Posted on 2023/04/20
ふらいすとーんです。
たくさんの映画音楽を手がけてきた久石譲です。テレビドラマも含めてもう数が多すぎて数えることすら、、これまでに映画約90本、TV約40本、ゲームなどもあわせてサウンドトラック関連約190枚でした(ふらいすとーん調べ)。こうなると「久石譲のサントラよく聴いてる」なんてつぶやかれても、まったくどれのことだか予想できないほどです。
よし、今日は久石譲のサントラから聴こうかな。そう思ったときどう選んでいますか?好きな作品、好きな楽曲、オーケストラもの、ピアノが聴けるもの、シンセサイザーでいきたい、この年代が好み、いろいろあると思います。ここに加えて、映画とTVのサントラに境界線を入れてみます。
今回は映画音楽とTV音楽、サウンドトラックの楽しみかたです。無意識に選んでいたことのヒントがあるかもしれません。ざっとテーブルに並べてみましょう。トランプを並べたって54枚、UNOでも108枚、全然足りません。主要なものから選んで分けてみます。
映画
TV
映画サウンドトラックの楽しみかた
- 約2時間の映画を音楽で体感できる
- 曲順も曲尺も映画にならう
- あのワンシーンがよみがえる
- シリーズ作品は音楽も発展する
- 音楽監督の真髄をみる
TVサウンドトラックの楽しみかた
- 全何話で使われた音楽を一曲ごとに
- 切り貼りで使われたものもきれいに
- 曲順はアルバムのバランスから
- 曲尺は長めで起承転結に一曲仕上げ
- 曲ごとに使用頻度が変わる
- シリーズ作品は音楽も発展する
- イメージアルバムに通じる
- ドキュメンタリー音楽は〇〇がない
ぱっと思いつくところを書いてみました。ここからは作品ごとにいくつかピックアップして、少し具体的なことをレビューしていこうと思います。
CASE.『花戦さ』(2017)
映画本編127分、サウンドトラック44分です。収録曲のうち複数シーンに同曲一部が使用されていたりもします。映像の半分くらいに音楽がついた作品と言えそうです。曲数23曲と多いのに計44分です。1分,2分の曲が多い、音楽ファンとしてはもっと長く続きを聴きたいところですが、それだけにムダのない音楽のつけ方になっているとも言えます。
久石譲が映画全体から音楽構成していることは周知です。この作品でいうと、メインテーマ「花戦さ」実は映画ストーリーを振り返る絵巻物のようにいくつかの主要楽曲から再構成されています。Discレビューに詳しく記しています。メインテーマのモチーフとしては1,2分なんだけれど、エンドロール用に約5分の曲尺が必要だったことも一因でしょう。この手法はハリウッド映画にも定番で、定番どころかあちらのエンドロールはすこぶる長い、10分くらいあったりします。映画を追体験するようにエンドロールに楽曲をつなげて流しています。あっ、久石譲のこの作品のように再構成(アレンジが異なる)ではないです。本編で大切な主要楽曲たちがここで流れるんですが、なのにそこにサントラ未収録曲がある…なんてよくある話です。ハリウッド映画はサントラ完全収録しようと思ったら2枚組しないとキャパ足りない。
CASE.シリーズもの/全何話もの
映画『家族はつらいよ』シリーズ、GAME・映画『二ノ国』シリーズなど、シリーズを重ねるごとにメインテーマがバージョンアップしたり、新しいサブテーマが誕生したり、従来とは異なる物語や舞台から楽曲たちが生まれたり。作品を線で聴いていくとおもしろいです。
もうひとつ放送回数(全何話/時間)に注目してみます。テレビドラマ『この世界の片隅に』は1クール全9話です。一方、韓国ドラマ『太王四神記』は全24話です。日本のテレビドラマでいうと2クール分(1クール全10-12話)に相当します。時代ものといったこともあって大河ドラマのように幼少期から大人期までめまぐるしく展開していきます。この作品に2枚のサウンドトラックは必然と言えそうですね。NHK連続テレビ小説『ぴあの』は全156話です。1話15分で半年間計2,340分…なんのことかさっぱり…簡単にすると毎週90分ドラマを半年間やってるくらいの時間計算になります。なんと!それなのにサントラは2枚しかない。久石譲はこの作品のために5枚出せるくらい曲書いたというエピソードもありますが、残念ですね、直近の朝ドラだと平均Vol.3くらいまでリリースされるようになっていますね。物語として大きく展開しない(例えば幼少編・青春編、例えば故郷編・東京編とか)のもあったのか、どうなんでしょう。サントラ2枚に抜粋でドラマを彩った曲がちが収録されています。
NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』は全13話です。期間は足掛け3年の3部構成です。それだけじゃありません。1話90分です、民放でいったら2時間ドラマに匹敵します。CMを挟まない凝縮度で第1部5回、第2部4回、第3部4回、それぞれ12月の約1ヶ月間を使って集中放送されました。”スペシャル”とわざわざ銘打って大丈夫です。3部構成だからサントラも3枚、よくわかります。
CASE.『太王四神記』(2007)
久石譲の独壇場といったところでしょうか。このサントラの人気が衰えない(新しいファンも掴む)のは、なんといっても聴きごたえがあるからだと思います。分厚いフルオーケストラ・サウンドとシンセサイザーのブレンドも絶妙です。主要テーマ曲もしっかり登場人物ごとにカラーが鮮明で、なおかつ多彩なアレンジ・バージョンもあります。そして一曲ごとに楽曲構成も起承転結で作られています。
テレビドラマ本編では、いくつかの未収録楽曲や、いくつかの未収録バージョンも使われています。「ヒョンゴのテーマ」のシンセバージョン、「ファチョン会」のピアノ+弦楽バージョン、「タムドクのテーマ」のチェロ独奏、フェアライトと幻想的なコーラス曲などなど、すごい充実ぶりです。
ひと言付け加えると、この時代はオーケストラ対抗配置ではなく通常配置をとっています。”この作品はあえてメロディをユニゾンさせて線を太くしている”と過去インタビューにあったと記憶していますが、だから精緻なオーケストレーションというよりは、とにかく旋律の線が太い、ダイナミックで勢いのある曲たちに仕上がっています。
TV音楽のデメリットからみると、この作品もカットに合わせて曲の切り貼りがされています。そんなに多くはなかったと思いますが、うわっとビックリする曲展開になっていたりします。しかも中途半端に切り貼りが上手いもんだから、もともとそういう曲なのかな?と思ってしまいかねない良し悪しです。原曲パートがABCDEとあるところ、まだBの途中でブチっと切れてとかなら切り貼りしたとわかるところ、ACEとウルトラな展開をしてしまうからビックリしてしまう、そんな感じです。(これを作曲家のせいに勘違いされて、曲の展開が強引とかちょっと極端じゃない?!、なんて言われたくはないところです。サントラ聴いてね!!)
CASE.『この世界の片隅に』(2018)
連続ドラマとしては『坂の上の雲』以来9年ぶりです。曲が切り貼りされることはTVドラマの性(SAGE)ですが、この作品ではそうされることを織り込み済みといわんばかりの楽曲づくりになっています。どう切り取られても大丈夫なように、なんならカチッと切り取りしやすいように。そのあたりDiscページのレビューに記していたと思います。興味あったらぜひ見てください。
TV音楽のメリットにもふれておきましょう。ドラマ本編では「すずのテーマ」の繊細で愛らしいグロッケンら打楽器バージョンや、牧歌的でほのぼのとした木管&ピッツィカートバージョンなどが、シーンに合わせてセレクトされています。1コーラス30秒くらいで歌いきれるメロディーです。実はサウンドトラックには一曲のなかの1コーラス目、2コーラス目というように楽器や曲想を変えた自然な曲展開で仕上げられています。後半はオーケストラに広がっていきます。なんなら別トラック「すずのテーマ~望郷~」の1コーラス目はフルートソロ、2コーラス目はピアノソロです。、、もしこれが『花戦さ』のような映画だと、30秒ごとに4曲4バージョンでトラックされることになりかねない。映画音楽の場合、映像とそのシーンに当てる音楽はひとつの解です。でも、テレビドラマ音楽の場合は映像と楽曲の組み合わせに無数の可能性が出てきます。そこがおもしろいところです。作曲家は映画音楽とドラマ音楽を確実に分けて、手法を切り替えて、作曲に臨んでいると思われます。(偉そうに言うな!)…久石譲が「作曲は論理的でなければならない」と常々言っているのはこういったケースにも…(だから偉そうに言うな!)
テレビドラマの場合、2時間の映画と違って連続ドラマ計約10時間のために、シーンごとに専用の音楽を書いていくことはできません。事前に物語や脚本からイメージした曲を用意して、あとは選曲家や音響監督に委ねられることになります。久石譲がテレビ音楽を頻繁に請けないのは、こういった制作期間や曲数の問題と、曲を託せる信頼できる選曲家の問題などがありそうです。映画は音楽監督としてどのシーンにどの音楽をという采配も含めて曲を作っていきます。作曲から映像につけるまで全ての決定権を握っている音楽監督と、テレビ音楽の大きな違いが曲づくりにも表れてきます。
なんか逸れてきた、何が言いたかったのかな、そう、少し戻って、事前にイメージして曲をつくっていきます。テレビドラマのこの手法は、スタジオジブリ作品でいうイメージアルバムに近いとも言えます。曲尺も曲想もあまり制約がない。遊びが多い、自由度が高い。もちろん完成品として使うことを前提に打ち合わせも詰めたうえ、イメージアルバムよりは確度も高くなり、使われない曲ということもありません。
CASE.『坂の上の雲』(2009-2011)
- Disc. 久石譲 『NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 オリジナル・サウンドトラック』
- Disc. 久石譲 『NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 オリジナル・サウンドトラック 2 』
- Disc. 久石譲 『NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 オリジナル・サウンドトラック 3 』
- Disc. 久石譲 『NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 オリジナル・サウンドトラック 総集編』
3年間、3部構成、3枚+総集編です。どんどん歴史が動いていくドラマ、それぞれに必要な曲も変わっていき増えていきます。主要楽曲のアレンジ・バージョンも充実していますし、各部のキーとなる楽曲も登場しています。この作品で特筆すべきは、あわせ技の極意だったということです。『太王四神記』や『この世界の片隅に』などのように、世界観や登場人物からテーマ曲が書かれ適時くり返し使われる主要楽曲と、第〇部第〇話の特別なシーンにしか流れないキー曲、そのふたつが並列している。まるで映画のようにそのシーンのためだけに書かれた曲があって、しかも曲尺もたっぷり長い、なんと贅沢な音楽優生だったことでしょう。音楽:久石譲の扱いもまたスペシャルだった作品です。そんなことができるのはNHKのスペシャルな力でしょうか。
CASE.『NHK シリーズ深海』(2013)
ドキュメンタリー番組のための音楽です。映画やドラマと決定的に違うところ、脚本がない。ストーリーや登場人物に左右されないから、ほぼほぼ久石譲イマジネーションで築かれています。テレビドラマとはまた違った方向でイメージアルバムに通じると言えるかもしれませんね。物語の展開や、登場人物の喜怒哀楽に沿う必要のない、「深海」という大きなテーマだけで創作されています。「深海のテーマ~コミカル~」「深海のテーマ~悲劇的~」「深海のテーマ~勇壮に~」なんてないですもんね。
そうですね、純度の高い久石譲オリジナル・アルバムに近い、そのくらい僕は思っています。なかなか推してる人に巡り合えませんが、久石譲の作家性とエンタメの遊び心がいい塩梅で拮抗したアルバムだと思います。そうかな?と思う人も『Deep Ocean』もそのポジションにあると言えば、まあ少しくらい話聞いてやってもと思ってくれるでしょうか。ネクストシリーズの『ディープ オーシャン』にもこのアルバムからの曲は継がれ使用されています。
CASE.『二ノ国』(2011/2018/2019)
- Disc. 久石譲 『二ノ国 漆黒の魔導士 オリジナル・サウンドトラック』
- Disc. 久石譲 『Ni No Kuni: Wrath of the White Witch - Original Soundtrack』
- Disc. 久石譲 『二ノ国 II レヴァナントキングダム オリジナルサウンドトラック』
- Disc. 久石譲 『映画 二ノ国 オリジナル・サウンドトラック』
久石譲が音楽を担当した作品のなかで、今現在一番シリーズを重ねている作品です。あわせて今現在唯一、ゲームから映画へとメディアミックスで広がった作品です。約10年近く関わるなかで作曲手法や演奏アプローチも変化していたりおもしろいです。世界観とイマジネーションでフルオーケストラ響かせた初期2作品は、楽曲構成も充実の起承転結です。挙げていいなら『イメージ交響組曲 ハウルの動く城』と肩を並べるくらいの輝きと漲りを感じます。2018年次作では、ゲーム内でループして流れることを想定して書かれた手法、モチーフ・楽曲・音色のカラフルな多彩さ、演奏アプローチのレベルなど、久石譲もまた新しいフィールドを進んでいます。そして、GAMEの世界から映画の世界へと広がった作品は、一貫したメインテーマ(全作品でバージョンが違う)と、過去作の楽曲からもクロスミックスさせた美味しいとこどりビュッフェ状態。
好きな一曲にフォーカスしても、アレンジが変わっていたり、胸躍る装飾フレーズが追加されていたり。楽曲たちがレベルアップするごとに、僕らリスナーの楽しさもまたレベルアップしていく。ゲームから親しんだ人は映画の選曲とアレンジにうれしくなり、映画から入った人はゲームサントラで一曲きれいに聴いてみたいと好奇心まし。ぜひDiscレビューをアイテムに二ノ国音楽クリアを目指してみてください。完全攻略本はムリですがスタートアップガイドくらいにはなると思います。
CASE.スタジオジブリ作品
最後はこうなります。行き着くところはこうなります。やっぱり”ジブリ最強”としか言えないところが確かに存在します。
第1フェーズ、作品の世界観からイメージアルバムを制作します。キーワードをもとに久石譲のイマジネーション全開です。本編にそのまま使用するわけではない、曲尺も曲想も制約がない、完成使用品じゃないからこその好奇心と探求心の原石です。いつも新しいジブリ×久石譲を生み出している原石です。ここでとても注目なのは、脚本の制約もこの時点ではないということです。宮崎駿監督は製作と絵コンテ(脚本)が同時進行という特殊な方法論をとっています。作り始めた頃、まだ映画がどう進むのか、どういうキャラクターが活躍するのかわかっていない。わかっていないのは久石譲も同じ、だからスタジオジブリ作品はとりわけ作品の世界観に音楽をつけている、ピュアに世界観から音楽もスタートしている、と言いたいわけです(僕のこだわりなわけです)。
第2フェーズ、イメージアルバムという原石を磨きながら映画音楽として完成していきます。ここで音楽作品としての比重は少し下がります。カットに合わせた曲尺に縮められたり、セリフやシーンテンポに合わせて曲想が変わっていく。一方では、映像があるからこそ動きと音楽が完全にシンクロする楽曲もここで誕生する。はたまた、イメージアルバムでは離れていた曲がくっついて新しい一曲にミラクルに。そりゃクオリティもワクワクも上がってしまうわけだ。そんなことされたら心臓がいくつあっても足りない射抜かれてしまうわけ。
このとき音楽監督の真髄です。TV音楽の選曲家方法と決定的に違うところです。イメージアルバム楽曲からのエディット、新しく必要な作曲、映像とのマッチング、映画全体から設計して音楽のいる箇所いらない箇所。作曲から映像につけるまでのその全ての決定権を握っている音楽監督だからこそできる。曲を聴いただけであのシーンが思い浮かぶ、これもまたスタジオジブリ作品に顕著で誰しも共感ポイントかもしれません。それは世界観×映像×音楽、印象に刻みこむ黄金方程式は群を抜いています。
「映画の音楽は監督のもの」そうよく言われます。でも、素人の僕からするとTV音楽のほうはさらに作曲家の手を大きく離れているように思ったりします。楽曲が使われる場所も委ねられる、楽曲ごとの使用頻度もお任せになる。この曲イチ押しだったもっと使ってほしかったな、なんてことも起こるかもしれない。もちろん、この曲こんなふうに使ってくれてありがとう、もある。はいって提出して、作品完成まで四つに組むことはあまりないですよね。はい、裏返しましょう。映画音楽の場合、音楽監督の役割、映像×音楽の親密、さらにはスタジオジブリ作品の監督×作曲家の黄金タッグ。
第3フェーズ、シリーズ作品ではないけれど、オリジナル映画から発展した『ラピュタ 北米版』や『めいとこねこバス』は音楽もバリエーション豊かになっています。また映画のあと延長線上に制作されたシンフォニーアルバムやヴォーカルバージョン、ますます多種多彩に豊かになっていきます。
第4フェーズ、映像や物語から離れて音楽作品として再構築します。イメージアルバムからサウンドトラックまでクオリティの上がった楽曲たちを、ブラッシュアップしてまた起承転結のある一曲に仕上げるわけです。時にそれは久石譲オリジナル・アルバムとして時代の手法にならい(アレンジがそのアルバムに沿っている)、時にそれは演奏会用作品として輝いていきます。愛されつづける映画作品、聴かれつづける映画楽曲、だから何度も演奏される、だから何度もアップデートされる。
第5フェーズ、交響組曲として作品をのこす。クラシック音楽でバレエ作品から音楽だけを組曲化してきたように正統な継承を行う。スタジオジブリ作品が映画としてのこることは揺るぎません。そこへ音楽だけでもかたちにする。もっともっと世界中のオーケストラで広く演奏できるベーシックなオーケストラ編成で、譜面も出して、演奏や聴く機会を広げていく。今現在、作品ごとの交響組曲化と世界ツアー「ジブリコンサート」とふたつが並走しています。ポイントなのは、2017年から始まった世界ツアーも回を重ねるごとに細かく修正されバージョンが改訂されているということ、そして交響組曲のそれとオーケストレーションが最終的にニアイコールになるように同時進行的に磨かれているということです。ジブリ最終形態へと進化を続けています。
「久石譲の半分はジブリでできています」(CMみたい)。……そんなことないよ、全体の映画本数からしたら2割にも満たないじゃないか。そうなんです。でも作品にしている数、アルバムにしている数、アルバムに収録している曲数からすると、あながち誇大広告なキャッチコピーとは言えないかもしれない(小声)。いや堂々と胸を張って言おう、久石譲はスタジオジブリ作品をオリジナル作品と同じところに見ている、と思っています。ふつうの映画音楽とは思っていない、エンターテインメントだけとも思っていない、その時代の100%の作家性を注いできた。そして未来へ100%の音楽性を目指して今なお注いでいる。ジブリ×久石譲の流儀がここにあります。
「久石譲はジブリだけじゃない」という人の気持ちもよくわかります。ジブリだけで語ってほしくないなって思いますよね。でもジブリをなくして語れないこともまた事実なんです。スタジオジブリ音楽があるから久石譲のコンテンポラリーな交響曲やオリジナルアルバムもファンを魅了している。どちらも浴びているからリスナーの耳も広がり音楽の幅も広がっている。スタジオジブリ作品は映像も音楽も教典といっていいほど世界中のクリエイターに影響を与えています。いい映画あっての映画音楽の命です。でも、久石譲が楽曲の火が消えないように生かし続けてきたこともまた大きい、ここにも光をあてたい。ジブリ×久石譲はレガシーです。
よし、今日は久石譲のサントラから聴こうかな。どう選んでいましたか?これまで無意識に選択していたことのヒントがあったかもしれません。なんとなく共感できるところもあったならうれしいです。ジブリしか聴いたことない人に未開拓なサントラの魅力を伝えるヒントはあったかな?? 言葉にできたら、誰かにおすすめするときも説明しやすくなりますよね。自分が一番そう思いながら書きたいまま書いてきました。
それではまた。
reverb.
サントラって楽しい。ジブリの文量が半分を占…ってことはなかったと思う。
*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number]
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