Blog. TBSラジオ「辻井いつ子の今日の風、なに色?」久石譲ゲスト出演 番組内容

Posted on 2018/08/28

ピアニストの辻井伸行さんを育てられた辻井いつ子さんがパーソナリティを務めるラジオ番組「辻井いつ子の今日の風、なに色?」に、8月のゲストとして久石譲が出演しました。

全4回の放送は、映画音楽について、CM音楽について、指揮活動について、現代的アプローチ、音楽になるということ、などなど。普段からあまりメディアやインタビュー登場することないだけに、とても濃く深い貴重なお話ばかりとなりました。一挙書き起こしご紹介します。

 

 

「辻井いつ子の今日の風、なに色?」
放送局:TBSラジオ(AM954kHz、FM90.5MHz)
放送日:2018年8月 毎週日曜日 朝7:15頃-7:25

 

◇第1回:8月5日 ~映画音楽の話~

プロフィール紹介

-映画音楽をはじめたきっかけは?

久石:
「『風の谷のナウシカ』のイメージアルバムをレコード会社から言われてつくって、それを宮崎さん高畑さんが気に入られて、そのまま映画のほうもやらないかという話ではじめたということですね。高畑さんは音楽に詳しいので、音楽プロデューサーとしての立場も兼務して、それで音楽の話をしてたんですけれども。ナウシカのときはたしか2日間か3日間毎晩夜中まで喧々諤々話した覚えがありますね。」

-映画音楽をつくるときのはじまりは?

久石:
「依頼受けて台本読んで、「あ、こういう世界だったらこうしようかなあ」とかっていうイメージはもって。それから撮影の途中ラッシュ(まだ完成していないシーンごとのフィルム)を見せてもらって。監督のテンポってあるんですね。ドアを開けて入って椅子に座るだけでも、監督によって全然違うんですよ。すごい遅い人と、もうドア開けたら全部カットして座ってればいいという人と、いっぱいいますから。監督の生理的なリズムというのがあるので、それをまず掴むというのが僕にとっては大事かもしれないね。それで打ち合わせをして、だいたいこういう世界にしましょうという話。それでオケでいくのかもうちょっと小さい編成でいくのかその段階で決めまして。あとは2、3回ラッシュを見て仕上げていくっていう感じですかね。ファンタジーだとやっぱり音楽の量っているんです。これ実写系でも同じなんですね、どうしても音楽の量がいる。ところが非常にシリアスな現実に起こっていることあるいはそれに近いことをリアルに表現したい、その場合音楽の量はものすごく減らします。音楽が入ると嘘っぽくなっちゃうから極力少なく、あまりメロディも出さずにとかね。それはもう内容によってアプローチは全く変わります。」

ー映画音楽と出会ったのはいつ頃?

久石:
「4歳くらいのときに年間300本くらい映画観てたんですよ。5-6年かな、ずっと観てまして。うちの父親が学校の先生で、当時高校生は映画館行っちゃいけなかったから、その補導に幼稚園の僕はくっついて行ってた。当時映画盛んだったですから、僕が育った町も映画館2つあったんですね。週替りなんですよ、3本立ての週替りということは週6本ですよね、そうすると月に24~25本。あとは巡回映画とかも来ますから一年でだいたい300本ですよね。それを観てたんで、映画音楽を書くことになったとき、どうやって書こうとか、HOW TO、映画音楽の作り方みたいな、そういうものは一切やった覚えがない。当然書けるもんだと思ってやってたから、映画音楽をやるための書き方のお勉強なんてしたことがない。当時実は一番音がよかったのも映画館だったんですよ。家庭にそんな大きなステレオがある家なんてないですからね。だから映画館の暗いなかに座って何時間か過ごすということが、今のベースをつくったんじゃないかなと思います。絶えず接していたというのがすごく強かったと思いますね。」

-じゃあ、お父様に感謝ですね

久石:
「そうですね(笑)」

-むずかしいことはなんですか?

久石:
「本を読んで一番おもしろいアイデアが出た時が最高なんですね。で、仕事を進めていくにしたがってどんどんそれは落ちてくるんです。これは僕が言った言葉じゃなくて、アメリカで最も売れてる映画音楽の作曲家が「映画の仕事はとにかく日々落ちていく仕事である」と言ってるのね。それはよくわかる、そのとおりだと思うし。逆に映画音楽がクリエイティブであり続けるのは今の時代すごく難しいと思います。デジタル機材が発達するでしょ、そうすると簡単にみんなシミュレーションしてくるわけだから。今までは素人の人は口が出せなかった。だからある程度作曲家に任せないと出来なかった。だけど今は誰でも適当に音楽くっつけて、映像だって自分たちで編集ができる時代になってる。そうすると、こんな感じでいいんじゃないいいんじゃないみたいなことが多くなるから、映画の音楽も効果音の延長のような、効果音楽、走ったら速い音楽、泣いたら悲しい音楽、とかね、ものすごいバカみたいに単純な音楽が増えているから。あんまり明るい未来はないなあと思ってます。まだ自分のなかではクリエイティブであってほしいから、そういう努力はつづけますけど、世界的にやっぱり非常に映画音楽の状況はどんどん悪くなってますね。」

(書き起こし)

 

補足)
別の機会に語っていたことです。

映像編集の段階で音楽を仮でつけている。自分が思うイメージに合うものとかを。そうすると編集作業をしながらその音楽もすり込まれてしまっているなかで、こちらが曲を書くと、何か違うあまり釈然としないような、非常にやりにくくなる。以前もこんなイメージでと既存の曲を挙げられることはあったけれど、デジタル機器の発達で自分たちで音楽も簡単に当てはめてみることができるようになった弊害のひとつ。(要約)

シーンごとに音楽を付ける。そのシーンだけ切り取れば効果的な音楽かもしれないが、映画全体から見たときには一貫性のないちぐはぐな音楽構成になってしまう。(要約)

 

 

◇第2回:8月12日 ~作品づくりについて~

-いつ頃から作曲家になろうと?

久石:
「中学生のときですね。吹奏楽とかいろいろやっていた時に、自分で譜面を書いて持って行ってみんながそれを演奏その音を出してくれるとすごくうれしかったんですね。だから、自分で演奏することよりは、自分が作ったものをみんなが音を出してくれるほうが好きな自分をおもいっきり発見しまして。あっ、それって作曲家だね、ということですね。それで作曲を志しました。」

-楽器はなにを?

久石:
「その時は、最初はトランペットで、結構ね県予選大会とかでソロ吹いたりとかね、2年生の時には完全にソロを吹いてましたから。あのー、うまかったんですよ(笑)。中学生の後半ぐらいから現代音楽を聴くようになっちゃって、だからいつかそういう作曲家になるんだと思ってたから。ただ、問題なのはある時期から(現代音楽は)人に聴いてもらうというベーシックなラインを忘れちゃったんですね。自分の頭の中だけで作る自己満足の世界になっちゃった。当然お客さんは離れる。ポピュラー音楽っていうのは、もともと多くの人が喜んでもらうための音楽です。こちらは基本的にメロディ・和音・リズムなんですね。ポップスはもっとそれが象徴的に非常にわかりやすくメロディとリズムと和音と。なおかつ20世紀に入ってからは、アメリカにアフリカのリズムが入りました。ジャズ、それがロックだとかいろんなポップス音楽のベースになった。ものすごくわかりやすい方法論なんですね。で、今でもそれがそのまま続いている。ですから、多くの人が敷居が高くないので誰でも入れる、それが良さなんです。現代音楽はまったくそれを忘れた。そのために誰も聴かないと(笑)。」

-CMと映画音楽の作曲の違いは?

久石:
「映画は約2時間ぐらいだとすると、音楽を入れるところと入れないところをつくることも仕事なんですよ。2時間でひとつのまとまった世界をつくるのが自分の仕事になるんですね。コマーシャルっていうのは15秒なんですよ、基本は。しかも映画館というのは自分でお金を払って来て観る態勢に入っている。だけどテレビは茶の間ですから、嫌だったらすぐ替えちゃうし。主婦の方はお仕事してる時に、どうやって振り向かせるか、はっ?!って振り向かせるには頭7秒が勝負なんです。7秒でキャッチャーに、耳をこっちに持ってこさせる。そうやるにはどうするかなあ、というのが一番神経を使ってるところですね。つまり、15秒ぐらいっていうことは、メロディをたっぷり聴かせることはできないんです。1フレーズとか2フレーズぐらいになってしまう。そうすると、もっと耳に瞬間で飛びつくキャッチーな方法、キャッチコピーみたいなものですよね、音楽の。その能力がコマーシャルでは必要ですね。だから(映画音楽とは)やり方が全然変わっちゃう。」

-伊右衛門の音楽はどういうふうに?

久石:
「あれはね、大河、大きい川が流れているようにゆったりしたメロディの曲を書こうっていうのがコンセプトにしてて。お茶ですからね。そうするとこれも出だし勝負なんですよね。「タリラリラン、タリラリラン」っていってしまえば、耳に残ればこっちが勝つからという。だから細かいことごちゃごちゃやるよりは、ドッ!と大きいメロディでまずつかもうというのがあの時のコンセプトでしたね。(MC:どのぐらいで?) 20分ぐらいだと思います。えっと、何をやろうかなって考えるのはすごくかかるんですが、作りだすと早いんで。20分、でオーケストレーションしてだから一日仕事ですかね。(MC:それがこれだけ知らない人がいない曲になっていく) それを言ったらもうナウシカだって30分ですからね、作ったのはね。ラピュタの「君をのせて」にいたっては15分だった。(MC:逆に出てこなかったというような曲もあるんですか?) ん、あの、すさまじくあります(笑)。出てこない時は1ヶ月かかってもダメですね。おそらくボタンを最初にかけ違えちゃったんですね。そうすると、しばらくそれでもいいやと思って進むんだけど、行けば行くほど見えなくなってきて。で、もう1回じゃあ入口まで戻る勇気ってなかなかないんですよ。ある程度出来ちゃってるから。なんとかそれをつじつま合わせようとやりだすと、これは泥沼のような作業になる(笑)。これも、ほんとにイヤですけどあります、よく、よくでもないけど、ありますねえ、うん。」

-一日のスケジュールは?

久石:
「すごく決まってます。僕は作曲家としてはミニマル・ミュージックの作曲家なんで。ミニマル・ミュージックってこうパターンですからね。例えば、今ツアーがあるから、この時期って朝ピアノ弾かなきゃいけないでしょ。あのう、ピアノだけはねえ、困ったことに。僕のように季節ピアニストって言ってるんですけど(笑)、必要に迫られたら弾かなきゃいけない。そうすると朝10時ぐらいから、12時半、13時ぐらいまで弾いて、それからご飯食べて、夏場は毎日泳いで(笑)、それから仕事場に行って夜の場合によっては0時近くまで作曲します。できたら21時ぐらいには終わりたいんですが、それから帰ってきて一呼吸置いてから、明け方の4時ぐらいまで振らなきゃいけない曲のクラシックの勉強。ベートーヴェンとかね。特に現代曲振らないといけないケースが多いんで、これはもうお勉強にものすごい時間かかるんですよね。だいたいそういう感じですね。」

(書き起こし)

 

 

◇第3回:8月19日 ~作曲家以外の音楽活動について~

-映画「羊と鋼の森」辻井伸行さんとの共演について

久石:
「ほんとに楽しかったです。ストイックなまでしっかりと覚えられて、演奏してても呼吸が合うというんですかね、とってもいい経験でしたね。辻井くんは非常にメリハリの効いたいい演奏で、想像した以上素晴らしかったと思います。」

-呼吸が合うというのは大事?

久石:
「たとえばコンチェルトをやるにしても、ピアニストが腕を振り下ろすのを見て指揮をやってたら、これもう0.0何秒以上完全に遅れてますから。それはもう見ないでも合うぐらいな、なにかこうあうんの呼吸みたいなものがないと音楽ってなかなか成立しないんですよね。最初は、自分の曲もかなり現代曲としてミニマル・ミュージックなんで難しいんで完璧に振りたいなあと思ってて。だけど80人とか100人のオケを指揮するんだったら、せめて「運命」「未完成」「新世界」ぐらいは振れたほうがいいよなあみたいな、非常に軽い気持ちで始めたんです。だけど思った以上に大変で、大勢の人をまとめるというのはこんなに大変なことかと。それがだんだんわかってきたときに、正当な指揮の勉強をしたいと。だから結構歳をとってから秋山和慶先生に3年ぐらいずっとついて一から全部教わって。」

「それから、作曲家としてもう一回クラシック音楽を再構築したいっていうふうになるわけですね。どういうことかというと、指揮者の人が振る時の指揮の仕方って、やっぱりメロディだとかフォルテだとかっていうのをやっていくんだけど、僕はね作曲家だから、メロディ興味ないんですよ。それよりも、この下でこうヴィオラだとかセカンド・ヴァイオリンがチャカチャカチャカチャカ刻んでるじゃないですか。書くほうからするとそっちにすごく苦労するんですよ。こんなに苦労して書いてる音をなんでみんな無視してんだコラっ!みたいなのがある。そうすると、それをクローズアップしたりとか。それから構成がソナタ形式ででてるのになんでこんな演奏してんだよ!と。たとえばベートーヴェンの交響曲にしてもね。そうすると、自分なら作曲家の目線でこうやるっていうのが、だんだん強い意識が出てきちゃったんですよね。そして、それをやりだしたら、こんなにおもしろいことないなあと思っちゃったんですよ。たとえば、ベートーヴェンをドイツ音楽の重々しいみたいな、どうだっていいそんなもんは、というふうに僕はなっちゃうんですよ。だって書いてないでしょ、譜面に書いてあることをきちんとやろうよ、っていうことにしちゃうわけです。そうするとアプローチがもうまったく違う。ドイツの重々しい立派なドイツ音楽で聴きたいなら、ベルリン・フィルでもウィーン・フィルでも聴いてくれよと。僕は日本人だからやる必要ないってはっきり思うわけね。そういうやり方で迫っていっちゃうから。」

「それともう一個あったのは、必ず自分の曲なり現代の曲とクラシックを組み合わせてるんです。これは在京のオーケストラでもありますね、ジョン・アダムズの曲とチャイコフスキーとかってある。ところが、それはそれ、これはこれ、なんですよ、演奏が。だけど重要なのは、ミニマル系のリズムをはっきりした現代曲をアプローチした、そのリズムの姿勢のままクラシックをやるべきなんですよ。そうすると今までのとは違うんです。これやってるオケはひとつもないんですよ。それで僕はそれをやってるわけ。それをやることによって、今の時代のクラシックをもう一回リ・クリエイトすると。そういうふうに思いだしたら、すごく楽しくなっちゃって、やりがいを感じちゃったもんですから、一生懸命やってる(笑)。」

「(MC:久石譲指揮のベートーヴェン交響曲第7番・第8番を聴いたんですけど、もうロックなんですね、まさに) はははっ(笑)もしかしたら当時もこうだったんじゃないかっていう。今みたいに大きい編成じゃなくてね、非常に明快にやってたはずなんですよ。だから、ある意味ではベートーヴェンが目指したものを、今という時代にもう一回実現する方法として、長い間クラシックの人がいっぱい演奏してきたそのやり方を全部捨てて、新たな方法でやれれば一番いいかなとちょっと思いましたね。(ナガノ・チェンバー・オーケストラは)在京のN響・読響・都響・東フィル、全部の首席あるいはコンサートマスターがどっと集合してて、もうスーパー・オーケストラですね。ここで僕もすごく育ててもらったんだけど。すごくね毎回やっぱり怖いんですよね、イヤなこともあって。イヤなことっていうのは、たとえば自分のミニマルの現代曲とベートーヴェン一緒にやりますね、チャイコフスキーでもいいです。そうするとね、長い時代を経て生き残った曲って名曲なんですよ。もう本当に永遠の名曲。それに対して自分ごときの曲が一緒にやるってなった時に、ほんとにつらいですよね。うあ、すまないなあって気持ちにいつもなるんですよ(笑)。逆にいうと、作曲家としてもっとがんばれよっていう、ほんとにそう思いますよね。」

-ワールド・ドリーム・オーケストラは?

久石:
「今年は『千と千尋の神隠し』やったりしますね、はじめて、本格的に。ワールド・ドリーム・オーケストラは新日本フィルさんとやってるやつなんですけど、これはもうベージック・エンターテインメントなんですよ。ですから映画だったり、それからやっぱり前半にはいくつかこういう音楽もあるんだよというのをお客さまに見てほしいから、ちょっとミニマル的なものがある。でもトータルでいうと、これはエンターテインメント。で、ミュージック・フューチャーは、アメリカ系のミニマル・ミュージックだとか、ニューヨークなんかすっごい若くて優秀な人大勢いるんだが、まったく日本では演奏されないんですよ。そういう曲を日本で初めて演奏したりとか、それを通じてそれを演奏できる人を日本で育てなきゃいけないと思って。」

(書き起こし)

 

 

◇第4回:8月26日 ~人の育て方について~

-人を育てるアプローチとは?

久石:
「一緒に考えるということですよね。たとえばミニマル系の現代曲をといっても、実は譜面どおりに弾くなら日本の人はうまいんですよ。すごくうまいんですよ、その通りに弾く。たぶん外国のオケよりもうまいかもしれない。だが、それを音楽にするのがね、もう一つハードル高いんですよね。たとえば、非常にアップテンポのリズムが主体でちょっとしたズレを聴かせていくってなると、リズムをきちんとキープしなければならない。ところが、このリズムをきちんとキープするっていうこと自体がすごく難しいんですよ。なおかつオーケストラになりますと、指揮者と一番後ろのパーカッションの人まで15メートル以上離れてますね。そうすると、瞬間的にザーンッ!だとかメロディ歌ってやるのは平気なんだが、ずっとリズムをお互いにキープしあわないと音楽にならないっていうものをやると、根底からオーケストラのリズムのあり方を変えなきゃいけなくなるんですね。もっとシンプルなことでいうと、ヴァイオリンを弾いた時の音の出る速度と、木管が吹くフルートならフルートが吹く音になる速度、ピアノはもう弾いたらすぐに出ますね、ポーンと出ますよね。みんな違うんですよ。これをどこまでそろえるかとかっていう。これフレーズによってもきちっとやっていかなきゃいけない。ところがこれって、そういうことを要求されてないから一流のオケでもアバウトなんですよ。だからミニマルは下手なんです。で、結局これって言われないと気がつけませんよね。0.0何秒でしょうね。こういうふうにもう全然違っちゃうんですよ。そういうことを要求されたことがない人たちに、いやそれ必要なんだよって話になると、自分たちもやり方変えなきゃいけなくなりますよね。で、その経験を積ませないと、この手の音楽はできない。ということを、誰かがやってかなきゃいけないんですよ。と思って、それでできるだけ、日本にもそういう人がいるっていうのを育てなきゃいけない、そういうふうに思ってます。」

「でね、これはリズムの話で今こういう話をしました。もう一つあるんですよ。たとえば日本の優秀なオーケストラでやってても、すごく宮崎さんの映画音楽のようなシンプルなもの、彼らなら楽に弾けます。ところがね、そういう音楽は中国のオーケストラだったりヨーロッパのオーケストラのほうが上手いんですよ。歌うんですよ。先週か先々週、伊右衛門の話がでましたね。「タリラリラ~ラリラ~リラ~」(出だしのメロディ)というのを、日本のオーケストラはそこそこ上手いです。ほんとにリズムも縦もちゃんと合うし。ところが中国のオケでやったときに、ほんとにリズム悪いし、もうほんとに指揮棒投げつけて帰ろうかなと思うぐらいに下手なんだが。2、3日のリハーサルの後「タリタリラ~」って歌ったのが、ほんとにこう中国の黄河が流れてるように、メロディが大っきいんですよ。これ指導してできることじゃないんですよ。そうすると、あっやっぱりこう大きい国で育ったこの人たちの大きいなにか出ちゃうんだなあ。と思うと、うーん音楽ってむずかしいって思っちゃうんですよね。その瞬間って、日本は何をしてきたんだろうって思っちゃうんですよ。教育が、音楽をする喜びとか、なにか歌うってこういうことだ、みたいなことの前に、縦をそろえなさい音程をそろえなさい絶対音があったほうがいいよとかさ、いろいろやってきた教育は一体何をしたんだって、思いません? (辻井:思います。ピアノだったらもう絶対ハノンとバイエルからっていう。もう決まりがありすぎですよね。) ありすぎます。そうすると、大半の人はその段階でめげてやめちゃいますよね。 (辻井:はい、私もそうでした。バイエルでも挫折して。ですから、息子にはバイエルさせなかったです。) 偉い!そりゃ素晴らしいですね。これはお世辞でもなんでもなくて、伸行くんがいい点は、彼音出す喜びが絶えずあるんですよ。これが日本の演奏家に少ないんです。音が出た瞬間から、さっき音楽になるっていう言い方しました、音が出ることの喜びみたいなもの僕らに伝わるんですね。で、オーケストラも実はそうでなきゃいかん!、のだがあ、足りないんですよ。」

「そう、5月の頭に香港フィルハーモニー、香港フィルって非常に優秀なオケで半分以上は白人系の外国人なんですね。だからヨーロッパのオケですね、基本。でここがアンコールでやったトトロがね、もう今までやったなかのベストでしたね。もうあの、僕が書いた譜面が音になるんじゃなくて、もう別ものなんですよ、生きてて。うあ!そこまでいくんだ!みたいに。もうこっちは指揮しながら、こんな楽しいことないなあ、って思えた。なんかそういうことを一緒に体験していけたらいいかなあ、とかって思ってますね。」

-作曲家としてはどうですか?

久石:
「僕は全部ひとりで自分でやってきたと思ってるんで。ちゃんとした先生についてるとは思ってない。ただ一番良かったのは、音大で島岡譲先生って和声の理論で世界的な権威なんですけど、この人はがちがちな理論家ですから、そのがちがちの理論家から教わったことっていうのは、自分のなかでも実は今でもあります。理論は絶対理論としてやんなきゃいけない。で、それから感覚でやる部分の作曲っていうのを、だから基本ができてなかったらムードでやるなってことですかね。それはすごい教わったね。」

(書き起こし)

 

 

 

Blog. NHK FM 「今日は一日”久石譲”三昧」 番組内容 -トーク編-

Posted on 2018/08/24

8月15日(水)久石譲の魅力をジブリ作品を中心に9時間にわたって紹介する生放送番組、NHK FM『今日は一日“久石譲”三昧』が放送されました。出演は久石譲、鈴木敏夫、奥田誠治、藤巻直哉ほか。番組ではリクエスト募集もありメッセージとあわせて紹介されました。

「風の谷のナウシカ」から「かぐや姫の物語」まで。スタジオジブリ作品全11作の音楽を手がける久石譲が、作品ごとに鈴木敏夫プロデューサーらと語ったエピソードは貴重なものばかり。さらに、ミニマル・ミュージック、ベートーヴェン、ジブリ作品以外の映画音楽まで、多岐にわたる久石譲インタビューや対談はボリューム満点。番組オンエア当日は「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」ツアー大阪公演日、事前収録となっています。

9時間全64曲に勝るとも劣らないエピソードの宝庫。今回はそんなインタビューや対談のなかから約7割くらいを書き起こしご紹介します。既出エピソード、初公開エピソード、縦横無尽に交錯する永久保存版です。

 

▽風の谷のナウシカ
▽天空の城ラピュタ
▽ミニマル・ミュージック/ベートーヴェン
▽となりのトトロ
▽魔女の宅急便
▽紅の豚
▽もののけ姫
▽千と千尋の神隠し
▽ハウルの動く城
▽北野武監督作品
▽山田洋次監督作品
▽滝田洋二郎監督作品
▽NHKスペシャル ディープオーシャン
▽崖の上のポニョ
▽風立ちぬ
▽かぐや姫の物語
▽スタジオジブリ作品 次回作

▽9時間全64曲
Blog. NHK FM 「今日は一日”久石譲”三昧」 番組内容 -プレイリスト編-

 

 

風の谷のナウシカ

鈴木:
イメージアルバムというのは高畑さんの発案。当時の日本映画って映像が出来てから慌てて音楽をやる。しかも期間にして1日か2日、それで映画音楽をつけなきゃいけない。つまり音楽を重視してこなかったんですよ。それを高畑勲という人は、その歴史を変えようと。音楽にたっぷり時間を作ろうと。最初自由にイメージして音楽を作ってもらう。それで図々しいこと考えたんですよ。作ってもらったなかに作品に合う良いものと悪いものがある。そうすると映画音楽を当てはめるまでに2回チャンスがある、音楽が充実する。それが高畑さんの考えだった。

数多くいる候補の中から「久石さんがいい」って高畑さんが言い出した。高畑さんの決め手は「久石さんは教養がある。要するにクラシック音楽の勉強をしてる。その基礎があると、映像に音楽を合わせてもらう映画音楽をつくるのにその教養が役に立つに違いない。それがないと注文しにくい。」って言ったんですよ。音楽を聴いて高畑さんはそれを発見するんですよ。周りの人たちがみんな反対するなか、そこが高畑勲のすごさ。ここで決まっちゃうんですもん、宮崎・久石コンビ。

イメージアルバムを作るときに、高畑さんが宮崎に頼んだのが、タイトルとイメージを文章にして渡すこと。こんな感じの曲があるといいというのを10個くらい書いた。だからこれも高畑さんが考えたこと。イメージアルバムを最初に聴いたのは僕と高畑さん。高畑さんは「いける」って言ったんですよ。その後宮崎に聴いてもらって一発で気に入った。当時はカセットテープ、宮崎はそれを一日中大音量で聴くわけですよ。しかも朝9時から午前4時まで同じテープを延々鳴りっぱなしなんですよ、周りは静かに作業してるなか。

久石:
当時はあまり時間がなくてスタジオにこもって作ってたんだけど、実は原作難しくて理解できなかった。今考えると逆に素晴らしいことなんだけど、いい映画ってそうなんだけど、説明を結構省いているから。これは何なんだろうと思ったことを徳間の関係者の人がその都度、これはこうです、これはこうです、って説明もらって。それで一応かたちになったっていう。

鈴木:
忘れちゃいけないのが、高畑さんは「オーケストラでやりたい」と。当時、日本の映画音楽でオーケストラなんてなかったですよ、編成小さかったですもん。結局、イメージアルバムと本編のサントラ、加わった楽曲もあるけれど基本は変わらなかったですもんね。それでいうと、最初からもう気に入っちゃったんですよ。

久石:
イメージアルバムの時が、当時流行りの打ち込みの音で作ってた曲もいっぱいあった。高畑さんはそこから、これがオーケストラに変わればもっといいというのを見抜かれたんですね。

 

 

天空の城ラピュタ

久石:
「ナウシカ」をやった直後に同じ徳間で「アリオン」ってアニメーション大作やったんですよ。その音楽を担当してたから、「ラピュラ」を作ってるのは知ってたけど、まあ自分はないなあと100%諦めてました。

鈴木:
当時宮崎駿には久石譲という考えはなかったですね。それはラピュタによって決定づけられるんですよ。いろんな人の作品をもう一度聴き直して、結果久石さんしかいないと。高畑さんがおもしろいこと言ったんですよ、「宮崎駿と久石譲は似てる」って。「二人とも熱血漢、すごい率直、すごい無邪気ですよ」って。意外にいなんですよ、謳いあげてくれる人って。それはいろいろ聴いてよくわかりました。

久石:
「ラピュラ」の時すごく考えてたのは、音楽的にまとめたオーケストラベースのものをできたらいいなあと。ただあの曲がメインテーマになるとは思わなかった。一応もうちょっと違ったやつを作ったはずなんですが、こういうのもあっていいやと夜の23時半ぐらいから20分ぐらいで作った曲。それで渡したら、これをメインテーマにしましょうと。あれぇ、全部ひっくり返ったぞと、そういう記憶があります。だからその「君をのせて」はメロディが先にあった曲。それに宮崎さんの言葉を当てはめていく作業。そこに足りない言葉を補っていく、これは僕と高畑さんとでやった。あの作業はとても楽しかったですよね。

鈴木:
これが主題歌になるとは思ってなかったですよね。とはいえね、宮崎のメモは大きいんですよ。あの地平線~ でしょ。高畑さんに言われてなるほどと思ったのはね、「わかります?鈴木さん。あの地平線、要するに目線がもう空にいる」って。多くの人は地上から空を見上げる。ところが宮さんの詩は、もう自分が空の上にいてそれで語ってる、それを中心にすれば歌になりますよって。なるほどおと思ってね。

久石:
「たくさんの灯が」っていうのが、まあ普通は言わないんですよね。プロの作詞家では絶対に書けない言葉。宮崎さんの言葉にはいつもそういうのがいっぱいあって、それが曲をかたちづくってる原点にはなってます。

鈴木:
「ラピュタ」の企画を決めた日、宮さんは5分で「ラピュタ」のストーリーを話したんですよ。びっくりして、「なんだ宮さん、考えてたんですか」って。そしたらね、小学校5年生の時に考えたストーリーって、だから全部覚えてるって。

 

 

ミニマル・ミュージック/ベートーヴェン

西村:
(ミニマル・ミュージックやジョン・ケージについて)

久石:
(ミュージック・フューチャー・コンサートは)今年でちょうど5回目になる。去年から若い作曲家の曲を募集するコンペティションをやっていて、西村さんにもその審査員をやっていただいているんですよ。(コンサート・シリーズを始めたきっかけは)ちょっと日本で演奏されていない曲が多すぎたと。しかも若い音楽家の動きがまったく日本では見えなかった。そういうものを今日的に届けられるコンサートをしっかりやったほうがいいんじゃないかということで始めたんです。

僕が大学生の時にテリー・ライリーの「A Rainbow in Curved Air」を聴いた時に、もうすごいショック受けて3日間ぐらい寝込んじゃって。それまでは不協和音とか現代曲を書いてて、そこでミニマルの洗礼を受けて。ところが人間そんなに変われないんですよ。最初のミニマルっぽい曲を書くのに最低3年かかったかな。それでも全然曲になってないんですよ。20代はほとんど挫折、いろんなコンサートで曲を発表するんですが全然かたちにならない。当時のコンサートは作曲家が4~5人集まって曲を持ちあって個展を開くんですよ。客席ははっきりと隙間だらけなんですよ。塊が5つぐらいあって、ここはあいつの親戚、ここはうちの親戚、そういう感じなわけで(笑)。向上心もあって燃えてたんだけど、その仲間が集まって話してると、相手を論破することに専念しだすわけですよ。いかに自分の理論武装が正しいか。でも、そのことと出てる音が違うだろうおまえたち!っていうのがだんだん強くなってきた。その世界は何をしたいのかって思うようになってきて。その時にふっとポップスのフィールドを見たんですよ。そしたらイギリスのロキシー・ミュージックとかあって。フィル・マンザネラとかブライアン・イーノとかね。ロックなのにミニマルのパターンの要素をうまく取り入れている。みんな楽しそうにやってるわけよ、あっちいいなあと思ってね。その時にタンジェリン・ドリームだとかマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」だとか、これはのちに映画「エクソシスト」のメインテーマになる、全部そういうパターン的なもの。これらがドーンと出たときに、もういいやと、芸術家であることをやめた。ポップスフィールドにいくって決めて、まずはソロアルバム作ろうと。そうすると現代音楽にいた時の自分ががんじがらめになって自分の思い通りのものが一つも書けなかったのが、ポップス・フィールドに行った瞬間書いた曲のほうがよっぽど前衛的だったんですよ。なんかね、その瞬間吹っ切れて。それは「ナウシカ」よりもずっと前だったんですけれど、そこから20年・30年ずっとポップス・フィールドに本籍を置きながら音楽をやってきたわけです。

僕はあんまり器用な作曲家じゃないんで、メロディ・メーカーだとは思ってなかったんですよ。ミニマルをずっとやってた、食べていくためにも映画とかTVの仕事もしないといけない、そのときに要求されるのはやっぱりメロディだったですよね。「風の谷のナウシカ」も一生懸命作った。でもあれも実は、ほとんど頭Cmのコードから全く離れないんですよ。まだミニマリストっていうプライドがあって、やっと途中で和音が変わっていく程度にがんばってた。たえずメロディとミニマルっていうのが両輪にあって、メロディ色を強くするか、ミニマル色を強くするかだけで、あんまり器用じゃないんで、自分がやってきた仕事って基本的にそういうことなんだよね。ところが、時間が経つにしたがって映画の仕事をしてても、ミニマル的なアプローチをどんどんしたくなっちゃうんですよね。そうするとギリギリまできちゃって、これ以上いくとエンターテインメントの枠に入るんだろうか、ギリギリまできちゃった時があって。それでもう一回現代音楽のほうを見てみたら、もちろんずっと聴いてましたけど、なんか状況がかんばしくないんですよ。お客さんどんどん離れちゃうし、なんか元気ないし。もう一回戻ろうかなあ、ちょうどその時クラシック音楽を振りだしたことも大きいんですよね。当初は自分が書いたオーケストラ曲くらい自分で振れなきゃと思ってて。でもどうせ振るならせめて「運命」「未完成」「新世界」ぐらいは振れたほうがいいなっていう軽い気持ちだったんですけど。だんだんやりだすとほんとにおもしろくなっちゃって。オーケストラでクラシックをきちんとやって、自分でオーケストラで書いたミニマル曲やなんかを演奏しだすと、心から喜んでいる自分があるんですよ。30代に入ったところで完全に現代音楽家からエンターテインメントに移って、ポップスの作曲家になるって20年以上がんばった。ところが最後の最後はやっぱり本籍を戻そうと。もう一回クラシックに本籍を戻して、そこからやれることをちゃんとやろうと。そう思って作ったのが「ミニマリズム」あたりからですね。

 

久石:
(11月開催予定「ミュージック・フューチャー Vol.5」について)

 

久石:
最近自分がすごく感じてることなんですけど、たとえば東京であるいは日本中でいろいろなオーケストラが、とにかく現代の曲を取り上げてくださいと。古典芸能ではないから、きちんと今アップトゥデートのものをやってほしいといつも思ってたんです。自分がやれるんだったら、必ず現代の曲と古典を組み合わせたオーケストラのコンサートをやろうとしてました。実際そういう演奏会はあるんですよ、各オーケストラが実施していた。ただ、一番大事だと思ったのは、現代の曲にアプローチしてる感覚のまま古典にアプローチした演奏がないんです。つまり古典音楽とはいえ、時代が変わってきたらそれに対する新しいアプローチがあっていい。たとえば僕の場合でいうと、ミニマルをやってます、ミニマルってやっぱりリズムですから、そのリズムのアプローチのままたとえばベートーヴェンに挑んだらどうなるのか。そういうアプローチをかけようと思ったわけですね。そうするとベートーヴェンをリズミックにいく、新しいベートーヴェンをつくれたらいいなあと、それを今試みています。指揮者から教わるやり方ってある、それとは別のところ、作曲家がよむ譜面のあり方ってありますよね。その視点からもう一回見直して、リズムのアプローチを思いっきりかけたらどうなるのか、リズムを中心にしてもう一回ベートーヴェンを組み立てたらどうなるかな、そういうチャレンジをしてみたかったんですね。ベートーヴェンってあれだけ情動を煽るぐらいな激しさはあるのに、構成もかなり強くできている。そのへんの不思議さってありますよね、下世話さと高邁さが同居する。今年の夏「第九」やったんですよ、僕の「第九」ちょうど57分、すべてのくり返しやって57分ちょっとだった。(フィナーレのマーチのところのテノール)最初合わせの日にやりたいテンポでやったら目丸くして緊張してて。ゲネプロでちょっと遅くしたんですね、そしたらちょっと安心したんですよ。当然本番はテンポ上げました(笑)。(ベートーヴェン交響曲第5番「運命」平均の演奏時間が34~35分、久石さんの演奏は29分36秒)、速いね、別にアスリートじゃないんだから速けりゃいいって問題じゃないよね(笑)。でもね、いつも僕も「何分かかった?!」って聞くもんだから、みんな「30分切りましたよ!」とかねえ、わけわかんない会話(笑)。

 

 

となりのトトロ

久石:
ここで初めて高畑さんとセパレイトした。高畑さんは「火垂るの墓」を作っていたので、この時はじめて一から十まで音楽のことすべて宮崎さんと話した。それまでも宮崎さんから指示もいっぱいあったんでしょうけども、高畑さんという窓口があった。それが今回からはダイレクトになった。それが一番大きいかもしれない。

鈴木:
これまでは高畑さんに任せれば音楽はなんとかなる、ところが今回は自分でやらないといけない、困ってましたよねえ、「どうしたらいいの?」って(笑)。音楽をどうするか、悩みはなかったんですよ、もう久石さんに頼むっていう。ただどうやって音楽をやっていくか、宮さんが「歌のアルバムをつくりたい」と。じゃあ作詞をどうするってなって、宮さんと僕がふたりで一致したのが「いやいやえん」をかいた中川李枝子さん。児童書なんですけども、二人とも彼女の大ファンだったんですよ。ほんとに子供の目線で詩を書かれる方なんですよね。その詩を持って久石譲さんの事務所に宮さんと二人でいった。宮さんにとっては初めてのことで、自分が音楽もやらなければいけないっていう武者震いだったと思う。自ら出向いて、自分としては子供たちのため歌をつくりたいということで。ただ、久石さんはなかなか作ってくれない、すごい時間かかったんですよ(笑)。

久石:
実はね、ジブリで打ち合わせしたときに、今も残ってると思うけど、絵コンテの裏に五線譜ひいて「さんぽ」は浮かんだんですよ。ミソド~ソラソ~って、詞がもうリズム持ってるから、これはもういけるかなあと思ったんだけど、そこからがなかなか進行しなくて(笑)。1年弱ぐらい音信不通でしたよね。

鈴木:
ほんとにそうですよ。僕は内緒でスパイを送り込んで、久石さんがどういう状態に陥ってるかなんとなく知ってたんですけどね(笑)。こういうときは催促するなって言ったんですよ。覚えてるはずだから、なにしろ宮さんと僕と二人で出かけて発注したわけでしょ、その答えがないんだもん(笑)。久石さんは素晴らしい曲を天才的にお作りになるでしょ、でもその影には意外に努力家の面もあるっていう。当時いろんな曲を聴くチャンネルがあってそれをすごく勉強されてて。そうか、簡単に思いついてるわけじゃないんだなあって(笑)。

久石:
(「となりのトトロ」は)お風呂に入っているときに。トトロって言葉がさがるから音型も同じように、ソミド、そしたら次はソファレ……あ、これでいけるっていう。お風呂です(笑)。

鈴木:
「となりのトトロ」って宮崎駿の詞、僕が覚えてるのは1番しかなかった。2番がないんですよ。そしたら催促がきたんですよ。で、宮さんがね、「いいよそんなの!おれは忙しいんだ!」って。大変だったんですよあれ(笑)。それで2番のダミーを僕らで作るんですよ。作ってそれ見せたら怒るだろうから(笑)。これ絶対採用しないだろうみたいな歌詞を書いて、「じゃあ、これでいきますよ」って言って、それを見てカァっときてそれに手を入れるっていう。

 

鈴木:
【インタビュー同旨引用】
映画監督にはそういうところがあるものですが、一番大事なシーンに音楽を挿れずに画だけで見せたがる。『となりのトトロ』でサツキがトトロに出逢う雨のシーンがそうでした。子どもはトトロの存在を信じてくれるけど、大人まで巻き込むにはどうしようかと考えて、あのバス停のシーンが重要だと。それなのに宮さんは「画だけで」と言って。それを聞いた久石さんも「ハイ」と答える。

そこで、トトロの横で『火垂るの墓』を制作中の高畑さんに相談。音楽にも久石さんのことも詳しい彼は「あそこには音楽があったほうがいいですよ。ミニマル・ミュージックがいい。久石さんの一番得意なものができる」とアドバイスしてくれました。その高畑さんが言ったことは内緒にして久石さんに頼みに行きました。「でもここは宮崎さんはいらないって言ったけど、そんなことしてイイの?」と言う久石さんに、僕は言いました。「宮さんは、いいものができれば気が付かないから」。そして作曲してもらった。ジブリで完成した曲を聞く日、宮さんは「あっ、いい曲だ!」と喜び、あの幻想的なシーンが完成しました。

(同旨引用 ~Blog. 「オトナの!格言」 鈴木敏夫×久石譲×藤巻直哉 対談内容紹介 より抜粋)

 

 

魔女の宅急便

鈴木:
宮崎・久石コンビが誕生したとはいえ、それまでは冒険活劇でありファンタジー。今回の魔女は一人の少女の話でしょ、そうすると久石さんがどうなるか。高畑さんは映画「Wの悲劇」久石さんの音楽を絶賛したんですよ。「なんで久石さんに少女の心がわかるのか」これ高畑さんの言葉なんですよ。これで、少女ものは久石さんの得意ジャンルだっていうことになるんです。それまで誰も指摘してなかったんですよ。ほんと高畑さんってすごかったですよね。だから堂々と久石さんにそれを頼めばいいんだって。

 

(そのほか キキはなぜ飛べなくなったか?/ウルスラ登場/映画ポスター エピソード)

 

 

紅の豚

久石:
宮崎さんの個人的な思いが結構強く出てる映画ですよね。宮崎さんが前面に出てくるときの音楽のあり方っていうのは、僕はあんまりうまくなかった。どちらかというと、うんと引いてやるべきだったんだけれども、舞台がアドリア海で空飛ぶっていうので、ちょっと活劇調に振りそうになる部分と、そうじゃなくてほんとにパーソナルな思いっていうところで、たぶん僕があんまりこの作品を理解していなかったのかもしれない。今でもちょっとそれは反省してるんですよね。

鈴木:
いや、でも素晴らしかった。忘れもしない、久石さんにスタジオに来てもらって、宮崎の注文は「恥ずかしい曲を作ってください!盛り上げてください!」。いろいろな映画を観るとここで盛り上げるっていうときにほとんどの曲が盛り上がらない、そんな曲ばかり聴いてるとうんざりすると。でも久石さんなら、そこでほんとに高々に盛り上げてくれる曲、それをやってほしい、見事に期待に応じてくれたんですよ。だからあの曲ができたときに、宮崎が大喜びしたのを覚えています。

久石:
個人的にはある種映画「カサブランカ」のようなイメージで。ノスタルジックなんだけど男のかっこよさみたいな、そんなのが出たらいいなあっていう感じです。

鈴木:
ほんと一発で宮崎が気に入りましたから。(マルコとジーナのテーマを口ずさむ)久石さんのピアノで弾くところが宮崎が好きだったんですけどねえ、実にそれがうまくいって、絶賛でした。

 

 

もののけ姫

久石:
本格的な日本が舞台の、しかも非常にスケールの大きい映画で、すごいこの時は大変でした、正直言って。で、これは思想というかこっちの考え方も理論武装しないとちょっと太刀打ちできないなと思ったので。実はそれまで司馬遼太郎さんの本読んだことなかったんですよ。この作品をやるって決まった時から司馬さんの作品読み出しまして。というのが、宮崎さんが司馬さんと対談されたりしてて、いろいろお話されてるの知ってたので、半年ぐらいの間に10作品20作品ぐらい読んで。それから堀田善衛さんの本読んで。

鈴木:
話の腰折って悪いんですが。宮さんは「坂の上の雲」しか読んでないんですよ。自分と重ねてたんですよね。流行作家でしょ、司馬遼太郎さんって。自分もそうだから、だいたい書くものはわかるからって。

久石:
やっぱりね、宮崎さんの作品やるって、そのぐらいこっちは命がけというか、作家生命かけるような、一本一本勝負なんで、ほんと4年に1回でいい。それ以上多いとほんと困るんですよ。なぜかっていうと、その瞬間自分はひとつずつワンステップ上がれるんですね。特にこの「もののけ姫」の時は、かなり自分でもハードル上げましたよね。ここで向き合わないといけないのが、どうしても日本だったんですよ。日本というときに、単純に言うと音楽でやるんだったら和楽器使えばいいわけですよね。たとえば、尺八だとか琵琶だとか三味線だとか琴とか使えばいいんだけど。だけど宮崎さんもそうだし中国の監督もそうなんですが、自分の国の民族楽器はみんな極端に嫌がります。なんでかっていうと、たとえば尺八が鳴るだけで竹やぶが見えちゃうじゃないですか。そうするとイマジネーションを限定させるから、多くの監督はすごく嫌がります。この時も宮崎さんはすごく嫌がった。そのときにどうしたかっていうと、メロディがあって3度とか4度ハモらせるときに、上に南米のケーナの楽器、下に日本の龍笛とか。だから最後はぜんぶ使ってるんですよ、使ってるんだがいわゆる誰しも感じる和というものは一切表面に出さないようにして作った。どこか押し付けがましくない和は必要。

 

(そのほか 映画タイトル決定/予告編 エピソード)

 

 

千と千尋の神隠し

久石:
どう展開していくのか息をのむような話なんですよね。ですがベースは一人の少女の成長譚みたいな話なので。そこのところの表現、いろいろな神々が出てきて異世界に入ったりするところの音楽のあり方と、あくまで一人の少女が一歩一歩成長していく過程っていうのをどうやって音楽でつくるか、そこに一番苦心したかもしれない。それともう一個、普通でいうファンタジーのあっちの世界っていうのを通り越して、結構具体的なこの世界とあっちの世界みたいな違いが、宮崎作品のなかでもだんだん強く出てくる。それはのちのポニョにつながってくると思うんですが。「6番目の駅」っていう曲があるんですけど、ちょうど海を渡っていくところ。あれはある種もう黄泉の世界にいくんじゃないかみたいな、この世界とあっちの世界その境みたいなものが行き来する、そういうのをどうやって表現するかなあというのをすごく考えましたね。

 

(そのほか 興行/千尋のモデル/企画決定/NHKふるさとの伝承 エピソード)

 

 

ハウルの動く城

久石:
主人公が18歳から90歳までどんどん変わっていくので音楽は同じテーマがいいという注文でした。

鈴木:
昔は、映画音楽ってある一曲をいろんなアレンジ聴かせる、そういう映画って多かったんですよね。

久石:
「ムーン・リバー」とか「第三の男」とか、一つの曲がいろいろなかたちで出て、それが第三の登場人物みたいになって、それが鳴るとなにかひとつあると。そういうイメージはあったんでしょうね。

久石:
イメージアルバムが一番お金かかっちゃったんですよ(笑)。チェコまで行ってチェコ・フィルハーモニーでイメージアルバム作ったんですよ。何考えたんでしょうね、自分でもよく覚えてないんですけど、これはもうチェコフィルでやるって決めちゃって。ところが、レコーディングで飛び立たないといけない2週間前まで1曲も出来てなかったんですよ。それでリゾートスタジオにこもって1週間で10曲作って、慌ててそれを全部オーケストレーションして、そのまま持って行って録ったんですよ。はっきり言って、かなり危ない状態でしたね(笑)。なおかつ笑えるんだけど、その段階で「人生のメリーゴーランド」はできてない。自分でもなんかこう輪郭は作ったけど顔はないなあみたいな感じで、釈然としなかったときに、やっぱりもうちょっとテーマ必要なんじゃないかなあっていう、鈴木さんかな言われて、そうですよねえって。3曲ぐらいデモテープ作って持って行って、1曲目はいかにもで、2つめはワルツで。僕は緊張してて宮崎さんと鈴木さんの前で弾いたんだけど、「こういう映画にこういうワルツはない」ってすごく喜んでくれて。それでその曲に決まりました。

久石:
鈴木さんにはわざわざスタジオに来てもらって、チェコフィルで録ったやつ聴いてもらって。宮崎さんに聴かせる前に鈴木さんの意見聞こうと思って。「どうですか?鈴木さん」って、1曲目「うん、これは宮さん喜びます」。で2曲目かけるんですよ、「うん、これも宮さん気に入ると思います」ってね、鈴木さん絶対自分の意見で言わないんですよ。これ世の中の人みんな見習うといいよね。今この曲を聴いてるのは自分の意見を求められてるけど、何にとって必要なのかっていうのを鈴木さんはその時くり返し言って、自分の意見を言わなかった。その時にね、世界でこんなに優れたプロデューサーいないなあと思ったんですよ。だって「いやあ、これ僕好きですよ」とかって言っていいはずなんだけど絶対言わない。もう全部「これ宮さん気に入ります」「これ宮さんどうかなあ」そういう言い方しかしなかった。ちょっとその時にね、聴いてもらってることっていうよりも、目の前にいる人はほんとすごい人なんだなって、僕はそっちのほうですごくショックを受けた覚えがある。

久石:
あのチェコの録音はなんだったんでしょうねえ(笑)。もっと言うと、もっとまずいのはすごくお金かけすぎちゃって本編録る費用が足りなくなっちゃったのと、チェコで録ってそこでトラックダウンすればいいものを、何考えてたんでしょうねえ、わざわざイギリスのアビーロード・スタジオまで持って行ってそこでトラックダウンやった。だから、チェコで録ってロンドンで落として、それで持って帰ったんだけどメイン曲がなかったっていうさあ(笑)。

鈴木:
でもねえ、僕すごくわかるのはねえ、宮崎駿、自分が作品作ってて苦しんでる時あるじゃないですか。そうするともっと大きな無理難題を作るんですよ。だから「紅の豚」をやってた時は、今のスタジオを作ろうとかね。映画作るよりスタジオ作るほうが大変なわけですよ。それによって今目の前のことが軽くなるんですよね。常に彼はそうでしたね。だから久石さんもたぶん、そういうことをやればちょっと観点が変わるじゃないですか。それって大事なことですよね。

久石:
あ、それすごく似てる。今目の前にあるやつってものすごく大変じゃないですか。そうすると、その大変っていうのをもっと大変なことが来ることによって、これって少し減るんだよね。

 

(そのほか 宣伝をしない宣伝 エピソード)

 

 

北野武監督作品

久石:
北野監督って映画の撮り方を変えたんですよね。世界的にも結構影響を与えた。それはどういうことかというと、しゃべっている台詞のある人以外の人たちが、いかにもそこにいるような演出を一切しなかったんですね。みんな家族写真のようにただそこにいるだけにさせた。普通演出の人は、いかにも自然のように演出して動かす。それをしなかった。そのやり方っていうのはその後世界中の若い監督に影響を与えて。要するに、無理やりに演技らしいことはしないんでいいんだと。それをつくった画期的な監督でしたね。

久石:
どちらかというと、引き算の映画。どんどん加えていくんじゃなくて、結果無駄なものを全部外していった。そういう意味では非常にミニマルな映画ですよね。

久石:
個人的な区分けでいうと、初期のほうは宮崎さんの映画は基本的にメロディ中心だったんですよ。北野さんのほうはミニマルをベースにしたんです。ですからやり方をすごく変えて臨んでた。途中からちょっとメロディを増やしましたけれども。フランスとかでインタビュー受けていると必ず聞かれるんですよね。まずあり得ないと。映画音楽で宮崎さんのような作品をやっている人が、どうしてバイオレンスの映画を担当しているのかが、同じ人間がやってるのが想像できないと。インタビュー受けるたびにそういう質問ばっかりだったんですよね。僕のほうからすると、なんにも不自然じゃないんですよ。なんでかっていうと、片側にミリマリストとしてやってきたこと、もう一方にメロディメーカーとしてやってきたこと、それを実はちょっと使い分けてやっていた。そういうやり方だけだったんですよ。あれ風これ風でやるのは本物にはならないからね。だから自分がいいと思うことしかやらない、ということですかね。

久石:
北野さんの映画は、表面上ではバイオレンスとかいろいろあるんですが、根底には人間の儚さとか哀しさがあったんですね。その辺で僕もすごく共感して作っていたところがあります。

 

 

山田洋次監督作品

久石:
(「家族はつらいよ」)「東京家族」と出演メンバーも同じで、最初1回かなあと思ってたらどんどんシリーズ化されて。喜劇というのはすごく難しいんですよね。喜劇の音楽の書き方は大変難しいんです。どちらかというと色の濃い映画のほうが書きやすいんです。ラブストーリーとか戦争ものとか超悲劇とかね。そうするとこれは音楽も非常に色のはっきりしたものが書けるんだけど、普通の家族をテーマにすると、色をできるだけ薄めなきゃいけないんですよ。でないと音楽が浮いちゃうからね。なので喜劇は映画として撮るほうもすごく難しいんですよ。音楽も非常に難しい、なぜなら陳腐になりやすい。映画のほうでいうと、喜劇と悲劇は同じなんです。たとえば悲劇は、目の前で起こっている大変なことを大変だねって撮れば悲劇になる。ところがこれを喜劇にするときは、同じことを俯瞰で見て、バカな人間どもがああだこうだやってるねって笑い飛ばす方法をとって作らないと、本当の喜劇ってできないんですよ。喜劇って笑わせるんじゃないんですよ。悲劇と同じぐらいなものすごい深いものを抱えてるのを、笑い飛ばして見せるんだけども、観る人は感じさせるっていうね。だから喜劇は最も技術と能力がいる分野じゃないでしょうかね。その意味では山田監督はもう傑出している。今年86歳になられるんですが、考え方がどんどん若くなってて、しかももっと精鋭化してるというかどんどん変化してますね、素晴らしいです。そのエネルギーにつられて、こっちが作ってるって感じかな。(中略)オープニングのタイトルバックを作っているのが横尾忠則さん、毎回アーティスティックなとても素晴らしいオープニングを作ってますよね。

 

 

滝田洋二郎監督作品

久石:
(「おくりびと」)映画を製作している途中ですぐ気づいたのは、これ絶対世界的に評価される。その理由は簡単なんですよ。主人公の納棺師が東洋の美そのものなんですよ。エンターテインメントであって、ある種そのチェロを弾いていた人がやめてその世界に行った、奥さんともぎくしゃくするんだけれども、死人を化粧をすることによって送り出すという。これって大変に世界に通じる、つまりアメリカ・ヨーロッパの人たちが感じる東洋の美学のエッセンスがあって、しかもエンターテインメントだった。正直あの時、国際的に通じると思っているスタッフはあまりいなかった。だけど僕はそう思っていて、海外に出品したらどんどん賞を獲っていたんですよ。(アメリカのアカデミー外国語映画賞も)これ獲れるって確信してたんですよ。

 

 

NHKスペシャル ディープオーシャン

久石:
ドキュメンタリーは個人的に大好きなんですよ。ディープオーシャンの話をいただいて、深海シリーズですね。すごく宇宙と同じぐらい海の中って広がりがあるんだなというので。どの作品も一生懸命作りますけれども、これももちろん一生懸命作って。ディープオーシャンは最終シリーズになるのかな、これに関していうと、初めてと言っていいぐらい全編ミニマルで推したんですよね。テーマのところから全部ミニマルで推した。深海シリーズの1、2はちゃんとしたメロディの普通だったんですが、ディープオーシャンの最後のシリーズに関しては完全にミニマルで推したんですよ。それがね、自分が想像した以上にナレーションといろんな映像とのマッチングがすごく良かったんですよ。なかなか自分の新しい挑戦がね、ちゃんとかたちになるケースって少ないんですけど、これはすごくかたちになった。やったあ!これで新しい音と映像の世界ができた!これからいっぱいそういう注文くるかなあと思ったけど1回も来ないねえ(笑)。なんかこうミニマルの仕事いっぱい来るかなあと思ったけど、なんもこないです(笑)。

 

 

崖の上のポニョ

鈴木・久石・藤巻:
【インタビュー同旨】
Blog. 「文春ジブリ文庫 ジブリの教科書 15 崖の上のポニョ」 より 主題歌エピソード

最初の打ち合わせの時すぐにポニョのメロディが浮かんだというエピソードや、誰が歌うか聞いたとき「……本気?」つあまり納得していなかったというエピソード。久石譲は本気で怒っていてレコーディングも途中で帰ってしまうほど!?会見の日も口をきかないほど!?に。そして記者会見の場で三人の歌声と会場の雰囲気を見たとき、鈴木プロデューサーに「今日初めて理由がわかった」と伝えるエピソード。

 

 

風立ちぬ

鈴木:
(台詞も効果音も音楽もモノラル録音だった)これは別に僕が言い出したわけじゃなくて宮崎駿ですよね。たしかに今の技術って進化していろいろなことができるようになった。でもそのいい面もあるけれど、そうじゃない面もある。僕が一番感じてたのが、録音スタジオにおけるスタッフの緊張感のなさ。いくらでもやり直せる。モノラルって専門的なことだから難しいんだけど一発勝負なんですよ。一箇所崩れたら全部やり直し。そうすると緊張が持続するんですよ。その効果は出ましたね。

久石:
あとね、実はドルビー・サラウンドっていうのは劇場の中でも真ん中の数メートル以外関係ないんですよ。(4人だけ、)そこで聴かない限りは完全なサラウンドってわからないんですよ。どちらかに寄っちゃうから。ところがモノラルって一番隅でも一番前でも後ろでも右でも左でも、まったく同じなんですよ。だからそういう意味でいうと、モノラルっていうのは本来、実は「ナウシカ」がモノラルだったですよね公開、でもそんなの誰も感じない、すごくいいんですよ。ところがその技術がもうなくなっちゃって、モノラルレコーディングを全然体験していない人たちでモノラルを作るわけだから、これ逆に言うと非常に労力がかかる。だってその技術は廃れてなくなってたはずなんだよね、それをあえてモノラルでいくってなると、そのための準備がまたすごくかかった。(効果音には人の声も使った)ちょっと音程があったんで一部直してもらったんですよね。声でやっちゃうとどうしても音程が出ちゃうところがあったんで、直してもらって、それで全体がわりと音楽となじむようにしてもらうっていう経過はあります。

久石:
(バラライカ、バランなどの民族楽器を使ったのは)これは鈴木さんのアイデアなんですよね。「ドクトル・ジバゴ」でしたっけ、ちょっとね全体にああいうロシア的な匂いをさせたらどうかみたいな話があって。僕も、大きい大河ドラマのように動いてる話なんだけど、個人にスポットを当てるような話なので、そこで翻弄されるでもなく、ちゃんと自分を保ってる個人の人間にスポットを当てるっていったときに、音楽はどういうところに焦点絞るかなっていうところで、それはわりと鈴木さんとよく話し合いましたね。で、ちょっとロシア調にしようか、みたいなのはちょっとありました。

鈴木:
宮崎が好きだと思ったんですよ。音色に弱いから(笑)。

久石:
宮崎さんと僕は、30何年間、一回もご飯食べたことないんですよ。今年は高畑さんの告別式の会みたいなもので初めて今年ご飯一緒に食べたぐらいで(それも二人でじゃなくてみなさんと一緒に)。

鈴木:
僕だって久石さんとちゃんとお食事したのは、去年だか一昨年だか。あれなんですよ、久石さんとこれだけうまくやってきたでしょ。それってある距離がある、それ大事だと思ってたんですよ。おいおまえになっちゃうと、やっぱり仕事としてだれてくる。ということは、ある緊張感のなかで関係を続けたかったんですよね。

久石:
宮崎さんと鈴木さんとは、距離をとるっていう言い方は変なんだけど、やっぱり緊張感を持つために、持続ですよね、それをすごく気を使ったというか、自然にそうなったというかね。だから、この関係で奇跡的に30数年やってこれた、これはほんとにありがたいなあと思うんですよ。

鈴木:
僕にとってヒントは高畑と宮崎の関係なんですよ。ほんとに親しかったでしょ。でも二人がついぞ一緒に食事に行く、ゼロ。そして最後までお互い丁寧語。おいおまえなんて言わなかった。だから常に55年間緊張があったんですよ。それが参考になった。ちゃんと仕事ができるんですよね。そっちのほうがおもしろいんですよ。

 

 

かぐや姫の物語

久石:
今日最初からねえ、「ナウシカ」から始めました。その段階で音楽プロデューサーとして高畑さんと仕事をした。最後に一緒に「かぐや姫の物語」をできたのはほんとに喜びです。

鈴木:
これ本当に大変だったんですけどねえ。というのは、当初「風立ちぬ」と「かぐや姫の物語」は同じ日に公開しようと思ってたんですよ。「風立ちぬ」はもう久石さんってことでやってたでしょ。そしたら突然高畑さんのほうから「かぐやを久石さんでやりたい」。同じ日でしょ、両方とも久石さん。宮さんに言いに行くわけですよ、「高畑さんからこういう要望が出ている」。そうすると、宮さんという人はいつもだと「いや、そんなことは久石さんが決めればいいよ」っていうそういう言い方をする人なんですよ。ところがその時だけは、「え?両方とも久石さん? ほかに誰もいないと思われちゃうじゃん!まずいよそれはあ!」って(笑)。それが、良かったのかなんなのかいろいろあったんですけど、「かぐや姫の物語」が遅れて公開がずれる、それで久石さんが再浮上。というか、ずうっと高畑さんねえ、これに関しては「久石さんでやりたい」ずうっと言ってたんでねえ。だからそれが実現できたのは、高畑さんにとってもほんとに嬉しかったんじゃないですかね。

鈴木:
それと僕が声を大にして言いたいのは、この「かぐや姫の物語」の映画音楽、大傑作ですよね。高畑さんと日常的にいろいろなこと話してたから、高畑さんは実をいうと、好みもあったんでしょうけれど、「ラピュタ」の音楽、大絶賛してたんですよ。そうするとね、高畑さんのなかにあったのは、全然違う作品なんだけれど映画音楽として、どういうものをやっていくかというときに、「ラピュタ」に勝ちたい、どっかにあったんじゃないかなあ。それを僕は実現したと思ったんですよね。明らかに久石さんの新たな面も見れたし、この人すごいなと思ったんですよ、まだ成長するんだって(笑)。

久石:
忘れもしません、暮れの28日に鈴木さんと西村プロデューサーが二人会いに来て、「かぐややってください」って言われて。それで年明けて5日くらいかなあ、一緒に高畑さんと会って。だってさっきも言いましたけど、宮崎さん一人やるのにほんとに4年に1回でいいんですよ。オリンピックでいいんです。それがオリンピック年に2回やるようなもんですから。もう大変、だからあの年はちょっと死にそうというか。なぜかっていうと、こちらが中途半端だと宮崎さんのような天才を受けとめるだけで精一杯なんですよ。それを二人分受けとめるわけじゃない。ものすごく言葉ではちょっと言えないくらいに重圧がくるんですよ。要求してるレベルがわかるからね。両方に応えるのはかなりきつかったんだけれど。でも、一番すごかったなあと思うのは、高畑さんがずっと僕に対する信頼を維持されてたってことでしょうかね。人間って不思議ですよね、信頼されてるって思うとがんばれる。僕の場合でいうと、褒められるのが大好きなんですよ(笑)。なんでもいいんだけど、あんまりうまくないピアノでもね、「いやあ、いいですね!」って言われると、「あっそう!?そう!?」ってなるんです僕は(笑)。これは宮崎さんもそうなんです。いつもこっちに信頼をおいたうえでやってくれるから、長くやってこれた最大の理由は、二人のこちらに向ける目線のおかげでやってこれたっていう感じかな。

久石:
映画音楽って基本的にいうと、登場人物の心情につけるか状況につけるかっていうのがベースになります。ところがそれを両方あまりやってほしくないと。どちらかというと観客の目線にたって、観客が感動するのを補助する程度にしてほしいというような注文をされたんですね。そうすると音楽が得意技としてる部分は結構禁じ手にちかくなるわけです。なかなか書くのが難しくなるんだけど、僕この直前に「悪人」っていう映画をやって、それを高畑さんが非常に気に入られてて。それのような距離のとり方をしてくれっていう注文があったんですよね。高畑さんとその話をしてて、それが結構うまくいって。僕はこれで何を学んだかというと、映画の音楽のあり方、ここからがらっと変わったんですよ。ある種の劇伴と言われる音楽ではないんだけれど、方法論としてはそれに近くなるくらいに、すごく引いた音楽を書くようになりましたね。ですから、感情も煽らない、状況も説明しない、第三者の目線でいるっていう方法をとるようになって。実は高畑さんと一緒に「かぐや姫の物語」をやって学んだことが、山田監督の次の仕事をやるときに非常に役に立ちました。

久石:
(「天人の音楽」)わりと一番最初の頃にラッシュを見せてもらった時に、「これまだプロデューサーに言ってないんだけど」って高畑さんがほんとにこやかな子供のような笑顔で笑いながら、「ここのラストのシーンはサンバでいきたいんです」って言われて。普通に考えると育てのお爺さんお婆さんと別れて月に帰らないといけない、ドラマティックな一番クライマックスの悲しいシーンなわけですよね。ここをサンバでいきたいって言われたときにびっくりして「えっ、サンバですか?!」ってなっちゃったんですけどね(笑)。それはよく考えれば、月の世界というのは悩みもなにもないと、みんな楽しいんだと。そこからの使者が音楽を奏でながらやって来るわけだから、これは楽しい音楽。しかもかぐや姫も月に帰ったら、地球上で起こったこと全部忘れて幸せになると。とするならば、その時奏でる音楽はいったい何なのかと考えると、地球上で考えたらサンバのような音楽、そういう注文だったんですね。いやあ、大変な仕事を受けちゃったなあと思いました、その時は。

鈴木:
でもあれは、高畑さん聴いて一発でこれって、すごく喜んでた。それもさることながら、かぐや姫が都に行って初めて宮殿にのぼる。そうすると、こんなに着物があるのとか喜び勇むでしょ。でもそこでね、喜んでいるかぐや姫がこの先どうなっていくのか、ある種の予感、それを曲に、あれは良かったですよねえ。あれはほんとなかなかないですよね。そうすると観てる側が、なんかいろいろ考えちゃうっていうね。あれは見事に実現。

久石:
鈴木さんの言葉ってすごく重みありますよね。たまたま今鈴木さんの「禅とジブリ」を読んでいるんですよ。これが人生の教訓書みたいでね、こんなおもしろい本ないと思って読んでて。「かぐや姫の物語」もそうなんだけど、ある種の哲学を誰にでもわかりやすく説明してるんですね。お坊さんとの対話集なんですけどね、日本的なものってあるということと、日本の哲学、生きるために必要だっていうのは両方とも共通でもってますよね。だから、宗教ではないんだけれども、人間の生き方学ぶっていうのが「かぐや姫の物語」のなかにも高畑さんの知恵が溢れてますよね。

鈴木:
(高畑さんから一番学んだことは)ひと言ですよ、自分勝手にやる(笑)。だって言い出したら聞かないもん。変えないんだもん、しょうがないですよね。82歳の最後まで、こんなふうに生きられたら幸せですよねえ。公表してるから言っちゃいますけど、癌で亡くなっちゃうんですけどね、僕が最後に見舞った時「医者が間違ってる」って言うんですよ。これなかなか、ねえ、そうなんですよ。だから自分の意志の力で治そうとしてましたねえ。最後まで前のめりに生きましたよね、やりたいこといっぱいあるんですよって、それでなぜ僕は死ななきゃいけないのかって。まさにこういう喋り方なんですけどね。

 

 

スタジオジブリ作品 次回作

鈴木:
今絵コンテを描いていて、実際に作画も入ってて、もう2年も経ったんですけど、ここから先まだかかる。そういうなかにあって、高畑監督の早すぎる死があったんですけど。僕は横にいてなんとなくわかってたんですけど、この映画「君たちはどう生きるか」、ちょっといろいろあるから話しちゃって構わないと思うんだけど、主人公は宮崎駿、それを導いてくれた高畑勲、そういう映画になる予定だったんですよ。亡くなっちゃたでしょ、「死んじゃったからもうやめる」って言い出したんですよ(笑)。もうだいぶん出来てるんですよ、半分以上、もうみんな絵描いてるんですよ。そこから方針変更なんですよ。「やっぱりもう状況が変わったんだから、鈴木さんいつまでもこだわってしょうがないよ!」って。そこへ今突入してます。なんていう人だろうと。だからギア切ったんですよ。もうすごいですね。この人の凄まじさ。予定どおりに作らないんだもん。「死んじゃったからしょうがないじゃん!いつまでも引きずっちゃだめだよ鈴木さん!」って。ということでした。

久石:
すごいなあ。ますますパワーアップしたすごい作品になるんだろうなあと。今の話聞いてても一番思うのがね、高畑さんっていう存在はお亡くなりになっても、今いろいろな人に影響残してるんですよ。どれだけ強い人だったのかなと思いますね。鈴木さん、ほんと今日はありがとうございました。

鈴木:
がんばってください。あ、最後にとっておきのニュース。「君たちはどう生きるか」、音楽は久石さんです。(藤巻:全然とってきのニュースじゃない(笑)みんなそう思ってますよ)、みんなそう思ってるけども、わかんないもん、それは伝えないといけない、はい。

 

(NHK FM「今日は一日”久石譲”三昧」より 書き起こし)

*語り口調そのまま一言一句ではありません。オリジナルのニュアンスを損なわないよう努めました。

 

 

 

今日は一日“久石譲”三昧
8月15日(水)
午後0時20分~午後6時50分
午後7時30分~午後9時30分

あらゆるジャンルの映画音楽を作り、一方で15秒のCM音楽にも心血を注ぎ、かと思うと完全オリジナルアルバムやクラシック音楽を手がけられる。そして毎年世界中でコンサートもおこなう。音楽界の「超人」、それが、久石譲さんです。今回の三昧は、そんな久石譲さんの魅力を、ジブリ作品を中心にたっぷりとお届けします。

〈司会〉
久保田祐佳アナウンサー
出田奈々アナウンサー

〈インタビュー〉
青池玲奈アナウンサー

〈出演〉
久石譲
鈴木敏夫(スタジオジブリプロデューサー)
奥田誠治(元日テレ 映画プロデューサー)
藤巻直哉(崖の上のポニョ主題歌 ボーカル)

タイムテーブル

12:20~ リクエスト
13:00~ ジブリ映画音楽① 出演:久石譲、鈴木敏夫
14:15~ リクエスト
14:30~ ミニマル・ミュージック & ベートーベン 出演:久石譲、西村朗
15:20~ リクエスト
    ジブリ映画音楽② 出演:久石譲、鈴木敏夫
16:20~ リクエスト
16:35~ ジブリ映画音楽③ 出演:久石譲、鈴木敏夫、奥田誠治

~18:50

19:30~ ジブリ以外の映画音楽
20:00~ リクエスト
20:15~ ジブリ映画音楽④ 出演:久石譲、鈴木敏夫、藤巻直哉
21:00~ リクエスト

~21:30

 

公式サイト:NHK 今日は一日”久石譲”三昧
http://www4.nhk.or.jp/zanmai/343/

公式サイト:NHK 今日は一日○○三昧(ざんまい) プレイリスト
http://www4.nhk.or.jp/zanmai/65/

 

 

 

Blog. 「文春ジブリ文庫 ジブリの教科書 15 崖の上のポニョ」 より 主題歌エピソード

Posted on 2018/08/23

「文春ジブリ文庫 ジブリの教科書 15 崖の上のポニョ」(2017年11月刊行)から主題歌エピソードをご紹介します。

主題歌発表記者会見の模様はDVDにも収録されていますし、文字化されたものは「崖の上のポニョ ロマンアルバム」そしてこの本にも収載されています。

最初の打ち合わせの時すぐにポニョのメロディが浮かんだというエピソードや、誰が歌うか聞いたとき「……本気?」あまり釈然としていなかったというエピソード、そして記者会見の場で三人の歌声と会場の雰囲気を見たとき、鈴木プロデューサーに「今日初めて理由がわかった」と伝えるエピソード。これらはポニョの主題歌を語るうえで世に出ています。

 

今回この本から鈴木プロデューサー語り下ろしをご紹介します。そこには空白の期間のことが…。久石譲は本気で最初納得していなかったんですね。レコーディングも途中で帰ってしまうほど!?会見の日も口をきかないほど!?予定調和ではない偶然と軌跡がひとつの映画をつくっている。スタジオジブリ作品らしい迫真エピソードです。19ページに及ぶ鈴木敏夫プロデューサー語る制作秘話のなかから「主題歌大ヒットの陰で…」項です。

 

 

汗まみれジブリ史 今だから語れる制作秘話!
きっかけは社員旅行。トトロを上回るキャラを目指して

鈴木敏夫

鞆の浦への社員旅行
保育園を作ろう!
亡き母親との再会と、幻のシーン
主題歌大ヒットの陰で…
宮崎駿には”枯れる”才能がない!?

より

 

主題歌大ヒットの陰で…

『ポニョ』を語る上で欠かせないのは、やっぱり主題歌。宮さんは最初から「今回は歌がほしい」と言っていたんです。トトロの「さんぽ」のように、後々まで歌い継がれるような主題歌を作りたい──。

そこで、久石譲さんとも早い段階から打ち合わせをしました。じつは久石さん、『崖の上のポニョ』というタイトルを聞いた瞬間、その場でメロディが浮かんでいたそうです。ただ、あんまり簡単に「このメロディはどうですか」と言って否定されるといけないから、そのときは内緒にしていたんですね(笑)。

宮さんがイメージしていたのは、お父さんと子どもがお風呂に入るときに、いっしょに口ずさめるような歌。そこで、作画監督の近藤勝也くんに詞を任せることになりました。というのも、ちょうど彼の娘のふきちゃんが保育園に通っていて、宮さんもすごくかわいがっていたんです。彼ならイメージに合うものが書けるんじゃないかということでお願いしたところ、ぴったりの詞をあげてきてくれました。久石さんのメロディともうまくかみあって、すごくいい楽曲ができました。

問題は誰に歌ってもらうかです。そこで僕が思いついたのが藤巻直哉でした。藤巻さんは博報堂の社員で、ジブリ映画の製作委員会のメンバー。これがまあ本当に働かない男で、いつものらりくらりと遊んで暮らしている。何とかして彼に仕事をさせるというのが、僕の人生の課題にもなっていたんです。

そんなときに、ポニョの歌の話が出てきた。じつは藤巻さんは学生時代に「まりちゃんズ」というバンドをやっていて、ちょうど『ポニョ』を作っているころに、かつての仲間、藤岡孝章さんといっしょに「藤岡藤巻」として音楽活動を再開していた。しかも、彼には娘が二人いて、子煩悩ではある。

そこで、僕は一石二鳥の手を思いつきます。彼に歌わせたら、いい雰囲気が出るかもしれない。そして、主題歌を歌うとなったら、さすがの彼も映画の宣伝に一所懸命にならざるをえない──。

お父さん役は藤岡藤巻にするとして、子ども役はどうするか? そのとき浮かんだのが大橋のぞみちゃんでした。彼女はポニョの声のオーディションに来ていて、残念ながらそちらでは起用されなかったんですが、この歌にはぴったりの雰囲気を持っていた。じゃあ、のんちゃんと藤岡藤巻を組み合わせたらどうなるか?

さっそくスタジオに藤巻さんを呼んで、試しに歌ってみてもらうことにしました。宮さんには内緒でやっていたんですが、気配を感じてハッと後ろを見たら、本人が立っています。しかも、顔が笑っていない。

「鈴木さん、なにやってるんですか」「仮歌で、どんな感じになるか確認しようと思って……」とごまかしたんですけど、「おふざけもいい加減にしてください!」と怒りだしてしまった。ところが、スピーカーから流れてくる藤巻さんの歌声を聴くうちに、「あれ!?」と言って、宮さんの表情が変わっていったんです。

藤巻さんが録音ブースから出てきたときには、宮さんもすっかり上機嫌。「藤巻さん、意外にいいよ。いけるかもしれない」と褒めている。さらに、のんちゃんの歌声と重ねてみたら、これまたいい雰囲気で、宮さんもすっかり気に入りました。

僕としては、宮さんさえ説得できれば何とかなると思っていたんですが、今回はそれではすまなかった。久石さんに「藤巻さんでいこうと思ってるんです」と話したら、その瞬間、顔色が変わっちゃったんです。ただ、僕に対する遠慮もあってか、直接異議を唱えることはありませんでした。

レコーディング本番の日。藤巻さんはいつものとおり、気楽な調子で歌いだします。最初は黙って聴いていた久石さんですが、一番が終わると、ふいに立ち上がり、外に出ていってしまいました。そして、そのまま帰ってこなかったんです。しょうがないから、僕らのほうでそのまま歌入れを続け、レコードは完成することになりました。

その一件から、何となく久石さんとは会いにくくなってしまい、次にお目にかかったのは『ポニョ』の主題歌発表記者会見のときでした。その場で大橋のぞみと藤岡藤巻に生で歌ってもらうという段取りです。久石さんも来てくれるには来てくれたんですけど、僕とはいっさい口をきいてくれない。本気で怒っていたんですね。

弱ったな……と思いつつ、プロデューサーとしては、何とかこの発表を成功させなければいけない。そこで思いついたのが、藤巻さんを緊張させるという作戦です。藤巻さんは誰の前に出ても物怖じしない反面、態度が不遜に見えることがあります。大事なお披露目の場で、それが出たら何もかもおじゃんになってしまいます。

そこで、僕は藤巻さんに「トイレ行った? 舞台で行きたくなったら大変だから、行っておいたほうがいいんじゃない?」と言いました。彼は「そうですね」と言ってトイレに行く。帰ってきてしばらくすると、もう一回同じことを言う。それを三回ぐらい繰り返しているうちに、彼が珍しくあがってくるのが分かりました。こうなればしめたものです。

実際、舞台にあがると、態度がいつもと違っていました。真剣に歌ったんです。それがみんなの心を打った。誰より一番心を打たれたのが久石さんでした。会見が終わったあと、久石さんは僕を呼び止めて言いました。「鈴木さんがあの二人を選んだ理由、今日初めて分かりましたよ」。そう言ってもらったときは本当にうれしかったし、これで歌も映画もうまくいくと安心しました。

ところが、この歌、当初はさっぱり売れなかったんです。発売元のヤマハさんの希望もあって、映画公開の半年以上前にリリースしたんですけど、僕は「その時期じゃ、ぜったいに売れない」と言いました。過去の数字を見ても、CDが売れ始めるのは、判で押したように映画公開の直前だったからです。

実際、初回プレス三万枚にうち、六月までに売れたのはわずか三千枚。途中でヤマハの担当者が「宣伝しましょう」と言ってきたんですが、僕はあえてそれを止めました。僕が考えていたのは、公開直前になったら、過去に例がないほどの圧倒的な量の広告を打つという作戦です。

広告の露出量を測る指数にGRP(グロス・レイティング・ポイント)というものがあります。音楽でその最高値はどれぐらいなんだろうと思って調べてもらったところ、だいたい二千GRPぐらいだった。それを一万GRPまで持っていったらどうなるか? ちょっと実験してみたい気持ちもあったんです。

実際に宣伝を開始すると、その効果たるや、すさまじいものがありました。それまで半年で三千枚しか売れなかったのが、毎日一万枚のペースで売れていく。結果、シングルは五十万枚まで伸びました。もうCDは売れないと言われていた時代ですから、立派な数字です。さらにすごかったのがネット配信でした。当時は携帯電話の「着うた」というのが流行っていたんですが、そこで飛ぶように売れて、最終的にダウンロード数は四百九十五万まで伸びました。

それでも、映画のヒットを心配する関係者は大勢いました。「歌が売れるのはいいことだけど、それはあくまで子ども向け。大人にはどうやってアピールするんだ?」。そんな意見もありました。ただ、僕としては、歌がヒットすれば映画もうまくいくと考えていたんです。予告編も歌を中心に作り、とにかく歌で押していきました。やがて、街中や会社、至るところで、♪ポーニョ、ポニョ、ポニョという歌が聞こえてくるようになり、ヒットを確信しました。

七月末に公開直後から、『ポニョ』はものすごい観客動員数を叩きだしました。じつは僕の中では、本当の勝負はお盆からだったんです。その前の二週間ほどは、いわば有料試写会。そこで見た人が評判を広めてくれて、徐々にヒットしていく──そんな見込みを立てていました。ところが蓋を開けてみるとおそろしいほどの初速で、八月までの数字でいうと、『千と千尋の神隠し』に勝るとも劣らない勢いでした。

(文春ジブリ文庫 ジブリの教科書 15 崖の上のポニョ より)

 

 

【目次】
ナビゲーター・吉本ばなな この世の映画ではなかった
Part1
映画『崖の上のポニョ』誕生
スタジオジブリ物語 人間が手で描いた驚きに満ちた『崖の上のポニョ』
鈴木敏夫 きっかけは社員旅行。トトロを上回るキャラを目指して
宮崎駿 監督企画意図「海辺の小さな町」
Part2
『崖の上のポニョ』の制作現場
[監督] 宮崎駿 『崖の上のポニョ』のすべてを語る
ポニョの世界を創る。 1.宮崎駿イメージボード 2.吉田昇美術ボード
[色彩設計] 保田道世 彩度と彩度がせめぎあう、スレスレのところを狙いました
[美術監督] 吉田昇 とにかく観ていて楽しくなるような作品にしたかった
[作画監督] 近藤勝也 作画スタッフが作り上げた果実に上薬を塗ることが僕の仕事です
『崖の上のポニョ』主題歌発表記者会見 宮崎駿×久石譲×大橋のぞみと藤岡藤巻
出演者コメント
山口智子/長嶋一茂/天海祐希/所ジョージ/奈良柚莉愛/土井洋輝/柊瑠美/矢野顕子/吉行和子/奈良岡朋子
ポニョを読み解く8つの鍵
Part3
作品の背景を読み解く
viewpoint 横尾忠則 技術とかテーマだけでこの作品を評価するなんてモッタイナイ!
リリー・フランキー こたえあわせ
小澤俊夫 昔話から見た『崖の上のポニョ』
のん 私、ポニョなのかもしれません!
窪寺恒己 「海洋生物オタク」が見たポニョとダイオウイカ
伊藤理佐 緊張、そして
宮崎駿×市川海老蔵 ポニョから学んだ歌舞伎の神髄
出典一覧
宮崎駿プロフィール
映画クレジット

 

なお、本書巻末出典一覧にあるとおり、『崖の上のポニョ』主題歌発表記者会見 宮崎駿×久石譲×大橋のぞみと藤岡藤巻 項は、「ロマンアルバム 崖の上のポニョ」(2008年・徳間書店)に収載されたものと同内容です。

 

 

 

 

Blog. NHK FM 「今日は一日”久石譲”三昧」 番組内容 -プレイリスト編-

Posted on 2018/08/16

8月15日(水)久石譲の魅力をジブリ作品を中心に9時間にわたって紹介する生放送番組、NHK FM『今日は一日“久石譲”三昧』が放送されました。出演は久石譲、鈴木敏夫(スタジオジブリプロデューサー)、奥田誠治(元日テレ 映画プロデューサー)、藤巻直哉(崖の上のポニョ主題歌 ボーカル)ほか。番組ではリクエスト募集もありメッセージとあわせて紹介されました。

 

「風の谷のナウシカ」から「かぐや姫の物語」まで。スタジオジブリ作品全11作の音楽を手がける久石譲が、作品ごとに鈴木敏夫プロデューサーらと語ったエピソードは貴重なものばかり。どんなお話が聞けたかはまた別の機会に紹介できたら。ミニマル・ミュージック、ベートーヴェン、ジブリ作品以外の映画音楽、多岐にわたる久石譲インタビューや対談はボリューム満点でした。

そして、リクエスト企画ならではの振り幅広い久石譲音楽。こんな曲も流してくれるんだ!こんな曲知ってる人いるんだ!と驚くラインナップでした。ということで、今回は「プレイリスト編」番組公開プレイリストをもとに収録CDをあわせてご紹介します。曲名だけ見てもわからない、膨大すぎて踏み込めない。多種多彩な久石譲音楽、こんなのも!こんなのも!の連続です。

こういった番組を通して、また好きな久石譲音楽が見つかった、と広がっていきそうでいいな~と思ったとてもありがたい番組。そして、、9時間では全然足りないということもわかりましたね。うーん、ディープなものもあったけど30%紹介できたのかなという印象。パート2、パート3も期待しています!

 

 

8月13日(月)~19日(日)までの7日間 NHK-FMでは「今日は一日“◯◯”三昧」を毎日放送!この“三昧”三昧な1週間を「三昧フェス2018」と銘打ち、あなたの夏をとことん盛り上げます!

8/13 今日は一日 ”サザンオールスターズ” 三昧
8/14 今日は一日 ”ユーミン” 三昧
8/15 今日は一日 “久石譲” 三昧
8/16 今日は一日 ”ありがとう!ヒデキ” 三昧
8/17 今日は一日 “アスリート勝負曲” 三昧
8/18 今日は一日 ”ドラマうた” 三昧
8/19 今日は一日 “ジャパニーズ・ミュージカル” 三昧
8/19 今日は一日 “ホラーソング” 三昧

 

 

今日は一日“久石譲”三昧
8月15日(水)
午後0時20分~午後6時50分
午後7時30分~午後9時30分

あらゆるジャンルの映画音楽を作り、一方で15秒のCM音楽にも心血を注ぎ、かと思うと完全オリジナルアルバムやクラシック音楽を手がけられる。そして毎年世界中でコンサートもおこなう。音楽界の「超人」、それが、久石譲さんです。今回の三昧は、そんな久石譲さんの魅力を、ジブリ作品を中心にたっぷりとお届けします。

〈司会〉
久保田祐佳アナウンサー
出田奈々アナウンサー

〈インタビュー〉
青池玲奈アナウンサー

〈出演〉
久石譲
鈴木敏夫(スタジオジブリプロデューサー)
奥田誠治(元日テレ 映画プロデューサー)
藤巻直哉(崖の上のポニョ主題歌 ボーカル)

 

タイムテーブル

12:20~ リクエスト
13:00~ ジブリ映画音楽① 出演:久石譲、鈴木敏夫
14:15~ リクエスト
14:30~ ミニマル・ミュージック & ベートーベン 出演:久石譲、西村朗
15:20~ リクエスト
    ジブリ映画音楽② 出演:久石譲、鈴木敏夫
16:20~ リクエスト
16:35~ ジブリ映画音楽③ 出演:久石譲、鈴木敏夫、奥田誠治

~18:50

19:30~ ジブリ以外の映画音楽
20:00~ リクエスト
20:15~ ジブリ映画音楽④ 出演:久石譲、鈴木敏夫、藤巻直哉
21:00~ リクエスト

~21:30

 

プレイリスト

*リンクURLは楽曲収録CD
*現在入手が難しいものもあります

01.海の見える街 / 久石譲
02.やっつけろ! / 松木美音
03.Cinema Nostalgia / 久石譲
04.草の想い~ふたり・愛のテーマ~ / 大林 宣彦 & FRIENDS
05.ムクワジュ / ムクワジュ・アンサンブル
06.「風の谷のナウシカ」~オープニング~ / 久石譲
07.王蟲との交流 / 久石譲
08.オーストリア交響曲 第2楽章 / 久石譲
09.オーストリア交響曲 第3楽章 / 久石譲
10.Resphoina / 久石譲
11.いのちの名前 / 平原綾香
12.水の旅人~メイン・テーマ~ / 久石譲
13.空から降ってきた少女 / 久石譲
14.君をのせて / 井上あずみ
15.Prologue~Spring Rain / 久石譲
16.なよたけのかぐや姫 / 久石譲
17.エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための室内交響曲, Mov. 1. / 久石譲,フューチャー・オーケストラ
18.交響曲 第5番 作品67「運命」第1楽章 / 久石譲&ナガノ・チェンバー・オーケストラ
19.We are SMAP! / SMAP
20.男たちの大和 / 久石譲
21.さんぽ / 井上あずみ
22.風のとおり道 / 久石譲
23.となりのトトロ / 井上あずみ
24.THE INNERS ~遥かなる時間(とき)の彼方へ~ (Opnening Theme-Synthesizer Version) / 久石譲
25.Stand Alone / サラ・ブライトマン × 久石譲
26.海の見える街 / 久石譲
27.仕事はじめ / 久石譲
28.デッキブラシでランデブー / 久石譲
29.おかあさん / 久石譲
30.旅立ちの時~Asian Dream Song~ / 宮沢和史 with 久石譲
31.時代の風~人が人でいられた時~ / 久石譲
32.アドリアの海へ / 久石譲
33.晴れた日に… / 久石譲
34.Oriental Wind / 久石譲
35.アシタカとサン / 久石譲
36.アシタカせっ記 / 久石譲
37.もののけ姫 / 米良美一
38.神さま達 / 久石譲
39.6番目の駅 / 久石譲
40.竜の少年 / 久石譲
41.あの夏へ / 久石譲
42.人生のメリーゴーランド / 久石譲
43.星をのんだ少年 / 久石譲
44.銀河疾風サスライガー / MOTCHIN
45.Main Theme (映画「Quartet カルテット」より) / 久石譲
46.にんげんっていいな / 赤い靴ジュニアコーラス
47.メーヴェ / 久石譲
48.君だけを見ていた / 久石譲
49.はつ恋 / 久石譲
50.忍豚レゲエ / 田中真弓
51.にんげんっていいな / 中嶋義実・ヤングフレッシュ
52.HANA-BI / 久石譲
53.Summer / 久石譲
54.メインテーマ (映画「妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII」より) / 久石譲
55.おくりびと ~ending~ / 久石譲
56.NHKスペシャル 「ディープオーシャン」メインテーマ / 久石譲
57.崖の上のポニョ / 藤岡藤巻と大橋のぞみ
58.流れ星の夜 / 久石譲
59.旅路 (夢の王国) / 久石譲
60.天人の音楽Ⅰ / 久石譲
61.タタリ神 / 久石譲
62.帰らざる日々 / 久石譲
63.恋だね / 久石譲
64.ふたたび / 久石譲

 

*番組公開プレイリストでは楽曲が漏れていたので修正しています(Playlist.20)

 

 

久石譲が鈴木敏夫プロデューサーらと作品ごとに語り尽くした貴重なエピソード。

 

 

公式サイト:NHK 今日は一日”久石譲”三昧
http://www4.nhk.or.jp/zanmai/343/

公式サイト:NHK 今日は一日○○三昧(ざんまい) プレイリスト
http://www4.nhk.or.jp/zanmai/65/

 

 

Blog. NHK音楽特番「ジブリのうた」 番組内容(関連本も)

Posted on 2018/08/12

スタジオジブリの高畑勲監督と宮崎駿監督が、心をこめて創り上げてきた作品にスポットをあて、世代を越えて愛される音楽を主役にしたNHK音楽特番『ジブリのうた』が放送されました。

 

 

『ジブリのうた』
日時:8月9日(木)19:58~20:43 NHK総合

案内役:神木隆之介

出演アーティスト(五十音順):
新井美羽 / King & Prince / 五嶋龍 / 二階堂和美 / 久石譲 / Little Glee Monster / 横山だいすけ

ナレーション:入野自由

ことしは、映画、「となりのトトロ」と「火垂るの墓」が同時公開されてからちょうど30年。そして日本のアニメーションを牽引してきた巨匠・高畑勲監督が惜しまれつつ亡くなられた年です。そこで、高畑監督と宮崎駿監督が、心をこめて創り上げてきた、スタジオジブリの作品にスポットをあて、中でも世代を越えて愛される音楽を主役にした特番を放送します。

名作ぞろいの歌を歌うのは、人気者やジブリ縁のアーティストたち。作品の世界観を再現した空間で、楽しく、感動的なパフォーマンスを披露してくれます。もちろん、宮崎監督作品にまつわるエピソードや、高畑監督の偉大な足跡もたっぷりと紹介します。

番組案内の舞台は、多くの来場者が訪れる「ジブリの大博覧会」(広島県立美術館)会場。様々な作品の感動の名シーンも含め、ジブリの魅力が満載の45分間です。

(番組概要より)

 

 

番組内容をご紹介します。

 

♪ さんぽ / King & Prince
♪ 風のとおり道 / 久石譲、五嶋龍
♪となりのトトロ / King & Prince
♪ 崖の上のポニョ / 新井美羽、横山だいすけ
♪ ミミちゃんとパンダ・コパンダ / 新井美羽、横山だいすけ
♪ 君をのせて / Little Glee Monster
♪ いのちの記憶 / 二階堂和美
♪ 天人の音楽2018 / 久石譲(指揮)

 

 

風のとおり道 / 久石譲、五嶋龍

映画『となりのトトロ』から。主題歌「さんぽ」「となりのトトロ」に負けないくらいトトロ・スタンダードとして印象深い名曲です。久石譲のピアノと五嶋龍のヴァイオリンによる豪華デュオ。TV音楽番組「題名のない音楽会」テーマ曲「Untitled Music」(2015-2017)で初共演を果たし、久石譲海外公演でもステージ共演している華麗なコラボレーション。味わい深い熟成された二人の演奏に、ただただうっとりしてしまいます。久石譲ピアノソロ版もある、チェロ&ピアノ版もある、ピアノ&ストリングス版もある、もちろんオーケストラ版もある。そのなかで、今回のピアノ&ヴァイオリン版はこの番組のためだけ、一期一会の演奏です。ピアノ・パートも従来と変化あり、ヴァイオリンとのかけあいを際立たせる調べ。この夏とびっきりのプレゼントです!

 

 

【2018.9 追記】

「風のとおり道」は「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」コンサートツアーにて「The Path of the Wind 2018」としても披露されました。

The Path of the Wind 2018 【AB】
ピアノとヴァイオリンを基調に弦楽オーケストラが包みこむ「風のとおり道」。久石譲の弾き振り(ピアノを弾きながら指揮もする)も奏者たち音たちに緊張感と楽しさをリードしているようでした。映画『となりのトトロ』のもうひとつのテーマとして人気高いこの曲、こんなにも新しく生まれ変わるんだ!というほどの衝撃と新鮮さでした。とりわけストリングスのオーケストレーションがすばらしい。とても現代的でここまでくるともうそれは芸術の域。大きいくすの木が風に吹かれて揺れている音、そんなイメージが浮かびます。

高畑勲監督が絶賛していたこの曲を、W.D.O.2018でプログラムすることも、なにか想いがあったのかもしれません。ツアー期間中8月9日にTV NHK「ジブリのうた」でも五嶋龍さんとのピアノ&ヴァイオリン版をうっとりするくらいの極上デュオで聴かせてくれました。2018版は同じ構成をベースにしながらも、コンサートマスター豊嶋泰嗣さんとのかけあいに、新しいストリングスの調べ。決してデュオ版が物足りなくなるとかではないんですね。こんな素敵なプレゼントをふたつももらっていいんですか!そんな気持ちです。

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」 コンサート・レポート より抜粋)

追記ここまで

 

 

「君をのせて」エピソード

「君をのせて」っていうのは、もともとイメージアルバムっていう本編の映画ではないアルバムを作っていたんですね。その時に、どんな曲が必要なのかっていうことで、宮崎さんが短いコメントを書かれるんですね。そのコメントと、たまたま僕が冒険映画にしてはしっとりしたメロディを書いちゃたんですね。それを高畑さんが非常に気に入られて、これをテーマにしたいと。それで、その時にイメージポエムから言葉をはめていったんですね。ですが、ちょっとやっぱり短いわけで入らないわけですよね。それを高畑さんと二人でいろんな言葉をメロディにあわせてはめていく作業。すごく楽しかったですけども。だから、作詞作曲が宮崎さんと僕ってなってるんですけど、あれを生み出す原動力になったのは高畑さんの力なんですよね。

久石譲

(エピソード・インタビュー 書き起こし)

 

 

天人の音楽2018 / 久石譲(指揮)

映画『かぐや姫の物語』から。印象的なストーリーに斬新な発想で観客を驚かせた「天人の音楽」。本番組で演奏されたのは冒頭で「なよたけのテーマ(久石譲作曲)」と「わらべ唄(高畑勲作曲)」の旋律が同時進行的に絡み合うパートを導入部に。弦楽合奏と篳篥・龍笛・太鼓などの邦楽器、さらにはサンプリングボイスまでが絶妙なブレンドで鳴り響く「天人の音楽」。楽器編成の和洋折衷を超えた別の世界の音楽。今年5月に開催された「高畑勲 お別れの会」でも会場で流れつづけた曲です。

 

 

 

 

関連書籍を少しご紹介します。

 

ジブリの教科書 19 かぐや姫の物語 (文春ジブリ文庫・2018刊)

映画『かぐや姫の物語』にまつわるエピソード満載の本です。久石譲による音楽制作も語り下ろし収載されています。そのなかには「天人の音楽」ができるまでのやりとりも鮮明に記されています。また鈴木敏夫プロデューサーによる語り下ろしは18ページにおよぶ長尺なもので、「高畑勲 お別れの会」を経て語られている内容です。今まで語られることのなかった高畑勲監督とのエピソード、壮絶なスタジオジブリ現場、そこから垣間見える高畑勲という人の強烈さ巨大さ。宮崎駿監督と高畑勲監督の距離感、鈴木プロデューサーだからこそ目撃できたエピソード。震えるほど読み応えあります。

 

この鈴木敏夫プロデューサーの語りは、同旨に近い内容で現在公開中です。

公式サイト:文春オンライン
「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1
http://bunshun.jp/articles/-/8406
「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2
http://bunshun.jp/articles/-/8407
「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3
http://bunshun.jp/articles/-/8408

 

 

 

禅とジブリ / 鈴木敏夫 著 (淡交社・2018刊)

三人の禅僧との対談を収めたもので、禅の世界へわかりやすく誘ってくれます。それは『もののけ姫』『火垂るの墓』などジブリの名作から、死生観や人生哲学などを禅的に読みとき、宮崎駿・高畑勲両監督との映画制作の経験に照らして禅を語っているからでもあります。【スタジオジブリプロデューサー鈴木敏夫氏が禅僧と奔放対談。ジブリの名作を禅的に読みとき、映画制作の経験から禅を語る。】というキャッチコピーのとおりです。

プロローグでは、宮崎駿監督新作映画のホットなエピソードが収められています。現在製作中の今、宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーの旬なやりとり・駆け引きです。また問答後談などでは、『となりのトトロ』や『風立ちぬ』など蔵出し秘話も。

『かぐや姫の物語』からは、「天人の音楽」シーンが対談話題にあがっています。

 

玄侑:
「~略~ あの月から使者が迎えに来るラストの光景と音楽はちょっと忘れられないですね」

鈴木:
「仏教の来迎図(らいごうず)がモデルです。高畑さんは、来迎図の菩薩たちが持っている楽器を全部調べて、それぞれの音色を再現して演奏してもらった。最後の曲はそういう曲ですね」

 

阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)
国宝 鎌倉時代 知恩院蔵

 

 

ジブリと禅からの勇気をもらえる一冊です。

 

【今、ここ】
目の前のことをコツコツやって拓けていく人生

【一日暮らし】
どんなつらいこともその日一日だと思えば耐えられるし、どんな楽しいこともその日一日だと思えば浮かれることはない

【日々是好日(にちにちこれこうじつ)】
いい日ばかりじゃないけど、いかにいい日にしていくかが大事なんだ

 

あとはゆっくり本をめくってみてください。

 

 

南の国のカンヤダ / 鈴木敏夫 著 (小学館・2018刊)

初のノンフィクション小説で、鈴木敏夫プロデューサーが都内のマンションのエレベーターで偶然知り合ったタイ人シングルマザー・カンヤダをめぐる物語です。この本のエピローグに高畑勲監督とのエピソードが記されています。「高畑勲 お別れ会」のこと、『となりのトトロ』で宮崎駿監督は当初、監督:高畑勲、作画:宮崎駿を希望したこと、加藤周一さんと『火垂るの墓』エピソード。これまでの回想を経ながらも、「宮さんにしてもぼくにしても、この先、ずっと「高畑勲とは何者か?」を考え続けるに違いない」という結びが印象的です。

 

 

 

Info. 2018/08/09 [TV] NHK総合 音楽特番「ジブリのうた」久石譲・二階堂和美・五嶋龍 他出演 【8/2 Update!!】

 

 

 

Blog. スタジオジブリ小冊子「熱風 2018年6月号」《特集/追悼 高畑勲》 久石譲 内容紹介

Posted on 2018/08/08

スタジオジブリ小冊子「熱風 2018年6月号」に掲載されたものです。《特集/追悼 高畑 勲》のなかで5ページにわたって綴られています。5月15日に開かれた「高畑勲 お別れの会」でのお別れの言葉にも通じる内容になっています。

宮崎駿監督、大塚康生さん、小田部羊一さん、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督は、「お別れの会」で語られた言葉が再録されています。

 

 

特集/追悼 高畑 勲

またいつか、どこかで 久石譲

『かぐや姫の物語』を作っていたときのことです。ダビング作業の合間に、僕が翌月指揮をしなければいけないブラームスの交響曲第3番のスコアを見ていると、ふいに高畑さんがやってきました。「それは何ですか?」と言ってスコアを手に取ると、第4楽章の最後のページを開いて、「ここです。ここがいいんです」とおっしゃいました。

第1楽章のテーマがもう一度戻ってくるところなんですが、そういうことを言える方はなかなかいない。少なくとも僕はそういう監督に会ったことがありません。それぐらい高畑さんは音楽に造詣が深かった。

高畑作品を見ていると、どれも音楽の使い方がすばらしいですよね。たとえば、『セロ弾きのゴーシュ』。よくあの時代に、あそこまで映像と音楽を合わせられたなと思いますし、『田園』(ベートーヴェンの交響曲第6番)から選んでいる箇所も絶妙なんです。音楽を知り抜いていないと、ああはできません。

『ホーホケキョ となりの山田くん』では、音楽で相当遊んでいます。マーラーの5番『葬送行進曲』を使ったかと思ったら、急にメンデルスゾーンの『結婚行進曲』がタタタターンと来る。あの映画は音楽通の人にとっては、見れば見るほど笑えるというか、すごい作品です。

すべての作品で、使うべきところに過不足なく音楽が入っている。作曲家の目から見ても、音楽のあり方が非常に的確なんです。世界を見渡しても、こんな監督はいないと思います。

 

論理的な楽天主義者

高畑さんと初めてお会いしたのは、『風の谷のナウシカ』のときでした。もちろん音楽のミーティングには宮崎さんも出席されましたが、作画のほうが忙しかったこともあって、音楽のほうは主にプロデューサーの高畑さんが見ていらっしゃいました。7時間以上の長時間のミーティングはあたりまえ。それを何回も何回も繰り返して、「いったいどこまで話すんだ」というぐらい音楽の話をしました。

高畑さんは論理的な方だから、必ず「なぜ」を聞きます。「なぜ、ここはこのテーマなのか。こっちでいいんじゃないですか」「いやいや、ここはぜったいこのテーマです」。何度も話し合いをしました。たぶん、僕も譲らなかったんだと思います。そうやって、一所懸命、高畑さんと戦って、『ナウシカ』の音楽はできました。

そのときのことを高畑さんは後年、「久石、宮崎両氏の出会いがいかにしあわせな”事件”であったかを思わずにはいられない」と書いてくださいました。

続く『天空の城ラピュタ』では、主題歌「君をのせて」を作るにあたって、まず宮崎さんからいただいた詞がありました。それをメロディにはめていく作業を、高畑さんと二人で何日もやったことを覚えています。いまでは世界中の人から愛されるようになったあの歌は、宮崎さんと僕、そして高畑さんがいなかったら、生まれていなかったのです。

図らずも最後の作品となった『かぐや姫の物語』で、初めて高畑作品の音楽を担当することになりました。

最初にラッシュを見せてもらったとき、かぐや姫が月に帰るクライマックスシーンの話になりました。高畑さんは、子どもみたいに笑って、「これはまだプロデューサーにも言ってないんだけど、サンバで行こうと思っているんです」とおっしゃいました。こちらは「え!?サンバですか」とびっくりです。普通に考えれば、お別れの場面ですから、悲しい音楽を想定します。ところが、高畑さんはそうは考えない。

月の世界には悩みも苦しみもない。かぐや姫も月に帰ったら、地上で起きたことをぜんぶ忘れて幸せになる。そういう悩みのない”天人”たちの音楽はなんだろうかと考えたとき、地球上にある音楽でいえばサンバになる──というのが高畑さんの発想でした。

非常に論理的に詰めていった上で、サンバへと飛躍する感覚的なすごさ。われわれ作曲家もそうですが、多くの人は、論理的な思考と感覚的なものとの間で葛藤しながら、ものを作ります。でも、高畑さんはそこの折り合い方がすごく自然で、自由だったんだと思います。

その自然さはどこから来るんだろうと、ずっと不思議に思っていたんですが、あるとき高畑さんがこうおっしゃったんです。「僕はオプティミストなんですよ。楽天主義者だから、楽しいことが大好きなんです」。それで、「ああ、なるほど」と納得しました。楽しいこと、おもしろいことに対して素直に喜ぶ。そこに基準を置きながら、論理的、意識的な活動と、感覚的なものを両立していた。それが高畑勲という人だったんじゃないでしょうか。

『かぐや姫の物語』は、映画音楽への向き合い方という意味で、僕にとって大きな転機になった作品でもあります。

高畑さんは、その前に僕が書いた『悪人』の音楽を気に入ってくれていました。「登場人物の気持ちを説明するわけではなく、シーンの状況にも付けない。観客のほうに寄っている音楽のあり方がいい」。そうおっしゃっていました。だから、『かぐや姫』に取りかかるときも、「あれと同じように、観客の感情を煽らない、状況にも付けない音楽を」と言われていたんです。

その前も多少は気をつけていましたが、それをきっかけに僕の中でスタンスがはっきりと変わりました。いわゆる普通の映画音楽は、登場人物が泣いていたら悲しい音楽、走っていたらテンポの速い音楽というように、状況に付けて、観客の感情を煽ります。でも、『かぐや姫』を作っていく中で、そういうことはいっさいやめて”引く”ようになったんです。観客が自然に映画の中に入っていって感動するのをサポートするぐらいでいいと考えるようになりました。それまでの僕のやり方は、もう少し音楽が主張していたと思うんですけど、主張の仕方を極力抑えるようになりました。

近年のハリウッド映画などは、あまりにも状況にぴったり付けることで、映画音楽が”効果音楽”に陥っているものも多いですよね。でも僕は、映画音楽にもある種の作家性みたいなものが残っていて、映像と音楽が少し対立していたほうがいいと思うんです。映像と音楽がそれぞれあって、もうひとつ先の別の世界まで連れて行ってくれるようなものが理想。高畑さんはそういう部分も尊重してくれました。

最初のうち、高畑さんの言わんとしていることを理解するまでは大変でしたけど、途中で、「あっ、ここだ」というポイントを掴んでからはスムーズに進むようになりました。最後はほとんどあうんの呼吸のようになって、ニコニコと「それでいいです」と言ってもらえることが増えた。

だから、できることなら、もう一、二本撮っていただきたかったし、できることなら一緒にやりたかった。残念ながら、それは叶いませんでしたが、高畑さんとの仕事で掴んだ方法論は、いまも僕の中で活きています。

 

磁石のような、羅針盤のような存在

高畑さんは僕のコンサートもよく聴きに来てくれました。「ミュージック・フューチャー」という現代の最先端の音楽を紹介するコンサートにも足を運んでくださったんですが、終わった後の感想が的確すぎるぐらい的確なので、怖いぐらいでした。「どうしてこういう楽曲になったのか」という論理構造を持たないものは、スパッと見抜かれてしまうんです。

「Young Composer’s Competition」という若い作曲家から作品を募集する企画では、審査員も務めていただきました。すでにご病気が進んでいたはずですが、引き受けていただいて、本当に感謝しています。そこでも、やはり高畑さんはきちんとした構造を持っている作品を選んでいました。

去年は長野で現代音楽のコンサートをいっしょに聴き、対談もしました。話すたびに音楽に対する深い知識に驚かされました。

僕の中で高畑さんは、「大きな磁石みたいな人」というイメージがあります。ドンとそこにいるだけで、まわりに才能のある人が集まってきて、いろんなことが始まっていく。押しつけがましくしているわけじゃないのに、なぜか人を引き寄せる。

高畑さんの中には膨大な引き出しがあって、その中で考えたあらゆることを駆使して、ひとつひとつの決断をしていく。しかも、オプティミストとして、軽やかなスタンスでそれをやっている。僕にとって、宮崎さんが憧れの”お兄さん”のような人だとしたら、高畑さんは”理想の人”です。

僕は仕事や人間関係や、いろんなことで悩むとき、よく「宮崎さんだったらどうするだろう」「鈴木敏夫さんだったらどうかな」「養老孟司先生だったらどうするだろう」と考えます。そのとき最後にはやはり「高畑さんならどうするだろう」と考える。

僕の中では、思考するときの羅針盤みたいな存在なんです。論理的なものと、感覚的なもの。自分はいまどちらを取ろうとしているんだろう? 高畑さんならこっちだろうか? そうやって考えているとき、いつも決まって浮かんでくるのは高畑さんの笑顔です。そうすると、何だか希望が湧いてきて、次の自分の行動が決まります。

そういう意味では、高畑さんは、僕の中ではいまも生きています。

無名だった僕を『ナウシカ』で起用していただいてから35年。今日の僕があるのは高畑さんのおかげです。長い間、本当にお世話になりました。いっしょに仕事ができたことを誇りに思っています。心からご冥福をお祈りします。でも、お別れは言いません。またいつか、どこかでお会いしましょう。

(作曲家 ひさいし・じょう)

(スタジオジブリ小冊子「熱風 2018年6月号」より)

 

 

なお、「ジブリの教科書19 かぐや姫の物語」(文春ジブリ文庫・2018年刊)にも同内容(別編集)で収録されています。

 

 

熱風 2018年6月号

[目次]

特集/追悼 高畑 勲
高畑 勲を偲んで(宮崎 駿)
映画製作の喜び知った瞬間/最期の外出(鈴木敏夫)
悔しくて悔しくてしょうがない(大塚康生)
パクさん戻ってきて下さい(小田部羊一)
またいつか、どこかで(久石 譲)
高畑さん(マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット)
「視座」としての、高畑映画。 ――畏友・高畑 勲さん、有難う。(大林宣彦)
どうしてもしたかった会話(池澤夏樹)
最初で最後のデート(二階堂和美)
お悔やみ(ユーリ―・ノルシュテイン)
追悼・高畑 勲監督(太田 光)
『漫画映画の志』のこと(井上一夫)
「どこか宇宙人のような感じがする人」(貝の火)
ご挨拶(高畑耕介)

連載
第10回  丘の上に小屋を作る(川内有緒)
     ~小屋を建てる工法を考える~

第14回   海を渡った日本のアニメ
     私のアニメ40年奮闘記(コルピ・フェデリコ)
     ――外国人差別と心の傷

第9回  ワトスン・ノート~語られざる事件簿~(いしいひさいち)

第5回  十二の禅の言葉と「ジブリ」(細川晋輔)
     ――「当処即ち蓮華国」と「火垂るの墓」

第17回  グァバよ!(しまおまほ)
     ――お母さん、明日だいじょうぶ?

第10回  シネマの風(江口由美)
     ――[今月の映画]『レディ・バード』

第26回  日本人と戦後70年(青木 理)
     ――[ゲスト]古賀 誠さん

執筆者紹介
ジブリだより / おしらせ / 編集後記

 

 

 

 

 

Blog. 「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第7回 定期演奏会」 コンサート・レポート

Posted on 2018/07/19

7月16日開催「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第7回 定期演奏会」です。「アートメントNAGANO 2018」のフィナーレを飾る最終公演、2016年から2年間をかけてベートーヴェン全交響曲を演奏するプロジェクトのシリーズ完結でもあります。

 

先立って5月に公開されたプロモーションで久石譲はこう語っています。

 

長野だからこそという「第九」になるのがいい。

ベートーヴェンの曲もリズムを重要視して書かれている。それを現代的なリズム感覚でNCOではずっとアプローチをかけて来たわけです。ですから単純に言うと速いです、テンポも。NCOはどうしても速いです。トータルで言うと、まるでロックを聴いたようなリズムで、興奮するねっていうようなベートーヴェンをやろうと。

(久石譲)

Info. 2018/05/06 「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第7回定期演奏会」PV公開 より

 

 

まずはセットリストとパンフレットからご紹介します。

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第7回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  
2018/07/16

[公演回数]
1公演
長野・長野市芸術館メインホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
コンサート・マスター:近藤薫
ソリスト:安井陽子(ソプラノ)、山下牧子(メゾソプラノ)、福井敬(テノール)、山下浩司(バスバリトン)
合唱:栗友会合唱団、信州大学混声合唱団、市民合唱団

[曲目]
久石 譲:Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための
久石 譲:Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015 から「ナウシカ・レクイエム」「鳥の人」 (with mixed chorus)

—-intermission—-

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

 

 

解説

久石譲:Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための

曲名はラテン語で”環”や”繋がり”を意味します。2007年の「サントリー1万人の第九」の時、冒頭に演奏する楽曲として委嘱された。サントリーホールのパイプオルガンと大阪城ホールを二元中継で”繋ぐ”という発想から生まれました。祝典序曲的な華やかな性格と、水面に落ちた水滴が波紋の”環”を広げていくようなイメージを意識しながら作曲しています。

歌詞に関しては、ベートーヴェンの《第九》と同じように、いくつかのキーワードとなる言葉を配置し、その言葉の持つアクセントが音楽的要素として器楽の中でどこまで利用できるか、という点に比重を置きました。”声楽曲”のように歌詞の意味内容を深く追求していく音楽とは異なります。言葉として選んだ「レティーシア/歓喜」や「パラディウス/天国」といったラテン語は、結果的にベートーヴェンが《第九》のために選んだ歌詞と近い内容になっています。作曲の発想としては、音楽をフレーズごとに組み立てていくのではなく、拍が1拍ずつズレていくミニマル・ミュージックの手法を用いています。そのため演奏が大変難しい作品です。約10分の長さですが、11/8拍子の速いパートもあり、難易度はかなり高いものがあります。

(*コンサート・プログラム歌詞掲載あり)

 

久石譲:Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015 から「ナウシカ・レクイエム」「鳥の人」

1984年に公開された映画『風の谷のナウシカ』のために書いた曲です。それをもとにして新たに交響組曲として2015年に再構成した楽曲で、今回は2曲「ナウシカ・レクイエム」と「鳥の人」を演奏します。

これは宮崎さんと出会ったきっかけでもあるので、人一倍思い入れがあります。よく宮崎さんとの映画でどれが一番好きですか?と聞かれます。僕は「全部好きですが、あえて選ぶなら『風の谷のナウシカ』です、ここから始まったんですから」と答えます。

久石譲

 

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

(*コンサート・プログラム ~柴田克彦氏(音楽評論家)による解説)

 

(アートメント NAGANO 2018 パンフレット より)

*同冊子には全公演データ(スケジュール/プログラム/解説/出演者プロフィール)が日本語・英語で収載されています。全77ページ。

 

 

ここからは個人的な感想、コンサート・レポートです。

どうしてもシリーズ完結はその場に居合わせたい!NCOが奏でる「Orbis」を聴いてみたい!体感したコンサートがそのままCD化される!一日の経験が一生の宝物になる、そんな期待に胸をふくらませこの日をとても楽しみにしていました。

長野市芸術館のホール開演ベルも久石さんが手がけたメロディです。優しいやわらかいその旋律は、木のぬくもりを感じる響きのよいホールに包みこまれます。

 

久石譲:Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための

ベートーヴェン「第九」に捧げる序曲、この作品を取り上げるときには「第九」と並列プログラムとなる、過去のコンサート略歴からみても必然です。NCOがどんな「Orbis」を聴かせてくれるのか。リズムを武器にもつ若い精鋭たちがつくりあげる、これまたリズムを肝にした作品。圧巻でした。ソリッドで瑞々しい生き生きとしたリズム、ダイナミクスに富んだエネルギー溢れる勢い。まさに一点に集中した波紋の”環”が一気に解き放たれる瞬間。今のNCOだからこそ、久石譲のもとで3年間築いてきた成長と進化があってこその一期一会の「Orbis」がそこにはありました。重厚で威厳のある「Orbis」もいいけれど、生命力に溢れたエネルギッシュな「Orbis」もとびきり素晴らしい。音を楽しんでいる粒子たちが飛びかっているようでした。

2015年「Orbis」は全3楽章作品としても初演されていますが、本公演では2007年オリジナル版(2015年版第1楽章にあたる)のプログラムです。

 

久石譲:Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015 から「ナウシカ・レクイエム」「鳥の人」

合唱編成の組まれた本公演ならでは。合唱団も全プログラムにおいて出番があるというのも珍しいかもしれません。それだけリハーサルから本番まで大変だったと思います。観客としては得した気分でうれしいセレクトです。それはおのずと、公演によっては合唱編成なしの「ナウシカ」プログラムもあるということです。「風の谷のナウシカ」作品ほど、合唱編成ありなし、甲乙つけがたいものはないですね。合唱がなくても物足りなさを感じないオーケストレーションの完成度と壮大さ、合唱編成があるとまたそこに世界観が広がるような。不思議な作品です。別の言葉でいいかえるなら、稀にみる驚異的な作品です。

「Orbis」にはじまり「第九」まで。コーラスパフォーマンスも素晴らしく、オーケストラとも絶妙なバランスで溶け合っていました。「第九」のときに気づいたのですが、男女比は男声合唱のほうが多かったような気がします。これはなにか意図するものだったのか?たまたまなのか?(たまたまってことはないか)「第九」合唱編成のものさしを調べてみたけれど、わかりませんでした。

 

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

いまこの交響曲が生まれたばかりのようなエネルギーとフレッシュさ全開の快演。快速なんだけれど、勢いまかせではないかちっとそろったリズムとフレーズ。クラシック交響曲の金字塔といわれる「第九」、歴史と作品の重みから、畏敬や荘厳の精神性を込めた重厚な演奏が定番だとしたら、NCO版はそんな一種肩に力の入った窮屈さを解放してくれるような演奏。もしかしたら、当時の人たちはこのくらいセンセーショナルに受け止めていたのかもしれない、と一気に引き込まれていきました。

第1楽章からとにかく激しいパワー全開、ベートーヴェンの創作性が爆発している瞬間のようでした。音楽の哲学というよりはむきだしのベートーヴェン、「どうだっ!これが今おれが世に問う作品だ!」と言わんばかりの。崇拝の第九ではなくて生身の第九、神の領域ではなくて人間に根ざした第九。第2楽章も執拗にくり返される主題、有無を言わさず観客をのみこんでしまう指揮者とオーケストラの集中力。

第3楽章にも驚きました。一般的に緩徐楽章(ゆっくりしたテンポの楽章)で、ベートーヴェンが構築した到達点ともいわれる美しい楽章。久石譲とNCOがつくりだす世界はとても軽やか。第1楽章からの速いテンポ流れを考えたら、第3楽章もテンポを底上げするという考え方もできるでしょう。でも、それともちがう。流れるようなしなやかな旋律というよりは、メヌエットのようなステップのはっきりしたリズミカルな演奏。これはとても新鮮でこれまでには聴いたことがない衝撃でした。たしかにそう思って注意深く聴いていくと第3楽章は3拍子が基本なので、ロンドともとれる。静かにさとすような緩徐楽章ではなく、からだが自然と揺れ動くような調べ。

第4楽章、久石譲が「ギリシャの王様」ではなくここは「ベートーヴェン本人」なんだと語っていた冒頭も、違う違うと否定しながらこれだっ!と確信に至るベートーヴェンの姿や頭のなかが浮かぶようで、おもしろかったです。わかりやすく誇張して奏してくれていたのではと思えるほどでした。初めてベーレンライター版楽譜を使用して臨んだ「第九」、楽譜版の差異がわかる知識はないのが残念ですが、とにかく心からだ踊る第九でした。もうね、久石さんはじめステージのみなさん、力込めすぎて血がのぼりすぎないかな、倒れないかなというほどの気迫と燃焼度で圧巻の第九でした。

 

 

ちょっと終われない。

ティンパニがなあ、ティンパニが気になって気になってしょうがない。

NCOのティンパニは乾いた音がする。重厚で沈みこむ一般的なティンパニに比べてかなり軽い響き。このことがコンサート前から離れないお題で、じかに体感できる確認できる楽しみのひとつでもありました。

さかのぼることお正月。ラジオ番組「真冬の夜の偉人たち – 久石譲の耳福解説〜ベートーベン交響曲〜-」(末尾に詳細あります)で紹介されたノリントン指揮のベートーヴェン交響曲がとても心地よく、古楽奏法の特徴などもわかりやすく解説されたのもあり、ぜひ聴いてみたいと気がついたらノリントン指揮全交響曲をそろえていました。今まで聴いていたものとはがらりと印象が違うものも多く、持っているCD盤と聴き比べていくのが楽しかったんですね。

古楽器奏法またはピリオド奏法(その時代の楽器を使ってその時代の弾き方で演奏する)、、”基本的にビブラートをかけない、正弦波に近くなって波形がぐちゃぐちゃにならない、そうすると非常に透き通って遠くまで音がよく届く”、、、そういった久石譲解説があって、なるほどー!と聴き方の手引きをもらったように、今までの無味乾燥のイメージが少し変わりはじめ。

絵でいったら具材がちがうのかな。絵の具なのか、クレヨンなのか、色鉛筆なのか。割り当てられた色味や完成図は同じでも具材が異なれば、完成したそれは異なる表情をみせ違う印象を与えます。絵の具であれば濃淡や厚みを表現しやすいかもしれないし、色鉛筆であれば清涼感や柔らかさがあるかもしれない。僕は、古楽器による演奏と現代楽器による演奏をこんな風にとらえるようになりました。どちらが良い悪いでもなく、どちらにも良さや持ち味があると。そしてまた、具材をまぜあわせる表現方法もあるように、ピリオドやモダンにとらわれない、ミックスアップした奏法もあると。

前後して2月にCD化された「ベートーヴェン:交響曲 第2番 & 第5番「運命」 / 久石譲指揮 ナガノ・チェンバー・オーケストラ」を聴きながら、あれっ?こんなところでこんな勢いよくティンパニ鳴ってたかなと一瞬耳を疑ったのが、Track.1から収録されている第5番 第1楽章。アレンジしたのかな?!(そんなはずはありません、失礼しました)と思うくらいのインパクトです。

NCOのティンパニの音は、ノリントンさんのティンパニの音に近い。ちょうど同時期に聴いていたのでつながったのかもしれません。ティンパニにも当時のオリジナル楽器ってあるのかな、古楽器奏法があるのかな、でもNCOは編成こそ当時の規模に近いコンパクトながらも、楽器はモダンオーケストラのはずで。解決の糸口が見つからない。

……。

本公演「第九」のティンパニは、やっぱりNCO特有のティンパニの音でした。そして際立ち具合や炸裂具合はノリントン盤の比ではない。コンサート前半「ナウシカ」のティンパニとも明らかに違う。いつものティンパニがドーン!と大砲だとしたら、パンパンパーン!と小刻みに撃てる。楽譜のおたまじゃくしは変えられないので、同じ威力として比較したら、顔をのぞかせる頻度としてという意味です。うん、ティンパニが表立って活躍する場がふえる、そういうことなのか!?とひっかかりだした。ひとつ大きく後悔し反省しています。休憩時間のセットチェンジのときに、ティンパニを見張っておくべきだった。ティンパニそのものを入れ替えているのか、なにか付け替えたり調整したりしているのか。叩く棒(マレット)やその硬さが違うだけなのか、鼓面の膜のようなものその素材が違うのか…などなど。強く後悔しています。

 

僕の出した回答。

ティンパニの響きが乾いて軽いということは、NCOの小回りが効く駆動力ある編成の要のひとつかもしれない。第5番第1楽章などでも聴かれるティンパニの強烈で小切れよいアタックは、その乾いた響きゆえに重くならず絶妙なリズム感を推進する。パーカッションのアクセントにとどまらない、エンジンフル稼働ティンパニ。エネルギッシュでスポーティーなNCO版ベートーヴェン交響曲、急発進もアクセルふかしもカーブさばきも、ティンパニがギアチェンジをひっぱっているのかもしれない。

いつかこのことはゆっくりまた。すでに発売された第1番・第3番・第5番・第2番、そしてCD化されたばかりの第7番・第8番も。ティンパニだけではない久石譲の視点がいっぱいに詰まっているんだと思います。第5番第1楽章の耳を疑ったティンパニ箇所も、注意深く聴きなおすとどのCD盤でも鳴っていました。でも全然気づかない。そのくらい譜面からなにをどう読み取って表現するのか。作曲家/指揮者 久石譲盤の楽しみ方のひとつになります。本公演の第9番もティンパニは終始炸裂していましたし、まさに興奮するアドレナリンを誘発する巧妙な仕掛け。ほかにも聴き比べて発見できること新しい感動があるはず、CD化が待ち遠しい。CDライナーノーツでアンサー解説があるととてもうれしいです。

 

PS.
Track.1「ベートーヴェン 交響曲第5番 第1楽章」の0:34~0:37や1:06~1:09に聴かれるティンパニ。第5番のなんらかの演奏盤があったら聴き比べてみてください。ティンパニの乾いた響きってこのことね、と伝わると思います。そしてこの久石譲&NCO版のようにティンパニは前面に出ていないんじゃないかな、と思います。こんな小さな探しものから入るクラシックの楽しみ方もおもしろいですよ♪

Disc. 久石譲指揮 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 『ベートーヴェン:交響曲 第2番&第5番「運命」』

 

 

全7回公演データを振り返り。ベートーヴェンと並列してプログラムされた意欲的な他作品、そして久石譲作品たち。輝かしいNCO全集としてCD化される日がくるのなら、もっともっとこれから先も”日常に音楽のある”生活をつづけていくことができます。そしてそれは長野発信という輝かしい歴史であり財産です。くり返しくり返し時間をかけて根づかせていく。コンサートをきっかけに豊かになった人、CDを手にとって豊かになった人、そしてこれから始まる人へのきっかけづくり。ぜひっ!

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第1回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  久石譲 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 定期演奏会
2016/7/16

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
コンサートマスター:近藤薫

[曲目]
ヴィヴァルディ(久石譲編曲):ラ・フォリア 独奏:原雅道 / 小林久美(ヴァイオリン) / 西山健一(チェロ)
ヘンリク・グレツキ:あるポルカのための小レクイエム 作品66

–intermission–

ベートーヴェン:交響曲第1番 ハ長調 作品21

[参考作品]

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第2回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  久石譲 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 定期演奏会
2016/7/17

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
コンサートマスター:近藤薫

[曲目]
久石譲:シンフォニア~室内オーケストラのための~
ウラディーミル・マルティノフ:カム・イン! ヴァイオリン独奏:近藤薫

–intermission–

ベートーヴェン:交響曲第2番 ニ長調 作品36

[参考作品]

ベートーヴェン:交響曲 第2番&第5番「運命」

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第3回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  久石譲 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 定期3
2017/2/12

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)

[曲目]
久石譲:Encounter for String Orchestra  *世界初演
ベートーヴェン:交響曲 第4番 変ロ長調 作品60
ベートーヴェン:交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」

—-encore—-
久石譲:Kiki’s Delivery Service for Orchestra

[参考作品]

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第4回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  
2017/7/15

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
ピアノ:横山幸雄

[曲目]
〈前半〉
久石譲:5th Dimension
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」

—-encore—-
ベートーヴェン:ピアノソナタ第8番「悲愴」より第2楽章

〈後半〉
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」

—-encore—-
ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番

[参考作品]

ベートーヴェン:交響曲 第2番&第5番「運命」

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第5回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  
2017/7/17

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
コントラバス:石川 滋(読売日本交響楽団ソロ・コントラバス奏者)

[曲目]
〈前半〉
久石譲:コントラバス協奏曲 (2015・日本テレビ委嘱作品)

—-encore—-
パブロ・カザルス:鳥の歌

〈後半〉
ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」

—-encore—-
久石譲:Dream More

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第6回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  
2018/2/12

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)

[曲目]
〈前半〉
アルヴォ・ペルト:カントゥス~ベンジャミン・ブリテンの追悼に (1976)
ベートーヴェン:交響曲第8番 ヘ長調 作品93

〈後半〉
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 作品92

—-encore—-
”Merry-go-round” 『ハウルの動く城』より

[参考作品]

ベートーヴェン:交響曲 第7番&第8番

 

久石譲(指揮) ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
第7回定期演奏会 〈久石譲 ベートーヴェン・シンフォニー・ツィクルス〉

[公演期間]  
2018/7/16

[公演回数]
1公演 (長野 長野市芸術館メインホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)
コンサート・マスター:近藤薫
ソリスト:安井陽子(ソプラノ)、山下牧子(メゾソプラノ)、福井敬(テノール)、山下浩司(バスバリトン)
合唱:栗友会合唱団、信州大学混声合唱団、市民合唱団

[曲目]
久石 譲:Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための
久石 譲:Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015 から「ナウシカ・レクイエム」「鳥の人」 (with mixed chorus)

—-intermission—-

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

 

 

 

久石譲がベートーヴェンについて語ったこと

 

「人間が日々感じている喜びは、単純な嬉しさにとどまらない部分があります。「辛かったけれど、努力して続けてきて良かった」と思うような、ジワっと伝わってくる喜びから全身の細胞が波打つような興奮した喜びまで様々です。たとえ”喜び”の大半が”苦しみ”や”辛さ”を占めているのだとしても、それでも人間は生きるに値する。人類に対しての深い愛、それが、おそらく晩年を迎えた老作曲家・ベートーヴェンが《第九》え伝えようとしている”歓喜”の意味ではないか。そこに、日本人が《第九》をこよなく愛する大きな理由のひとつがあると思います。」

Blog. 「久石譲 第九スペシャル」 コンサート・プログラムより 抜粋)

 

「大概の作曲家が言うことですが、第九はフォームがよくない。五番や七番に比べると、一、ニ、三楽章はいいけれど、四楽章はバランスが変。交響曲としての完成度で言うと、第九ってどうなの?と、僕を含めて多くの作曲家が疑問を持っていた。それはベートーヴェン自身にもあった。

でも、何回か第九を指揮しているうちに、そんなことは吹っ飛びました。あの四楽章の持っているカタルシス。まるでマリオブラザーズの一面クリア、二面クリア(笑)……という感じの、あの興奮。それから合唱が持つ圧倒的なエネルギーなどを考えていくと、やはり音楽は理屈じゃないのだと最後に気づきますよ。構成だ、論理的構造だとか言っていたことは一体何だったんだというのを最後に感じます。そのぐらい第九はすさまじい。」

Blog. 「考える人 2014年秋号」(新潮社) 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

「例えば、ベートーヴェンの交響曲第9番第1楽章の冒頭。多くの指揮者の場合、ピアニッシモで抑えに抑えて、深淵から音が現れるように演奏するが、僕は第2ヴァイオリンとチェロが6連符を刻み続けるリズムを大事にしたいので、あまり弱くはしない。第2主題になるとだいたい遅くなるのだが、そこはどうしてもリズムをキープしたい、ソリッドな構造が見えるベートーヴェンにしたい。それは最初の練習の時にはっきり伝える。そうすると、オーケストラの奏者も、この指揮者は全体を通して何をやるたいのかが見えてくる。2日か3日のリハーサルしかない中で、極論すれば、指揮者は自分のやりたいことを最初の10分で伝えなければならない。」

Blog. 「クラシック プレミアム 33 ~エルガー/ホルスト~」(CDマガジン) レビュー より抜粋)

 

「実は他にもたくさん「第九」には不都合な場所、整合性が取れていないところがあります。今日多くの優れた指揮者がそれに対する答えを用意して、それぞれの「第九」に挑戦していますが、まるで「答えのない質問」をベートーヴェンから突きつけられているか、のようです。

僕の指揮の師匠である秋山和慶先生はすでに400回以上「第九」を指揮されていますが、それでも「毎回新しい発見があるんですよ、だから頑張ろうと」と仰っています。「第九」はその深い精神性を含めて表現しようとする指揮者、演奏家にとって永遠の課題なのかもしれません。」

Blog. 「久石譲 第九スペシャル 2015」「久石譲 ジルベスター・コンサート 2015」コンサート・レポート より抜粋)

 

「音楽する日乗」(久石譲著・2016)では、【《第9》を指揮して思うこと】【「神が降りてきた」】(台湾での第九コンサート出来事)などクラシック音楽を中心に「振る」「伝える」「知る」「考える」「創る」のテーマで執筆されています。創作活動、演奏活動、指揮活動など作曲家・指揮者としての久石譲を多角度的に紐解くことができます。

Book. 久石譲 「音楽する日乗」

 

「隔年で僕もベートーヴェンの「第9」を演奏させていただいていましたが、「暮れって第9だけ?」という素朴な疑問があったからです。もちろん「第9」はとても好きですし、来年の夏!に演奏(初めてベーレンライター版で臨みます)も決まっています。」

Blog. 「久石譲 ジルベスターコンサート 2017 in festival hall」 コンサート・パンフレットより 抜粋)

 

「すごく高邁な理想と下世話さが同居しているんですよ。高邁さだけだと扉の向う側ににある偉いもので終わってしまいますよね。でもベートーヴェンのなかには必ず一般の人にどううけるかというのをたえず意識しているんですよ。そこのところがすごくおもしろくて。突然下世話さが顔を出したり、瞬時にまた芸術的といいますか高邁になったりするんですよ。これが作曲家から見てるとおもしろくて仕方がないですよね。」

「だけどさっき説明したように、冒頭でやってる人っていうのは基本的にベートーヴェンなんですよね。本人なんです、これ違う、あれ違うって。ギリシャの王様じゃないんだよコラっ、て僕はいつも言ってるわけ。だけどどうしてもやっぱり何回か第九を演奏しましたけれども、どうしても抜けないわけですよ。いやそうじゃない、ベートーヴェンだから、もっとせかせかせかせかして、これ違うあれ違う、これだ!あっこれいいっ!、ってもっと軽くやろうと言ってるんだけどなかなかうまくいかないんだなあ。このノリントンさんのノリというのがその感じなわけですよね。僕の解釈だとこれが正しい。作曲家本人でなきゃいけない。というのがあって、ちょっとこれを聴いてもらうとどうかなあと思いました。」

「(ベートーヴェンとは)冒頭でも言いましたけれども、非常に高邁な理念と非常に大衆的な下世話さと、両方あわせもつという、ものをつくる人間にとっての本当の手本。非常にクリアな明快なコンセプトでつくる、そういう意味ではやはり金字塔といいますか一番の頂点の人であって。やはり音楽をつくることを目指す人間は、ベートーヴェンという存在を意識しながらやってくべきではないかと、そういうふうに思っています。」

Blog. NHK FM 「真冬の夜の偉人たち – 久石譲の耳福解説〜ベートーベン交響曲〜-」 番組内容 より抜粋)

 

「それから、作曲家としてもう一回クラシック音楽を再構築したいっていうふうになるわけですね。どういうことかというと、指揮者の人が振る時の指揮の仕方って、やっぱりメロディだとかフォルテだとかっていうのをやっていくんだけど、僕はね作曲家だから、メロディ興味ないんですよ。それよりも、この下でこうヴィオラだとかセカンド・ヴァイオリンがチャカチャカチャカチャカ刻んでるじゃないですか。書くほうからするとそっちにすごく苦労するんですよ。こんなに苦労して書いてる音をなんでみんな無視してんだコラっ!みたいなのがある。そうすると、それをクローズアップしたりとか。それから構成がソナタ形式ででてるのになんでこんな演奏してんだよ!と。たとえばベートーヴェンの交響曲にしてもね。そうすると、自分なら作曲家の目線でこうやるっていうのが、だんだん強い意識が出てきちゃったんですよね。そして、それをやりだしたら、こんなにおもしろいことないなあと思っちゃったんですよ。たとえば、ベートーヴェンをドイツ音楽の重々しいみたいな、どうだっていいそんなもんは、というふうに僕はなっちゃうんですよ。だって書いてないでしょ、譜面に書いてあることをきちんとやろうよ、っていうことにしちゃうわけです。そうするとアプローチがもうまったく違う。ドイツの重々しい立派なドイツ音楽で聴きたいなら、ベルリン・フィルでもウィーン・フィルでも聴いてくれよと。僕は日本人だからやる必要ないってはっきり思うわけね。そういうやり方で迫っていっちゃうから。」

「それともう一個あったのは、必ず自分の曲なり現代の曲とクラシックを組み合わせてるんです。これは在京のオーケストラでもありますね、ジョン・アダムズの曲とチャイコフスキーとかってある。ところが、それはそれ、これはこれ、なんですよ、演奏が。だけど重要なのは、ミニマル系のリズムをはっきりした現代曲をアプローチした、そのリズムの姿勢のままクラシックをやるべきなんですよ。そうすると今までのとは違うんです。これやってるオケはひとつもないんですよ。それで僕はそれをやってるわけ。それをやることによって、今の時代のクラシックをもう一回リ・クリエイトすると。そういうふうに思いだしたら、すごく楽しくなっちゃって、やりがいを感じちゃったもんですから、一生懸命やってる(笑)。」

「(MC:久石譲指揮のベートーヴェン交響曲第7番・第8番を聴いたんですけど、もうロックなんですね、まさに) はははっ(笑)もしかしたら当時もこうだったんじゃないかっていう。今みたいに大きい編成じゃなくてね、非常に明快にやってたはずなんですよ。だから、ある意味ではベートーヴェンが目指したものを、今という時代にもう一回実現する方法として、長い間クラシックの人がいっぱい演奏してきたそのやり方を全部捨てて、新たな方法でやれれば一番いいかなとちょっと思いましたね。(ナガノ・チェンバー・オーケストラは)在京のN響・読響・都響・東フィル、全部の首席あるいはコンサートマスターがどっと集合してて、もうスーパー・オーケストラですね。ここで僕もすごく育ててもらったんだけど。すごくね毎回やっぱり怖いんですよね、イヤなこともあって。イヤなことっていうのは、たとえば自分のミニマルの現代曲とベートーヴェン一緒にやりますね、チャイコフスキーでもいいです。そうするとね、長い時代を経て生き残った曲って名曲なんですよ。もう本当に永遠の名曲。それに対して自分ごときの曲が一緒にやるってなった時に、ほんとにつらいですよね。うあ、すまないなあって気持ちにいつもなるんですよ(笑)。逆にいうと、作曲家としてもっとがんばれよっていう、ほんとにそう思いますよね。」

Blog. TBSラジオ「辻井いつ子の今日の風、なに色?」久石譲ゲスト出演 内容紹介 より抜粋)

 

 

 

Blog. 映画『羊と鋼の森』公開記念「辻井伸行 特別コンサート」コンサート・レポート

Posted on 2018/06/15

6月13日「映画『羊と鋼の森』公開記念 辻井伸行 特別コンサート」がサントリーホールにて開催されました。映画エンディング・テーマは、日本を代表する世界的音楽家 久石譲と辻井伸行 夢のコラボレーションによる「The Dream of the Lambs」。久石譲が作曲・指揮、辻井伸行がピアノ演奏を務めたこの楽曲は映画公開前から話題になりました。そして、映画公開記念(公開日:6月8日)として開催された特別コンサートでは、映画のなかで印象的に使われるクラシックピアノ曲を中心に彩られ、さらに久石譲×辻井伸行の一夜限りの豪華コラボレーション!ステージ初共演がついに実現!オリジナル版指揮者・ピアニスト・管弦楽による堂々の世界初演!

映画ファン・音楽ファンからも熱い視線をあつめる音楽会は、コンサート終演後すぐにWebニュースを駆け巡りました。公演写真も含めた詳細なレポート、終演後の舞台裏まで垣間見ることができる貴重なトピックはエンタメ業界のプロたちだからこそ。十分に感じとることができる内容になっています。ぜひご覧ください。

 

 

 

ということで、まずは上のWebニュース内容をじっくり読んでください。以下は、補足のような個人的な感想コンサート・レポートです。

 

 

映画『羊と鋼の森』公開記念 辻井伸行 特別コンサート
スペシャル・ゲスト:久石譲

[公演期間]  
2018/06/13

[公演回数]
1公演
東京・サントリーホール

[編成]
ピアノ:辻井伸行

共演:「The Dream of the Lambs」
指揮:久石譲
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

[曲目]
第1部
辻井伸行 ピアノの名曲を弾く
ショパン:別れの曲 
ショパン:英雄ポロネーズ 
ドビュッシー:月の光 
ドビュッシー:2つのアラベスク 
リスト:愛の夢 
リスト:ラ・カンパネラ

—–intermission—-

第2部
映画『羊と鋼の森』公開記念 特別演奏
久石譲:The Dream of the Lambs ~映画『羊と鋼の森』エンディング・テーマ 
共演:久石譲 指揮、東京フィルハーモニー管弦楽団

久石譲×辻井伸行 スペシャル・トーク
*サプライズゲスト:山崎賢人

—-encore—-
久石譲:The Dream of the Lambs ~映画『羊と鋼の森』エンディング・テーマ 
共演:久石譲 指揮、東京フィルハーモニー管弦楽団

辻井伸行 映画『羊と鋼の森』に登場するピアノ曲を弾く 
ラヴェル:水の戯れ 
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ 
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番《熱情》

—-encore—-
辻井伸行:風の家

 

 

第1部・第2部 辻井伸行ピアノソロ
響きのいいサントリーホールに、優しく力強い辻井伸行さんのピアノが響きます。CDなどで端正で正確な演奏をする方だなと思っていたのですが、生演奏を聴いてまた新たな印象も持ちました。音が立つ、一音一音が一粒一粒とても凛として立っている、解き放たれるような音。時にダイナミックに時に繊細に、メロディやハーモニーのニュアンスがとても表現豊かで、その指先と一音一音に息をのむほど集中してしまいます。最後のペダル(ダンパー)があがる瞬間と音の切れ間まで聴こえる極上の音空間は、音楽好きピアノ好きにはたまらない。1曲ごとに感想もあるけれど、曲ごとはもちろん曲のなかでも緩急とニュアンスの表現が本当にすばらしかったです。ピアノにもいくつもの音があること、いくつもの世界をつくることができること、ひとりの演奏家によるピアノ・フルコースをたっぷり堪能できた贅沢な時間。

 

 

「The Dream of the Lambs」
この一曲だけでもコンサートに行こう!と決心させるには十分だったのかもしれない。そこへ辻井さんによる選りすぐりのピアノ・フルコースも味わえる。そんな胸躍る期待をさらに超えたところにあったのは、スペシャル・トーク企画に、2回も演奏してくれるというサプライズ舞うコンサート。その瞬間にしか聴くことができない一期一会の音楽。コンサートの醍醐味であるリアルな体感はこの楽曲も同じ、CD盤よりもエモーショナルなパフォーマンスだと感じました。

僕はこの楽曲、どうもつかみきれない思いがありました。冒頭何を表現しているのかな?森かな?羊かな?…メロディパートは主人公かな?……、ミニマルとメロディの交錯する楽曲構成に、それらを分離してとらえようとしていたんだと思います。

コンサートで聴いて思ったことを率直に記しておこう。間違っていても視点がずれていても、それは永遠に個人の主観であって正解はない、と開き直って。思った瞬間のことを大切にしたいから、言葉にすることは大切なプロセスだと思っているから。

聴き手の意識で無理にミニマルとメロディを融合させようとしたり溶け合わせようとしなくていいのかな、と。はじめから二面性として顕在化されている。そう思えたのは生演奏を聴いたからで、CD盤だと整然と行儀よく音が配置されバランスがきれいに取られていることからの裏返しかもしれません。CD盤の完璧なパフォーマンスはすでにすり減るくらい愛聴しています。それとは別のところ、生演奏ではじめて感じとれる何か、きっかけがあるとしたら。

音楽はすばらしい、音楽はきびしい。──「音楽」という言葉を「夢」におきかえても同じ。相反する二面性を堂々を据えおくことで、耳なじみよく聴きやすいだけの曲にはしたくなかったのかもしれない。

子羊たちの夢。──悩みもがき輝く成長の過程、決してまだ成熟することのないその瞬間、あえて不完全で不安定なリアリティを楽曲にとじ込めたのかもしれない。痛々しいほど鋭利に、もろいほど繊細に、踏み歩くほど力強く、拓けるほど輝かしく。

音楽はすばらしい。音楽はきびしい。ゆえに音楽は追い求める価値がある。

僕にはそういう聴こえかたがしてきた。まだまだこの曲に対して深い森の中。わからないし理解できていないことのほうが多いけれど、新しい感じ方ができたこと、ミニマルとメロディはそこにそのままいていいんだ、しっかりとふたつがそれぞれに存在していれば、そのバランスや濃淡は聴く人に聴く心境にそれぞれ委ねられていいものだ。今は、そう思っています。

 

 

久石譲×辻井伸行×山崎賢人 スペシャル・トーク
司会者の進行によって質問形式で進められました。笑いありの和やかな雰囲気で、お三方がコメントするたびに客席から大きなリアクションと大きな拍手が起こるほど会場の熱気と興奮はすごいものがありました。久石譲、辻井伸行ともにすでにコメント発表している(CDライナノーツ/劇場用パンフレット/コンサートパンフレット収載)同旨はもちろん、ここでしか聞けない話もふくめて10-15分間くらいゆっくり腰をすえて。

久石譲のコメントトークからうる覚えながら印象に残っているポイントだけ。言葉や言い回しは違うので正確ではないです。ふりしぼった記憶という注釈付きでお願いします。

「最初に映画の話をいただいたときに、調律師の話でもあったし、ピアニストこれはもう辻井さんしかいないとすぐにお願いして快く引き受けていただきました。彼を想定してつくった曲です。すばらしい演奏をしてくれて、こういう機会にめぐりあえて本当にラッキーでした。ありがとうございます。」

「音楽の世界をちゃんとやらなきゃいけない、そういうことでミニマルとメロディでいかに組みたれてるか、そういうアプローチをしました。」

「青春映画は多くのものを詰め込みがちになるけれど、この映画は調律師に絞っていてとてもよかった。ふつうはセリフで多くを説明しようとしてしまうけれど、この映画は映像で心理描写をする、地道でしっかりとした映画づくり。」

辻井伸行さんも、山崎賢人さんも、皆さん均等にお話していたのですが、そこまでは覚えきれずすいません。冒頭に紹介したWebニュース等をご覧ください。Webニュースの写真からはトークコーナーのあいだ「The Dream of the Lambs」の演奏を終えた東京フィルハーモニー交響楽団の皆さんがそのままステージに残っていることがわかります。あまりにもいろいろなことに興奮していたので、なんで残っていてくれているのかなんて考えもおよびませんでした。そして、2回目の「The Dream of the Lambs」へ。

 

 

アンコール
拍手のなか再び登場した辻井伸行さんはマイクなしに客席に向かって語りかけました。「今日は久石先生のすばらしい楽曲があってそれを演奏させていただいて恐れ多いのですが…」とちゃめっ気たっぷりに笑いを誘い、自作「風の家」の曲紹介へ。この曲はショパンが若い頃住んでいた家に実際に訪れたことがきっかけとなっているそうです。

そして「お知らせがあります!」と6月15日(金)テレビ朝日系「ミュージック・ステーション」に山崎賢人さんと一緒に出演することを告知すると、会場全体から大きなどよめきと大きな拍手。最後のご挨拶をしてアンコール曲「風の家」演奏でコンサートは幕をとじました。

映画公開に先がけて5月に行われた映画完成披露試写会などで「The Dream of the Lambs」ピアノソロ・ヴァージョンが披露されています。CD盤にもない、映画にも登場しないピアノソロによる「The Dream of the Lams」これは永久保存版です。

 

 

 

第1部は、ステージも客席も会場全体の照明を落とし、ピアノと辻井伸行だけが浮かびあがるような照明演出。ステージ左右上部に掲げられたスクリーンには休憩時間などに映画『羊と鋼の森』予告編が流れていました。第2部は、白熱色と緑の光に包まれたステージ、アンコール曲「風の家」は緑からブルーに変わり清々した雰囲気に。

 

from Twitter *開演前

 

 

会場ロビーには「本日の公演には客席に記録用カメラが入ります」掲示がありました。実際に翌14日TVエンタメ系番組のいくつかでコンサート風景が紹介されています。結構いろんなアングルから撮ってたんだなとびっくりした次第です。ステージに集音マイクや撮影カメラはそんなになかったと思うのですが…。気が早いけれど、映画『羊と鋼の森』がDVD/Blu-ray化される時には、ぜひ特典映像として本公演を収録してほしい!それほどの奇跡の一夜、夢のコラボレーション、最高の幸せを共有できたのが観客2000人だけというのはとてももったいない。ぜひ音楽を愛する多くの人へ届けてください。

 

さてこうなってくると、久石譲×辻井伸行 再演を熱望しないわけにはいきません。さらには、久石譲×辻井伸行「ピアノ協奏曲」という大きな夢をもみてしまいます。久石譲にしか書けない「ピアノ協奏曲」× 辻井伸行にしか表現できない「ピアノ協奏曲」、ふたりの世界屈指コラボレーションがさらなる音楽作品へと羽ばたき、過去にも未来にも誇れるものとして現在に高らかに響きわたってほしい。そんな幸せな夢がまたひとつ生まれました。

 

 

 

 

 

(コンサート・パンフレット:楽曲解説は「羊と鋼の森 オリジナル・サウンドトラック SPECIAL」収録曲は同内容で収載されています。久石譲・辻井伸行コメントも同旨です。)

 

 

Blog. 武道館で宮崎アニメの音楽を一挙演奏 久石譲と鈴木敏夫プロデューサーに聞く

Posted on 2018/04/01

2008年Webヨミウリ・オンラインに掲載された内容です。読売新聞朝刊2008年7月30日付に掲載されたものと同内容と思われます。

 

 

武道館で宮崎アニメの音楽を一挙演奏 久石譲と鈴木敏夫プロデューサーに聞く

音楽家の久石譲さんが、8月4、5日に東京・九段下の日本武道館で宮崎駿監督作品の音楽を一挙に演奏するコンサートを開く。久石さんとスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーに意気込みを聞いた。

 

―宮崎アニメの曲だけでコンサートを行うのは今回が初めてだそうですね。

久石:
いつかやりたいと思っていましたが、まとめて演奏すると気持ちに一区切りついてしまうのではという不安がありました。でも、「崖の上のポニョ」(7月公開)でコンピューターを使わず、すべて手描きで表現しようとする宮崎さんの創作意欲を目の当たりにして、「ここで総括してもまだまだ先に進める」と確信が持てました。

 

―しかも200人のオーケストラと400人の合唱隊という異例の大編成での演奏。

久石:
自分で言い出したことですが、もう大変。合唱は一般から公募しようかとか他にも壮大なアイデアがどんどん広がっているので、世界でも類をみない大規模なものになりそうですね。関係者は僕を放っておかない方がいいと思います(笑)。

 

―宮崎さんとの付き合いも25年になりますね。

久石:
最初に会ったのは「風の谷のナウシカ」(1984年)の制作時。実はそれまで宮崎さんのことはほとんど知りませんでしたが、当時、阿佐ヶ谷にあった準備室を訪ねたら、いきなり「これが腐海で、これが王蟲で」と舞台やキャラクターの設定を熱心に説明されて面食らった。でも一方で「この情熱はすごい」「すごく純粋な人だ」と感じました。

鈴木:
実は久石さんを選んだのは、「ナウシカ」のプロデューサーだった高畑(勲)さんだったんです。彼の曲は無邪気だから、熱血漢でロマンの人である宮(崎)さんとは息が合うだろうって。宮さんは自分は音楽のことはよくわからないからと言って高畑さんに任せていたんです。

久石:
あの頃は、打ち合わせの相手は主に高畑さんでしたよね。音楽に対する知識が豊富で驚きました。

鈴木:
ところが、作品ごとに音楽家を変えた方がいいという考えの高畑さんは、「天空の城ラピュタ」(1986年)では別の人に依頼しようとした。それでいろんな方向性を模索していたのですが、結局は「久石さんの方がいい」ということになった。

久石:
半ばあきらめかけていたら電話をいただいて、すごく嬉しかったです。泣いちゃいましたよ。

鈴木:
その次の「となりのトトロ」(1988年)で印象的だったのが、サツキとメイがバス停でトトロと出会うシーン。宮さんは当初、あの場面に音楽はいらないと言っていました。でも僕はあった方がいいと思い、宮さんに内緒で高畑さんに相談したんです。そうしたら「久石さんが得意なミニマル・ミュージックの手法でやったらどうか」と提案してくれた。それを久石さんが見事に表現してくれて、大人がトトロの存在を信じることができる場面になりました。そうしたら宮さんも「こっちがいい」って(笑)。

久石:
今の話を聞いていたらあのシーンの曲も演奏したくなってきました。実は今回、巨大なスクリーンを用意しようと思っているので、映像付きでやりたいですね。

鈴木:
そういえば「トトロ」の頃はまだ電子機器が発達していなかったから、スクリーンを観ながら録音していましたよね。

久石:
そうでした。特にメイが小トトロと会う場面では40か所ぐらいきっかけを合わせなければならず苦労しました。でも、音楽と映像を合わせることだけに集中しすぎるのも駄目なんですよ。音楽がストーリーにぴったり寄り添う場合と、曲のうねり、メロディーを活かす場合を分けて考えないと。

 

―普段はどうやって映画音楽を作っているのですか。

久石:
絵コンテや映像を霧の中を歩くように見つめ、ピンとくるきっかけを探すところから始まります。それが見つかったら、今度はどんな音色が合うのか、メインテーマがいいか別の曲がいいか、いやそんなことを気にしていることがそもそも駄目なんじゃないかとか、とにかく悩み続けます。大切なのは、自分が一番最初の観客だという意識ですね。

鈴木:
しかもそれを時間のない中でやらなければならならない。日本では映像が出来上がってから音楽を付けるのが一般的ですから、大変ですよね。

久石:
今がまさにそう(笑)。映画って作り物でしょう? その虚構性の中で音楽がどんなことを果たせばいいかというのは、僕にとって永遠の課題なんです。特に9.11のように現実が虚構を追い越してしまうことがあると、創作活動はより難しくなります。 

 

―「ポニョ」の進行状況は。

久石:
主人公の宗介は5歳だから、何事にもまっすぐ。音楽は気持ちが揺れる場面の方が入り込む余地があるので、宗介の場合、どう表現したらいいか悩んでいます。でも、今回は宮崎さん、鈴木さんともイメージアルバムを作る段階からやりとりを重ねているので、皆で一緒に作っているという気がすごく強く、気持ちがいい。問題は、ある程度出来上がった曲をいつ宮崎さんに聴いていただくか。

鈴木:
第一印象を忘れない人ですからね。

久石:
いくらデモの曲だと言っても、宮崎さんは最初のイメージから抜け出せなくなるんです。「もののけ姫」では、そのために主題歌を前段階の曲に戻したこともありました。でも、結果的にはそれが良かったから不思議。宮崎さんは自分のことを音楽に詳しくないと言っていますが、あれは嘘ですね。鋭い指摘にはっとさせられることがよくあります。

 

―コンサートのポスターは宮崎監督の描き下ろしになるそうですね。

鈴木:
マジックでちょこちょこっと描くのかと思っていたら、譜面に向かっている久石さんをちゃんと描きたいって、悪戦苦闘しています。そのくせ、「久石さんってどんな顔だっけ?」と言い出してみたり(笑)。今では机の周りに久石さんの写真を貼りまくっていますよ。

久石:恐れ多いです(笑)。

 

―どんなプログラムになりそうですか。

久石:
やるからには、「ナウシカ」から「ポニョ」まで全9作品を網羅したものにしたい。久しぶりに昔のスコアを引っ張り出して、すべての作品を観なおしたら、改めて映像のすごさを感じ、音楽で追いつきたいと思いました。おそらく今までの僕のコンサートでやらなかった曲も演奏することになるでしょう。オリジナルの強さを十分に満喫できる機会になると思いますよ。

(ヨミウリ・オンライン連載「ジブリをいっぱい」より 依田謙一)

 

 

 

 

 

Blog. 「キネマ旬報増刊 1998年2月3日号 No.1247」北野武映画 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/03/08

「キネマ旬報増刊 1998年2月3日号 No.1247」に掲載された久石譲インタビュー内容です。「フィルムメーカーズ 2 北野武 Filmmakers 2 TAKESHI KITANO」と題されたこの本は、北野映画総特集になっています。

北野武監督と久石譲の初タッグとなった『あの夏、いちばん静かな海。』から『ソナチネ』『キッズ・リターン』『HANA-BI』までの作品について、それぞれの作品とその音楽について振り返るように語られている貴重なインタビューです。

 

 

久石譲インタビュー

「『今回、どうします?』って聞くと、『今までうまくいってるからいいんじゃない?』としか答えてくれないんです(笑)」

-『HANA-BI』がベネチア国際映画祭グランプリを受賞、『もののけ姫』(宮崎駿監督)が空前の大ヒット。97年はこの2作の音楽を担当された久石さんの当たり年だったですね。

久石:
「うれしい1年でしたね。大変だったけど(笑)。『もののけ姫』が夜中の1時半に終わって、翌日の朝から『HANA-BI』というとんでもないスケジュールだったんですよ。ただ、『もののけ姫』は3年がかりの作品で、『HANA-BI』も去年に話しをいただいていたんです。だから事前に、いろいろ考える時間もあったので、あまり苦にはなりませんでしたね。逆に、全く世界観が違う作品だったからガラッと切り替えがきいたんですね。」

-『HANA-BI』ではどんな点に苦心されたんでしょうか?

久石:
「今までの3作はどちらかというと、シンセサイザーやサンプリング楽器を多用していましたが、今回、監督からは、ストリングスや何かを使った「アコースティックな世界で、きれいな音楽があるといいね」と事前にオファーされたんです。ただ、それだと情緒的に流れすぎる可能性があるので、そうならないために、どういうスタンスをとるかということを一番考えました。今回は北野作品ではいちばんメロディを前面に出したんですよ。今までの作品はミニマル的な、音型の繰り返しみたいなのが多かったんだけれども。ただ、画面に音楽が寄り添わないで、外して、どこでどう「すき間」をつくるか、どうやって抜くかということに気をつかいました。『もののけ姫』もそうですが、97年の僕のテーマだったんですよ。」

-北野作品の第1作は『あの夏、いちばん静かな海。』からですね。

久石:
「あのときは、ニューヨークでレコーディングをしていたときにプロデューサーから電話がかかってきて。「ビートたけしさんの映画をお願いしたいんですが」って言われて、「あ、なにかの間違いです」って思わず言っちゃったという(笑)。基本的には好きな監督だったんですよ。ただ、『その男、凶暴につき』とか『3-4×10月』をみると、僕のところに話が来ると思わなかったんですね。でも帰国してから、『あの夏、いちばん静かな海。』のラッシュをみたら、「これなら分かる」と。もっときちんとみていたら見落とさずに済んだんだけど、北野さんの作品というのはすごくピュアなんですよ。表面的には暴力があったりとかいろいろあるんだけれども、その奥の精神とか出てくる人間たちって、中途半端な屈折をしていないんですね。だからその一点で考えると、自分の音楽がなぜ必要とされるかというのがよく分かったんです。

ただ、やっぱり最初はね、台詞が極端に少ないし、劇的な要素もないし、どうしようかなと思ったんです。そしたら、北野さんが、「通常、音楽が入る場面から全部、音楽を抜きましょうか」というので、「そうですね。面白いですね」って僕も答えちゃって(笑)。それで通常音楽が入るところを極力音楽を抜いたんですよ。それがすごくうまくいったと思うんですよね。あとね、「朗々とした大きな感じじゃなくて、シンプルな、寄せてはかえすようなメロディ」と言われていて、僕としては「それはミニマルの精神と同じだから」と理解しましたね。」

-ミニマルな旋律の方が印象に残るというのは、北野作品の作風の影響なんですね。

久石:
「北野さんの場合はそうでしょうね。本人の映画も要素を多くしない世界ですから、そこで音楽が過剰にものを言い出すと、すごく浮いちゃうんでね。今まで、ミニマル的な、できるだけ短いフレーズをくり返したりとかっていう方法論をとってきたのは北野監督の作風には合うんでしょうね。」

-次に『ソナチネ』なんですが、実は個人的に大好きな作品なんです。

久石:
「僕も大好きです。フェイバリットなんですよ、実は。」

-サウンドトラックを改めて聴きますと、非常にノッてつくられている印象を受けます。

久石:
「それは鋭いですね。あの頃ちょうど僕はロンドンに住みだしたばかりで、こっち(日本)に帰ってきて録った最初の仕事なんですね。しかも、あれは石垣島のロケにも付き合ったし。石垣島の持っているなにか異様な雰囲気にひかれて……その空気感を出したいとすごく思って。そういう気持ちとロンドンでの新生活によるテンションの高さが一緒に吐き出された感じで、つくっている最中も、不思議な熱気がありましたね。

映画とか音楽ですごく大事なのは空気感だと思うんです。あの時の石垣島の空気感というのがばっちり自分の中で理解できていたんで、それをどう出すかという、それに見合う音楽をすごく考えました。単に沖縄とか石垣の雰囲気を出すために、沖縄音楽を普通に取り込むのではなく、その音楽をこっち側までひっぱりこんでつくれたから、すごくうまくいきましたね。あと、石垣島に行ったとき、貝をずいぶん拾ってきたんで、貝をぶつける音をパーカッション代わりに使いましたね。別に石垣島の貝じゃなくてもよかったんだけど、気持ちの問題で(笑)。ただ、問題なのが、あの『ソナチネ』が自分の中でうまくいきすぎたために、それ以降北野映画をやるたびに、みんな頭の中で『ソナチネ』になっちゃうんです(笑)。今回の『HANA-BI』をやる時も「ああいうのが合うのかな?」って相当悩んだんです(笑)。」

-その次が96年の『キッズ・リターン』になるわけですが、北野監督の交通事故後の復帰作ということもあってか、もっともポジティヴな印象を受けますね。

久石:
「音楽的にいうと、僕は10代・20代の子が主人公だから、音楽は元気なものでやる必要性を感じていたんで、相当リズミックにしましたね。底辺のベースにあるのはユーロビート、もっというとディスコビートみたいなもの、その上に来るのが印象に非常に残るのに、歌おうと思うと歌えないくらい、拒否しているメロディなんですよ。北野さんもあのメロディをすごく気に入ってくれて、「いや~、メロディ残るなあ。いいよこれは」っておっしゃって、すごくうれしかったですね。特にラストシーンがね、「まだ始まっちゃいねえよ」って言った瞬間に、ピストルの音をサンプリングしたんですけど、ドヒューンといって、エンドロールになりますよね。もう「この効果狙ったね」って言われるくらいハマっちゃったんでね。あそこは北野さんも喜んじゃって「あのエンドロールのために映画があったなあ」なんてね。

あれはね、不思議な話、北野さんの事故後の復帰の映画であると同時に、僕にとっても復帰作だったんですよ、こんなこと話すのは初めてなんだけど。映画音楽から離れて、自分のソロアルバムをつくったり、他人のプロデュースをしたりしていて、1年半か2年のブランクがあった。そこへちょうど偶然にも、日本を代表する二人の監督に同時に頼まれたんで、「これはもう復帰しなきゃな」と。先にできたのが『キッズ・リターン』で、その次に『もののけ姫』の準備にかかった。そういう意味で『キッズ・リターン』は相当大事にしてつくった作品です。」

-北野監督はいつも音楽については、どういう指示を出されるのでしょう?

久石:
「全然ないんです。本当に、「今回、どうします?」って聞くと、「今までうまくいってるからいいんじゃない?」って答えしか返ってこないですから(笑)。逆に言うと、すごく怖い監督ですよね。こちらがよりどころにしておくことが欲しいなと思っても、ぽーんと「はい、映像は撮ったから、後は久石さんヨロシク!」みたいな感じであずけられるから、それはすごいプレッシャーですよね。

僕は各シーンの音楽よりも、「この映画にはこの音楽だ」という確信の部分がどう決まるかだけが大事なんですね。『ソナチネ』『キッズ・リターン』だったらどの音楽かということが確信としてあること。それは音楽もきちんと主張するということですよね。そういうつくり方をして、作品にきちんとなっているから、僕の音楽は通常の劇映画のサウンドトラックよりも、多くの方に聴いていただけるんだと思います。ほかの映画でも同じなんですが、きれいなメロディを書こうという気はないんですよ。メロディがシンプルに単音で弾いても、その映画の世界観が出るくらいのものというのが自分の理想なんでね。監督が意図した世界にぴったりしたものをどう探しあてるか、どういう世界観をもってつくるかということですね。注文に応じるだけではダメで、(音楽だけで)きちんと独立してその世界が成り立たなきゃいけないんです。」

 

追記-
久石譲氏のソロ作品の集大成ともいうべきシリーズ『WORKS I』では、『あの夏、いちばん静かな海。』と『ソナチネ』のテーマ曲が、ロンドン・フィルの力強い演奏による装いも新たなヴァージョンで聴ける。ベネチアで北野監督も「いや~壮大になったねえ」と喜んで聴いていたそうだ。98年3月に開催される長野パラリンピックで総合プロデューサーを務め、北野監督の次回作にも参加が決定している。「スティーヴ・ライヒの『ザ・ケイブ』じゃないけれども、ヴィジュアルを取り入れたシアターピースのような作品にチャレンジしたい」と、語られた久石さん。映画音楽にとどまらない、さらなる躍進が期待できそうだ。

[1997年12月3日東京・代々木にて]

(「キネマ旬報増刊 1998年2月3日号 No.1247」より)