がどう生きるのかという題材を扱ったファンタジー作品でもあった。その当時、久石を含む映画の作り手たちは、ファンタジーの物語にリアリティを持たせるべく全力を注ぎ込み、彼らが生み出した数々のファンタジーを我々観客はエンタテインメントとして素直に受け入れ、喜び、熱中することができた時代だった──2001年の夏の段階までは。

ところがこの取材から約2ヶ月後の2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生した。たった一晩で、それ以前と以後の世界がまったく変わってしまった。

旅客機が高層ビルに突っ込み炎上する──どんな映画でも描けなかった光景を、当時を生きていた久石を含む我々は、テレビを通じてリアルタイムで見てしまった。つまり、現実のほうがファンタジーよりも先をいってしまったのである。

人間がいくらファンタジーの世界を想像し、その物語にリアリティを持たせようとしたところで、あの9.11の映像を見せつけられたとき、現実のほうが遥かに凄まじいのだということを、我々はいやが上にも思い知らさせた。我々は一体何だったのだろう……と。特に、映画やテレビなど映像に携わる人間は(久石も例外なく)、これまで追い求めてきた世界とは、ファンタジーとはいったい何なのだろう、大きな疑問符を突きつけられることになった。

別に言い方をすれば、9.11をリアルタイムで体験してしまった人間は、まさに千尋やプセたちと同様、宮崎監督やダアン監督が描いた”異界”、つまりいままで自分たちが生きてきた世界とは違った世界(そして自ら望まない世界)に放り出され、その世界を現実として生きろと、無理難題な要求を突きつけられてしまったのである。その過酷な事実を新たな現実として受け入れ、生きていかねばならないにしても、我々が”異界”に適応するのは容易なことではなく、当然のことながら多くの時間を要した。誰もが皆、同じように苦しみ、考え、自分なりに答えを見つけ出していくことを余儀なくされた。

では、アーティストとしての久石は、9.11から受けた衝撃や思いをどう表現したのか? 音楽家として、今までと違う現実、9.11以後の世界という”異界”とどのように向き合うべきなのか? その回答のひとつが、2001年から3年後の2004年に立ち上げた、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)の創設と、本盤ラストに収録されているW.D.O.のテーマ曲「World Dreams」の作曲である。その答えにおいて、久石は伝統的な西洋のオーケストラの中で、力強いメロディを”ユニゾン”で鳴らすという驚くべき結論を見出した。もちろん、久石はその結論にやすやすと達したわけではない。9.11のはるか以前から、ミニマル・ミュージックを通じて”異界”を意識化させてきたアーティスト・久石なくして、その結論に達することは出来なかっただろう。

 

改めて説明するまでもないが、久石はミニマル・ミュージックの作曲家としてキャリアをスタートさせた。話をわかりやすくするため、ミニマル・ミュージックとは「繰り返しや反復などを用いながら微細なズレを生み出し、そのズレから豊かなテクスチュアを紡ぎ出していく音楽」と仮に定義しておくが、ミニマリストとしての久石が他のミニマルの作曲家と異なるユニークな特徴のひとつは、彼がエッシャー的な視点を備えた作曲家だという点である。

久石はミニマル・ミュージックを書き始めた頃から、オランダの抽象画家マウリッツ・エッシャーの作品に非常に強い関心を抱いていた。エッシャーはだまし絵(錯視画)で有名な画家だが、久石はそのエッシャーの作品から影響を受けながら、だまし絵がもたらす錯視効果とミニマル・ミュージックがもたらす錯視効果(より正確に言えば錯聴効果)の類似性に注目し、実際のミニマル・ミュージックの作曲に生かしていった。

エッシャーは、現実の世界に存在していない図形や模様があたかも存在しているように描くことによって、人間のものの見方、もっと大きく言えば、世界の捉え方そのものに対して、問題提起を行った画家である。特に晩年の作品では、あるパターンを幾重にも繰り返し、積み重ねていくことで、そこからまったく違うものが生まれていく変容(メタモルフォーゼ)を追求していくようになった。

そうしたエッシャーの特徴に久石は注目し、自身の作品においても、同じ音形やフレーズを繰り返し、少しずつズラしていきながら、全く異なるものを生み出し、音楽を変容させていくという実験を重ねていった。その方法論は、作曲家として初期の活動を始めた40年前から現在に至るまで、本質的には変わることなく受け継がれているといっても過言ではない。そうした彼のミニマル・ミュージックに対する向き合い方、言い換えればエッシャー的な方法論に基づくミニマル作品が、本盤には2曲収録されている。

まず、1985年のアルバム『α-BET-CITY』の中に収録されていた曲がオリジナルとなる、タイトルもそのままずばりの「DA・MA・SHI・絵」。そして1944年にエッシャーが描いた原画「Encounter(遭遇)」にインスパイアされて生まれた、弦楽合奏のための「Encounter」。ユーモラスな響きを持ち、同じフレーズや音型を繰り返すうちに音楽がすっかり別のものに変容してしまう、まさにエッシャーのだまし絵を見ているような感覚に非常に近い驚きや喜びを、リスナーはこの2曲から感じていただけるのではないだろうか。

作曲年代が約30年離れた、これら2曲が端的に示しているように、久石がエッシャー的なミニマル・ミュージックを書くということは、すなわち、人間の見方やものの捉え方が実のところは錯視的であり、あるいは変容していくものだということを音楽を通じて表現し、問題提起していることにほかならない。わかりやすく言えば、「いま現実に見えているものだって、突然”異界”に変容するとも限らないよ」ということである(ちなみに1992年に久石のアルバム『My Lost City』は、まさにそうした問題意識から生まれた作品である)。

40年前から、そうした問題意識を片時も忘れることなく、作曲というフィールドにその意識を生かしながら音楽を表現してきたところに、実は久石のミニマリストとしての最大の強みが存在する(ミニマルの繰り返しや反復はあくまでも技法であり、それ自体が目的ではない)。だからこそ、彼のミニマル・ミュージックが我々に強く訴えかけてくるのではあるまいか。

そういう作曲家・久石が9.11という”異界”に遭遇(encounter)したとき、単にその事件に寄り添った音楽を書いたり活動をしたりするだけではなく、今までと違った現実を生き抜くために、それに応じた音楽的姿勢を持って活動し、生きねばならないと決断したのは想像に難くない。

 

先に触れたように、久石は9.11以後の世界という”異界”への回答として、W.D.O.を創設した。なぜ、オーケストラなのか? ”異界”が現れる前の馴染み深い音世界を懐かしむとか、西洋音楽の伝統に回帰するとか、そういう話ではない。『千と千尋の神隠し』や『Le Petit Poucet』のように、敢えてオーケストラに”異界”を取り込むことで、”異界”そのものを生き抜いていこうとする、ひとつの決意表明として、オーケストラを選んだのである。そのオーケストラの中に、これまで久石が抱えてきた問題意識、つまりエッシャー的な問題意識に基づくミニマル・ミュージック的な方法論を持ち込むことで、今までとは違った現実、すなわち”異界”を生きていくことはどういうことなのか、それを追求していくためにオーケストラを選んだのである。だからこそ、オーケストラの中で「World Dreams」のような”ユニゾン”のメロディを歌う意味が生まれてくる。もし、オーケストラが”異界”の響きを表現するだけだったら、多様性に満ち溢れた音楽的にも比喩的な意味でも”不協和音”の衝突のまま終わってしまうから。

 

奇しくも9.11以後、この18年のあいだに音楽を世の中に届けていく方法そのものも大きく変わってしまった。それ以前は、アルバムやレコードといったパッケージで音楽を届けることがアーティストにとってのひとつの目標であり、またゴールでもあった。ところが18年経った現在、インターネットなどのデジタルの普及によって音楽のあり方自体が大きく変容し、ストリーミングで音楽を聴き、あるいは1曲だけダウンロードして楽しむといった聴き方が日常のものとなった。好むと好まざるとに関わらず、そういう音楽の”異界”に我々は生きているのである。

だが、”異界”は必ずしも悪いことだけではない。この現行を書いている2019年7月現在、中国で初めて劇場公開された『千と千尋の神隠し』は新作映画を上回る大ヒットを記録し、新たなファン層を生み出している。そしてこの9月には、アメリカの名指揮者デニス・ラッセル・デイヴィスがチェコ・ブルノで「DA・MA・SHI・絵」のヨーロッパ初演を振ることが決まっている。18年前、このように世界が変わることになるとは、実は久石本人ですら想像もつかなかったはずだ。

そういう”異界”を現実のものとして生きている現在の我々にとって、何を拠りどころとしながら生き、どのように世界を見つめていかなければならないのか? 本盤『Spirited Away Suite』には、その難問に対してアーティスト・久石譲が誠実に出した回答──9.11以後の”異界”を”だまし絵”で生き抜くオーケストラの音楽──が凝縮して表現されている。

前島秀国/Hidekuni Maejima
サウンド&ヴィジュアル・ライター
2019/07/01

(CDライナーノーツより)

 

 

Spirited Away Suite
2018年の「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2018」にて初演。2001年7月20日公開の宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』から。構成楽曲は次のとおり。
あの夏へ One Summer’s Day/夜来る Nighttime Coming/神さま達 The Gods/湯屋の朝~底なし穴 View of the Morning ~ The Bottomless Pit/竜の少年 The Dragon Boy/カオナシ No Face/6番目の駅 The Six Station/ふたたび Reprise/帰る日 The Return

Le Petit Poucet
2001年、オリヴィエ・ダアン監督のフランス映画『Le Petit Poucet』(邦題:プセの大冒険 真紅の魔法靴)メインテーマより。シャルル・ペローの童話『親指小僧』をもとに実写化された映画。ヴォーカル版はヴァネッサ・パラディの歌う「La Lune Brille Pour Toi」。2001年の東北ツアーで演奏されたメインテーマを、2018年「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2018」において書き直して披露された。

DA・MA・SHI・絵
エッシャーのだまし絵にインスパイアされた1985年の作品、『α-BET-CITY』で発表された。1996年の「PIANO STORIES II ~The Wind of Life~ Part 1 Orchestra Night」の際にオーケストラ版に書き直された後、2010年『ミニマリズム』収録時にLSO(ロンドン交響楽団)の演奏による初収録された。

Encounter for String Orchestra
オリジナルは、2012年、「フェルメール光の王国展」のために書き下ろした「Vermeer & Escher」の室内楽曲。その中から4曲を選び、弦楽四重奏曲として再構成・作曲し直した「String Quartet No.1」(初演:2014年9月29日「Music Future Vol.1」)の第1曲「Encounter」を、更に弦楽合奏用に書き直した作品。2017年2月12日、久石譲指揮、ナガノ・チェンバー・オーケストラにて初演。本盤が初収録となる。

World Dreams
2004年、久石譲と新日本フィルによるW.D.O.結成時に、テーマ曲として作曲された作品。「作曲している時、僕の頭を過っていた映像は9.11のビルに突っ込む飛行機、アフガン、イラクの逃げまどう一般の人々や子供たちだった。『何で……』そんな思いの中、静かで優しく語りかけ、しかもマイナーではなくある種、国歌のような格調あるメロディが頭を過った」

(楽曲解説 ~CDライナーノーツより)

 

 

久石譲コメント

Spirited Away Suite /「千と千尋の神隠し」組曲

アメリカのアカデミー賞長編アニメーション賞を獲った作品で、海外からも一番これを演奏してほしいという要望が強いんですよね。すごく強いのですが、なぜかチャレンジをずっと避けていた曲なんです。今年本格的に取り組んでみて、思った以上に激しい曲が多くて驚きました。人間世界から異世界に迷い込んで、千尋という名前が千に変わり、両親が豚に変えられたりする中で、様々な危機が来る。当然、音楽も激しくなるわけです。一方でこの作品には「六番目の駅」に代表されるような、現実と黄泉の世界の狭間が色濃く表現されている。宮崎さんが辿り着いた死生観が漂っている気がします。でもだからこそ生きていることが大事なんだ、ということをちゃんと謳っている。その思いが伝わればいいなと思っています。

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」 コンサート・レポート より)

 

 

[参考]

2019年6月21日 中国劇場公開にて大ヒット「千与千寻」

 

 

久石譲コメント

Encounter for String Orchestra

数年前にフェルメール展が催され、その作曲を依頼されたのですが、僕の強い要望でエッシャーも展示されました。ミニマリストとしてはフェルメールよりも(もちろん好きですけど)だまし絵のエッシャーのほうに興味があったからです。その楽曲を中心に後に「弦楽四重奏曲第1番(String Quartet No.1)」を作曲しました。その第1曲がこの「Encounter」です。それをストリング・オーケストラとして独立した楽曲にしました。マーラーがシューベルト等の弦楽四重奏曲をオーケストラ用に書き直していますが、厚くなる部分と、ソロの部分をうまく活かしてよりダイナミックに作っている。僕もそのことを大切にしました。

レの音を中心としてモードによるリズミカルなフレーズが繰り返されます。ややブラックなユーモアもありますが、変拍子と相まって曲の展開の予想はつきにくい、したがって演奏もかなり難しいです。

曲のタイトルはエッシャーの「Encounter」という絵画(版画)からきています。もちろんインスピレーションも受けています。決して重い曲ではないので、楽しんでいただけたら幸いです。

(「久石譲 フューチャー・オーケストラ・クラシックス Vol.1」コンサート・パンフレット より)

 

[参考]

Encounter /エッシャー (1944)

 

memo

エッシャーのこの絵のウィキ的解説が少なすぎてわからない。奥の方では白い人と黒い人がタイルを埋めるように平面的に当てこまれてる。そして円を描くように前の方では立体的に描かれ中央で「出会う」。ヴィオラから始まるこの曲は楽器配置も関係してるんだろうか…。白と黒に旋律的モチーフをもたせてるのだろうか…。円中央の反転や立体的人の影は、旋律の反転やなんらかしてるのだろうか…。エッシャーの「出会う」とは、音楽に置きかえたときに、ひとつの旋律を全楽器が奏でるユニゾンになる瞬間のことだろうか(数回ある)…。久石さんの言う〈ブラックなユーモア〉も音楽的にどういうことなのか、さっぱりわからない。いつか解説してくれますように。繰り返し模様とミニマルの反復、いろんな見え方と音のズレによる変化。パターンと秩序、二次元と三次元、数学的と論理的。ハーモニーを極力排除した単旋律的要素。絵を見ながら「Encounter」を聴くとなんかおもしろい気がしてくるからおもしろい。そして、「DA・MA・SHI・絵」と「Encounter」が新作CDにあわせて収録されるのはエッシャーつながりとしてもなるほどと思う。

 

 

 

本作に収録された作品のレビューは、コンサート・レポートに瞬間を封じ込め記した。

 

 

 

 

また2019年1月にTV放送された際に、映像で確認できた楽器のこと、繰り返し観れることで気づいたことなどを記した。

 

 

 

 

 

 

 

久石譲 & 新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ
「千と千尋の神隠し」組曲

Joe Hisaishi & New Japan Philharmonic World Dream Orchestra
Spirited Away Suite

Spirited Away Suite 
1. One Summer’s Day
2. Nighttime Coming
3. The Gods
4. View of the Morning ~ The Bottomless Pit
5. The Dragon Boy
6. No Face
7. The Sixth Station
8. Reprise
9. The Return

10. Le Petit Poucet
11. DA・MA・SHI・絵
12. Encounter for String Orchestra
13. World Dreams

 

All Music Composed, Arranged and Produced by Joe Hisaishi

Conducted by Joe Hisaishi

Performed by
New Japan Philharmonic World Dream Orchestra
Yasushi Toyoshima (Solo Concertmaster)
Solo Piano by Joe Hisaishi (Spirited Away Suite)

Recorded at
Suntory Hall, Tokyo (August 20, 2018)
Sumida Triphony Hall, Tokyo (August 21, 2018)

Spirited Away Suite, Le petit Poucet
Original Orchestration by Joe Hisaishi
Orchestration by Chad Cannon

Recording & Mixing Engineer:Suminobu Hamada
Assistant Engineer:Takeshi Muramatsu (Octavia Records), Hiyoyuki Akita
Mixed at Bunkamura Studio
Mastering Engineer:Shigeki Fujino (UNIVERSAL MUSIC)

and more…

 

Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE III』

2018年11月21日 CD発売 OVCL-00685

 

『久石譲 presents MUSIC FUTURE III』
久石譲(指揮) フューチャー・オーケストラ

久石譲主宰Wonder Land Records × クラシックのEXTONレーベル 夢のコラボレーション第3弾!未来へ発信するシリーズ!

久石譲が“明日のために届けたい”音楽をナビゲートするコンサート・シリーズ「ミュージック・フューチャー」より、アルバム第3弾が登場。2017年のコンサートのライヴを収録した本作は、よりエッジの効いた衝撃力のある作品が選ばれています。ミニマル特有のフレーズの繰り返しや重なりが、感情を揺さぶる力となり、新たな感覚と深い衝撃を与えます。日本を代表する名手たちが揃った「フューチャー・オーケストラ」が奏でる音楽も、高い技術とアンサンブルで見事に芸術の高みへと昇華していきます。レコーディングを担当したEXTONレーベルが誇る最新技術により、非常に高い音楽性と臨場感あふれるサウンドも必聴です。「明日のための音楽」がここにあります。

ホームページ&WEBSHOP
www.octavia.co.jp

(CD帯より)

 

 

解説 松平敬

本アルバムは、『MUSIC FUTURE』と銘打ったコンサート・シリーズからのライヴ録音である。「現代音楽」を超越した「未来音楽」を目指していこうという心意気の感じられる、野心的なネーミングだ。

2014年の「Vol.1」以来、毎年継続されているこの企画において終始一貫しているのは、ミニマル音楽への強烈なまでのこだわりだ。前衛音楽を経由し、「繰り返し」という音楽の原点に立ち返ったこの作曲技法は、もはや現代音楽の古典としての地位を確立している。実際、このジャンルの第一世代であるスティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスらの名前は、いまやクラシック音楽以外のファンにも広く知られている。そして、このコンサートのプロデューサーである久石譲も、筋金入りのミニマリストである。ミニマル音楽にこそ音楽の未来への希望が詰まっており、その魅力を日本の幅広い聴衆へ伝えたい、という彼の信念が、このコンサート・シリーズ、そして本アルバム制作への原動力となっている。前述のライヒ、グラスなどのミニマル音楽の「古典」、そして彼らの精神を受け継ぎ、音楽の未来を切り拓いていこうとする、より若い世代の作曲家の作品、そして久石自身の新作という3つの核で、毎回のコンサートの選曲がなされている。

ところで、ミニマル音楽は、短い要素の繰り返しを作曲の基礎に置いていることから、ただ繰り返すだけなら演奏は簡単なのでは、と誤解されることが多い。しかし、実際は全くその逆である。例えば、ライヒの『クラッピング・ミュージック』のような小さな作品ですら、奏者の一瞬の気の緩みによって演奏全体が破綻してしまう危険を孕んでおり、その演奏には常に極度の緊張感を伴うことになるからだ。そして、そのスリルがあるからこそ、ライヴ演奏の高揚感も格別なものとなる。久石のこだわりの選曲による作品が、彼自身の指揮による、緊張感みなぎるライヴ録音で収録された点も、本アルバムの聴きどころとなるだろう。

2017年に開催された「MUSIC FUTURE Vol.4」からのライヴ録音を収めた本盤には、久石、ラング、G.プロコフィエフの3人の作品が収録されている。この三者に共通するのは、映画音楽、クラブ・ミュージックなど、ジャンルの壁を軽やかにすり抜けていく音楽性だ。多種多様な音楽を吸収してきた彼らの作品を聴き比べることによって、ミニマル音楽の多面的な魅力を楽しむことができるだろう。

 

デヴィット・ラング:
pierced

チェロ、ピアノ、パーカッションと弦楽合奏のための作品。作品全体は、続けて演奏される2つのセクションから構成されている。

ヘ短調の前半セクションを支配しているのは、ヴィブラフォン、チェロ、ピアノがユニゾンで奏でるジグザグとしたメロディーだ。この独特な造形感覚は、頻繁に跳躍する音程構造以上に、メロディーのリズム構造が鍵を握っている。例えば、各拍の分割(連符)は、2-3-2-3-4-3-2-3-4-5-4-3-2…というようにシステマティックに決定され、拍ごとに体感テンポが変化する仕掛けになっている。さらに、このリズムのいくつかの音が休符に置き換えられることで、リズム構造は、さらに入り組んだ様相を呈することになる。この特徴的なメロディーを弦楽合奏によるトレモロの持続音と、キック・ドラムとピアノの低音による不規則なリズム・パターン(これもまたシステマティックに構成されている)が支える。ちなみに、後者のリズムは後半セクションにも引き続き使用されることで、作品の統一を図る役割を果たす。

後半セクションでは、調性がイ短調に変わるだけでなく、音楽の装いも大きく変わる。ここで中心となるのは、チェロが奏でる、むせび泣くような息の長いメロディー。下行する半音によるたった2音のメロディーの繰り返しから、独特の悲哀が浮かび上がる。このシンプルさは、前半の、跳躍を多用した複雑なメロディー・ラインとのコントラストを意識したものでもあろう。ちなみにスコアには、むせび泣くニュアンスを出すために、このメロディーにグリッサンド的な処理を自由に加えることが指示されている。本録音でソリストを務める古川展生がどのように「泣いている」かは、録音でお楽しみいただきたい。後半セクションでは、これまでひたすら音楽的背景に徹していた弦楽合奏が、音楽の前面に現れる。パルスが加速するかのような同音連打の音形が、第1、第2ヴァイオリンとヴィオラの3声部で、エコーのように重なり合って演奏される。

 

ガブリエル・プロコフィエフ:
弦楽四重奏曲 第2番

彼の祖父は、ソ連の高名な作曲家セルゲイ・プロコフィエフ。『ターンテーブル協奏曲』を作曲するなど、クラブ・ミュージックからの影響が強いガブリエルであるが、祖父の疾走感溢れる音楽を思い起こせば、両者に同じ血筋が感じられるだろう。

『弦楽四重奏曲 第2番』は、クラシック音楽の王道と言えるこのジャンルにテクノ的な要素を持ち込もうとした作品である。

「極めてメカニカルに(テクノ風に)」と記された第1楽章を貫くのは、パルス状に繰り返される16分音符のリズムだ。このリズムが、はじめは間を置きながら短く提示され、それがグルーヴ感溢れる長いうねりへと盛り上がっていく展開は、まさにテクノ的。無機質な同音反復や、規則的なリズムで楽器のボディを叩くアイデアはドラム・マシンを彷彿とさせる。4分音ずれた音を重ねることで電子的なエフェクトを模倣する発想もおもしろい。

スケルツォ的な役回りを担う第2楽章では、ヴィオラがリフ的な短いフレーズを繰り返し、そこに他の楽器によるノイジーな音響が絡み合う。本楽章の基調をなすのは、8分音符で刻む規則的なリズム。要所要所で、そこに付点音符のリズムを拮抗させるアイデアが、シンプルながら効果的だ。

緩徐楽章となる第3楽章は、最も非テクノ的といえる。しかし、この楽章の要となる、気だるい3拍子のメロディーを伴奏するピッツィカートの音形には「オルゴールのネジを巻くように」と記され、やはり機械的な発想が明らかだ。

第4楽章は、ギターを掻きむしるかのような、ヴィオラのアグレッシヴなリズム・パターンで始まる。反復を基調とした要素が次々と出入りする発想こそテクノ的であるが、野性的な弦楽器の音色はむしろ民族音楽を想起させる。この楽章の最終セクションでは、第1楽章のパルス的な音楽が回帰する。はじめはゆっくりとしたテンポで、そして徐々にオリジナルのテンポへ加速する疾走感はSL機関車さながらだ。

 

久石譲:
室内交響曲 第2番《The Black Fireworks》

3つの楽章からなるこの作品を貫くのは、久石が「Single Track」と呼ぶ、単旋律を主体として楽曲全体を構成する作曲技法だ。

第1楽章は、バンドネオンとピアノ、そして弦楽器の交替によって演奏される短いメロディーの繰り返しで始まる。このメロディーが変容していく過程で、メロディーのいくつかの音が木管楽器で演奏され、単一のメロディーに少しずつ色彩感が加わっていく。ホケトゥス(「しゃっくり」の意)と呼ばれるこのアイデアによって、単旋律から複数の旋律が浮き上がって聞こえる錯覚的な効果が生まれる。

楽章中盤以降、短音ばかりで構成されていたメロディーのいくつかの音が、残響音のように長く引き伸ばされ、メロディーに和声的な彩りを加える。さらにその後、メロディーのいくつかの音がパルス状に繰り返されることで、今度は「人力エコー」が実現される。

第2楽章は、ピアノとヴィブラフォンによる、うねるようなメロディーから始まる。バンドネオンは、このメロディーのいくつかの音を引き伸ばしながら、それぞれを「結び合せ」、長くゆったりとした、そして物憂げな新しいメロディーを導き出す。冒頭のテンポ感は一見、第1楽章のそれと類似しているが、バンドネオンのゆったりとしたメロディーが浮き上がることによって、第1楽章とのキャラクターの違いが明確となり、この曲が実質的な緩徐楽章であることが示唆される。

「Tango Finale」と題された第3楽章は、単旋律を主体とした先行楽章と異なり、まさにタンゴを彷彿とさせる、弦楽器による和音の繰り返しで始まる。しかしそれは、直後に演奏されるバンドネオンのメロディーの構成音を、和音へとまとめたものであることが、明らかとなる。バンドネオンの音色と、前述した弦楽器の和音の刻み、そして、時折現れるカスタネットによる合いの手など、タンゴ的な要素が醸し出す肉感性と、ミニマル音楽特有のメカニックなグルーヴ感が融合した、独特な質感を持つ音楽となっている。本作品は、今回の初演に参加している三浦一馬のバンドネオンを想定して作曲されている。特にこの第3楽章においては、彼の流麗な演奏そのものが、楽曲の一部になっているとも言えるだろう。

「室内交響曲」と銘打ちながら、あえてシンフォニックな響きを回避したシンプルな音作りに徹しているところも興味ぶかい。全曲を通じてバンドネオンがソリスト扱いされているものの、超絶技巧をひけらかしてオーケストラと対峙するのではなく、バンドネオンのメロディーに、様々な楽器の音色が塗り絵状に重なっていくことで、オーケストラとの融合が目論まれている。このコンセプトは、「音の調和」を意味する「シンフォニー(交響曲)」の語源に回帰しているとも言えるだろう。

(まつだいら・たかし)

(解説 ~CDライナーノーツより)

 

 

フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

2014年、久石譲のかけ声によりスタートしたコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE」から誕生した室内オーケストラ。現代的なサウンドと高い技術を要するプログラミングにあわせ、日本を代表する精鋭メンバーで構成される。

”現代に書かれた優れた音楽を紹介する”という野心的なコンセプトのもと、久石譲の世界初演作のみならず、2014年の「Vol.1」ではヘンリク・グレツキやアルヴォ・ペルト、ニコ・ミューリーを、2015年の「Vol.2」ではスティーヴ・ライヒ、ジョン・アダムズ、ブライス・デスナーを、2016年の「Vol.3」ではシェーンベルク、マックス・リヒター、デヴィット・ラングを、本作に収録された「Vol.4」では、フィリップ・グラスやガブリエル・プロコフィエフの作品を演奏し、好評を博した。”新しい音楽”を体験させてくれる先鋭的な室内オーケストラである。

(CDライナーノーツより)

 

 

 

久石譲 (1950-)
室内交響曲第2番《The Black Fireworks》
~バンドネオンと室内オーケストラのための~
バンドネオンでミニマル!というアイデアが浮かんだのは去年のMFで三浦くんと会ったときだった。ただコンチェルトのようにソロ楽器とオーケストラが対峙するようなものではなく、今僕が行っているSingle Trackという方法で一体化した音楽を目指した。Single Trackは鉄道用語で単線ということですが、僕は単旋律の音楽、あるいは線の音楽という意味で使っています。

普通ミニマル・ミュージックは2つ以上のフレーズが重なったりズレたりすることで成立しますが、ここでは一つのフレーズ自体でズレや変化を表現します。その単旋律のいくつかの音が低音や高音に配置されることでまるでフーガのように別の旋律が聞こえてくる。またその単旋律のある音がエコーのように伸びる(あるいは刻む)ことで和音感を補っていますが、あくまで音の発音時は同じ音です(オクターヴの違いはありますが)。第3曲の「Tango Finale」では、初めて縦に別の音(和音)が出てきますが、これも単旋律をグループ化して一定の法則で割り出したものです。

そういえばグラスさんの《Two Pages》は究極のSingle Trackでもあります。この曲から50年を経た今、新しい現代のSingle Trackとして自作と同曲を同時に演奏することに拘ったのはそのためかもしれません。

全3曲約24分の楽曲はすべてこのSingle Trackの方法で作られています。そのため《室内交響曲第2番》というタイトルにしてはとてもインティメートな世界です。

また副題の《The Black Fireworks》は、今年の8月福島で中高校生を対象にしたサマースクール(秋元康氏プロデュース)で「曲を作ろう」という課題の中で作詞の候補としてある生徒が口にした言葉です。その少年は「白い花火の後に黒い花火が上がってかき消す」というようなことを言っていました。その言葉がずっと心に残り、光と闇、孤独と狂気、生と死など人間がいつか辿り着くであろう彼岸を連想させ、タイトルとして採用しました。その少年がいつの日かこの楽曲を聴いてくれるといいのですが。

久石譲

(「ミュージック・フューチャー vol.3」コンサート・パンフレット より)

 

Blog. 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.4」 コンサート・レポート より抜粋)

 

 

 

1曲目の『The Black Fireworks』では、オーケストラ各々の楽器が反復を奏で、それが幾重にも幾重にも重なり独自のグルーヴ感を生む。2曲目の『Passing Away in the Sky』では奥底にオリエンタルな響きを聴かせながら、突き刺さるように随所に入ってくるパーカッションが聴くものを覚醒させる。最後の『Tango Finale』では、前の2曲では最下層の音を支えてきたバンドネオンが縦横無尽に炸裂。これに併せるように各楽器の反復音が唸りを上げて暴れ出すや、ステージは美しい混沌状態となる。観客も息を呑む圧倒的な凄まじさだ。

Info. 2017/10/26 「久石譲 ミュージック・フューチャーVol.4コンサート開催」(Webニュースより) 抜粋)

 

 

 

[作品のアイデア]

「発表する場の問題はすごく大きいと思います。「MUSIC FUTURE」は、新しい、まだ誰もやってないようなことをチャレンジする、日本で聴かれない音楽を提供する場と考えています。そこで、古典的なスタイルよりは、たまたま今自分がやっているようなシングルトラックというか単旋律から組みたてる、この方法で、バンドネオンを組み込めないかというのが、最初のアイデアではありました。」(久石譲)

[作品のプロセス]

この作品、「8月の中旬まで全く手がつけられなかった」という。久石氏のことばを要約する。まず、2か月強でしあげなくてはならない。はじめは3つの楽章で、「最後はタンゴのエッセンスを入れた形に仕上げようと思った。だけど曲を書き出した段階で全く検討がつかなくなって……」2つの楽章を書いて、それぞれ異なった方法をとっているし、これで完成と考えた。すでに楽譜も送った。しかし何かが足りない。これがリハーサルの10日前。そしてこのあいだに1週間で最後の楽章を書き上げた。「これは今までにやったことがない」。

[作品について]

「ミニマル・ミュージックをベースにした曲はどうしても縦割りのカチカチカチカチしたメカニカルな曲になりやすいんです。でもなんかもっとエモーショナルでも絶対成立するんだというのがあって、それをチャレンジしたかったんですね。ミニマルなものをベースにしながらも広がりのあるものを、あるいはヒューマンなものを今回けっこう目指しました。」(久石譲)

[バンドネオンに対する固定概念]

「コンサートを終えてみて、バンドネオンという楽器に対して、自分の中で新しいものを獲得したという感覚がすごく大きい。今まで弾いてきたいろいろな曲のどれからも得られなかったものです。バンドネオンにはある種の固定概念がつきまとう。それが運命だし、どこか宿命にある楽器なんです。それをここまで強烈にバン!と影響を与えてくれる曲が今までなかったんでしょうね。ですからコンサートが終わって、何日かしても、ちょっと鼻歌で口ずさんじゃうくらい身体に入り続けているし、バンドネオンそのもので考えても、やっぱりタンゴとかそういうものとは違う奏法がやっぱり必要とされていたんだと思うんです。またミニマル・ミュージックという新しいジャンルが、僕にとってはじめて扉を開けた世界で、そこに足を踏み入れ皆さんとご一緒することができた。今度は僕が普段やってる音楽も考え方がちょっと変わってくると思うんです。バンドネオンのチラシとか、8割がた「魅惑の~」とか「情熱の~」とか「哀愁の~」とか入ります。そういうことじゃなく、フェアに楽器として考えるっていうのは常日頃から思っていることです。嬉しかったですね。」(三浦一馬)

 

Blog. 「LATINA ラティーナ 2018年1月号」 久石譲 × 三浦一馬 対談内容 より抜粋)

 

 

「結局、音楽って僕が考えるところ、やはり小学校で習ったメロディ・ハーモニー・リズム、これやっぱりベーシックに絶対必要だといつも思うんですね。ところが、あるものをきっちりと人に伝えるためには、できるだけ要素を削ってやっていくことで構成なり構造なりそれがちゃんと見える方法はないのかっていうのをずっと考えていたときに、単旋律の音楽、僕はシングル・トラック・ミュージックって呼んでるんですけれども、シングル・トラックというのは鉄道用語で単線という意味ですね。ですから、ひとつのメロディラインだけで作る音楽ができないかと、それをずっと考えてまして。ひとつのメロディラインなんですが、そのタタタタタタ、8分音符、16分音符でもいいんですけど、それがつながってるところに、ある音がいくつか低音にいきます。でそれとはまた違った音でいくつかをものすごく高いほうにいきますっていう。これを同時にやると、タタタタとひとつの線しかないんだけど、同じ音のいくつかが低音と高音にいると三声の音楽に聴こえてくる。そういうことで、もともと単旋律っていうのは一個を追っかけていけばいいわけだから、耳がどうしても単純になりますね。ところが三声部を追っかけてる錯覚が出てくると、その段階である種の重奏的な構造というのがちょっと可能になります。プラス、エコーというか残像感ですよね、それを強調する意味で発音時は同じ音なんですが、例えばドレミファだったらレの音だけがパーンと伸びる、またどっか違う箇所でソが伸びる。そうすると、その残像が自然に、元音型の音のなかの音でしかないはずなんだが、なんらかのハーモニー感を補充する。それから、もともとの音型にリズムが必ず要素としては重要なんですが、今度はその伸びた音がもとのフレーズのリズムに合わせる、あるいはそれに準じて伸びた音が刻まれる。そのことによって、よりハーモニー的なリズム感を補強すると。やってる要素はこの三つしかないんですよね。だから、どちらかというと音色重視になってきたもののやり方は逆に継承することになりますね。つまり、単旋律だから楽器の音色が変わるとか、実はシングル・トラックでは一番重要な要素になってしまうところもありますね。あの、おそらく最も重要だと僕が思っているのは、やっぱり実はバッハというのはバロックとかいろいろ言われてます、フーガとか対位法だって言われてるんですが、あの時代にハーモニーはやっぱり確立してますよね、確実に。そうすると、その後の後期ロマン派までつづく間に、最も作曲家が注力してきたことはハーモニーだったと思うんです。そのハーモニーが何が表現できたかというと人間の感情ですよね。長調・短調・明るい暗い気持ち。その感情が今度は文学に結びついてロマン派そうなってきますね。それがもう「なんじゃ、ここまで転調するんかい」みたいに行ききって行ききって、シェーンベルクの「浄夜」とか「室内交響曲」とかね、あの辺いっちゃうと「もうこれ元キーをどう特定するんだ」ぐらいなふうになってくると。そうすると、そういうものに対してアンチになったときに、もう一回対位法のようなものに戻る、ある種十二音技法もそのひとつだったのかもしれないですよね。その流れのなかでまた新たなものが出てきた。だから、長く歴史で見てると大きいうねりがあるんだなっていつも思います。」

 

(The Black Fireworksについて)

「一昨年夏にサマーセミナーみたいなものがありまして、福島でやったんですけど、震災にあわれた子供たちの夏のセミナーだったんですけどね。午前中に詞を作って午後に曲を作って一日で全員で作ろうよっていう催しだった。夏の思い出をいろいろそれぞれ挙げてくれっていった中に、一人の少年が「白い花火が上がったあとに黒い花火が上がってそれを消していく」っていう言い方をした。つまり普通は花火っていうのはパーンと上がったら消えていきますよね。あれ消えていくんじゃなくて、黒い花火が上がって消していく。うん、僕は何度もそれ質問して「えっ、それどういう意味?」って何度も聞いたんだけども「黒い花火が上がるんです」って。うん、それがすごく残ってましてね。彼には見えてるその黒い花火っていうのは、たぶん小さいときにいろいろそういう悲惨な体験した。彼の心象風景もふくめてたぶんなんかそういうものが見えるのかなあとか推察したりしたんですが、同時に生と死、それから日本でいったら東洋の考え方と言ってもいいかもしれません。死後の世界と現実の世界の差とかね。お盆だと先祖様が戻ってきてとか。そういうこう、生きるっていうのとそうじゃない死後の世界との狭間のような、なんかそんなものを想起して、もうこのタイトルしかないと思って。」

Blog. NHK FM「現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて」 番組内容 より抜粋)

 

 

 

2014年から始動した「久石譲 presents MUSIC FUTURE」コンサート。披露された作品が翌年シリーズ最新コンサートにあわせるかたちでCD化、満を持して届けられている。本作「MUSIC FUTURE III」は、コンサート・ナンバリングとしては「Vol.4」にあたる2017年開催コンサートからのライヴ録音。約500席小ホールではあるが、好奇心と挑戦挑発に満ちたプログラムを観客にぶつけ、二日間満員御礼という実績もすっかり定着している。

ライヴ録音ならではの緊張と迫真の演奏、ホール音響の臨場感と空気感をもコンパイルしたハイクオリティな録音。新しい音楽を体感してもらうこと、より多くの人へ届けること。コンサートと音源化のふたつがしっかりとシリーズ化されている、久石譲にとって今の音楽活動の大切な軸のひとつとなっている。

 

 

本作品に収録された「MUSIC FUTURE Vol.4」コンサート(2017)の、コンサート・レポートはすでに記している。初対面となった作品たち当時思うがままの感想、コンサート・パンフレットに掲載された内容、久石譲が追求する「Singe Track(単旋律)」の補足、コンサート会場の様子など。

 

 

CDリリースされた今は、この域を出ない。コンサート・パンフレット、CDライナーノーツ、雑誌インタビュー、これらによる作品解説が充実している。まずはじっくり音楽に耳を傾け、解説をゆっくりそしゃくしていくところから始めたい。これから先、新しい発見・新しい理解、思うところがしっかりと浮かびあがったときに、追記したい。

 

 

久石譲 presents MUSIC FUTURE III

デヴィット・ラング
David Lang (1957-)
1. pierced (2007) [日本初演]
 pierced

ガブリエル・プロコフィエフ
Gabriel Prokofiev (1975-)
弦楽四重奏曲 第2番 (2006)
String Quartet No.2
2. 1 Very Mechanical (alla techno)
3. 2 Allegro (freddo ma appassionato)
4. 3 fragile
5. 4 Allegro aggressivo ma sfacciato

久石譲
Joe Hisaishi (1950-)
室内交響曲 第2番《The Black Fireworks》
~バンドネオンと室内オーケストラのための~ (2017) [世界初演]
Chamber Symphony No.2
“The Black Fireworks” for Bandoneon and Chamber Orchestra
6. 1 The Black Fireworks
7. 2 Passing Away in the Sky
8. 3 Tango Finale

久石譲(指揮)
Joe Hisaishi (Conductor)
フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

古川展生(チェロ) 1.
Nobuo Furukawa (violoncello)

三浦一馬(バンドネオン) 6. – 8.
Kazuma Miura

2017年10月24、25日、東京、よみうり大手町ホールにてライヴ録音
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 24, 25 October, 2017

 

JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE III

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by Future Orchestra
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 24, 25 October, 2017

Produced by Joe Hisaishi
Recording & Mixing Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Assistant Engineer:Takeshi Muramatsu, Masashi Minakawa
Mixed at EXTON Studio, Tokyo
Mastering Engineer:Shigeki Fujino (UNIVERSAL MUSIC)
Mastered at UNIVERSAL MUSIC STUDIOS TOKYO
Cover Desing:Yusaku Fukuda

and more…

 

Disc. 久石譲 & 新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ 『Symphonic Suite Castle in the Sky』

2018年8月1日 CD発売 UMCK-1605

 

「天空の城ラピュタ」が壮大なシンフォニーに生まれ変わった。
海外でも絶賛された「ASIAN SYMPHONY」とのカップリングによる至高の作品集。

(CD帯より)

 

 

昨年、国内5都市と韓国ソウルにて開催された「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」コンサートツアーで初演された、2大作品が待望のCD化。

【1】Symphonic Suite “Castle in the Sky”(交響組曲「天空の城ラピュタ」)
宮崎駿監督作品『天空の城ラピュタ』のサウンドトラックを約30分におよぶ壮大な交響組曲として蘇らせた。「ハトと少年」「君をのせて」「大樹」など、映画を彩る名曲たちが、ラピュタの世界へ誘います。

【2】ASIAN SYMPHONY(全5楽章)
2006年に発表された「アジア組曲」をもとに再構成。新たな楽章を加え、全5楽章からなる約30分の組曲として、メロディアスなミニマル作品に生まれ変わりました。

(メーカーインフォメーションより)

 

 

アルバムに寄せて

このアルバムは2017年8月2日から16日まで国内5都市と韓国ソウル(2回公演)を巡ったコンサートツアー「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」で初演されたSymphonic Suite “Castle in the Sky”(交響組曲「天空の城ラピュタ」)とASIAN SYMPHONYを収めている。ファン待望の内容といえよう。

ところで、不思議なことがあるものだ。このところ書庫の雑物を始末しているのだが、その中に、久石譲グループが出演している西武美術館コンサート’78『現代音楽の変容』のチラシと六本木の俳優座劇場でのムクワジュ・アンサンブル・ファースト・コンサートのそれこそチラシを三つ折りしたような簡素なプログラムが混ざっていた。荒瀬順子の奏するマリンバ”ミトラ”の独特なうなり音を思い出しながら、何とはなしに横に除けておいた。そうしたら3日も経たないうちにこのCDの原稿依頼の電話を頂戴したのだった。

ファンの方はご存じだろうが、久石譲は70年代後半ミニマル・ミュージックの作曲と演奏に取り組んでいた。今は存在しない西武美術館コンサート・シリーズへの出演はその当時の記録である。そうした彼のレコード・デビューは1981年に作曲とプロデュースを手掛けたアルバム『MKWAJU』のLPであった。同年6月24日の旧俳優座劇場コンサートは、LPの発売記念を兼ねて演奏の中心メンバーであった荒瀬順子・定成庸司・高田みどりのパーカッション・トリオが「ムクワジュ・アンサンブル」の名前で催したものである。

もう40年近くも経っている。なんとも懐かしいとしか言いようがなかった。

俳優座劇場のプログラムに掲載されている久石譲の挨拶文には、「…まだ名前もついていないこのグループと僕は、新しいアンサンブルを作る事を話し合っていた。『20世紀に於ける音楽の大きな特徴はアフリカを中心としたリズムである。しかるにクラシックでは、19世紀の古びた感覚のままリズムをないがしろに…』などと話しつつ、僕はこのアンサンブルの必要性を説いた。」とあって、アフリカないしアフロ・リズムへの当時抱いていた強い関心のほどを示している。確かに、美術館コンサートの演目には『アジダ・ダンス』というガーナ音楽が含まれているし、LPのタイトルピースである”MKWAJU”(ムクワジュ)とは、アフリカ原産の常緑樹タマリンドのスワヒリ語というから、アフリカへのこだわりが良く出ている。

もうひとつ興味ぶかいのは、この挨拶文の最後の方で、LPとコンサートの音の様相との違いに触れている個所である。「レコードでは僕が今最も望んでいる音の状態として、よりポップな世界に仕上げているが、コンサートでのMKWAJU、Pluse In My Mindは、昨年最初に作曲した段階でのオリジナルコンセプトをそのまま例示する形で演奏される事になる。どうか聞き比べてみてください。」とある。たしかにLPでは、上記のトリオ以外にペッカーのラテン・パーカッションや久石自身のキーボード、さらには当時YMOのコンピュータ・プログラマーを務めていた松武秀樹も参加しており、ポップな感覚での処理が際立っている。このポップな世界への急接近がこのアルバムであったことは間違いない。

この美術館コンサートのチラシとムクワジュ・アンサンブル・ファースト・コンサートのプログラムを手にしながら、今回のアルバムを聴いて、いろいろと感ずるところがあった。なかでも、確かなことは、”MKWAJU”以降の転身先であるポップス界に於いて大きく青々と枝葉を広げた久石譲の存在感の大きさである。それと同時に、彼が自分の音楽的出自にしっかりと根を張って、いわばミニマル・ミュージックを自分にとっての飛行石のような大事な宝ものとして抱きかかえている姿であった。

重ねていえば、樹高20メートルに達するという常緑高樹ムクワジュは、ラピュタの大樹を思わせるが、同時に音楽家としての久石譲そのものにも思われた次第である。

 

Symphonic Suite “Castle in the Sky”
(交響組曲「天空の城ラピュタ」)

1960年代から70年代初めのアメリカでは、人種問題の複雑化、ベトナム戦争の泥沼化、公害問題の深刻化など、行き詰まりを見せる社会の支配文化に敵対し、反逆するカウンター・カルチャーの波が起こった。相似た状況は日本にもあったわけだが、全般的には支配体制への反逆、抵抗、異議申し立て、社会的逸脱から生み出された思想、価値観、ライフスタイルは、未来への展望を生み出すことはなかった。

しかし「科学がまだ人を不幸にするとは決まっていないころ、そこではまだ世界の主人公は人間だった」という人間に対する、あるいは人間を含む生命ある世界そのものの価値や意義を前提とする宮崎駿の冒険物語は、時代批判と過去への反省を込めながら、次世代のあるべき姿や心に描くべき夢を語っている。

1986年に公開されたスタジオジブリ作品、監督宮崎駿、音楽久石譲の映画『天空の城ラピュタ』は、まさしく方便でない正義、遊びでない愛、通貨に換算されぬ宝、そして発見の驚きや新しい出会いを、あるいは希望を熱く語り、自己犠牲や献身をとおして絆を深めてゆく冒険物語であり、久石譲の音楽も、古典的な骨格を備えてとてもシンフォニックなものである。てらいなく朗々と、あるいは心に染むように情緒深く、さらには軽やかに伸びやかに、そして堂々と要所要所で、映像とコラボレートする見事なものである。

映画のサントラ盤は同年8月に挿入歌「君をのせて」を含めたLPが、9月にCDが発売された。この好評を受けて、全8曲をシンフォニー化した「天空の城ラピュタ シンフォニー編 ~大樹~」のLPが同年12月に、翌年1月にはCDが発売された。さらに映画『天空の城ラピュタ』の評価は国際的なものとなり、2002年10月には北米での英語吹替版に合わせたニュー・サントラアルバム「Castle in the Sky ~天空の城ラピュタ・USAヴァージョン・サウンドトラック~」が発売された。

このSymphonic Suite “Castle in the Sky”(交響組曲「天空の城ラピュタ」)は、Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015(交響詩「風の谷のナウシカ」)、Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE(交響組曲「もののけ姫」)に続くスタジオジブリ交響作品化プロジェクトの第3弾に当たるもので、前述の3つのスコアを参照したうえで、構成されており、以下のような展開となっている。

01. Doves and the Boy ~ The Girl Who Fell from the Sky / ハトと少年~空から降ってきた少女
シンフォニー編のプロローグ。パズーの毎朝の日課はトランペットで「朝の曲」を奏でてからハトにパンくずをあげること。このトランペットから組曲は始まる。物語の中では、シータがパズーに助けられた翌朝、トランペットの音で彼女が穏やかに目覚めるシーンで奏でられる。「空から降ってきた少女」はいうまでもなくメインテーマである。

02. A Street Brawl ~ The Chase ~ Floating with the Crystal / 愉快なケンカ~追跡~飛行石
パズーが暮らすスラッグ渓谷の住民とドーラ一家のケンカとトロッコ列車を舞台にしたドーラ一家とシータたちの追いかけっこ。シンフォニー編の「大活劇」。アメリカ版のA Street BrawlとThe Chase。そして飛行石に救われるパズーとシータ。

03. Memories of Gondoa / ゴンドアの思い出
シンフォニー編では「母に抱かれて」のサブ・タイトルがある。物語の最後の方、シータがムスカに追い詰められて玉座の間で言ったセリフと「ゴンドアの谷の歌」が科学力を極めたラピュタが滅亡した理由を物語っている。

04. The Crisis ~ Disheartened Pazu / 危機~失意のパズー
サントラ盤の「ゴンドアの思い出」、ラスト部分。迫り来る危機。ムスカに囚われたパズーはラピュタの探索を諦めるようシータに言われて失意の中、要塞を去っていく。アメリカ版のDisheartened Pazu。

05. Robot Soldier ~ Resurrection – Rescue ~ / ロボット兵(復活~救出)
アメリカ版のRobot Soldier ~Resurrection – Rescue~。ラピュタ人が作った「兵器」だが、あくまで「自分を持たない忠実で無垢な存在」。

06. Gran’ma Dola
シンフォニー編。欲望を隠すことなく、またなりふり構わず突き進む魅力的な悪人である空中海賊ドーラ一家のバアさま。物語の後半ではパズーとドーラは一族の母艦であるタイガーモス号の乗員となる。

07. The Castle of Time / 時間(とき)の城
サントラ盤の「天空の城ラピュタ」の後半部。

08. Innocent
「空から降ってきた少女」のピアノ独奏版である「Innocent」をほぼ使用している。作曲家自身のとてもしっとりとした演奏が味わえる。

09. The Eternal Tree of Life / 大樹
アメリカ版のThe Eternal Tree of Lifeのオーケストレーションを採用している。いうまでもなくラピュタの庭園の大樹。ラピュタを浮上させていた飛行石の巨大な結晶体はこの大樹の根に囲まれており、シータとパズーの唱えた滅びの言葉「バルス」によって城は崩壊するが、大樹とその大樹に支えられて残った城の上層部はさらに高度へと上昇しながら飛び去って行く。

 

 

ASIAN SYMPHONY

ミニマル・ミュージックの誕生は、いずれも1930年代後半生まれのラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラスなどのアメリカの作曲家たちに帰せられる。伝統を背負ったヨーロッパでなくアメリカの民俗音楽研究やサブ・カルチャーに出自をもつ音楽家たちであったことが重要である。

日本におけるミニマル・ミュージックの受容は、1968年の第2回「オーケストラル・スペース」でライヒの『ピアノ・フェイズ』、1970年の大阪万博鉄鋼館でのライリーの『イン・C』の演奏紹介に始まるが、1977年にはライリーが初来日し、狭山湖のユネスコ村で真夜中の2時ころから明け方まで、電子オルガンで長大なドローンに載せた即興演奏を繰り広げた。注)久石も当時その会場で聴いていた。

少なくともそれまでの現代音楽に聴くことのできなかった単調な音型やリズム・パルスの反復と心地よいハーモニーの同居。それはそれは新鮮に聴こえたものであった。創作の上でのミニマル・ミュージックの日本的受容も70年代には顕著なものとなっていた。

もちろん『ピアノ・フェイズ』を最初に紹介した一柳慧(1933~)の『ピアノ・メディア』(1972)のような、年長組の例もあるが主体は、本場の創始者たちのちょうど一回り下の、戦後生まれの1940年代後半から50年代前半の世代にあった。ロック世代でもあるし、アフリカ開放をうたうミンガスやローチの思想的ジャズの流行に心躍らせたりした世代でもあるし、ちょうど日本における民族音楽のフィールドワーク研究成果が盛んに紹介されるようになった時期に出合った世代でもある。

それぞれ背景も作風も目指した方向も異なったが『リタニア』(1973)の佐藤聰明(1947~)、『線の音楽』(1973)の近藤譲(1947~)、『ムクワジュ』(1981)の久石譲(1950~)、『ケチャ』(1979)の西村朗(1953~)等々、いずれも国際的な評価を受ける日本の代表的作曲家となったことは、嬉しいことである。

この久石譲の新作ASIAN SYMPHONYのベースとなっているのはソロ・アルバムの「Asian X.T.C.」(2006年発売)の収録曲である。このアルバムはメロディアスな前半6曲を陽side(Pop side)とし、ミニマル色を強く打ち出した後半4曲を陰side(Minimal side)に分けている。この後半に収録されていたアンサンブル編成の4曲は、その後フルオーケストラ編成に拡大されて2006年から2007年のアジアツアーにおいて「Asia組曲」として披露された。このASIAN SYMPHONYは新たに1曲(映画『花戦さ』の赦しのモティーフ)を加え、配列も新たに整えて全5楽章構成の交響曲として完結させたものである。なかでも1・4・5楽章は、リズム操作とオーケストレーションとで聴きごたえある作品となっている。

石田一志(音楽評論家)
2018年6月16日

(アルバムに寄せて ~CDライナーノーツより)

 

*CDライナーノーツ 英文併記

 

 

CDライナーノーツで紹介された1978年当時のコンサートチラシ (参考資料として)

 

 

 

久石譲コメント

最後に「天空の城ラピュタ」について。先日高畑勲監督と『かぐや姫の物語』の上映前にトークイベントをおこなったのですが、このラピュタについての話題がもっとも長かった。それだけ思い入れがあったわけです。考えてみれば宮崎監督、高畑勲プロデューサーという両巨匠に挟まれてナウシカ、ラピュタを作っていたわけですから、今考えれば恐ろしいことです。

今回すべてのラピュタに関する楽曲を聴き直し、スコアももう一度見直して、交響組曲にふさわしい楽曲を選んで構成しました。約28分の組曲ができました。

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」 コンサート・レポート より)

 

 

「主題歌を作るときに宮崎監督からいただいた詩がありました。ただちょっと文章(の文字量)が足りなかったりして、それを高畑さんと2人で、メロディーにはめていく作業を何日もやりました。ですから今、世界中の人に歌ってもらっている『君をのせて』という曲は、宮崎さんと僕と、実は高畑さんがいなかったら完成しなかった曲です」

Info. 2018/05/15 「高畑勲 お別れの会」三鷹の森ジブリ美術館で開かれる より)

 

 

2018年5月開催「JOE HISAISHI IN CONCERT」にて香港初演。以下久石譲コメント。

Castle in the Sky は1986年に製作された映画で宮崎さんとのコラボレーションは2回目の作品です。プロデューサーは「ナウシカ」に続いて高畑勳氏でした。考えてみれば両巨匠に挟まれて作っていたわけですから、今考えれば大変恐ろしいことです(笑)。

主題歌の「君をのせて」は多くの人々に歌われ、親しまれ作曲者としては嬉しい限りです。31年後の2017年、僕と新日本フィルハーモニーが主催 する World Dream Orchestra のコンサートのために交響組曲として再構成しました。

その際にすべての楽曲を聴き直し、スコアももう一度見直しました。原作の持つ夢への挑戦と冒険活劇的な要素を活かしたとても楽しい約28分の組曲ができました。

曲目解説:久石 譲

(JOE HISAISHI IN CONCERT コンサート・パンフレット より)

 

 

ASIAN SYMPHONY 軌跡

2006年5月10日開催「「名曲の旅・世界遺産コンサート」〜伝えよう地球の宝〜」のために書き下ろされ、同コンサートにて「Asian Crisis」がオーケストラ作品(二管編成)として初演。

2006年8月10日開催「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ サイコ・ホラーナイト 一日だけのスペシャルコンサート 真夏の夜の悪夢」においても演奏され、三管編成へと再構築されている。

2006年10月4日発売オリジナル・ソロアルバム『Asian X.T.C.』では、「Asian Crisis」他アジアをテーマとした楽曲が多数収録される。編成はバラネスク・カルテットやパーカッションなどによるアンサンブル構成。

同アルバム収録曲から選ばれたアジアン・ミニマル楽曲、2006年からの「アジアツアー2006」を経て、2007年3月5日開催「アジアオーケストラツアーファイナルコンサート」まで、オーケストラ作品として披露された4曲「Dawn of Asia」「Hurly-Burly」「Monkey Forest」「Asian Crisis」を総称して《アジア組曲》と呼ばれている。(=久石譲自身がそう名付けている)

 

 

「タイトルは『Asian Crisis』。この楽曲を作曲していた久石は実に楽しんで作曲していた。不協和音ギリギリの官能的な楽曲に細かい作業が続き、体力の限界にもかかわらず、終始笑顔が絶えなかった。去年は、「『D.E.A.D.』、今年はこれが出来たからもういいや」という声が出るくらい出来上がりに満足していた。「6分前後だけど、本当は12分前後の曲だな」とも言っていた。~(略)~”危機(Crisis)の中の希望”と久石がいっていた通り、核心に迫るような、官能的なイメージが頭をよぎる。」

(名曲の旅・世界遺産コンサート レポートより ファンクラブ会報 JOE CLUB 2006.6)

 

 

「今回、このコンサートのために新曲を書き下ろしたのは、今、作家として自分が書かなくてはいけないと思っていたテーマと、このコンサートの企画意図が同じだと感じたからなんです。実はこの夏、アジアをテーマにしたアルバムを作るつもりなんですよ。ここ数年、韓国映画や香港映画の音楽を担当する機会に恵まれ、”アジア”という地域の存在が、自分の中で大きくなってきた。ちょうど「自分もアジア人の一人なんだ」という意識が高まっていたときだったんですね。お話をいただいたときも、まさに中国で映画の仕事をしていたんです。そのために今回の新曲にかけられる時間は実質10日間だったのですが、基本テーマが非常に明確だったために、とても満足できる作品になりました。「Asian Crisis」は、”危機”とは言え、未来への希望につながる楽曲になったらいいなと思って書きました。世界遺産を守ることは大切ですが、危機にあるからといって人間の立ち入りを禁じるだけでは意味がない。人類の遺産は時間の流れととも変わるものだから、両者が共存していくことが本来のあり方だと思うんです。アジアには危機にひんした世界遺産が多くあるという認識を持ったうえで、厳しさの中にある”希望”のようなものを感じ取ってもらえたらうれしいなと思います。」

(NHKウィークリーステラ 2006年5/27~6/2号より)

 

 

2007/3/5 東京・サントリーホール with 新日本フィルハーモニー交響楽団

「ピアノソロコーナーの後はアルバム『Asian X.T.C』の中から。「Dawn of Asia」、続いて「Hurly-Burly」「Monkey Forest」と、勢いのある3曲が続きました。駆け上がるようなフレーズがたたみかけるように続くのが特徴的なこの「Dawn of Asia」、実はリハーサルで最も時間を割いた曲なのです。続いての「Hurly-Burly」は遊び心満載な楽曲です。オリジナルはサクソフォーンが印象的でしたが、オーケストラバージョンも更に力強く、題名のとおり大騒ぎを物語る作品になりました。弦楽器だけという編成で演奏された「Monkey Forest」、テンポも速いし、複雑なリズム。他の楽曲にも増してしっかりと指揮をしなくては、と、久石は本番前に構えていました。「Asian Crisis」、後半に行くにつれての緊張感は圧巻でしたね。」

(久石譲 アジアオーケストラツアー ファイナルコンサート レポートより ファンクラブ会報 JOE CLUB 2007.6)

 

 

久石譲コメント

「ASIAN SYMPHONY」は2006年におこなったアジアツアーのときに初演した「アジア組曲」をもとに再構成したものです。新たに2017年公開の映画『花戦さ』のために書いた楽曲を加えて、全5楽章からなる約28分の作品になりました。一言でいうと「メロディアスなミニマル」ということになります。作曲時の上昇カーブを描くアジアのエネルギーへの憧れとロマンは、今回のリコンポーズで多少シリアスな現実として生まれ変わりました。その辺りは意図的ではないのですが、リアルな社会とリンクしています。

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」 コンサート・レポート より)

 

 

 

本作に収録された2大作品のレビューは、コンサート・レポートに瞬間を封じ込め記した。

 

 

 

本作は、初演されたコンサートからのライヴ・レコーディングではなく、CD化のために改めてセッション・レコーディングが行われている。コンサートを経てスコアに修正が施された箇所もある。臨場感と緻密な音づくりを極めたクオリティ、圧巻と貫禄のパフォーマンス、作品完成度を追い求めここに極めた渾身のCD作品化。満を持して世に送り届けられる。

 

 

 

久石譲 & 新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ
交響組曲「天空の城ラピュタ」

Joe Hisaishi & New Japan Philharmonic World Dream Orchestra
Symphonic Suite Castle in the Sky

Symphonic Suite “Castle in the Sky”
01. Doves and the Boy ~ The Girl Who Fell from the Sky
02. A Street Brawl ~ The Chase ~ Floating with the Crystal
03. Memories of Gondoa
04. The Crisis ~ Disheartened Pazu
05. Robot Soldier ~ Resurrection – Rescue ~
06. Gran’ma Dola
07. The Castle of Time
08. Innocent
09. The Eternal Tree of Life

ASIAN SYMPHONY
10. I. Dawn of Asia
11. II. Hurly-Burly
12. III. Monkey Forest
13. IV. Absolution
14. V. Asian Crisis

 

All Music Composed, Arranged and Produced by Joe Hisaishi

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by New Japan Philharmonic World Dream Orchestra, Yasushi Toyoshima (Concertmaster)
Solo Piano by Joe Hisaishi (Track-08)

Recorded at Sumida Triphony Hall, Tokyo (April 6th, 2018)

Symphonic Suite “Castle in the Sky”
Original Orchestration by Joe Hisaishi
Orchestration by Chad Cannon, Joe Hisaishi

Recording & Mixing Engineer:Suminobu Hamada (Sound Inn)
Assistant Engineer:Hiroyuki Akita
Mixed at Bunkamura Studio
Mastering Engineer:Shigeki Fujino (UNIVERSAL MUSIC)

and more…

 

Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE II』

2017年11月22日 CD発売 OVCL-00640

 

『久石譲 presents MUSIC FUTURE II』
久石譲(指揮) フューチャー・オーケストラ

久石譲主宰Wonder Land Records × クラシックのEXTONレーベル夢のコラボレーション第2弾!未来へ発信するシリーズ!

久石譲が“明日のために届けたい”音楽をナビゲートするコンサート・シリーズ「ミュージック・フューチャー」より、アルバム第2弾が登場。

2016年のコンサートのライヴ・レコーディングから、選りすぐりの音源を収録した本作には、“現代の音楽”の古典とされるシェーンベルクの《室内交響曲第1番》に加え、アメリカン・ミニマル・ミュージックのパイオニアであるライヒの人気作《シティ・ライフ》、そして久石譲の世界初演作《2 Pieces》が並びます。新旧のコントラストを体感できるラインナップと、斬新なサウンド。妖・快・楽──すべての要素が注ぎこまれた究極の音楽を味わえる一枚です。

日本を代表する名手たちが揃った「フューチャー・オーケストラ」が奏でる音楽も、高い技術とアンサンブルで見事に芸術の高みへと昇華していきます。レコーディングを担当したEXTONレーベルが誇る最新技術により、非常に高い音楽性と臨場感あふれるサウンドも必聴です。

「明日のための音楽」がここにあります。

ホームページ&WEBSHOP
www.octavia.co.jp

(CD帯より)

 

 

解説 小沼純一

2016年におこなわれた「MUSIC FUTURE」、久石譲が始めたこのシリーズ、第3回目のコンサートで演奏された3作品を収録したのがこのアルバムとなります。初回が2014年で、「Vol.1」はヨーロッパの作品を、「Vol.2」ではアメリカ合衆国の作品を、そして今回、「Vol.3」ではヨーロッパの20世紀音楽の「古典」と、20世紀の終わりから21世紀現在のアメリカ、そして久石譲の作品をプログラムしています。

「MUSIC FUTURE」では、コンサート・ステージにはなかなかのらない「現代」の作品がプログラムされています。もしかしたら動画サイトなどで聴くことができる音楽もあるでしょう。でも、たくさんの音源がならんでいるなかから、ひとつの楽曲を選び、聴く、ことは容易ではありません。いえ、聴くことはできるでしょうが、何らかの見取り図のなかで聴いてみる、ある歴史性のなかで聴いてみる、というのはコンサートだからできる、コンサートという90分から2時間の「枠」のなか、誰かコーディネイトをする人がいてこそ、単独の楽曲がランダムにならぶだけではない、立体的な構成ができることではないでしょうか。そして、演奏する人たちの表情、姿、しぐさ、ナマでむこうやこっちからやってくる音とともに、そばにいる人たちが感じているもの、反応が、空気を媒介にして肌に届いてくる、そんななかで「聴く」ことが新しい体験になる。「MUSIC FUTURE」にはそんな意図があるようにおもえます。そして、ただコンサートで終わるだけではなく、ひとつの記録としてのCDアルバムができ、そういえばこの前のコンサートでおもしろかったあの曲を、とホールで手にとることができ、自宅で聴くことができれば、どうでしょう。コンサートでとはまた異なった体験が得られるかもしれないし、はじめてではわからなかったことに気づけるかもしれません。コンサートがあり、録音がある、とは、こうした体験の輻輳化が可能になることです。

アルバムでは、「Vol.3」のコンサート当日に演奏された5作品のなかから、3曲を収録しています。演奏された楽曲の数と、CDでの録音の数とは、「Vol.2」とおなじです。

ちょっと耳にすると小難しい、とりとめがない、そんな「現代音楽」を最初につくったといわれているひとり、シェーンベルク(1874-1951)の初期の作品から、21世紀も10年代になって発表された久石譲(1950-)の新作、最後に、20世紀もすぐ終わりといった時期のライヒ(1936-)の作品へ。

小難しい、とりとめのなか、そんな「現代音楽」という言い方をしました。でも、このアルバムに収められているシェーンベルクの作品は、そうした小難しさやとりとめのなさはありません。そんなふうになる「以前」の作品なのです。そして、その意味では、ほぼ110年の広がりを持つヨーロッパ・アメリカ合衆国・日本で生まれた作品ではありますけれど、ひとつの調性システム、ドレミファを基本に据えた音楽のさまざまなかたち、ということができるでしょう。「現代音楽」と呼ばれながらも、その広がりもまたかなりある。そんなことがこのコンサート、アルバムから知ることができるのです。

 

シェーンベルク:
室内交響曲第1番 ホ長調 作品9

「室内楽」ということばがあります。「交響曲」ということばもあります。その両方がくっついたような「室内交響曲」がここにあります。それほど多くはありませんが、いまでは「室内オーケストラ(管弦楽団)」もあります。ところが、20世紀になるまで、このフォーマットの作品はなかったのです。いえ、ダンスの音楽やソングの伴奏などにはあったのです。しかし、シリアスな作品がならぶコンサートではありませんでした。シェーンベルクは「室内交響曲」を2曲つくっていますが、これはその「第1番」で、その意味では世界ではじめて「室内楽」としてはちょっと大きい、「オーケストラ」としてはかなり小さい楽器編成で、代替のきかない音楽作品を生みだしたのです。「MUSIC FUTURE」は、(1管編成の)室内オーケストラに拘ったプログラミングをしてきていますから、そうした室内オーケストラの原点といえるシェーンベルク《室内交響曲第1番》をとりあげているのはひじょうに意味があります。

編成はピッコロ/フルート、オーボエ、コーラングレ、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン2、弦楽四重奏(ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ)、コントラバスの15人。ただ人数が少ない、というだけではありません。それぞれの演奏家はアンサンブルの一員であるとともに、ソリストとしての責任を課されています。そこも新しいところです。そして、作曲者自身というところの音色旋律(Klangfarbenmelodie)を用いて、通常のメロディーとは違った、音色の変化そのものがメロディーとして認識されるといった手法が用いられています。シェーンベルクがここまで試してきたさまざまな作曲上の技法が、ここでは綜合されている、とみる人もいます。

全体はひとつの楽章からなっていますけれども、提示—スケルツォ—展開—アダージョ—終曲の5つの部分からなっています。いわば、1楽章のソナタのかたちと多楽章のかたちとをひとつに集約したとみられ、モデルとしてはフランツ・リストの《ピアノ・ソナタ》を挙げられます。

作曲は1906年。翌1907年にウィーンで作曲者自身の指揮で初演。1913年にも自身が指揮し、そのときは弟子のアントン・ヴェーベルン《6つのバガテル》とアルバン・ベルク《アルテンベルク歌曲集》の一部もプログラムにあって、一種のスキャンダルになりました。またアメリカ合衆国に亡命後、1935年にはより大きな編成のオーケストラに改変、「作品9-b」としてロスアンジェルスで演奏しています。

 

久石譲:
2 Pieces for Strange Ensemble

「MUSIC FUTURE Vol.3」、2016年10月に初演された作品です。タイトルをみると、それだけで「?」となるかもしれません。「Strange Ensemble」って何だろう?と。2つの対照的な楽曲がならびます。はじめは休止のはいり方、音のなくなり方で、ちょっとどきっとします。休止符は、そう、ときに、とても聴き手を驚かせるものなのです。〈Fast Moving Opposition〉は、まさにそうした休止を、反復音型のあいまになげこむことで、「聴き始め」のショックを与えます。そこからふつうのリズム・パターンになりますが、すると逆に、変化のないパターンに足で1拍1拍をとりながら、べつの音型の出現や休止、音色の変化などに上半身で反応してゆく、といったふうになります。〈Fisherman’s Wives and Golden Ratio〉は、画家サルバドール・ダリの作品からタイトルをとっていて、しかも、曲そのものとはつながりがない、と久石譲はプログラムノートに記していました。ここでは複数のリズムと、楽器「以外」の音色とがないまぜになります。ある意味、先のシェーンベルク《室内交響曲第1番》での音色旋律を現代風に踏襲しているといえるかもしれません。

 

スティーヴ・ライヒ:
シティ・ライフ

1936年生まれのスティーヴ・ライヒは、ここであらためて紹介するまでもなく、現代アメリカ合衆国を代表する作曲家というだけでなく、1960年代に生まれた「ミニマル・ミュージック」の創始者のひとりです。振り子が行ったり来たりするなかでスピーカーがハウリングをおこす作品や、2人のピアニストがおなじ音型を反復しながら少しずつずれてゆく作品といった、ひじょうにラディカルな「ミニマリズム」から、ほぼ50年、その音楽は、反復性を基本としながらも、大きく変化してきました。そして《シティ・ライフ》は、狭義の「ミニマル・ミュージック」では測りきれない独自性をもった作品です。

タイトルどおり、この作品は、都市での生活がテーマになっています。作曲者自身が住むニューヨークの街の音、環境音がサンプリングされ、作品のなかでひびきます。ピアノやマリンバといった楽器によるリズムは人びとの歩いたり生活したりするリズムを、管楽器や弦楽器による持続音はビル街の存在感や活気のある街の空気を、そしてサンプリングされた音は、楽器音のなかにより具体的な都市間をつくりだす──そんなふうにみることもできるでしょう。でもそうだとしたら、サンプリングされた都市の音はただの素材にすぎません。それだけではなく、ここにあるのは、聴く人が、コンサートホールで演奏を聴いたり、自室のステレオで録音を聴いたりという環境と、一歩外にでて街のなかを歩くことがパラレルになっている、その二重三重の、いわばヴァーチャルな音環境が「作品」化されているところになります。《シティ・ライフ》は心地良い音楽です。他方、こういう環境があたりまえで、かつ心地良いというのはどういうことなのか、人が生きている、生活しているときにかかわる音や音楽はどうあったらいいのか、そんなことも作品は問い掛けてきます。つまりは、カナダの作曲家、マリー.R.シェーファーが提起した、「サウンドスケープ」という概念を、音楽作品をとおして、喚起している──そんなふうに言ったら、うがちすぎでしょうか。

1995年、3つの国の現代音楽アンサンブル(ドイツのアンサンブル・モデルン、イギリスのロンドン・シンフォニエッタ、フランスのアンサンブル・アンテルコンタンポラン)からの共同委嘱により作曲。全体は5つの部分からなります。奇数の楽章には声のはいったサンプリングが用いられるのも特徴です。

編成はフルート2、オーボエ2、クラリネット2、ピアノ2、サンプリング・キーボード2、パーカッション3または4、弦楽四重奏、コントラバス、です。

(こぬま・じゅんいち)

(「MUSIC FUTURE II」CDライナーノーツ より)

 

 

~「MUSIC FUTURE Vol.3」コンサートプログラムより

挨拶 久石譲

今年で3回めを迎えることができて、主催者として大変うれしい限りです。本来インディーズとして小さな集いでしか発表できない現代の楽曲をこの規模で行えることは、評論家の小沼純一さん曰く「世界でもあり得ないこと」なのだそうです。徐々に皆さんからの支持をいただいていることは、多くの優れた演奏家から出演してもいいという話をいただくことからも伺えます。新しい体験が出来るこの「MUSIC FUTURE」をできるかぎり継続していくつもりです。

自作について

《2 Pieces for Strange Ensemble》はこのコンサートのために書いた楽曲です。当初は「室内交響曲第2番」を作曲する予定でしたが、この夏に《The East Land Symphony》という45分を超す大作を作曲(作る予定ではなかった)したばかりなので、さすがに交響曲をもう一つ作るのは難しく、それなら誰もやっていない変わった編成で変わった曲を作ろうというのが始まりでした。

ミニマル的な楽曲の命はそのベースになるモチーフ(フレーズ)です。それをずらしたり、削ったり増やしたりするわけですが、今回はできるだけそういう手法をとらずに成立させたい、そんな野望を抱いたのですが、結果としてまだ完全に脱却できたわけではありません、残念ながら。発展途上、まだまだしなくてはいけないことがたくさんあります。

とはいえ、ベースになるモチーフの重要性は変わりありません。例えばベートーヴェンの交響曲第5番「運命」でも第7番でも第9番の第4楽章でも誰でもすぐ覚えられるほどキャッチーなフレーズです。ただ深刻ぶるのではなく、高邁な理念と下世話さが同居することこそが観客との唯一の架け橋です。

ベートーヴェンを例に出すなどおこがましいのですが、今回の第1曲はヘ短調の分散和音でできており、第2曲は嬰ヘ短調(日本語にすると本当に難しそうになってしまう、誰か現代語で音楽用語を作り替えてほしい)でできるだけシンプルに作りました。しかし、素材がシンプルな分、実は展開は難しい。どこまでいっても短三和音の響きは変わりなくさまざまな変化を試みるのですが、思ったほどの効果は出ない。ミニマルの本質はくり返すのではなく、同じように聞こえながら微妙に変化していくことです。大量の不協和音をぶち込む方がよっぽど楽なのです。その壁は沈黙、つまり継続と断絶によって何とか解決したのですが、それと同じくらい重要だったのはサウンドです。クラシカルな均衡よりもロックのような、例えればニューヨークのSOHOでセッションしているようなワイルドなサウンド(今回のディレクターでもあるK氏の発言)を目指した、いや結果的になりました。

大きなコンセプトとしては、第1曲は音と沈黙、躍動と静止などの対比、第2曲目は全体が黄金比率1対1.618(5対8)の時間配分で構成されています。つまりだんだん増殖していき(簡単にいうと盛り上がる)黄金比率ポイントからゆっくり静かになっていきます。黄金比率はあくまで視覚の中での均整の取れたフォームなのですが、時間軸の上でその均整は保たれるかの実験です。

というわけで、いつも通り締切を過ぎ(それすらあったのかどうか?)リハーサルの3日前に完成? という際どいタイミングになり、演奏者の方々には多大な迷惑をかけました。額に険しいしわがよっていなければいいのですが。

1.〈Fast Moving Opposition〉は直訳すれば「素早く動いている対比」ということになり、2.〈Fisherman’s Wives and Golden Ratio〉は「漁師の妻たちと黄金比」という何とも意味不明な内容です。

これはサルバドール・ダリの絵画展からインスピレーションを得てつけたタイトルですが、すでに楽曲の制作は始まっていて、絵画自体から直接触発されたものではありません。ですが、制作の過程でダリの「素早く動いている静物」「カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽」が絶えず視界の片隅にあり、何かしらの影響があったことは間違いありません。ただし、前者の絵画が黄金比でできているのに対し、今回の楽曲作りでは後者にそのコンセプトは移しています。この辺りが作曲の微妙なところです。

日頃籠りがちの生活をしていますが、こうして絵画展などに出かけると思わぬ刺激に出会えます。寺山修司的にいうと「譜面(書)を捨てて街に出よう」ですかね(笑)

いろいろ書きましたが、理屈抜きに楽しんでいただけると幸いです。

(ひさいし・じょう)

(「MUSIC FUTURE II」CDライナーノーツ より)

 

 

フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

2014年、久石譲のかけ声によりスタートしたコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE」から誕生した室内オーケストラ。現代的なサウンドと高い技術を要するプログラミングにあわせ、日本を代表する精鋭メンバーで構成される。”現代に書かれた優れた音楽を紹介する”という野心的なコンセプトのもと、久石譲の世界初演作のみならず、2014年の「Vol.1」ではヘンリク・グレツキやアルヴォ・ペルト、ニコ・ミューリーを、2015年の「Vol.2」ではスティーヴ・ライヒ、ジョン・アダムズ、ブライス・デスナーを、2016年の「Vol.3」ではシェーンベルクのほか、マックス・リヒターやデヴィット・ラング等の作品を演奏し、好評を博した。”新しい音楽”を体験させてくれる先鋭的な室内オーケストラである。

(CDライナーノーツ より)

 

 

 

久石譲:2 Pieces for Strange Ensembleについて

編成は、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ヴィブラフォン、パーカッション、ドラムス、ピアノ 2、サンプリング・キーボード、弦楽四重奏 チェロ、コントラバス、だったと思います。こちらもスティーヴ・ライヒ作品にもあったような、アコースティック楽器(アナログ)とサンプラー(デジタル)の見事な融合で、至福の音空間でした。デジタル音は低音ベースや低音パーカッションで効果的に使われていたように思います。一見水と油のような特徴をもったそれらが、よくうまく溶け合った響きになるものだと感嘆しきりでした。CDならば、ミックス編集などでバランスは取りやすいかもですが、コンサート・パフォーマンスで聴けたことはとても貴重でした。

例えば、ピアノを2台配置することで、ミニマル・フレーズをずらして演奏している箇所があります。ディレイ(エコー・こだま)効果のような響きになるのですが、CDだと、コンピューターで編集すれば、ピアノ1の音色をそのまま複製して加工すればいい、などと思うかもしれません(もちろん割り振られたフレーズが完全一致ではないとは思いますが)。そういうことを、アコースティック・ピアノ2台を置いて、互いに均一の音幅と音量で丁寧にパフォーマンスしていたところ、それを直に見聴きできたことも観客としてはうれしい限りです。

1.「Fast Moving Opposition」は、前半12拍子と8拍子の交互で進みます。これも指揮者を見る機会じゃないとおそらく聴いただけではわかりません。この変拍子によって久石譲解説にもあった今回の挑戦である「音と沈黙、躍動と静止、継続と断絶」という構成をつくりだしているように思います。中盤からドラムス・パーカッションが加わり、4拍子独特のグルーヴ感をもって展開していきます。

2.「Fisherman’s Wives and Golden Ratio」は、こちらも指揮者を見ても拍子がわからない変拍子でした。「黄金比率の時間配分で構成」についてはまったくわかりませんでした、難しい。管楽器奏者が口にマウスピースのみを加えて演奏するパートもありました。声なのか音なのか、とても不思議な世界観の演出になります。

言うなれば、贅沢な公開コレーディングに立ち会っている感覚すら覚えたほどです。アコースティック楽器とデジタル楽器、スタジオ・レコーディングならば、1パートずつ録音していくようなそれを、一発勝負で響かせて最高のテイクを奏でるプロたち。スコアを視覚的に見て取るように「あ、今のこの音はこの楽器か」とわかるところも含めて、贅沢な公開レコーディングに遭遇したような万感の想いです。

おそらくとても難解、いやアグレッシブな挑戦的なこと高度なことをつめこんでいる作品だろうと思います。一聴だけでは、第一印象と目に見えた範囲のことでしか語れないので、あまり憶測やふわっとした印象での見解は控えるようにします。1年後?CD作品化された暁には、聴けば聴くほどやみつきになりそうな、味わいがにじみ出てくるような作品という印象です。

 

素早く動いている静物
《素早く動いている静物》 (1956年頃) サルバドール・ダリ

 

カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽
《カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽》 (1928年頃) サルバドール・ダリ

 

Blog. 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.3」 コンサート・レポート より所感抜粋)

 

 

 

CD鑑賞後レビュー追記

全編をとおして、耳が喜ぶ刺激、そんな音楽です。レコーディングとしても非常にクオリティの高い最高音質には脱帽です。よくぞここまで刻銘に記録してくれました!という言うことでしか表現が浮かびません。

コンサートで聴いたときとはまた違う、収まりのいい録音という音響だからこそ、見えてくる緻密さや聴こえてくる前後左右からの音、新しい発見がたくさんあります。小編成コンサートのシャープでソリッドで立体的な響き、作品の特性もあるのかときにむきだしなほどに鋭利な楽器の音たちは、それだけでも一聴の価値があるほど、ふだんの日常生活ではまた日常音楽では聴くことのできないものです。

 

久石譲作品について。

重厚でパンチの聴いたサンプリング・ベースがかっこいい。この作品を支配する大きな軸になっていると思います。クラブ・ミュージックを彷彿とさせながらも、音と沈黙によって一筋縄ではいかない、踊り流れておわってしまうことのない不思議な世界観を醸しだしています。またこの作品で追求した構成やサンプリング音(低音や金属音の種)は、その後「ダンロップCM音楽」(2016)やNHK「ディープ・オーシャン」(2016-2017)といったエンターテインメント音楽へも派生していきます。そういう点においても、実験的な試みをしただけにとどまらず、今久石譲が求める音を追求したワイルドなサウンドまで。具現化した完成度の高さでこの作品が君臨したからこそ、その先へつながっていると思うと、重要なマイルストーンとなる作品です。なにはともあれ、理屈うんぬんかっこいい!聴けば聴くほどに味がでる、今までに聴くことのできなかった新鮮で刺激的な音楽に出会えたことはたしかです。これがこれから長い時間をかけて聴きなじみ自分のなかへ吸収されていくとしたら、それはまさに快楽といえるでしょう。

 

 

 

アルノルト・シェーンベルク
Arnold Schönberg (1874-1951)
1. 室内交響曲 第1番 ホ長調 作品9 (1906)
 Chamber Symphony No.1 in E major, Op.9

久石譲
Joe Hisaishi (1950-)
2 Pieces for Strange Ensemble (2016) [世界初演]
2. 1. Fast Moving Opposition
3. 2. Fisherman’s Wives and Golden Ratio

スティーヴ・ライヒ
Steve Reich (1936-)
シティ・ライフ (1995)
City Life
4. 1 Check it out
5. 2 Pile driver / alarms
6. 3 It’s been a honeymoon – can’t take no mo’
7. 4 Heartbeats / boats & buoys
8. 5 Heavy smoke

久石譲(指揮)
Joe Hisaishi (Conductor)
フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

2016年10月13日、14日、東京、よみうり大手町ホールにてライヴ録音
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 13, 14 October, 2016

 

JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE II

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by Future Orchestra
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 13, 14 October, 2016

Produced by Joe Hisaishi
Recording & Mixing Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Assistant Engineer:Takeshi Muramatsu
Mixed at EXTON Studio, Tokyo
Mastering Engineer:Shigeki Fujino (UNIVERSAL MUSIC)
Cover Desing:Yusaku Fukuda

and more…

 

Disc. 久石譲 『Minima_Rhythm III ミニマリズム 3』

2017年8月2日 CD発売 UMCK-1580
2018年4月25日 LP発売 UMJK-9083/4

 

「ミニマル × 管弦楽」久石譲の真髄がここに宿る。

スケールも迫力も全開!刺激的なミニマリズム・シリーズ第3弾!

全世界に熱狂的なファンを持つ「ミニマリズム」シリーズ第3弾!! 久石譲が本格的に書き下ろした長大な交響曲「THE EAST LAND SYMPHONY」の世界初演音源を完全収録!W.D.O.2016の感動が蘇ります。イントロダクションには、久石が芸術監督を務める長野市芸術館の柿落し公演で発表された祝祭感満載の「TRI-AD」を初音源化。ミニマル・ミュージックと管弦楽を融合させた久石作品の魅力を余すことなく詰め込んだ1枚。

(CD帯より)

 

 

TRI-AD for Large Orchestra

作曲にあたって、最初に決めたことは3つです。まず祝典序曲のような明るく元気な曲であること、2つめはトランペットなどの金管楽器でファンファーレ的な要素を盛り込むこと。これは祝祭感を出す意味では1つめと共通することでもあります。3つめは6~7分くらいの尺におさめたいと考えました。

そして作曲に取りかかったのですがやはり旨くいきません。コンセプトが曖昧だったからです。明るく元気といったって漠然としているし、金管をフィーチャーするとしてもどういうことをするのかが問題です。ましてや曲の長さは素材の性格によって変わります。

そんなときに思いついたのが3和音を使うことでした。つまりドミソに象徴されるようなシンプルな和音です。それを複合的に使用すると結果的に不協和音になったりするのですが、どこか明るい響きは失われない。ファンファーレ的な扱いも3和音なら問題ない。書き出すと思ったより順調に曲が形になっていきました。そこですべてのコンセプトを3和音に置きました。それを統一する要素の核にしたのです。

2016年3月末からの中国ツアーの前にピアノスケッチを作り、帰ってきてから約2週間で3管編成にオーケストレーションしました。

「TRI-AD」とは3和音の意味です。曲は11分くらいの規模になりましたが、明るく元気です。2016年5月に長野市芸術館こけら落としのコンサートで初演されました。

久石譲

(CDライナーノーツより)

 

 

THE EAST LAND SYMPHONY

「THE EAST LAND SYMPHONY」は全5楽章で約42分かかる規模の大きな作品です。3管編成でソプラノも入ります。以下、各楽章について解説していきます。

1.The East Land」は5年前に作曲しました。そのときは、自らの交響曲第1番とマーラーの交響曲第5番を演奏する予定でしたが、この楽曲しか発表することができませんでした。今回若干の手直しをして演奏します。核になっていることはセリー(音列)*的な要素とミニマルを合体することでした。全体を覆う不協和音はそのためです。中間部を過ぎてからアップテンポになるのですが、そこで炸裂する大太鼓はまるでクラブのキックドラムのようで個人的には気に入っています。

2.Air」は鍵盤打楽器が大気の流れのように止め処なく、くり返されます。少し抽象的な表現をすると「時間の進行を拒否した」ような佇まいです。5年前に作曲し大方のオーケストレーションもできていたのですが、そこから進まなかった。何度も書き直しをしているのですが、まったくフォームを変えようとしない。そこで気がついた、このままでいい! そういう曲なんだと。全5曲の中でもっとも時間がかかり、最後まで手を入れていた楽曲です。

3.Tokyo Dance」はソプラノが入ります。自分と自分の周りだけが大切、世界なんかどうでもいい! というような風潮のガラパゴス化した今の日本(東京)を風刺したブラックなもの、そして日本語で歌うというコンセプトで娘の麻衣に作詞を依頼しました。何回か書き直しをしていく中で数え歌というアイディアが浮かび、いわば「東京数え歌」ともいえる前半ができました。ロンド形式のように構成しましたが、中間部、後半部は英語とミックスしながら『平家物語』のような諸行無常を歌っています。何故こういう曲を書いたのか?あるいは書こうとしたのかわかりません。たぶん数年後には腑に落ちるかもしれません。

4.Rhapsody in Trinity」は当初「東京ダンス」という仮のタイトルで作曲を始めたのですが、前曲にタイトルを譲りました。日本語で書くと「三位一体の狂詩曲」ということですが、前曲と同じくブラックな喜遊曲です。実は悲劇と喜劇は表裏一体です。本当の悲哀や慈しみはチャップリンの映画や山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズを観れば一目瞭然、喜劇が適しています。ただしそれを作るのは本当に難しい。音楽も同じです。悲しい曲はまあ誰でも作れますが(作れない人もいますが)楽しく快活に音符が飛び回っている向こう側で何かただならぬものを感じていただく、ということはいわば俯瞰、ある意味で神の視点が必要です。いや、そういう哲学的知恵が必要だということです。僕はまだそこに至っていないので(到底無理なのかもしれませんが)チャレンジし続けるしかないと思っています。11/8拍子という何とも厄介なリズムが全体を支配しています。

5.The Prayer」は今の自分が最も納得する曲です。ここのところチャレンジしている方法だいうことです。最小限の音で構成され、シンプルでありながら論理的であり、しかもその論理臭さが少しも感じられない曲。すべての作曲家の理想でもあります。もちろん僕ができたということではありません。まあ宇宙の果てまで行かないと実現できそうもないことなのですが、志は高く持ちたいと思っています。ソプラノで歌われる言葉はラテン語の言諺から選んでいます。もちろん表現したかったこと(それは言わずもがな)に沿った言葉、あるいは感じさせる言葉を選んでいます。後半に現れるコラールはバッハ作曲の「マタイ受難曲第62番」からの引用です。このシンフォニーを書こうと考えたときから通奏低音のように頭の中で流れていました。

タイトルの「THE EAST LAND」は「東の国つまり日本」であり、その日本の中の東の国は、「東北地方」を指します。もちろん社会的な事象を表現しようと思って作曲した訳ではありません。ありませんが、あれから5年、本質は何も変わっていない、我々はどこに行くのだろうか?という思いはあります。それでも生きる勇気と力を表現したい。世界のカオス(混沌)の中でも自分を見失わない日本人であってほしいという思いもあります。奇しくも5年前に作り出した楽曲をこの夏、完成できたことは、あのときから「あらかじめ予定されていたこと」だったのかもしれません。

久石譲

*セリー:音列のこと。特に十二音技法においては、すべての音を1回ずつ用いて構成する。

注)この文章は2016年の夏に行われたW.D.O.コンサートのパンフレットに書かれた本人の文章を再構成しています。

(CDライナーノーツ より)

 

 

なお「TRI-AD for Large Orchestra」「THE EAST LAND SYMPHONY」の上述久石譲楽曲解説はCDライナーノーツにて英文テキストも収載されています。「THE EAST LAND SYMPHONY」はオリジナル日本語詞とあわせて英訳詞も収載されています。

中島信也氏(東北新社取締役/CMディレクター)による寄稿文は現時点で割愛しています。ぜひCDを手にとってご覧ください。

 

 

 

「これはすごく悩みます。シンフォニーって最も自分のピュアなものを出したいなあっていう思いと、もう片方に、いやいやもともと1,2,3,4楽章とかあって、それで速い楽章遅い楽章それから軽いスケルツォ的なところがあって終楽章があると。考えたらこれごった煮でいいんじゃないかと。だから、あんまり技法を突き詰めて突き詰めて「これがシンフォニーです」って言うべきなのか、それとも今思ってるものをもう全部吐き出して作ればいいんじゃないかっていうね、いつもこのふたつで揺れてて。この『THE EAST LAND SYMPHONY』もシンフォニー第1番としなかった理由は、なんかどこかでまだ非常にピュアなシンフォニー1番から何番までみたいなものを作りたいという思いがあったんで、あえて番号は外しちゃったんですね。」

「そうですね。EAST LANDっていうのは東の国ですから、日本ですね、はっきり日本ですね。なんかねえ、これを作ってた時にずっと「日本どうなっちゃうんだろう」みたいな思いがすごく強くて。第三楽章の「Tokyo Dance」っていうのは、ほんとにちょっとブラックな、風刺ですよね、ちょっと「こんなに日々良ければそれでいいみたいな生き方してていいのか」みたいな、そんなような思いもあって。」

「第三楽章は僕の娘の麻衣が書きまして。第五楽章は自分でラテン語の辞書あるいはラテン語の熟語集の中から「祈り」にふれてる言葉をいろいろ選びまして、それを組み合わせて作りました。」

「この『THE EAST LAND SYMPHONY』を作ってる間、ずうっと合間に聴いてたのがマタイ受難曲だったんですね。なんかあれを聴くと、音楽の原点という気がして。はい。」

Blog. NHK FM「現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて」 番組内容 より抜粋)

 

 

 

THE EAST LAND SYMPHONY
例えば、マーラーは交響曲の中に世俗曲や民謡の要素を盛り込んでいる作品が多くあります。久石譲が西洋音楽/古典音楽に対峙するとき、”現代作曲家”として”日本の作曲家”として、ひとつの導き出した答え、それが「THE EAST LAND SYMPHONY」という作品なのかもしれません。『現代の音楽』として響かせた記念すべき大作です。

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2016」 コンサート・レポート より抜粋)

 

「TRI-AD」 for Large Orchestra
2016年に書きおろした作品のひとつです。「三和音」をコンセプトにしていますが、とても演奏難易度の高い曲だと思います。あらためて聴いてこの作品の末恐ろしさを感じました。ミニマル・ミュージックとしても大作ですし、祝典序曲のような華やかさと躍動感もすごいです。さらに今回、ひしひしと感じたのがうねりです。「音がまわる」立体音空間です。とりわけ、ラストの螺旋状に昇っていくような各セクションの音の織り重なりは圧巻です。ファンファーレ的な金管楽器に、弦楽器や木管楽器が高揚感をあおり、粒きれいに弾ける打楽器・パーカッション。オーケストラの音がステージから高くスパイラルアップして響き轟く立体的な音空間。これはぜひコンサートで生演奏を体感してほしい、臨場感を味わえる楽曲です。

オーケストラも対向配置なので各セクションが輪郭シャープに、メリハリある前後左右の音交錯を体感できます。近年久石譲コンサートはそのほとんどが対向配置をとっています。ただ、それに輪をかけて、秘めたる潜在パワーをもった作品のような気がします。長野公演から半年以上経って、今回新しく感じたこと。これは久石譲の楽曲構成とオーケストレーションの強烈なマジックなのかもしれない、と。独特なうねりです。

Blog. 「久石譲 ジルベスターコンサート 2016」 コンサート・レポート より抜粋)

 

 

 

 

2018年4月25日 LP発売 UMJK-9071/2
完全生産限定盤/重量盤レコード/初LP化

 

 

 

2018.10 追記

 

 

 

 

1. TRI-AD for Large Orchestra
  THE EAST LAND SYMPHONY
2. I.The East Land
3. II.Air
4. III.Tokyo Dance
5. IV.Rhapsody of Trinity
6. V.The Prayer

All Music Composed, Arranged and Produced by Joe Hisaishi

Track 1 《TRI-AD for Large Orchestra》
Conducted by Joe Hisaishi
Performed by New Japan Philharmonic World Dream Orchestra
       Yasushi Toyoshima (Concertmaster)

Recording Engineer:Tomoyoshi Ezaki (Octavia Records)
Assistant Engineer:Takeshi Muramatsu (Octavia Records), Keiji Ono (Octavia Records)
Recorded at Sumida Triphony Hall, Tokyo (16 May, 2016)

Track 2-6 《THE EAST LAND SYMPHONY》
Conducted by Joe Hisaishi
Performed by New Japan Philharmonic World Dream Orchestra
       Yasusi Toyoshima (Concertmaster)
       Yoko Yasui (Soprano)

Recording Engineer:Suminobu Hamada (Sound Inn)
Assistant Engineer:Takeshi Muramatsu (Octavia Records), Keiji Ono (Octavia Records)
           Hiroyuki Akita, Tomotaka Saka

Live Recorded at
Niigata-City Performing Arts Center “RYUTOPIA” (Concert Hall), Niigata (30 July, 2016)
Fukuoka Symphony Hall, Fukuoka (2 August, 2016)
Suntory Hall, Tokyo (5 August, 2016)
Sumida Triphony Hall, Tokyo (6 August, 2016)
Aichi Prefectural Arts Theater (The Concert Hall), Nagoya (8 August, 2016)

Mixing Engineer:Peter Cobbin, Kirsty Whalley
Mixed at:Abbey Road Studios (UK), Sweet Thunder Studio (UK)
Mastering Engineer:Christian Wright (Abbey Road Studios)
Mastered at Abbey Road Studios (UK)
Coordination in London:Hideaki Takezawa (BlicKingUK)

and more…

 

Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE 2015』

2016年10月21日 CD発売 OVCL-00620

 

『久石譲 presents MUSIC FUTURE 2015』
久石譲(指揮) フューチャー・オーケストラ

久石譲が主宰するWonder Land RecordsとEXTONレーベルが夢のコラボレーション!未来へ発信する新シリーズがスタート!

現在、日本を代表する作曲家久石譲と、EXTIONによる夢のコラボレーション。久石譲が2014年に始動させ好評を博す現代の音楽のコンサート・シリーズ「ミュージック・フューチャー」より、2015年のコンサートから厳選されたライヴ・レコーディング盤です。ミニマル・ミュージックの代表的作曲家スティーヴ・ライヒ、彼に影響を受けたジョン・アダムズ、久石譲の3人の曲を収録。1970年代から現代にかけての音楽の軌跡、熱量を感じ取ることが出来るでしょう。まさに「新たなる音楽体験」を感じさせる楽曲たちです。また、日本を代表する名手たちが揃った「フューチャー・オーケストラ」の演奏も注目。難易度MAXのこれらの楽曲を、高い技術とアンサンブルで見事に芸術の高みへと昇華していきます。未来へと発信される新シリーズのスタートです。「明日のための音楽」がここにあります。

ホームページ&WEBSHOP
www.octavia.co.jp

(CD帯より)

 

 

解説 小沼純一

このアルバムは、久石譲によるコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE」の「Vol.2」(2015)で演奏された作品3つによって構成されています。

コンサート・シリーズは2014年から始まり、「Vol.1」はアルヴォ・ペルトやヘンリク・グレツキなどのヨーロッパの作品を、「Vol.2」ではアメリカ合衆国の作品を中心にプログラムが組まれました。作品は20世紀から21世紀にかけてのものが中心で、いずれも久石譲という作曲家が関心を持ち、また影響を受けた作品です。しかしかならずしもコンサートで、ライヴ演奏でふれる機会は多くありません。録音をとおして知っているだけのおとも多々あります。そうした作品を、このようなかたちでステージにのせ、聴き手の方がたにじかにふれてもらおうという試みが、「MUSIC FUTURE」です。そしてはじめて聴いたけどおもしろい、あるいは、新しい体験となった、そんなことをおもってもらえればいい、そんな意図があるようにおもえます。

アルバムでは「Vol.2」で演奏された5作品のなかから、3曲を収録しています。CDはコンサートとはまたべつの提示ができるメディアです。この選曲は、ある意味、久石譲自身がたつ位置そのものを音楽的に要約しているようにみえます。つまり、1960年代から70年代にかけてアメリカ合衆国で「ミニマル・ミュージック」と呼ばれることになる音楽が生まれる。代表的な作曲家としてスティーヴ・ライヒ(1936-)がいる。つぎの世代はライヒの音楽にふれ、こうした音楽を書いてもいいんだと、ひとつの自由さを得る。それがジョン・アダムズ(1947-)であり、久石譲(1950-)だった──。ただライヒらの音楽をただ真似しているのではなく、次世代はミニマル・ミュージックを音楽的思考の土台にしながら新たな道へと歩み始めます。ここにある3曲は、ライヒの1979/1983年から1992年、2015年と、ある音楽スタイルの軌跡が、ほぼ10年間隔で、提示されている。そんなふうにみることができるでしょう。

 

 

久石譲
《室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra》

コンサート当日、前2014年にひらいた「MUSIC FUTURE Vol.1」でプログラムしたニコ・ミューリー作品でのエレクトリック・ヴァイオリンを自作でもつかってみようと考えた、と久石譲はMCで語っていました。結果的にこの楽器はとてもアメリカ的なひびきであること、それによってこのコンサートがアメリカの音楽を中心にプログラムされている、また同時に、久石譲が自身のうちのアメリカ、アメリカ音楽の影響を確認することになったのだ、とも。実質的には協奏曲(コンチェルト)であるのに、「室内交響曲」というタイトルであるのは、エドゥアール・ラロの有名な《スペイン交響曲》にならってとのことです。

ここで用いられているエレクトリック・ヴァイオリンはすこし特殊で、6弦からなっています。通常のヴァイオリンより低い音域が可能で、また、操作によってエレクトリック・ギターのようなひびきがだせるのが特徴です。エレクトリック・ギターをそのままオーケストラと共演させると、ときに両者のサウンドが調和しないことがあります。しかし、このエレクトリック・ヴァイオリンはアコースティックなところとエレクトリックなところを両方を持つハイブリットな性格によって、またさらにサクソフォンの音色の強調によって、「室内交響曲」を一歩拡張しています。

全体は急-緩-急の3楽章をとります。エレクトリック・ヴァイオリンは室内オーケストラのひびきを外からまわりこむかたちをとることが多く、またアンサンブルのなかではサクソフォンが時折クローズアップされます。特に第3楽章半ばからあとのところでしょうか、こまかい音型がゆきかうなかで息のながいサクソフォンの線は、そこに注目するなら、先のライヒやアダムズとは異なったものとして聴けるかもしれません。

 

スティーヴ・ライヒ
《エイト・ラインズ》

もともとオクテット(八重奏曲)というタイトルで1979年に発表されましたが、後により演奏しやすいかたちに手を加え、1983年に改訂、現在は《エイト・ラインズ》として知られています。全体が5つの部分に分かれたり、とか、70年代半ばくらいにライヒが学んでいたユダヤ教の唱法の影が落ちていたり、とか分析的なことはいろいろあります。ありますけれど、そんなことよりこの5拍子の途切れることないビート感、ドライヴ感をこそ、体感すべきでしょう。そして、2台のピアノそれぞれの短く上下するフレーズ、木管楽器のメロディックなフレーズ、弦楽器の息の長いフレーズ、それぞれどこに耳の視点(聴点?)を置くかで、音楽の聴こえ方が変わってくる、聴き方による音楽の変化をこそ知っていただければとおもいます。

 

ジョン・アダムズ
《室内交響曲》

1992年に作曲、翌年1月作曲者自身の指揮でオランダのデンハーグで初演された作品です。

オーストリア出身で、20世紀の音楽を大きく前進させ、「12音音楽」を創始した作曲家、アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)に《室内交響曲》作品9という20世紀初頭の名作があるのですが、その楽器編成をもとにしながら、金管楽器と打楽器、サンプラーを加えてより現代的なサウンドをつくりだしています。またシェーンベルクが単一楽章であるのに対し、アダムズは3つの楽章(古典的な急-緩-急)に分け、また各楽章にサブタイトル──〈雑種のアリア〉〈バスの歩行を伴うアリア〉〈ロードランナー〉──をつけてもいます。

アダムズ自身はこんなことを言っています。曰く、シェーンベルクのスコアを読んでいたとき、隣の部屋では当時7歳の息子が1950年代カートゥーン(アニメーション)をテレヴィでみていた。そのがちゃがちゃどたばたした音が整然としたスコアにオーヴァーラップしてきたのだ、と。コンサートで久石譲は「おもちゃ箱をひっくりかえしたような」と語っていましたが、打楽器のリズムやリズムと一体化した音色は、管楽器や原画機の複雑な音のうごきがありながら、しっかり聴き手をつなぎとめてゆきます。

ちなみにアダムズは2007年に《室内交響曲の息子(Son of Chamber Symphony)というのも作曲していて、ちょっと紛らわしいので、ご注意のほど。

(こぬま・じゅんいち)

(解説 ~CDライナーノーツより)

 

 

フューチャー・オーケストラ
Future Orchestra

2014年、久石譲のかけ声によりスタートしたコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE」から誕生した室内オーケストラ。現代的なサウンドと高い技術を要するプログラミングにあわせ、日本を代表する精鋭メンバーで構成される。

”現代に書かれた優れた音楽を紹介する”という野心的なコンセプトのもと、久石譲の世界初演作のみならず、2014年の「Vol.1」ではヘンリク・グレツキやアルヴォ・ペルト、ニコ・ミューリーを、2015年の「Vol.2」ではスティーヴ・ライヒ、ジョン・アダムズ、ブライス・デスナーの作品を演奏し、好評を博した。”新しい音楽”を体験させてくれる先鋭的な室内オーケストラである。

(CDライナー・ノーツ より)

 

 

久石:
「エレクトリック・ヴァイオリンというのは実は6弦なんですね。ヴァイオリンはふつう4弦ですよね。ソ・レ・ラ・ミなんですけれども、一番低いソの音の五度下のド、そこからまた五度下のファ。ですからあと四度でほとんどチェロの帯域カバーですね。という6弦のエレクトリック・ヴァイオリン、どうしてもこの6弦使ったヴァイオリンと室内オーケストラの曲を書きたいと思って書いた曲です。」

西村:
「拝聴していて、前半の部分は第一期の後のいわゆるポスト・ミニマルわりに自由なストーリー性をもっていて、むしろミニマルで蓄えられたような非常に魅力的なエレメントがたくさんあるんですけれど、組み立てとしては自由なストーリー性があるような感じですよね。ところが、後半になると再び一種そのミニマルの縛りとしてのシングルラインが現れてきますよね。ここはだから、ポスト・ミニマルのさらにポストという感じが非常にするわけですよね。」

久石:
「いやあ、もうねえ、西村さんのようにすごく尊敬してる作曲家にこうやって一生懸命聴かれるととても緊張するんですけどね(笑)。」

Blog. NHK FM「現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて」 番組内容 より抜粋)

 

 

 

「ミュージック・フューチャー Vol.2」のために書き下ろされた室内交響曲。6弦エレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーし、全3楽章で構成された作品(約30分)。

第1楽章の冒頭から衝撃が走る。まさにエレクトリック(電子的)な響き。ペダル式エフェクター/フットコントローラーを駆使して、音を歪ませるディストーションを利かせたり、それはまさにロックのよう。さらにはルーパーと言われる、今演奏したプレイをその場でループ演奏させる機能も使い、ループさせたフレーズに新しい旋律を重ねていくという技法も。これがヴァイオリンの音か、ヴァイオリンの演奏かと常識を覆される。エレクトリック・ヴァイオリンはひずませた音色のなかにもヴァイオリンならではの艶やかさがあるから不思議。尖った音色のなかにも心地よさをかねそなえた響き。ソロ奏者のすぐ後ろに置かれたギターアンプから響く硬質なヴァイオリンとアコーステックな管弦楽の音色とが、違和感なく絡みあう一体感を演出。

耳に残りやすい親しみやすい旋律やモティーフがある作品ではないが、そこは”調性とリズム”を重んじるだけあって、魅惑的な世界へと惹き込まれる。途中、管楽器奏者たちが、楽器からマウスピースだけを外し、口にくわえて吹くというおもしろい一面も。歌っているのか吹いているのか、声なのか音なのか、そんな演出も。

第3楽章ではリズム動機も際立っていて、例えば初期作品の「MKWAJU」収録楽曲たちを思わせるような、音が1つずつ増えていく減っていく、1音ずつズレていくというミニマル的要素もふんだんに盛り込まれ、クライマックスへと盛り上がっていく。

たとえば「DA・MA・SHI・絵」や「MKWAJU」という楽曲は、全体がリズムによって構成されている”動”なのだが、「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」で新たに魅せた久石譲のミニマル的手法は、”動”だけで突き進むのではなく、”静”パートもあり、緩急とメリハリがそこに生まれている。そのためより一層”動”パート(ミニマルなリズム動機)が浮き彫りになってくる、そんな新しい境地を開拓した作品ではないか。

ソロ奏者にとってはエレクトリック・ヴァイオリンを手(弦/弓)で足(フットコントローラー/エフェクター)で操るという難易度の高い演奏を求められる作品である。エレクトリック・ヴァイオリンという独奏楽器を主役にすえた実験的要素の強い斬新な野心作となっている。

 

 

 

 

 

 

久石譲 Presents MUSIC FUTURE 2015 CD

久石譲
Joe Hisaishi (1950-)
エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための 室内交響曲 (2015)
Chamber symphony for Electric Violin and Chamber Orchestra
1. Mov.1
2. Mov.2
3. Mov.3

スティーヴ・ライヒ
Steve Reich (1936-)
4.エイト・ラインズ (1983) Eight Lines

ジョン・アダムズ
John Adams (1947-)
室内交響曲 (1992)
Chamber Symphony
5. 1 Mongrel Airs
6. 2 Aria with Walking Bass
7. 3 Roadrunner

久石譲(指揮)
フューチャー・オーケストラ
2015年9月24、25日 よみうり大手町ホールにてライヴ録音

Conducted by Joe Hisaishi
Performed by Future Orchestra
Live Recording at Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo, 24, 25 Sep. 2015

Produced by Joe Hisaishi
Recording & Mixing Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Assistant Engineer:Takeshi Muramatsu
Mixed at EXTON Studio, Tokyo
Mastering Engineer:Shigeki Fujino (UNIVERSAL MUSIC)
Cover Design:Yusaku Fukuda

and more…

 

Disc. 久石譲 & 新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ 『The End of the World』

2016年7月13日 CD発売 UMCK-1545/6
2016年7月27日 LP発売 UMJK-9062/3(完全限定生産)

 

大迫力のコンサート「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2015」を完全収録!壮大な交響詩として生まれ変わった完全版「Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015」も初音源化!

戦後70周年の特別な年に開催された「久石譲&W.D.O.2015」。「The End of the World」(声楽と管弦楽のための)+(久石 譲リコンポーズド「The End of the World」-ヴォーカルナンバー 「この世の果てまで」)の壮大な交響作品をはじめ、日本への想いを込めて書き下ろした「祈りのうた」(ピアノ+弦楽合奏+チューブラー・ベルズ版)、そして長年の時を経て壮大な交響詩として生まれ変わった「Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015」(映画『風の谷のナウシカ』より)の完全版が満を持して音源化。

根強いファンをもつ「il porco rosso」「Madness」(映画『紅の豚』より)、「Dream More」(サントリー ザ・プレミアム・モルツ マスターズ・ドリーム CMテーマ曲)、さらにアンコール曲「Your Story 2015」(映画『悪人』主題歌より)、「World Dreams」(W.D.O.テーマ曲 合唱付き)まで約2時間を超える迫力のコンサートの模様を完全収録!

(メーカーインフォメーションより)

 

 

 

アルバム『The End of the World』に寄せて

鎮魂の鐘で始まり、希望の鐘で終わる──。2015年8月に開催された久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(以下、W.D.O.)の全国ツアー(以下、W.D.O.2015)と、その演奏曲を完全収録した本盤『The End of the World』の内容を要約するならば、ズバリその一言に尽きる。戦後70周年という特別な年にふさわしい、練りに練られたプログラム。ただし、そこにたどり着くまでは、約1年にも及ぶ準備期間と、絶え間ない試行錯誤の繰り返しを必要とした。

2014年、すなわちW.D.O.結成から10年目の節目の年、久石は3年ぶりのW.D.O.のコンサートを指揮した。「ジャンルにとらわれず魅力ある作品を多くの人々に聴いてもらう」という結成当初からのコンセプトはそのままに、10年の間に飛躍を遂げたW.D.O.はポップス・オーケストラというカテゴリーの枠を大きく越え、”本物の音楽”を志向するオーケストラに成長していた。しかもW.D.O.は、日本人にとって特別な意味をもつ夏-広島・長崎の原爆投下と8月15日の終戦記念日を含む夏-という季節に限定してコンサートを開催する。そこで久石は、W.D.O.2014のテーマを「鎮魂の時」と位置づけ、クシシュトフ・ペンデレツキ作曲《広島の犠牲者に捧げる哀歌》、J・Sバッハ作曲《G線上のアリア》、それに太平洋戦争に関連する久石の映画音楽作品-アルバム『WORKS IV』にも収録されている《ヴァイオリンとオーケストラのための「私は貝になりたい」》《「風立ちぬ」第2組曲》《小さいおうち》の3曲-を演奏した。このW.D.O.2014の演奏会は大きな反響を巻き起こし、演奏終了直後、久石は聴衆の前で翌年のW.D.O.ツアー開催を宣言した。久石とW.D.O.が提示したメッセージが見事に伝わり、これまでになかったようなシリアスなプログラムでも聴衆に受け入れてもらえる、という確信が得られたからである。

その翌月、久石は30年来の夢だった「現代のすぐれた音楽を紹介する演奏会」、すなわち「Joe Hisaishi presents MUSIC FUTURE」第1回演奏会(MF Vol.1)を開催し、かねてから彼が敬愛するホーリー・ミニマリズムの作曲家、ヘンリク・グレツキとアルヴォ・ペルトの作品を演奏・紹介した。祈りに満ちた彼らの音楽は、第2次世界大戦のホロコーストの悲劇や、冷戦時代の恐怖政治の抑圧と密接な関わりを持っている。ゴレツキとペルトの演奏は、来たる2015年にやってくる戦後70周年を久石に強く意識させることになった。

MF Vol.1の演奏会が成功裏に終わったその夜、久石は早くもW.D.O.2015の実現に向けて構想を練り始め、プログラムのテーマを「祈り」とする基本方針を固めた。ツアー開催地には、久石の強い希望で広島と仙台が含まれることが決まった。言うまでもなく、2015年の原爆投下70周年と、2011年東日本大震災から立ち直りつつある東北地方を意識しての決定である(奇しくも広島公演は、8月6日の原爆の日に開催されることになった)。その際、久石が強調していたのは「単に”追悼”や”鎮魂”を掲げるのではなく、そこから先の未来に向けたメッセージも伝えなくてはならない」という点だった。それが出来なければ、W.D.O.は真の意味で「ワールド・ドリーム」を名乗る資格がない──そのような強い決意のもと、久石はW.D.O.2015のプログラミングに着手した。

プログラムの中で最初に決まったのは、《Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015》である。久石の映画音楽作品、特に宮崎駿監督作品のための音楽は、日本のみならず海外でも演奏頻度が飛躍的に高まり、ここ10年は久石以外の指揮者に演奏を委ねる機会も増えてきた。そこで久石は、宮崎作品のオーケストラ譜を完全版(Definitive Edition)の形で整え、W.D.O.で順次初演していくという計画を立てた。その先陣を切る作品としては、やはり『風の谷のナウシカ』がいちばんふさわしい。宮崎監督と久石が初めてタッグを組んだ記念すべき第1作という歴史的意義に加え、『ナウシカ』が描いている”破壊と再生”というテーマがW.D.O. 2015のプログラムにふさわしいと、久石は判断した。

では、他の曲をどうするか? どうしたら、戦後70周年にふさわしく、かつW.D.O.らしいプログラムを組み立てることが出来るか? ここから、久石の長い格闘が始まった。ある段階では、第2次世界大戦の戦没者や犠牲者のために書かれたクラシック曲、あるいはもっと広い意味で”追悼”をテーマにしたクラシック曲なども、演奏の可能性がかなり真剣に検討された。しかしながら、W.D.O.は既存の常設オーケストラと異なり、クラシックだけを演奏する団体ではあに。レクイエム(鎮魂ミサ曲)のような作品ばかり並べた”追悼演奏会”にしたのでは、W.D.O.らしさが失われてしまう。そうは言っても、W.D.O.2015はヒロシマと東北に向けたステートメントをきとんと伝えなくてはならない──。このような雁字搦めの状況の中、ありとあらゆる可能性が候補に挙がり、また破棄されていった。

そうした中から生まれてきたのが、久石が2008年に作曲した《The End of the World》を、W.D.O.2015のプログラムの中で演奏するというアイディアである。もともとこの作品は、久石が2001年同時多発テロ(9.11)に着想を得て作曲したといういきさつがある。そして、W.D.O.のテーマ曲である《World Dreams》も、久石が9.11を強く意識して作曲した作品だ。原爆投下70周年と東日本大震災、これだけでも非常に大きいテーマであるが、久石はそこに9.11を加えることで、戦後70年のあいだに我々日本人が何を体験し、何を感じてきたか、その重みを世界全体の普遍性の中で捉え、《The End of the World》に集約して表現しようと考えた。そのアイディアと軌を一にする形で、東北に向けた新作をW.D.O.2015で演奏するというプランも生まれてきた。久石が《祈りのうた》を作曲したのは、そのプランが生まれてからすぐのことである。

かくして、”祈り”をテーマにしたW.D.O.2015のプログラムは《祈りのうた》《The End of the World》《ナウシカ》の3曲を中心にして構成する、という全体の骨格が固まった。原爆投下70周年の2015年8月6日に広島で演奏しても、東日本大震災の記憶が残る仙台で演奏しても、全く恥ずかしくないプログラムである。まさに「世界の終わり」を垣間見るような重量級の内容だが、そこまで徹底的に突き詰めてこそ、W.D.O.が振り子を揺り戻すようにエンタテインメント性豊かな音楽を演奏することの意味が生まれてくる。その部分に関しては、2015年の久石の新作《Dream More》と、宮崎作品の《紅の豚》を演奏することで万全を期した。

この間、久石は2015年2月の台湾公演と4月のイタリア公演、5月の新日本フィル演奏会(ペルトの交響曲第3番など)、アルバム『Minima_Rhythm II』の準備とリリース、それらと並行して山田洋次監督作『家族はつらいよ』をはじめとする数々のエンタテインメント音楽の作曲など、凄まじいスケジュールをこなしながらW.D.O.2015の準備を進めていった。特に《The End of the World》に関しては、「祈り」というテーマにふさわしい演奏にすべく、作品の構成そのものが大幅に見直された。試行錯誤の結果、《The End of the World》はリハーサル開始まであとわずかというギリギリのタイミングで、ようやく最終的な楽章構成が確定した。

2015年8月5日の大阪公演を皮切りに、全国5都市計6回の公演がもたれたW.D.O.2015。筆者はそのうち、東京公演2回を聴いたが、プログラム第1曲の《祈りのうた》がチューブラー・ベルズで始まり、最後のアンコール曲《World Dreams》の最終和音がチューブラー・ベルズで閉じられるのを聴いて、言葉では表現しようのない感動に打ち震えた。鐘で始まり、鐘で終わるW.D.O.2015。2つの鐘は、同じではない。最初は鎮魂の鐘、最後は希望の鐘だ。この2つの鐘が象徴しているように、W.D.O.2015はプログラム全体にわたり、「鎮魂から希望へ」というトータル・コンセプトが見事に貫かれていた。これほど考え抜かれたコンサートは、久石と言えども、そうそう作り上げることが出来るものではない。だからこそ、本盤『The End of the World』のリリースに際しては、アンコールを含むW.D.O.2015の全演奏曲が1曲も割愛されることなく完全収録されることになった(収録フォーマットの関係上、CDとLPでは曲順が若干異なる)。戦後70周年にふさわしい、久石譲&W.D.O.の歴史的名盤がここに誕生した。

 

 

楽曲解説

祈りのうた -Homage to Henryk Górecki-

原曲は2015年1月、三鷹の森ジブリ美術館オリジナルBGMのピアノ独奏曲として書かれた。久石がホーリー・ミニマリズム(聖なるミニマリズム)の様式で初めて作曲した楽曲である。本盤に収録されているピアノ+弦楽合奏+チューブラー・ベルズ版はW.D.O.2015のプログラム第1番として演奏され、その際、「ヘンリク・グレツキへのオマージュ Homage to Henryk Górecki」という副題が付加された。グレツキは、アウシュヴィッツ強制収容所の悲劇-ヒロシマと共に第2次世界大戦を象徴する悲劇-をテーマにした《交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」》で知られるホーリー・ミニマリズムの作曲家である。冒頭、チューブラー・ベルズが弔鐘のように鳴り響くと、最初のセクションでピアノ独奏が透明感あふれる三和音のモティーフを導入し、中間部のセクションでピアノとヴァイオリンが悲しみに満ちた和音を演奏した後、嗚咽がこみ上げるような弦楽合奏が加わり、最初のセクションが再現されるという構成になっている。

 

The End of the World for Vocalists and Orchestra
 I. Collapse - II. Grace of the St. Paul -
III. D.e.a.d - IV. Beyond the World

原曲は、久石が2007年秋にニューヨークを訪れた時の印象を基に作曲された。当初《After 9.11》というタイトルが付けられていたように、2001年同時多発テロ(9.11)による世界秩序と価値観の崩壊が引き起こした「不安と混沌」をテーマにした作品である。この楽曲は2008年の初演から本盤のW.D.O.2015ヴァージョンまで、かなり複雑な変遷をたどっているので、以下にその過程を列挙する。

(A)コンサート・ツアー『Piano Stories 2008』初演ヴァージョン(12本のチェロ、コントラバス、ハープ、パーカッション、ピアノのための)
I. Collapse - II. Grace of the St. Paul - III. Beyond the World の3楽章からなる組曲。

(B)アルバム『Another Piano Stories~The End of the World』(2009年2月リリース)収録ヴァージョン
上記(A)に後述のヴォーカル・ナンバー《The End of the World》(ヴォーカルは久石)を加えた4楽章の組曲版。

(C)アルバム『Minima_Rhythm』(2009年8月リリース)収録バージョン(合唱と管弦楽のための)
3楽章版(A)を大幅に加筆してフル・オーケストラ化。併せて第3楽章〈Beyond the World〉では、(A)の構想段階で終わっていた合唱の導入が初めて実現した。

(D)本盤収録のW.D.O.2015ヴァージョン(声楽と管弦楽のための)
(C)の〈Grace of the St.Paul〉と〈Beyond the World〉の合間に、新たな楽章〈D.e.a.d〉を追加。終楽章〈Beyond the World〉の後、ヴォーカル・ナンバー《The End of the World》が続き、全5楽章の組曲のように演奏される。

I. Collapse
グラウンド・ゼロの印象を基に書かれた楽章。冒頭、チューブラー・ベルズが打ち鳴らす”警鐘”のリズム動機が、全曲を統一する循環動機もしくは固定楽想(idéefixe)として、その後も繰り返し登場する。先の見えない不安を表現したような第1主題と、より軽快な楽章を持つ第2主題から構成される。

II. Grace of the St.Paul
楽章名はグラウンド・ゼロに近いセント・ポール教会(9.11発生時、多くの負傷者が担ぎ込まれた)に由来する。冒頭で演奏されるチェロ独奏の痛切な哀歌が中近東風の楽想に発展し、人々の苦しみや祈りを表現していく。このセクションが感情の高まりを見せた後、サクソフォン・ソロが一種のカデンツァのように鳴り響き、ニューヨークの都会を彷彿とさせるジャジーなセクションに移行する。そのセクションで繰り返し聴こえてくる不思議な信号音は、テロ現場やセント・ポール教会に駆けつける緊急車両のサイレンのドップラー効果を表現したものである。

III. D.e.a.d
原曲は、2005年に発表された4楽章の管弦楽組曲《DEAD》(曲名は”死”と、D(レ)E(ミ)A(ラ)D(レ)の音名のダブル・ミーニング)の第2楽章〈The Abyss~深淵を臨く者は・・・・~〉。原曲の楽章名は、ニーチェの哲学書『ツァラトゥストラはかく語りき』に登場する一節「怪物と闘う者は、その過程で自分が怪物にならぬよう注意せねばならない。深淵を臨くと、深淵がこちらを臨き返してくる」に由来する。今回、新たに声楽と弦楽合奏のために再構成され、久石のアイディアを基に麻衣が歌詞を書き下ろした。声楽パートをカウンターテナーが歌うことで、歌詞が特定の事件(すなわち9.11)や世俗そのものを超越し、ある種の箴言のように響いてくる。

IV. Beyond the World
「世界の終わり」の不安と混沌が極限に達し、同時にそれがビッグバンを起こすように、「生への意思」に転じていくさまを、8分の11拍子という複雑な変拍子と、絶えず変化を続ける浮遊感に満ちたハーモニーによって表現した壮大な楽章。アルバム『Minima_Rhythm』録音時に、久石自身の作詞によるラテン語の合唱パートが付加された。楽章の終わりには、チューブラー・ベルズの”警鐘”のリズム動機が回帰する。

Recomposed by Joe Hisaishi The End of the World
原曲は、ポップス歌手スキータ・デイヴィスが1962年にヒットさせたヴォーカル・ナンバー(邦題は《この世の果てまで》)。歌詞の内容は、作詞者のSylvia Deeが14歳で父親と死別した時の悲しみを綴ったものとされている。このヴォーカル・ナンバーは、上述の組曲《The End of the World》の作曲にも大きなインスピレーションを与えた。本楽曲のメロディーの美しさをかねてから高く評価していた久石は、アルバム『Another Piano Stories』の時と同様にヴォーカル・ナンバーをリコンポーズし、それを組曲のエピローグとして付加している。交響曲の中に世俗曲や民謡を引用した、グスタフ・マーラーの方法論にも近いと言えるだろう。〈D.e.a.d〉とは正反対に、愛する者を失った悲しみをエモーショナルに歌うカウンターテナーと、その嘆きを暖かく包み込む崇高な合唱。その背後で静かに鳴り響くチューブラー・ベルズのリズム動機は、もはや恐ろしい”警鐘”ではなく、祈りの弔鐘”へと優しく姿を変えている。かくして9.11の悲しみは、誰もが共感し得る私たち自身の悲しみに昇華して普遍化を遂げ、戦後70周年にふさわしい世界観を獲得することに成功している。

 

紅の豚
il porco rosso - Madness

世界大恐慌のイタリアを舞台に、豚の姿に変わった伝説のパイロット、ポルコ・ロッソの活躍を描いた宮崎駿監督の冒険ロマン。物語の時代が1920年代後半に設定されていたため、久石の音楽も1920年台のジャズ・エイジを強く意識したスコアとなった。本盤収録の2曲のうち、前半の〈il porco rosso〉はイメージ・アルバムで《マルコとジーナのテーマ》と名付けられていた、《帰らざる日々》のテーマ。ジャージーなピアノが、マルコ(ポルコの本名)と美女ジーナの”ロマンス”をノスタルジックに演出する。後半の〈Madness〉は、ポルコがファシストたちの追手を逃れ、飛行艇を飛び立たせるアクション・シーンの音楽。もともとこの楽曲は、小説家フィッツジェラルドをテーマにした久石の1992年のソロ・アルバム『My Lost City』(アルバム名はフィッツジェラルドのエッセイ集のタイトルに由来)に収録されていたが、宮崎監督の強い要望で本編使用曲に決まった、という逸話がある。大恐慌直前のジャズ・エイジの”狂騒”と、1980年代後半のバブルの”狂騒”を重ね合わせて久石が表現した〈Madness〉。その警鐘に耳を傾けることもなく、日本のバブルは『My Lost City』リリースと『紅の豚』公開の直後、崩壊した。

 

Dream More

サントリー「ザ・プレミアム・モルツ・マスターズドリーム」のCMテーマとして作曲された、2015年の久石の新作のひとつ。CM発表会見にて、久石は「ノスタルジックで感傷的なメロディー」を「いろいろな味わいのする多重奏」に仕上げたと語っている。本盤に収録されているのは、W.D.O.2015で世界初演されたフル・ヴァージョン。《Dream More》という曲名には、現状に満足せず、さらなる夢(ドリーム)を追い求めていこうとする久石とW.D.O.の飽くなきチャレンジ精神が込められているように思われる。

 

Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015
(a)風の伝説 – (b)遠い日々 – (c)ナウシカ・レクイエム – (d)メーヴェとコルベットの戦い –
(e)谷への道 – (f)蘇る巨神兵 – (g)遠い日々 – (h)鳥の人 – (i)風の伝説

最終戦争「火の七日間」が勃発し、巨神兵が破壊の限りを尽くして崩壊した巨大産業文明。それから1000年後、荒廃した世界の中で暮らす少女ナウシカは、戦乱の中で自然との共生を強く訴えかけ、自ら命を投げ出すことで世界に奇跡を起こす。久石と宮崎監督がタッグを組んだ記念すべき第1作にして、久石の代表作のひとつでもある『風の谷のナウシカ』の音楽は、久石自身のコンサートに限っても、これまでさまざまな編成によって演奏されてきた。演奏会用の管弦楽曲に関しては、メインテーマ〈風の伝説〉の単独演奏ほか、すでに2つの組曲が交響詩の形で演奏されている。すなわち、アルバム『WORKS I』収録の1997年ヴァージョン(a, b, c, d, e, g, h, i)と、BD&DVD『久石譲 in 武道館』およびアルバム『The Best of Cinema Music』収録の2008年ヴァージョン(a, b, c, d, g, h, i)である。今回の演奏に際しては、久石は『ナウシカ』のために作曲した素材をすべて検討し直し、完全版となる新たなヴァージョンを作り上げた。この完全版は、近く楽譜出版が予定されている。

(a)風の伝説
本編オープニングタイトルの音楽。衝撃的なティンパニで始まる導入部の後、久石のソロ・ピアノが万感の想いを込めてメインテーマを演奏する。そのメロディーの冒頭部分は、あたかも1980年代の映画音楽のトレンドに真っ向から抵抗するかのように、コード進行をほとんど変えない形で作曲されている。ミニマル・ミュージックの作曲家ならではのストイックな音楽的姿勢と、文字通り身を削るようなナウシカの壮絶な生きざまが重なって聴こえてくるのは、筆者ひとりだけではないだろう。

(b)遠い日々
「ラン・ランララ・ランランラン」の歌詞で知られるモティーフを、オーケストラのみで扱った部分。軽やかな木管がモティーフを提示した後、バロック風のフーガが続く。このフーガは、チェロとピアノのために書かれた《「風の谷のナウシカ」より組曲5つのメロディー》第4曲のフゲッタを発展させたものである(蛇足だが、曲のイメージと本編の印象から、「ラン・ランララ・ランランラン」のモティーフを〈ナウシカ・レクイエム〉と表記する解説がしばしば見受けられるが、それらはすべて誤り。正しくは〈遠い日々〉のモティーフである)。

(c)ナウシカ・レクイエム
自らの命を犠牲にして、虫たちの暴走を止めたナウシカを人々が嘆き悲しむシーンの音楽。バロックの作曲家ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルにも通じる力強い楽想が、聴く者に強い印象を与える。日本武道館で演奏された2008年ヴァージョンより、この部分の音楽には合唱パートが付加され、レクイエム(鎮魂ミサ曲)の〈怒りの日〉のラテン語歌詞を歌う。歌詞と訳は次の通り。「Dies iræ, dies illa 怒りの日が到来する時/solvet sæclum in favilla この世は灰燼に帰すだろう/teste David cum Sibylla ダビデとシビラの予言のように/Quantus tremor est futurus その恐ろしさは如何ばかりか」。

(d)メーヴェとコルベットの戦い
小型飛行機メーヴェを操るナウシカがトルメキア軍の大型戦闘機コルベットの追撃をかわすシーンの、ダイナミックな音楽。

(e)谷への道
サントラ録音に先立ち、久石が宮崎監督の絵コンテを基に作曲・録音した『イメージアルバム 鳥の人…』および『シンフォニー 風の伝説』に収録されていた楽曲。本編では未使用に終わったが、『ナウシカ』の世界観を表現するのに欠かせない重要な音楽のひとつである。当初からチェロの音色を意識して作曲されたという経緯もあり、本盤に聴かれる演奏でも、チェロがモティーフに豊かな膨らみを与えている。

(f)蘇る巨神兵
今回、初めて交響詩の中に組み込まれたモティーフ。不気味なグリッサンドを歌う合唱パートが新たに付加され、巨神兵の恐怖を強調する。

(g)遠い日々
本編のクライマックス、絶命したはずのナウシカが蘇る感動的なシーンの音楽。サントラ録音時、まだ4歳だった久石の娘・麻衣が「ラン・ランララ・ランランラン」を歌い、絶大な効果を上げた逸話はあまりにも有名である。W.D.O.2015の演奏に先立つリハーサルでは、「オペラ歌手のように朗々と歌わず、あくまでも気負わないで」と久石が指示を与えていたのが印象的だった。

(h)鳥の人
上の(g)に続き、人々がナウシカの再生と平和の到来を喜ぶラストの音楽。壮大な合唱が「ラララン・ランランラン」と歌い、音楽は歓喜の頂点に達する。

(i)風の伝説
オーボエが〈風の伝説〉のモティーフをしみじみと回想した後、本編エンドロールの音楽を凝縮したエピソードで全曲が閉じられる。

 

Your Story 2015

原曲は、第34回日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀音楽賞ほか5部門に輝いた李相日監督『悪人』の主題歌。W.D.O.2015のアンコールで、テナーとカウンターテナーのための新ヴァージョンが披露された(本盤の演奏では、高橋淳が両方の声域にまたがる形で歌唱を披露している)。2011年、東日本大震災の3ヶ月後に開催されたチャリティ・コンサートでは、久石が撮影してきた被災地のスチール写真の投影と共に《Your Story》が演奏され、聴衆に深い感銘を与えた。そこには「Your Storyとはあなたたち、わたしたち日本人のストーリー」という言外の意味が込められていたように思われる。以上のような文脈を考慮し、別掲の歌詞日本語訳は、サントラ盤所収の日本語訳とは異なる形で訳出した。

 

World Dreams  for Mixed Chorus and Orchestra

2004年、久石と新日本フィルがW.D.O.を立ち上げた歳に書き下ろした、W.D.O.テーマ曲。「作曲している時、僕の頭を過っていた映像は9.11のビルに突っ込む飛行機、アフガン、イラクの逃げまどう一般の人々や子供たちだった。『何で・・・・』そんな思いの中、静かで優しく語りかけ、しかもマイナーではなくある種、国家のような格調のあるメロディーが頭を過った」。本盤では、2011年に麻衣が作詞した歌詞を合唱が歌うヴァージョンが演奏されている。久石とW.D.O.が奏で続ける”世界の夢”(ワールド・ドリーム)を象徴した、崇高なメロディー。そこに込められた”希望の力”を、チューブラー・ベルズが心に刻みこむよういして静かに鳴り響き、W.D.O.2015の幕となる。

2016年5月27日、オバマ大統領広島訪問の日に
前島秀国 Hidekuni Maejima
サウンド&ヴィジュアル・ライター

(寄稿・楽曲解説 ~CDライナーノーツより)

 

 

World Dreams
作曲:久石譲 歌詞:麻衣

遙かなるこの大地 朝日を浴び
澄み渡る青い空 時の歩みをうつす
世界の声は 希望の力
時を越え響き渡れ 愛を歌おう

哀しみにつまずけば 自由がみえる
歓びの灯が消えても 共に歩き続けよう
世界の夢よ 全ての人に
届けようこの歌声 愛を信じて

夢をみるひとすじの小さな光
千年の時を経て 明日を照らし続ける
愛を歌おう

遙かなるこの大地 朝日を浴び
澄み渡る青い空 時の歩みをうつす
世界の夢よ すべての人よ
誇り高きこの夢に 愛を誓おう
永久(とわ)に誓おう

(「World Dreams」歌詞 ~CDライナーノーツより)

※他作品歌詞もすべてライナーノーツ掲載あり

 

 

 

「The end of the World」について

-《The End of the World》は2008年に初めて発表したものを進化させ、楽章を増やしていますね。

久石:
この曲を作った直接的なきっかけは2001年に起こったアメリカ同時多発テロです。ニューヨークの世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ映像をずっと自分の中で引きずっていて、グラウンド・ゼロを訪れたりする中で確実に世界の有り様が変わったのを感じていました。それが今に通じているところがあると思い、今回のツアーで演奏しようと思ったわけですが、もともとの3楽章に加え、さらに深いところに入っていけるような《D.e.a.d》という楽章を加えました。以前書いた《DEAD for Strings , Perc. , Harp and Piano》という組曲が《The End of the World》と通じる部分があったので、《DEAD》の第2楽章の弦楽曲をもとに新たに楽章を加え、全体を再構築しました。

-《The End of the World》は冒頭から鳴る鐘の音が印象的です。

久石:
鐘の音はまさに警鐘を意味しています。全楽章であのフレーズを通奏していますが、象徴しているのはいわば”地上の音”。それに対して入ってくる声は、人間を俯瞰で見るような目線です。地上にいる人間の業に対し、遠くから「どうなっていくんだろう」という問いかけをしているんです。

-前半の最後にはスキータ・デイヴィスのヒット曲でもある同名曲《The End of the World》も登場します。

久石:
この曲が最後にくることによって《The End of the World》を全部で5楽章と捉えられるような構成にしたいと思いました。”あなたがいなければ世界が終わる”というラブソングですが、”あなた”を”あなたたち”と解釈することもできて、そう考えるとこれは人類に対するラブソングでもある。だからといってそこにあるのは救いじゃないかもしれない。冒頭で示した鐘の音による旋律も入ってくるし、不協和音も漂っている。それをどう感じてもらえるかがポイントになってくると思います。

「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」公式パンフレット インタビュー より)

 

 

「実は、直前まで決定するのに苦しんでいて、やっと「The End of the World」というタイトルに決まったんです。この「The End of the World」には同名のスタンダード曲も存在して、「あなたがいないと私の世界が終わる」というような意味のラブソングです。でも、この曲のあなたを複数形でとらえ、あなたたちが存在していなければ、世界は終わってしまうといった、もっと広い意味で捉えると、たぶん今、僕が考えている世界観にとても近いんじゃないかと感じて、敢えてこの同じタイトルを用いた理由です。楽曲は、1楽章は4分の6拍子から始まり、最終楽章が8分の11拍子という、大変難しい曲。おまけに、絶えずピアノが鳴らす基本リズムがあり、それに他の楽器が絡み合う、本当に”世界のカオス”、まさに”混沌”を表現するような、アンサンブル自体がカオスになってしまうんじゃないかというくらいの難曲になってしまいました。」

Blog. 「久石譲 ~Piano Stories 2008~」 コンサート・パンフレット より

 

 

 

「Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015」について

久石譲インタビュー:
オーケストラでのコンサートをずいぶんやってきましたが、映画音楽を演奏しようとすると一部分になってしまうことが多かったので、大きな作品として聴いてもらえるものを作りたいという思いがずっとありました。「風の谷のナウシカ」の組曲は以前に「WORKS I」というアルバムを作った時に、ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団の演奏で録音したバージョンがあったのですが、それをベースに映画で使われているものを継承しながらさらにスケールアップさせようと思って取り組みました。ただ、いざやり始めてみると大変。映画自体が破壊と再生というテーマを持っていて、前半のプログラムと通じているところが多く、精神的に苦労しました。

これを機会に宮崎さんの作品を交響組曲として表現していくプロジェクトを始められたらと思っています。世界中のオーケストラから演奏したいという要望もありますし、今後続けられれば嬉しい。ただ、僕は毎回のコンサートを「これが最後」という気持ちで臨んでいるので、今回きちんと成功してやっと次が見えてくるんだと思います。

「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」公式パンフレット インタビュー より)

 

 

 

 

 

 

The End of The World LP o

◆CD「The End of the World」
【DISC_1】
1. 祈りのうた -Homage to Henryk Górecki-
The End of the World for Vocalists and Orchestra
2. I. Collapse
3. II. Grace of the St. Paul
4. III. D.e.a.d
5. IV. Beyond the World
6. Recomposed by Joe Hisaishi  The End of the World
【DISC_2】
1. il porco rosso
2. Madness
3. Dream More
4. Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015
5. Your Story 2015
6. World Dreams for Mixed Chorus and Orchestra

※初回生産限定スペシャルパッケージ(スリーブ付仕様)

All Music Composed, Arranged and Produced by Joe Hisaishi
(DISC 1 Track-6 Music Recomposed and Produced by Joe Hisaishi)

Conducted:Joe Hisaishi
Performed:New Japan Philharmonic World Dream Orchestra
Concert Master:Yasushi Toyoshima

Piano:Joe Hisaishi (DISC 1 Track-1 / DISC 2 Track-1,2,4,5)
Countertenor / Tenor:Jun Takahashi (DISC 1 Track-4,6 / DISC 2 Track-5)
Chorus:Ritsuyukai Choir (DISC 1 Track-5,6 / DISC 2 Track-4,6)
Chorus Master:Takuya Yokoyama (Ritsuyukai Choir)

Live Recorded at The
Symphony Hall, Osaka (5th August, 2015)
Suntory Hall, Tokyo (8th August, 2015)
Sumida Triphony Hall, Tokyo (9th August, 2015)

Mixed at Bunkamura Studio

Recording & Mixing Engineer:Suminobu Hamada (Sound Inn)

Photograph:Ryoichi Saito

and more…

 

 

◆LP「The End of the World」
【Side_A】
1. 祈りのうた -Homage to Henryk Górecki-
The End of the World for Vocalists and Orchestra
2. I. Collapse
3. II. Grace of the St. Paul
【Side_B】
The End of the World for Vocalists and Orchestra
4. III. D.e.a.d
5. IV. Beyond the World
6. Recomposed by Joe Hisaishi  The End of the World
【Side_C】
1. Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015
【Side_D】
1. il porco rosso
2. Madness
3. Dream More
4. Your Story 2015
5. World Dreams for Mixed Chorus and Orchestra

 

Disc. 久石譲 『Minima_Rhythm II ミニマリズム 2』

2015年8月5日 CD発売 UMCK-1518
2018年4月25日 LP発売 UMJK-9081/2

 

久石譲の真骨頂、ソリッドなサウンドで贈るミニマリズム・シリーズ第2弾。
”現代”(いま)を感じさせるアルバム、ついに登場。

ロンドン・シンフォニー・オーケストラとの『ミニマリズム』から6年ぶりのとなる本作は、よりソリッドで現代的なサウンドに生まれ変わった室内楽作品集。エッシャーのだまし絵からインスピレーションを得た「String Quartet No.1」や、マリンバ2台のための「Shaking Anxiety and Dreamy Globe」、すべて単音だけで構成された「Single Track Music 1」、そして戦後70周年を迎えたこの日本のために書かれた「祈りのうた for Piano」などを収録。

(メーカーインフォメーションより)

 

 

久石譲 『Minima_Rhythm II』 に寄せて

”ミニマリズム” から ”アニマリズム” へ

「不協和音ばかりに偏重してしまった現代音楽の中でも、ミニマル・ミュージックには調性もリズムもあった。現代音楽が忘れてしまったのがリズムだったとするならば、それをミニマル・ミュージックは持っていた。(中略)もう一回、作品を書きたいという気持ちが強くなったとき、自分の原点であるミニマル・ミュージックから出発すること、同時に新しいリズムの構造を作ること、それが自分が辿るべき道であると確信した」。このように久石譲が宣言し、アルバム『Minima_Rhythm』(ミニマル・ミュージックのMinimalとリズムRhythmの造語)を発表したのは2009年のことであった。本盤『Minima_Rhythm II』は、前作から実に6年ぶりとなる続編だが、当然のことながら6年の間に久石の音楽はさらなる深化を遂げ、新しい方向を目指して現在進行形で深化を続けている。それがいったい何なのか、具体例を挙げてみたい。

本盤冒頭、ピアノソロによって収録された《祈りのうた》の最初のセクションを、久石はわずか6つの単音のモティーフで始める。天上からの呼びかけを思わせる「ド、ラー」という2音と、それに対する地上の応答のような「ミラドミー」の4音(音楽を少し勉強したリスナーなら、使われている「ラ・ド・ミ」が三和音だとすぐにわかるはずだ)。呼びかけと応答は、何度か繰り返されるうちに音程が変わったり、あるいは音符の数が足されていったりと、少しずつ変化を遂げていく。さらに、同じくピアノソロで演奏されている《WAVE》においては、「ラ・ド♯・ミ」という三和音から生まれた分散和音の波が、繰り返しを重ねながら少しずつ変化を遂げていく。この「少しずつ」という要素が、実はミニマル(最小限)ということに他ならない。

もしもリスナーが、同じ音形を機械的に繰り返していく音楽(いわゆるパターン・ミュージック)だけを「ミニマル・ミュージック」と考えておられるとしたら、《祈りのうた》や《WAVE》はそういう意味での「ミニマル・ミュージック」ではない。これら2曲で久石が重きを置いているのは、音の素材を最小限に限定し、その素材をあるシステムによって「少しずつ」発展させていく、そういう意味での「ミニマル」だ。筆者の知る限り、久石がここまで音の要素を禁欲的に限定して音楽を書いたことは、ほとんどなかったのはないかと思う。

急いで付け加えたいのは、この《祈りのうた》や《WAVE》のような作品は、あくまでも生身の人間が演奏してはじめて意味が生まれてくる音楽という点だ。つまり、漠然と流れる時間の中から《祈りのうた》という曲名に相応しいテンポ感を──広い意味での「リズム」と言っていいだろう──見つけ出し、もしくは《WAVE》という曲名に相応しい潮の満ち引きの「リズム」を見つけ出し、その結果、これ以上ありえないほどシンプルな音の動きに相応しい繊細な音色がピアノから紡ぎ出されることで、ようやく作曲意図が感じられるようになる。別の言い方をすれば、これは躍動感あふれる生命のリズムを持った人間でないと、演奏できない音楽なのだ。それは、本盤に収録された他の3曲についても共通して言える点である。筆者はそれを、ミニマリズムMinima_Rhythmから生まれたアニマリズムAnima_Rhythm──アニマはラテン語で「生命」「魂」の意味──の音楽と呼びたいのだ。

 

ミニマル・ミュージックからポストクラシカルへ

本盤は作曲家として、また演奏家としてミニマル・ミュージック(必ずしも自作に限らない)と積極的に関わり続けてきた久石の、現時点での最新活動報告的な意味合いも込められている。その意義を理解するためには、ミニマル・ミュージックの歴史についてある程度予備知識があったほうがよいと思うので、要点を掻い摘んで書いておこう。

広い意味でもミニマル・ミュージックは「曲の素材を最小限に限定した音楽」と説明されることが多いが、一般的には、1960年代に登場した4人のアメリカ人作曲家ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラス(2015年現在、4人とも音楽活動を継続中)が、反復とズレを基に作り上げた音楽を指すことが多い(これら4人の音楽を、特に「アメリカン・ミニマル・ミュージック」と呼んで区別することがある)。一方、1970年代に入ると、旧ソ連政権下のエストニアやポーランドからも、やはり曲の素材を最小限に限定した音楽を書くアルヴォ・ペルトやヘンリク・グレツキのような作曲家が登場し始めた。この2人にイギリス人のジョン・タヴナーを加えた3人は、教会音楽と関係の深い音楽を多く書いていることから、現在では「ホーリー・ミニマリズム(聖なるミニマリズム)」と呼ばれている。これら7人をミニマル・ミュージックの第1世代の作曲家だとすると、それに続くジョン・アダムズ、マイケル・ナイマン、ルイ・アンドリーセンといった作曲家が第2世代ということになる(一時期、これらの作曲家の音楽は一括してポスト・ミニマリズムと呼ばれていた)。

第2世代よりやや若い世代に位置する久石は、学生時代に出会ったアメリカン・ミニマル・ミュージック(特にテリー・ライリー)に衝撃を受け、1981年作曲の《MKWAJU》や1985年作曲の《DA・MA・SHI・絵》(両曲の改訂版が『Minima_Rhythm』に収録されている)あたりまで、現代音楽作曲家としてミニマル・ミュージックを書いていた。ところが『風の谷のナウシカ』(84)以降、映画音楽を中心とするエンターテインメント側に活動の主軸が移ったため、たとえ本人が書きたくてもミニマルの新作を書く時間的・物理的余裕がまったくなくなってしまったのである。

この間、欧米ミニマル・ミュージックは先に述べたような作曲家を除くと、20世紀末まで後続の傑出した作曲家がなかなか芽を出さない状態が続いていた。この状況を、かつてフィリップ・グラスは「自分たちの名前があまりに大きくなり過ぎて、新人の出る余地がなくなってしまった」と筆者に説明していたが、そうした状況に大きな変化が見られるようになったのは、21世紀に入ってからである。具体的にはニコ・ミューリー、ガブリエル・プロコフィエフ、ブライス・デスナーといった若手作曲家がミニマルを基本としたクラシック作品を発表し、iTunes/You Tube世代のリスナーから大きな支持を獲得するようになったのだが、彼ら若手の音楽を総称して「ポストクラシカル」と呼ぶことが多い。

ポストクラシカルの作曲家たちに共通しているのは、ほぼ全員がミニマルの洗礼を例外なく受けていること、音楽大学などできちんとクラシックの教育を受けていること(つまりアレンジャーに頼らず自分でオーケストレーションが出来ること)、はじめはロックなりテクノなりのポップスフィールドで叩き上げられて才能を開花させていること、その後、改めてクラシックに戻って(ポップス的な感性を活かしながら)演奏会用作品を書いていること、という特徴である。察しのいいリスナーなら、そうした特徴が実は久石についてもそのまま当てはまることに気づくだろう。『風の谷のナウシカ』以降、四半世紀近くも現代音楽から遠ざかり、回り道をしてきたように思える久石だが、実際のところは誰よりも早くポストクラシカル的な道を歩み始めていたのだ。そうした意味において、2014年から久石が始めた『Music Future』というコンサートシリーズ──その第1回公演では本盤に収録された《String Quartet No.1》と《Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas》に加え、ペルト、グレツキ、ミューリーの作品も併せて演奏された──は、アメリカン・ミニマル・ミュージックからホーリー・ミニマリズムを経てポストクラシカルへと進化を続けている久石の軌跡そのものなのである。本盤に収録された5曲を注意深く聴いていくと、その軌跡──ミニマルからポストクラシカルに到る”単線の軌跡”と言い換えてもいい──から見えてくる、さまざまな風景が走馬灯のように流れていくのを確認できるはずだ。

 

躍動する生命(アニマ)のリズム

アルバム『ジブリ・ベスト・ストーリーズ』所収の拙稿にも少し書いたが、久石の音楽において、ミニマル的な表現は「根源的な生命(力)の存在」と結びつくことが多い。それはミニマル的な表現が、音楽の最も基本的な要素のひとつである「リズム」をどう捉えるか、という問題と深く結びついているからだ。音楽を時間芸術として見た場合、「リズム」「メロディ」「ハーモニー」「音色」という音楽の4大基本要素の中で最も重要なのは、言うまでもなく「リズム」である。リズムのない音楽、時間を感じさせない音楽は死に等しい。つまり「リズムが命」ということである。ミニマルは、そうした音楽の本質を書き手・聴き手の双方に意識化させる、文字通りの最小限の表現手段なのだ。そういうところから久石が音楽を始めている以上、彼の音楽にある種の強度──生命力の強さ、生命力の多様さ──がもたらされるのは、当然の結果と言えるだろう。

先に触れた《祈りのうた》や《WAVE》とは逆に、《String Quartet No.1》 《Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas》それに《Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion》には複雑な変拍子が用いられているが、久石の目的は何も作曲上・演奏上の超絶技巧的な凄さを開陳することではない。シンプルなフレーズがズレを見せ、変容を見せ、時にはまったく異なった相貌を見せることで、いかに多様な生命力を獲得し得るか。つまり「リズムの躍動=生命の躍動」を表現したいがために、そうした手法を用いているのである。必ずしも正確な喩えではないかもしれないが、たったひとつの細胞が増殖し、それが重なり集まることで組織が生まれ、器官が生まれ、総体としてひとつの生命が生まれていくダイナミックな過程を「生命の躍動」とするならば、久石の音楽はまさにそうした意味での「生命の躍動」を表現していると言えるだろう。

幸運なことに、筆者は《Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion》の録音リハーサルに居合わせることが出来たが、そこで間近に見たものは、久石の音楽が持つ「生命の躍動」に4人のサクソフォニストとパーカッショニストが文字通り「息を吹き込む」、崇高な誕生の瞬間だった。単音から24音まで増殖していくフレーズ(音列)がユニゾンで提示された後、そこから特定の音が残り、引っ掛かり、強調されていくことで、得も言われぬグルーヴ感が生まれてくる。それは時にはジャズ的であったり、琉球音楽的であったり、あるいはロック的であったりするのだが、演奏者たちはそうしたさまざまなリズムの風景──曲名を踏まえて言えば、単線の軌道を走る列車の車窓から見えてくるさまざまな音風景──を目ざとく見つけ、それを楽しみながら生き生きと表現すべく、あらん限りのテクニックとエネルギーを演奏に投入していく。これをPlay(演奏=遊戯)の醍醐味と呼ばずして、何と呼ぼうか。

それは、ミニマリズムMinima_Rhythmという原点を持つ久石の音楽が、高度な技量を備えた本盤の演奏家たちという理解者を得て、躍動する生命(アニマ)のリズムを讃えるアニマリズムAnima_Rhythmの高みに到達した瞬間でもあった。

文:前島秀国

(以上、CDライナーノーツ 寄稿文より)

 

 

【楽曲解説】

1. 祈りのうた for Piano (2015)

初演(予定):2015年8月5日、ザ・シンフォニーホール
「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.) 2015」

2015年1月作曲。三鷹の森ジブリ美術館の展示室用音楽として、一足先に聴かれたリスナーも多いかもしれない。世俗の日常を超越した崇高な時間感覚を紡ぎ出す、拍節感の希薄なテンポ。”祈り”の余韻をいっそう純化する、息の長いペダルの使用。久石自身が「僕が初めて書いたホーリー・ミニマリズムの曲」と述べているこの楽曲は、機能和声や調性システムからいったん脱却し、シンプルな三和音という最小限(ミニマル)の構成要素に回帰したアルヴォ・ペルトのティンティナブリ様式(鈴鳴り様式)との親近性を強く感じさせる。本盤に収録されたピアノ版の構成は、ごく大まかに(1)透明感あふれる三和音のモティーフを右手が導入する最初のセクション、(2)悲しみに満ちた和音からなる中間部のセクション、(3)左手の伴奏を伴った最初のセクションの再現、という三部形式と見ることが可能である。

《祈りのうた》という曲名に関して、久石は具体的に誰のための「祈り」か明言していない。ただし2014年暮、すなわち本作作曲直前の時期にW.D.O.2015公演のプログラミングを練っていた久石は、東日本大震災の悲劇について何らかの音楽的ステートメントを盛り込みたいと構想していたので、それが作曲の間接的なきかけになった可能性はある。

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2015年1月、三鷹の森ジブリ美術館オリジナルBGM用のピアノソロ曲として作られた。久石の作家人生の中でも初のホーリー・ミニマリズム作品として書かれたこの曲は、極めてシンプルな3和音を基調とし、極限まで切りつめられた最小限の要素で構成されている。今回演奏される《祈りのうた》は、核をなすピアノに加え、チューブラベルズ、弦楽合奏が加えられた。厳かな鐘の鳴り響く中、静かに訥々と語りかけるように始まるピアノの旋律が印象的である。久石が敬愛するホーリー・ミニマリズムの作曲家ヘンリク・グレツキに捧げられている。
Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」 コンサート・レポート
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毎年正月、三鷹の森ジブリ美術館で使うために宮崎(駿)さんに曲を贈っているのですが、今年出来たのがこれだったんです。昨年、ヘンリク・グレツキやアルヴォ・ペルトに代表されるような教会旋法を使ったホーリー・ミニマリズムを演奏してきた影響もあり、シンプルでありながらエモーショナルであることを追求したくなっていたんです。人間は前進しようとするとより複雑なものを求めがちですが、あえてシンプルにいきたかった。そうして出来上がったら自然と《祈りのうた》というタイトルが浮かびました。
Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」 コンサート・パンフレットより
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2. Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas (2012-2014)

初演:2014年9月29日、よみうり大手町ホール 「Music Future Vol.1」

原曲は、2台のギターのために書かれたHakujuギター・フェスタ委嘱作 《Shaking Anxiety and Dreamy Globe》(2012年8月19日Hakuju Hallにて初演)。曲名は、ダグラス・ホフスタッターの古典的名著『ゲーデル、エッシャー、バッハ』20周年記念版の序文に出てくる「揺れ動く不安と夢の球体」というフレーズに由来する。このフレーズは、著者のホフスタッターがアメリカの詩人ラッセル・エドソンの詩「The Floor」の一節を引用した部分「teetering bulb of dread and dream」を訳したものだが、「揺れ動く不安と夢の球体」という日本語表現を気に入った久石は、敢えて原文の文脈にとらわれず「shaking anxiety(揺れ動く不安)and dreamy globe(夢の球体)」という英語に逆変換し、新たな造語を作り上げた。久石自身はこの造語の意味するところを「生命が生まれる瞬間」と説明している。躍動感あふれるミニマル音形の反復と複雑な変拍子を用いた原曲の構成を踏襲しつつ、本盤に収録されたマリンバ版では第1奏者がグロッケンシュピールを、第2奏者がヴィブラフォンを兼ね、より多彩な音色を獲得。特に「dolente(悲しみを込めて)」と記されたセクションでは、繊細かつ精麗な響きを奏でるグロッケンとヴィブラフォンが印象に残る。

 

3. Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion (2014-2015)

初演(予定):2015年9月24日・25日、よみうり大手町ホール「Music Future Vol.2」

原曲は、毎年ウィンド・アンサンブルの新作を委嘱初演する浜松市の音楽イベント「バンド維新」のために書かれた吹奏楽曲(2015年2月22日アクトシティ浜松にて初演)。久石自身の解説によれば、単音から24音まで増殖するフレーズがユニゾンで演奏され、その中のある音が高音や低音に配置されることで別のフレーズが浮かび上がってくるという、シンプルな構造で作られている。

アメリカン・ミニマル・ミュージックの作曲家たち、特にスティーヴ・ライヒはミニマル特有のズレ(とそこから生まれる変化のプロセス)を生み出すため、バッハ以来おなじみのポリフォニック(多声音楽的)な書法、具体的にはカノンのような手法で声部を重ね合わせる実験を試みたが、本作において久石は、そうしたポリフォニックな手法に頼らず、あくまでも単旋律のユニゾンにこだわりながらズレを生み出す試みにチャレンジしている。つまり多声という”複線”を走るのではなく、あくまでもユニゾンという”単線”を走り続けるわけだ。鉄道の”単線”を意味する《Single Track》という曲名はそこに由来しているが、その際、フレーズ内の音が高音や低音に配置されることで生まれる別のフレーズは、車窓から見えるビルの窓ガラスや川の水面に映る自分の反射した姿(の変形)と考えると、分かりやすいかもしれない。

本盤に収録された演奏において、パーカッショニストがヴィブラフォンを演奏するセクションから中間部となるが、そこに聴かれる和音らしき響きは、あくまでもフレーズの持続音(サステイン)が伸びた結果生まれたものであって、決して意図したものではないという。喩えて言うならば山間部を走る列車の走行音や警笛がこだまし、それが偶発的なハーモニーを生み出すようなものである。

ユニゾンのフレーズの音が時間軸上でズラされることで生まれるさまざまな音風景は──久石は本作を鉄道の標題音楽として書いているわけではないが──車窓から見える多種多様な光景が自分の中のさまざまな記憶を呼び起こしていく、そんな自由連想的な聴き方をリスナーに許容している。最初のユニゾンのフレーズが、民謡のようにもジャズのようにも、あるいはわらべ唄のようにも聴こえてくる面白さ。そういう面白さを実現するためには、最初のフレーズが思わず口ずさみたくなるような親しみやすさを持ちながら、同時に高度な可塑性に耐えうる可能性を潜在的に秘めていなけれなならない。こういうフレーズは、ポップスフィールドで感性を徹底的に鍛え上げられた、久石のような作曲家でなければ絶対に書けないフレーズだと思う。そういう意味で本作は、久石のポストクラシカル的な在り方をこれまでになく明瞭に示した楽曲と言えるだろう。

 

4. WAVE (2009)

初演:2009年8月15日、ミューザ川崎シンフォニーホール
「久石譲 オーケストラ コンサート 2009 ~ミニマリズム ツアー~」

アメリカン・ミニマル・ミュージック(特にフィリップ・グラス)の功績のひとつは、西洋音楽において単なる伴奏音形とみなされていた分散和音(アルペッジョやアルベルティ・バス)に音楽表現の主体を置くことで「旋律=主、分散和音=従」の関係を逆転させ、分散和音から旋律が発展してく手法を確立・普及させた点である。本作の場合、イ長調の主和音から始まる分散和音は、《WAVE》という曲名が示す通り、寄せては返す波のように何度も繰り返されていくが、渚を洗うひとつひとつの波が決して同じではないように、ひたひたと寄せる分散和音は繰り返しごとに色あいを微妙に変えていく。そして、その色あいの変化の中から、ちょうど波間に浮かぶ小舟のように、1本の旋律がくっきりと上声部に浮かび上がってくるのである。ミニマル作家としての久石譲と旋律作家としての久石譲が、高度な次元で融合した名曲というべきであろう。2009年1月に作曲後、三鷹の森ジブリ美術館展示室用音楽の形で初めて公にされたが、この作品に格別な思い入れを抱く久石は、これまでアンコールなど特別な機会のみに演奏を限定してきた。リリースは本盤が初となる。

 

5-8. String Quartet No.1 (2014)

初演:2014年9月29日、よみうり大手町ホール「Music Future Vol.1」

2012年に東京で開催された「フェルメール光の王国展」のために久石が書き下ろした室内楽曲《Vermeer & Escher》から4曲を選び、弦楽四重奏曲として新たに構成・作曲し直した作品。作曲活動の初期から、オランダの画家マウリッツ・エッシャーのだまし絵(錯視絵)がもたらす錯視効果と、ミニマル・ミュージック特有のズレがもたらす錯聴効果の類似性に強い関心をいだいていた久石は、1985年に《DA・MA・SHI・絵》という作品を発表しているが、それから約30年、弦楽四重奏だけで構成された本作では、エッシャー特有の線的構成がいっそう強調されることになった(ただし久石は、エッシャーの作品を標題音楽的に表現しているわけではない)。参考までに、作曲にあたって久石がインスパイアされたエッシャーの原画のデータを以下に挙げておく。※割愛

第1楽章:Encounter
冒頭のユニゾンで提示される主題を基にした、ユーモアにあふれるズレの遊戯。

第2楽章:Phosphorescent Sea
グリッサンドの弦の波、それに夜のミステリアスな音楽で表現された「燐光を発する海」の情景。

第3楽章:Metamorphosis
厳格かつ対位法的な音楽で表現される、ズレの「変容」の過程。

第4楽章:Other World
13/8拍子という珍しい拍子を持ち、オクターヴを特徴とする反復音形が中心となる終楽章。オリジナル版では全音階の希望に満ちたモティーフが静かに登場した後、コーダを迎える形をとっていたが、本盤に収録された弦楽四重奏版ではそのモティーフを中心とする新たなクライマックスが築き上げられ、その後、反復音形が再現して余韻を残したコーダを迎える形に改訂されている。

 

2015/06/18
前島秀国 サウンド&ヴィジュアル・ライター

(【楽曲解説】 ~CDライナーノーツより 抜粋)

 

補足)

近年の久石譲オリジナル・アルバム(ベストアルバム含む)のほとんどのライナーノーツを手掛けている前島氏。本作品でも「久石譲 『Minim_Rhythm II』に寄せて」と題し、楽曲解説以外にも4ページにわたって、久石譲を紐解いている。本盤に至る経緯、久石譲の現在地を独自の視点で捉えていてより一層引き込まれる。楽曲解説項から溢れた収録曲の解説もそこで述べられており、本作品を聴くための手引きとなるにふさわしい。そして聴覚から得る印象と視覚から得る言語、まさに感覚性と論理性によって本作品の真髄を受け止めることができる。

耳でも、そして言葉でも、久石譲を、久石譲の現在(いま)を、『Minima_Rhythm II』を深く味わいたい方は、ぜひ本作品CDを手にとってほしいと願いを込めて。

 

 

 

「2曲とも宮崎駿監督の誕生祝いとして書いた作品です。〈WAVE〉(2009年作曲)は”メロディ”と”ミニマル”という2つの要素をシンプルな形で結びつけた曲ですが、当初収録を予定していたピアノ・ソロアルバムがなかなか完成せず、リリースの機会を逸してしまいました。一方の〈祈りのうた〉(2015年作曲)は、戦後70年の節目を意識して書いた曲。以前から音数(おとかず)の少ない、内省的な作品を書きたいと思っていたのですが、これもなかなか機会に恵まれなくて。ところがここ数年、ペルトやグレツキの作品を(指揮者/ピアニストとして)演奏したことで、ホーリー・ミニマリズムと呼ばれる彼らのスタイルから刺激を受けました。”なるほど、できるだけ切り詰めた要素で作曲していくには、こういう方法もあるのか”と」

Blog. 雑誌「CDジャーナル 2015年11月号」久石譲 インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「宮崎駿監督とはもう長い付き合いですからね。年に一回、宮崎さんのために正月に曲を書いて持って行くんです。持って行かない年は1年を通して調子が悪くて(笑)。ゲン担ぎみたいなものですね。「祈りの歌 for Piano」は今年の正月に持って行った曲です。正月の3日に作って、4日にレコーディングしてその日に持って行って。なんだか出前みたいですけど(笑)。この年頭の習慣が、意外と大事なんですよ。お正月だから、暗い曲を持って行くことはしないし(笑)、新年最初に心休まる曲を一曲作る、というのは、すごくいいなと思っていて。ジブリ美術館では、僕の曲を今でも使ってくれているみたいですね。」

Blog. 「月刊ぴあの 2015年12月号」 久石譲 インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「結局、音楽って僕が考えるところ、やはり小学校で習ったメロディ・ハーモニー・リズム、これやっぱりベーシックに絶対必要だといつも思うんですね。ところが、あるものをきっちりと人に伝えるためには、できるだけ要素を削ってやっていくことで構成なり構造なりそれがちゃんと見える方法はないのかっていうのをずっと考えていたときに、単旋律の音楽、僕はシングル・トラック・ミュージックって呼んでるんですけれども、シングル・トラックというのは鉄道用語で単線という意味ですね。ですから、ひとつのメロディラインだけで作る音楽ができないかと、それをずっと考えてまして。ひとつのメロディラインなんですが、そのタタタタタタ、8分音符、16分音符でもいいんですけど、それがつながってるところに、ある音がいくつか低音にいきます。でそれとはまた違った音でいくつかをものすごく高いほうにいきますっていう。これを同時にやると、タタタタとひとつの線しかないんだけど、同じ音のいくつかが低音と高音にいると三声の音楽に聴こえてくる。そういうことで、もともと単旋律っていうのは一個を追っかけていけばいいわけだから、耳がどうしても単純になりますね。ところが三声部を追っかけてる錯覚が出てくると、その段階である種の重奏的な構造というのがちょっと可能になります。プラス、エコーというか残像感ですよね、それを強調する意味で発音時は同じ音なんですが、例えばドレミファだったらレの音だけがパーンと伸びる、またどっか違う箇所でソが伸びる。そうすると、その残像が自然に、元音型の音のなかの音でしかないはずなんだが、なんらかのハーモニー感を補充する。それから、もともとの音型にリズムが必ず要素としては重要なんですが、今度はその伸びた音がもとのフレーズのリズムに合わせる、あるいはそれに準じて伸びた音が刻まれる。そのことによって、よりハーモニー的なリズム感を補強すると。やってる要素はこの三つしかないんですよね。だから、どちらかというと音色重視になってきたもののやり方は逆に継承することになりますね。つまり、単旋律だから楽器の音色が変わるとか、実はシングル・トラックでは一番重要な要素になってしまうところもありますね。あの、おそらく最も重要だと僕が思っているのは、やっぱり実はバッハというのはバロックとかいろいろ言われてます、フーガとか対位法だって言われてるんですが、あの時代にハーモニーはやっぱり確立してますよね、確実に。そうすると、その後の後期ロマン派までつづく間に、最も作曲家が注力してきたことはハーモニーだったと思うんです。そのハーモニーが何が表現できたかというと人間の感情ですよね。長調・短調・明るい暗い気持ち。その感情が今度は文学に結びついてロマン派そうなってきますね。それがもう「なんじゃ、ここまで転調するんかい」みたいに行ききって行ききって、シェーンベルクの「浄夜」とか「室内交響曲」とかね、あの辺いっちゃうと「もうこれ元キーをどう特定するんだ」ぐらいなふうになってくると。そうすると、そういうものに対してアンチになったときに、もう一回対位法のようなものに戻る、ある種十二音技法もそのひとつだったのかもしれないですよね。その流れのなかでまた新たなものが出てきた。だから、長く歴史で見てると大きいうねりがあるんだなっていつも思います。」

 

(Single Track Music 1について)

「この時、シングル・トラックをやろうって、そんなひとつの自分の方法をまだ全然考えてなかったんですよね。なんでかっていうと、ミニマルって必ず二つ以上ないと出来なかったんですよ。ズレるってことは元があってズレるものがないといけない。そうすると必ず二声部以上必要になりますね。大元のパターンがある、一緒にやってるが一個ずつズレていく、それがだんだん一回りして戻ると。そうするとね必ず二ついるんですよ。僕もそれが一拍ズレ、半拍ズレた、二拍ズレたとかってよくやるんですが、必ず元に対してズレがあるっていう方法をなんとか打破できないかと。単純に。ミニマルっていうのはこうやってもう何かがズレるんだと、いやこんなことやってたら永久に初期のスティーヴ・ライヒさんとかフィリップ・グラスさんとかがやってた方法と変わんだろうと。なんか違う方法ないかっていうときに、自分でズレるっていうか、二つがあって相対的にズレるじゃなくて、自分自身がズレていくような効果を単旋律で出来ないかって作った実験的なのがこれが最初でしたね。」

 

(Shaking Anxiety and Dreamy Globeについて)

「地球ですね。これね、自分で付けたタイトルなんだけど、今でも言えないんですよ。シュールなタイトルなんですけどね。音が一個一個こう生まれていって、それが一つの有機的な作品になるっていうことは、ちょうどこう細胞が分裂していって一つの生命が宿る、それと同じということでちょっとシュールにこういうタイトルを付けてみました。」

「はい、もともとはギター2本で書いた曲なんですね。それをこう、非常にアップテンポで構造が見えるようにやりたいなと思ってマリンバに直したんですね。」

Blog. NHK FM「現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて」 番組内容 より抜粋)

 

 

同日、ショット・ミュージックより「弦楽四重奏曲第1番 – String Quartet No.1」 オフィシャル・フルスコアおよびパート譜も発売されている。

 

 

 

2018年4月25日 LP発売 UMJK-9081/2
完全生産限定盤/重量盤レコード/初LP化

 

 

 

Minima_Rhythm II

1. 祈りのうた for Piano (2015)
2. Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas (2012-2014)
3. Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion (2014-2015)
4. WAVE (2009)
String Quartet No.1 (2014)
5. I. Encounter
6. II. Phosphorescent Sea
7. III. Metamorphosis
8. IV. Other World

All Music Composed & Produced by Joe Hisaishi

Piano:Joe Hisaishi 1. 4.

 

<<M1>>
Piano: Joe Hisaishi

<<M2>>
Marimba / Glockenspiel: Momoko Kamiya
Marimba / Vibraphone: Mitsuyo Wada

<<M3>>
Soprano Saxophone: Kazuyuki Hayashida
Alto Saxophone: Wataru Sato
Tenor Saxophone: Yui Asami
Baritone Saxophone: Ryota Ogishima
Percussion: Mitsuyo Wada

<<M4>>
Piano: Joe Hisaishi

<<M5~8>>
Violin 1: Kaoru Kondo
Violin 2: Satoshi Morioka
Viola: Hironori Nakamura
Violoncello: Wataru Mukai

 

Recorded at
Bunkamura Studio [Track-1]
Victor Studio [Track-2,3,5-8]
Wonder Station [Track-4]

 

Minima_Rhythm II

1.Song for Prayer for Piano
2.Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas
3.Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion
4.WAVE
5.String Quartet No.1 – I. Encounter
6.String Quartet No.1 – II. Phosphorescent Sea
7.String Quartet No.1 – III. Metamorphosis
8.String Quartet No.1 – IV. Other World

 

Disc. 久石譲 『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』

2014年10月8日 CD発売 UMCK-1495

 

約9年ぶりのWORKSシリーズ第4弾

3年ぶりに復活したW.D.O.とのコンサート「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2014」から初音源化となる楽曲のみを収録したアルバム。リハーサルと2公演の本番すべての演奏を収録し、ベスト・テイクのみを収めている。豪華なサウンドで奏でられる久石の映画音楽のオーケストラ作品が、コンサートならでは臨場感と共に味わえるハイクオリティな一枚。

2013年の久石のワークスから「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」「小さいおうち」と3巨匠の作品をメインに据え、未だ音源化されていなかった「私は貝になりたい」と「Kiki’s Delivery Service for Orchestra (2014)」を収録。いずれも音楽的な「作品」として新たにオーケストレーションし直した魅力あふれる楽曲たちがラインナップ。

演奏は新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)との、今年8月9日・10日に行われたコンサートをレコーディングし、チーム久石によって最高のクオリティを追求した作品として仕上げる。

また吉岡徳仁氏の”The Gate”に一目惚れした久石譲が、メインデザインに熱望したジャケットも必見。

(メーカーインフォメーションより)

 

 

【収録曲 解説】

バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲

宮崎駿監督と久石がタッグを組んだ10本目の長編映画『風立ちぬ』は、ゼロ戦開発に従事した実在の設計者・堀越二郎の半生と、小説『風立ちぬ』の作者・堀辰雄の世界観を融合させ、「美しい風のような飛行機を造りたいと夢見る」主人公・二郎の夢と狂気、そして肺結核に冒された妻・菜穂子と二郎の夫婦愛を描いた作品。本盤に収録された《第2組曲》は、2013年12月に東京と大阪で世界初演された《小組曲》と異なり、本編のストーリーの流れに縛られることなく主要曲を音楽的に再構成している。『風立ちぬ』は、宮崎監督の意向で音声がモノラル制作されたこともあり、本編用のスコアは慎ましい小編成で演奏されていたが、《第2組曲》では原曲の持つ室内楽的な味わいを残しつつも、音響上の制約を一切受けることなく、壮大なオーケストラ・サウンドが展開している。

全曲の中心となるのは、バラライカ、バヤン(ロシアのアコーディオン)、ギターの3つの特殊楽器で主人公の遙かなる旅情を表現した「旅路のテーマ」と、久石らしい叙情的なピアノが凛としたヒロイン像を表現した「菜穂子のテーマ」の2つのテーマ。最初の〈旅路(夢中飛行)〉で3つの特殊楽器とノスタルジックなジンタ(軍楽)が「旅路のテーマ」を導入し、続く〈菜穂子(出会い)〉では久石のソロ・ピアノが「菜穂子のテーマ」をしっとりと演奏する。

次の3つの音楽、すなわち勇壮な行進曲の〈カプローニ(設計家の夢)〉、ミニマル的な推進力に溢れた〈隼班〉と〈隼〉は、いずれも二郎の飛行機への憧れと情熱を表現したセクションと見ることが出来るだろう。

3つの特殊楽器がしみじみと「旅路のテーマ」を演奏する〈旅路(結婚)〉が間奏曲的に登場した後、関東大震災の被災シーンのために書かれた〈避難〉では、オーケストラが凶暴なミニマルの牙を剥く。

続く3つの音楽、すなわち吐血した菜穂子の許に二郎が駆けつける場面の〈菜穂子(会いたくて)〉、二郎の許に菜穂子発熱の報が届く場面の〈カストルプ(魔の山)〉、療養所を飛び出した菜穂子が二郎と再会する場面の〈菜穂子(めぐりあい)〉は、「菜穂子のテーマ」を中心とした夫婦愛の音楽のセクションと捉えることも可能である。

フィナーレは、ラストシーンの〈旅路(夢の王国)〉。3つの特殊楽器と久石のピアノも加わり、万感の想いを込めて「旅路のテーマ」を演奏する。

 

Kiki’s Delivery Service for Orchestra (2014)

魔女の見習い・キキが宅急便で生計を立てながら、逞しく成長していく姿を描いた宮崎駿監督『魔女の宅急便』から、キキが大都会コリコを初めて訪れるシーンの音楽〈海の見える街〉を演奏会用に作品化したもの。今回の2014年版では、スパニッシュ・ミュージックの要素が印象的だった後半部のセクションもすべてオーケストラの楽器で音色が統一され、よりクラシカルな味わいを深めたオーケストレーションを施すことで、ふくよかで温かみのあるヨーロッパ的な世界観を描き出している。

 

ヴァイオリンとオーケストラのための「私は貝になりたい」

太平洋戦争に従軍した心優しい理髪師・清水豊松が米軍捕虜殺害の容疑で逮捕され、BC級戦犯として死刑に処せられる不条理の悲劇を描いた『私は貝になりたい』は、日本のテレビドラマ史を語る上で欠かせない橋本忍脚本の反戦ドラマ。橋本自身が脚本をリライトした2008年の映画版では、物語後半、豊松の妻・房江が夫の助命嘆願の署名を集めるために奔走する”道行き”のシークエンスが大変に印象的だったが、上映時間にして実に15分近くを占める”道行き”のシークエンスのために、久石は格調高い独奏ヴァイオリンを用いたワルツを作曲し、四季折々の美しい風景の中でじっくり描かれる夫婦愛を見事に表現していた。本盤では、そのシークエンスの音楽〈汐見岬~愛しさ~〉と〈メインテーマ〉を中心に、ヴァイオリンとオーケストラのためのコンチェルティーノ(小協奏曲)として発展させたもの。ヴァイオリンがワルツ主題を導入する主部と、ヴァイオリンが重音奏法を駆使する〈判決〉の激しい中間部、そしてワルツ主題が回帰する再現部の三部形式で構成されている。

 

交響幻想曲「かぐや姫の物語」

『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』で音楽演出を務めた高畑勲監督が、久石に初めてスコアを依頼した『かぐや姫の物語』は、実に12年もの製作期間を費やした高畑監督のライフワークというべき大作。言わずと知れた日本最古の文学『竹取物語』を高畑監督独自の解釈で映画化しているが、久石は五音音階を基調とする音楽をはじめ、前衛的なクラスター音、西洋の楽器で東洋的な世界観を表現するマーラー流の方法論、さらには久石の真骨頂というべき、エスニック・サウンドまで多種多様な音楽語法を投入し、高畑監督の世界観を見事に表現してみせた。古来より”赫映姫”とも”輝夜姫”とも記されてきたヒロインの光り輝く姿を表現するため、チェレスタやグロッケンシュピールといった金属系の楽器を多用しているのも本作の大きな特長のひとつで、今回の組曲版ではそうした楽器のメタリカルな響きが、よりいっそう有機的な形でオーケストラの中に溶け込んでいる。組曲としての音楽性を優先させるため、本編のストーリーの順序に縛られない構成となっているのは、『風立ちぬ』の《第2組曲》と同様である。

最初の〈はじまり〉ではピッコロが「なよたけのテーマ」を、チェレスタが高畑監督作曲の「わらべ唄」をそれぞれ導入し、きらびやかな〈月の不思議〉のセクションをはさんだ後、マーラー風の〈生きる喜び〉が東洋的な生命賛歌を歌い上げる。その後、〈春のめぐり〉の8分の6拍子の音楽となり、永遠に繰り返しを続けるようなピアノの三和音の上で、チェロが心に沁み入る旋律を歌う。

曲想が一転すると、怒りと悲しみを込めた衝撃的な不協和音が響き渡る〈絶望〉となるが、今回の組曲版ではミニマル的な展開部分が新たに加わり、重厚かつエモーショナルなオーケストラが壮大なクライマックスを築き上げる。

〈絶望〉の激しい感情が鎮まると、かぐや姫と捨丸が手を携えて飛行する場面の〈飛翔〉となり、幸福感に満ち溢れたオーケストラが〈生きる喜び〉のテーマを美しく展開する。そしてサンバを元に発想したという〈天人の音楽〉となるが、ここで久石はケルト、アジア、アフリカなど様々な民族音楽の要素を掛け合わせ、いわば”究極のエスニック”と呼ぶべき彼岸の音楽を書き上げているが、それをスタンダードなオーケストラで見事に表現している。

最後の〈月〉では「なよたけのテーマ」や「わらべ唄」など主要テーマが再現され、後ろ髪を引かれるようにコーダで全曲が閉じられる。

 

小さいおうち

『東京家族』に続き、久石が山田洋次監督作のスコアを担当した第2作。激動の昭和を生き抜いた元女中・タキの回想録に綴られた、中流家庭の奥方・時子の道ならぬ恋。その彼女たちが暮らした”小さいおうち”の人間模様と迫り来る戦争の足音、そして彼女たちを襲った東京大空襲の悲劇を描いた作品である。久石は、セリフを重視する山田監督の演出に配慮するため、本編用のスコアでは特徴的な音色を持つ楽器(ダルシマーなど)を効果的に用いていたが、本盤に聴かれる演奏はギター、アコーディオン、マンドリンを用いた新しいオーケストレーションを施し、同じ昭和という時代を描いた『風立ちぬ』と世界観の統一を図っている。

全体の構成は、久石のソロ・ピアノによる序奏に続き、タキが象徴する激動の昭和を表現した「運命のテーマ」、そして時子が象徴する昭和ロマンを表現した「時子のワルツ」となっている。

(解説 「WORKS IV」ライナーノーツより 筆:前島秀国)

 

 

「実は昨年の暮れ、東京と大阪で行った第9コンサートでも《風立ちぬ》は演奏している。それなのに何故もう一度書き直しをするのかというと、今ひとつ気に入らなかった、しっくりこない、など要は腑に落ちなかったからだ。これは演奏の問題ではなく(演奏者は素晴らしかった)あくまで作品の構成あるいはオーケストレーションの問題だ。」

「昨年のときには映画のストーリーに即し、できるだけオリジナルスコアに忠実に約16分の組曲にしたのだが、やはり映画音楽はセリフや効果音との兼ね合いもあって、かなり薄いオーケストレーションになっている。まあ清涼な響きと言えなくもないけど、なんだかこじんまりしている。そこで今回、もう一度演奏するならストーリーの流れに関係なく音楽的に構成し、必要な音は総て書くと決めて改訂版を作る作業を始めたのだが、なんと23分の楽曲になって別曲状態になってしまった。そこで後に混乱しないようにタイトルも第2組曲とした。」

Blog. 「クラシック プレミアム 9 ~ベートーヴェン2~」(CDマガジン) レビュー より抜粋)

 

 

 

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久石譲 WORKS IV -Dream of W.D.O.-

バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲
1. 旅路(夢中飛行)~菜穂子(出会い)
2. カプローニ(設計家の夢)
3. 隼班~隼
4. 旅路(結婚)
5. 避難
6. 菜穂子(会いたくて)~カストルプ(魔の山)
7. 菜穂子(めぐりあい)
8. 旅路(夢の王国)
9. Kiki’s Delivery Service for Orchestra (2014)
10. ヴァイオリンとオーケストラのための「私は貝になりたい」
交響幻想曲「かぐや姫の物語」
11. はじまり~月の不思議
12. 生きる喜び~春のめぐり
13. 絶望
14. 飛翔
15. 天人の音楽~別離~月
16. 小さいおうち

※初回プレス限定 スペシャルパッケージ スリーブケース仕様

All Music Composed, Arranged and Produced by Joe Hisaishi

Conducted:Joe Hisaishi
Performed:New Japan Philharmonic World Dream Orchestra
Concert Master:Yasushi Toyoshima

Solo Violin:Yasushi Toyoshima (Track 10)
Piano:Joe Hisahisi (Track 1-8 ,16)

Balalaika & Mandlin:Tadashi Aoyama (Track 1-8 ,16)
Bayan & Accordion:Hirofumi Mizuno , Tomomi Ota (Track1-8 ,16)
Guitar:Masayuki Chiyo (Track 1-8 ,16)

Recorded at Suntory Hall , Tokyo (9th August , 2014)
Sumida Triphony Hall , Tokyo (10th August , 2014)

Mixed at Bunkamura Studio

Recording & Mixing Engineer:Suminobu Hamada

 

WORKS IV: Dream of W.D.O.

“The Wind Rises” Suite No. 2 (for Balalaika, Bayan, Guitar and Small Orchestra)
1.A Journey (A Dream of Flight) ~ Nahoko (The Encounter)
2.Caproni (An Aeronautical Designer’s Dream)
3.The Falcon Project ~ The Falcon
4.A Journey (The Wedding)
5.The Refuge
6.Nahoko (I Miss You) ~ Castorp (The Magic Mountain)
7.Nahoko (An Unexpected Meeting)
8. A Journey (A Kingdom of Dreams)

9.Kiki’s Delivery Service for Orchestra

10.I’d Rather Be a Shellfish (For Violin and Orchestra)

Symphonic Fantasy “The Tale of the Princess Kaguya”
11.Overture ~ Mystery of the Moon
12.The Joy of Living ~ The Coming of Spring
13.Despair
14.Flying
15.The Procession of Celestial Beings ~ The Parting ~ Moon 

16.The Little House