Blog. 「オーケストラで楽しむ映画音楽 XIII」コンサート・レポート

Posted on 2022/04/11

4月9日開催ホールアドバイザー秋山和慶企画「オーケストラで楽しむ映画音楽 XIII」コンサートです。久石譲がゲスト出演という珍しいかたちでのコンサートです。西洋と東洋を代表する現代のキング・オブ・映画音楽、ジョン・ウィリアムズと久石譲を特集するプログラムはとても魅力的です。

 

 

オーケストラで楽しむ映画音楽 XIII

[公演期間]  
2022/04/09

[公演回数]
1公演
神奈川・ミューザ川崎シンフォニーホール

[編成]
指揮:秋山和慶
ナビゲーター:中井美穂

ゲスト:久石譲(指揮・ピアノ)◆
    三浦文彰(ヴァイオリン)◇

管弦楽:東京交響楽団

[曲目]
プレトーク
秋山和慶・三浦文彰・久石譲
(開演前 ナビゲーター×各1名登壇)

ジョン・ウィリアムズ生誕90年
『インディー・ジョーンズ』より レイダース・マーチ
『シンドラーのリスト』から3つの小品 ◇
『ハリー・ポッターと賢者の石』より ヘドウィグのテーマ
『E.T.』より フライング・テーマ

—-intermission—-

久石譲 作品集
チェロとオーケストラのための『おくりびと』
(チェロ独奏:伊藤文嗣 東京交響楽団 ソロ首席チェロ奏者)
ヴァイオリンとオーケストラのための『私は貝になりたい』◇
交響組曲『天空の城ラピュタ』◆

—-encore—-
One Summer’s Day (for Piano and Orchestra)
指揮:秋山和慶
ピアノ:久石譲
管弦楽:東京交響楽団

[参考作品]

久石譲 『メロディフォニー』  交響組曲「天空の城ラピュタ」久石譲 Symphonic Suite Castle in the Sky

 

 

 

今回は、コンサート・レポートを書かないつもりだったので、演奏会後に感想ツイートをたて続けにしてめでたく終わりのつもりでした。一口レポと言いながら19コも書いていましたけれど。コンサート・レポートとしてきちんと書きのこしてないことが何かもやもやと居心地わるくて、習性ってこわいですね。数年後にめくりたくなるかもなあとか、ツイッター見てない人いるしなあとか、欲深くなってしまいました。

ということで、コンサート・パンフレットからの紹介は省略させていただき、ここからはレビューになります。

 

プレトーク

14時会場、14時20分からプレトークでした。司会進行のもと秋山和慶、三浦文彰、久石譲の順番で一名ずつ登壇してインタビュー形式でした。トータル約25分くらい、終わったら開演15分前、意外にギリギリまでたっぷりあったなという印象です。指揮台を挟むように広めのディスタンスを保っていたステージは、本来全員登壇であればもう少し時間短縮できたのかもしれませんね。「最後にひと言」とか同じような質問もありますしね、流れるように進められるところも、お一人お一人になります。

久石さんは、ジョン・ウィリアムズについて、直近のウィーン・フィルとベルリン・フィルで開かれたコンサートについて語られました。パッケージ化のときにコメントを寄稿しているのと同旨になります。

 

 

それから、ハンス・ジマーが語ったことを引き合いに「映画音楽というのはどんどん落ちていくもの」という話。ソースが見つけられないので要約すると、アイデアが浮かぶ~監督の意向~セリフや効果音がかぶるなどの工程を経てどんどん音楽的には作曲家の意向や純度が落ちていく、そんなふうに解釈しています。「それでも映画音楽は世界中の人に聴いてもらえるから、今はやりたがる作曲家とても多いです」と締めていらっしゃいました。

 

 

ジョン・ウィリアムズ生誕90年

ジョン・ウィリアムズと久石譲が同じプログラムに並ぶ。はいドン!前半と後半でみっちりジョン・ウィリアムズ×久石譲。はいドン!久石譲作品で作曲家自ら指揮とピアノを披露。こんなにアツいことありますか!?と思ってチケット・ワンクリック楽しみに心待ちしていました。企画バンザイな映画音楽祭りです。

 

『インディー・ジョーンズ』より レイダース・マーチ

オープニングにふさわしい華やかな曲です。映画を越えてエンターテイメントやバラエティ番組にも使われているほどキャッチーです。そんななか、中間部のあまりにも甘美な気品のある旋律は、往年の名作やフィルム映画のよき時代へと陶酔させてくれるようでした。ゆっくりめに進められるテンポもあいまってうっとりです。ほんときれい。

 

プログラムごとにMCが入ります。この時間を使って舞台替えもしています。弦14型を基本としながら、次の作品はヴァイオリン協奏曲なので弦10型くらいと人数がぐっと減ってるのもあったり、金管楽器もそんなに登場しないし、などなど。言っちゃうとMCありきの時間ではあります。演奏会としての統一感や緊張感は半減してしまいますけれど、オーケストラ・コンサートとしての距離感は近くなりますね。そういえば照明もあまり落としていなかった気もします。親しみやすさを趣向していたのかもしれませんね。そういう意味ではもっと子供たちに聴いてほしかったコンサートだったとも思います。

 

『シンドラーのリスト』から3つの小品 ◇

メインテーマだけではなくて演奏会用に3つの曲をまとめたもの。「I. Theme from Schindler’s List」「II. Jewish Town」「III. Remembrances」トータル15分ほどです。I. III.の単曲は聴いたことあるけれど、このバージョンはなにかCDになってたりするのかな、ジョン・ウィリアムズ名義では録音なかったような。もうすぐ5月に、ヨーヨー・マ×ジョン・ウィリアムズのアルバムが出ます。チェロ版のシンドラーのリストなんて涙ものです。そのなかにこの3つの小品バージョンが収録されます。こっそり要チェックしているのです。

CDで聴くような艶加工(エコー)を控えたヴァイオリンの音は、生音そのもので、リアリティをもって心に訴えかけてきます。くしくも、『私は貝になりたい』もまた戦争をテーマにした作品、そして今。久石さんがときおり語る”あらかじめ予定されていたこと”のように時代と共振したプログラムとなりました。慈しむ、悼む、レクイエム、いろいろな感情ありますけれど、最悪な事態が現在進行中の今、まだまだ追悼するほど落ち着いたときにもなっていない、切実な戦争悲劇を感じながら聴いていました。一日も早く終わってほしい、それしかないと。

 

『ハリー・ポッターと賢者の石』より ヘドウィグのテーマ

記念すべき第一作『ハリー・ポッターと賢者の石』から公開20周年を迎える今年、聴きたかった一曲です。ジョン・ウィリアムズが音楽から離れて以降もシリーズ全作で登場するメインテーマです。映像が出来てから曲を書くやり方をしているなか、この曲は原作をお気に入りにしていたこともあり、映像にあてるかたちじゃない、原作を読んだイメージから純粋に書き下ろされたまさに渾身の一曲です。聴くほどにイマジネーション豊かに羽ばたくようです。

冒頭のチェレスタというキラキラした音は、ジョン・ウィリアムズによって魔法を連想させる代名詞となったほどだと感じます。流れをみると、チャイコフスキー:くるみ割り人形、それを使用したディズニー映画『ファンタジア』があります。そしてジョン・ウィリアムズがここに作曲したもの。チャイコフスキーに聴かせてみたかった。きっと喜びそうな気がしますね。今もこれからも、チェレスタという楽器を紹介するときに、ちょっと弾いてみるフレーズは、チャイコフスキーかジョン・ウィリアムズ。たぶんそうでしょう。すごいですね。

 

『E.T.』より フライング・テーマ

「地上の冒険」という約10分ほどにまとめたものもありますが、「フライング・テーマ」はほぼメインテーマで構成された約5分の曲です。秋山和慶さんの指揮は、全作品とも丁寧にゆっくり進められ、たっぷりと味わうことができました。ハリー・ポッターもそうですけれど、咆哮するホーンセクションが魅力のジョン・ウィリアムズ作品。実際には、第1,第2ヴァイオリンをはじめとした弦楽器が、とても細かいパッセージを高度に刻んでいるのをまのあたりにできます。風や翼がぶるぶる震えているような高揚感と推進力。ジョン・ウィリアムズが”飛翔”を得意としている秘密を少し肌で感じられた気がします。宮崎駿・高畑勲のスタジオジブリ作品にも”飛翔”はテーマとして描かれていますね。久石さんはまた違ってどういうアプローチをしているのか、聴きわけて発見する楽しみもまたありそうですね。

 

 

ジョン・ウィリアムズ作品集についてはいくつか記しています。時代とともに一緒に聴いてきた感もまあまああります。抜けてる時代もまあまああります。僕が唯一ファンクラブに入っていたのが久石譲とジョン・ウィリアムズです。インターネットで情報収集できない当時(1990年代初頭?)は、ましてや外タレ(死語?)なジョン・ウィリアムズなんて、毎月(隔月?)届く会報を見ながら、次やる映画やサントラ情報をチェックしていました。こんなことろでアピールすることでもないですけれど。あったんですよ、日本国内向けファンクラブっていうのが。ライナーノーツや音楽誌くらいサントラのレビューや解説も詳しかったような記憶です。それを参考にしながらお小遣いから次買うサントラの優先順位をつけていましたね。なつかしいおわり。

 

 

おまけ

 

 

休憩後MC

久石譲再登壇。司会者の一問一答で5分ほどありました。ミューザ川崎ホールの印象や設計者とお知り合いなこと、東京交響楽団とはストラヴィンスキー:春の祭典などで共演していること、ラピュタは宮崎駿監督・高畑勲監督との共同作業だったことなど。

ここで初出エピソードだったのは「必殺9時間寝」です。かいつまんで言いますね。ここまで前半から待っている間は何されていましたか?という質問に”寝てました”と笑いを誘う久石さん。地方公演や海外公演では外に出れないとき何もすることなくてホテルにずっといる。だから9時間近く寝ちゃうとリラックスするのかテンポが速くなる。それを知ってる団員なんかは9時間寝たって言うとうぅって構えるみたい。今日は7時間半だから大丈夫だと思います。と、そんなエピソードだったと思います。

 

チェロとオーケストラのための『おくりびと』

こちらもタイムリーなプログラム、映画『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞したばかりです。同賞は映画『おくりびと』以来13年ぶりの快挙だったというつながりがあります。

起伏の少ない丁寧な演奏でした。裏を返せば、抑揚ひかえめな平面的な演奏に聴こえてしまったりもします。これはもうしょうがない。久石さんのそれを普段から聴きなじんでいるから、久石さんの生理的テンポに合ってしまっているから、染みついちゃってるから、これはもうしょうがない。

だったらなにがどう違うのか、どう違うと感じるのか、それをピンポイントに言い当てられるのか、説明できるほど言語化できるのか。そうやって自分を鍛える楽しみにもっていきます。まあこれは自分に課したトレーニングのようなものです。そう思考回路をスイッチしたほうが初めて気づくこと発見できることもあったりして楽しいですね。なんかもっともらしく言ってますけど全然うまくできていませんからね。マネるな危険!です。純粋に楽しみましょう。

【おくりびと。気になる点あったからCD聴き返し。4:10-くらいからのテーマの盛り上がりはオーケストラが悠々と歌っていますが、コンサートでは弦楽おさえてチェロがメロディをリードしていたような気がします。ん?って思ったからたぶん。】

【おくりびと。6:47-からの約10秒間のチェロパート。たぶんなかったと思います。そのあとにつづくメロディと超絶パートはありました。ん?って思ったからたぶん。】

とふたつツイートしていました。コンサート後にわりと時間をおかずにメモを振り返りながらCDを聴き返したのでたぶん鮮明だと思います。CD音源と同じスコアを使いながらも、チェロをより引き立たせる演出にしたのだろうひとつめと、手堅くいったふたつめと。クライマックスこんなにチェロ休んでたかなあと思うくらい手をとめている印象があったから。チェロをチェロの音をきれいに聴かせたい、そんな今回のアプローチだっんじゃないでしょうか。けれど、僕の記憶違いかもしれないということは添えておきます。

 

ヴァイオリンとオーケストラのための『私は貝になりたい』◇

【私は貝になりたい。リハーサルの時間が足りなかったのでしょうか。素晴らしい演奏でしたけど、もったいない演奏でもありました。指揮者×オーケストラ×ソリストの呼吸が乱れそうな箇所が一瞬ありました。一瞬だけ。演奏会はナマモノです。持ち直すところもふくめて体感できる醍醐味ですね】

とツイートしたままです。ヴァイオリンが前面に出てくるパートの入りのタイミングが合わなかったんですね。たぶん曲を知らない人でも雰囲気を察知できるほどに。ヒヤッとどうなるんだろう。ちょうどヴァイオリンの旋律がリズムを刻んでいるようなパートだったこともあって、そこにオーケストラがついていくかたちですぐに持ち直しましたよ。そのあと引きずることもなかったですよ。

完成度は期待していますけれど、完璧は求めていませんからね。もちろん演奏者も観客も最高のパフォーマンスだったと共有できることが一番うれしいです。でも、録音には残さないような多少荒い演奏が生演奏のときにはぐっと伝わる、そんなこともあります。ライヴを減点方式で採点するのはなにかもったいない気もします。もちろん度合いにもよりますけれど。そして起こったハプニングもまた事実、どうやって軌道修正したかというプロフェッショナルたちを体感したのもまた事実です。この話はまた最後に。

 

交響組曲『天空の城ラピュタ』◆

ここでようやく久石譲登場です。今回のコンサートはオーケストラ通常配置になっていて、久石さんのときどうするんだろう移動するのかな?なんて思っていたらそのまま続けられました。久石譲×対向配置じゃないパフォーマンスはレアだと思います。対向配置ってなに?よかったら下記のぞいてみてください。

 

 

(左)対向配置、(右)通常配置

 

そうだもんだから、たとえば「空から降ってきた少女」も「大樹」も、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンがメロディをユニゾンで歌う箇所なんてわかりやすかったです。ステレオのように左右からバランスよく均等に聴こえる対向配置と、中央やや左寄りから固まって聴こえる通常配置と。こう聴こえるんだと新鮮でした。ほかの楽器配置のことまで聴き分けれるほどの耳は持っていませんので、これ以上はピックアップできないのが残念なところです。

もちろん、久石さんは対向配置を前提にこの作品も交響組曲化していると思います。久石譲指揮=対向配置なので、それはオリジナル作品ふくむ全てにおいて作曲の時点から念頭に作られていると思います。でも、どちらの配置をとるかは指揮者に委ねられています。

ベートーヴェンやブラームスも対向配置を念頭に書いていたと言われていますが、コンサートホールでの演奏会が定着した20世紀のほとんどは通常配置で演奏されてきています。最近では対向配置をとっている場合もあったりします。久石さんも現代作品・古典作品すべて対向配置で臨んでいます。じゃあ、ジョン・ウィリアムズは?というと本人ふくむ多くの指揮は通常配置です。僕が知っているかぎりドゥダメル指揮は対向配置でした。でもそのくらいしかすぐに思い出せないくらい少ない気がします。今回の秋山和慶さんも通常配置を採用しています。

おもしろいですよね。スコアにいろいろな音楽指示をのこすのに配置には触れないんですね。久石譲オフィシャルスコアにも編成表に対向配置での演奏を推奨するなんてありませんもんね。配置による音響の差異って選択基準として大きなウェイトを占めないものなのか、指揮者の志向性によるものなのか、おもしろいですね。これから久石譲作品も対向配置・通常配置どちらでも聴ける機会がふえていくでしょう。そう巡らせると、スコアとセットで音源化していることはとてもいいことですよね。対向配置による響きや効果を事前確認できるわけだから。「DA・MA・SHI・絵」や「Links」(こちらは対向配置ver.未音源化である!?)なんて、対向配置だからこその醍醐味を感じたらどの指揮者もよし対向配置でやってみようとなるんじゃないかな、…とことん話が逸れてとことん素人目線ですいません。

 

交響組曲『天空の城ラピュタ』ですね。どれだけCDなんかでたくさん聴いても、やっぱり生演奏でしか聴けない表現ってありますね。歌と同じで、今日はこうきたかとか歌い方変えてきたな、みたいな。そんなワクワク感とやられた感あります。とてもよかったです!

印象的だったのは、ゴンドアの思い出。まるでおばあちゃんがシータとお話をしているような、ボリュームの緩急がすばらしかったです。やさしくおなじないを教えているおばあちゃん、くり返すシータ、その掛け合いというか温かいシーンそのままのようでした。

ここは恥ずかしながらお伝えします。どれだけ好きな作品で何回も聴いていると自負していても、あれっ?今回新しくなってる?と勘違いすることってあります。たとえば(言いたくない)、「ドーラおばさん(Gran’ma Dola)」歌い出しのメロディは金管低音のイメージが強くて、今回フルートが一緒に鳴ってることに新しく注目して[ドーラフルート?]とかメモしているわけです。たとえば(言いたくない)、「大樹(The Eternal Tree Of Life)」グロッケンやフルートのイントロ部分、久石さんが「イノセント(Innocent)」のピアノから指揮へ戻るところです。ゆっくり余裕をもって戻れるように1小節分多くなっているように感じたから[大樹1多い?]とかメモしているわけです。でも、どちらもCD聴き返したら僕の勘違いだったとわかります。

そのくらい、生演奏で味わう印象って錯覚させるものがあるというか、やっぱりそのときにしかない聴こえ方ってあるんですね。一曲のなかでも、よりどこかのパートがどこかの楽器が記憶との違和感で強調されることもあるし。だから全ての感想に正解はないというか、いろいろな感想があっていいと思うんですよね。この話はまた最後に。

【ラピュタ。Innocentに感動したなんて一口もレポするにおよびません。ありがとうございました!!】とツイートしたままです。

 

 

ーアンコールー

One Summer’s Day (for Piano and Orchestra)

もしも、秋山和慶(指揮)久石譲(ピアノ)東京交響楽団(管弦楽)のアンコールなんてあるとしたら何の曲だろう。「Oriental Wind」かな、でも映画音楽にちなんだ曲じゃないよね、灯台もと暗しでした。答えは「あの夏へ」でした。ここでもタイムリーに、映画『千と千尋の神隠し』は今年初舞台化されただいま公演巡回中ですね。

久石譲の指揮の先生でもある秋山和慶さんと、ピアニスト久石譲という夢のコラボレーションが実現するなんて。スペシャルの極みです。ピアノ演奏に徹した久石さんのお姿を見れるなんて何十年ぶりでしょうか!?

 

秋山和慶さんの経歴や久石さんのことにも触れたロングインタビューもぜひご覧ください。とても新しい記事です。

日本センチュリー交響楽団ミュージックアドバイザー秋山和慶、大いに語る!(2022.02.26)
https://spice.eplus.jp/articles/299247

 

Joe Hisaishi – One Summer’s Day

from Joe Hisaishi Official YouTube

 

このミュージックビデオを見てもらったらわかるとおり、けっこうピアノが主役で出ずっぱりです。そしてこれと同じように久石さんエア弾き振り状態でした(笑)それはそうですよね、もう演奏と指揮と一体になって染みついてしまっていますから。秋山先生の邪魔にならないように、なるべくオーケストラのほうを振り向かないようにして、あるいは指揮者とコンタクトをとるようにして、身振り手振り動いていました。うん、とってもレアな光景でした。うれしい。

 

 

カーテンコール

交響組曲『天空の城ラピュタ』の終わりも、久石さんソロを務めたトランペットやファゴットを指して立たせて拍手浴びさせたり、いつものように両手広げて観客の大きな拍手にこたえるもんだから、あれっ、いつのまにか久石譲コンサートになってる(笑)っておかしくて。笑みがこぼれまくります。

アンコール「One Summer’s Day」も弾き終わって立ちあがってお礼して拍手にこたえて、思わず腕をオーケストラのほうに振り回そうとしたら、そこに秋山和慶さんがちらっと視界に入りこみそうな瞬間、そうだったそうだった、指揮者じゃないんだった、みたいなそんな瞬間ありましたよねたぶん。僕は(おそらく凝視な久石さんファンも)見逃しませんでしたよ。もう指揮者が二人いる状態。笑みがこぼれまくります。

 

 

誤解が理解を深める

僕の好きな言葉に「誤解が理解を深める」というのがあります。村上春樹さんの言葉です。小説を読んだ人のいろいろな感想・意見・解釈が今はSNSを中心に溢れていますね。個別に見ていくと間違ったものもあるかもしれないけれど総合的にみれば合っている。総合的にみると真実になる。そんな意味合いだったと思います。とても含蓄のある言葉だなと印象深いです。

明らかな間違いや勘違いであれば、言葉が飛び交うなかで教えてくれたり教えたり修正されていきますよね。でも、感想や解釈には正解ってない。その数が多くなればなるほどいろいろな一面が見え隠れしだして立体的にかたちづくっていくことになる。そんなイメージだと思っています。

今回のコンサートも、いろいろな感想が見れてとても楽しかったです。気づかない発見もあったり、なるほど!とか、たしかに!とか、挙げだしたらきりがありません。いつも聴きなじんだものとの小さな違いが積み重なって、それは大きな印象の違いとなって届けられます。そう感じられることもまた、しっかり聴き込んでいるファンの証と胸を張りたい気分です。

そして、真剣に心を込めて聴いているからこそ、厳しい目と耳で注がれますね。観客の聴く姿勢の本気度はそのまま感想にも反映される。とても健全なことです。だから、もっともっと気軽で素直な(そして責任も後ろに控えた)感想にたくさん触れたいですね。僕なんかも何か自分の言った感想や意見に「あ、それはこうですよ」とか突っ込んだり修正してもらったほうがうれしいです。それで得ることのほうが大きいから。

誤解が理解を深めるのなら、そのもととなる誤解(自分の意見)を積極的に発信したほうが、それはうれしいかたちで自分に跳ね返ってくるんじゃないかな、そんなことを思ったりします。風通しいいのが一番です。たくさんコンサート行って、たくさん聴いて、そんなコンサートもあったね、いつかそう笑って思い出話に花を咲かせたいですね。思い出にするための磨きあげかた、少しでもキラキラ輝きの強い思い出として残していきたい。そう思っています。

 

 

今回も何人かファンの方とバタバタご挨拶することができました。短い時間でしたけれどとてもうれしいです。ありがとうございます。

 

リハーサル風景・公演風景

from 久石譲本人公式インスタグラム
https://www.instagram.com/joehisaishi_composer/

 

from 中井美穂インスタグラム

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

Blog. 「東京人 2022年4月号 no.452」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/03/28

月刊「東京人 2022年4月号」(3月3日発売)に掲載された久石譲インタビューです。本号特集「日本が生んだクラシックの名曲」のなかの「令和に活躍する作曲家に聞くコーナー」にて、カラー見開き2ページで登場しています。

 

 

『東京人2022年4月号 特集「日本が生んだクラシックの名曲」』

バロック、古典派、ロマン派……クラシック音楽といえば、古い時代の音楽が定番ですが、実は日本でもたくさんの作品が生まれているのです。〝日本らしいクラシック音楽″とは——童謡、歌曲、軍歌、交響曲、オペラ、映画音楽……明治・大正・昭和を代表する作曲家の近代音楽史を、音楽評論家の片山杜秀氏が語ります。池辺晋一郎、久石譲、野平一郎、細川俊夫、藤倉大、坂東祐大――いま国境を超えて活躍する人気作曲家も大集合!

(東京人公式サイトインフォメーションより)

 

 

令和に活躍する作曲家に聞く

クラシック音楽は、欧米だけのものではない!世界中から委嘱やコンサート依頼が絶えず、日本のクラシック音楽界をリードする久石譲さん、細川俊夫さん。そして、次世代を担う若手として注目を集める坂東祐太さん、小野田健太さん。人びとの心に届く、数々の作品を生み出す期待の作曲家たちに、音楽への想いと創作活動について伺った。

 

久石譲
僕は立ち止まらない
全盛期はこれからと信じて進む。

ー久石さんは長野県の出身ですが、長野にいらした若い頃に、東京というまちはどんなふうに見えていたのでしょう?

久石:
特別に「東京へ行きたい」という意識はなかったかな。NHKラジオで「現代の音楽」という歴史ある番組が放送されていて、高校時代にはそれをよく聴いていました。当時は武満徹さんとか三善晃さんとか、そういった作曲家の方々が活躍されていた時代で、現代音楽が華やかな時代でした。

 

ー作曲家を志されたのも、やはりその頃ですか。

久石:
中学校時代はブラスバンドをやっていて、楽器の演奏が得意ではあったのですが、実はその頃から自分で書いた曲を持っていって、みんなに演奏してもらうということが素直に嬉しかった。高校時代には月に二回程、作曲のレッスンのために東京に来ていました。音楽大学を卒業した後、映画音楽の仕事を始めたのが三十代、もちろんそのときよりも今のほうが、自分としてはずっと良い状況になったと感じています。昔は良かったな、とか、そういうふうに懐古することはないですね。

 

ーコロナ禍でも立ち止まることなく、「フューチャー・オーケストラ・クラシックス」など、さまざまな公演を企画されています。クラシック音楽の古典、例えばベートーヴェンとかブラームスの交響曲の新しい解釈を、盟友である演奏家の面々と練り上げつつ、同時に自分の新作なども披露されていますね。

久石:
ようやく自分の思い通りに作品が書けるようになって来たという実感はあります。このコロナ禍でもシンフォニーの新作を二曲書きましたし、大変な状況でも自分を見据えてやっていけば、この状況をプラスにすることはできます。世界に受け入れられるまで、この歳までかかったという想いもありますが。そういう意味でも、やはり今が自分にとっては一番良い時期です。いや、今よりも今年の夏のほうがさらに良くなると思うし、そうなるように努力するだけです。

 

ー久石さんは常にポジティブで、より良い未来を見ている人という感じがします。

久石:
作曲家というのは不思議なもので、僕よりも年上の作曲家の方に会っても、みんな前向きというか、基本的に明るく、人間として面白い人が多いです(笑)。話をしていても飽きないし、あえて言えば自己中心的というか。例えば、ベートーヴェンとゲーテが逢ったときのことを、ゲーテが回想して、とにかく「うるさい、自分のことばかり話す」と書いていますが、そのぐらい作曲家というのは自分のことばかり考えている人種かもしれません(笑)。

 

ー東京の音楽シーン、特に一九七〇年代以降の日本のクラシック音楽作曲家たちの活動は、大きな変化があったと思うのですが。

久石:
武満さんなどが活躍していた時代は、やはりバブルの前の時期で、新しい音楽にも光があたり、それに目を向ける企業なども多くて、音楽祭なども盛んに行われていました。それに比べると、バブル後は停滞しています。しかし、そこに留まっていてはどうしようもない。新しい音楽的な価値観をもっと世の中に広げなければいけないと感じていますし、もう一度〈王道〉を探求しなければならないと思いますね。

 

ー「ミュージック・フューチャー」(久石さんが現代の優れた音楽を紹介すべく立ち上げたコンサートシリーズ)もその一環ですね。

久石:
今年も十月に開催する予定ですが、そこでは海外の優れたミニマル・ミュージックを紹介しています。例えばニューヨークのメトロポリタン歌劇場でもオペラが上演されている作曲家のニコ・ミューリーに作品を委嘱したり、とか。そうした試みを通して、東京の音楽シーンをさらに活性化させていきたい。欧米では、新しい音楽がたくさん演奏されており、それが聴衆にもまれることによって、作曲家が演奏家も育っていく訳です。日本でもそういう意識を持って、作曲家や聴衆を一緒に育てていかないと、将来が見えて来ないと思っています。そこに関心を持ってくれる方が増えることに期待しているのです。

文・片桐卓也

(「東京人 2022年4月号 no.452」より)

 

 

from 東京人 公式ツイッター

 

 

目次

東京人4月号
april 2022 no.452

特集 日本が生んだクラシックの名曲

令和に活躍する作曲家に聞く
久石譲 僕は立ち止まらない 全盛期はこれからと信じて進む
細川俊夫 沈黙の中に消えていく 音もまた美しい
坂東祐大
小野田健太

【7つのキーワードで読み解く】
作曲家の近代音楽史
片山杜秀(音楽評論家)/小室敬幸(音楽ライター)
1.明治 「文明開花と日清戦争」 瀧廉太郎/シャルル・ルルーほか
2.大正 「第一次世界大戦とブルジョワジー」 本居長世/山田耕筰ほか
3.レコード、ラジオ、映画の誕生 中山晋平/服部 正/早坂文雄ほか
4.昭和戦前、戦中 「皇紀2600年と日本主義」 信時 潔/橋本國彦ほか
5.昭和戦後 「戦争経験とハイカルチャーの終焉」 池内友次郎/黛 敏郎/伊福部 昭/三善 晃ほか
6.テレビ、アニメーションの誕生 山本直純/冨田 勲ほか
7.ゲーム、サイバーカルチャーの誕生 すぎやまこういち/吉松 隆ほか

【座談会】“新しい音”をおもしろがろう!
藤倉 大(作曲家)×山田和樹(指揮者)×林田直樹(音楽評論家)

[演奏家に聞く 音楽のちから]
澤矢康宏(小平市立小平第三中学校吹奏楽部 顧問)
柳澤寿男(バルカン室内管弦楽団音楽監督、指揮者)
藤井隆太(フルート奏者、龍角散社長)
カーチュン・ウォン(指揮者)/海道弘昭(テノール歌手)/LEO(箏曲家)/成田 達輝(ヴァイオリニスト)

[多彩なコンサートホール案内]
東京文化会館 野平一郎(音楽監督、作曲家)
昭和女子大学人見記念講堂 坂東眞理子(理事長・総長)
サントリーホール 堤 剛(館長、チェリスト)/本條秀慈郎(三味線奏者)
東京芸術劇場
東京佼成ウインドオーケストラ
東京オペラシティ コンサートホール 東京オペラシティ リサイタルホール 池辺晋一郎(ミュージックディレクター、作曲家)
すみだトリフォニーホール 佐渡 裕(指揮者)
トッパンホール 西巻正史(プログラミング・ディレクター)
ミューザ川崎シンフォニーホール 原田慶太楼(指揮者)

2022年おすすめ公演情報

正確に再現された多彩な音色を車でも

谷川俊太郎、武満眞樹に聞く いま想う、私たちの武満徹 文・青澤隆明

東京音楽散歩 作曲家ゆかりの地を訪ねて 文・山崎浩太郎

日本で最初期の音楽カメラマン 小原敬司のコレクションより 昭和初期の歴史的音楽シーンを拝見

いま聴きたい! 女性の作曲家10人
三宅榛名/萩京子/挾間美帆/木下牧子/たかの舞俐/田中カレン/藤家溪子/望月京/牛島安希子/山根明季子

日本人作曲家を堪能するためのCD10選 選、文・麻倉怜士

「最高の感動度」で日本の名曲を オーディオシステムの決定版はこれだ!

オーディオショールームを訪問 「on and on」 こだわりの音に出会う喜び

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ほか

 

 

 

Blog. GS9 Club「MASTER OF JAPAN 世界が注目する日本人」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/03/28

2月18日グランドセイコー会員制ウェブサイトGS9Clubにて公開された久石譲インタビューです。「MASTER OF JAPAN 世界が注目する日本人」コーナーです。会員限定ですが、期間限定で閲覧できるキャンペーンにも恵まれました。

 

 

INTERVIEW
MASTER OF JAPAN 世界が注目する日本人

久石譲 作曲家

 

壁にぶつかるのなんて、毎日ですよ。
それでも作曲を続ける理由は、
まだ気に入った音楽ができていないから。

世界を舞台に疾走し続ける音楽家、久石譲。
「すべては良い音楽を作るため」。ブレない音楽家の覚悟に迫った。

 

ベートーヴェンと並び立つ名曲を作る

久石譲は、「行動する音楽家」だ。世界中の賞賛をほしいままにしてきたというのに、その歩みを止める気はさらさらないらしい。

スタジオジブリ作品をはじめ国内外の映画音楽などを手がけて芸術の域へ押し上げ、2018年、最先端の現代の楽曲を紹介するコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE」をアメリカ・ニューヨークのカーネギーホールで開催すると大きな話題に。今後もフランス、カナダ、イギリスなど各国で様々なコンサートが予定され、チケットは発売と同時に完売状態と聞く。

そんな中、50歳を過ぎて、指揮法を一から勉強するため日本を代表する指揮者の1人、秋山和慶(かずよし)氏に師事。作曲家として、自身の作品を本当の意味で理解するには自ら指揮するのが最良、という考えに至ったからだ。ホルン協奏曲を制作しようと決めると、演奏者にホルンを借りて自ら吹いてみるし、コントラバスやクラシックギターに至っては実際に購入した。

「ああ、その辺は向こう見ずですよねえ(笑)。でも、自分で指揮をしたり音を出したりすると、“体感”するんですよ。遠くにあるものをただ眺めるんじゃなく、実体験する。窓から外を見るだけじゃなく、暴風雨の中に飛び出す感覚です。すると、感じるのも10倍、100倍になりますから」

近年は、クラシック音楽の指揮にも精力的に取り組んでいる。16年に日本の若手トップの演奏家たちを集めたオーケストラを結成すると、3年かけてベートーヴェンの交響曲9曲をすべて演奏し、現在はブラームス交響曲シリーズに挑戦中だ。

「10年以上前、解剖学者の養老孟司先生とラジオ番組で対談した時、僕はすごく意地悪な質問をしたんです。『いい音楽って、何ですか』って。そしたら先生は1、2秒考えた後、『長く聴かれるもの』って、スパッとおっしゃった。要するに、長い時代を経て生き残った曲は名曲である、と。すごくシンプルだけれど、深い言葉です」

「長く聴かれるものとは何か」と考えれば、やはりクラシック音楽に行き着く。現代まで聴き継がれる音楽は、細部に至るまで非常によくできている、と久石は言う。

「音楽がどこで成立しているのか、僕は知りたい。それが、クラシックを自分で指揮する理由です。ものを作る人間の仕事って、基本がアウトプットですよね。でも、インプットがなければ、自分の中に何もなくなるから新しいものも出てこなくなる。その刺激を、自分があえて指揮することで作っているんです。どんなに苦しくても、指揮と作曲、両方やっていかなければ自分の音楽は成立しないと思う。つまり、やり続けるしかない、ということですね」

しかも久石は、長年愛されるクラシックと、自ら作った現代の音楽をあえて同じ夜のコンサートで演奏するのだ。

「図々しいよねえ(笑)。でも、その大きなプレッシャーを味わうことで、自分の音楽を少しでも良くしようとしているんです。それを繰り返していく中で、ベートーヴェンやブラームスと並べても遜色ないものに、自分の楽曲を育てていきたいから」

 

撮影中、スタジオに置かれたグランドピアノで、北野武監督の映画『菊次郎の夏』のメインテーマ『Summer』などをさらりと演奏。その場に居合わせたスタッフにとって、至福のひとときとなった。

 

仕事の時、特に指揮をする際には必ずこれらを持参するという。クリック(メトロノーム)は、テンポの確認をするために使用。巻物型の筆箱には、シャープペンシルや色鉛筆など必要最低限の筆記用具がすべて用意されている。それぞれに役目があり、いずれもスコアにメモを書き込む時に用いる。名前入りのオリジナルタオルは指揮をする際、指揮台の横に置いておき、これで汗を拭う。

 

 

作曲家人生の転機となった、1984年

3歳の時には、すでに音楽の道に進もうと心に決めていた。というより、音楽家になるのが当たり前だと思っていた。

1950年12月、長野県中野市で生まれた。両親が音楽に特に造詣が深かった、というわけではない。父は高校の化学の教師。育ったのは、いたって普通の家庭だ。だが、少年は物心ついた頃には音楽が大好きになっていた。最初に心惹かれたのは、『カルメン 前奏曲』や『トルコ行進曲』などの聴きやすいクラシック、そして歌謡曲や童謡など。4歳の時、自分から進んでヴァイオリン教室に通い始め、中学に上がるとブラスバンド部に所属して、トランペットを担当した。

「自分で言うのも何ですが、どの楽器をやってもすぐにできちゃうんですよ。でもね、あまり楽しくないんです。それより、好きな曲を聴いて自分で一生懸命音を取って、それに和音をつけて譜面を書くほうが面白かった。練習の合間にその譜面をみんなに渡して、音が出ると、『わあ、すごい』って驚くわけですよ。演奏する喜びより、何かを作ってそれが音になる喜びの方が強かったんでしょうね。中学の終わりには、『作曲家になる』と決めていました」

ラジオで流れる現代音楽を耳にして、「こんな不協和音の音楽があるのか」と驚いたのも、その頃だ。以来、作曲するのは主に現代音楽。が、国立音楽大学作曲科に在籍中だった20歳の頃、人生を決める1つめの転機が訪れる。最小限の音を使い、パターン化した音型を繰り返して構成される、60年代にアメリカで誕生したミニマル・ミュージックとの出合いだった。

「テリー・ライリーの『A Rainbow in Curved Air』という曲を聴いた時、衝撃を受けましたね。それからは、ミニマル・ミュージックの作曲にシフトしました。でも、曲が全然書けないんですよ。もちろん、その当時なんて曲をちゃんと仕上げる技術力もないし。30歳くらいになって、本当の意味で初めて書けたという感じかな」

在学時から自身や仲間の曲を発表する演奏会のプロデュースを行う一方、大学卒業後ほどなくしてテレビ番組の音楽を担当。プロとして、順調に商業デビューを飾った。以来、作曲や編曲をしながら着実に実績を重ねたが、30代前半で、久石の人生が急展開することになる。84年のことだ。

「一番大きかったのは、やっぱりアニメーション映画監督、宮崎駿さんに出会い、『風の谷のナウシカ』が公開されたことだと思います。スタジオジブリ作品を手がけたことで、世間に広く知っていただくことができました。でも、それとは無関係に、この年制作された薬師丸ひろ子さん主演の映画『Wの悲劇』の音楽も担当しているんです。さらに、当時大人気だったカネボウの男性用化粧品、『ザナックス』のコマーシャル音楽も」

この年の飛躍は、とにかく凄まじかった。こんなエピソードもある。ある日、テレビを見ていて「この歌手、うまいなあ。アレンジしたい」と思った翌日、なんとその人物から久石のもとにアレンジの依頼が舞い込んだ。それが、井上陽水だった。

「これ全部、84年に起こったんだよね。音楽業界のトップの仕事が、一気に来ちゃったという感じ。それらが一応すべて評価されたので、ラッキーだったと思う一方で、ずっと一生懸命やってきたのがよかったのかな、とも感じています」

 

 

 

音楽で世界のトップを獲る

ポップスや映画音楽など活動の幅を広げながら継続してミニマル・ミュージックや現代の音楽も手掛け、約40年にわたって最前線で疾走してきた。順風満帆に見えるが、途中で行き詰まったり壁にぶつかったりしたことはなかったのか。そう訊ねると、即座にこう答えた。

「そんなの、毎日ですよ。小さな行き詰まりは毎日だし、かなり大きな落ち込みは年に何回かあります。5年や10年単位でも波が来るし」

例えば指揮の場合、辞書ほどの厚さのある楽譜をすべて覚えなければならない大仕事だが、それでも、譜面という“もの”がすでにある。それに全力を傾けて向き合えば、多少なりとも何らかの成果はあるものだ。だが、作曲は、どれだけ努力してもフレーズが浮かばなければ、その日の収穫は何もない。

「作曲は世界で一番きつい商売の1つじゃないかな、とよく思います。ありとあらゆる忍耐や絶望、そういうマイナス要素が満載なんですよ。別に大変さを強調しているわけじゃないけれど(笑)、本当にそう思う。今日は書けても、明日は書けないかもしれないし」

想像を絶する、生みの苦しみ。それでも曲を作り続ける理由は、「まだ、気に入った音楽ができていないから」。今回はここまでできたけれど、ここがダメだった。次はそれをクリアするのが目標。少しでも良い音楽を作るために、それを繰り返すだけだ。

「それと、これは苦しみの裏返しなのだけれど、やっぱりゼロから何かを作る喜びがすべてに勝るんですよね。朝、起きた時には影も形ないけれど、1日音を紡いでいくと夕方には“何か”が生まれているかもしれない。もちろん翌日になったら『昨日のはつまらない』と思って捨てることもあるけれど、さらに手を加えていくうちに、気づいたらそれがシンフォニーになっていたりする。すごいことだよね」

久石の視線の先にあるのは、「音楽の本質を少しでも理解し、時代を超えて愛される音楽を作ること」だ。つまりそれは、未来の人たちにとっての新たなクラシックを生み出すことと同義と言っていい。

「わかりやすさや流行に頼れば、みんながすぐ喜んで拍手喝采してくれる曲ができると思います。でも、それでは先に広がっていかないんですよ。一方で、時代に左右されない本質を追い求める人たちは常に新しいものに挑み続けるから、前衛と呼ばれるんですね。でもそればかりやっていると、一般の支持は得られません。大切なのは本質を追求しながらも、その上で大勢の人に理解してもらえる努力をすること。これを怠っている音楽家が多すぎると、僕は思う」

コロナ禍になり、制作環境にも変化が生まれた。この約2年間、作曲は東京ではなく、主に軽井沢の仕事場で行ってきたという。

「軽井沢では毎日必ず1時間とか1時間半、散歩します。するとね、例えば11月の紅葉シーズンになると、黄色、赤、まだ少し緑が残る葉っぱなどが地面に落ちて、それらが本当に美しく配列されているのを目にするんです。どうやったらこんなに見事に並ぶんだろう、と不思議に思うくらい。でも、葉っぱや風景の一部だけを写真で撮っても、そこそこきれいだけれど、普通なんですよ。歩いているときに目に入る全体の美しさには、敵わない」

そこで、はたと気づいた。「作曲で必要なのはこの感覚だ」と。

「つまりこの葉っぱが音符だと考えれば、1個1個の音はソとかドとか無機質で普通のものなんだけれど、トータルで見ると完成されているんですよ。それも、わざとらしくなく。ああ、本当に目指さなきゃいけないのは、この風景と同じように音が自然に連なる音楽なんだなあ、と実感します。そこに至って、長野で生まれ育ってよかったとつくづく思う。だってそんな自然が幼い頃から日常の中にあって、そのことを体感してきたわけだから」

グランドセイコーの故郷の一つ、長野から世界へと羽ばたく「行動する音楽家」。現状に決して満足せず前進し続ける強靭な精神は、豊かな自然に育まれた繊細な感性から生まれ、時の本質を追い求めるグランドセイコーのそれと、驚くほど似ている。

「様々な分野で、『自分が世界のトップを獲る』というくらいの夢を持つ人が、日本にも大勢現れるべきだと思う。当然、僕は音楽で世界のトップを獲るつもりです」

その覚悟に、こちらまで背筋の伸びる思いがする。インタビューを終え、音楽家が穏やかな笑顔で去った後も、その場には熱気と高揚感が残り続けた。

 

 

久石 譲
ひさいし・じょう

作曲家

1950年生まれ、長野県出身。国立音楽大学作曲科在籍中からミニマル・ミュージックに心惹かれ、現代音楽の作曲家として活動を始める。84年に公開された映画『風の谷のナウシカ』以降、宮崎駿監督作品の音楽を担当。他に、滝田洋二郎監督『おくりびと』(2008年)、李相日監督『悪人』(10年)、高畑勲監督『かぐや姫の物語』(13年)、山田洋次監督『家族はつらいよ』(16年)など国内外で多数の映画音楽を手がけ、8度にわたって日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。作曲と並行し、クラシックを作曲家の視点で指揮するプロジェクト「フューチャー・オーケストラ・クラシックス」や、世界の最先端の現代の音楽を紹介するコンサート・シリーズ「MUSIC FUTURE」などの活動も精力的に行う。20年より新日本フィルハーモニー交響楽団 Composer in Residence & Music Partner、21年より日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者に就任。

 

 

出典:GRAND SEIKO|GS9 Club|INTERVIEW
(*会員限定)

 

 

Blog. 「久石譲指揮 日本センチュリー交響楽団 第262回 定期演奏会」コンサート・レポート

Posted on 2022/03/06

3月4日開催「久石譲指揮 日本センチュリー交響楽団 第262回 定期演奏会」です。昨年4月に首席客演指揮者に就任にして以来、定期演奏会や特別演奏会に登場しています。毎回多彩なプログラムで一期一会のコンサート、本公演はわりと現代に近い作品たちが並び久石譲作品も初演されました。

 

 

日本センチュリー交響楽団 定期演奏会 #262

[公演期間]  
2022/03/04

[公演回数]
1公演
大阪・ザ・シンフォニーホール

[編成]
指揮:久石譲
ピアノ:Piano duo Sakamoto(坂本彩・坂本リサ)
管弦楽:日本センチュリー交響楽団

[曲目]
ペルト:フェスティーナ・レンテ
久石譲:Variation 57 ~2台のピアノのための協奏曲~ *管弦楽版 世界初演

—-Soloist encore—-
マックス・レーガー:5つの絵画的小品 作品34より 第1曲
(Piano duet: Piano duo Sakamoto)

—-intermission—-

プロコフィエフ:交響曲 第7番 嬰ハ短調 作品131

—-Orchestra encore—-
ハチャトゥリアン:組曲『仮面舞踏会』より ワルツ

 

 

 

まずは会場で配られたコンサート・パンフレットからご紹介します。

 

 

2021年4月にセンチュリー首席客演指揮者に就任した久石譲。9月の特別演奏会、定期演奏会でのマエストロ渾身のプログラムと熱演が記憶に新しいところです。

ポスト就任イヤーの最後を飾る今回は、20世紀に活躍したプロコフィエフと、私たちと同時代を生きる作曲家の作品をお届けします。エストニア出身の作曲家・ペルトの「フェスティーナ・レンテ」は、美しく透きとおるような広がりを感じさせる一曲。そしてソロピアノ2台とオーケストラという編成による久石自身の楽曲では、第70回(2021年)ARDミュンヘン国際音楽コンクールピアノデュオ部門で、日本人デュオとして初の第3位に入賞した姉妹デュオが登場、期待の新星にも注目です。メインのプロコフィエフ交響曲第7番は、色彩の豊かさと打楽器などでの遊び心が随所に散りばめられた作品です。

久石×センチュリーによる魅惑のプログラム、どのような出逢いになるのかご期待ください!

(日本センチュリー交響楽団 第262回定期演奏会 フライヤーより)

 

 

Program Notes

ペルト:フェスティーナ・レンテ
A.Pärt: Festina Lente

*小味渕彦之氏による楽曲解説

 

久石譲:Variation 57 ~2台のピアノのための協奏曲~(管弦楽版 世界初演)
Joe Hisaishi: Variation 57 -Concerto for Two Pianos and Orchestra-
(Version for Orchestra, World Premiere)

Variation 57は僕が主催しているMusic Future Vol.6のために2019年10月に2台のピアノとチェンバー・アンサンブルのために書き下ろした。今回その曲を2管編成のオーケストラのためのコンチェルトとしてRe-Composeした。

3楽章形式だが、第2曲は2分程度の短い曲で第1曲と第3曲のブリッジのような役割を果たしている。作曲のスタイルは僕が提唱しているSingle Track Musicという手法で構成している。ここでは和音がなく、ただ単旋律が変容しながら続いていく。だが、ある音が高音に配置され、またある音が低音に配置されると3声のフーガの様に聴こえ、発音時は同じ音でもそれがエコーのように弾き伸ばされると和音的効果も生まれる。

この曲でもその手法を基本としているが、第2曲はより自由な形式で和音もあり、奏者の即興性に委ねられている。初演は滑川真希、デニス・ラッセル・デイヴィス夫妻だったが、今回のコンチェルト・バージョンでは若い坂本姉妹が演奏する。YouTubeで観た演奏が良かったのでオファーした。

Variation 57は文字通り各楽章の3つのモチーフのほか、57のヴァリエーション(変奏)でできている。ニューヨークの57thストリートに滞在していた時に着想し、スケッチも書いたからである。また第3曲は2016年のダンロップのCM(福山雅治が出演)として書いた曲をベースに再構成した。

久石譲

 

プロコフィエフ:交響曲 第7番 嬰ハ短調 作品131
S.Prokofiev: Symphony No.7 in C-Sharp minor, Op.131

*小味渕彦之氏による楽曲解説

 

(Program Notes ~日本センチュリー交響楽団 2022年3月演奏会 カタログ より)

 

 

 

ここからはレビューになります。

 

 

オーケストラ楽団の定期演奏会というのは、その地域に根づいたもので固定ファンが多いのも特徴です。そんな日本センチュリー交響楽団ファンの皆さんの定点チェックによりますと、観客8~9割、いつもより女性客多い、対向配置、そんなSNS投稿が飛び交っていました。

僕の定点チェックはというと、ステージマイク(前半あり/後半なし)、撮影カメラなし、弦10型、舞台に並んでいる楽器たちは、、とずいぶん違いますね。オーケストラファン視点と久石譲ファン視点、いろいろな見え方で浮き上がってくることも多くうれしく楽しいです。

 

ペルト:フェスティーナ・レンテ

静謐なる弦楽作品です。久石譲をきっかけにアルヴォ・ペルトを知ったという人も多いのでは、僕もその一人です。久石譲コンサートでもこれまでに複数作品が登場しています。この作品は「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.2」(2020)でもプログラムされました。

日本センチュリー交響楽団とは、「久石譲:I Want to Talk to You ~ for string quartet, percussion and strings ~」「久石譲:Encounter for String Orchestra」といった弦楽作品も共演しています。個人の印象ですが、センチュリーの弦楽はとても濃厚で重く勢いがある、とこれまでの演奏会を聴いて思ってきました。管弦楽(フルオーケストラ)のときもすごくパワーがある。こういった静かな作品でも、たしかな重み、たしかな存在感を感じる演奏でした。

楽曲解説やコンサート感想などはよかったら下記ご参照ください。そしてぜひ曲を聴いてみてください。

 

 

久石譲:Variation 57 ~2台のピアノのための協奏曲~(管弦楽版 世界初演)

久石譲の楽曲解説をなぞるように20回くらい読んで、曲を研ぎ澄ますように20回くらい聴いて。そうしたら何か少し見えてくるような気がします。全体の楽曲構成はアンサンブル版とほぼ同じか近いと思います。そして編成が拡大されたぶん、よりパンチの効いたダイナミックな響きになっていて、堂々たる管弦楽Single Track Music!そんな印象でした。実際に、なだれ込むように勢いよく終わる第1曲で盛大な拍手(まばらじゃない)が起こりました。

久石譲が提唱するSingle Track Music(単旋律)ですが、一番わかりやすいのは「Single Track Music 1」や「The Black Fireworks」あたりかと思います。純粋に単旋律の手法で貫いている(ほぼハーモニーも発生していない)。ただし、以降の作品を並べていくとその手法も定義も少しずつ広がっているように思います。単旋律の手法で統一されている、単旋律の手法がふんだんに(あるいはあるパートに)盛り込まれている。このあたりの《久石譲 Single Track Music》のカテゴライズは時期尚早、これから先まだまだ慎重に作品を系譜的に線で眺めていく必要がありそうです。「Variation 14」ではその手法が一部垣間見えるとか、新作「2 Dances」の楽曲解説でも、”単一モチーフ音楽、いわゆるSingle Musicといえる”という捉え方をしていたりもします。むずかしい。

この作品において。位置的には単旋律の手法がふんだんに盛り込まれているになるかと思います。もっと、単旋律の手法で貫いているに近いのかもしれません。アンサンブル版もオーケストラ版も、弦楽器などで単音をすーっと伸ばしている箇所が随所にあります。そうだもんだからいろいろな音が鳴るなか単音になってないよね、と思ってしまいそうですが、”発音時においては同じ音が鳴っている、瞬間的には同じ音しか鳴っていない”という単旋律の一面になっているのだろうと思います。

もう、めまぐるしく音が連なるなか、超スローモーションで解析しないと、たしかにどの瞬間を切り取っても同じ音しか鳴ってないね、とはわからないほどです。実際はルール破ってるんじゃないの?!(大変失礼)そんなイヤな見方をするのは僕くらいでしょうか。そんなことよりも、めまぐるしい音の連なりのなかから、音をいくつか抜き出していって違うフレーズを作ったり、リズムを生み出す旋律を作ったり。豊かな楽器と声部なのに、瞬間的には同じ音しか鳴っていない。ここに注目しないとです。みずから作ったルールでゲームを構築する、ゲームを展開する、新しいゲームの楽しみ方をみせる。

第2曲は、おもむろなピアノの同音連打に和音感も加わる短い曲です。これを聴きながら、曲想的に横揺れするような音像を感じたんですけれど、垂直的にストンと音たちが落ちていく(下に吸い込まれていく)ような音像になってもおもしろいなあ、と意味不明な妄想をしていました。

第3曲も、とにかく細かい音符のタイミングを合わせるのが大変、難所のオンパレードです。《久石譲 Single Track Music》はオーケストラがリズム感覚を磨くための現代の課題曲のようでもあると思ったりもしました。習得することで免許皆伝、久石譲作品はもちろん世界中の現代作品をリズム重視のソリッドなアプローチで表現できるようになる。そんなことを思いはじめると、現代の作品を遺すことに注力する久石譲と、現代の表現力を磨くオーケストラ、ちゃんと両輪になっているそんな気さえしてきます。スパイラルアップしていく創作と表現の追求。

 

 

アンサンブル版とオーケストラ版、早く聴きくらべたり聴き楽しめる日がくるといいなと思っています。聴くほどにかっこよさがにじみ出てくる。「2 Dances」あたりとつづけて聴きたい感じです。アンサンブル版はただ今特別配信されています。ぜひご覧ください。

 

単旋律についてのもっと詳しいことや、CD紹介などは下記ご参照ください。

Blog. 「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.7」コンサート・レポート

 

 

アンコール

マックス・レーガー:5つの絵画的小品 作品34より 第1曲

ソリスト・アンコールは、1台のピアノ連弾で披露されました。2分くらいの小曲でリズミカルにあっという間でした。なにかのインタビューで坂本姉妹お二人は、小さい頃からピアノのポジションが変わらないそうです。お姉さんが低音のほうだったかな(?)。久石譲作品のときにはプロのオーラあり、この連弾ではふっと気心知れたアットホーム感も伝わってくるようで。こうやって小さい頃からずっと一緒に演奏されてたんだろうなあという姿が見えるようでした。映画『羊と鋼の森』の姉妹は曲ごとにポジション入れ替わったりして遊んでいましたね。映画『羊と鋼の森』のエンディングテーマは「久石譲×辻井伸行:The Dream of the Lambs」でしたね。いや、思い出したことをそのまま口にしてしまいました。

 

ー休憩ー

 

プロコフィエフ:交響曲 第7番 嬰ハ短調 作品131

プログラム予定で初めて知った作品で、コンサート前に予習しながら初めて聴いた作品です。第一印象はとっつきやすい・とても現代的・色彩感のある作品、そんな印象でした。この作品には静かに終わるバージョンと急速に勢いよく終わるバージョンのふたつがある、そんなことだけ調べて聴き分けていました。

やっぱり生演奏!CDで聴くよりもダイレクトに感じるものがありました。明るくて、朗らかで、快活で。とてもハツラツとした作品で気持ちまで明るくなるようでした。僕の感想はこのひと言で終わりです。というのも、これ以上に言えることが見つかりません。初めての作品だから、なにかと聴き比べるものさしもないし(ベートーヴェンやブラームスなら多少は…)、作品解説や歴史背景のようなものもあえて深く掘りあてることはせず。コンサートをきっかけにこの作品に出会えたことで満足、そして会場で聴きながらそのとき春の芽吹きのようなものを感じれたことで満足です。

SNSでは”ここがこうだった”そんな特徴点をあげた感想もありました。久石譲×日本センチュリー交響楽団ならではの演奏だったこと、そしてアプローチやパフォーマンスに満足していることがわかるものたちばかりで、僕の見えない視点も解消してくれました。静かに終わるバージョンでした。

 

 

アンコール

ハチャトゥリアン:組曲『仮面舞踏会』より ワルツ

プロコフィエフ作品からつながる選曲なんだと思います。フィギュアスケート浅田真央選手が使用したことのある人気曲だそうです。ブラームス交響曲コンサートのときもアンコールでハンガリー舞曲、久石譲コンサートで「Merry-Go-Round(ハウルの動く城より)」がアンコール披露されることも。なんだか久石さん=ワルツで踊る指揮、そんなイメージもそろそろ定着しそう?

この曲を聴きながらこんなことをふと思いました。久石譲楽曲がアンコール推進されるときがきた。クラシック定期演奏会もそうですが久石譲FOCコンサートもそうです。古典作品をメインとしたコンサートではアンコールもクラシック作品から選ばれています。理由はもちろんわかります。プログラムの統一性、久石譲作品コンサートとの線引きなど。

でも本公演で仮面舞踏会を聴きながら、これがMerry-Go-Roundでも全然いいんじゃないかな、そう思ってしまったんです。それは久石譲の曲がもっと聴きたいとかそういうことよりも、いやそういうことはもちろん最初からある、作品のクオリティや作品の力として遜色ないということです。スタジオジブリ作品だからエンターテインメントだからここに持ってくるのはちょっと気が引けるなあ、と久石さんは言うかもしれない言わないかもしれない。でも、かねがねクラシック作品も当時のエンターテインメント作品ですよね。それを当時の現代作品として演奏していた歴史です。

クラシック演奏会で映画音楽やるのか、久石譲だからそんなこと許される、ほんとにそうでしょうか。久石譲という作曲家がタクトを振るコンサート、これこそが一番の強みです。だから前述した文言は、《クラシック演奏会でも自作の映画音楽を同じクオリティで聴かせてしまう、久石譲だから自作の現代作品を自らの指揮で披露できる》ここに早く照準を、これまでのアングルを調整して照準を合わせてほしいときがきた!そう強く思いました。

久石譲ファンの皆さんはどんな曲が浮かびますか? 僕ならパッと「World Dreams」「Dream More」「Le Petit Poucet」アンコールにもってこいな曲たちです。なんなら贅沢に「Merry-Go-Round」に匹敵するような新しいオリジナル曲をコンサートアンコール用に書き下ろす、大変失礼しました。

”オーケストラの魅力を発揮できる作品であれば、どんな作品でもプログラムする、その価値がある”、そんなことを言ったのは指揮者ドゥダメルだったか誰だったか忘れました。まさにです。そろそろクラシック演奏会もアンティークな品格に固執せずに…。久石譲音楽をプログラムするのは客入りのためなんて穿った見方もやめて…ダ・カーポ(D.C.;”オーケストラの魅力を発揮できる~” に戻る)。ワルツに踊る久石さんの指揮を見ながら、曲を聴きながら、こんなことをふと強く思った瞬間でした。

….「ハチャトゥリアン:仮面舞踏会」のたたみかけてくるメロディも頭から離れなくなります。すごいパワーをもった曲です。

 

 

コンサートに行くと、必ずなにか新しい出会いがある、発見がある、感動がある。そして少しひとつ音楽生活が、自分のなかの音楽が豊かになっていく。いいですよね。今回のコンサートもそうでした。くわえて音楽のほかにも、かねてからSNSでつながっていたファンの方とリアルにお会いすることもできました。初対面ということもあってせっかくのコンサートなのにいらぬ緊張感や疲労感を与えてしまったのではないかと反省しきり….。そういうことも乗り越えながら!? SNSの楽しみ方とリアルの楽しみ方をお互いができたらいいなあと….どうぞお付き合いいただけたら。よくよく、久石譲ファンじゃなければ出会うことのない人たちと、僕は出会い時間をともにしなにかしら影響されています。出会うことのなかった人たちを今は実際に知っている。これってすごいことですよね。そんな幸せをありがたくかみしめています。

 

 

怒涛のコンサートラッシュ、数日後の3月6日には周南特別演奏会、3月8日には豊中特別演奏会です。以降も9月の定期演奏会でシューマン交響曲ツィクルス始動、2023年は九響との合同演奏会と、久石譲×日本センチュリー交響楽団のコンサートはつづいていきます。これまでの歩みとこれからの歩みをチェックしましょう。

CONCERT 2020-

 

 

本公演関連

 

 

久石譲×日本センチュリー交響楽団 レポート

 

 

 

久石譲オフィシャル、日本センチュリー交響楽団オフィシャル、各SNSでリハーサルから終演後までワクワクする投稿が溢れていました。たくさんの写真のなかから少しセレクトしてご紹介します。今後のコンサート情報や日頃の音楽活動など、ぜひ日常生活のなかでいろいろチェックしていきましょう。

 

リハーサル風景

from 日本センチュリー交響楽団公式ツイッター

 

from 久石譲公式ツイッター

 

from 日本センチュリー交響楽団公式ツイッター

 

公演風景

from 坂本彩 ツイッター
https://twitter.com/ayasakamoto

 

from 坂本リサ ツイッター
https://twitter.com/risakumapf

 

from 久石譲公式ツイッター

 

from 久石譲本人公式インスタグラム

 

久石譲公式ツイッター
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久石譲本人公式インスタグラム
https://www.instagram.com/joehisaishi_composer/

久石譲公式フェイスブック
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日本センチュリー交響楽団公式ツイッター
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日本センチュリー交響楽団公式フェイスブック
https://www.facebook.com/JapanCentury

 

 

 

 

2022.03.10 update
追って公開された写真からいくつか紹介します

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

Blog. 「テレパル TeLePAL 1994年 6.25-7.8」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/02/27

TV番組情報誌「テレパル TeLePAL 1994年 6.25-7.8」に掲載された久石譲インタビューです。 NHK連続テレビ小説「ぴあの」とソロアルバム『地上の楽園』についての内容になっています。

 

 

ボクはもうヒットじゃ許されない。最低でも2塁打は打たなきゃ

日本映画の不振ぶりは、いまや話題にもならない。が、宮崎アニメや大林映画などここ10年ほどの日本映画の話題作の音楽をほぼ独占している久石譲は、ひとり気を吐く活躍ぶりだ。その彼が、NHKの朝の連続テレビ小説『ぴあの』の主題歌から劇中音楽までを手がけている。

 

インストゥルメンタルでも歌でも楽しい曲が理想です

日本映画界を代表する映画音楽作家・久石譲がNHK朝のテレビ小説『ぴあの』を手がけていることを知ったときは、新鮮な感動とともにほんのちょっぴり驚かされもした。

久石:
「いちばん驚いたのはボク自身じゃないですか。じつは以前、朝ドラの音楽を依頼されたことがあるんです。そのときは、朝8時台はボクにとって真夜中(笑)、見ることのできないドラマの音楽なんて付けられませんって(笑)、断ったんです。そのあとドリカムが主題歌をヒットさせ朝ドラの音楽が注目を集め出したでしょ、それからですね興味を持つようになったのは」

今回は主題歌込みのすべての劇中音楽を手がけてほしいと依頼され、「ムクムクとヤル気が出た」そうだ。

久石:
「でも最初はね、主題歌を創るつもりはなかったんです。ピアノソロで押し通すつもりだった。それがなにかの拍子にインストゥルメンタルでも歌でも楽しめる曲もイイなぁと思ったのね。たとえば『ティファニーで朝食を』の〈ムーンリバー〉みたいな曲ね。インストゥルメンタルでも歌でも楽しめる曲って音楽の中でももっともインパクトをあたえるものなのに、最近めっきり少なくなっているでしょ。これは挑戦しがいがあると思い直して詞を付けて主題歌を創ったわけなんです」

 

〈ニュー久石〉音楽の誕生!新アルバムで歌メロめざす

テレビは、映画のように、観客が入場料を払って、積極的にが、画面に向かってくれるわけではない。「半年間、毎朝聴いてもらって飽きない音楽」が『ぴあの』で「自分に課したテーマ」だったという。

久石:
「映画は脚本を読んで曲を考えることができますが、テレビの場合は脚本があるといってもせいぜい最初の2週分ぐらいでしょ。脚本の細部を読みながら曲を創ることはまず無理ですから、登場人物の性格設定や作り手の意図などを説明してもらい、そこから曲を構想するしかないんですね」

「ヘビーな仕事だった」と振り返る。

久石:
「最初の10週間は収録画を見ながら付けるんです。細かい場面の音まで付けますからね…月曜から土曜までの分、1回15分が6回、1時間30分でしょ。それが10週間。これはもう毎週1本ペースで映画に音を付けるのと変わらない。しばらくたってからです、あっこれテレビの仕事だったんだ、と思ったのは(笑)。ノリは映画のときの、それも大林宣彦組に就いたときのようで、もう修羅場でした」

『ぴあの』の久石音楽はちょっとしたディティールショットにまで付いている。「場面と場面のつなぎを計算してすみずみまでビシッと付けた」そうだ。『ぴあの』の音の量は最近のテレビドラマの中では群を抜いて多い。そんな超多忙をきわめた中、ソロアルバム『地上の楽園』のレコーディングも進めた。音楽家・久石譲は疲れを知らない。

久石:
「じつは3年前、今井美樹のアルバムのプロデュースが終わったあとロンドンのスタジオにこもって『地上の楽園』というコンセプトで何曲か創ったんですけど、どうも納得できない部分があってアルバム作りを中断したんです。あの時期は自分の中ではっきりと音への志向性が変わっていきつつあることが感じられて…一時期、ボクは完全にスランプに陥っていましたね。映画やテレビのスタッフワークの中からはいくらでもアイデアは出るんですけれど、ソロアルバムとなると自分の中にたまったものが勝負になる。それがあのときの自分には少なかった」

何年もつねに第一線を走ってきた。アメリカの作家フィッツジェラルドをテーマにしたソロアルバム『マイ・ロスト・シティ』で「やっとやりたいものができた」という手ごたえを感じた。ひとつの到達点を見た。次なるステップへ自分を持っていこうと意欲が出てきた。それで「壁にぶつかった」。幻と終わった最初の『地上の楽園』はその過渡期にあった。「なにかのきっかけがつかめれば…」という思いで東京、ロンドンを往復する生活が1年8か月続いた。そんな中から待望のソロアルバム『地上の楽園』はじょじょにスタイルを固めていった。『地上の楽園』は7割がボーカルナンバーで、まさに久石譲の〈変身〉を物語っているアルバムだ。

久石:
「器楽のメロディーアーティストとしては日本でナンバーワンになったという自負はあります。仕事の量も多く、映画でも大作が多くなって、周囲の人たちの自分に対する期待は単なるヒットでは許してくれないところまできたわけですよね。最低でも2塁打、できれば3塁打かホームラン。責任の重いところに自分はいるんだという認識で、そろそろ自分が変えなければならないものが出てくる…そう思い始めたとき、ボーカルのメロディーに積極的に取り組むことに気づいたんです」

器楽のメロディー作家からボーカルの歌メロ作家へ。「自分の中にあるリズムをもう一度見直す必要があった」ともいう。それで『地上の楽園』はまるまる3年を費やしてしまったのだ。『ぴあの』の主題歌創りとボーカル7割の『地上の楽園』制作。ふたつは密接に結びついた、〈ニュー久石〉音楽を創造する作業だったと言ってもいいだろう。

インストゥルメンタルでも、歌を付けても楽しめる、耳に残るメロディーが「究極の音楽」だという。そうした音に一歩でも近づくため「ボクが考えうる最高で完璧な音創り」をめざすのが今後の課題だともいう。

久石:
「歌メロをやっていく中で、これまでのインストゥルメンタルの活動がいかに重要だったか痛感させられましたね。というのも、たとえば歌詞で簡単に〈愛してる〉と歌うところをインストゥルメンタルだとかなり細かく、かつ量も豊富にメロディーを積み重ねて聴いてくれる人を説得するわけですよね。細かい音創りが求められるわけです。そうした経験がどんな内容の歌詞が乗ろうと十分に聴きごたえのある音創りに生かされる。ボクはつねづね日本でもデイヴィッド・フォスターやクインシー・ジョーンズのようなメロディー作家が出てくるべきだと思ってた。彼らは自分で作詞も演奏もしなくてもでき上がってきたアルバムには彼らの個性が貫かれている。ひとつにまとまったプロジェクトを組んでアルバム作りをしているからなんですけど、そうしたスタイルをボクは日本でも定着させたいんですよ」

『ぴあの サントラ1、2』『地上の楽園』は〈JOE’S PROJECT〉として発表される。いまの彼自身の個性を前面に押し出したアルバムだ。

久石:
「ただ歌メロはいい曲、いい歌詞、いい編曲がそろっても歌手に左右されたりもして、必ずしも耳に残るいい音楽になるとは限らない。奥深く難しい世界です」

と結ぶ。もちろん「それでも自信はありますよ」と会心の笑みは浮かんでいた。

(「テレパル TeLePAL 1994年 6.25-7.8」より)

 

 

 

地上の楽園

 

 

 

Blog. 「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.4」コンサート・レポート

Posted on 2022/02/16

2月9日開催「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.4」コンサートです。当初予定からの延期公演です。プログラムも新たにアップデートされリアルチケットは完売御礼。さらに、Vol.2,3に引き続いてライブ配信もあり、国内外からリアルタイム&アーカイブで楽しめる機会にも恵まれました。

 

 

久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.4

[公演期間]  
2022/02/09

[公演回数]
1公演
東京・東京オペラシティ コンサートホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:Future Orchestra Classics
コンサートマスター/ヴァイオリン・ソロ:近藤薫

[曲目] 
レポ・スメラ:Musica Profana
久石譲:Winter Garden

—-intermission—-

ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調 Op.90

—-encore—-
ブラームス:ハンガリー舞曲 第6番 ニ長調

 

 

 

まずは会場で配られたコンサート・パンフレットからご紹介します。

 

 

Future Orchestra Classicsの第4回目のコンサートを迎えることができました。大勢のお客様がご来場されたことに心から感謝いたします。

ブラームス交響曲ツィクルスの今回は第3番です。他に僕の「Winter Garden」、スメラの弦楽合奏曲「Musica Profana」といつも通り現代と古典楽曲を組み合わせたプログラムを用意しています。

ブラームスの第3番を演奏するたびに僕は高畑勲さんとのやりとりを思い出します。

映画「かぐや姫の物語」のファイナルダビングの最中、ロビーでこの第3番のポケットスコア(総譜)を勉強していたところ、通りかかった高畑さんが嬉しそうにそのスコアの最終ページを指差し、「ここですよ!ここ!第1楽章のテーマがまた出てきて!・・・・最高なんですよ!」。僕は呆気に取られていたのですが、同時に高畑さんの音楽に対しての深い造詣、もちろん映画、美術、文学に対してもそうなのですが、心から楽しんでおられた姿に感動しました。

高畑さんが愛してやまなかったこの楽曲を、今晩皆さんの前で演奏できることを本当に嬉しく思っています。

最後に、今とても長い冬が続いています。
が、春はもうすぐ訪れます。
頑張っていきましょう!

2022年2月初旬 久石譲

 

 

レポ・スメラ:Musica Profana(1997)

エストニアのレポ・スメラ(1950-2000)は、アルノルト・シェーンベルクの対位法を研究するなど、現代音楽の技法をベースに、交響曲から映画音楽まで幅広く表現してきた作曲家。晩年はコンピューターを用いた曲作りにも傾倒し、人間の心臓の鼓動を使った「Heart Affairs」を発表するなど、意欲的な試みを続けてきた。

室内楽の作曲家としても評価が高く、スメラの楽曲は世界中で演奏されている。「Musica Profana」もその一つで、イタリア語で”世俗音楽”と名付けられたこの曲は、すべてのパートが同じモチーフで力強く進行しながら、中間部より高音部パートに遅れて低音部パートが追いかける構成で、バロック時代の弦楽協奏曲を彷彿とさせながら、高揚感とエネルギーを獲得している。一方で、リズミカルな流れは突如、反射的に停止し、中断を繰り返しながら進行する。映画音楽のようなこの手法は、スメラが他の楽曲でも用いてきたもので、音の運動性を研究し尽くした作曲家ならではの魅力に溢れている。

 

 

久石譲:ウィンター・ガーデン(2014年版)
Joe Hisaishi:Winter Garden (2006/2014)
・1st movement
・2nd movement
・3rd movement

「Winter Garden」は、2006年に鈴木理恵子さんのSolo Album用にヴァイオリンとピアノのために作曲したもの(全2楽章)をベースにして、ヴァイオリン・ソロとオーケストラの小協奏曲として、2010年の改訂の際に新たに第3楽章を付け加えた。さらに2014年に大幅改訂し、よりヴァイオリンとオーケストラのコントラストを際立たせつつ、ミニマルの手法になぞらえた作品とした。

8分の15拍子の軽快なリズムをもった第1楽章、特徴ある変拍子のリズムの継続と官能的なヴァイオリンの旋律による瞑想的な雰囲気を持つ第2楽章。そして第3楽章は、8分の6拍子を基調とし、ソロパートとオーケストラが絶妙に掛け合いながら、後半はヴィルトゥオーゾ的なカデンツァをもって終焉へと向かっていく。

ヴァイオリン・ソロを担当するFOCのコンサートマスターである近藤薫の演奏を心から楽しみにしている。

久石譲

 

 

ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調 作品90

*寺西基之氏による一頁楽曲解説

 

(「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.4」コンサート・パンフレットより)

 

 

 

ここからはレビューになります。

 

 

レポ・スメラ:Musica Profana(1997)

約12分の作品です。久石譲がホットに取り上げている作曲家レポ・スメラは、前回FOC Vol.3「交響曲 第2番」(2021.7開催)、日本センチュリー交響楽団定期演奏会「チェロ協奏曲」(2021.9開催)、MF Vol.8「1981 from “Two pieces from the year 1981”」(2021.10開催)、これらのプログラム歴を見てもよくわかると思います。

そして今回、この作品を聴いてみると、久石譲が取り上げている理由も説明の必要ないくらいよくわかる、肌でひしひし感じることができました。久石譲作品と並列してもなじみよく親近感すら感じてくる作品です。

楽曲解説からふれると「すべてのパートが同じモチーフで力強く進行しながら~」、ときに全奏者で一斉にユニゾンする旋律の圧力たるやすごいです。まるで太い一本の稲妻のよう。そして声部(楽器パート)が枝分かれしていくさまもまた稲妻の閃光が散っていくようです。一気に弦楽オーケストラのうねりに引き込まれていきます。

楽曲解説からふれると「中間部より高音部パートに遅れて低音部パートが追いかける構成で~」「一方で、リズミカルな流れは突如、反射的に停止し、中断を繰り返しながら~」、このあたりを言葉で眺めてみても、久石譲のあの作品もそういうところあるよね、と曲が浮かぶ人いるかもしれませんね。この作品は、どの箇所のことかすぐに見つけることができるくらい明快な構成を聴きとることができると思います。

楽曲解説からふれると「音の運動性を研究し尽くした作曲家ならでは~」、今の久石譲の志向性からも俄然近しい距離感に感じているのかもしれませんね。この1~2年で驚異の短期間に発表された久石譲:交響曲第2番・第3番も運動性をコンセプトに追求した作品づくりになっています。

ほんと弦楽オーケストラらしい作品だなと思います。たとえばデッサンを鉛筆や木炭を使って巧みに表現するような趣を感じます。弦楽合奏なので楽器の色彩感はないけれど、モノクロだけで鋭角な線を描いたり(たとえばヴァイオリンだけで鋭く)、太く(力強くユニゾンで)、ぼかしたり影をつけたり錯覚効果を狙ったり(旋律のズレやハーモニー)、輪郭線をはっきりさせたり(アクセントやフレージング)。そんなことをイメージクロスさせながら聴くと、久石譲作品「Encounter for String Orchestra」「I Want to Talk to You ~ for string quartet, percussion and strings ~」なんかもまたおもしろい出会い方があるかもしれませんね。そして未音源化の「螺旋」という弦楽作品もまだまだ控えているのです。

現代作品であり演奏も現代的です。リズムを重視したソリッドなアプローチは一貫しています。「タ~ラッ」となりそうなところも徹底的に「タッタッ」と横に流れない縦のラインをきっちりそろえたパフォーマンスは意識向きだすと病みつきになってきます。たとえば、音楽に乗って体が横に揺れてリズムとっているなら「タ~ラッ」、一方で首を縦に振ってリズムをとっているなら「タッタッ」となる、そんなイメージです。ただこれを一貫してキープするのはとてもとてもな集中力です。たとえ聴いている人でも、一曲のなかで体は横にも縦にも動きながらリズムにのっているのが普通ですよね。

リズムを刻む動パートであっても、ゆるやかな静パートであっても、旋律に抑揚をつけたりだんだん大きくしたりしていないのは、かなり徹底していたんじゃないかなと推測です。同じ強さと大きさですーっと伸びている。あくまで高音から低音までの楽器の出し入れで音の大きさや厚みをつくっている。その効果を狙っているからこその弦楽合奏。そんなこともまた感じました。

コンサートマスターの近藤薫さんは、次の演目でヴァイオリン・ソロを担当することもあって、この作品にはいませんでした。協奏曲をプログラムしたクラシック演奏会ではよく見られる光景です。このあとに向けて集中力高めてスタンバイしているところです。

 

 

久石譲:ウィンター・ガーデン(2014年版)
Joe Hisaishi:Winter Garden (2006/2014)

約20分の作品です。そういうこともあってか久石譲は「小協奏曲」と控えめに(?)言っているのでしょうか(?)。小協奏曲の概念にはいろいろ分類パターンがあるようですが、正確には20分を切りそうなこの作品はおそらく時間的な尺度から「小」としているのだろうと思います。久石譲作品「コントラバス協奏曲」や「The Border(ホルン協奏曲)」は約25-30分の作品です。時間というのは作品の大きさを表すうえで作曲家にとって大切なひとつだと思います。ですが!!とっぱらってもらって「協奏曲」でいい!!堂々たる「ヴァイオリン協奏曲」だ!!という強い気持ちを語っていきたいと思います。

 

その前に作品経歴です。

楽曲解説からふれると「2006年に鈴木理恵子さんのSolo Album用にヴァイオリンとピアノのために作曲したもの(全2楽章)をベースにして、ヴァイオリン・ソロとオーケストラの小協奏曲として、2010年の改訂の際に新たに第3楽章を付け加えた。さらに2014年に大幅改訂し~」、このとおりです。

・2006年 CD発表(Vn&Pf版)
・2007年 WDO(Orchestra版 全2楽章)
・2010年 WDO 豊嶋泰嗣
・2014年 ジルベスター 岩谷祐之
・2016年 上海 五嶋龍
・2022年 FOC 近藤薫

すごいですね。演奏機会は少ないなか日本を代表するヴァイオリン・トッププレーヤーがこの作品を演奏してきたことがわかります。今回満を持してFOCで披露となったわけですが、同時にそれは秘められてきた珠玉の作品が光放たれる瞬間でもありました。

 

・室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra(2015)
・Contrabass Concerto(2015)
・室内交響曲第2番《The Black Fireworks》〜バンドネオンと室内オーケストラのための〜(2017)
・The Border Concerto for 3 Horns and Orchestra(2020)

これから先リリースされる日が来たとしても(いや来ますよね願)、オーケストラ版全3楽章となった2010年を点としても、作品系譜としては一番若い作品になります。これは久石譲作品を線でつなげていきたい人は押さえておきたい。もし仮にいうなれば、《協奏作品 第1番》それが「Winter Garden」にほかなりません。

 

もっと。

”実はこの「Links」を作る前に「Winter Garden」というヴァイオリンとピアノのための曲を書いたのだが、変拍子のリズムと、それでも違和感が無いメロディーが合体するヒントが掴めた。それと同じアプローチでオーケストラに発展させたものが「Links」だ。この「Links」を書いたことによって、徐々に自分の中でミニマル・ミュージックへ戻るウォーミング・アップが出来た。”

(『Minima_Rhythm ミニマリズム』CDライナーノーツより 抜粋)

 

そうなんです。「Winter Garden」があったから「Links」があるんです。そして「Orbis」「The End of The World」「Sinfonia」輝かしい久石譲オリジナル作品群の新しい歴史が進んでいくことになります。「Links」も8分の15拍子の曲です。Winter Garden 第1楽章のリズムのとり方とはまた違うからおもしろい。

 

 

第1楽章
1st movement

急緩急の全3楽章の第1楽章は、口ずさみたくなるくらい印象的なモチーフから始まります。8分の15拍子を基調としていますが、リズムは2・2・3/2・3・3で取っています。モチーフを分解すると7拍と8拍(15拍子=1モチーフ)に大きく切り分けることができます。そこに斜線を入れました。ここで注目してほしいのが、後ろの8拍のところは4拍子のような2・2・2・2じゃなくて2・3・3でリズムに乗りましょう。このグルーヴ感は曲が進行するなかでよりはっきりと活きてきます。

基本モチーフはすぐにオーボエやフルートに引き継がれていって変化していきます。ソロ・ヴァイオリンはずっとメロディを歌っていることはなく、メロディとリズミカルに掛け合ったりと、ソロ楽器とオーケストラが主従関係(主旋律・伴奏)に定まらないのが久石譲協奏作品のうれしい特徴です。

オーケストラが大きくふくらむパート(1分半経過あたり)で、ティンパニやテューバがリズムを打ち鳴らしています。ここ2・2・3/2・3・3のリズムのとり方が一番わかりやすいですね。この前もこの後も、15拍子になってるところはほとんどそうです。なにかしらの楽器で伴奏的リズムを2・2・3/2・3・3で刻んでいると思います。ぜひ探してみてください。指揮姿からもわかるかもです。第1楽章に秘められた高揚感です。

ヴァイオリンをフィーチャーした「Untitled Music」という作品もそうですが、トライアングル・ピアノ・チェレスタ・ハープ・グロッケンシュピールなど、キラキラ輝いた印象のオーケストレーションが魅力的です。まるで雪が反射して煌めいているようです。さりげなく随所に配置されているピッツィカートも巧妙です。冬感たっぷりに散りばめられています。

 

第2楽章
2nd movement

緩徐楽章ともいえる第2楽章は、ヴァイオリンのたゆたう旋律に誘われるままに、なにか深いところへ深いところへと。くり返される漂うハーモニーに危うい雰囲気を感じながらもカウベルの響きが心地よさを、その両極なふたつが溶け合っていくようです。

目立ちにくい楽章ですが、こういった楽想は久石譲作品にみられるひとつの特徴です。『DEAD』より「II. The Abyss~深淵を臨く者は・・・・〜」、『The End of the World』より「II. Grace of the St. Paul」、『THE EAST LAND SYMPHONY』より「II. Air」など。メランコリックだったり瞑想的な雰囲気をもつ楽章があります。現実と夢、現実世界と異界、というようにひとつの作品に別世界を持ち込むといいますか、異なる空間軸や時間軸な次元を描くといいますか。そうして楽章間や作品そのものを有機的につなぐ役割を果たしているようにも感じてきます。あらためて気に留めてそんなことも思いながら。大切に聴きたい楽章です。

 

第3楽章
3rd movement

ワクワク止まらないイマジネーション豊かな第3楽章です。聴き惚れて満足しきり、感じたことをたくさん書きたいところですが、ちょっとぐっとこらえます。少し背伸びして音楽的にこう聴いてほしい3つに絞って進めます。感じるままに聴きたいんだ!という人もいるでしょうが、よかったらお付き合いください。

1.基本モチーフはスケールそのまま。

冒頭からヴァイオリンの基本モチーフが現れます。音をなぞっていてビックリしました。これホ長調のスケールそのままなんです。F#-G#-A-B-C#-D#-E,D#,E(ファ#-ソ#-ラ-シ-ド#-レ#-ミレ#ミ)です。文字だとわかりにくい。

 

ミからはじまる、ドレミファソラシドの響きと思ってください。イントロ導入が弦楽器トレモロのE(ミ)で通奏しているなか、基本モチーフが次のF#(ファ#)からそのまま上がっていっています。だからスケール(音階)そのままなんです。すごい!

もっとすごい!冒頭の基本モチーフは2回繰り返しています。なんと2回目は1音違っています。これは音をさらっていかないとなかなか気づかないことかもしれません。AがA#に変化しています。基本モチーフ1回目「F#-G#-A-B-C#-D#-E,D#,E」2回目「F#-G#-A#-B-C#-D#-E,D#,E」です。この一音のズレは絶妙です。生楽器で奏するからこその微妙なピッチのズレを生かした得も言われぬ揺らぎやハーモニーをつくることになります。指の位置で音程を探るヴァイオリンだからこそこの半音ズレたまりません。音程をつくる管楽器もそうですね。ピアノなどの打楽器だと鍵盤おすと誰でも同じ音程の音が出せるからまた違ってきます。気づかないほどに微細な変化、奏者や楽器ごとに生まれる音程のニュアンス、無意識な違和感をつくる仕掛けと奥ゆかしく広がるハーモニー。すごい!!

 

 

2.基本モチーフはアウフタクト。

休符からはじまります。小節の頭が1拍お休みなので、ン・F#-G#- ン・A-B- ン・C#-D#-E,D#,E ですね。それはなんとなく聴いててわかるよ。そうなんです。この第3楽章は8分の6拍子ですがリズムが裏なんです。1・2・3・4・5・6/1・2・3・4・5・6 この2小節分で基本モチーフ、休符から始まっているのでアクセントも小節の頭じゃなくて1・2・3・4・5・6/1・2・3・4・5・6 と裏拍になっています。これがシンコペーションになって躍動感を生みだしているように感じます。モチーフは転調を繰り返しながら変化していきます。8分の6拍子を基調としながら変拍子もはさみます。

3.リズムも裏拍で。

中間部の展開するパート(4分経過あたり)、低音「ド・シ♭・ド・や・す・み」と力強くどっしり刻んで進んでいきます。ふつうに聴いていると、歩くようにドン・ドン・ドン[1・2・3・4・5・6]と頭でリズムをとってしまいそうになりますが、ここも裏拍です。なので正解は(ン)ド・(ン)シ♭・(ン)ド [1・2・3・4・5・6]となります。このリズム感をつかんでくると快感すらおぼえてきます、きっと。このグルーヴ感を見失わなずにカデンツァ前までいけたらもうばっちりです。とびきりのウィンター・ガーデン広がっています。

 

とにかく聴くたびにどんどん喜び溢れてきます。発見も溢れてきます。近藤薫さんのカデンツァの完璧さに圧倒されたなんて言うまでもありません。すごすぎて体震えて目も見開いて次第に顔もほぐれて緩んでいったしかありません。雪のなかの炎のように熱かったです。

2000年代からの指揮活動も影響を与えていると感じられる色彩感に満ちたオーケストレーション。そしてストレートなミニマル手法がたっぷり堪能できる作品です。現代誇る新しいヴァイオリン協奏曲のレパートリー登場です。広く演奏してほしいずっと聴かれてほしい作品です。記憶に新しい「コントラバス協奏曲」の石川滋さん、「ホルン協奏曲」の福川伸陽さんもメンバーにいるなんて豪華すぎます。久石譲と一心一体FOCのパフォーマンスで音源化されることを心から楽しみにしています。

 

 

さて、ここからメインディッシュきます。もうお腹いっぱいですか、そしたらまた明日にでも。油っこくならない加減でご用意はしたつもりです。デザートも春めいたお味かもしれません。

 

 

ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調 作品90

ブラームスは○○だ!

FOCは室内オーケストラに近いですが本公演はなんと弦8型。コンサート・パンフレットからメンバー一覧/編成表をみると第1ヴァイオリン8人、第2ヴァイオリン8人、ヴィオラ6人、チェロ5人、コントラバス5人となっています(管楽器は2管など通常編成)。交響曲第1番・第2番はたぶん弦10-12型だったと思うので、FOC史上一番コンパクトな編成で臨んだ第3番です。これがすべての感想に結びついていく最大ポイントです。

FOCは立奏スタイルなので、体で重心かけて大きく響かせられる、高い位置から音が出るので遠くまで飛ばせる、リズム重視のソリッドなアプローチにも適している、視覚的にも動き大きく見せれて躍動感や臨場感たっぷり。そんなメリットがあるように思います。そして、ブラームスも想定して書いたと言われる対向配置。よく響くホールもあいまって、プログラム前半2作品もふくめてボリュームや体感に物足りなさを感じるなんて決してなかったと思います。

第1楽章からダイナミックな音圧で迫ってきます。そして同時に、ブラームスこんなに細かく振り分けてたんだとわかってうれしくなるほどパートごとによく聴こえてきます。第2楽章の管楽器と弦楽器のかけあいもそうですが、室内楽な構成というか響きを感じる作品だとわかります。第3楽章のブラームスきっての美しい旋律も、とろけるようなホルンはもちろん、オーボエやクラリネットなど木管楽器たちがメロディを受けつないでいくさまも美しい(ライブ映像のカット割りもそうでした)。第4楽章の駆け抜けるような速さ、みなぎる推進力、そして川の流れを思い浮かべるような終結部。

交響曲第3番において、楽章ごとのコントラストが素晴らしかった。とりわけアンサンブルしているのがよくわかるFOCパフォーマンスでした。もしひと言でいうなら親密さ、そう楽器間の親密さが極上に伝わってくる。古典回帰といわれたブラームス、でもやっぱりロマンな人なんだな、それがたまらなくわかる演奏を聴かせてもらった気分です。

ブラームス交響曲ツィクルスにおいて、作品ごとのカラーをしっかり打ち出しているように思います。「ベートーヴェンはロックだ!」のようなわかりやすいキャッチコピーはありません。最もその作品を表現できる編成とアプローチでそれぞれ臨んでいるように感じます。このダイナミックさを聴かせられると、交響曲アルバムによくカップリングされる「大学祝典序曲」や「悲劇的序曲」も聴きたくなってきます。このアンサンブル力を聴かせられると、バロックの面影のこる気品「セレナード第1番・第2番」も聴きたくなってきます。そのどれもがFOCの魅力をいかんなく発揮できるとともに、新風を巻き起こしてくれそうな作品たちです。

次回のFOC Vol.5(2022.7開催予定)は、いよいよフィナーレ交響曲第4番です。ほかにどんな作品がプログラムされるのか、気は早いですがその後の展望は、ブラームス交響曲全集は、とにかく目が離せません。ブラームスは○○だ、いつか久石さんにその魅力をたっぷり語ってほしいです。

 

(余談1)

ロータリートランペットとウィーンティンパニ。前回Vol.3で気になって、それから少し学んだこと、文量が過ぎるので次回にまわしたいと思います。交響曲第3番はそんなにティンパニ炸裂しないですしね。

(余談2)

僕の隣に座っていた人、ブラームスの曲にあわせてリズムとったり体が動いていました。ブラームス好きな人が聴きに来てるんだなあとうれしくなりました。そして大きな拍手を送っているのをみてブラームス好きも大満足だったんだなあとうれしくなりました。

 

 

アンコール

ブラームス:ハンガリー舞曲 第6番 ニ長調

緩急ある起伏に富んだ曲はFOCの個性豊かなパフォーマンスにもぴったりです。

どうしても好奇心から、なんで今回第6番を選んだんだろう(前回FOC Vol.3は第17番)と探求したくなってきます。全21曲あるハンガリー舞曲で有名なのは第5番、第6番、第1番とつづくようで、そのくらいポピュラーな曲とあります。知らなかった。もちろんそれだけではないような気もしてきます。調べていくととても興味深いことを発見しましたので、ここに背筋のばしてご報告いたしますっ。

この曲なんと1967年2月にNHKみんなのうたで放送されていた、歌になっていた曲だったんです。「ふるさとの空は」(作詞:峯陽/作曲:ハンガリー民謡)とありがちな作者クレジットになっていますが、この曲がハンガリー舞曲第6番であることもまた周知のことのようです。

歌詞に注目しました。2番の歌詞に「春を待つ 歌声聞こえて来る朝は 春が来たぞと 足を踏み鳴らして みんなで 歩き回るよ ~」とあります。久石さんとしてはこれも言いたかった、伝えたかった選曲なんじゃないかなと勝手にじんわり震えてきました。コンサート・パンフレットの挨拶むすびにこうあります「春はきっと訪れます」と。この想いを音楽に託したんじゃないかな、とそう勝手に受け取らせてください。明るく快活なこの曲、前向きに明るくなって心軽やかになってきます。いろいろなパフォーマンス動画をすぐに見つけることできる歌だと思います。春を待ちわびる気持ちで一気にこの曲第6番が好きになりました(単純です笑)。

 

 

会場では開演前の胸躍る期待や楽しみ感を表現できない昨今ですからね。「会話もなるべくお控えください」アナウンスな昨今ですからね。ちょっと緊張気味にはじまった本公演でしたが、会場もプログラムが進むごとに温まっていき、最後には熱い拍手のやまない空間となりました。そうして再登場して笑顔で応えてくれた決定的瞬間はぜひ下の公演風景(from公式SNS)から味わってください。

 

メンバーに感想を伝えたい。

クラシック・ファンには顔なじみの豪華メンバーが結集したFuture Orchestraです。FOC/MFとどちらにも登場していたり、久石譲とよく共演するオーケストラに在籍していたりと、久石譲ファンでも少しずつ顔を覚えていけそうな皆さんです。きっと、好きな奏者や好きな楽器の音色で気になっている人もいるんじゃないでしょうか。

終演後感想ツイートしていた方もいます。そこへ僕はコメント返してリアクションさせてもらいました。もちろん面識ない方が多いです。それなのにいきなり、普通なら失礼にあたるかもしれない、なんだこいつ誰、そうなんだけど、、それができるのもまたSNSです。せっかくチャンスあるなら伝えたい、感動やお礼をひと言でも伝えられるなら、勢いにまかせたっていいじゃないか!(笑)そういう温度感だけでも届けることできたならうれしいそう思っています。

メンバーは公演ごとに流動的だったり網羅はできませんので、ファンサイトのツイッターやりとりでもご参考いただけたら。[ツイートと返信]をのぞいてもらうと、どんな方がいらっしゃるかきっかけになるかもしれません。そして気になる演奏家をフォローしたら、在籍オーケストラや活動プロジェクトの情報をキャッチできるようになりますね。どんどん広がっていきます。これからはますます、届けることに意味がある、そう思ってアクティブにいきたいところです。感動や感謝を伝えられるってよくよく幸せなことだなあと。

 

久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋ツイッター
https://twitter.com/hibikihajimecom

 

 

みんなの”FOC Vol.4”コンサート・レポート、ぜひお楽しみください。

 

 

 

久石譲公式SNSには、それぞれに違う写真や動画が投稿されていたりします。ぜひくまなくチェックしてください。

 

リハーサル風景 / 公演風景

ほか

リハーサル風景動画もあります

from 久石譲本人公式インスタグラム
https://www.instagram.com/joehisaishi_composer/

 

 

ほか

from 久石譲オフィシャルTwitter
https://twitter.com/official_joeh

 

 

ほか

from 久石譲コンサート@WDO/FOC/MF公式Twitter
https://twitter.com/joehisaishi2019

 

 

ほか

from 久石譲オフィシャルFacebook
https://www.facebook.com/JoeHisaishi.official

 

 

 

みんなの”FOC Vol.4”コンサート・レポート、ぜひお楽しみください。

 

 

FOCシリーズ

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

Blog. 「Hundred ハンドレッド 1987年11月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/01/26

音楽雑誌「Hundred ハンドレッド 1987年11月号」に掲載された久石譲インタビューです。その次号から「連載 久石譲の今月の気になるアイツ」(全何回/不明)もスタートしていきます。

 

 

INTERVIEW

「映画音楽で一番気を使うのは、監督のテンポ感。それが僕にとっては生命です」
久石譲

あるときはキーボード・プレーヤー、またあるときは作曲家、編曲家。映画音楽、CM音楽、アーティストのアレンジと八面六臂の仕掛人。やがて、映画『となりのトトロ』で新しい世界を聴かせてくれる人。

 

ー久石さんのお仕事は大変多岐にわたっているわけですが、まず、映像に関係したお仕事についてお聞きしたいと思います。久石さんとラピュタの宮崎駿監督とは今や珠玉のコンビといわれていますが、宮崎さんと仕事をする醍醐味のようなものをお聞かせください。

久石:
実はアニメーションは宮崎さんの作品以外はあまりやっていないんです。というのは、やっぱり宮崎作品は単にアニメーションということでなく、映像として非常に優れていると思うわけなんです。実写ものでもなかなかあそこまでは表現しきれないんじゃないですか。ラピュタはいま香港で大ヒットしてるんですよ。空前のヒットらしいです。あの時の『君をのせて』という歌を中国語と英語で吹き込みたいというオファーが来てるんです。香港といえば「アチョー!」の映画ですけど、それを超えるヒットだそうで、ラピュタなんかはもう国際的な広がりの中で十分やっていける作品だと思うんです。単にアニメだとか映画だとかそういう区別を抜きにして、大変なもんですよね。

宮崎さんとのやり方というのはけっこう特殊で、映像にかかる前に必ずイメージアルバムっていうのをつくるんですよ。音楽の打ち合わせっていうのは、どうしても抽象的になっちゃうでしょ。ここでキレイなメロディーをとかいっても、こちらの考えてるキレイと監督さんの考えるキレイとは違ったりするでしょ。それを極力避けるということで、イメージアルバムがあれば、あのテーマをこの部分のテーマにしたらどう、とか、このシーンにはあのメロディーのアレンジでどうですか、とか、非常に具体的なやり方でつっ込んで話すんですよ。だから、ナウシカにしてもラピュタにしても、とってもレベル高くできたんじゃないかと思うんです。

 

ー映像に関係したお仕事で最も気を使うのはどういうところでしょうか。

久石:
監督のテンポ感です。カット割りとか、画面の演出のテンポ、編集のテンポですね。それが僕にとっては生命です。僕の場合、台本を読んだ段階で60~70%はできていて、あとラッシュを見に行くのは、監督のテンポをつかむため。

『ドン松五郎の大冒険』っていう正月映画なんですけど、その監督が後藤秀司さん。すごくコミュニケーションうまくとてまして、台本を読んでからラッシュ見に行って、ああ後藤監督のテンポってこんな感じだなあ、で、自分なりに曲を書き出す。そうしたら、ほとんどのシーンがピタリピタリと合っていっちゃうんですよ。おもしろいもんですよ。例えばここからどっかに歩いていくだけのシーンだって、監督によって演出が全然変わるでしょ。だけど、その監督の全体を見ていくと、だいたいここではこういうカット割りになるとかって読めてくるんですよ。

それは『漂流教室』の大林監督の時もそうだし『この愛の物語』の舛田監督の時もそうだし『Wの悲劇』『早春物語』の澤井監督の時もそうですね。みんなそれぞれのテンポ感が違うし、それをつかまえるのがコツというか、一番大変なところですね。

 

ー今度の『となりのトトロ』という映画は、どういうイメージなんでしょうか。

久石:
全体に日本の古きよき時代というか、空気が汚れてなくて、山があって川があって、子供たちは目いっぱい遊んでいる、というイメージでしょうね。ただ、時代考証的に何年頃とかいうんじゃなくて、もう宮崎ワールドですから、時代とかいうものには僕はあんまりこだわらないようにしてるんです。トトロの歌のアルバムはすごくいいと思いますよ。ものすごく時間もかけましたしね。本当に素直に大きな声で歌える歌をつくってくれっていう宮崎さんの注文ですから、だからすごく大変でしたよね。まず、そういう歌手がいないんですよ、基本的には。そういう人を捜すことから始めましたからね。でも、これは楽しみにしてください。

 

ー今度はもうひとつ別の仕事、アーティストのためのアレンジャーとしての意見をお聞かせください。

久石:
日本には優秀なアレンジャーって大勢いるんですよ。だから、わざわざそこで僕も頑張ることないなとか思ったりするんだけど、ただ、例えばちょっとマニアックな、ジェネシスっぽい音だとか、ああいったアプローチでアレンジできたらベストだなあ、と思いますね。あるいはホール&オーツのようなすごくスッキリしたアレンジだとか、あんまりゴチャゴチャしないでね、キッチリした仕事だったらやってもいいなと思ってますね。最近はだんだんそういう風にやれるようになってきたんで、それなりの成果が出せてるな、という気がちょっとしてます。ただ、自分でメロディー書いた時の方がいいものができますね。アレンジだけだと、そこで主張しちゃって、やりすぎるから、あまりよくない(笑)。

 

ー15秒の世界は、どうでしょう。

久石:
CMは瞬間瞬間を切りとっていく作業だから、メロディーで勝負ってことではないですよね。論理的に解釈するには時間が短かすぎるんです。映画ってある程度論理的に解釈できるんですね、このテーマはこう使ってとかね。CMは15秒、30秒ですからね。その短い時間に時代の先端の音を切りとって入れていかなければならない。そうすると、非常にサウンド主体にしていかなければいけなくなりますよね。切り売りですよね。

全体が15秒として、音楽を聞かせられるのは頭の7秒ですからね。7秒っていうと1小節か2小節しかないですからね。頭7秒で、エッ何これってふり返らせられるかどうかが勝負だと思ってるんですよ。おもしろいけど、大変ですね。

 

ーフェアライトという楽器について、お聞かせください。

久石:
とにかく民族音楽が死ぬほど好きなんですよ。フェアライトというのは、オーストラリア製のサンプリング・マシンなんですが、前だと民族楽器なんていうのはどこかまで行ってその楽器を手に入れてこないとその音は出せなかったわけですけど、これだとデジタルで記憶させて鍵盤でその音を弾けるわけです。機械合成音っていうのはあんまり好きじゃなくて、サンプリング・マシンというのを駆使していくことによって、新しいアコースティックな世界がつくれんじゃないかと思ってるわけです。音もすべて管理できているし、ニュアンスも出しやすいんですよね。意外と完全主義者でね、曖昧なものが入ってくるのは好きじゃなくて、そういう意味では今のスタイルが自分には一番あってると思ってます。

 

ーこれからの予定を聞かせてください。

久石:
去年から懸案のピアノのソロがありまして、去年の11月にロンドンで4曲録って来てそのままなんですよ。日本で残りを録ろうとしたら、音質が違いすぎてダメなんですよ。環境も違うし楽器の鳴りが違うし、しかたがないんで、11月か12月にまたあっちへ行って残りをやるつもりです。これは、僕がやってきた映画の音楽をできるだけシンプルに一人で弾くというやつなんですよ。もちろんナウシカも入ってるしラピュタも入ってるし『Wの悲劇』『早春物語』それから『漂流教室』まで全部入れて、久石譲メロディー集みたいなね、ものになると思うんですよ。どうしてもアレンジの仕事もしてますと、いろんな音を使って壮大なサウンドをつくるみたいなのが多いでしょ。それで、できるだけ原点に戻りたくて、ピアノ1本で、しかもメロディーをケバケバしく弾きまくらないで、サティのようにシンプルにしてアルバムをつくりたいということなんですね。そのためには、音質がね、飛びぬけて深い音のするところに行かないと。ロンドンのエアー・スタジオっていうところの1スタのピアノが世界で最高だと思うんですよ。どうしてもあそこで録りたいですね。

あと、藤原真理さんとう国際的なチェリストがいますが、この人と実は春先からLPつくってんです。これもすごいゼータクでね、ちょっと録っては2~3ヵ月おいてまた録って、で、ちょっと気に入らないから全部捨ててまた録り直ししてるというね、信じられないことしてんですけど、これはすごいですよ。ナウシカ組曲というチェロとピアノのためだけの作品をつくってる最中なんです。

やり始めるとね、すべて大変になっちゃいますね。

(「Hundred ハンドレッド 1987年11月号」より)

 

 

Blog. 「Jazz Life 別冊 ピアノプレイブック No.10」(1990)久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/01/25

音楽雑誌「Jazz Life別冊 ピアノプレイブック No.10」(年4回発行/1990年10月31発行)に掲載された久石譲インタビューです。映画『タスマニア物語』のタイミングですが、これまでの経歴を掘り下げていくような内容になっています。

 

 

JOE HISAISHI INTERVIEW

『タスマニア物語』では、正統派の映画音楽をやりたかったんです。
久石譲

『タスマニア物語』を始め『風の谷のナウシカ』『魔女の宅急便』などの映画や、NHKテレビ『人体』の音楽を作曲した久石譲さん。いつも、とっても美しい音世界を感じさせてくれますが、実は学生時代から現代音楽を研究し、ミニマル・ミュージックをポップスの世界に導入した先駆者でもあるのです。そこで、久石さんの創作活動の一端を覗かせていただきました。その音楽のように、親しみやすくてピリッと辛口のスパイスが利いたインタヴューです。

 

特にアニメだからという意識はないんです

ー『風の谷のナウシカ』を始め、アニメの音楽をお書きになってらっしゃいますが、映像と結んだ音楽を始められたキッカケというのは?

久石:
やはり、小さい時から映画が好きだったということはありますね。非常に映画に親しい環境だった……たくさん見たということで。

ー印象に残っている映画というのは?

久石:
もう、すごい量を見ていますので特にこれと限定できないですよ。多すぎて…。高校とか大学の時に一番見ていましたので、その頃のというと、(フェデリコ)フェリーニとか(ミケランジェロ)アントニオーニとか、あの一連のヤツですね。『サテリコン』『王女メディア』、あのへんのは印象に残っていますね。

ー特にアニメについては?

久石:
う~ん、実はね、特にアニメというものを意識したことはないんですよ。僕にとっては、映像の延長というか…。

ー久石さんの創作活動の一部という位置づけで?

久石:
まったくそうです。たとえば、宮崎駿さん(『風の谷のナウシカ』などの監督)は、特にアニメの人とは思っていないんです。日本の有数な映画監督のひとりと捉えているんです。彼にとっての手段がアニメかもしれませんけど、僕にとっては実写のものと同じようにしかやっていない。当然アニメの方が現実の動きと違うから、その分だけ音楽が少し多めにしゃべる、ということはあっても、アニメだから…ということは思っていないですね。

 

学生時代は過激なことばかりやって

ー大学は国立音楽大学の作曲科ですよね?

久石:
ええ。

ーやはり小さい頃から音楽を?

久石:
4歳からヴァイオリンをやっていました。よく言われるんですけど、一番幸せなのは一回も他の職業を考えたことがない、ということ。

ーそんなに早く、音楽の道に進もうと思ったんですか?

久石:
4歳の時に音楽家になるって決めて、そのまんま来ていますから…。全然悩んだことがない(笑)。

ー学生時代はどんな音楽を聴いていましたか?

久石:
高校時代くらいからは現代音楽。ジョン・ケージとかシュトック・ハウゼンなど、そういうのばかり聴いていました。そのまま、超アヴァンギャルドの方に走って行ってしまいましたから…。ナウシカとはずいぶん違いますけどね(笑)。

ーアヴァンギャルドというと?

久石:
僕が学生時代やっていたのは、舞台に出て椅子をバーンと放り投げて帰って来るとか、ピアノの中にシンバルとか入れて、弾いてもまともな音にならないとか、過激なことばかりやっていました。

ー久石さんの作品には、ミニマル・ミュージックの手法などを取り入れられたものも多いですが、ミニマルはいつ頃から?

久石:
大学2年くらいかな? ある時に、テリー・ライリーの「ア・レインボウ・イン・カーヴド・エアー」というのに出会って、3日くらい寝込むくらいにショックだったんです。それまで、僕らはオーケストラのスコアをね、60段80段1個1個書いて緻密に作ってた時に、あの単純な「ア・レインボー~」を聴いて…。一瞬ロックかな?って思ったんだけど、後で最先端のアメリカの現代音楽だということがわかった瞬間に、雷に打たれたようなショックを受けたんです。

 

自分はジャンルに拘ることはない

ー今まで緻密なスコアを書いていたのが、ミニマルに変わるというと、かなりのご苦労が?

久石:
大変でした。4年くらいかかりましたね。ミニマルをやるためには、譜面を緻密に書いて”これが僕の作曲です”というんじゃ意味がないんですよ。環境から全部作って行かなければならない。それで、バンドを組んだりとか、みんなで練習して…。同じパターン延々とやるわけですから、1曲40分くらいかかる。ひとつのコンサート3曲で終わったり(笑)。そういう活動をしばらく続けていたら、僕は現代音楽の方から登って行ったんだけど、ロックの方から登って来て同じフィールドでやっている人もいっぱいいる、ということに気がついたんです。そのひとりが、マイク・オールドフィールド、あの「エクソシスト」の。それから、クラフトワークだとか、タンジェリン・ドリームだとかね。彼等もミニマル・ミュージックとテクノ…、エレクトロニクスをドッキングさせた音楽ですよね。その中でも一番ショックだったのがブライアン・イーノだったんです。

ー現代音楽とロックの両方からアプローチがあって…。

久石:
そう、それでその境がなくなっちゃったんです。僕は、その時ムクワジュというパーカッション・グループを作ったんです。高田みどりとか、日本の若手の打楽器奏者の主だった人を集めてね。そのバンドでコロムビアから『MKWAJU』というレコードを出したんです。アフリカの素材をそのまま使ってパターンを作ったものなんですけど、日本初のミニマル・ミュージックのアルバムなんですよ。ところが、それがフュージョンのジャンルで売れちゃったんです(笑)。

ーフュージョンのジャンルで!?

久石:
そう(笑)。その段階で僕が思ったことは、これ以上クラシック(の世界)っでやっていても意味がない、ということ。何故なら、リズムが違う。硬いんですね。そうした時にブライアン・イーノなどを聴いて、自分はジャンルに拘ることはないと思いました。それで、クラシックの活動をいっさいやめて、ポップスというフィールドに出て行ったんです。それまでもテレビ(の音楽)とかもやっていましたけど、基本的には現代音楽の作曲家がメインでしたから。

ーポップスの世界に出て来ていかがでしたか?

久石:
むしろ、ポップスというフィールドの方がアヴァンギャルドがいっぱいできましたね。最初に『インフォメーション』というアルバムを作ったんです。これは糸井重里さんの「おいしい生活」とドッキングして、”おいしい生活にはおいしい音楽を”というキャッチフレーズで、知的ポップスという形で出したんです。それをやった後が「ナウシカ」などの作品ですね。

 

僕のベースにはアヴァンギャルドが

ーミニマル・ミュージックは、ある意味ではリズムのおもしろさみたいなものもあると思うのですが?

久石:
そうですね。リズムにはすごく興味がありますね。ある時期はリズムしかなかった、みたいな…。僕はアフリカの音楽がすごく好きで研究して、結局ミニマルの人ってアフリカの音楽を研究しているんですよ。イーノも行ったし、スティーヴ・ライヒもそうですね。アフリカといってもガーナ。ガーナの音楽が一番複雑なんですよ。リズム構造が。

ーポリ・リズムみたいな?

久石:
ものすごいですよ。2/4と3/8、16/8とかいうリズムが同時進行…。

ーどっか一カ所で合って、あとはズレていくような?

久石:
そうそう。そういう音楽にのめりこんでいまして、その時は『アルファベット・シティ』というアルバムを出しました。これはすごかった。大アヴァンギャルド。メロディなしのリズムの洪水なんです。ニューヨークでトラックダウンしたんですけど、A&Mとセルロイド・レーベルの2社から契約したいと言ってきましたね。

ー久石さんのベースには、アヴァンギャルドの世界があるんですね?

久石:
ええ。おもしろい話がありまして、そのアルバム作っている時に、某レコード会社のアイドルをプロデュースすることになって、『アルファベット・シティ』を聴かせたんです。そうしたら、その仕事がなくなっちゃった(笑)。うちの〇〇が壊されるって(笑)。そのくらいアヴァンギャルドだったんです。

ーこれは、オフレコにしておきましょうね(笑)。

久石:
ハッハッハッ(笑)。もう時効ですよ(笑)。

 

もう1回やろうと思ってもできないですね

ーリズムという面では、たとえばナウシカの音楽にしてもかなり凝っているという印象を受けるのですが、映像とのドッキングという自由度の少ない分野でお作りになる難しさはありますか?

久石:
作曲家というのは、基本的に自分のアイデンティティというか、自分の個性とかスタイルをどう築いていくか、というのが使命なんです。しかし、それを無理やり作って行くというのは不自然ですよね。僕の場合は、学生時代からミニマル・ミュージックというものにどっぷり浸かっていたわけです。それを否定しようとするとウソになってしまうんです。だから、ポップスのフィールドでも、それが自分のベーシックにあって構わないと思うんです。

ーミニマルとかが?

久石:
そう。ただ、ポップスのフィールドで一番必要なのはメロディなんです。ミニマルやってた頃は、逆にメロディは必要なかったんですよ。ポップスの場合、そのメロディがキチッとしていれば、バックでどんなアヴァンギャルドやっても平気だし、という捉え方もあるわけです。それが、今の僕のスタイルなんですよ。映画音楽らしいものを作ろうとするより、自分なりの映画音楽を確立しようと思ってやればいいんです。

ーそういう意味でも、ナウシカの音楽というのは、印象的な美しいメロディと凝ったリズムの対比が素晴らしく、今までにない映画音楽という感じがしますが…。

久石:
そう感じていただければうれしいですね。作っている最中は、自由な音楽表現をしたつもりなんですけど、後で聴いてみると映画音楽としてオリジナリティがあるんじゃないかな? という気がしています。ある意味では、僕の中でメロディというものの存在が大きくなったのはナウシカからですね。

ーナウシカは、今まで持っていたリズムの鋭さとメロディが融合した作品?

久石:
そうかもしれませんねえ。ただ、具体的に言うとナウシカの段階では、映画音楽としてのバランスは決してよくないんですよ。つまり、打ち込みものでやった明確な部分と、ミニマルとオーケストラの部分が渾然一体していなくて、はっきり別れながら存在しているように自分では感じるんです。だから、まとまりという面では『ラピュタ』の方が好きなんです。

ーしかし、そういう部分を超えたエネルギーみたいなものを私は感じるのですが?

久石:
そういうエネルギーはあるかもしれませんね。もう1回やろうと思ってもできないですね。狙ってやれるものではないですから…。やはり、あの時期、あの時でしかできなかったことでしょうね。

 

今、ピアノに魅力を感じているんです

ーやはり、監督とのコミュニケーションも大切ですよね。

久石:
打ち合わせ徹夜が2日とか3日続いたり…。凄まじかったですよ。

ー場面場面の細かい部分まで?

久石:
やりますよ。こちらも折れないし。あそこまで緻密に(打ち合わせを)やる映画音楽はないかもしれないですね。

ー何秒と何コマ目まで音が入るとか?

久石:
ナウシカの時はそこまでやっていないですけど、ラピュタ以降はやってますね。今度の『タスマニア物語』などは、もっともっと凄まじいですよ。1秒の何十分の位置まで合わせてますので、時間がかかりました。実質半年はかかってますね。

ー『タスマニア物語』を作る時に考えたことは?

久石:
プロデューサーからの注文は、日本中が口ずさめるもの。僕が考えたのは、基本的にはやさしさと広がりですね。すごく贅沢な作り方をした音楽ですよ。シンセサイザーですむ部分をわざわざその上にオーケストラをかぶせたり。ちょっと聴いただけではわからないですけど、かなり凝っていますね。そういう意味で贅沢な作り方といえますよ。

ーそれでは最後に、今後の活動などを。

久石:
今、ピアノにすごく魅力を感じているんです。学生時代はあまり好きでなかったんですけど(笑)。最近ではハノンをまたさらったり(笑)。

ーホントに!?

久石:
45分以上はやりますね。珍しいでしょ?(笑)好きなんですよ。

ーまた、ピアノ・アルバムを出されるとか?

久石:
実は、その予定があるんです。まだプリプロダクションの段階なんですけど、これからイギリスで録音します。

ー発売は?

久石:
来年早々くらいじゃないかな? まだ、どの雑誌にも言っていない(笑)。

ー貴重な情報ありがとうございます(笑)。また、その時にお話を伺いたいと思っています。

(「Jazz Life別冊 ピアノプレイブック No.10」より)

 

 

Blog. 「CM NOW 1988年 冬号 VOL.19」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/01/24

CM情報誌「CM NOW 1988年 冬号」に掲載された久石譲インタビューです。放映中のCMや出演俳優・アイドルにスポットを当てた雑誌らしい、当時CM音楽を数多く手がけ『α-BET-CITY』や『CURVED MUSIC』にその楽曲たちが収録された久石譲です。CM音楽にフォーカスした貴重な内容になっています。

ただし、話題に上がっている多くのCM楽曲は音源化されていないものもあります。

 

 

最初に画面を見た時のインパクトで音楽全体の70%が決まる
久石譲

リズムにこだわった、音楽作りをしています。

久石さんの手掛けたCM音楽は多く、カネボウ「ザナックス」シリーズ、ゴクミの「スコッチEG」シリーズ、日本生命「ジャスト&ビッグユー(菊池桃子)」、エスノラップの大韓航空、桂三枝がシリアスに決める「ミツカン味ぽん」など、いずれも話題になったものばかり。他にも「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「Wの悲劇」「漂流教室」「この愛の物語」他の話題の映画音楽や、菊池桃子・井上陽水らの曲のアレンジ等活動範囲は広い。

ー久石さんの音楽、特にCM音楽は、リズムに、特徴がありますね。

久石
「僕はずっと「ミニマル・ミュージック」をやっていた関係で、作曲法も自然にリズムにこだわるようになっていて、普通によくあるリズムでなく、特にCM音楽では「かつて誰も考えつかなかった」新しいリズムパターンを作ってやろうと思い、流行のリズムなどは、できるだけ意識して、使わないようにしてます。

ーCM音楽はどうやって作りますか?

久石
「できあがってきたフィルムを見て、そこに音楽をつけていくやり方が多いです。僕の場合は、画面を見た時のインパクトで、音も70%ぐらい決まります。最初見た時にこのCMは何を伝えようとしているのかということを読みとり、どういう音楽をつければ、それが見ているほうにうまく伝わるかを大事に考えます。

スタジオへ入ると大体5~6時間ぐらいで完成しますね。長くて30秒か60秒の短い時間の音楽を、長い時間試行錯誤して作っても良いものができるとは思わない。特に僕の場合、見る人を画面に引きつけるための、インパクトを大事にしています。インパクトという一瞬の力は、一瞬の集中力で作るべきだと、僕は思いますね。」

ーシンセサイザーをよく使われていますね。

久石
「そうですね。僕は今、フェアライトII、IIIという2台のサンプリング楽器を使ってますが、しょせん音素材にすぎないと思っています。自分の頭の中にある音をうまく伝えることができるので、シンセをよく使っているだけで、例えば自分のイメージにオーケストラが合うと思うと、そちらを使います。とにかく自分が頭の中に描いた音のイメージが最も重要な事だと思います。」

ーアイドルCMも、かなり手掛けてますね。

久石
「そうですね。後藤久美子さんは、最初見た時、すでに彼女が独特の世界を持っていることに驚きましたね。スコッチEGは、白い服と黒い服を着た2種類のCMがあって、普通音楽をつける時トーンと色の関係で、白い服には高いトーンのヴァイオリン、黒い服には低いトーンのチェロを組み合わせるんですが、彼女の持つ異質な雰囲気に合わせて、楽器を逆にしてみたら、成功しました。その時、普通のアイドルとは違うなあと感じました。

菊池桃子さんの場合は、また違ったキャラクターの持ち主で、遠くを見る眼差が印象的でした。その視点もニューヨークなどの大都会じゃなく、遠くのエスニックな世界を見ているようなイメージを受けました。それで、あのエスニックな感覚の音楽を作りました。」

 

過激に時代を超越するような音楽を作りたい。

ー一番印象深いCM音楽はなんでしょう。

久石
「カネボウの「ザナックス」のCMですね。これは、今までに3本シリーズで作っていて、全部メロディーは同じなんですけどアレンジを商品に応じて少しずつ変えています。最初にゆっくりとした部分があって、途中から、ティンパニが鋭角的なリズムを刻んでゆくという展開になっています。

このCM音楽の発想は、郷ひろみさんのかっこよさが、まずインパクトとしてあって、あとザナックスのロゴは、角張った文字で構成されてるんだけれど「その角張ったイメージを音で表現できないか」というディレクターの注文の2つの要素でできています。」

ーこれからの活動の予定は

久石
「実は夏頃からCMの仕事は減っています。映画等の大作モノを何本か並行して受けてしまって、時間がなかったのと、もう一つは、今のCMがあまりおもしろい状況ではなかったということです。

休みたいという理由は、現在のCM音楽の傾向は保守化してて商品も高級化志向が強く、車でも「ビッグオーナーカー」と呼ばれるものが出てきた。そういう商品に、過激な時代を超越するような音楽は必要なくてクラシックやきれいな音の方が好まれるんです。僕はそういう音楽は作りたくないので休んでいましたが、また少しずつ時代の流れも変わってきたという感じなので、11月から再び積極的にCMの仕事もやりだしています。

あと、チェリストの藤原真理さんと、「風の谷のナウシカ」の映画音楽をチェロとピアノ用に編曲した「ナウシカ組曲」やパブロ・カルザス作曲「鳥の歌」のピアノパートを作曲し直した作品を収めたレコードをリリースする予定です。クラシックのスタンダードを作ろうとする試みの第一弾です。」

(「CM NOW ’88 WINTER」より)

 

 

Blog. 「月刊 ログイン LOGiN 1985年5月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2022/01/23

雑誌「月刊 ログイン LOGiN 1985年5月号」に掲載された久石譲インタビューです。フェアライトCMIの話から『α-BET-CITY 』まで、当時の仕事環境がよくわかる内容になっています。

 

 

ミニマルからアニメ・映画音楽へ
180度方向転換

久石譲

日本には今、フェアライトCMIが15台あるらしい。その数少ないユーザーである作・編曲家、久石譲さん。そして可愛い声優、高橋美紀ちゃん。今月はこの2人にインタビューしました。

 

現代音楽+映画音楽=フェアライトCMI !?

久石譲という名前を知ったのは、アニメ映画『風の谷のナウシカ』のイメージアルバムだった。アニメビデオ『バース』にもその名前がクレジットされていた。その後、何かの雑誌を読んで、彼がフェアライトCMIの所有者であることを知った。

正直言って、そのときまで久石なる作曲家に大した興味があったわけじゃない。”きちんとしたアレンジをする人だな”、”またフェアライトの所有者がひとり増えたのか”、その程度にしか考えていなかったのだ。

ところが、4月号で紹介したイメージアルバム『吉祥天女』を聴いて、彼に対するイメージがすっかり変わってしまった。実にハードなサウンドなのだ。この手のLPにしては珍しいくらい、いたるところで”新しい音”が聴ける。たんに職業的アレンジャーなら、こんなことまでするはずがない。なにしろ、ふだんはイギシルのニュー・ウェイブにしか興味を示さない白川巴里子嬢まで「一度、会ってみたい」と騒ぎ出す始末。

とまあ、こんな経過を経て、久石さんと会うことになった。で、会う前に経歴ぐらい知っておかなくちゃ失礼だと思い、彼の事務所で用意してくれたプロフィールを読んで……ビックリ。5歳の頃からバイオリンを学び、国立音楽大学作曲科卒。大学在学中から現代音楽、それにミニマル・ミュージックの作曲・演奏活動を始め、1981年までその道一筋。

ところが1982年に大変身、アニメや映画音楽、歌謡曲を作曲するわ、フェアライトCMIを買うわ、挙げ句の果てに24チャンネル・マルチトラック・レコーダーまで買ってしまったらしい。

とても興味深いのだけれど、なんだか会うのがとてもコワイ……一番苦手なタイプの人間かもしれない。ミニマル対アニメ・映画音楽、歌謡曲、どう考えたって水と油。さらに『吉祥天女』のニュー・ウェイブっぽいサウンド…イメージがひとつに結びつかない。

「今、2枚目のソロアルバムを制作しています。昨日の夕方、録音し始めて、ついさっき終わったところなんですよ」

徹夜明けだというのに、嫌な顔もせずニコヤカに応対してくれた久石さん。まずは、ホッとひと安心だ。

 

超アバンギャルドはポップになる!?

5月に、徳間ジャパンから発売される2枚目のおソロアルバムのタイトルは”だまし絵”。そのなかの1曲を聴かせてもらった。

ムムム……、衝撃的!『吉祥天女』とも全く違う。今まで聴いた久石サウンドのなかでは一番過激だ。さまざまな音がひとかたまりになって、激しく突っ込んでくる──そんな感じなのだ。

「ほとんどノイズだらけで、まともな音はひとつも使ってないんですよ。アバンギャルドも行きすぎると、逆にポップになり得るんじゃないかと思っているんです」

だから中途半端に妥協するつもりはない。あくまでも過激に、しかもポップに、なのだ。一定のリズムを刻むのがドラム、という概念さえなくしてしまった曲もあるらしい。とにかく、最終的にどんなアルバムになるのか、今のところ久石さん自身も深く考えていないようだ。

「僕はもともとクラシックというか、現代音楽から来てるでしょ。するとどうしても、LPのコンセプトとか理論的なことを考えてしまう。それに対して自分がどこまでやれるか、ヘタをするとプログラムされた旅に出るみたいで面白くない。今回はアルバムの構成をいっさい考えずに、とにかく面白ければいいということで、まず14~15曲作り、最終的に10曲くらいにしぼろうと思ってます」

こうした録音の進め方自体、久石さんにとっては新しい試みなのだ。それにしても、現代音楽からいわゆるポップ・ミュージックに移ったのは何故だろう。

「現代音楽をやっていた頃、途中からミニマル・ミュージックをやるようになっていた。パターン音楽だから、ひとりで30~40分間、平気で弾いてるわけですよ。ところが当時のシンセサイザーは単音で、音色のプログラミングもできない。必然的にセットした音のままいじらない。シーケンサーも同じ。最初に組んだフレーズを最後まで使うしかない。タンジェリン・ドリームなんかと同じです。つまり、当時の最先端のロックとミニマルはものすごく近かったわけです」

で、どんどんロックの方へ近づき、リズム中心のサウンドでおしていたら、いつの間にかニュー・ウェイブの位置にいた、というわけらしい。リズム中心では、必然的に現代音楽の世界にはいられない。完全に現代音楽をやめてしまったのだ。とはいうものの、とてもクラシカルな面も久石さんは合わせ持っていて、その要素までを捨ててしまったわけではない。それが強く出たのが、『風の谷のナウシカ』のイメージアルバムだ。同時に、作家としていいメロディを書きたいという気持ちも常に持っている。

断片的に見たときにはそれぞれの仕事がバラバラに思えたが、こうして話を聞いてみると、ちゃんんとひとつにまとまった。「ストリングスのアレンジが好きだ」と言うのも、今はよくわかる。

頼まれたから引き受けるというのでは、決してない。”遊べない仕事”は、基本的に断るそうだ。遊べそうだと引き受けた仕事は、今年もかなりある。去年このスタジオで作ったレコードは、イメージアルバムや井上陽水のLPまで含めると14~15枚。今年はそれ以上の枚数になりそうだ。そのほかに、テレビドラマの音楽、CMなどもある。昼間は(株)ワンダーシティー社長としての事務処理もしなければならない。

「今、けっこう規則正しい生活をしてるんですよ。お昼ごろここにきて、5時まで事務、5時から夜中までがミュージシャンです(笑)」

今、自分から頼んででもやってみたい仕事があるという。大友克洋の『アキラ』のレコード化だ。久石さんをこれ以上忙しくさせるのはよくないかもしれないが、できることなら是非、実現してもらいたいと思う。

(「月刊 ログイン LOGiN 1985年5月号」より)