Overtone.第98回 「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.11」コンサート・レポート by ふじかさん

Posted on 2024/08/12

7月25,26日開催「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.11」コンサートです。今年は「JOE HISAISHI FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.7」(7/31-8/1)とのスペシャルウィークです。久石譲の3大コンサート(WDO,FOC,MF)のうち2つのコンサートがこの夏一挙開催です。

今回ご紹介するのは、久石譲3大コンサートに久石譲指揮定期演奏会/特別演奏会にと足しげく参戦するふじかさんです。それうはもう聴きなれてる書きなれてるだけあって、そういう音楽なんだとイメージしやすい。ぜひお楽しみください。

 

 

JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE Vol.11

[公演期間]  
2024/07/25,26

[公演回数]
2公演
東京・紀尾井ホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:Music Future Band

[曲目]
フィリップ・グラス / 久石譲:2 Pages Recomposed
フィリップ・グラス:弦楽四重奏曲 第5番

—-intermission—-

デヴィッド・ラング:Breathless
マックス・リヒター / 久石譲:On the Nature of Daylight
久石譲:The Chamber Symphony No.3 *世界初演

[参考作品]

久石譲 presents MUSIC FUTURE IV

 

 

MUSIC FUTURE VOL.11 初日公演の様子をレポートさせて頂きます。

2024年7月25日 紀尾井ホール 19:00開演

久石さんが主宰するMUSIC FUTURE シリーズも早くも11回目になりました。現地に足を運ぶのは2018年以来、6年ぶりとなりました。コロナ禍から数年はライブ配信等もあり昨年まではネット上で追いかけることはできました。

開場10分くらい前に現地に到着。少し天気が崩れ始め、雨が少し降ってきたところで開場時間となりました。チケットもぎりをすぎて、ホール内に入ると天井のシャンデリアがとても煌びやかでした。

 

18:30を過ぎたところで、「第5回Young Composer’s Competition」の講評と演奏が始まります。まず依田さんが登場、紹介のちに、審査員の久石さんと足本さんが登壇されました。依田さんがMCで質問をしながら、久石さんと足本さんが回答するスタイル。近年の久石さんのコンサートではMCが無くなったため、久石さんの声を聞ける貴重なMFシリーズでもあります。

冒頭で依田さんの質問を久石さんが聞き取れず、何度も聞き返すところからはじまり、久石さんの「こんにちは」から始まり、MFが11回目の開催であること、コンペは5回目で、作品が40曲以上あったこと。今回の受賞作品は弦の書き方がよく、亡くなった西村先生へのオマージュも感じられたことなどから、ミニマルベースの作品ではなかったが、入賞することになったことなどが語られました。

一度、3人が舞台から袖に戻りましたが、慌てて依田さんが再登場。依田さんが「大事なことを忘れていました~」と久石さんが袖から「何のフリだよ~笑」と答えながら再登場。そこから久石さんが「今回は国立音大の学生さんたちが演奏してくださいます」と深々とお辞儀をされていました。その後学生カルテットチームが登壇し、コンペ作品の演奏に入りました。

 

・Fabil Luppi : SOL D’Oriente Fantasia for string quartet

3つの短めの楽章からなる作品でした。冒頭は久石さんの『Metamorphosis』のように音が変容していくようで、グラデーションが変化していくような音色でした。中盤の楽章ではグリッサンドで低音から高音まで駆け上がっていき、トレモロ奏法が各所で響き渡る構成。終盤ではピチカートやトレモロが次々と展開されて、さざなみが寄せて返していくような印象を受けました。

講評では「不協和音が全体を支配して~」とのことでしたが、聴きにくいわけではなく、カルテットという弦楽だけの響きを存分にいかした作品だなぁと素人目線ですが感じることできました。

 

演奏が終わり、奏者が退場すると、コンサート本編へ向けて舞台の配置転換が行われました。19:00すぎに会場が暗くなり、ステージに続々と奏者が登壇。チューニングの後に久石さんが登場。いよいよ本編のスタートです。

 

・Philip Glass/Joe Hisaishi:2 Pages Recomposed

2018年のMFでの演奏以来、再度プログラム入りました。「♪ソドレミファー」という音型をひたすら繰り返し、音型を微妙変えながら、発展させていくミニマルスタイルの作品です。久石さんがリコンポーズすることによって、久石さんの曲では?と錯覚を起こす楽曲でもあります。

CD音源にもなっているのですでに何度も聴いてきましたが、改めて生で聴くと、無いはずのフレーズが立体的に聴こえてくる面白さがより際立ちます。「ソドレミファ」の一部を強調していくだけで、揺らぎのような音型や、時計の針が動くような旋律が聴こえてきます。

中盤の盛り上がり後は、久石さんが音量を小さくする指示を出します。後半部は、ストリングスのトレモロが加わり、より迫ってくるような迫力が出てきます。1st Vnの奏でる「ソドレー」「ソドレミー」の鋭い旋律がとってもエモーショナルに感じました。

 

・Philip Glass:String Quartet No.5

舞台転換後、今度はカルテットのみの演奏。コンペの演奏では着席でしたが、本編では立奏スタイルになっていました。しかも、このカルテットでもいわゆる対向配置スタイル。久石さんのこだわりを感じます。

1.ピチカートのちに悲しげな旋律が提示されました。このモチーフが今後の楽章で展開されていきます。

2.チェロの波打つような低音の音型にピチカートと和音が繰り返されていきました。シンコペーションが印象的の少し明るさのある雰囲気から徐々に暗い雰囲気へ。

3.アップテンポで明るい雰囲気の楽章。二ノ国サントラの『ホットロイト』ような印象を受けました。時折2nd Vnの小林さんとViolaの中村さんが楽しそうに顔を見合わせながら笑顔で演奏されていました。

4.3楽章とは一変し、重苦しいく切ない旋律が印象的。1st Vnの郷古さんの音色が美しく響き渡っていました。

5.プログラムに記載されていた通り、ジェットコースターのように上下に大きく動き回る音型から始まります。時折『Tri-AD』に似たような旋律も聴こえてきます。1楽章の再現部の後に、激しいダンスパートのセッションへ。再度1楽章の再現部に戻り、最後はピチカートで静かに消えていくように終わりました。

 

ここまでで2曲の弦楽4重奏曲を聴いて、この編成の奥深さを感じました。久石さんのいつか書かれるはずの『String Quartet No.2』も期待しています。

 

ー休憩ー

 

・David Lang:Breathless

休憩をはさんで、今度は木管が中心の楽曲です。下手側からフルート、オーボエ、クラリネット、バスーン、ホルンと並んでいました。フルートから始まり次々といろんな楽器が単音を鳴らしていくと、それらが旋律のように聴こえたり、リズムが構築されていくような楽曲でしたが、個人的には今回のコンサートの曲目で一番難解に感じました。

小鳥のさえずりや、木々が風で揺れる音が意図しないところで楽曲のように聴こえてくるような効果を利用している雰囲気も感じました。演奏はとても難しそうで、皆がリズムをしっかりと刻みながら、個々のタイミングを測って音を紡いでいっているようでした。

 

・Max Richter/Joe Hisaishi:On the Nature of Daylight

続いては金管セクションがメインの楽曲。舞台下手側からトランペット、ホルン、バスーン、トロンボーンでトランペットのやや後ろよりにクラリネットという編成でした。

トロンボーンによる息の長い和音のベースにホルンの柔らかな旋律がゆったりとした気持ちにさせてくれました。そのホルンの旋律を福川さん信末さんと交互にパスしあう様子が印象的です。後半はトランペットのロングトーンも加わり、穏やかながら、とても力強いフィナーレへと向かっていきました。

 

最後の曲は、いままでのメンバー・セクションが集結して、久石さんの新曲へと続きます。

 

・Joe Hisaishi:The Chamber Symphony No.3

1.ストリングスの導入からはじまり、金管セクションが加わりました。「♪タラッ!タラー」というフレーズが随所に加わり、キャッチーで印象的なモチーフが繰り返されていきました。ピアノがそのフレーズを奏でると弦楽がピチカートを添えたり、木管が彩りを加え、フルートがそのフレーズを奏でるとトライアングルの音色が印象的に残ります。

中盤ではスローテンポとなり、弦楽とピアノをフレーズを紡いでいる記憶があります。終盤にかけて徐々に激しくなり、打楽器や金管が大活躍。スネアの連打や金管の華やかな咆哮から緊迫感がありました。

2.前楽章とは雰囲気が一変。急・緩・急の構成のためか、ゆったりと出だしから始まりました。古典的なピアノの旋律にストリングスが重なっていきます。元々はピアノソロのための作品だったためか、随所にピアノの旋律が場面転換時に現れる感じがしました。ピアノの旋律を挟み、金管が入ってきたり、木管が入ってきたり。

タンバリンとストリングス、ミュートのトランペットとピアノと音色が記憶残りやすい、組み合わせのパートが続きます。徐々に盛り上がっていき、『Metaphysica(交響曲第3番)』の2楽章のような構成を思い出しました。終盤は冒頭の雰囲気を再現し、次の楽章へ進みます。

3.かぐや姫の物語のサントラより『絶望』のような力強い音を4打くらい繰り返したのち、弦楽により細かく動くパッセージが繰り返されていきます。徐々に動きが大きくなり、上下へ駆け巡るような早い旋律が印象に残ります。この細かいパッセージがピアノソロや、木管、金管、弦楽と様々なパートへ次々と引継ぎ、時にはテンポを落としたり、急加速したり、息つく間もなく怒涛のように楽曲雰囲気が次々と変化していきました。

『Tri-AD』のような弦楽器が上昇していく様子や、『Contrabass Concerto』のような打楽器の連打。『2 Pieces』のような強い打撃の音。これらの久石さんの既存楽曲を次々と連想することができました。終盤は弦楽の上昇音型と激しいリズムの連打から、突如曲が止まり、ピアノの長い低音の伸ばす音で失速するようにして終わるのが記憶に強く残りました。

 

MFシリーズはアンコールはないため、演奏が終わると、メンバー全員がステージ前に一列になり、何度かお辞儀をしていました。久石さんも終始楽しそうにメンバーと交流をしていました。

今回、配信等は現時点では予定されていませんが、ステージや会場に少なくとも7台のカメラが置かれていました。収録用のマイクもかなりの本数がありましたので、新作を含め、どこかで機会がありそうです。

18:30くらいからスタートして、カーテンコールが終わると時刻は21:15くらい。舞台転換が多かったのもありますが、3時間近くのコンサートとなりました。

たっぷり音楽を聴けて大満足で会場を後にしました。

2024年8月9日 ふじか

 

そうこんなコンサートだったとか、そうこんな曲演奏してたとか、何年先に見てもすぐに思い出せそうです(感謝!)。そっかこんなコンサートだったんだとか、そっかこんな曲演奏してたんだとか、久石譲新作ってこんなんだったんだとか、何年先に映像がなくても音源がなくてもすごくイメージできそうです(チクッ!)。

ふじかさんのレポートにもありました「2 Pages Recomposed」の演奏についてです。音源化もされていて再演となりましたが、指揮の緩急や強弱は以前よりも明確になっていましたね。近年指揮するミニマル作品例えば「DA・MA・SHI・絵」などもそうですが、ある一定の音量で疾走感をキープする従来からの変化がうかがえます。ベートーヴェンやシューベルト交響曲にみられる明確な強弱記号のスコアなども影響があるのでしょうか。いずれにしても、ミニマルをp(ピアノ)で均一に鳴らすのはf(フォルテ)で鳴らすことよりも大変な気がします。ぜひ聴きどころです。

僕の知る限りふじかさんもショーさん(下に紹介)も、かなりの数のコンサートに行かれていて、イベントの重なるスペシャル・ウィークもあると思います。その全部を書くことはなかなか難しいことです。そんななかこうやって書き残してくれてありがたい限りです。

 

 

 

 

こちらは、いつものコンサート・レポートをしています。

 

 

みんなのコンサート・レポート紹介

会場でもお会いしたファンつながりショーさんのコンサート・レポートです。会場の雰囲気からコンサートの細かいところまでたくさん伝わってきます。同じコンサートにいても見ているところや感じているところは一人ずつ全く違う、それもわかって読んでてとても楽しいです。ファン歴も長く過去数多くのコンサート・レポートが収められています。今となっては触れれるだけ貴重なページ、ぜひめくってみてくださいね。

JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE VOL.11(2024.7.26)
from Sho’s PROJECT OMOHASE BLOG 改 seconda

久石譲コンサート オーナーの鑑賞履歴
from Sho’s PROJECT OMOHASE BLOG 改 seconda

 

それから、国際色豊かに英文レポートです。コンサート一日のことが鮮明に記されています。作品ごとの聴く前と聴いた後のイメージの変化がよく伝わってきます。こういう感じ方もあるんだと学びながら楽しく読ませてもらいました。世界各地の映画音楽作曲家のコンサートに足を運びそのレポートがいっぱいです。今は日本を拠点とされているようです。ぜひWeb翻訳してお楽しみください。

Joe Hisaishi presents Music Future Vol. 11 (2024) – Soundtracks in Concert
from Soundtracks in Concert – Your one-stop source for soundtrack concert reports, reviews and more!

 

 

 

 

「行った人の数だけ、感想があり感動がある」

久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋 では、久石譲コンサートのレポートや感想、いつでもどしどしお待ちしています。応募方法などはこちらをご覧ください。どうぞお気軽に、ちょっとした日記をつけるような心もちで、思い出をのこしましょう。

 

 

みんなのコンサート・レポート、ぜひお楽しみください。

 

 

reverb.
ひとつのコンサートに4つもコンサートのレビューを紹介できるなんてうれしい限りです。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Overtone.第3回 羽生結弦×久石譲 「Hope&Legacy」に想う 【4/28 update!!】

Posted on 2017/01/20

ふらいすとーんです。

 

2024.04.28 update
これまでのポスト(ツイート)をまとめました。

 

たとえば羽生結弦選手に特別に許可されたといって、広く一般に許可されたことじゃないですね。その楽曲の取り扱いがゆるくなったわけじゃない、転載OKなはずもない。感覚的に勘違いしてしまわないよう気をつけないとですね。祝!GIFTパッケージ化に水を差さないためにも。

 

VIEW OF SILENCE / 久石譲

Asian Dream SongとDVD音源でそろえなかったのはきっと理由がある。ライブのほうはチェロ合奏とピアノ。オリジナルのほうはヴァイオリンら高低の豊かな弦楽合奏の響き。ホプレガのクライマックスでよくわかる。こみ上げてくる涙腺を止めることはできないと。Hope&Legacy

 

VIEW OF SILENCE『PRETENDER』/ 久石譲 #久石譲サブスクあり

PRETENDER=ふりをしている人。強いふり、大丈夫なふり、傷ついていないふり。その中にあるVIEW OF SILENCE、耳をすませる。自分の心をみつめる。まだそこには、いつもそこには、ありたい自分の灯。内なる情熱は消えていない。Hope&Legacy

 

Asian Dream Song 『a Wish to the Moon -Joe Hisaishi & 9 cellos 2003 ETUDE & ENCORE TOUR-』/ 久石譲

「夢をつかむ者たちよ 君だけの花を咲かせよう」歌詞までしっかり聞こえてきそう。Hope&Legacy脚光のなかDVD再販しないのもったいない….命吹きかえした名演の永久保存版

 

羽生結弦さん、アスリートの顔からさらにアーティストの顔になったと感じます。そして一貫しているプロフェッショナルの顔。これからも<羽生結弦×久石譲>を見たい。そのためにできること。
in simple English .. may be wrong –>

He looks like change from Athlete style to Artist style. and, no change Professional style. Now and forever, we want to see <Yuzuru Hanyu×Joe Hisaishi> special works. Please stop reupload or share on video site and SNS without permission, especially paid distribution. Thank you!

 

もし自分がお願いすることで作曲家さん達にも迷惑をかけている、申し訳ない、もうお願いしづらい、そう羽生さんが思ってしまっていたら。残念ですね。するとこれから待っている将来の素晴らしい作品やコラボたくさんの可能性を消してしまっているかもしれない。未来のために素敵に正しく楽しみたい!

 

久石さんで調べものしてたら羽生さんのOne Summer’s Day動画がたくさん流れてきますね。まあダメですね。もしかしたら(かなり歩み寄って)悪気はないのかもしれない。自分の国のなかでやっている行為、SNSで世界に広がっている意識が希薄、NGな国の文化を理解できていない→

なんなら自国は緩いOKだからNGな国はそっちで閲覧できないように規制したらいい。うーん、もし自分がOKな国側だったらそう思ってしまうかもしれません。世界をまたぐ活躍のエンタメやスーポツ、日本だけが極端に厳しい現状もあります。広く知ってもらうメリットやチャンスもあります。→

今は、ファン同士のアドバイスと、でもつながりギスギスしないように、主催者がアナウンスを徹底する。とにかく英語でのアテンションプリーズを根気強くやる、日本発信のものはダメなんですよと。世界から注目されてるなんで素晴らしいことなんですから🙌素晴らしいままお互い楽しみたい!

 

『Yuzuru Hanyu ICE STORY 2023 “GIFT” at Tokyo Dome』

2023.02.26

Thank you for <Yuzuru Hanyu × Joe Hisaishi>

Collaboration no.1
“Hope & Legacy”
View of Silence(CD), Asian Dream Song(Live DVD)

Collaboration no.2
“あの夏へ(One Summer’s Day)”
[ENCORE] Pf.solo

 

VIEW OF SILENCE
羽生結弦選手「Hope&Legacy」のおかげで新たな生命とファンを獲得した幸福な曲。今も昔もピアノとストリングスという構成には強いこだわり。久石譲いわく”「内なる情熱」というようなエモーショナルな部分が引き出せたと思う”。至芸の弦音(つるおと)美しい。

 

羽生結弦選手「Hope&Legacy」”View of Silence”。『PRETENDER』CD収録曲ですが、2001年福島「うつくしま未来博」上映作品『4 MOVEMENT』(監督:久石譲)でも使われた曲。この曲には東日本大震災、東北への想いが込めれているのかも。”Asian Dream Song”はスケート始めた頃と夢。象徴的な2曲にのせて。

 

Asian Dream Song
歌曲版サビのないこちら原型。羽生結弦選手のおかげで新たな生命とファンを獲得した幸福な曲。そのスポーツとこの曲に共通するのは、芯の強さと芸術性の高み。いつまでも輝きを失わない。”View of Silence”も収録してほしかったですね。

(up to here, updated on 2024.04.28)

 

 

 

忘れもしない2016年9月半ば。フィギュアスケートの羽生結弦選手が、久石さんの楽曲を使用するというニュースが飛び込んできました。日を追うごとに少しずつ明らかになる情報、久石譲ファンサイトとして楽曲「Hope&Legacy」~(「View of Silence」+「Asian Dream Song」)についてインフォメーションしました。そして更新修正をくり返し、たくさんの人に見てもらうことができました。

初期段階で、僕の推測が間違ってしまいご迷惑をおかけしました。…だって、まさかライヴ盤とレコーディング盤を組み合わせるなんて…すいませんでした。多くのフィギュアファン、羽生選手ファンの皆さんにブログやツイッターで紹介してもらい、その拡散パワーはすさまじいものでした。

「Hope&Legacy」ってこういう曲らしいよ、と紹介してもらうたびに。羽生選手が各大会で演技するたびに、瞬間的にこのファンサイトに大きな波が押し寄せてきます。あらためて、フィギュアスケートの人気、羽生結弦選手の人気に圧倒されています。

ある一日の「久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋」アクセス数です。1日で23,102人、普段の何倍なんだ!? 羽生選手のインフォメーションが17,850人と他を引き離し、他を引き上げて、その関心の高さを数字でも見せつけられました。使用楽曲が収録されたCD/DVD情報も引っ張られるように上位にきています。年間アクセスランキングでもケタ違いでNo.1だったことは言うまでもありません。

 

 

 

 

 

さて、『Hope&Legacy』にはどういう想いが込められているんでしょうか。僕はそこにずっと関心があるんですけど、なかなか羽生選手本人が語っている情報も見つけられず、悶々としています。『なんでこの2曲だったのかな?なんでこの2曲を組み合わせたのかな?』という点に尽きるんです。もちろん久石さんが口を開くこともなく。わかっている情報をパズルのピースのように並べてみました。

  • 「View of Silence」楽曲制作で想いやコンセプトは語られたことがない(久石さん)
  • 1998年は羽生選手がスケートを始めた年、長野パラリンピック冬季競技大会開催年
  • 羽生選手本人の強い希望でこの楽曲が選ばれた

これだけしかない。でもここから紐解いてみます。

  • 「View of Silence」はゼロベースで新しい解釈やイメージをつくることができる
  • 「Asian Dream Song」は「旅立ちの時 ~Asian Dream Song~」ver.として
  • 歌詞の言葉もふくめて特別な想いや思い出があるのかもしれない(合唱曲でもある)

こんなふうに飛躍解釈して…

 

「静寂の景色」、そこはまさに氷の上。何も聴こえてこない沈黙の場所。果てしない夢を抱き、静寂と鼓動で揺れる。「旅立ちの時」、夢を追いかける時。一人の夢、みんなの夢。かつて夢をつかんだ人たちが遺してくれたもの。そして今。自分が夢をつかんで未来に遺していくもの。『Hope&Legacy』。はじまりの場所にふたたび。でもあの時の景色とは違う。いろいろな音が声が想いが聴こえてくる。いつもここから始まる、いつもここへ帰ってくる。そのたびに新しい景色が見える。そしてまた旅立つ時はくる。HopeもLegacyも終わらない、継がれていくものだから。

 

と、勝手に楽曲コンセプトを解釈しました。振付や衣装もふまえて羽生選手ファンは、もっと深い解説ができるのだと思います。見当違いな解釈だったらごめんなさい、大変お粗末さまでした。(^^;)

久石ファンとしては憤慨しているのです。あんな名曲ふたつを切り貼り編集しちゃって…。「Hope&Legacy」を聴くたびに、ふだん向うはずの展開に曲が進まないので、あれっ、とつまずきそうになるのが治りません。そのくらい原曲が染みついちゃってる。

でもこうやって「Hope&Legacy」に新しい解釈と想いを馳せてみると、すっと受け入れられて、新しい聴こえ方がしてくるような気がします。「View of Silence」「Asian Dream song」とは違う、『Hope&Legacy』という作品として、新しい命を得た幸運な楽曲なのかもしれないと。

 

 

久石さんサイドからもう少しタイムスリップ紐解きます。

 

「HOPE」

長野パラリンピックは、アジアで初めて開催される冬季競技大会であり、20世紀最後の大会となります。大きな時代の変わり目の時、開会式は希望「HOPE」をテーマにしました。

そして、このテーマの出発点となったのが、フレデリック・ワッツの描いた一枚の絵「HOPE」です。今回このアルバムに参加して頂いたアーティストには、この絵を見てもらったイメージから新曲を作って頂いたり、演奏して頂いたりしています。

(「長野パラリンピック支援アルバム HOPE」 CDライナーノーツより)

久石譲 『長野パラリンピック支援アルバム HOPE』

 

「HOPE」

ワッツが19世紀の終わりに描いた作品でイギリス・テートギャラリーに収められています。

HOPE 地上の楽園

「Hope」(1886)
GEORGE FREDERIC WATTS
Oil on canvas, 142.4×111.8cm
Tate Gallery (N 01640)

 

地球に座った目の不自由な天女がすべての弦が切れている堅琴に耳を寄せている。でもよく見ると細く薄い弦が一本だけ残っていて、その天女はその一本の弦で音楽を奏でるために、そしてその音を聞くために耳を近づけている。ほとんど弦に顔をくっつけているそのひたむきな天女は、実は天女ではなく”HOPE”そのものの姿なんだって。 -抜粋

 

この絵について(上の抜粋文章)は、書籍『パラダイス・ロスト』(久石譲著)にも、アルバム『地上の楽園』CDライナーノーツにも、同じように記されてします。『地上の楽園』のアルバムジャケットにも使いたかったほどの強い思い入れがあったようです。諸々の事情で叶いませんでしたが、『パラダイス・ロスト』の装丁にはこの絵が使われています。

 

地上の楽園

 

『地上の楽園』(1994)は、約2年近く音楽制作に費やしたオリジナル・ソロアルバムです。長野パラリンピック(1998)までつながっていくテーマ「HOPE」。久石さん自身あの時代を象徴するような、特別な想いがこのテーマと絵に込められているように思います。実際、久石さんが楽曲制作するお部屋には、大きな「HOPE」が壁に飾られています。おそらく今も。

 

 

 

「HOPE & LEGACY 希望と遺産」

長野パラリンピックの開会式は「Hope 希望」をテーマに、閉会式は「Hope & Legacy 希望と遺産」をテーマに行われました。久石さんは式典の総合プロデューサーを務めていました。開会式フィナーレでは、盛大な演出のもと「旅立ちの時 ~Asian Dream Song~」が披露されています。

 

 

久石さんが長野パラリンピック冬季競技大会に込めた想い「HOPE」「HOPE & LEGACY」。それは大会テーマソング「旅立ちの時 ~Asian Dream Song~」として花ひらきました。その同じ年、羽生結弦選手はフィギュアスケートに出会った。咲いた花と、新しい種。この出来事もまた、”希望と遺産”のひとつなのかもしれません。

時を越えて、羽生選手は新しい『HOPE &LEGACY』を、「View of Silence」と「Asian Dream Song」を組み合わせることで、新次元の世界をつくりあげました。新しい解釈が吹き込まれることは、新しい命が吹き込まれることです。

久石さんが作りだしたもの、羽生選手が継いだものと命を吹きこんだもの。世代もジャンルも異なるふたりのプロフェッショナルが、それぞれに抱いた『HOPE & LEGACY』。かけがえのない時の流れを感じます。変わらないもの、変わっていくもの、時代の風にのる『HOPE & LEGACY』そのものなのかもしれない、と。

久石さんの音楽がもっと多くの人に響き希望となりますように。羽生結弦選手の演技が想いが、もっと多くの人に夢と感動をあたえつづけますように。僕らは今、ふたつの光り輝くステージを目の前に、熱狂し歓喜する、めぐまれたオーディエンスです。観客は、未来への語り手として『HOPE & LEGACY』の一役を与えられている、同じ舞台に立つキャストでもあると思っています。

 

 

『HOPE & LEGACY』 からのギフト

この楽曲が僕にくれたもの。1つは、話題をきっかけに多くの人がサイトを訪れてくれたこと。1つは、久石さんファンとのかけがえのない出逢いがあったこと。1つは、久石さんがコンサートでも披露してくれたこと。そう、「久石譲ジルベスターコンサート2016」で、「View of Silence」「Asian Dream Song」が演奏されました。往年の名曲でこそあれコンサート披露されるなんて、約10年ぶりくらいと言っても言い過ぎではありません。

いや、そこはちゃんと調べないといけませんね。「Asian Dream Song」、「久石譲ジルベスターコンサート2008」以来8年ぶり、「View of Silence」、「Joe Hisaishi Concert ~a Wish to the Moon~ Etude&Encore PIANO STORIES 2003」以来13年ぶり、 でした。なんとDVD収録盤あのコンサート以来だったんですね。これだけでも羽生結弦さんに感謝しないといけませんね。コンサートにプログラムしたきっかけ、そのひとつにはなっていると思いますから。そんなスペシャルコンサートについてはレポートしています。

 

「決定盤!フィギュアスケート・ベスト2016-2017」(2016/12/7発売CD)には、「View of Silence」「Asian Dream Song」の2曲がオリジナル版で収録されています。*「Hope&Legacy」としての音源ではありません。また「Asian Dream Song」はFS楽曲ヴァージョンではありません。(リンクURLは貼っていません)

 

同じく楽譜もたくさん出ています。それぞれ1曲ずつとしても、「Hope & Legacy」としても、ピアノ譜はたくさん出版されているみたいですね。ぜひ調べてみてください。

実は「HOPE」には、もうひとつ久石さんエピソードがあります。ありますが、それはまた別の機会に。ちゃんと調べなおしたい、紐解きなおさないといけない。今回は「羽生結弦×久石譲」「Hope&Legacy」に想う。2016年秋以降、いつか記したいと思いながら、ここにようやくOvertoneとなりました。

それではまた。

 

 

2017.7 追記

Web「VICTORY -ALL SPORTS NEWS」に掲載された記事。フィギュアスケート 音響デザイナーの矢野桂一さん、羽生結弦選手や宇野昌磨選手などトップスケーターのプログラム音源の編集を手がけている方です。これまでの仕事内容から、羽生結弦『SEIMEI』そして『HOPE & LEGACY』の誕生エピソードが語られています。プログラム音源ができるまでの各方面での苦労、久石譲から特例として許可を得ることになった経緯など、さすが当事者と関係者ならではの読みごたえのある貴重な秘話です。ジャンルを超えた一流プロたちのそれぞれの想いと共鳴、協力と理解、尽力と厚意によって誕生したフィギュアスケートのためのもうひとつの作品「Hope & Legacy」。関係者による公式のようなエピソードが盛りだくさんで、これまで見えなかったところが少し知ることができて感謝です。

 

 

reverb.
Hope&Legacyを紐解く情報あったら、ぜひ教えてくださいね!お待ちしてます(^^)!!

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Overtone.第97回 「久石譲指揮 新日本フィル 第651回定期演奏会」コンサート・レポート by ふじかさん

Posted on 2023/09/30

2023年9月9,11日開催「新日本フィルハーモニー交響楽団 第651回 定期演奏会」です。2020年同楽団のMusic Parterとして定期演奏会にも登場するようになっています。2021年には「マーラー:交響曲第1番」と自身の新作「久石譲:Metaphysica(交響曲第3番)」をプログラムしました。今回は「マーラー:交響曲第5番」と自身の新作「Adagio for 2 Harps and Strings」をプログラム、マーラー作品のなかでも有名な「アダージェット」(交響曲第5番第4楽章)と並べらることになった久石譲版アダージェットともいえる作品。

今回ご紹介するのは、ミニチュアスコア片手にふじかさんです(たしかそう、いつもそう)。予習に会場にアーカイブにと余すところなく音楽する日乗ですね。感想や印象に、いろいろな久石譲曲も飛び出すのでおもしろいと思います。見逃さずに、聴きなおしてみたり、お楽しみください。いつもありがとうございます!

 

 

新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 #651

[公演期間]  
2023/09/09,11

[公演回数]
2公演
9/9 東京・すみだトリフォニーホール
9/11 東京・サントリーホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

[曲目]
久石譲:Adagio for 2 Harps and Strings *世界初演

—-intermission—-

マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調

 

 

新日本フィル 第651回定期演奏会(指揮 久石譲)の模様をレポートさせて頂きます。

2023年9月9日14:00開演 すみだトリフォニーホール

新日本フィルのナンバリングの定期演奏会に久石さんが指揮者として登場するのは、2021年9月の第637回定期演奏会以来でしょうか。すみだクラシックへの扉としては2022年4月、WDOとしては2023年7月以来の新日本フィルとの共演となります。

コロナでの公演規制、渡航規制等が緩和され、昨年から久石さんは多忙な日々を送っておられます。その一方でクラシックの指揮活動も充実しており、7月にはFOCからブラームス交響曲全集が発売されました。海外オケでもクラシック曲を取り入れることも増えており、ますます活動の幅は広がっていきそうです。

今回の公演では久石さんの新作初演と以前から久石さん自身が度々挑戦してきているマーラーの『Symphony No.5』演奏時間がおよそ70分になる巨大な作品に挑みます。新作ではマーラー『Symphony No.5』の4楽章をイメージした『Adagio』が書き下ろされました。

 

会場へは15分くらい前に到着。本日の公演の巨大ポスターがお出迎えしてくれました。ホール内に入ると、前回の2021年9月公演と同様の巨大編成のオーケストラがステージに広がっていました。

開演時間の14:00を過ぎましたが、一向に始まる気配がなく、ステージには誰も現れず…会場からはすこしざわつきが。10分くらい遅れてようやく弦楽とハープのメンバーが登壇してきました。座席の発券トラブルがあったようで、開演が少し遅れたようです。

今回のコンサートマスターは西江さん。アシスタントコンサートマスターは立上さんが務めます。チューニングののちに、久石さんもステージへ登場。西江さんと握手を交わしたのち、演奏が始まりました。

 

 

・Joe Hisaishi『Adagio for 2 Haprs and Strings』

ハープのミニマル的な繰り返しのフレーズに弦楽の4分音符や2分音符を中心に折り重なるように美しいハーモニーが広がっていきます。まるで移ろいゆく秋の空を感じさせる優雅で繊細で浮遊感のある弦楽の調べ。マーラーの『Adagietto』をリスペクトし作られた作品のため、もっとマーラーよりの作品になると思いましたが、しっかりと久石さんの作風が散りばめられた美しい楽曲となっていました。

楽曲が展開していくと、次第に揺れ動くような旋律が現れて、それが様々なパートで反復されていきます。中間部ではピチカートが次々と現れていきます。先日発売になった『君たちはどう生きるか』サントラの『巣穴』のような雰囲気も感じました。『Encounter』や『弦楽オーケストラのための螺旋』とも似た、弦楽の細かいパッセージが次々と現れて重なっていくような部分も。

終盤では再度冒頭のようなゆったりとした調べにもどりますが、ミニマル曲には欠かせないパルスのような音も聴こえてきます。まるで『Sinfonia』の2楽章の『Fugue』のように。最後はピチカートでボンッと終わりました。

事あるごとに書かれる弦楽オーケストラのための楽曲達。『D.E.A.D組曲』『Sinfonia』『螺旋』『Encounter』『I Want to Talk to You』そして今回の『Adagio』。4声(コントラバスが入るので正確には5声になりますが)は和声学の基本にもなるので、やはり弦楽だけの作品は久石さんの中でも特に大事にしている気がしています。オーケストレーションもこの4声が基本となってくるので、基本に忠実になおかつ、このシンプルな編成で作品性の高いものを残していきたいのかもしれません。『ピアノと弦楽オーケストラのための新作』もいつか楽しみにしています笑

 

何度かのカーテンコールのちに前半は終了です。

 

 

・Gustav Mahler『Symphony No.5 in C-Sharp minor』

Ⅰ.葬送行進曲:精確な歩みで。厳粛に。葬列のように
「マリと子犬の物語」のサントラ『ふるさとの悲劇』にも通ずる、トランペットの悲しい雰囲気のソロから始まります。トランペットの山川さんが美しく、悲しい音のソロをしっかりと響かせ、そこに打楽器隊が加わり、悲壮感が漂う重苦しい雰囲気でスタートです。

重苦しい足取りの葬送行進曲の主題がすぐに聴こえてきます。久石さんもどっしり、ゆっくりと大きな振りで指揮をされていました。金管・木管が盛大に鳴り響くところでは生で聴けるからこそ感じられる大迫力。

後半部、『亡き子をしのぶ歌』からの引用部は、ヴァイオリンのメロディ、複雑に構成された弦楽の内声部、ホルンの対旋律のそれぞれの絡みがとても美しく感じました。終盤は冒頭のトランペットのソロが再び聴こえ、その旋律をフルートが遠くから聞こえるようにして1楽章は終わります。

 

Ⅱ.嵐のように激しく動いて。最大の激烈さをもって
1楽章からはガラッと雰囲気が変わり、怪しげな低音の動きからスタート。タイトルにあるように嵐のような激しい展開が続きます。ほどなく副次部の提示部は抒情的なメロディが聴こえてきます。久石さんは「さあここだよ」「もっともっと」というように指揮棒を振りながら各パートに指示を出していました。

2楽章はいくつも印象的なメロディが聴こえてきて、なおかつ扱う主題・副主題もアレンジが大きく変わって構成されているので、久石さんファンとしてはまるで「坂の上の雲」のサントラのような世界観で聴こえてきます。

終盤では高らかに金管のファンファーレのようなコーラルが聴こえてきて、コーダ部では主題の断片が少しずつ聴こえて、印象的なチューバの音が響き、最後は静かに終わります。

 

Ⅲ.スケルツォ:力強く、急ぎ過ぎずに
ホルンの力強い導入のちに、前の楽章とは雰囲気も大きく変わり、明るいワルツのような3拍子になります。やがて「レントラー」の旋律が聴こえてくると、久石さんも歌うように楽し気な感じで指揮棒を振っていました。

中間部ホルンが悲しい雰囲気のメロディをゆったりと。ここでは久石さんも音色が響くように待つような仕草も。その後に続く、ピチカートでは指揮棒を振らず、右手だけで指揮をしていました。

再びテンポが上がってくると、久石さんも全体を引っ張っていくように力強い指揮に。冒頭主題に戻る前に聴こえてくるホルツクラッパーにもしっかりと指示を出していました。

この交響曲の中で一番長い3楽章。スケルツォ形式とは言われてますが、展開も複雑で、後半部はソナタ形式のように構成しているように感じる箇所も。こんなに複雑な楽章を把握し、細かく指示を出し続ける指揮者の仕事は客席から見ていても苦労を感じる楽章でした。

 

Ⅳ.アダージェット:きわめてゆっくりと
こちらも全楽章とは一気に雰囲気が変わり、ハープの音色に美しい弦楽のハーモニーが響きます。久石さんは、指揮棒を置き、手だけを使ってゆったりと指揮をされていました。

同じ調のためか、『La pioggia』や「おくりびと」の『Beautiful Dead』のような久石さんの既存曲とも密接に関係しているのだと感じました。

癒しの楽章とは思いきや、熱量たっぷり。中間部では迫りくる弦楽の音圧に圧倒されました。久石さんも大きな振りで全体に指示を出していました。

後半で冒頭は1st Vnが演奏していた旋律が再び現れますが、こちらでは2nd Vnがメロディを紡ぎます。対向配置のため、メロディの聴こえてくる位置が変わるだけではなく、ニュアンスも異なった印象を受けました。静かに余韻を残したまま、アタッカで最終楽章へ続きます。

 

Ⅴ.ロンド・フィナーレ:アレグロ-アレグロ・ジョコーソ。生き生きと
前楽章の余韻を破るかのようにホルンの音色が鳴り響きました。1楽章・2楽章の重苦しい雰囲気とは真逆の明るく軽快で牧歌的なメロディが次から次へと爽やかに現れてきました。久石さんも笑顔で楽しそうに指揮をされているのが印象的で、軽やかなステップを踏んでいるようでした。それでもpの音が欲しい時は、身振りを小さく、「繊細な音がほしいな!」という仕草もしていました。

終盤は弦パートが上下に大きく動き回る中、金管のコーラルが盛大に鳴り響き、全パートが演奏し、テンポをアップさせながら、駆けあがっていくような盛大なフィナーレで幕を閉じました。

 

 

演奏が終わると何度かのカーテンコールののちに、恒例の楽団メンバーの紹介へ。

今回大活躍のトランペットとホルンへは盛大な拍手が贈られていました。その後は、こちらも恒例の弦楽の代表メンバーとの握手ですが…今回も対向配置でしたが、コントラバスは上手側への配置。コントラバスへ握手をしに行こうと思った久石さんがですが、下手側に行きそうになり、戸惑う姿も(笑) 今回も拍手喝采の中、演奏会が終わりました。

久石さんが何度か挑戦してきているマーラーの『Symphony No.5』。今回の演奏を聴いて、久石さん自身の作品にも密接に関わってきている楽曲だと思いました。それとともに、暗⇒明と向かう構成には大きなエネルギーを浴びた気がしました。

今後も久石さんと新日本フィルの演奏会は続きます。次回は2024年2月。次回のコンサートも楽しみになりました。

2023年9月27日 ふじか

 

冒頭にも書きましたが、ミニチュアスコア片手にふじかさんです(たしかそう、いつもそう)。予習に会場にアーカイブにと余すところなく音楽する日乗ですね。同名久石譲著書『音楽する日乗』あります。わりとクラシック音楽を中心に楽しくわかりやすく時に難しいまま語ったエッセイをまとめた本です。こうやって久石さんが種をまいたものが、ファンひとりひとりのなかに吸収されて育っていっている、すごいサイクルだな、そんなことを感じたレポートでした。楽しまなきゃもったいない、楽しむためには努力(学び)もときに必要かもしれない、ですね。

当日は、開演前・休憩中・終演後とあうんの待ち合わせで会話をしていました。そのときの第一印象の感想はほとんんど盛り込まれているように思います。そして、丹念にアーカイブ配信を楽しみながら、より深く細かくレポートにしてくれていることがよくわかります。ありがとうございます。

WDOだけじゃなくてクラシック演奏会でもファンたちで集えるようになってきてとてもうれしいです。コンサートに行く楽しみに、またあの人に会えるかな、ここならこの人も来るかな、と想像し楽しみが膨らんでいく感じっていいですね。そんなにがっつりは苦手でも、挨拶くらいの顔合わせ程度でもちゃんと記憶には残るものです。僕もなるべくコンサートに行く時は「行く」と直前にSNSで言うので、もしよかったら、お近づきになれたらうれしいです。

ふじかさんともまたそう遠くない先のコンサートでお会いできることを楽しみにしています。

 

 

 

本公演のプログラムノートや、久石譲の公演前メディア・インタビューなどはこちらにまとめています。

 

 

from 新日本フィルハーモニー交響楽団公式ツイッター

 

 

 

 

 

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reverb.
コンサート・レポートのページだけまとめてもいい頃かも、僕のあなたのみんなの、充実してきた♪

 

 

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Overtone.第96回 「久石譲指揮 新日本フィル 第651回定期演奏会」コンサート・レポート by tendoさん

Posted on 2023/09/30

2023年9月9,11日開催「新日本フィルハーモニー交響楽団 第651回 定期演奏会」です。2020年同楽団のMusic Parterとして定期演奏会にも登場するようになっています。2021年には「マーラー:交響曲第1番」と自身の新作「久石譲:Metaphysica(交響曲第3番)」をプログラムしました。今回は「マーラー:交響曲第5番」と自身の新作「Adagio for 2 Harps and Strings」をプログラム、マーラー作品のなかでも有名な「アダージェット」(交響曲第5番第4楽章)と並べらることになった久石譲版アダージェットともいえる作品。

今回ご紹介するのは、韓国からアーカイブ配信レポートです。今年夏のFOCvol.6やWDO2023はライブ配信がなかったため、久しぶりのうれしい鑑賞、そしてしっかり書き残そうレポートです。いつもありがとうございます!

 

 

新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 #651

[公演期間]  
2023/09/09,11

[公演回数]
2公演
9/9 東京・すみだトリフォニーホール
9/11 東京・サントリーホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

[曲目]
久石譲:Adagio for 2 Harps and Strings *世界初演

—-intermission—-

マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調

 

 

はじめに

9月16日、第651回定期演奏会(久石譲指揮・サントリーホール)の公演が有料アーカイブ配信された。F.O.C. vol.6とW.D.O.2023が配信されなかった状況で、どれほど嬉しいニュースだったかわかりません。

今回のコンサートでは久石譲の委嘱新作Adagioとマーラーの交響曲第5番が演奏される。

 

Joe Hisaishi: Adagio for 2 Harps and Strings

 

この曲は久石譲が「マーラー交響曲第5番」のアダージェットにインスピレーションを受けて作曲した曲だ。いつものように、弦楽オーケストラで演奏される曲は指揮棒なしで素手で繊細に指揮する。優雅なハープ2台はまるで天国を思わせるようで、弦楽器はゆったりと平和に祈るように演奏する。まるで瞑想音楽のようにゆったりとくつろげる聴きやすい曲だった。

2台のハープ。久石譲は2台のハープをよく利用する。以前レビューしたFuture Orchestra Classics Vol.3でもレポ・スメラの「交響曲第2番」は2台のハープが一番前に配置されて印象的だった。久石譲の自作曲の中でも日本武道館コンサートでもハープ2台が使われ、その他にも「Another Piano Stories ~The End of the World~」アルバム(2009)と「天人の音楽2018」でもハープ2台が使われた。

弦楽器のスタッカートで雰囲気が少し変わったり、演奏されるフレーズが少しずつずれて、久石譲のミニマル作品の感じが漂う部分も存在する。「マーラー交響曲第5番」はトランペットとホルンの負担が大きい。そのような理由から、この曲が金管楽器の負担を軽減する役割にもなっていたのではないか、という考えもしてみた。だとしたら…のちにハープ2台が入る大規模な交響曲の緩徐楽章に入ってもいいのではないか。

また、楽器の配置が常に使用していた第1ヴァイオリン-チェロ-ヴィオラ-第2ヴァイオリンの順序から少し変わり、第1ヴァイオリン-ヴィオラ-チェロ-第2ヴァイオリンの順序になるヨーロッパ式の配置方法を使用していたことが今回のコンサートの特徴だった。

この曲だけを演奏し、インターミッションの後、本日のメインであるマーラー交響曲が演奏される。

 

Mahler: Symphony No.5

 

「マーラー交響曲第5番」は3部に分けられる。 第1,2楽章が第1部、第3楽章が第2部、第4,5楽章が第3部だ。個人的にはマーラー交響曲5番を「暗黒から光明へ」解釈することに共感する方だが、このような解釈でマーラー交響曲5番を眺めれば1部は暗黒に該当し、暗黒と光明が共存し互いに主導権の戦いをする2部、光明を意味する3部になる。

第1楽章はトランペットのファンファーレで始まる1番目のモチーフ、そしてこのモチーフと対をなす比較的落ち着いた雰囲気の2番目のモチーフが交互に曲を導く。金管楽器の活躍がとても良かった。 第1楽章の5分頃に静かなファンファーレ以後急に雰囲気が激しくなる部分があるが、この部分で歯切れの良いスピードと涼しい展開で耳が本当に楽しかった。

 

 

今回のマーラー交響曲も、途中で演奏者たちがベルアップで楽器を演奏する部分も存在した。 ホルンも上に持ちあげて演奏したりもした。顔を上げて演奏すると楽譜を見るのに難しさはないだろうか?という気もしましたが…視覚的な効果が確かに良かった。マーラーはしっかり観客が最後まで集中できる要素をうまく入れておいたのではないか。

第2楽章は第1部の本論といえる。攻撃的なリズムで始まるが、やはり久石譲の指揮はよどみない速さとスピード感が感じられた。第2楽章も同様に、よりゆったりとした落ち着いた雰囲気で対照的なモチーフが登場し、2つの素材が交互になってポリフォニー的に重なり合ったりする。

第2楽章の面白いポイントは、明るい気運を帯びる長調のコーラルが登場し、曲の雰囲気をしばらく掌握してすぐに墜落し、結局短調に戻ってくる部分だ。 第2楽章が終わる時、二度目に登場するコーラルではホルンの素敵で豊かな音色が圧巻だった。

 

 

第3楽章もホルンがとても重要な楽章だ。 ホルンが第3楽章の始まりを知らせ、明るくて軽快な民俗踊曲であるレントラーで始まる。その後、慌ただしい動きの暗いモチーフが登場するが、すぐに曲は暗い雰囲気になる。

このように第3楽章は暗黒と光明の主導権の戦いが繰り返されるが、曲が暗い雰囲気で落ち続けようとする渦中には雄大なホルンが空から降りてくるように登場し雰囲気を転換させる。

ホルンが大好きな私としては幸せな瞬間の連続だった。

 

 

第3楽章にもピッチカートで演奏される部分があるが、この部分も指揮棒を後ろに折りたたんで指揮するのが見られる。

 

 

第3楽章で登場する珍しい木打楽器。 特異な打楽器もマーラーの交響曲の特徴だろうか。

 

 

第3楽章の終わりにまた空を飛び始めるホルン!!!第3楽章はホルンで始まりホルンの咆哮で終わる。

 

 

映画音楽の作曲家である久石譲にとって重要な楽章となる第4楽章アダージェット。この曲からインスピレーションを受けたAdagioという新作が初演された状況では、第4楽章にさらに期待を持たざるを得なかった。

やはりアダージェットは指揮棒を下ろして素手で指揮する。

アダージェットは死や哲学的意味を含ませるように10分~11分の長さでゆっくり演奏される場合がありますが、久石譲の指揮では9分強の長さで演奏された。久石譲も3部を光明を意味するものと解釈しているのではないか、という推測だ。

美しい旋律に沿って笑いながら指揮する姿は疲れた日常のヒーリングだった。

他の指揮者たちのアダージェットは、ときどき愛の裏の痛みや寂しさもにじみ出る感じだったとしたら、久石譲が指揮するアダージェットは、充満した愛だけを告白するセレナーデそのものだった。

 

最後の楽章である第5楽章は明るい雰囲気が全体を支配した。リズミカルにパン!と鳴る部分やいくつかのモチーフが無邪気に交互に繰り返し登場するのが面白かった。

 

 

コントラバスが弦を力強く引っ張るこの場面はしばらく脳裏に残った。

第5楽章の最後は第2楽章で一時的に登場してすぐ消えたそのコーラルが再び登場し、今度はきちんと明るいエネルギーを存分に発散して交響曲が終わることになる。

 

 

おわりに

今回のコンサートを見ながら、久石譲がベートーヴェン交響曲とブラームス交響曲の全曲を指揮して発売し、自分だけの指揮スタイルをきちんと構築しているという感じを受けた。例えば、アダージェットの速すぎずにスピードを逃さない部分は、ブラームス交響曲1番の再録音をした部分が思い浮かんだ。

実は私はクラシック音楽とはあまり馴染みがなく、今も難しい部分が多い。しかしこの頃はクラシックの楽しさを少しずつ身につけている。難しかったマーラーの交響曲も近づく感じを受けた。特に今回の交響曲5番はアルバムとして発売されることを願う。ブラームスの交響曲第3番のような人生曲の感じだった!

これからはどんなクラシック作品を久石譲の指揮で会うことになるのか、とても楽しみだ。

 

 

2023年9月29日 tendo

出典:TENDOWORK|히사이시조 – 신 일본 필 교향악단 제651회 정기 연주회 리뷰
https://tendowork.tistory.com/92

 

翻訳機能のせいで!?、ごつごつとした文章になることもありますが、なるべく書き換えないようにそのままにしています。単語として最適に翻訳されている言葉なのか、という不安もまたいつもつきまといます。tendoさんの着眼点はもちろん、表現のしかたもとても楽しくて好きなので、tendoさんらしい個性的なレポートが伝わるといいなと思っています。

ウッドパーカッションンは「ホルツクラッパー(スラップスティック)Slapstick」という鞭(むち)みたいですね。マーラー作品では第5番と第6番に登場するみたいです。

楽器配置について。久石譲は対向配置でおなじみです。tendoさんのレポートにもあるとおり、本公演では対向配置のパターンが少し違っています。簡単に言うとヴィオラとチェロが逆になっていて、コントラバスが右側にきています。ひとくちに対向配置といってもそのパターンは複数あって、作品ごとに最適なものを選んでいるのかもしれません。あるいは、久石譲の最新版になっていくのかもしれません。(どうして最新版…直近のグラモフォン録音の配置もこうなっていたからです…定点観測はつづく)

ひとつポイントなのは、チェロとコントラバスはセットで近くに配置されます。上の簡単に言うと~を言い換えると、ヴィオラとチェロが逆になり、それに連動するようにコントラバスもチェロ後方の上手奥になっている、という感じになります。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右対称になる両翼配置を基本として、ヴィオラ・チェロ・コントラバス、それにともなう管楽器群の配置パターンのバリエーションが対向配置にもある、そんな感じだと思います。

 

 

tendo(テンドウ)さんのサイト「TENDOWORKS」には久石譲カテゴリーがあります。そこに、直近の久石譲CD作品・ライブ配信・公式チャンネル特別配信をレビューしたものがたくさんあります。ぜひご覧ください。

https://tendowork.tistory.com/category/JoeHisaishi/page=1

 

 

 

本公演のプログラムノートや、久石譲の公演前メディア・インタビューなどはこちらにまとめています。

 

 

from 新日本フィルハーモニー交響楽団公式ツイッター

 

from Suntory Hall Official Twitter

 

 

 

 

 

「行った人の数だけ、感想があり感動がある」

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みんなのコンサート・レポート、ぜひお楽しみください。

 

 

reverb.
これからもコンサート配信つづくといいですね!

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Overtone.第95回 カーテンコールっていつ?撮影OKって?

Posted on 2023/09/20

ふらいすとーんです。

今回はクラシック演奏会の《カーテンコールの撮影OK》についてです。

カーテンコールっていつ?

どのオーケストラも?

どの種類の演奏会も?

撮影って写真?動画?

……

どこまで知っていますか?

僕はちんぷんかんぷんです。今でも。

 

 

▽アンケート結果
▽知りたい
▽きっかけ
▽流れ
▽N響の場合
▽新日本フィルの場合
▽なんとなくルール
▽久石譲の場合
▽僕の意見
▽撮影OK一案
▽お願い

 

 

▽アンケート結果

クラシック演奏会カーテンコールの
撮影OK派 53.8%
撮影NG派 46.2%

でした。投票ありがとうございます。

「わからない」という選択肢をつけなかったので、簡単に選びにくかったかもしれません。この1票1票のなかに「どちらかといえば」「この条件なら」「今の状況なら」といろいろな思いがくっついていると思っています。ありがとうございます。予想ではシンプルに撮影できるならOKのほうがいいでしょが多いのかなと思い、とても新鮮な結果でした。

 

 

▽知りたい

  • あなたの知ってるオーケストラ団体の現状は。
  • あなたの意見を聞かせてください。
  • 撮影OKのメリットを聞かせてください。
  • 撮影OKのデメリットを聞かせてください。

下の「コメントする」からどうぞ
*メールアドレスの入力が必要かもしれません。スパム防止のためです。メールアドレスが公開されることはありません。

SNS投稿のリプや引用を使ってどうぞ

 

コンサートを楽しみたいファンだから。ざっくばらんな意見交換ができたらいいですね。こうなったらいい!こうなっていってほしい!という前向きな提案として、観客側の思いをオーケストラ団体の皆さんに知ってもらえるチャンスにしたいです。僕もわりと直球に言っています。でも、文句・不満言って終わり、じゃなくて賛成・反対・自分にはなかった見方も知りたいし、いいと思える解決策に向かえばいいなと思います。

 

 

 

▽きっかけ

9月9日開催「新日本フィル 定期演奏会」に行きました。終演後、コンサート感想SNSにカーテンコール写真は見なかったように思います。当日、会場アナウンスや掲示に《カーテンコール撮影OK》案内はなかったように思います。

9月11日開催、別日同公演です。終演後、コンサート感想SNSにたくさんのカーテンコール写真あるいは動画撮影まで見受けました。投稿者によっては「カーテンコール撮影OKと確認しています」とわざわざ添えてあったり。何も添えず撮影投稿がもちろん多いです。

同じ公演内容で《カーテンコール撮影OK》と知ってる人と知らなかった人。結果的には両日OKだったようです。でもそのことでSNS「あれっていいのかな」みたいな空気になっていたりもしました。もっとも個人的に言わせてもらうと、積極的にSNSいいねしていいかわからない、したいけどためらう、それがきっかけです。コンサートに行った人でもわかっていないのに、行っていない人がOK/NGなんてわかるわけない、そんなので拡散効果って生まれるのかな。

 

 

▽流れ

2022年9月10日公演より、NHK交響楽団は『定期公演終演時のカーテンコールがスマートフォンやコンパクトデジタルカメラなどで撮影可能となります』と発表しました。日本オーケストラでは初の解禁となりました。その後、各団体も追随するように解禁しています。最新トピックでは、2023年9月15日、群馬交響楽団が『定期演奏会のカーテンコールの写真撮影を解禁する』と発表しました。その記事には『日本オーケストラ連盟の正会員25団体のうち、7団体が撮影を認めている』とありました。全国で7団体OK、東京には9団体あります、東京だけみてもOKオケとNGオケが混在している現状です。

(ツッコミどころにマーカー引きました。のちほど。)

 

 

▽N響の場合

2022-23シーズン定期公演の開幕となる2022年9月Aプログラム(9月10日、11日)より、定期公演終演時のカーテンコールがスマートフォンやコンパクトデジタルカメラなどで撮影可能となります。

ぜひご自身のSNSに投稿し(ハッシュタグ「#N響」「#nhkso」の追加をお願いします)、コンサートの感動を多くの方と分かち合っていただければと存じます。ほかのお客様の映り込みにはご注意ください。

撮影に際しては下記のルールを守ってくださいますようお願い申し上げます。

・撮影できるのは終演時のみです。

・撮影はご自席からとし、手を高く上げる、望遠レンズや三脚を使用するなど、周囲のお客様の迷惑となるような行為はお控えください。

・撮影前にスマートフォンのフラッシュ設定が「オフ」になっているかご確認をお願いいたします。

出典:N響定期公演で終演時のカーテンコールが撮影可能となります(11/17更新)
https://www.nhkso.or.jp/news/20220909.html

 

2022年9月よりN響定期公演で、終演時のカーテンコールを撮影していただけるようになりましたが、撮影をはじめる前には、スマートフォンのフラッシュ設定が「オフ」になっているかご確認いただきますようお願いいたします。

出典:[お願い]終演時カーテンコール撮影での「フラッシュ」はお断りします
https://www.nhkso.or.jp/news/20221110.html

 

 

N響はプログラム冊子にも上記公式サイトと同じ案内を掲載しています。当日の開演前や休憩時間のアナウンスなども使って積極的にPRしていると観客ブログも見ました。

 

 

▽新日本フィルの場合

演奏会の撮影に関するお知らせ(「第九」特別演奏会)

「第九」特別演奏会(2022/12/17・18・20・23・24)では、終演後カーテンコールの写真撮影が可能です。

一度退場した指揮者・ソリストが再登場したら撮影可能です。

撮影の際は、自席に着席のまま、スマートフォン・携帯電話でお願いいたします。

①サントリーホール公演では、前半(オルガン独奏)終了時は撮影いただけません。
②スマートフォン、携帯電話のカメラでの撮影が可能です。
③フラッシュの使用、自撮り棒・三脚等の使用はご遠慮ください。
④カメラを高く掲げた撮影は、後ろのお客様のご迷惑となりますのでご遠慮ください。
⑤ほかのお客様の映り込みにご注意ください。
⑥演奏中はスマートフォン、携帯電話の電源をお切りください。録音・録画は違法行為です。

演奏会の感動を、ハッシュタグをつけてSNSにぜひ投稿してください。

#新日本フィル第九 #佐渡第九 #sadono9

出典:演奏会の撮影に関するお知らせ(「第九」特別演奏会) | [公式]新日本フィルハーモニー交響楽団—New Japan Philharmonic—
https://www.njp.or.jp/news/5806/

 

 

▽なんとなくルール

(1)カーテンコール=終演後

全プログラムが終わった終演後らしい。一旦退場した指揮者やソリストが再登場したときらしい。そこからアンコールになったら?アンコールも全て終わったカーテンコールのときのこと?アンコールありなしってわかる?じゃあいつ撮れる?アンコールが始まりそうになったらまた急いで電源OFFする?

(2)全公演じゃない

定期公演・定期演奏会においてらしい。〇〇シリーズはOK?特別演奏会もこれはOKこれはNGとか出てくる?コンサートの種類を把握している人ってどれだけいる?自分の行く公演はって事前にしっかり調べる人どれだけいる?

(3)カーテンコール≠拍手の時間

前半終了時はNG。曲と曲の間の拍手の時間はNG。終演後カーテンコールの時間はOK。

(4)PR方法

公式サイトの案内気づくかな?当日プログラム冊子に掲載しているところ、公演ごとに案内を挟み込みしているところ、OK公演だけど挟み込みもしていないところ。当日開演前や休憩時間にアナウンスしてるしてない、わかりやすく掲示してるしてない。バラバラ。

(5)撮影

スマートフォン・携帯電話のみのところ、コンパクトデジタルカメラもOKなところ。《撮影》とだけあって《写真・動画》の区別をはっきりさせていないところ。ウヤムヤ。

 

 

▽久石譲の場合

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ(WDO)
過去からの慣例では撮影NG

久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS(FOC)
過去からの慣例では撮影NG

久石譲 presents MUFIS FUTURE(MF)
過去からの慣例では撮影NG

久石譲指揮 各オーケストラ 特別演奏会
公演ごとによる?
そのオーケストラ団体が撮影OKにしているか?
定期演奏会ではない特別演奏会になる

久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会
新日本フィルは定期演奏会の撮影OK
〇〇特別公演はNG

久石譲指揮 日本センチュリー交響楽団 定期演奏会
過去からの慣例では撮影NG
〇〇特別演奏会もNG

 

これだけでもうパニックです。コンサートに行き慣れている久石譲ファンなら「今日は撮影OK公演だな/これはいつもダメなやつだよね」とわかることもあるかもしれません。でも新規客・海外客はどうでしょう? SNSで情報チェックいつか久石譲のコンサートに行きたい!夢が叶った!そんな人も客席にはたくさんいます。そういえば、みんな写真も投稿してたね、よし自分もバシャバシャ撮ろう、演奏中はダメだよね、開演前はいいんだっけ。このくらいは心配に確認するかもしれません。でもコンサートの種類で違いがあるなんて。海外客ならもっともっと、あ日本のコンサートも撮影OKになったんだね、SNSで情報収集してきた旅行客や海外ファンからしたらそうでしょう。オーケストラ団体でOK/NGとか、公演でOK/NGとか、そんな煩雑な、、日本の文化もOKになったんだね、そのひとつしか頭にない。これふつうです。きっと思い出の一枚を撮ってやろうと張り切っています。注意されても、なんで注意されてるのかわからない、かもしれません。

 

 

▽僕の意見

(1)拍手を送ることに全集中したい

惜しみない拍手を送れるのはカーテンコールの時間だけです。それを疎かににしてまで撮影に夢中になるような文化ならいならいと思います。

(2)公式投稿してほしい ー拡散ー

もし公式や主催側がカーテンコールを投稿してくれるという約束があるなら、がんばって撮影しようとする人も減るのではないでしょうか。「〇〇交響楽団のSNSをフォローいただいているお客様、後ほど公演風景を投稿します。ぜひ拡散・引用にご活用ください。ひと言感想も添えていただけるとうれしいです。」と案内すれば効果アップしないでしょうか。新規客も、この機会にフォローしようかなとなるかもしれない。

(3)公式投稿してほしい ー安心ー

コンサートに行っていない人も含めて、拡散していいかわからないようなものを誰も好意で拡散しません。SNSに撮影したものがたくさん流れてくるけど、これって撮影OK?いいねしても拡散してもOK?ちょっとわからないからスルー。関係者がアップする場合でも「特別に許可を得ています」と書いているから安心して拡散しています。バズることもあります。

(4)目的と効果

クラシック演奏会ってそんなにカーテンコール風景に違いありますか。ポップスやロックのコンサートと比べて舞台セットや出演者の衣装など。客席からしか撮れない似たりよったりなものよりも、公式/主催者しか撮影できない一枚、舞台袖からのショットやズームな一枚、その公演でしか記録できない一枚とわかります。ほかにも観客が撮影したものは、もう団員たちが半分退場していたり、楽器を片付けているところだったり。団員たちもそんな姿を撮影されてSNSに投稿されてうれしいでしょうか。カーテンコールがどこからどこまでをさすか曖昧だから、こういった終演後退場時間までずるずるルールです。そこに効果はありますか。ただ観客の思い出づくりのためにカーテンコールくらいなら撮影OKと解禁しましたと言われたほうが、現状を理解できるというか納得できるというか(小声)。

(5)一番見たいのは

久石譲コンサートであれば。久石譲がピアノを弾いている姿、久石譲が指揮している姿。そしてオーケストラが迫真の演奏をしている姿。これこそ見たい。でも観客はそれの瞬間を撮影すること叶わない。それができるのは公式/主催者だけです。「感動したー!」「このコンサートに行ってきたよー!」素敵な写真を使って拡散したほうが演奏会の魅力も伝わるし、行ってみたいと思うきっかけになるような気はします。

(6)撮影OKなら

ルールを統一してください。

《撮影》ではなく《写真撮影》としてほしいです。動画撮影のSNS投稿も見ます。動画を30秒も1分間も撮るくらいなら、拍手をたくさん送ったほうがいいし、写真に比べて映り込みの編集も簡単ではありません。あと、スマートフォン・携帯電話とわざわざ限定してほしいです。コンパクトデジタルカメラといっても大きめなもの、望遠のものいろいろあります。

公式サイトでの告知、プログラム冊子への掲載、当日会場アナウンス(日本語・英語)、イラスト案内(舞台・順路)、アナウンスの頻度(開演前・休憩時間)。「撮影・録音は固くお断りします」のあとに「カーテンコールの撮影もご遠慮ください」なのか「当公演はカーテンコールのみ撮影いただけます」なのか。カーテンコールとはどこの時間をさしているのか。

日本のオーケストラの文化として。オーケストラ団体ごとのOK/NG、公演ごとのOK/NGは現時点では致し方ないと思います。でもルールは統一してほしい、そのルールでうちも解禁するか、ほかのオケも効果出てるみたいだし始めるか、GO判断も運用もシンプルに広がっていけます。

 

 

 

▽撮影OK一案

僕は撮影NG派なんだけど…

もしやるのなら積極的にやる一案。

 

(1)開演前はマイクアナウンス&大きいボード掲示

通路を歩いて案内するよりよっぽど効果的。小さくて見えないボードと地声でスタッフさんはがんばっている。舞台下手付近にでも、ホワイトボードをがらがらーっと出してきて大きく貼出し告知しておく。遠くからも見える、どの時間にホール入場してもわかる。開演ベルが鳴ったらがらがらーっと下げる。常連客も新規客も海外客も、特大告知ひとつでも6,7割は理解できるかもしれない。このボードの大きさや位置によっては、写真にも映り込んでくれるから、SNS投稿しても「NGって出てるのに」って見た人もわかる。以下、OKサインのときも同じ。(…ステージ中央に置くっていうのもあまりに品がないと思ったもので、そんな品のないことを演奏会でさせないでほしいと思ったもので…)

(2)前半終了、休憩時間

同じく出す。

 

いよいよ終演後カーテンコール!

一旦退場した指揮者やソリストが再登場したら、プラカードを掲げたスタッフ登場。今まで《撮影NGマーク》を見ていた観客たちは一瞬どよめき湧くかもしれない。《撮影OKマーク》になってる。今だけ写真撮影していいの?!

演奏会の感動や拍手の雰囲気に割り込むかもしれない。余韻をぶち壊すかもしれない。でもここはもう逆手にとってイベント演出にしてしまう。サービスタイムですどうぞ。

フラッシュはダメだよとか、動画撮影はダメだよとか、そういうのもいる。撮影タイムで一斉にカメラ向けられ撮られてるとわかった指揮者も団員もさらにいい表情になるかもしれない。これでも全体の3,4割くらいしか撮影しないのでは、仮に久石譲&WDOだったとして7割いくかな、FOCやMFでも5割いくかな、と予想。(積極的にやってもそうなら、今の中途半端なのって1割も撮影してな…発言自粛…でもその数でトラブルや不快の火種にな…発言自粛)

 

指揮者やソリストが舞台袖にはけたら(再登場回数は公演による/アンコール演奏のタイミングもある)、プラカードをひっくり返して《撮影OK》のタイムアップを知らせる。この時間が約2~3分だったとしてSNS投稿するいい写真の候補も増える。観客全体が周知しているからSNSのトラブルも起こりにくくなる。みんないい写真あげてる!コンサートうらやましい!ってなるかもしれない。

 

そして、指揮者やソリストが最後の再登場。ここはもう拍手に集中しよう。スマホをなおして惜しみない拍手を力いっぱい送ろう。

 

 

退場時、ホール出入り口などに「本日のコンサートはこのハッシュタグをつけてSNS投稿してください」「カーテンコールの撮影はいかがでしたか。あなたのベストショットと一緒に感想も添えてください」「公式アカウントからも公演風景を投稿します。ぜひそちらも拡散や引用にご活用ください」など。

うまくいけば、コンサートの感動&撮影タイムのイベント感に思い出はさらに膨らむかもしれない。ここまで積極的にやってPRの目的と拡散の効果といえるのではないでしょうか。

定期演奏会で盛り上がる演出になるかと言われたら、ちょっと難しいような気もします。全ての公演が大入りでもないでしょうし客層もあるでしょう。でも《カーテンコール撮影OK》を解禁したのなら、それがより効果を生むような文化を地道につくっていく。できないなら定期演奏会じゃない特別演奏会や盛り上がそうな公演を使って最大効果をピンポイントに狙っていく。とにかく惰性でやっていても意味はない。いつまでたってもうまく運ばない。と思います。

SNSだから簡単に広まるわけじゃありません。新鮮に積極的に目立つほど、なんとかそれをくり返して定着していって。はじめて、クラシックの演奏会に行ったことない人、オーケストラを生で聴いたことがない人、日常生活に「オーケストラ、クラシック、ベートーヴェン、ヴァイオリン、ピアノ」そんなキーワードにとんと縁のなかった人たちの、タイムラインにふと現れるようになってくるんだと思います。

 

 

▽お願い

オーケストラ側の積極的・消極的姿勢の違いが観客の混乱を招いている一因はたしかにあります。客まかせ、中途半端なルール、客の解釈に委ねる、バズればいいかな、トラブル起きたら修正しようかな、よく言えばチャレンジ、とりあえずやってみようのままここまで来ています。それに観客は振り回されています。いや、もっとこれから振り回されることになります。

当日会場でいざこざ、あの人マナー違反してると思われないか不安になる、間違って注意する注意される。SNSでもめる、これアップしていいの、撮影OKとありましたと添える。あのオーケストラ団体のコンサートは、口うるさい客がいる、写真撮るばっかりでコンサートの余韻興ざめになることが多い、マナーで不快になることが多い、SNSでトラブるから投稿したくない。好きなことで悲しい思いをする。もう行かない、客離れ。

《カーテンコールの撮影OK》について、当初の目的と狙っていた効果、現状、今後予測できるリスクとリターンを、解禁から約1年、立ち止まってこれからを話し合っていただけるとうれしいです。日本のオーケストラの文化としてルールの統一をめざしてほしい。そして今、全国各地で毎日開催されている本日のコンサートごとに、観客にお知らせできる方法をアップデートしてほしい。コンサートを気持ちよく楽しみたいです。

 

 

▽知りたい

  • あなたの知ってるオーケストラ団体の現状は。
  • あなたの意見を聞かせてください。
  • 撮影OKのメリットを聞かせてください。
  • 撮影OKのデメリットを聞かせてください。

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SNS投稿のリプや引用を使ってどうぞ

 

 

それではまた。

 

reverb.
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Overtone.第94回 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2023」コンサート・レポート by ふじかさん

Posted on 2023/07/31

7月21~24日開催「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2023」です。今年は国内3都市3公演と少なめのスケジュールだったこともあり、チケットを取るのは例年以上に至難だったかもしれません。またコロナ禍以降の新定番となりつつあったライブ配信も今年は見送りとなりました。会場に集まれた人たちは期待と興奮の熱気をおび各会場とも大きな歓声とスタンディングオベーションで最高潮を迎えました。

今回ご紹介するのは、WDO2018/2019/2021/2022/2023と足かけ5回連続WDOレポのふじかさんです。とくれば読みごたえもお墨付き。正直に言っちゃうと、これはオーケストラやコーラスの皆さんが喜んでくれるだろうレポートです。ここまでしっかり聴いてくれてるんだ、と。スマホのカメラが3眼になったみたいに、豊かな解像度にびっくりします。それはもちろん久石譲ファンが見ても新しい発見や新しい面白さのアングルの玉手箱。どうぞお楽しみください!

 

 

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2023

[公演期間]  
2023/07/21,22,24

[公演回数]
3公演
7/21 東京・サントリーホール
7/22 愛知・愛知県芸術劇場 コンサートホール
7/24 大阪・フェスティバルホール

[編成]
指揮・ピアノ:久石 譲
管弦楽:新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ
ソロ・コンサートマスター:豊嶋泰嗣
合唱:栗友会合唱団(東京/名古屋)日本センチュリー合唱団(大阪)

[曲目]
クロード・ドビュッシー:「海」管弦楽のための3つの交響的素描
久石譲:Woman for Piano, Harp, Percussion and Strings
    1.Woman
    2.Ponyo
    3.Les Aventuriers

—-intermission—-

モーリス・ラヴェル:管弦楽のための舞踏詩「ラ・ヴァルス」
久石譲:交響組曲「崖の上のポニョ」 / Symphonic Suite “Ponyo”

—-encore—-
Ask me why
World Dreams for Mixed Chorus and Orchestra

[参考作品]

久石譲 崖の上のポニョ サウンドトラック A Symphonic Celebration  The End of The World LP o

 

 

WDO2023東京公演の様子をレポートさせて頂きます。

2023年7月21日 サントリーホール 19:00開演

 

今年のWDOは『交響組曲 崖の上のポニョ』、ドビュッシーの『交響詩 海』の2曲を軸に構成し、~French Connection~という副題がつくコンサートになりました。

今回は例年より少なく3公演。チケット入手は困難を極めていたと思います。幸いにも4月の最速先行にて、東京公演を当選。サントリーホールに行くのは2011年のWDO以来となりました。

会場の18時前にカラヤン広場へ到着。広場自体も広いため、いつものような熱気の溢れる開場待ちという雰囲気ではなく、新日本フィルの定期演奏会のようなゆったりとした時間が流れていました。チケットもぎりを過ぎると、コロナ5類へ移行したこともあり、バーカウンターも営業再開中。本当にコロナ前のような雰囲気に戻っていました。

ホール内に入ると、ホールの美しさにうっとりしてしまいます。ステージを囲むような座席配置、美しい形状の照明器具。宝石箱のような雰囲気にわくわくします。徐々にステージに楽団メンバーが現れ、音出し練習。今回は木管の音色で『海』のフレーズが垣間見えました。

19:00ちょうどくらいに楽団メンバーが全員登壇。チューニングののちに、いよいよ久石さんの登場です。今回は久石さんと豊嶋さんがガッチリと握手ができるようになっていました。

 

 

Claude Debussy『La Mer,trois esquisses symphoniques pour orchestre』

第1楽章『De l’aube a midi sur la mer(海上の夜明けから真昼まで)』
コントラバスとティンパニの導入から、泡を感じさせる2台ハープの音色。チェロとヴィオラの1つ目の動機が顔出すとヴァイオリンのトレモロ、さらに木管により1つ目の動機が次々と顔を覗かせます。イングリッシュホルンとトランペットにより2つ目の動機が流れると、盛り上がり始め、主題が流れてきます。雄大で壮大な海の旅へ誘います。

ドビュッシーの曲は2022年4月の『牧神の午後への前奏曲』の時もそうでしたが、生で聴くと音源と全然印象が変わってきます。冒頭のストリングスのトレモロの美しさ、オーボエとソロヴァイオリンの掛け合いの繊細さ。旋律の裏で彩りを添えるフルートの美しさ。中間部でチェロが4パートに分かれるところは、男性テノールのような迫力がありました。後半は様々な楽器が絡み合い、まさしく海のようなうねりを聴かせてくれました。

第2楽章『Jeux de vagues(波の戯れ)』
タイトル通り、どのパートも波を表すような上下へ細かく動く旋律が随所に散りばめられています。冒頭のヴァイオリンのトレモロを伴うメロディも美しく、そのメロディはフルートへと受け継がれます。時折出てくるハープのグリッサンドも目を惹きます。楽曲が激しく動くところでは、久石さんも大きな身振りで全体に指示を出していきます。コーダ部に出てくるハープの音色は深海のような雰囲気も感じさせ、静かに終わります。

第3楽章『Dialogue du vent et de la mer(風と海の対話)』
怪しげな低弦の序章とともに1楽章でのモチーフが次々と聴こえてきます。テンポが上がってくるところは、久石さんも重心を右に傾けて全体を引っ張ていくような指揮をしていました。弦楽のうねりに2つのモチーフが次々と折り重なると、本当に大海原のような壮大な風景が浮かんできます。中盤ではホルンによるコーラルのような美しいハーモニーも聴こえてきます。2つのハープが再び聴こえてくるシーンは後半に流れるであろう『深海牧場』のような雰囲気も感じさせます。最後は再び2つのモチーフが次々となだれ込み、大きなうねりになって壮大なフィナーレとなりました。

FOCでは主に古典を、新日本フィルや日本センチュリーでの定期演奏会では近現代の曲を演奏したりとクラシックでも様々な曲の指揮をしている久石さん。今回のこの曲の選曲は2022年の「すみだクラシックへの扉」の延長線にあるような気がしました。古典曲よりも抽象的な表現が増えた印象派の曲たちを作曲家の目線での解釈と演奏は毎回楽曲の雰囲気をガラッと変えてくる感じがします。2024年2月の新日本フィルとの『春の祭典』も楽しみになりました。

 

 

Joe Hisaishi『Woman for Piano, Harp, Percussion and Strings』

国内では2019年WDO以来の演奏となりました。公演直前に急遽演奏が発表されたこの小品。確かにFrench Connectionにふさわしい楽曲となりました。

『Woman』
複雑な伴奏のリズムに乗る優雅で可憐な雰囲気のメロディ。ですが、疾走感もあり短めの曲ですが、いろんな表情を魅せてくれます。途中ピアノが若干遅れるように聴こえる部分がありましたが、久石さんが指揮にて操縦してもとに戻るシーンもあったような気がします。演奏後のハープとピアノへの拍手が若干小さく、客席に拍手を煽るように指示する久石さんの姿も。

『Ponyo』
昨年のWDOでは『Madness』が2度ほど演奏されましたが、今回は『Woman』が入ったため、2曲目の『Ponyo』が前半でも後半でも演奏する形に。演奏が始まって2ndヴァイオリンがピチカートでメロディを奏でる部分では、久石さんがにこやかに微笑みながら指揮していたのが印象に残りました。後半、コントラバスソロとピアノのみになるところ、お互いの距離は10メートルくらいは離れているのでしょうか? かなりの距離があるように感じましたが、ピタリと息の合う演奏には感激しました。最後はピチカートでポンッとフィニッシュです。

『Les Aventuriers』
久石さんは5拍子をわかりやすく指揮をしていました。テンポの速い5拍子のリズムは聴いていてわくわくします。サビの部分では久石さんも楽しそうにステップを踏むように指揮をしていました。2回目、3回目のサビではこのアレンジから追加になったヴィオラの副旋律をしっかり堪能。最後はズチャッ!とカッコよくフィニッシュでした。

 

休憩

 

休憩中にピアノが指揮台の手前に設置されました。4月、コンサート発表時には「指揮・ピアノ 久石譲」と記載がありましたが、しばらくすると、いつの間にか「指揮 久石譲」のみの記載に変更になっていました。今回は久石さんのピアノはお預けかな?と思っていましたが、プログラムにもしっかりと「Conductor,Piano : Joe Hisaishi」と書いてありましたので、うれしく思いました。再び休憩中にも木管の音色が聴こえてきました。『La Valse』や『ポニョ』のメロディが会場に響いていました。

 

 

Mrurice Ravel『La Valse,Poeme choregraphique pour orchestre』

後半の最初はラヴェルの『La Valse』からスタート。怪しげな音型の低弦からはじまり、木管もそれに続き怪しいメロディを紡ぎます。徐々にワルツが顔を出してきます。優雅なワルツの雰囲気になると、久石さんもゆったりと指揮をしていたのが印象的。激しい部分では強めに指揮棒を振り下ろしたりするような仕草も。

ワルツといえば、2022年3月指揮の『ベルリオーズ:幻想交響曲』の2楽章でも優雅な雰囲気のワルツを披露していました。楽曲が進むにつれて、転調を繰り返し、ワルツの形を保ちながらも徐々に崩れていき、テンポも速くなったり遅くなったり、2拍目3拍目が強調されたりなど、だんだん踊るのが難しくなってくるような展開が聴いていてとても面白かったです。激しさがピークを迎えたとき、ダン!ダダダダ、ダン!!と爆音で突如曲が終わりました。

 

 

Joe Hisaishi『Symphonic Suite“Ponyo”』

そして、本編最後の曲は、ジブリ作品交響組曲化の最後になった『ポニョ組曲』です。こちらは聴きながら、わかる範囲でサントラの曲目を交えながら感想を綴っていきます。途中、サントラとは構成が異なっている部分もあるので、不確かな部分もかなりあります。参考程度にどうぞ。

1.『深海牧場』
雄大な弦の調べに、ハープの水流のような音、コーラスのハーモニーが一気に『崖の上のポニョ』の世界へと誘います。中間部のピチカートにグロッケンの音で『ポニョ』のテーマが見え隠れするところも加わっていました。最後の豊嶋さんのヴァイオリンソロが美しく曲を閉めます。

2.『海のおかあさん』
今回はソプラノのゲストはいませんでしたので、この楽曲は混成合唱曲へとアレンジされていました。女性パートから入り、「きょうだいたち~」のパートから男声も加わります。中盤ではコーラス、オーケストラの伴奏に加わるヴァイオリンソロパートもありました。

3.『出会い』
ピチカートの導入で始まる、ポニョと宗介の出会いも組曲へ

4.『浦の町』
ポニョを乗せて、宗介とリサがドライブするシーンにかかるこの曲。途中、トライアングルの音色がよく響ていました。中盤はフジモトのテーマが勇ましく入ってくるところは壮観でした。

5.『クミコちゃん』
ポニョに水をかけられて泣いてしまうクミコちゃんのシーンも音楽で完全再現です。

6.『ポニョと宗介』
海からポニョを連れ戻すために波が襲ってくる不気味な低音が印象に残ります。

7.『からっぽのバケツ』
ポニョが海へ連れ去れた後の宗介の心情を現した曲。冒頭のメロディを2nd Vnがゆったりと奏でて、途中から1st Vnへバトンタッチ。ライブならではと対向配置による音の臨場感でとても琴線に響きます。

8.『波の魚のポニョ』
ポニョが再び宗介の元へ向かう力強い楽曲。この組曲では一部『トキさん』のパートが混ざっていた気がします。

9.『ポニョと宗介Ⅱ』
このあたりが曲が色々混ざっていた箇所で、結構記憶があやふやです。進むにつれて『ポンポン船』や『赤ちゃんとポニョ』、『船団マーチ』の一部も入っていたような… 収録も入っていたので、TV放送や配信時には要チェックが必要かと思います。

10.『宗介のなみだ』
お母さんに会いたくなって、思わず涙してしまう宗介にそっと寄り添うこの曲。久石さんも指揮をやめ、ピアノへ。オケが鳴りやみ、静まり返った空間に、久石さんの優しいピアノソロが会場に温かく広がります。サントラより少し長く、コーダでは転調をして、次の曲への橋渡しも。

11.『母の愛』
久石さんのピアノから受け継いで、続くのは美しいコーラスの響き。

12.『いもうと達の活躍』
そして、組曲も終盤へ。明るく快活なメロディに、宗介のテーマも彩を添えます。『深海牧場』のテーマが顔を出すと、物語のフィナーレへ。

13.『崖の上のポニョ』
最後はメインテーマで。12~13の流れは世界ツアーバージョンと同じ流れでした。シンプルで誰でも口ずさめるメロディを壮大なオーケストラで。コーラスによる歌詞は、今回は英詞。久石さんも楽しそうにリズムを取りながら指揮をしていました。2回目のBメロのピアノソロは、2011年くらいまでは久石さんが弾いていましたが、今回は指揮のみに変更。最後は大きく盛り上がりながらフィナーレへ向かいました。

 

曲が終わるやいなや、爆発するような大きな拍手。ここからは恒例の奏者への紹介&拍手のシーンへ。楽団メンバーも笑顔満点でこちらも笑顔がこぼれます。そして、何度かのカーテンコールののちにアンコールへ。

 

 

Encore

Joe Hisaishi『Ask me why』

アンコール1曲目はピアノソロとは予想はしていましたが、演奏された曲はまさかの公開されたばかりの映画『君たちはどう生きるか』からでした。コンサートの直前に丸の内にてこの映画を見たばかりで、まさかすぐのコンサートでスクリーンから流れていた曲を、作曲者本人の演奏で聴けるなんて!本当にびっくりしました。美しい和音からはじまり、連打音が続くシンプルなメロディ、どこか懐かしさのあるサビ。2コーラスくらい繰り返した構成になっていたと思います。

 

Joe Hisaishi『World Dreams for Mixed Chorus and Orchestra』

最後の楽曲は恒例になったこの曲に、豪華合唱付き。大好きな大好きなこの曲ですが、今回はアンコール1曲目の衝撃が強すぎてあんまりじっくり聴けてなかったのが心残りです笑

WDO2ndシーズンは今回で終わりで、数年休むとの記載がプログラムにありました。幸運なことにこの2ndシーズンは2014年から欠かさずにコンサートへ行くことができました。およそ10年の間にも世界は目まぐるしく変わりました。そしてコンサートで毎回演奏されるこの曲も、その年その年で大きく意味合いが変わり、本当に大事な1曲となりました。

当初は戦後の鎮魂の意味合いも含まれていましたが、2020年以降はコロナ禍での人々の願い、そして近年では大きな戦争の終結と平和への願いを込めて。いまではWDOのテーマ曲でありながら、久石さんの海外公演でも積極的に演奏するようになりました。「世界の夢」を希望の鐘の音色に乗せてこれからも世界中に響き続けますように。

 

 

演奏が終わると再び会場は割れんばかりの大きな拍手の渦へ。次々とお客さんが立ち上がり、総立ちで拍手喝采となりました。久石さんは何度かお辞儀をしたあと、弦楽の主要メンバーと握手を交わしていました。その後、楽団メンバー、合唱団のメンバーも退場した後も拍手は鳴りやまず、久石さんが再びステージへ。歓声と拍手で大盛り上がり、東京公演は無事に幕を閉じました。

 

WDOは数年の休止に入るようですが、久石さんの活動はまだまだ続いていきます。国内での次回公演は同じく新日本フィルとの定期演奏会。久石さんも新曲を書き下ろし、マーラーの『交響曲5番』を振ります。次回はどんな素晴らしい演奏になるか今から楽しみにしています。

 

2023年7月28日 ふじか

 

コンサートが近づいてくると音源で予習するふじかさんです。そこからコンサートの楽しみは始まっているんですね。さらに上をいくのがクラシック作品のスコアにまで目を通して、その作品の機微をつかもうとしている。なかなかここまではできません。だから超広角から望遠まで3眼レンズなレビューになるんですね!ほんとすごいっ!

レビューにもありました、ドビュッシー作品は生で聴くと音源とは全く印象が変わってくる、ほんとそうだと思います。指揮者とオーケストラの表現、そして聴いている客席の場所、いろいろなものが合わさってその時だけの響きのグラデーションに包まれるような気がします。

『交響組曲 崖の上のポニョ』のサントラ曲目について、僕のメモしていたものとほぼ同じです。「ポンポン船」や「赤ちゃんとポニョ」もパートが入れ替わったりしていたような気もしますけれど、そのほか含めリストアップするならこの曲目たちになるのかなと思います。ちょっと不確かなところもあるので僕のレビューには記しませんでしたけれど、、同じです。間違ってたら、、同じです。配信や放送が待たれるところです。

 

 

東京公演

リハーサル風景

from 久石譲コンサート公式ツイッター
https://twitter.com/joehisaishi2019

 

 

公演風景

 

 

 

こちらは、いつものコンサート・レポートをしています。

 

 

 

 

「行った人の数だけ、感想があり感動がある」

久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋 では、久石譲コンサートのレポートや感想、いつでもどしどしお待ちしています。応募方法などはこちらをご覧ください。どうぞお気軽に、ちょっとした日記をつけるような心もちで、思い出をのこしましょう。

 

 

みんなのコンサート・レポート、ぜひお楽しみください。

 

 

reverb.
初めてのコンサートも、回数重ねたコンサートも、記憶や思いはそのままにしておくと忘れていってしまいます。もったいない!ちょっとでも書きのこすところから。

 

 

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Overtone.第93回 メロディの圧縮?増殖?

Posted on 2023/05/20

ふらいすとーんです。

今回は難しいところから易しいところへ、わかりにくいところからわかりやすいところへ、少しずつほぐしていけたら。ゆっくりタイムにでも読んでください。ときにリスナーには努力が求められます。どうぞ耐え抜いてお付き合いください。きっと、そういうことね!と言葉と音楽が結びつくとそう願っています。

 

2020年2月開催「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.2」コンサートです。プログラムからアルヴォ・ペルト作品です。楽曲解説はこうあります。

 

アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ ~弦楽合奏とハープのための
Arvo Pärt:Festina lente for string orchestra and harp

1986年作曲の「フェスティーナ・レンテ」は、ローマ帝国の創始者である初代皇帝アウグストゥスも使った矛盾語法の「ゆっくり急げ」から着想したものである。このタイトルは構成だけでなく形式についても暗示している。作品は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、ヴィオラ、そしてチェロとコントラバスの3つのグループからなるカノン様式で構成され、メロディは全員同時にしかし3つの異なるテンポで演奏される。最も速いメロディは7回繰り返され、短いコーダを経て音楽は静寂の中へと消えていく。

Blog. 「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.2」 コンサート・レポート より抜粋)

 

そのときのレビューです。

アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ ~弦楽合奏とハープのための

静謐なこの作品は、曲目解説にもそのコンセプトが紹介されています。さらにわかりやすく言うと、ひとつのメロディがあって、例えば第1ヴァイオリン・第2ヴァイオリンは4分音符で演奏します。ヴィオラはその2倍の長さ2分音符で演奏します。チェロ・コントラバスはさらにその倍の全音符で演奏します。この3つのパートが同時に演奏されて進んでいきますが、例えば4部音符でメロディを奏でるのに2小節あったとして、2分音符であればその倍4小節かかります、全音符であれば8小節かかります。すごく簡単にいうと。異なる対旋律はなく、ひとつのメロディの音符長さのズレだけで、自然的にハーモニーや大きなリズムが生まれる、そんな作品だと解釈しています。こういったところにアルヴォ・ペルト作品のおもしろさ、そして久石譲が創作において共感しているところがあるのだろうと思います。チェロやコントラバス、ハープといった楽器を座って固定しないといけないものを除いて、この作品でも立奏です。

Blog. 「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.2」 コンサート・レポート より抜粋)

 

 

今ならコンサート特別配信されています。

 

JOE HISAISHI FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.2 全曲特別配信! Special Online Distribution

アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ ~弦楽合奏とハープのための
久石譲:The Border 〜Concerto for 3 Horns and Orchestra〜
ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68
ブラームス:ハンガリー舞曲 第4番 嬰ハ短調

from Joe Hisaishi Official YouTube

 

 

2022年3月4日開催「久石譲指揮 日本センチュリー交響楽団 第262回 定期演奏会」でも、同作品はプログラムされています。

 

これ以上ここで言葉を尽くしても難しいので先に進みます。でも、最後まで読んだあとにまたここに戻ってきてください。今ならちょっとわかる!そうなるとうれしいです。

 

 

今回のテーマは、メロディの《圧縮》《増殖》についてです。近年の久石譲作品の楽曲解説、および久石譲が取り上げる現代作品の楽曲解説に、たびたび登場する言葉です。ということは、同じく音楽的な手法も共通しているものがあるということになります。アルヴォ・ペルト、フィリップ・グラス、デヴィッド・ラング、そして久石譲。ここでは2020年以降の久石譲作品から見ていきます。

 

と、その前に、やっぱり言葉だけだと難しくって読むの諦めますね、読み飛ばしたくなりますね、譜面といっしょに図解しようとがんばります。

 

図1

上の図は、同じ音型を使って音符の長さごとに繰り返しています。???

 

図2

赤丸ひとつの音型です。

ここに《圧縮》《増殖》の両方があります。

8分音符を軸にしてみましょう。音型をモチーフとします。モチーフを1回奏でるのに1小節です。これを《圧縮》つまり16音符の長さに縮めると1小節に2回奏でることができます。逆にこれを4分音符の長さに伸ばすと1小節では0.5回、2小節に1回奏でることができます。もっと引き伸ばすと2分音符は、、というようになります。そして、上の譜面の状態は、モチーフが《圧縮》されたりしながら同時に流れている、モチーフが4つのパートで《増殖》している状態、ということになります。(あくまでも一例です)

 

なあんだ、そういうことか。《圧縮》とか《増殖》とかいうから、すごい難しい理論だと思ったら、圧縮って音符を伸ばしたり縮めたりしてるだけじゃないか、増殖って音や楽器が増えて盛り上がってるっていうことでしょ、なんか敷居高めに言いやがって、、(ちょっとお口が悪いですよ)、わかるとスッキリしますね。そうはいっても、言葉にするとこうとしか言えないのもまたしかり、決して置いてけぼりにするつもりない、言葉と音楽との境界線です。だからわかってしまえばこっちは1UPです。

 

 

「久石譲:交響曲第2番」第2楽章や第3楽章で《圧縮》《増殖》を聴くことができます。第3楽章「Nursery rhyme」はタイトルとおりわらべ唄のようなモチーフが登場します。フィナーレを迎えるラスト2分は、モチーフが幾重にも圧縮したり伸ばされたりで同時に奏でられいます。2分音符から16分音符まで、まさに上の譜面図のようになっています。もちろんシンプルではありませんから、カノン風に旋律はズレうねり、ピッコロ、オーボエ、トランペットらが掛け合うように装飾的に交錯しています。モチーフの増殖を螺旋のように描きあげながらピークを迎えます。

「久石譲:交響曲第2番」はまだ音源化されていません。そのなかで第2楽章「Variation 14」はアンサンブル版も作られ、こちらはリリースされています。例えば、7分あたりから1分間くらいの箇所は聴きとりやすいです。モチーフを高音ヴァイオリンらが16音符の速いパッセージで繰り返しているとき、低音チェロやトロンボーンらは4分音符に引き伸ばして奏しています。まるでベースラインのようなおもしろさですが同じモチーフです。そこへフルート、オーボエ、クラリネットらがまた、モチーフの素材を部分的にカラフルに奏してます。ここもまた《圧縮》と《増殖》が現れている状態といえます。

「Variation 14」には久石譲が推し進める《単旋律》の手法もあります。同じように低音で比べてみます。わかりやすいところで4分半あたりから1分間くらい、ときおりボンボンと不規則に鳴っているベースのようなパートは《単旋律》の音です。メロディライン(モチーフ)のなかの一音を同じところで同時に瞬間的に鳴らしている、そんな手法です。この楽曲の注目ポイントは、《単旋律》の手法と《圧縮》の手法をスムーズに切り替えながら構成されている妙です。さらにすごい、ラスト1分などは《単旋律》と《圧縮》の手法をミックスさせて繰り広げられています。だから厳密には《単旋律》(ドとかレとか同じ音だけ鳴っている)とは言えないかもしれませんが、それは理屈であってこだわらなくて大丈夫、《単旋律》オンリーもちゃんとやっています。この楽曲は、交響曲第2番第2楽章は、久石譲の近年作曲アプローチから《単旋律》と《圧縮》を昇華させ構築してみせた、すごいかたちなんです!(たぶん)聴くだけでもワクワク楽しい楽曲ですが、その中に技法もいっぱい詰まっているようです。ここだけでずっと話したくなる、またいつか語り合ってみたい。先に進めましょう。

 

Variation 14 for MFB (2020) (世界初演)

from official audio

 

 

「久石譲:Metaphysica(交響曲第3番)」です。ちょっと交響曲第2番で盛り上がりすぎちゃった感、しゃべり過ぎちゃった感あり割愛します。音源化もまだです。期待を膨らませるさわりくらいに。

 

第2楽章の楽曲解説はこうあります。

”II. where are we going? は26小節のフレーズが構成要素の全てです。それが圧縮されたり伸びたりしながらリズムと共に大きく変奏していきます。”

ほんとにこのとおりになっています。なにやら静かにゆっくり始まって、ガラッと一変鋭くリズミックになって、魅力的な弦楽四重奏のみ構成にもなって、力強い爆発力で解き放たれる。どんどん曲想が変わって同じようにメロディラインも変わっているように錯覚しますが、楽曲解説のとおり同じモチーフで首尾一貫です。

第3楽章の楽曲解説はこうあります。

”III. substance は ド,ソ,レ,ファ,シ♭,ミ♭の6つの音が時間と空間軸の両方に配置され、そこから派生する音のみで構成されています。ちなみにこれはナンバープレースという数字のクイズのようなゲームからヒントを得ました。”

6つの音からなるモチーフが稲妻のような速さで鳴り響き、それが中間部ではまるで強烈なフックのように2分音符に引き伸ばされた長さで重厚にたっぷりに奏されます(下の音で)。とても強い印象をのこします。「交響曲第3番」にも《圧縮》は散りばめられています。いやこれだと正確じゃない。楽曲解説の「時間と空間軸の両方に配置され」、《圧縮》は横の流れなので時間、《増殖》は縦の広がりなので空間と捉えることもできるなら。「交響曲第3番」ここもまた《圧縮》と《増殖》が現れている状態といえます。

 

第2楽章だけ特別に公開されています。どうぞゾクゾクしてください。

 

 

「久石譲:2 Dances for Large Ensemble」第2楽章です。長尺なメロディラインが4,8分音符で奏されたあと、同じテンポをキープしたまま16音符に圧縮されて奏される変化を聴くことができます。コンサート映像が公開されています。18分20秒あたりから2分間くらいの箇所です。この楽曲も同じモチーフで首尾一貫です。さらに高度に解析すると、基本モチーフは8分音符の粒です。でも18分20秒あたりの展開はスウィングする付点リズムのようになっているから「4,8分音符」とここでは書きました。そう、圧縮のパターンは等倍だけじゃありません。8分音符が等間隔で16音符や4分音符になるだけでじゃない、いろいろ変形した伸び縮み方もしている。圧縮バリエーションと言っていいのかな、いやむしろ、《圧縮》と《変奏》の合わせ技と言ったほうが正しいに近いのかもしれません。ほかでも旋律がカノン風にズレて増殖していたり、音符の長さを変えて同時に並走していたり。ここもまた《圧縮》と《増殖》が現れている状態といえます。まだまだ話し足りないけど先に進める、名残惜しい。

 

“JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE Vol.8” Special Online Distribution

 

 

(余談)

近年の久石譲作品から「Single Track Music 1」「2 Pieces」「2 Pages (Recomposed)」などにも《増殖》や《圧縮》といったキーワードは出てきます。曲ごとにどこを指して増殖している状態なのか?注目して聴いてみるのもおもしろいです。

 

(余談)

「増殖」と近い言葉に「増幅」があります。使い分けるなら「増殖」=ふえる、ふやす、「増幅」=ます、ふくらむ、おおきくする、というように前者の数的なものと後者の範囲的なものになるのかなとこれは個人の解釈です。そんなこともあってか音楽作品の楽曲解説には「増殖」が使われていることが多いようです(少なくとも久石譲作品と関連作品はそうでした)。評論やレビューでは「感情を増幅させて」などと使われていたりもします。範囲ですね。細かいところの言葉のこと。

 

(余談)

当サイトでは、久石譲作品の楽曲解説やコンサート・レポートなどを収めています。「disc 曲名」「blog 曲名」「レポート 曲名」などで検索してみてください。いろいろな聴きかたを紐解けるかもしれません。曲名だけだとたくさんのページにヒットしすぎるかもしれません。

 

 

急にサウンドトラックの話をします。海外TVドラマ「THE FLASH/フラッシュ」というヒーローアクションものです。シーズン8くらいまである人気作で、サウンドトラックもシーズンごとに出ています。そのおかげもあって、メインテーマはじめ主要楽曲のいろいろなバリエーション、シーズン・バージョンアップなど、音楽を追いかけても楽しい作品です。

 

The Fastest Man Alive (Always Late)

from Blake Neely – Topic (official audio)

メインテーマです。スピードヒーローということもあってか、モチーフの象徴的なフレーズが登場しています(00:14-00:27)。ここだけでモチーフとなっている音型を7回繰り返しています。その後も繰り返しながもうひとつの主旋律が上で鳴っていたり(00:40-00:50)、音型の一部を素材にして繰り返したり(01:00-01:25)、徹底的にこの音型にこだわって作られています。曲は曲想を変えながら進んでいきます。ピアノも変奏だし(02:29-2:40)そのあとの弦楽も変奏だし(02:43-end)。なんですけど、今回は変奏の楽しみはぐっとガマンして基本音型だけにこだわっていきます。

 

 

Sending Reverse Flash Back / Wells Betrays

16分音符だった速いモチーフが、8分音符の長さに伸びています(2:30-2:50)。より力強くより重く聴こえてきます。ここの盛り上がったピークなんて『スター・ウォーズ』ばりのお手本のようです。音符の長さが変わった印象の違い、この曲はこれだけ言って流します。、、なんて言いながら曲のエンディング、低弦でモチーフを刻む重厚さは『トップガン:マーヴェリック』などにも聴けるハリウッド手法の定番です。

 

 

Stuck in the Speed Force

モチーフの耳が慣れたころ、きれいにフォーカスしてくれます。ピアノは8分音符で(2:10-2:27)、ホルンらは2分音符で(2:33-)、その上にストリングスは16音符でモチーフの素材を断片的に散りばめながら。その流れのまま高音ストリングスは8分音符でクライマックスへ。ここでもモチーフの最初の2音や4音を抜き取って効果的に繰り返しています。もうわかりますね、《圧縮》の手法を使った曲と言えます。

 

Ready to Save the World

一番わかりやすい曲!3:10-endまでの1分間を集中して聴いていきます。モチーフが3つのラインで並走しています。ストリングスは16音符で、ピアノは8分音符で、そしてホルンは2分音符です。同じメロディを使い、音符の長さが違うこともはっきりと聴き分けながらその織りなす流れを楽しむことができます。

 

ここ、上の譜面図と同じ《圧縮》と《増殖》状態です。

 

そしてもしこの箇所を冒頭の「アルヴォ・ペルト:フェスティーナ」のように解説したらこうなるのかもしれません。

[楽曲は弦楽、ピアノ、そしてホルンの3つのグループからなるカノン様式で構成され、メロディは全員同時にしかし3つの異なるテンポで演奏される。最も速いメロディは10回繰り返され、反復を経て音楽は静寂の中へと消えていく。]

全く同じ曲のこととは思えないほど高邁になってしまいました。でも、言っていることもやっていることも説明としては一緒です。テレビドラマの音楽が一気にありがたいものに格上げされた気さえしてきます。おもしろいですね。

 

 

The Right Decision3

この曲はモチーフをピアノで演奏したものです。ここでは《圧縮》の話は置いておく。映画もドラマも海外もアジアも、ほんとモチーフの時代だなと感じます。従来の息の長いメロディライン、旋律が豊かに広がっていく曲想は今ちょっと影をひそめている。切り詰められた短いモチーフをどう料理していくか。料理の仕方には音色・リズムなどいろいろな手法がありますが、一番顕著になっているのはハーモニーです。この曲を聴いても、あの急速で力強いモチーフが、ここまで変わるんだとびっくりします。印象に影響を与えているのは複雑なハーモニーやさじ加減のあるエモーショナルなコード進行です。今の作曲家には、映画全体から音楽を構成するの意のなかにアレンジ力も大きく求められているように感じます。ワンテーマからの引き出しの多さがものをいっている。だから欧米も韓国もチームで音楽を作ることが主流になっている。モチーフが音数を変化させながら流れていきます(01:30-)。

 

 

The Most Important Part Of The Job

久石譲指揮で演奏会にプログラムされたこともある「チャイコフスキー:交響曲第5番」は、第1楽章のモチーフ(第1主題)が短調で織りあげられ、第4楽章で同じモチーフが長調で奏されるという形式をとっています。短調が長調に変わっただけで気づけなくなるくらいがらっと印象も変わっています。「久石譲:交響曲第2番」第3楽章もわらべ唄のようなひとつのモチーフで織りあげられ、明るくなったり暗くなったりと響きの変容を楽しむことができます。たぶん、チャイコフスキーのそれよりも同じ楽章内ということもあって、聴きとれ楽しめると思います。

今回取り上げた海外ドラマからのモチーフも、基本となるメインテーマの第1印象は、速い・鋭い・アクションものらしい、そんな感じです。でも、この曲のように180度印象を変えて、希望・明るい・ハッピーエンディングをイメージさせるような曲想になったりします(01:00-)。後ろで聴かれるホルンの旋律も、なんとなく雰囲気で鳴らしているのではなく、モチーフの音型からうまく拾いあげられているように思います。

 

 

ポップスにいく。

クラシック音楽や現代作品だと説明されてもハテナしか浮かばないことも、実はやっている手法は近かったりすることはたくさんあります。サウンドトラックから耳を慣らしていくのはとても楽しいです。なんといっても、聴きやすい!探しやすい!見つけやすい!サウンドトラックやポップスから耳のレバレッジをかけていく、楽しいストレッチを習慣にする。

海外TVドラマ「THE FLASH/フラッシュ」のメインテーマ・モチーフは、定番音型と言えるほど幅広い楽曲で耳にすることができます。久石譲の『悪人』や『坂の上の雲』のサントラにも近いものが聴けたりします。すぐにどの曲か思い浮かぶ人はすごい、とてもよく聴いていますね。

ポップスにもモチーフの波は押し寄せている?メロディラインだけじゃなくて伴奏音型やフレーズでインパクトのあるもの、その楽曲カラーを決定づけるもの。たくさんあると思いますが、ぱっと浮かんだのがこれだったので、同じ音型を使っています。BTSです。

 

N.O

from BANGTANTV official

 

 

終わりに近づく。

今回、一番最初に難易度高いほうから紹介した「アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ」。とても高邁で構えてしまいそうですけど、紹介してきた海外テレビ・サントラとまったく同じことをやっているんです。ほんとですよ、ちょっと見てみましょう。

 

from Festina lente – Arvo Pärt Centre (official) より image edit
https://www.arvopart.ee/en/arvo-part/work/517/

曲のはじまりです。ヴァイオリンが2小節でやっていることを、ヴィオラは倍の長さ4小節でやっています。チェロとコントラバスはさらに倍の8小節まで伸びています(赤)。同じように次の2小節も伸びていきます(青)。「メロディは全員同時にしかし3つの異なるテンポで演奏される」楽曲解説とおりです。《圧縮》と《増殖》のどちらもあります。

同じことをやっているのに、見つけられるサントラと見つけられないクラシック。クオリティを問うつもりも大衆さと高邁さを競うこともありません。そこにはアプローチと志向性の違いがあります。映画音楽はエンターテインメントとして観客に気づいてもらわないといけない。「ああだからここでこのメロディがくるんだね」とわかってもらわないと映像との効果を発揮できません。一方のコンテンポラリーな作品は、すぐにはわからないかもしれないけれど、音楽として強靭な構造をもったもの……音楽だけで……そう純音楽なんですね。この作品は冒頭から一番速いヴァイオリンで1コーラス1周するのにおそらく1分近くかかっています。そんな息の長い旋律が伸びたり折り重なってる、モチーフも変容している、楽曲解説があってもなくても気づけわかれと言われるほうが超難問って感じです。

 

もう一度、アルヴォ・ペルト作品を聴いてみましょう。イントロから20秒間が上の公式譜1ページ目です。前よりは3つのメロディが聴きわけられるようになった気がしませんか?20秒だけ集中力MAX!!

 

Festina lente

from Paavo Järvi -Topic (official audio)

 

 

むすび。

現代作品から久石譲作品から海外ドラマサントラからK-POPまで。いろいろな角度から手法の共通点を紐解いてきました。偶然にも同じ音型をベースにして幅広いジャンルで聴けるおもしろさもありました。

もうお腹いっぱい

だとは思いますが、耳のストレッチができたら「久石譲:2 Dances」や「久石譲:Variation 14」もアルバムやライヴ映像でまた聴いてみてください。普段よく耳にするサウンドトラックでやってることと同じようなことが起こっている?とあまり力まず楽しく耳をすませて。なんかハマっちゃいそうってなるかも。

もうお腹いっぱい

だとは思いますが、とても興味深い点もあります。「アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ」を聴いて、静謐・美しい・宗教的・エモーショナル、そんな感想もあるかと思います。でも曲を紐解くと決して感性だけで作っていないことがわかります。メロディを論理的に組み立てて、圧縮したり増殖したりと運動性を追求した先に、その旋律の交錯からハーモニーやリズムが生まれているという楽曲構造になっています。くだけて言っちゃうと、神様に祈りを捧げながら思い向くまま作っているわけではない、だって譜面が論理的なのはわかったし。感性よりも論理性が勝っている、作る側は。

このあたりのことは、久石譲の今の志向性と共通しているのかもしれません。美しいと感じるかエモーショナルに感じるかは聴く側のこと、作る側は感情に訴えようとは思っていない。あくまでも論理的に音を配置した結果、運動性を追求した先に、そこからリスナーのイマジネーションをかきたてるものが生まれてくる。コード進行や和音で曲を広がらせるのではない、旋律たちの織りなす瞬間に生まれるハーモニー、つまりポリフォニー、つまりバッハ時代ですね。

きっとこれからの久石譲作品を聴くヒントにもなると思います。そして、いつか届けられる日がくるだろう「久石譲:交響曲 第2番・Metaphysica(第3番)」を聴くときに、ぜひちょっとだけ思い出してください。そのときまた耳のストレッチのお手伝いができて、久石譲交響曲をさらに楽しむきっかけになれるのならうれしいです。

 

それではまた。

 

reverb.
好きな音楽をさらに楽しめる自分に出会えるならうれしい。努力の根源は好奇心だ!なんて。

 

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Overtone.第92回 映画音楽とTV音楽、サウンドトラックの楽しみかた

Posted on 2023/04/20

ふらいすとーんです。

たくさんの映画音楽を手がけてきた久石譲です。テレビドラマも含めてもう数が多すぎて数えることすら、、これまでに映画約90本、TV約40本、ゲームなどもあわせてサウンドトラック関連約190枚でした(ふらいすとーん調べ)。こうなると「久石譲のサントラよく聴いてる」なんてつぶやかれても、まったくどれのことだか予想できないほどです。

よし、今日は久石譲のサントラから聴こうかな。そう思ったときどう選んでいますか?好きな作品、好きな楽曲、オーケストラもの、ピアノが聴けるもの、シンセサイザーでいきたい、この年代が好み、いろいろあると思います。ここに加えて、映画とTVのサントラに境界線を入れてみます。

今回は映画音楽とTV音楽、サウンドトラックの楽しみかたです。無意識に選んでいたことのヒントがあるかもしれません。ざっとテーブルに並べてみましょう。トランプを並べたって54枚、UNOでも108枚、全然足りません。主要なものから選んで分けてみます。

 

映画

赤狐書生 サントラ 久石譲映画 二ノ国 サウンドトラック 久石譲海獣の子供 サントラ 久石譲妻よ薔薇のように 家族はつらいよ III オリジナル・サウンドトラック花戦さ オリジナル・サウンドトラック家族はつらいよ2 オリジナル・サウンドトラック家族はつらいよ オリジナル・サウンドトラック 久石譲小さいおうち 久石譲かぐや姫の物語 サウンドトラック久石譲 風立ちぬ サウンドトラック久石譲 奇跡のリンゴ オリジナル・サウンドトラック久石譲 東京家族 オリジナル・サウンドトラック久石譲 天地明察 オリジナル・サウンドトラック久石譲 『ラ・フォリア パン種とタマゴ姫 サウンドトラック』久石譲 悪人 オリジナル・サウンドトラックウルルの森の物語 久石譲 麻衣久石譲 私は貝になりたい オリジナル・サウンドトラック久石譲 おくりびと オリジナル・サウンドトラック久石譲 崖の上のポニョ サウンドトラック久石譲 崖の上のポニョ イメージアルバムマリと子犬の物語 オリジナル・サウンドトラック久石譲 『トンマッコルへようこそ オリジナル・サウンドトラック』久石譲 『男たちの大和 オリジナル・サウンドトラック』ハウルの動く城 サウンドトラックイメージ交響組曲 ハウルの動く城久石譲 壬生義士伝 オリジナル・サウンドトラック久石譲 オーケストラストーリーズ となりのトトロ久石譲 めいとこねこバス サウンドトラック久石譲 Dolls久石譲 Castle in the sky 天空の城ラピュタ・USAヴァージョンQUARTET カルテット久石譲 千と千尋の神隠し サウンドトラック久石譲 千と千尋の神隠し イメージアルバムBROTHER久石譲 川の流れのようにはつ恋 オリジナル・サウンドトラック菊次郎の夏 サウンドトラック久石譲 時雨の記HANA-BI サウンドトラック久石譲 交響組曲 もののけ姫久石譲 もののけ姫 サウンドトラック久石譲  パラサイト・イヴ久石譲 もののけ姫 イメージアルバム久石譲 Kids Return久石譲 水の旅人 オリジナル・サウンドトラック久石譲 Sonatine ソナチネ久石譲 はるか、ノスタルジィ久石譲 B+1 映画音楽集久石譲 紅の豚 サウンドトラック久石譲 紅の豚 イメージアルバム久石譲 あの夏、いちばん静かな海。久石譲 ふたり久石譲 仔鹿物語久石譲 タスマニア物語 オリジナル・サウンドトラック久石譲 釣りバカ日誌2久石譲 魔女の宅急便 サントラ音楽集ヴィナス戦記 オリジナル・サウンドトラック久石譲 ヴィナス戦記 イメージアルバム久石譲 となりのトトロ サウンドトラック集久石譲 となりのトトロ イメージ・ソング集久石譲 漂流教室 オリジナル・サウンドトラック久石譲 恋人たちの時刻 オリジナル・サウンドトラック久石譲 天空の城ラピュタ シンフォニー編 大樹久石譲 天空の城ラピュタ サウンドトラック久石譲 天空の城ラピュタ イメージアルバム 空から降ってきた少女久石譲 交響組曲「アリオン」久石譲 アリオン サウンドトラック久石譲 アリオン イメージアルバム久石譲 Wの悲劇 オリジナル・サウンドトラック久石譲 『風の谷のナウシカ サウンドトラック』久石譲 風の谷のナウシカ シンフォニー編 風の伝説久石譲 風の谷のナウシカ イメージアルバム 鳥の人

 

TV

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映画サウンドトラックの楽しみかた

  • 約2時間の映画を音楽で体感できる
  • 曲順も曲尺も映画にならう
  • あのワンシーンがよみがえる
  • シリーズ作品は音楽も発展する
  • 音楽監督の真髄をみる

 

TVサウンドトラックの楽しみかた

  • 全何話で使われた音楽を一曲ごとに
  • 切り貼りで使われたものもきれいに
  • 曲順はアルバムのバランスから
  • 曲尺は長めで起承転結に一曲仕上げ
  • 曲ごとに使用頻度が変わる
  • シリーズ作品は音楽も発展する
  • イメージアルバムに通じる
  • ドキュメンタリー音楽は〇〇がない

 

 

ぱっと思いつくところを書いてみました。ここからは作品ごとにいくつかピックアップして、少し具体的なことをレビューしていこうと思います。

 

 

CASE.『花戦さ』(2017)

映画本編127分、サウンドトラック44分です。収録曲のうち複数シーンに同曲一部が使用されていたりもします。映像の半分くらいに音楽がついた作品と言えそうです。曲数23曲と多いのに計44分です。1分,2分の曲が多い、音楽ファンとしてはもっと長く続きを聴きたいところですが、それだけにムダのない音楽のつけ方になっているとも言えます。

久石譲が映画全体から音楽構成していることは周知です。この作品でいうと、メインテーマ「花戦さ」実は映画ストーリーを振り返る絵巻物のようにいくつかの主要楽曲から再構成されています。Discレビューに詳しく記しています。メインテーマのモチーフとしては1,2分なんだけれど、エンドロール用に約5分の曲尺が必要だったことも一因でしょう。この手法はハリウッド映画にも定番で、定番どころかあちらのエンドロールはすこぶる長い、10分くらいあったりします。映画を追体験するようにエンドロールに楽曲をつなげて流しています。あっ、久石譲のこの作品のように再構成(アレンジが異なる)ではないです。本編で大切な主要楽曲たちがここで流れるんですが、なのにそこにサントラ未収録曲がある…なんてよくある話です。ハリウッド映画はサントラ完全収録しようと思ったら2枚組しないとキャパ足りない。

 

 

CASE.シリーズもの/全何話もの

映画『家族はつらいよ』シリーズ、GAME・映画『二ノ国』シリーズなど、シリーズを重ねるごとにメインテーマがバージョンアップしたり、新しいサブテーマが誕生したり、従来とは異なる物語や舞台から楽曲たちが生まれたり。作品を線で聴いていくとおもしろいです。

もうひとつ放送回数(全何話/時間)に注目してみます。テレビドラマ『この世界の片隅に』は1クール全9話です。一方、韓国ドラマ『太王四神記』は全24話です。日本のテレビドラマでいうと2クール分(1クール全10-12話)に相当します。時代ものといったこともあって大河ドラマのように幼少期から大人期までめまぐるしく展開していきます。この作品に2枚のサウンドトラックは必然と言えそうですね。NHK連続テレビ小説『ぴあの』は全156話です。1話15分で半年間計2,340分…なんのことかさっぱり…簡単にすると毎週90分ドラマを半年間やってるくらいの時間計算になります。なんと!それなのにサントラは2枚しかない。久石譲はこの作品のために5枚出せるくらい曲書いたというエピソードもありますが、残念ですね、直近の朝ドラだと平均Vol.3くらいまでリリースされるようになっていますね。物語として大きく展開しない(例えば幼少編・青春編、例えば故郷編・東京編とか)のもあったのか、どうなんでしょう。サントラ2枚に抜粋でドラマを彩った曲がちが収録されています。

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』は全13話です。期間は足掛け3年の3部構成です。それだけじゃありません。1話90分です、民放でいったら2時間ドラマに匹敵します。CMを挟まない凝縮度で第1部5回、第2部4回、第3部4回、それぞれ12月の約1ヶ月間を使って集中放送されました。”スペシャル”とわざわざ銘打って大丈夫です。3部構成だからサントラも3枚、よくわかります。

 

 

CASE.『太王四神記』(2007)

久石譲の独壇場といったところでしょうか。このサントラの人気が衰えない(新しいファンも掴む)のは、なんといっても聴きごたえがあるからだと思います。分厚いフルオーケストラ・サウンドとシンセサイザーのブレンドも絶妙です。主要テーマ曲もしっかり登場人物ごとにカラーが鮮明で、なおかつ多彩なアレンジ・バージョンもあります。そして一曲ごとに楽曲構成も起承転結で作られています。

テレビドラマ本編では、いくつかの未収録楽曲や、いくつかの未収録バージョンも使われています。「ヒョンゴのテーマ」のシンセバージョン、「ファチョン会」のピアノ+弦楽バージョン、「タムドクのテーマ」のチェロ独奏、フェアライトと幻想的なコーラス曲などなど、すごい充実ぶりです。

ひと言付け加えると、この時代はオーケストラ対抗配置ではなく通常配置をとっています。”この作品はあえてメロディをユニゾンさせて線を太くしている”と過去インタビューにあったと記憶していますが、だから精緻なオーケストレーションというよりは、とにかく旋律の線が太い、ダイナミックで勢いのある曲たちに仕上がっています。

TV音楽のデメリットからみると、この作品もカットに合わせて曲の切り貼りがされています。そんなに多くはなかったと思いますが、うわっとビックリする曲展開になっていたりします。しかも中途半端に切り貼りが上手いもんだから、もともとそういう曲なのかな?と思ってしまいかねない良し悪しです。原曲パートがABCDEとあるところ、まだBの途中でブチっと切れてとかなら切り貼りしたとわかるところ、ACEとウルトラな展開をしてしまうからビックリしてしまう、そんな感じです。(これを作曲家のせいに勘違いされて、曲の展開が強引とかちょっと極端じゃない?!、なんて言われたくはないところです。サントラ聴いてね!!)

 

 

CASE.『この世界の片隅に』(2018)

連続ドラマとしては『坂の上の雲』以来9年ぶりです。曲が切り貼りされることはTVドラマの性(SAGE)ですが、この作品ではそうされることを織り込み済みといわんばかりの楽曲づくりになっています。どう切り取られても大丈夫なように、なんならカチッと切り取りしやすいように。そのあたりDiscページのレビューに記していたと思います。興味あったらぜひ見てください。

TV音楽のメリットにもふれておきましょう。ドラマ本編では「すずのテーマ」の繊細で愛らしいグロッケンら打楽器バージョンや、牧歌的でほのぼのとした木管&ピッツィカートバージョンなどが、シーンに合わせてセレクトされています。1コーラス30秒くらいで歌いきれるメロディーです。実はサウンドトラックには一曲のなかの1コーラス目、2コーラス目というように楽器や曲想を変えた自然な曲展開で仕上げられています。後半はオーケストラに広がっていきます。なんなら別トラック「すずのテーマ~望郷~」の1コーラス目はフルートソロ、2コーラス目はピアノソロです。、、もしこれが『花戦さ』のような映画だと、30秒ごとに4曲4バージョンでトラックされることになりかねない。映画音楽の場合、映像とそのシーンに当てる音楽はひとつの解です。でも、テレビドラマ音楽の場合は映像と楽曲の組み合わせに無数の可能性が出てきます。そこがおもしろいところです。作曲家は映画音楽とドラマ音楽を確実に分けて、手法を切り替えて、作曲に臨んでいると思われます。(偉そうに言うな!)…久石譲が「作曲は論理的でなければならない」と常々言っているのはこういったケースにも…(だから偉そうに言うな!)

テレビドラマの場合、2時間の映画と違って連続ドラマ計約10時間のために、シーンごとに専用の音楽を書いていくことはできません。事前に物語や脚本からイメージした曲を用意して、あとは選曲家や音響監督に委ねられることになります。久石譲がテレビ音楽を頻繁に請けないのは、こういった制作期間や曲数の問題と、曲を託せる信頼できる選曲家の問題などがありそうです。映画は音楽監督としてどのシーンにどの音楽をという采配も含めて曲を作っていきます。作曲から映像につけるまで全ての決定権を握っている音楽監督と、テレビ音楽の大きな違いが曲づくりにも表れてきます。

なんか逸れてきた、何が言いたかったのかな、そう、少し戻って、事前にイメージして曲をつくっていきます。テレビドラマのこの手法は、スタジオジブリ作品でいうイメージアルバムに近いとも言えます。曲尺も曲想もあまり制約がない。遊びが多い、自由度が高い。もちろん完成品として使うことを前提に打ち合わせも詰めたうえ、イメージアルバムよりは確度も高くなり、使われない曲ということもありません。

 

 

CASE.『坂の上の雲』(2009-2011)

3年間、3部構成、3枚+総集編です。どんどん歴史が動いていくドラマ、それぞれに必要な曲も変わっていき増えていきます。主要楽曲のアレンジ・バージョンも充実していますし、各部のキーとなる楽曲も登場しています。この作品で特筆すべきは、あわせ技の極意だったということです。『太王四神記』や『この世界の片隅に』などのように、世界観や登場人物からテーマ曲が書かれ適時くり返し使われる主要楽曲と、第〇部第〇話の特別なシーンにしか流れないキー曲、そのふたつが並列している。まるで映画のようにそのシーンのためだけに書かれた曲があって、しかも曲尺もたっぷり長い、なんと贅沢な音楽優生だったことでしょう。音楽:久石譲の扱いもまたスペシャルだった作品です。そんなことができるのはNHKのスペシャルな力でしょうか。

 

 

CASE.『NHK シリーズ深海』(2013)

ドキュメンタリー番組のための音楽です。映画やドラマと決定的に違うところ、脚本がない。ストーリーや登場人物に左右されないから、ほぼほぼ久石譲イマジネーションで築かれています。テレビドラマとはまた違った方向でイメージアルバムに通じると言えるかもしれませんね。物語の展開や、登場人物の喜怒哀楽に沿う必要のない、「深海」という大きなテーマだけで創作されています。「深海のテーマ~コミカル~」「深海のテーマ~悲劇的~」「深海のテーマ~勇壮に~」なんてないですもんね。

そうですね、純度の高い久石譲オリジナル・アルバムに近い、そのくらい僕は思っています。なかなか推してる人に巡り合えませんが、久石譲の作家性とエンタメの遊び心がいい塩梅で拮抗したアルバムだと思います。そうかな?と思う人も『Deep Ocean』もそのポジションにあると言えば、まあ少しくらい話聞いてやってもと思ってくれるでしょうか。ネクストシリーズの『ディープ オーシャン』にもこのアルバムからの曲は継がれ使用されています。

 

 

CASE.『二ノ国』(2011/2018/2019)

久石譲が音楽を担当した作品のなかで、今現在一番シリーズを重ねている作品です。あわせて今現在唯一、ゲームから映画へとメディアミックスで広がった作品です。約10年近く関わるなかで作曲手法や演奏アプローチも変化していたりおもしろいです。世界観とイマジネーションでフルオーケストラ響かせた初期2作品は、楽曲構成も充実の起承転結です。挙げていいなら『イメージ交響組曲 ハウルの動く城』と肩を並べるくらいの輝きと漲りを感じます。2018年次作では、ゲーム内でループして流れることを想定して書かれた手法、モチーフ・楽曲・音色のカラフルな多彩さ、演奏アプローチのレベルなど、久石譲もまた新しいフィールドを進んでいます。そして、GAMEの世界から映画の世界へと広がった作品は、一貫したメインテーマ(全作品でバージョンが違う)と、過去作の楽曲からもクロスミックスさせた美味しいとこどりビュッフェ状態。

好きな一曲にフォーカスしても、アレンジが変わっていたり、胸躍る装飾フレーズが追加されていたり。楽曲たちがレベルアップするごとに、僕らリスナーの楽しさもまたレベルアップしていく。ゲームから親しんだ人は映画の選曲とアレンジにうれしくなり、映画から入った人はゲームサントラで一曲きれいに聴いてみたいと好奇心まし。ぜひDiscレビューをアイテムに二ノ国音楽クリアを目指してみてください。完全攻略本はムリですがスタートアップガイドくらいにはなると思います。

 

 

CASE.スタジオジブリ作品

最後はこうなります。行き着くところはこうなります。やっぱり”ジブリ最強”としか言えないところが確かに存在します。

第1フェーズ、作品の世界観からイメージアルバムを制作します。キーワードをもとに久石譲のイマジネーション全開です。本編にそのまま使用するわけではない、曲尺も曲想も制約がない、完成使用品じゃないからこその好奇心と探求心の原石です。いつも新しいジブリ×久石譲を生み出している原石です。ここでとても注目なのは、脚本の制約もこの時点ではないということです。宮崎駿監督は製作と絵コンテ(脚本)が同時進行という特殊な方法論をとっています。作り始めた頃、まだ映画がどう進むのか、どういうキャラクターが活躍するのかわかっていない。わかっていないのは久石譲も同じ、だからスタジオジブリ作品はとりわけ作品の世界観に音楽をつけている、ピュアに世界観から音楽もスタートしている、と言いたいわけです(僕のこだわりなわけです)。

第2フェーズ、イメージアルバムという原石を磨きながら映画音楽として完成していきます。ここで音楽作品としての比重は少し下がります。カットに合わせた曲尺に縮められたり、セリフやシーンテンポに合わせて曲想が変わっていく。一方では、映像があるからこそ動きと音楽が完全にシンクロする楽曲もここで誕生する。はたまた、イメージアルバムでは離れていた曲がくっついて新しい一曲にミラクルに。そりゃクオリティもワクワクも上がってしまうわけだ。そんなことされたら心臓がいくつあっても足りない射抜かれてしまうわけ。

このとき音楽監督の真髄です。TV音楽の選曲家方法と決定的に違うところです。イメージアルバム楽曲からのエディット、新しく必要な作曲、映像とのマッチング、映画全体から設計して音楽のいる箇所いらない箇所。作曲から映像につけるまでのその全ての決定権を握っている音楽監督だからこそできる。曲を聴いただけであのシーンが思い浮かぶ、これもまたスタジオジブリ作品に顕著で誰しも共感ポイントかもしれません。それは世界観×映像×音楽、印象に刻みこむ黄金方程式は群を抜いています。

「映画の音楽は監督のもの」そうよく言われます。でも、素人の僕からするとTV音楽のほうはさらに作曲家の手を大きく離れているように思ったりします。楽曲が使われる場所も委ねられる、楽曲ごとの使用頻度もお任せになる。この曲イチ押しだったもっと使ってほしかったな、なんてことも起こるかもしれない。もちろん、この曲こんなふうに使ってくれてありがとう、もある。はいって提出して、作品完成まで四つに組むことはあまりないですよね。はい、裏返しましょう。映画音楽の場合、音楽監督の役割、映像×音楽の親密、さらにはスタジオジブリ作品の監督×作曲家の黄金タッグ。

第3フェーズ、シリーズ作品ではないけれど、オリジナル映画から発展した『ラピュタ 北米版』や『めいとこねこバス』は音楽もバリエーション豊かになっています。また映画のあと延長線上に制作されたシンフォニーアルバムやヴォーカルバージョン、ますます多種多彩に豊かになっていきます。

第4フェーズ、映像や物語から離れて音楽作品として再構築します。イメージアルバムからサウンドトラックまでクオリティの上がった楽曲たちを、ブラッシュアップしてまた起承転結のある一曲に仕上げるわけです。時にそれは久石譲オリジナル・アルバムとして時代の手法にならい(アレンジがそのアルバムに沿っている)、時にそれは演奏会用作品として輝いていきます。愛されつづける映画作品、聴かれつづける映画楽曲、だから何度も演奏される、だから何度もアップデートされる。

第5フェーズ、交響組曲として作品をのこす。クラシック音楽でバレエ作品から音楽だけを組曲化してきたように正統な継承を行う。スタジオジブリ作品が映画としてのこることは揺るぎません。そこへ音楽だけでもかたちにする。もっともっと世界中のオーケストラで広く演奏できるベーシックなオーケストラ編成で、譜面も出して、演奏や聴く機会を広げていく。今現在、作品ごとの交響組曲化と世界ツアー「ジブリコンサート」とふたつが並走しています。ポイントなのは、2017年から始まった世界ツアーも回を重ねるごとに細かく修正されバージョンが改訂されているということ、そして交響組曲のそれとオーケストレーションが最終的にニアイコールになるように同時進行的に磨かれているということです。ジブリ最終形態へと進化を続けています。

「久石譲の半分はジブリでできています」(CMみたい)。……そんなことないよ、全体の映画本数からしたら2割にも満たないじゃないか。そうなんです。でも作品にしている数、アルバムにしている数、アルバムに収録している曲数からすると、あながち誇大広告なキャッチコピーとは言えないかもしれない(小声)。いや堂々と胸を張って言おう、久石譲はスタジオジブリ作品をオリジナル作品と同じところに見ている、と思っています。ふつうの映画音楽とは思っていない、エンターテインメントだけとも思っていない、その時代の100%の作家性を注いできた。そして未来へ100%の音楽性を目指して今なお注いでいる。ジブリ×久石譲の流儀がここにあります。

「久石譲はジブリだけじゃない」という人の気持ちもよくわかります。ジブリだけで語ってほしくないなって思いますよね。でもジブリをなくして語れないこともまた事実なんです。スタジオジブリ音楽があるから久石譲のコンテンポラリーな交響曲やオリジナルアルバムもファンを魅了している。どちらも浴びているからリスナーの耳も広がり音楽の幅も広がっている。スタジオジブリ作品は映像も音楽も教典といっていいほど世界中のクリエイターに影響を与えています。いい映画あっての映画音楽の命です。でも、久石譲が楽曲の火が消えないように生かし続けてきたこともまた大きい、ここにも光をあてたい。ジブリ×久石譲はレガシーです。

 

 

よし、今日は久石譲のサントラから聴こうかな。どう選んでいましたか?これまで無意識に選択していたことのヒントがあったかもしれません。なんとなく共感できるところもあったならうれしいです。ジブリしか聴いたことない人に未開拓なサントラの魅力を伝えるヒントはあったかな?? 言葉にできたら、誰かにおすすめするときも説明しやすくなりますよね。自分が一番そう思いながら書きたいまま書いてきました。

 

それではまた。

 

reverb.
サントラって楽しい。ジブリの文量が半分を占…ってことはなかったと思う。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Overtone.第91回 「ANGEL DOLL」をめぐる不思議 ~北野武監督作品~

Posted on 2023/03/20

ふらいすとーんです。

北野武監督作品について、その音楽についてふれるのは初めてかもしれません。

 

◇ワールドベスト収録曲「ANGEL DOLL」
◇映画『キッズ・リターン』
◇映画『HANA-BI』
◇映画『菊次郎の夏』
◇(1)~(6)をめぐって
◇サウンドトラック(国内盤/海外盤)
◇久石譲:【mládí】for Piano and Strings

 

 

ワールドベスト収録曲「ANGEL DOLL」

世界同日リリースのベストアルバム第二弾『Songs of Hope: The Essential Joe Hisaishi Vol. 2』(2021)の1曲目を飾るのが「ANGEL DOLL」です。なんでこの曲??と思ったファンはけっこういるとかいないとか。僕も不思議でした。もっとたくさんいろんな曲あるのに…あえてのこの曲…あえての1曲目…。映画『キッズ・リターン』メインテーマのアレンジ・バージョンです。これを?と不思議に思ってしまうところです。……キッズ・リターンのサントラから入れるにしたってもっとほかに……はいストップ。

リリースから少し時間が経ったあたり、もしかしてと思うようになりました。北野武監督作品って”天使をモチーフにしたもの”がいっぱい出てくる、「ANGEL DOLL」は北野作品のコンセプトや象徴的なものかもしれないと。ワールドベストだし、北野映画の欧米人気もあるし、選曲したのはデッカはじめ海外スタッフが中心という情報もあった気もする。

 

 

そうです。「ANGEL DOLL」は『キッズ・リターン』のアレンジ違いを収録したかったわけじゃない。北野作品のなかで「天使」をテーマに据えた『キッズ・リターン』『HANA-BI』『菊次郎の夏』の3作品、その象徴的なものとして収録した。意図したコンセプトがあることを明示するように1曲目に置いた。

先にこれも言っちゃおう。「Kids Return *初収録ver.」も収録されているのに同曲アレンジ違いの「ANGEL DOLL」を同じディスクに入れるほうが不自然な気がしてきます。ファンゆえにごっちゃになってしまうところ、ワールドベスト第1弾・第2弾をまたいで同曲異編(バージョン違いのこと)はあります。例えば、「Summer」は第1弾『Dream Songs: The Essential Joe Hisaishi』にはオーケストラ・バージョンが収録されていて、第2弾『Songs of Hope: The Essential Joe Hisaishi Vol. 2』にはアンサンブル・バージョンが収録されています。ほかの曲を見比べてもそうです。そこへきて、どうしてキッズ・リターンのメロディが同じディスクに2曲入ることになったのか。不思議。

 

さて、答えはどうでしょうか?

いっしょに見ていきましょう。

 

 

 

 

映画『キッズ・リターン』

この作品には「天使の絵」や「天使の人形」が登場します。「天使の絵」は北野武監督が描いたものでオープニングロゴのように、「天使の人形」は主人公らとは異なるサイドストーリーとして並走しています。天使というモチーフに何を込めているのか、カットごとに見ていくと10~12シーンくらい映っています。

 

[オープニング]
あの有名な「Kマーク」オープニングロゴが誕生する以前の映画です。映画『キッズ・リターン』ではこのカットがオープニングロゴのように使われています。この時流れているのは「Track1. MEET AGAIN」で、メインテーマのアレンジ・バージョンです。

 

[シーン 喫茶店]
初めて天使の人形が登場するシーンです。主人公の二人とは異なる、サイドストーリーが始まっていきます。この時流れているのは、今回のお題にもなっている「Track3. ANGEL DOLL」です。

 

[シーン タクシー]
主人公たちとは別の、青春時代の恋愛・就職・結婚その紆余曲折の果て。並走する物語のシーンにその登場人物らと一緒に天使の人形がよく登場しています。

 

 

映画『HANA-BI』

この作品には「天使の絵」が登場します。北野武監督が描いたもので、オープニングとエンドロールの2回です。本編には病院に飾られている別の絵が2回映っています。「天使の人形」はありません。またオープニングロゴ「Kマーク」が初めて使用された作品です。(このことは『菊次郎の夏』で詳しくやります)

 

[オープニング]
オープニングロゴのあとにキャストロールです。この時流れているのは「Track5. Ever Love」で、「Angel」のアレンジ・バージョンです。

 

[シーン 病院]
病院の廊下に飾られている絵です。

 

[エンドロール]
この時流れているのはメインテーマ「Track11. HANA-BI (reprise)」です。

 

[エンドロール]
最後は少しずつズームアップして終わっていきます。オープニングとも違う天使のイメージです。翼ももがれ、手の位置を追うとまた深く考えさせられます。

 

 

映画『菊次郎の夏』

この作品には「天使の絵」や「天使の鈴」が登場します。「天使の絵」は北野武監督が描いたもの、「天使の人形」は主人公らと物語を共にするキーファクターになっています。加えて主人公の男の子がからっているリュックにも羽がついています。それだけにカットごとに見ていくと天使にまつわるもの約25シーンも映っています。

 

[オープニングロゴ]
映画『HANA-BI』のときに誕生しました。実はそのときまだ音はついていません。映画『菊次郎の夏』からオープニングロゴ+サウンドロゴ(久石譲作曲)の組み合わせが生まれ、以降も北野映画の象徴として使われています。ポイントは、サウンドロゴを北野映画の象徴とみたときに、映画『キッズ・リターン』『HANA-BI』のときにはまだない、ということです。

 

[オープニング]
オープニングロゴのあとにキャストロールです。この時流れているのはメインテーマ「Track1. Summer」です。ポイント1は、映画『HANA-BI』と同じ絵が使われるということです。線のコンセプトを感じます。ポイント2は、映画『キッズ・リターン』『HANA-BI』『菊次郎の夏』3作品とも「天使の絵」が映るオープニングやエンドロールに、メインテーマ曲が流れているということです。『キッズ・リターン』はアレンジ曲「MEET AGAIN」。あれ?『Songs of Hope: The Essential Joe Hisaishi Vol. 2』にはこの3作品のメインテーマが全て収録されている。(あとに詳しくやります)

 

[オープニング/エンディング]
オープニングシーンに、映画エンディングシーンから先にもってくるのは、北野武監督作品にも見られます。過去『キッズ・リターン』もそうでした。主人公の男の子が背負っているリュックにも翼があります。そして「天使の鈴」もしっかりぶらさがっています。エンディングシーンからですがアングルの違うカットを映画冒頭にもってきています。

 

[シーン バス停]
バスを待っているシーンで、行きかう車を止めようとコミカルにやりとりするシーンです。この時流れているのは「Track6. The Rain」です。そういえばこの曲も『Songs of Hope: The Essential Joe Hisaishi Vol. 2』に収録されていますね。

余談です。過去インタビュー・エピソードから推察すると、当初のメインテーマはこの曲だった可能性あります。久石譲はそのつもりで想定していたけれど監督は「Summer」を選んだ。サブテーマのつもりだった「Summer」がメインになったけれど、結果この曲は重要シーンにサブテーマとして使われることになった。それが「The Rain」であり「Mother」であり。心を通わせる、雪解け、大切なシーンに。

 

[シーン 天使の鈴]
物語の中盤から「天使の鈴」が登場してきます。

 

[シーン 浜辺]
砂で作った天使です。この時流れているのは「Track8. Angel Bell」で、メインテーマ「Summer」の中間部にあたるパートそのアレンジ・バージョンです。

 

[エンドロール]
オープニングと同じ天使をモチーフにした絵です。この時流れているのは、もちろんメインテーマから「Track12. Summer Road」です。

 

 

映画『BROTHER』

天使にまつわるものは登場しません。

久石譲が音楽を担当した作品『あの夏、いちばん静かな海。』『ソナチネ』にも登場しません。

 

映画『Dolls』

[シーン 天使の人形]
この作品には2,3シーンだけ「天使の人形」が登場します。映画『キッズ・リターン』とはまた別物です。物語と絡み合うことはなく、過去作品へのオマージュや残像のような印象です。共通する何かは込められていると思います。

 

 

 

(1)北野武×久石譲

『あの夏、いちばん静かな海。』『ソナチネ』『キッズ・リターン』『HANA-BI』『菊次郎の夏』『BROTHER』『Dolls』の7作品です。

(2)天使にまつわるもの

『キッズ・リターン』『HANA-BI』『菊次郎の夏』の3作品で象徴的に登場します。「天使の人形」「天使の鈴」そして「天使の絵」です。

(3)天使の絵

『キッズ・リターン』『HANA-BI』『菊次郎の夏』で唯一共通しているのは「天使の絵」です。オープニングやエンドロールに映っています。北野武監督の描いた「天使の絵」こそ3作品をつなぐコンセプトだとしたら。

(4)オープニングロゴ

北野武監督作品を象徴するオープニングロゴは映画『HANA-BI』から。

(5)オープニングロゴ+サウンドロゴ

北野武監督作品を象徴するオープニングロゴ+サウンドロゴの組み合わせは映画『菊次郎の夏』から。久石譲とのコラボレーションを離れて以降も使用されていました。

(6)北野作品ベスト盤

『 joe hisaishi meets kitano films』は久石譲選曲によるベストアルバムです。『あの夏、いちばん静かな海。』『ソナチネ』『キッズ・リターン』『HANA-BI』『菊次郎の夏』『BROTHER』までの6作品から等しくセレクトされています。『Dolls』はこのあとの映画になります。

 

(1)~(6)をめぐって

北野映画を象徴する楽曲だったら「INTRO:OFFICE KITANO SOUND LOGO」が適しているとも思います。でも、それじゃダメだとわかりました。作品群を時系列に並べるとサウンドロゴは『菊次郎の夏』からになっています。15秒の曲です。ワールドベストにもってくるのは、、ってなるかもしれません。またこの曲を1曲目にしてしまうと北野フィルムベストのようになってしまいます。反転して、サウンドロゴは『 joe hisaishi meets kitano films』にしか収録されていない、アルバムの価値を大きく高めている1曲です。ちなみにこのとき「ANGEL DOLL」は収録されていません。

(3)北野武監督の描いた「天使の絵」こそ『キッズ・リターン』『HANA-BI』『菊次郎の夏』をつなぐコンセプト、と書きました。『Songs of Hope: The Essential Joe Hisaishi Vol. 2』には、この3作品のメインテーマ曲がきちんと収録されています。そしてまた「天使の絵」が映っているシーンに流れています。『キッズ・リターン』オープニング「MEET AGAIN」後半はほぼメインテーマと同じアレンジ、『HANA-BI』エンドロール、『菊次郎の夏』オーニング/エンドロール。

さらにズーム見ていくと、『Songs of Hope: The Essential Joe Hisaishi Vol. 2』に収録されているDsic1「ANGEL DOLL」「Summer」「Kids Return *初収録ver.」、Disc2「The Rain」「HANA-BI *初収録ver.」は、いずれも映画のなかで「天使にまつわるもの」が登場しているときに流れる曲たちです。もっと言います。このワールドベスト第2弾には、『キッズ・リターン』『HANA-BI』『菊次郎の夏』の3作品からしか収録されていません。

ワールドベスト第1弾『Dream Songs: The Essential Joe Hisaishi』には、『あの夏、いちばん静かな海。』「Silent Love」『BROTHER』「Ballade」が収録されています。おお!と思いきや、『キッズ・リターン』『HANA-BI』からもメインテーマのアンサンブル・バージョンやピアノ・ソロが収録されています。きれいに整合性はとれないものですね。

 

 

曲名から眺めてみます。

『キッズ・リターン』には「ANGEL DOLL」、『HANA-BI』には「Angel」、『菊次郎の夏』には「Angel Bell」といった曲があります。「ANGEL DOLL」はメインテーマのアレンジです。「Angel」はサブテーマです。「Angel Bell」はメインテーマの中間パートからです。さて、もしANGELの名をもつ3曲から北野作品=天使のコンセプトで選ぼうとしたらどれにしますか? 映画に漂うテーマ、儚さや刹那的なもの、この3曲からコンセプチャルにどれか1曲選ぶとしたら?(….「Angel」とても好きな曲です。でもメインテーマじゃない、映画でも主人公ではない主要人物のシーンでよく流れていた記憶あります)

 

 

 

サウンドトラック(国内盤/海外盤)

サウンドトラックのジャケットやイラストも見てみましょう。国内盤と海外盤での違いから浮かびあがってくることもあるかもしれません。

 

『Kids Return』(国内盤)

久石譲 『Kids Return』

ジャケットにもちゃんと天使はいました。

 

トレイ面

 

 

映画『HANA-BI』(国内盤)

HANA-BI サウンドトラック

ジャケット

 

トレイ面

 

 

映画『HANA-BI』(海外盤)

ヨーロッパ盤のジャケットです。映画エンドロールで描かれていた天使や、本編にもたびたび登場する顔を花にみたてたモチーフにつながるようです。

 

 

映画『菊次郎の夏』(国内盤)

ジャケット

 

トレイ面

 

 

『菊次郎の夏』(海外盤)

アメリカ盤のジャケットです。浜辺のシーンと天使の鈴が描かれています。

 

トレイ面も天使の鈴になっています。

 

 

『キッズ・リターン』『HANA-BI』『菊次郎の夏』の3作品、サウンドトラック日本国内盤のジャケットかトレイどちらか必ず天使は描かれていました。そして海外盤もまた同じもの、あるいはヴィジュアルを差し替えて天使は描かれていました。北野映画の欧米人気はスタジオジブリ作品人気を上回ると評されることもかつてあります。サウンドトラックを手したファンが、映画と同じようにそして余韻のように、天使のモチーフがいつも手元にあってずっと印象に残っていても不思議じゃないですよね。

 

 

 

 

久石譲:【mládí】for Piano and Strings

2017年に演奏会用作品として誕生しました。北野作品から「Summer」「HANA-BI」「Kids Return」のメインテーマを久石譲ピアノ&ストリングス版でまとめたコーナーです。もちろん全曲フルバージョンで1曲終わるたびに大きな拍手の渦です。”チェコ語で青春という意味でヤナーチェクにも同名のタイトル曲があります。”と久石譲解説にあります。くしくも世界初演はチェコ・プラハでの久石譲コンサートでもありました。

北野武監督作品の象徴として天使が重要だから、久石譲もこの3楽曲を選んだんだ、、なんて乱暴なことを言うつもりはありません。ここは映画視点と監督目線vs音楽視点と久石譲目線、しっかり切り離します。

「青春」、、ずっと考えていました。個人的に思う候補は4つあります。1.青春をテーマにした映画、『キッズ・リターン』は言うまでもない、『HANA-BI』は大人な生き方ができない不器用な主人公、『菊次郎の夏』は大人になりきれていない大人もしくは大人の青春。2.キタノブルーをイメージさせる青。3.北野武×久石譲の中期にあたる3作品。初期2作品を少年期、後期2作品を成人期として中期3作品を青春期、鋭いガチンコで火花バチバチの熱いコラボレーションの時代。4.「ブルーピリオド」というピカソの20代前半の画風を指した言葉があります。「青の時代」とも言われます。そこから転じて孤独や不安を抱える青春時代を表す言葉として用いられています。

……

うーん。個人の解釈だから羽をのばすのは自由なんですけれど、もう一度ヤナーチェクに振り戻ってみます。”『青春』は1924年に作曲した木管六重奏曲で、晩年の作品ながら「若々しい気分」の産物と看做されている”とウィキペディアにあります。深堀りしていくとさらに面白い発見がありました。

この作品の出発点となっているのは少し前に作曲された『青い服の少年たちの行進』という約2分の作品です。ピッコロと大太鼓、チューブラーベルズ(もしくはピアノ)というデュオ編成のようですが、ピッコロ&ピアノ版を聴くことができました。少年時代に所属していた合唱団を回顧した曲といわれています。その2ヶ月後に作曲されたのが『青春』という約20分の作品で楽器も6つに楽章も4つにと大きくなっています。そして、その第3楽章に聴けるモチーフや曲想こそ『青い服の少年たちの行進』です。曲尺は1分くらい伸びていて、モチーフは変容したり曲想は発展していますけれど、ふたつの曲を並べて聴いたときに、同じ曲をベースにしていることはしっかりわかると思います。大胆な言い方をすれば、『青春』という作品のなかに『青い服の少年たちの行進』はモチーフもテーマも包括されている。ヤナーチェクの室内楽作品は晩年に多く、また若い頃の出来事を思い浮かべたものが多いこともあってか、たしかに瑞々しい溌剌とした曲が多い。ウィキペディアの「若々しい気分」という表現をよくされているようです。もうひとつ付け加えるならば、この時代のヤナーチェックは、モチーフやメロディを執拗にくり返す作風で、切りつめられた素材で楽曲がつくられています。

『青い服の少年たちの行進』、つまりキタノブルー、つまり北野映画、そして行進していた少年たちには久石譲も含まれるのかもしれない。若かった頃のまぶしい回顧、北野武×久石譲の『青春』の結晶。【mládí】for Piano and Stringsは、久石譲海外公演でも人気のあるプログラムです。WDO2017で日本初演されたときの音源「Kids Return」「HANA-BI」は『Songs of Hope: The Essential Joe Hisaishi Vol. 2』に初収録されることになります。

 

ぐるっと一周しました。

それではまた。

 

reverb.
ひょんなきっかけから広がったテーマでした♪

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Overtone.第90回 長編と短編と翻訳と。~村上春樹と久石譲~ Part.8

Posted on 2023/02/20

ふらいすとーんです。

怖いもの知らずに大胆に、大風呂敷を広げていくテーマのPart.8です。

今回題材にするのは『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』(2019)です。

 

 

村上春樹と久石譲  -共通序文-

現代を代表する、そして世界中にファンの多い、ひとりは小説家ひとりは作曲家。人気があるということ以外に、分野の異なるふたりに共通点はあるの? 村上春樹本を愛読し久石譲本(インタビュー記事含む)を愛読する生活をつづけるなか、ある時突然につながった線、一瞬にして結ばれてしまった線。もう僕のなかでは離すことができなくなってしまったふたつの糸。

結論です。村上春樹の長編小説と短編小説と翻訳本、それはそれぞれ、久石譲のオリジナル作品とエンターテインメント音楽とクラシック指揮に共通している。創作活動や作家性のフィールドとサイクル、とても巧みに循環させながら、螺旋上昇させながら、多くのものを取り込み巻き込み進化しつづけてきた人。

スタイルをもっている。スタイルとは、村上春樹でいえば文体、久石譲でいえば作風ということになるでしょうか。読めば聴けばそれとわかる強いオリジナリティをもっている。ここを磨いてきたものこそ《長編・短編・翻訳=オリジナル・エンタメ・指揮》というトライアングルです。三つを明確な立ち位置で発揮しながら、ときに前に後ろに膨らんだり縮んだり置き換えられたり、そして流入し混ざり合い、より一層の強い作品群をそ築き上げている。創作活動の自乗になっている。

そう思ったことをこれから進めていきます。

 

 

今回題材にするのは『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』(2019)です。

この本は、一般的には小説家ふたりの対談本といえます。が、タイトルにあるとおりインタビューする人とされる人の立ち位置を明確にしたかたちをとっています。村上春樹さんは、その理由を”質問する側と答える側それぞれに役割と責任が明確になる”からだと語っています。”ちょっとつかのま席を一緒にしたような、ちょっと顔合わせをしたような対談の場合には、「まあいろいろありますよね」みたいなお茶を濁したような曖昧な会話に終始しがちでそれが嫌だ”からだと、どこかにありました。

世代の異なる作家、村上春樹本で育った若い作家がインタビュアーだから、細部まで記憶が詳しいし質問も切り込む攻め込む。同じ分野で活躍するプロとプロの濃密な対話になっています。こういうかたちで同じ土俵にあがる、いいなあ、表には現れない白熱した胸のうちが伝わってくるようです。

 

自分が読んだあとなら、要約するようにチョイスチョイスな文章抜き出しでもいいのですが、初めて見る人には文脈わかりにくいですよね。段落ごとにほぼ抜き出すかたちでいくつかご紹介します。そして、すぐあとに ⇒⇒ で僕のコメントをはさむ形にしています。

 

 

 

“そうですね。例えば『東京奇譚集』という短編集では、まさにキーワードを三つずつ選んで、五編書いたんですよね。短編だとそういう遊びみたいなことができて楽しいです。あそこに入った短編小説はそういう感じで、一気にまとめて書いています。”

~(中略)~

⇒⇒
音楽をつくるときにも同じことが言えますね。コントラバスという楽器のために作った曲、三和音をコンセプトに作った曲、など。また映画音楽にも制約(セリフとかぶらない・曲尺など)がありますが、制約をアイデアとすることで楽しめたり、新しい切り口のきっかけになることもたくさんあるんだろうと思います。自らゲームルールを作ってプレイ楽しめる人は強いです。

 

 

”それは、僕にはわからないなあ。僕は翻訳を、できるだけ実直に、原文通りにやろうと思って、それを第一義に考えて翻訳しているんだけどね。うーん、もしそうだとしたら、それはあくまで無意識にしていることですね。自分ではわからないね。僕としては、ありのままに素直に、英語を日本語に移し替えているつもりなんだけど。短いセンテンスとかパラグラフで見ると、そんなに目立たないけど、全体で見ると、僕の味みたいなのがじわっと滲み出ているのかもいれないですね。そういうのを意識したことはあまりないけど。”

~(中略)~

⇒⇒
どうしてもにじみ出てしまうオリジナリティというのはあります。翻訳をするにしても、ひとつの英単語からどの日本語を選ぶか、たくさんある日本語候補のなかから。どのようにして単語と単語をつなげてひとつひとつの文章にしていくか。小さな選択のなかにオリジナリティが含まれ、それが全体のなかに蓄積されていきます。いい意味で、忠実にしようとしても隠せないものってあると思います。隠せないものそれこそが、翻ってその人の作家性といえるのかもしれませんね。

見方を変えて、久石譲の手がけた編曲って気づくものは多いです。作曲じゃないのに編曲だけでその人とわかってしまう。いかに強固なオリジナリティの現れかと思います。編曲や指揮という間接的なもののはずなのに、自身のシグネチャをのこせるってすごいです。

 

 

“それは僕の場合、まずリズムじゃないかな。僕にとっては何よりリズムが大事だから。たとえば翻訳をする場合、原文をそのまま正確に訳すことは訳すんだけど、場合によってはリズムを変えていかなくちゃいけない。というのは英語のリズムと日本語のリズムとは、そもそも成り立ちが違うものだから。英語のリズムを日本語のリズムに、自然にうまく移行しなくてはなりません。そうすることで文章が生きてくる。文章技術はそのために必要なツールなんです。”

~(中略)~

⇒⇒
よく語られていることで同旨あります。

 

 

“で、そこで何より大事なのは語り口、小説でいえば文体です。信頼感とか、親しみとか、そういうものを生み出すのは、多くの場合語り口です。語り口、文体が人を引きつけなければ、物語は成り立たない。内容ももちろん大事だけど、まず語り口に魅力がなければ、人は耳を傾けてくれません。僕はだから、ボイス、スタイル、語り口ってものすごく大事にします。よく僕の小説は読みやす過ぎるといわれるけど、それは当然のことであって、それが僕の「洞窟スタイル」だから。

うん。目の前にいる人に向かってまず語りかける。だから、いつも言ってることだけど、とにかくわかりやすい言葉、読みやすい言葉で小説を書こう。できるだけわかりやすい言葉で、できるだけわかりにくいことを話そうと。スルメみたいに何度も何度も噛めるような物語を作ろうと。一回で、「ああ、こういうものか」と咀嚼しちゃえるものじゃなくて、何度も何度も噛み直せて、噛み直すたびに味がちょっとずつ違ってくるような物語を書きたいと。でも、それを支えている文章自体はどこまでも読みやすく、素直なものを使いたいと。それが僕の小説スタイルの基本です。結局そういう古代、あるいは原始時代のストーリーテリングの効用みたいなところに戻っていく気がするんだけど。”

~(中略)~

⇒⇒
難しい言葉や言い回しで武装する難解な小説は、同じく難解で聴く人を無視した現代音楽に近いのかもしれませんね。メロディはシンプルに、ハーモニーやリズムは技術を駆使して聴きごたえのある曲に。聴いても聴いても飽きのこない、また新しい魅力に出会えるような曲。そして人の心をつかみやすいメロディだからこそ、すっとその曲に入っていける。

 

 

“うん。文体はどんどん変化していきます。作家は生きているし、文体だってそれに合わせて生きて呼吸しています。だから日々変化を遂げているはずです。細胞が入れ替わるみたいに。その変化を絶えずアップデートしておくことが大事です。そうしないと自分の手から離れていってしまう。

そうそうそう。文章というのはあくまでツールであって、それ自体が目的ではない。ツールとして役に立てばいいんです。だから完成形なんてあり得ない。僕も、昔は書けなかったものごとが今ではわりに自由に書けるようになりました。今は書きたいものはもうだいたい書けるかな。”

~(中略)~

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村上春樹さんは毎日机に向かって文章を書いているそうです。久石譲さんも毎日なにかしら曲をつくっているそうです。そうやって自分のスタイルを常に磨きながら更新していく。書きたいものを書ける技術力あってこそ創造性は花開くんだ、と言うは易し大変なことです。

ツールというのは小説家にとっては言葉、村上春樹さんの場合は言葉を道具として使う。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、実はそんなことありません。言葉を創造するというやり方もあるからです。美しい文章を書こうと凝る人や、言葉をつくろうとする人もいます。言葉に込めるものが多い、言葉そのものが独創性のあるものになっている。詩なんかもそうですね。で、村上春樹さんは、シンプルなツール(言葉)の組み立てで文章を表現する。ふだん誰でも使う道具(言葉)を使っている。

音楽でも同じですね。

ツールというのは、作曲家にとって楽器とも言えるかもしれません。一般に広く普及している生楽器を使って作曲するのか、あるいはシンセサイザーなどで自分の音色を作り込んで表現するのか。音響機材を駆使してそれらがないと鳴らせないもの。どちらが良い悪いではないですね。ただひとつ言えるのは、音色や音響に独創性(替えのきかないもの)を持たせるということは、それだけ再現性のむずかしい音楽になるということはいえます。生楽器にしても、尺八、篳篥や世界各国の民族楽器なんかは、楽器や演奏者の希少性もあって演奏機会が限られる、はたまた国を越えて演奏しにくいということも出てきます。時間(未来)と空間(接点)に広がりと普遍性を担保するということは、作品をのこす条件としてとても大切なことなのかもしれません。

 

 

“僕の場合、昔書いたことってほとんど忘れちゃってるから、そんなに気にならないというところはあります。「二世の縁」は土の中から即身仏を掘り出す話で、そこを起点に小説を書きはじめたわけだから、必然的に穴が出てくる話になってしまう。だから、これはもうしょうがないだろうと。やっぱり人間には思考パターンがあってね、どう変えてみたって、同じようなシチュエーションって必ずどこかに出てくるものだし、そのたびに少しずつ違う書き方をすればいいんじゃないか、と僕は思うけど。

うん。角度を変えたり、描き方を変えたり。道具立てが同じじゃないかと詰め寄られたら、まあ確かに同じなんだけど、でも、僕の感覚としては同じじゃないんです。そのたびに新しい。アップグレードされているとまでは言わないけど。しかし僕はなぜか穴とか井戸とか、そういうものに惹きつけられるところがあるみたいですね。自分でも不思議だけど。”

~(中略)~

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別の本ではこのように語っていました。”「詩人が書きたいことというのは、一生のあいだに五つか六つしかない。私たちはそれを違うかたちでただ反復しているだけなんだ」と。そういわれてみると、たしかにそうかもしれないと思う。僕らは結局、五つか六つのパターンを死ぬまで繰り返しているだけなのかもしれない。ただ、それを何年かおきに繰り返しているうちに、そのかたちや質はどんどん変わってきます。広さも深みも違ってきます。”(出典忘れ…)

僕はこの作家性やオリジナリティの考え方はもっと尊重されてほしいなと思います。あまのじゃくな何々風な作品群よりも、一本筋の通ったものから、作品ごとにテイスティングを味わう機微のようなものを大切にしたい。ラッセンがいきなりイルカじゃなくて恐竜を、海じゃなくてジャングルを描きだしたらびっくりします。イルカと海ばかりな作品たちに見えるけれど、ひとつひとつ目を凝らせば同じ作品や構図はありません。好きな人はあのテイストに魅了されているんです、きっと。

 

 

“そう、文章。僕にとっては文章がすべてなんです。物語の仕掛けとか登場人物とか構造とか、小説にはもちろんいろいろ要素がありますけど、結局のところ最後は文章に帰結します。文章が変われば、新しくなれば、あるいは進化していけば、たとえ同じことを何度繰り返し書こうが、それは新しい物語になります。文章さえ変わり続けていけば、作家は何も恐れることはない。文章さえ更新されていれば、血肉をもって動き続けていれば、すべてが違ってきます。

そうですね。響き、リズム、そういうものが自分の中で、前とは違っているという確信がなければ、やっぱり怖いんじゃないかな。文章が違ってくれば、同じ話でも進む方向性が変わってきます。作家はそうやって前進していくしかない。”

~(中略)~

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これは、、とても深く深く考えてしまう内容です。ひとつの考え方として、文章を「アプローチ、オーケストレーション、楽曲構成」としてみました。すぐに久石譲だとわかる久石メロディであっても、常にそのときのアプローチなんかによって楽曲はやっぱり最新版の久石譲になっている。それはオーケストレーションの違いなのか、構成の違いなのか、演奏アプローチも違うのかもしれない。いろいろ考え方はありますよね。とにかく、作家は止まっていないということです。

 

 

”四十代の半ばくらいまでは、例えば「僕」という一人称で主人公を書いていても、年齢の乖離はほとんどなかった。でもだんだん、作者の方が五十代、六十代になってくると、小説の中の三十代の「僕」とは、微妙に離れてくるんですよね。自然な一体感が失われていくというか、やっぱりそれは避けがたいことだと思う。”

~(中略)~

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次の引用がわかりやすくなるようにとひっぱってきました。次へ進む。

 

 

“もちろんそんなに簡単に文体を総ざらいして、新たなものをつくって、みたいなことはできません。そんなに急に、これまで使っていない筋肉を使うことはできないから。ただ気持ちとして、新しい方向性に文体を転換して行こうということです。新しい文体が新しい物語を生み、新しい物語が新しい文体を補強していく。そういう循環があるといちばんいいですね。”

~(中略)~

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具体的にいうと、一人称から三人称への転換などがあります。「僕は~」で書いていた小説のもつ同化や説得力から、物語や人を俯瞰的にみる三人称へ。登場人物が少ないときや主役がはっきりしているときに有効な一人称と、登場人物が多いときや対等に扱いたい複数人のときに有効な三人称、など。一人称から三人称へ、そうしないと書けない物語がある。書きたいことを書きたいように、あるいはこれまで書いたことのない世界を書きたいときに変化を遂げる。

ベートーヴェンも、ピアノソナタをつくって交響曲へと大きく拡大して弦楽四重奏曲に削ぎ落とす。こういった時代ごとの作風のサイクルに区切りをつけながら次に進んでいます。そしてその作風は決して終わったわけでも決別したわけでもなく、行きつ戻りつ、ときに確認して見つめなおしたりをくり返しながら。(久石譲語録の記憶から….)

久石譲もシンセサイザーからオーケストラへの転換などがあります。シンセサイザーでは映画の世界観を表現しきれないと、フルオーケストラへと舵を切る。そうやって軸はオーケストラに置きながらも、今もってシンセサイザーサウンドを排除したわけではない。

村上春樹はこの本の別頁でこんなふうにも語っています。”書けることだけを書いて、それはそれでまうまく機能していたんだと思う。でもそれは僕の本当に書きたかったこととは少し違うんです。自分の書きたいものがある程度書けるようになってきたのは、もっとずっとあとのほうですね”

 

 

“この前も言ったけど、僕は『ノルウェイの森』で、リアリズム小説を書き切るという実験をやりました。『スプートニク』は、これまでの文体の総決算をやってしまおうと思って書き始めました。それから『アフターダーク』では、ほとんどシナリオ的な書き方をしました。そういうふうに、「少し短めの長編」ではいつも自分なりの実験みたいなことをやっています。今回はこういうことを試してみよう、という挑戦をやっているわけです。『多崎つくる』も僕としてはわりに実験的というか、いうなればグループを描く小説です。そういうものは以前には書いたことがなかった。あれぐらいの長さの小説って、書き手としては一番実験がしやすいんです。

短編だとある程度のまとまりが必要になってくるし、長い長編だと生半可なことはできない。中途半端に実験的なことをやると収拾がつかなくなりますから。でも『スプートニク』とか『国境の南、太陽の西』とか、それから『アフターダーク』、『多崎つくる』、あのぐらいの一冊本だと、そういうわりに突っ込んだ実験ができます。感覚を思い切って解放し、新たなシチュエーションを試してみることができます。だから、僕にとってはすごく大事な容れ物なんです。でもあのサイズの小説って、おおむね読者の評判がよくないんですね。

わからない。なんでだろう(笑)。短編は短編で、ある程度評価してもらえるし、長い長編は長編として評価してもらえるんだけど、あの中くらいの小説というのは、少なくとも出した時点では、なぜか酷評されることが多いみたいですね。手を抜いているとか、これまでと同じだとか、あるいは逆に新しいことをやろうとして失敗しているとか。”

~(中略)~

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うーん、読者として不完全燃焼な感じがあるのでしょうか、中くらいなサイズ感もあいまって。短編のほどよい軽食感とも、長編のフルコースな満足感とも少し違う、なにか居心地のさだまらない感覚なのかもしれません。

そう言われると、久石譲『ミュージック・フューチャー・コンサート』で披露される作品って、第一印象でそういうところもあるかもしれません。時間の長さも楽器編成も中くらいな作品が多いです。そこに、そのとき旬な実験性みたいなものも含まれていて、どう受け取っていいのか、どう反応したらいいのか、まったく免疫のなかった聴衆は戸惑ってしまうような感じ。

でも不思議なもので、そういった中くらいの作品が、次の大きな作品につながっていたり、あとから振り返ったときにはおさまりよく据わっているような気もします。ああ、あの作品が節目や布石だったんだなと、余裕をもった心持ちで受け止めるときがきっと訪れることでしょう。だから、ひとつひとつの作品に愛着がある。

 

 

“小説的な面白さとか、構築の面白さとか、発想の面白さというのは、生きた文章がなければうまく動いてくれません。生きた文章があって初めて、そういうのが動き出す。でも多くの作家は、発想とか仕掛けが先にあって、文章をあとから持ってくる。意識が先にあって、身体があとからついてくる。僕の感覚からすれば、同時にあるものではなくて、まず文章がなくちゃいけない。それが引き出していくんです、いろんなものを。”

~(中略)~

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例えば、楽器や音色といった飛び道具を先に決めてしまって、それを使うことが最優先になってしまっている音楽ってありますよね。使うことが最大の目的になってしまっている。それが悪いわけではないんでしょうけれど、なんというか発想勝負、仕掛けの珍しさだけで突っ切ろうとしている感じ。奇をてらったものには、それなりの芯も持ち合わせていないとぐらぐら倒れてしまいます。

 

 

少し追加します。

同書からですが、テーマ(短編・長編・翻訳)からはそれるんですけれど、とても伝わる語り口だったのでぜひとご紹介します。

 

”朗読に使ったりするとき以外は読み返さない。もちろん自分の書いたものについて「くだらない」とか「つまらない」とか思っているわけじゃないですよ。ベストを尽くして書いたという手応えは僕の中にまだ残っているし、そのことに誇りのようなものだって持っているし、褒められればもちろん嬉しい。僕の小説が三十年経っても絶版にもならずに書店の棚に並んでいるのを目にすれば、ありがたいなと思うし、読者に感謝したいなと思う。それは当たり前のことです。作家だから。でもそれはそれとして、自分で自分の書いた小説を改めて読み返したいという気持ちにはなかなかなれない。

自分の書いたものはむずかしいね。カーヴァーのたとえば「大聖堂」とか、パン屋の話とか、「足もとに流れる深い川」とかは、今読んでもやっぱりすごいなと、手を入れるところもないよなと思うけど。自分の小説というのは、まあ、僕が書いた短編のベスト3なんてとても選べないけど、もし選べたとしても、読んだらやっぱりイライラするんじゃないかな。同じ話も、今だったら違うふうに書くと思う。

ただ、もし今僕がその自分の短編を、今の感覚と今の技術で書き直したとしても、読んだ人がよくなったと思うかというと、そうとは限らないと思う。それはあくまで僕自身の感覚の問題だからね。だからあまり読み直さないようにしているんです。読むとどうしても手を入れたくなっちゃうから。”

~(中略)~

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作家の思考が覗けておもしろいです。

 

 

”そういう書き方ももちろんあるわけだけど、僕はそういう書き方はしないというだけで。僕が自分の昔書いたものをまず読み返さないのは、だいたいにおいて自分の書いた文章に不満を感じるんです。でもそれは良いことだと思う。だって同じことを書いてたら、誰も読まなくなるよね。また同じかと。バージョンアップして自分を磨いて上げていかなちゃいけない。やっぱり世界は広いし、自分よりうまい人はたくさんいるし、日本のマーケットの中だけに留まっていたら、自己改革ってなかなかやるのは難しいと思う。ついつい締切りに追われたりしてね。

それから、いいところも一緒にある程度捨てていかないとね。でも、なかなか難しい話です。僕の読者でも初期の作品のほうがずっと好きだって人はたくさんいる。『ノルウェイの森』を今書いたら、もっともっとうまく書けると思うけど、きっとあればあれぐらいの段階で書いといて一番良かったんじゃないかって……。

今読むとね、青臭いなと思うとこあるんだけど、やっぱりああいうのはある程度青臭くないと、人の心は打たない。”

~(中略)~

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”いいところも一緒にある程度捨てていかないと”という部分が特に印象的でした。宮崎駿監督でいうと「トトロ2は作らない」になるだろうし、久石譲でいうと「過去は忘れる」になるだろうし。自身の完成モデルにすがらないということもあるんですけれど、文章を読んでいて、あの時だからこそ最も輝けるかたちで完成したことを作家が一番よくわかっている、だから捨てないといけないという逆説につながるのかもしれない、と思った次第です。

 

 

 

今回とりあげた、『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』。村上春樹さんの本を読んだことある人なら、もちろん楽しめる本です。そうじゃなくても、本を読むことが好きな人には興味をそそられる視点ばかりです。そして、今度本を読むときには、もっとぐっと近づけて、もっと深く楽しめるようになりたい。そう思わせてくれる本です。

 

 

-共通むすび-

”いい音というのはいい文章と同じで、人によっていい音は全然違うし、いい文章も違う。自分にとって何がいい音か見つけるのが一番大事で…それが結構難しいんですよね。人生観と同じで”

(「SWITCH 2019年12月号 Vol.37」村上春樹インタビュー より)

”積極的に常に新しい音楽を聴き続けるという努力をしていかないと、耳は確実に衰えます”

(『村上さんのところ/村上春樹』より)

 

それではまた。

 

reverb.
いろんな分野からクロスして学べるって楽しい。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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