Overtone.第90回 長編と短編と翻訳と。~村上春樹と久石譲~ Part.8

Posted on 2023/02/20

ふらいすとーんです。

怖いもの知らずに大胆に、大風呂敷を広げていくテーマのPart.8です。

今回題材にするのは『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』(2019)です。

 

 

村上春樹と久石譲  -共通序文-

現代を代表する、そして世界中にファンの多い、ひとりは小説家ひとりは作曲家。人気があるということ以外に、分野の異なるふたりに共通点はあるの? 村上春樹本を愛読し久石譲本(インタビュー記事含む)を愛読する生活をつづけるなか、ある時突然につながった線、一瞬にして結ばれてしまった線。もう僕のなかでは離すことができなくなってしまったふたつの糸。

結論です。村上春樹の長編小説と短編小説と翻訳本、それはそれぞれ、久石譲のオリジナル作品とエンターテインメント音楽とクラシック指揮に共通している。創作活動や作家性のフィールドとサイクル、とても巧みに循環させながら、螺旋上昇させながら、多くのものを取り込み巻き込み進化しつづけてきた人。

スタイルをもっている。スタイルとは、村上春樹でいえば文体、久石譲でいえば作風ということになるでしょうか。読めば聴けばそれとわかる強いオリジナリティをもっている。ここを磨いてきたものこそ《長編・短編・翻訳=オリジナル・エンタメ・指揮》というトライアングルです。三つを明確な立ち位置で発揮しながら、ときに前に後ろに膨らんだり縮んだり置き換えられたり、そして流入し混ざり合い、より一層の強い作品群をそ築き上げている。創作活動の自乗になっている。

そう思ったことをこれから進めていきます。

 

 

今回題材にするのは『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』(2019)です。

この本は、一般的には小説家ふたりの対談本といえます。が、タイトルにあるとおりインタビューする人とされる人の立ち位置を明確にしたかたちをとっています。村上春樹さんは、その理由を”質問する側と答える側それぞれに役割と責任が明確になる”からだと語っています。”ちょっとつかのま席を一緒にしたような、ちょっと顔合わせをしたような対談の場合には、「まあいろいろありますよね」みたいなお茶を濁したような曖昧な会話に終始しがちでそれが嫌だ”からだと、どこかにありました。

世代の異なる作家、村上春樹本で育った若い作家がインタビュアーだから、細部まで記憶が詳しいし質問も切り込む攻め込む。同じ分野で活躍するプロとプロの濃密な対話になっています。こういうかたちで同じ土俵にあがる、いいなあ、表には現れない白熱した胸のうちが伝わってくるようです。

 

自分が読んだあとなら、要約するようにチョイスチョイスな文章抜き出しでもいいのですが、初めて見る人には文脈わかりにくいですよね。段落ごとにほぼ抜き出すかたちでいくつかご紹介します。そして、すぐあとに ⇒⇒ で僕のコメントをはさむ形にしています。

 

 

 

“そうですね。例えば『東京奇譚集』という短編集では、まさにキーワードを三つずつ選んで、五編書いたんですよね。短編だとそういう遊びみたいなことができて楽しいです。あそこに入った短編小説はそういう感じで、一気にまとめて書いています。”

~(中略)~

⇒⇒
音楽をつくるときにも同じことが言えますね。コントラバスという楽器のために作った曲、三和音をコンセプトに作った曲、など。また映画音楽にも制約(セリフとかぶらない・曲尺など)がありますが、制約をアイデアとすることで楽しめたり、新しい切り口のきっかけになることもたくさんあるんだろうと思います。自らゲームルールを作ってプレイ楽しめる人は強いです。

 

 

”それは、僕にはわからないなあ。僕は翻訳を、できるだけ実直に、原文通りにやろうと思って、それを第一義に考えて翻訳しているんだけどね。うーん、もしそうだとしたら、それはあくまで無意識にしていることですね。自分ではわからないね。僕としては、ありのままに素直に、英語を日本語に移し替えているつもりなんだけど。短いセンテンスとかパラグラフで見ると、そんなに目立たないけど、全体で見ると、僕の味みたいなのがじわっと滲み出ているのかもいれないですね。そういうのを意識したことはあまりないけど。”

~(中略)~

⇒⇒
どうしてもにじみ出てしまうオリジナリティというのはあります。翻訳をするにしても、ひとつの英単語からどの日本語を選ぶか、たくさんある日本語候補のなかから。どのようにして単語と単語をつなげてひとつひとつの文章にしていくか。小さな選択のなかにオリジナリティが含まれ、それが全体のなかに蓄積されていきます。いい意味で、忠実にしようとしても隠せないものってあると思います。隠せないものそれこそが、翻ってその人の作家性といえるのかもしれませんね。

見方を変えて、久石譲の手がけた編曲って気づくものは多いです。作曲じゃないのに編曲だけでその人とわかってしまう。いかに強固なオリジナリティの現れかと思います。編曲や指揮という間接的なもののはずなのに、自身のシグネチャをのこせるってすごいです。

 

 

“それは僕の場合、まずリズムじゃないかな。僕にとっては何よりリズムが大事だから。たとえば翻訳をする場合、原文をそのまま正確に訳すことは訳すんだけど、場合によってはリズムを変えていかなくちゃいけない。というのは英語のリズムと日本語のリズムとは、そもそも成り立ちが違うものだから。英語のリズムを日本語のリズムに、自然にうまく移行しなくてはなりません。そうすることで文章が生きてくる。文章技術はそのために必要なツールなんです。”

~(中略)~

⇒⇒
よく語られていることで同旨あります。

 

 

“で、そこで何より大事なのは語り口、小説でいえば文体です。信頼感とか、親しみとか、そういうものを生み出すのは、多くの場合語り口です。語り口、文体が人を引きつけなければ、物語は成り立たない。内容ももちろん大事だけど、まず語り口に魅力がなければ、人は耳を傾けてくれません。僕はだから、ボイス、スタイル、語り口ってものすごく大事にします。よく僕の小説は読みやす過ぎるといわれるけど、それは当然のことであって、それが僕の「洞窟スタイル」だから。

うん。目の前にいる人に向かってまず語りかける。だから、いつも言ってることだけど、とにかくわかりやすい言葉、読みやすい言葉で小説を書こう。できるだけわかりやすい言葉で、できるだけわかりにくいことを話そうと。スルメみたいに何度も何度も噛めるような物語を作ろうと。一回で、「ああ、こういうものか」と咀嚼しちゃえるものじゃなくて、何度も何度も噛み直せて、噛み直すたびに味がちょっとずつ違ってくるような物語を書きたいと。でも、それを支えている文章自体はどこまでも読みやすく、素直なものを使いたいと。それが僕の小説スタイルの基本です。結局そういう古代、あるいは原始時代のストーリーテリングの効用みたいなところに戻っていく気がするんだけど。”

~(中略)~

⇒⇒
難しい言葉や言い回しで武装する難解な小説は、同じく難解で聴く人を無視した現代音楽に近いのかもしれませんね。メロディはシンプルに、ハーモニーやリズムは技術を駆使して聴きごたえのある曲に。聴いても聴いても飽きのこない、また新しい魅力に出会えるような曲。そして人の心をつかみやすいメロディだからこそ、すっとその曲に入っていける。

 

 

“うん。文体はどんどん変化していきます。作家は生きているし、文体だってそれに合わせて生きて呼吸しています。だから日々変化を遂げているはずです。細胞が入れ替わるみたいに。その変化を絶えずアップデートしておくことが大事です。そうしないと自分の手から離れていってしまう。

そうそうそう。文章というのはあくまでツールであって、それ自体が目的ではない。ツールとして役に立てばいいんです。だから完成形なんてあり得ない。僕も、昔は書けなかったものごとが今ではわりに自由に書けるようになりました。今は書きたいものはもうだいたい書けるかな。”

~(中略)~

⇒⇒
村上春樹さんは毎日机に向かって文章を書いているそうです。久石譲さんも毎日なにかしら曲をつくっているそうです。そうやって自分のスタイルを常に磨きながら更新していく。書きたいものを書ける技術力あってこそ創造性は花開くんだ、と言うは易し大変なことです。

ツールというのは小説家にとっては言葉、村上春樹さんの場合は言葉を道具として使う。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、実はそんなことありません。言葉を創造するというやり方もあるからです。美しい文章を書こうと凝る人や、言葉をつくろうとする人もいます。言葉に込めるものが多い、言葉そのものが独創性のあるものになっている。詩なんかもそうですね。で、村上春樹さんは、シンプルなツール(言葉)の組み立てで文章を表現する。ふだん誰でも使う道具(言葉)を使っている。

音楽でも同じですね。

ツールというのは、作曲家にとって楽器とも言えるかもしれません。一般に広く普及している生楽器を使って作曲するのか、あるいはシンセサイザーなどで自分の音色を作り込んで表現するのか。音響機材を駆使してそれらがないと鳴らせないもの。どちらが良い悪いではないですね。ただひとつ言えるのは、音色や音響に独創性(替えのきかないもの)を持たせるということは、それだけ再現性のむずかしい音楽になるということはいえます。生楽器にしても、尺八、篳篥や世界各国の民族楽器なんかは、楽器や演奏者の希少性もあって演奏機会が限られる、はたまた国を越えて演奏しにくいということも出てきます。時間(未来)と空間(接点)に広がりと普遍性を担保するということは、作品をのこす条件としてとても大切なことなのかもしれません。

 

 

“僕の場合、昔書いたことってほとんど忘れちゃってるから、そんなに気にならないというところはあります。「二世の縁」は土の中から即身仏を掘り出す話で、そこを起点に小説を書きはじめたわけだから、必然的に穴が出てくる話になってしまう。だから、これはもうしょうがないだろうと。やっぱり人間には思考パターンがあってね、どう変えてみたって、同じようなシチュエーションって必ずどこかに出てくるものだし、そのたびに少しずつ違う書き方をすればいいんじゃないか、と僕は思うけど。

うん。角度を変えたり、描き方を変えたり。道具立てが同じじゃないかと詰め寄られたら、まあ確かに同じなんだけど、でも、僕の感覚としては同じじゃないんです。そのたびに新しい。アップグレードされているとまでは言わないけど。しかし僕はなぜか穴とか井戸とか、そういうものに惹きつけられるところがあるみたいですね。自分でも不思議だけど。”

~(中略)~

⇒⇒
別の本ではこのように語っていました。”「詩人が書きたいことというのは、一生のあいだに五つか六つしかない。私たちはそれを違うかたちでただ反復しているだけなんだ」と。そういわれてみると、たしかにそうかもしれないと思う。僕らは結局、五つか六つのパターンを死ぬまで繰り返しているだけなのかもしれない。ただ、それを何年かおきに繰り返しているうちに、そのかたちや質はどんどん変わってきます。広さも深みも違ってきます。”(出典忘れ…)

僕はこの作家性やオリジナリティの考え方はもっと尊重されてほしいなと思います。あまのじゃくな何々風な作品群よりも、一本筋の通ったものから、作品ごとにテイスティングを味わう機微のようなものを大切にしたい。ラッセンがいきなりイルカじゃなくて恐竜を、海じゃなくてジャングルを描きだしたらびっくりします。イルカと海ばかりな作品たちに見えるけれど、ひとつひとつ目を凝らせば同じ作品や構図はありません。好きな人はあのテイストに魅了されているんです、きっと。

 

 

“そう、文章。僕にとっては文章がすべてなんです。物語の仕掛けとか登場人物とか構造とか、小説にはもちろんいろいろ要素がありますけど、結局のところ最後は文章に帰結します。文章が変われば、新しくなれば、あるいは進化していけば、たとえ同じことを何度繰り返し書こうが、それは新しい物語になります。文章さえ変わり続けていけば、作家は何も恐れることはない。文章さえ更新されていれば、血肉をもって動き続けていれば、すべてが違ってきます。

そうですね。響き、リズム、そういうものが自分の中で、前とは違っているという確信がなければ、やっぱり怖いんじゃないかな。文章が違ってくれば、同じ話でも進む方向性が変わってきます。作家はそうやって前進していくしかない。”

~(中略)~

⇒⇒
これは、、とても深く深く考えてしまう内容です。ひとつの考え方として、文章を「アプローチ、オーケストレーション、楽曲構成」としてみました。すぐに久石譲だとわかる久石メロディであっても、常にそのときのアプローチなんかによって楽曲はやっぱり最新版の久石譲になっている。それはオーケストレーションの違いなのか、構成の違いなのか、演奏アプローチも違うのかもしれない。いろいろ考え方はありますよね。とにかく、作家は止まっていないということです。

 

 

”四十代の半ばくらいまでは、例えば「僕」という一人称で主人公を書いていても、年齢の乖離はほとんどなかった。でもだんだん、作者の方が五十代、六十代になってくると、小説の中の三十代の「僕」とは、微妙に離れてくるんですよね。自然な一体感が失われていくというか、やっぱりそれは避けがたいことだと思う。”

~(中略)~

⇒⇒
次の引用がわかりやすくなるようにとひっぱってきました。次へ進む。

 

 

“もちろんそんなに簡単に文体を総ざらいして、新たなものをつくって、みたいなことはできません。そんなに急に、これまで使っていない筋肉を使うことはできないから。ただ気持ちとして、新しい方向性に文体を転換して行こうということです。新しい文体が新しい物語を生み、新しい物語が新しい文体を補強していく。そういう循環があるといちばんいいですね。”

~(中略)~

⇒⇒
具体的にいうと、一人称から三人称への転換などがあります。「僕は~」で書いていた小説のもつ同化や説得力から、物語や人を俯瞰的にみる三人称へ。登場人物が少ないときや主役がはっきりしているときに有効な一人称と、登場人物が多いときや対等に扱いたい複数人のときに有効な三人称、など。一人称から三人称へ、そうしないと書けない物語がある。書きたいことを書きたいように、あるいはこれまで書いたことのない世界を書きたいときに変化を遂げる。

ベートーヴェンも、ピアノソナタをつくって交響曲へと大きく拡大して弦楽四重奏曲に削ぎ落とす。こういった時代ごとの作風のサイクルに区切りをつけながら次に進んでいます。そしてその作風は決して終わったわけでも決別したわけでもなく、行きつ戻りつ、ときに確認して見つめなおしたりをくり返しながら。(久石譲語録の記憶から….)

久石譲もシンセサイザーからオーケストラへの転換などがあります。シンセサイザーでは映画の世界観を表現しきれないと、フルオーケストラへと舵を切る。そうやって軸はオーケストラに置きながらも、今もってシンセサイザーサウンドを排除したわけではない。

村上春樹はこの本の別頁でこんなふうにも語っています。”書けることだけを書いて、それはそれでまうまく機能していたんだと思う。でもそれは僕の本当に書きたかったこととは少し違うんです。自分の書きたいものがある程度書けるようになってきたのは、もっとずっとあとのほうですね”

 

 

“この前も言ったけど、僕は『ノルウェイの森』で、リアリズム小説を書き切るという実験をやりました。『スプートニク』は、これまでの文体の総決算をやってしまおうと思って書き始めました。それから『アフターダーク』では、ほとんどシナリオ的な書き方をしました。そういうふうに、「少し短めの長編」ではいつも自分なりの実験みたいなことをやっています。今回はこういうことを試してみよう、という挑戦をやっているわけです。『多崎つくる』も僕としてはわりに実験的というか、いうなればグループを描く小説です。そういうものは以前には書いたことがなかった。あれぐらいの長さの小説って、書き手としては一番実験がしやすいんです。

短編だとある程度のまとまりが必要になってくるし、長い長編だと生半可なことはできない。中途半端に実験的なことをやると収拾がつかなくなりますから。でも『スプートニク』とか『国境の南、太陽の西』とか、それから『アフターダーク』、『多崎つくる』、あのぐらいの一冊本だと、そういうわりに突っ込んだ実験ができます。感覚を思い切って解放し、新たなシチュエーションを試してみることができます。だから、僕にとってはすごく大事な容れ物なんです。でもあのサイズの小説って、おおむね読者の評判がよくないんですね。

わからない。なんでだろう(笑)。短編は短編で、ある程度評価してもらえるし、長い長編は長編として評価してもらえるんだけど、あの中くらいの小説というのは、少なくとも出した時点では、なぜか酷評されることが多いみたいですね。手を抜いているとか、これまでと同じだとか、あるいは逆に新しいことをやろうとして失敗しているとか。”

~(中略)~

⇒⇒
うーん、読者として不完全燃焼な感じがあるのでしょうか、中くらいなサイズ感もあいまって。短編のほどよい軽食感とも、長編のフルコースな満足感とも少し違う、なにか居心地のさだまらない感覚なのかもしれません。

そう言われると、久石譲『ミュージック・フューチャー・コンサート』で披露される作品って、第一印象でそういうところもあるかもしれません。時間の長さも楽器編成も中くらいな作品が多いです。そこに、そのとき旬な実験性みたいなものも含まれていて、どう受け取っていいのか、どう反応したらいいのか、まったく免疫のなかった聴衆は戸惑ってしまうような感じ。

でも不思議なもので、そういった中くらいの作品が、次の大きな作品につながっていたり、あとから振り返ったときにはおさまりよく据わっているような気もします。ああ、あの作品が節目や布石だったんだなと、余裕をもった心持ちで受け止めるときがきっと訪れることでしょう。だから、ひとつひとつの作品に愛着がある。

 

 

“小説的な面白さとか、構築の面白さとか、発想の面白さというのは、生きた文章がなければうまく動いてくれません。生きた文章があって初めて、そういうのが動き出す。でも多くの作家は、発想とか仕掛けが先にあって、文章をあとから持ってくる。意識が先にあって、身体があとからついてくる。僕の感覚からすれば、同時にあるものではなくて、まず文章がなくちゃいけない。それが引き出していくんです、いろんなものを。”

~(中略)~

⇒⇒
例えば、楽器や音色といった飛び道具を先に決めてしまって、それを使うことが最優先になってしまっている音楽ってありますよね。使うことが最大の目的になってしまっている。それが悪いわけではないんでしょうけれど、なんというか発想勝負、仕掛けの珍しさだけで突っ切ろうとしている感じ。奇をてらったものには、それなりの芯も持ち合わせていないとぐらぐら倒れてしまいます。

 

 

少し追加します。

同書からですが、テーマ(短編・長編・翻訳)からはそれるんですけれど、とても伝わる語り口だったのでぜひとご紹介します。

 

”朗読に使ったりするとき以外は読み返さない。もちろん自分の書いたものについて「くだらない」とか「つまらない」とか思っているわけじゃないですよ。ベストを尽くして書いたという手応えは僕の中にまだ残っているし、そのことに誇りのようなものだって持っているし、褒められればもちろん嬉しい。僕の小説が三十年経っても絶版にもならずに書店の棚に並んでいるのを目にすれば、ありがたいなと思うし、読者に感謝したいなと思う。それは当たり前のことです。作家だから。でもそれはそれとして、自分で自分の書いた小説を改めて読み返したいという気持ちにはなかなかなれない。

自分の書いたものはむずかしいね。カーヴァーのたとえば「大聖堂」とか、パン屋の話とか、「足もとに流れる深い川」とかは、今読んでもやっぱりすごいなと、手を入れるところもないよなと思うけど。自分の小説というのは、まあ、僕が書いた短編のベスト3なんてとても選べないけど、もし選べたとしても、読んだらやっぱりイライラするんじゃないかな。同じ話も、今だったら違うふうに書くと思う。

ただ、もし今僕がその自分の短編を、今の感覚と今の技術で書き直したとしても、読んだ人がよくなったと思うかというと、そうとは限らないと思う。それはあくまで僕自身の感覚の問題だからね。だからあまり読み直さないようにしているんです。読むとどうしても手を入れたくなっちゃうから。”

~(中略)~

⇒⇒
作家の思考が覗けておもしろいです。

 

 

”そういう書き方ももちろんあるわけだけど、僕はそういう書き方はしないというだけで。僕が自分の昔書いたものをまず読み返さないのは、だいたいにおいて自分の書いた文章に不満を感じるんです。でもそれは良いことだと思う。だって同じことを書いてたら、誰も読まなくなるよね。また同じかと。バージョンアップして自分を磨いて上げていかなちゃいけない。やっぱり世界は広いし、自分よりうまい人はたくさんいるし、日本のマーケットの中だけに留まっていたら、自己改革ってなかなかやるのは難しいと思う。ついつい締切りに追われたりしてね。

それから、いいところも一緒にある程度捨てていかないとね。でも、なかなか難しい話です。僕の読者でも初期の作品のほうがずっと好きだって人はたくさんいる。『ノルウェイの森』を今書いたら、もっともっとうまく書けると思うけど、きっとあればあれぐらいの段階で書いといて一番良かったんじゃないかって……。

今読むとね、青臭いなと思うとこあるんだけど、やっぱりああいうのはある程度青臭くないと、人の心は打たない。”

~(中略)~

⇒⇒
”いいところも一緒にある程度捨てていかないと”という部分が特に印象的でした。宮崎駿監督でいうと「トトロ2は作らない」になるだろうし、久石譲でいうと「過去は忘れる」になるだろうし。自身の完成モデルにすがらないということもあるんですけれど、文章を読んでいて、あの時だからこそ最も輝けるかたちで完成したことを作家が一番よくわかっている、だから捨てないといけないという逆説につながるのかもしれない、と思った次第です。

 

 

 

今回とりあげた、『みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る』。村上春樹さんの本を読んだことある人なら、もちろん楽しめる本です。そうじゃなくても、本を読むことが好きな人には興味をそそられる視点ばかりです。そして、今度本を読むときには、もっとぐっと近づけて、もっと深く楽しめるようになりたい。そう思わせてくれる本です。

 

 

-共通むすび-

”いい音というのはいい文章と同じで、人によっていい音は全然違うし、いい文章も違う。自分にとって何がいい音か見つけるのが一番大事で…それが結構難しいんですよね。人生観と同じで”

(「SWITCH 2019年12月号 Vol.37」村上春樹インタビュー より)

”積極的に常に新しい音楽を聴き続けるという努力をしていかないと、耳は確実に衰えます”

(『村上さんのところ/村上春樹』より)

 

それではまた。

 

reverb.
いろんな分野からクロスして学べるって楽しい。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Overtone.第89回 モチーフ「アンリリース」

Posted on 2023/01/17

ふらいすとーんです。

Overtone モチーフです。

きれいに考えをまとめること、きれいに書き上げることをゴールとしていない、メモのような雑文です。お題=モチーフとして出発点です。これから先モチーフが展開したり充実した響きとなって開けてくる日がくるといいのですが。

 

モチーフ「アンリリース」

当サイトは、発売されていない楽曲を「*Unreleased」と表記しています。なぜこれにしたんでしょうか?

 

未発表
TV・映画・CM・コンサートなど、発表していないわけではない。公にはなっている。

未作品化
作品になっていないわけではない。発表されている。アルバム=作品の定義もある。

未音源化
一般発売ではない特定の人に届けられる非売品やプレゼント品などもある。音源化されたものが存在する。リスナーが所有しているフィジカル(CD)やデジタル(配信)が存在する。

未CD化
メディアを限定してしまう。DVD・Blu-ray Audioなども存在する。デジタル(配信)のみリリースされる場合もある。…記録媒体という点ではLP・カセットからのデジタル化=CD化も従来ある。ここでは重複混乱するのでデジタル=配信で進めている…

未収録
サウンドトラック未収録楽曲、などという使い方をする。ある作品のなかで使われた楽曲という狭義になる。公にはなっている。

未商品化
Music Videoやライブ映像などがDVD等発売される際、初商品化などと言ったりする。プロモーションやWEB公開されていたものが商品化されるという意味も含む。無形のダウンロードやオンデマンドであっても課金する商品となる。

フィジカル/デジタル
フィジカル(CD・DVD・LP)とデジタル(配信・ダウンロード・サブスク)に分かれる。日本ではサブスクという呼称が主流だが音楽ストリーミングサービスのひとつ。発売パターンや発売順序も複雑化している。

ディスク
CD・DVDはディスク化といえる。LPを円盤としてのディスクに含めるか、記録媒体としてデジタルではないので除外するか、などカテゴライズが煩雑化する。

ソフト
ハードとソフトという区分があり従来はCDソフト・GAMEソフトなどとも言われた。ソフトの定義は各分野で多岐にわたり有形無形の境界線もなくなっている。商品=ソフトと広義になる。最近ではフィジカル(物理メディア)を使用することが多い。

パッケージ
フィジカルやソフトに近いが、形態を表すことがある。複数パッケージ(初回・通常・収録曲・特典・仕様)で発売などある。また有形無形の境界線もむずかしい。デジタル版も複数パッケージのひとつの形態となりうる。

メディア
オーディオメディア(CD・レコード・カセット)となるし、音楽ソフト(CD・レコード・ビデオ等)ともなる。カテゴライズが煩雑化する。

アナログ・LP
レコードのみリリースされる場合もある。またCD化を飛び越えて、デジタルリリース後にアナログ盤として登場するなど複雑化している。世界的にみると音楽ファンの需要と供給はデジタル>レコード>CDとなり日本のみCD優位性がある。

Vinyl
日本ではCDなどのデジタルメディアと区別してアナログレコードと呼ばれている。海外では一般的にVinyl(ビニール)と表記される。アナログやLPでは通じないことも多い。

 

 

発売されたときには……

CD化・DVD化・LP化・アナログ化・アルバム化・円盤化・音盤化・ディスク化・パッケージ化・ソフト化・商品化・音源化・初収録・配信リリース・デジタルリリース・ハイレゾ化 など

 

発売されたときには……

待望のCD化/遂にフィジカル盤が登場/配信限定リリース/初LP化/残す未音源化コンチェルトは…/初商品化されるMV2曲を含めて全…/あの名盤が初ハイレゾ化 など

 

ほんとうは……

図解や表にしたほうがいいくらい、キーワードごとに重なり合う部分がたくさんあります。解釈や使い方もいろいろです。ただし、公式発信(アーティスト・レーベル等)は常に一番適したキーワードを選択していると思うことが多いです。

 

まだまだある……

新しく見つけたら追記するかもです。こんな言葉、こんな言い方、もあると見つけたら教えてください。コンテンツ(音楽・映像・ライブ)を届けるものがメディア(CD・ストリーミング・LIVE配信)です。一番大切なのはコンテンツそのものです。手段や媒体はその次です。うれしいIT社会のなか受け取れる方法や機会は格段に広がっています。文明の変容によって言葉も変容していくのだ、なんて。

 

 

久石譲作品でいうと……

1)『Piano Stories Best ’88-’08』「人生のメリーゴーランド -Piano Solo Ver.-」※未発表音源

”『PIANO STORIES 4』にオーケストラ伴奏のアレンジ版が収録されていたが、ここに聴かれるピアノ・ソロ・ヴァージョンはそれとは別に収録されたもので、本盤が初出となる。”(CDライナーノーツより)

音源としては存在していたが未発表だった楽曲。一般的に音源が存在したか否かリスナーにはわからない。「別バージョンがある」と公言していれば話は変わる。また、初めて公になる音源なのでこの場合の未発表は適している。未収録音源(すでに使われたけど収録されなかった)とはならない。もちろん初収録でもマルになる。どういった経緯をもつ楽曲なのかという特性やアピールにおいて、未発表音源という表現は最適といえる。

 

2)『Ghibli Best Stories ジブリ・ベスト ストーリーズ』「海のおかあさん」*初CD化

”9.海のおかあさん(CD初収録)『崖の上のポニョ』本編では1コーラスしか聴くことの出来なかったオープニング主題歌を、今回初めて2コーラスのフルヴァージョンで収録したもの。”(CDライナーノーツより)

楽曲は1コーラスものがサウンドトラック盤に収録されていて、同じ音源元のフルサイズが初めて収録された。未発表音源とはならない。未収録音源ともならない。もし近年なら初CD化ではなく初音源化のほうが適切にもみえる。この作品はデジタルリリース/サブスク解禁されていない。現時点でも初CD化のままを継続している。

 

 

日本語って難しい……

未発売
一番適切だと判断しました。一般に多くのリスナーが受け取れる(アクセスできる)かたちで発売されていない。

Unreleased
未発売を英語にしたのは、海外の人が見てもアイコンのように意味がわかるからです。日本語で未発売・未音源・未収録とニュアンスを混同してしまう言葉を使用するよりも、Unreleasedなら誰が見ても一発でその意味合いはわかります。一語の結論にここまで思考めぐらせていたなんて…暇ですね。

アンリリース
「その曲は発売されていないよ」「その曲はCDになっていないよ」「その曲はリリースされていないよ」なんて会話で使うこともあると思います。ここらで「その曲はアンリリースだよ」と通称でもいいんじゃないかな、個人的に使っていこうかな、和製英語だけど伝わりますよね。(だってRecomposedもリコンポーズって言うでしょ会話のなか)

 

そんなモチーフでした。

それではまた。

 

reverb.
アンリリースがなくなっていくことが一番うれしい。

 

 

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Overtone.第88回 久石譲を短歌で詠む 100 其ノ二

Posted on 2023/01/05

ふらいすとーんです。

久石譲を短歌で詠む、気ままにツイートしていたものがまた百首たまりました。前回は令和になった2019年5月から2020年9月まででした。今回は2020年10月から2022年11月までになります。ひとつでもおもしろいものがあったならうれしいです。

 

 

久石譲を短歌で詠む

“Silence”深い夜へと誘うは
ピアノの音と秋の静けさ

ミニマルのモザイクたちは踊りだし
次元を狂わす”DA.MA.SHI.絵”となり

この曲はどこにも売ってないみたい
そう思いつつ何度も探す

新曲だ好きになったりするのかな
瞬殺速効ノックアウト

ティンパニのドの音大地に響くとき
“風の伝説”はじまりの音

赤ワイン”il Porco Rosso”(マルコとジーナ)くゆらせて
大人の恋と背伸びした日

ハンマーの打つ鋼の弦はりつめて
凍てつく愛は狂おしく”EVE”

しぶきあげ渦まく白波ほとばしり
“男たちの大和”にふるえ

海走る電車にたゆたうピアノの音(ね)
ゆらめいている”6番目の駅”

“Silencio de Parc Güell”雲うつり
(シレンシオ・デ・パルク・グエル)
静けさこのむ初秋の一日

 

十一

ミニマルなつくつく法師の鳴き声は
ひとつふたつと音が減りゆく

ひとしきり泣いてすっきりしたあとは
かなしい曲もやさしく聴こえ

たちまちに心の乾き潤して
ピアノの音と涙おちる音

そんなにがんばらなくてもいいんだよ
寄り添う音は強くやさしい

小気味よく泡は踊り弾け飛び
“Dream More”と酒くみかわし

転調の美しさふと音はこぶ
風を感じるときの快感

引っ越す日思い出だらけの部屋のなか
くすんだ壁に沁みこんだ曲

“星の歌”メロディ追いかけ絡みあい
分かれ降るさま流星群かな

“ひまわりの家の輪舞曲(ロンド)”に母の影
涙でぼやけた空はやさしい

ちょっと目を離した間にすやすやと
おやすみなさい”ポニョの子守唄”

 

二十一

似合わない服はいっぱいあるけれど
あなたの曲はどれも似合うと

“DA・MA・SHI・絵”の対向配置のミニマルに
音の渦まくLとR

“Spring”流れて映る風景に
今年もちゃんとつかまえた春

葉桜に少しなじんだスニーカー
爽やか軽やか”Spring”聴く

春の音つかまえたくてシャッターを
切っておさめてそれ貼るノート

夜が夜らしい色した時代には
”夢の星空”輝いている

新しい譲報みつけスマホ越し
こぼれる笑みを隠しきれない

夏祭りなくても着るよ夏だもん
浴衣姿のおうちで”Summer”

この曲のスイッチ押せば再起動
頭すっきり動き出せる

どの曲も知ってるつもりだったけど
ベスト盤聴き…そうでもなかった

 

三十一

あの曲はほろ酔い注意と知りながら
ひとりよがりのノスタルジック

キラキラの鈴とツリーが奏で合う
ハンドベルのジブリ曲たち

空みあげ鳥たち渡る雲間から
“Stand Alone”光の綾織り

澄みきった静寂ふるえ息をのむ
“TENCHIMEISATSU”満天の星

富士山の湖畔に映るシンメトリー
波紋に浮かぶミニマルのズレ

エモい、よき、わかりみ深い、すこ、(語彙力)
ほぼほぼ通じる控えめに言って

ネクタイの裏に指揮棒忍ばせて
休憩室のエアマエストロ

気の抜けた炭酸のような日もあって
みなぎる曲で気を送りこむ

好きな曲奏でるファンの音(おん)返し
いろんな楽器思い思いに

空翔ける龍の背に乗り流れゆく
“千尋のワルツ””ふたたび”会えたね

 

四十一

今を生き共に生きたるその先の
希望をみせる”アシタカとサン”

“冬の夢”雪しんしん降りてゆく
ピアノとチェロの音に暖とる

白銀の歌とピアノと弦楽と
”遠い街から”あの冬想う

極上の冬の魔法かけられて
”白い恋人たち”の結晶

ロンドンの”Sweet Christmas”な夜
大きな鐘と響きわたって

世界中星降る聖夜あたたかい
“White Night”願いをこめて

あたらしき年の初めの一曲は
久石譲の一択しかない

初夢の一富士二鷹三茄子
四回行けた弾き振り見れた

初夢の一富士二鷹三茄子
四枚フラゲ メガジャケ飾る

初夢の一富士二鷹三茄子
第四シンフォニーも現る

 

五十一

初夢の一富士二鷹三茄子
一気に四までCM曲集

初夢の一富士二鷹三茄子
WORKS V すごい選曲

初夢の一富士二鷹三茄子
“Mt.Fuji”はいつ会えるかな

ふるさとの忘れたくない光景と
街の匂いが音に溶け合う

また来るねぱっと花咲く”Spring”
ふれあい過ごした新春のとき

好きな子のイヤホン越しにすれ違い
聴こえた曲に好きが上がった

追想とピアノアルバム流れゆく
無音の雨を眺める車窓

ただずっと眺めていたい画があって
ただずっと聴くジブリの世界

ショータイム指揮とピアノの二刀流
演奏会が歓喜に沸いた

乾杯と”Dream More”にプレミアム
多重奏な会話も弾み

 

六十一

どこまでも開放的なその音に
がんじがらめの心ほどける

しんどくて眩しすぎると塞いでも
音を浴びたいときは来るから

言い尽くすことなんてできやしないと
わかってるけど言葉さがして

音楽を三十一(みそひと)文字に込めること
言葉と気持ちに向き合う時間

いっせーの!白いマスクを放り投げ
ハトの飛び立つ共に歌おう

みなみんな欲張らないで空ひとつ
“World Dreams”希望の鐘を

“Spring”待ちわび願い春何処
1オクターブ越えていきたい

満開の桜の下を舞うように
”春のめぐり”に”春のワルツ”

“はじまり”はなよたけ調べとわらべ唄
音で紡いだかぐや姫のとき

ラピュタにもトトロにもある樹の曲と
鳥を遊ばせ風を誘う樹

 

七十一

あの青い空のむこうをさがしては
ラピュタ雲だと子供らの声

五線紙に込める想いのグラデーション
歌い継がれるジブリソングス

ときめく日上昇気流をつかまえて
”空中散歩”で心浮き立つ

雨の日のふたりっきりのバス停に
”トトロ”の気配ミニマルリアル

あの人の棲む国”募る思い”馳せ
パラレル架けるふたつの心

くつろいで音楽だけあるマイタイム
なにもしない時間を楽しむ

音楽をのぞきかきわけつかまえて
言葉の糸をたぐりよせてく

大それた願いでしょうか生き生きと
”World Dreams”平和を呼吸す

待ちわびた夏恒例のコンサート
いつも熾烈なイス取りゲーム

君とすぐこんなに仲良くなったのは
あの曲あたりがきっかけだったね

 

八十一

この盤は忘れえぬ人呼び起こす
あの時のままあの音のまま

いつもとは違うところに着きそうで
切符片手に”6番目の駅”

”あの夏へ”紡ぐいのちのアルペジオ
ピアノのふるえ遠く彼方へ

選りすぐりワールドベスト浴びたなら
ファンにならないことがむずかしい

出会う前出会ってからのファン歴と
ワールドベスト君を巡る日

一度でも生演奏にふれたなら
言葉にならないため息しかない

ピアノ弾く世界にひとつだけの音
なにが違っているのでしょうか

ひと抱えプレイリストに集めたら
わたしの秋をコンシェルジュする

“Silence”モノクロームなピアノから
色合い豊かなオーケストラに

“Sunday”と秋空薫るエレガンス
いいことありそう聴けば吉日

 

九十一

秋心揺らす”旅情”のモノローグ
ふと行間を語りはじめる

“ETUDE”の回りつづける音盤と
月のきれいな長い夜に

少しだけ遠回りした散歩道
好きな曲聴く風のいい夜

ポケットの音楽先に秋となり
風や景色はゆっくり追いつく

“The Black Fireworks”燻らせて
ビターな秋に濃いめのチェロと

目のまえを風がさらっと譜読みして
まだ弾けてない僕を抜き去る

“Drivung to the Future”マリンバの
速度で駆けてきみに会いたい

教室の窓が切り取る夏空は
“Summer”すぎるとチャイムが鳴った

校庭の脇に並んだひまわりに
“Summer”を返し忘れた二学期

鮮やかに秋めく私の住む町に
“Oriental Wind”みつけた

 

 

以降も、新しい短歌は気ままに #久石譲を短歌で詠む でツイートしています。

 

 

なぜ短歌をはじめたのか?/久石譲短歌のルール?/リズムを味わう/短歌は”いま”を詠む、などはこちらに一緒に記しています。

 

また次の「久石譲を短歌で詠む 100」がいつかできますように。日めくりカレンダーのように365首をめざしてもおもしろそう、なんて思ったらあと3年くらいかかりそうです。

それではまた。

 

reverb.
令和の時代を久石譲で詠んでいるみたい

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

Overtone.第87回 長編と短編と翻訳と。~村上春樹と久石譲~ Part.7

Posted on 2022/12/20

ふらいすとーんです。

怖いもの知らずに大胆に、大風呂敷を広げていくテーマのPart.7です。

今回題材にするのは『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事/村上春樹』(2017)です。

 

 

村上春樹と久石譲  -共通序文-

現代を代表する、そして世界中にファンの多い、ひとりは小説家ひとりは作曲家。人気があるということ以外に、分野の異なるふたりに共通点はあるの? 村上春樹本を愛読し久石譲本(インタビュー記事含む)を愛読する生活をつづけるなか、ある時突然につながった線、一瞬にして結ばれてしまった線。もう僕のなかでは離すことができなくなってしまったふたつの糸。

結論です。村上春樹の長編小説と短編小説と翻訳本、それはそれぞれ、久石譲のオリジナル作品とエンターテインメント音楽とクラシック指揮に共通している。創作活動や作家性のフィールドとサイクル、とても巧みに循環させながら、螺旋上昇させながら、多くのものを取り込み巻き込み進化しつづけてきた人。

スタイルをもっている。スタイルとは、村上春樹でいえば文体、久石譲でいえば作風ということになるでしょうか。読めば聴けばそれとわかる強いオリジナリティをもっている。ここを磨いてきたものこそ《長編・短編・翻訳=オリジナル・エンタメ・指揮》というトライアングルです。三つを明確な立ち位置で発揮しながら、ときに前に後ろに膨らんだり縮んだり置き換えられたり、そして流入し混ざり合い、より一層の強い作品群をそ築き上げている。創作活動の自乗になっている。

そう思ったことをこれから進めていきます。

 

 

今回題材にするのは『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事/村上春樹』(2017)です。

”同時代作家を日本に紹介し、古典を訳し直す。音楽にまつわる文章を翻訳し、アンソロジーを編む。フィッツジェラルド、カーヴァー、カポーティ、サリンジャー、チャンドラー。小説、詩、ノンフィクション、絵本、訳詞集…。1981年刊行の『マイ・ロスト・シティー』を皮切りに、訳書の総数七十余点。小説執筆のかたわら、多大な時間を割いてきた訳業の全貌を明らかにする。”

(BOOKデータベースより)

 

これまでに翻訳してきた本のカタログのような、一冊ごとに1,2ページ、翻訳した当時を回想するように軽いタッチのエッセイとしても楽しめます。本書から興味をもって読んでみた本もたくさんあります。取り上げたいのは、まえがき項と、柴田元幸さんとの対談項からです。

 

自分が読んだあとなら、要約するようにチョイスチョイスな文章抜き出しでもいいのですが、初めて見る人には文脈わかりにくいですよね。段落ごとにほぼ抜き出すかたちでいくつかご紹介します。そして、すぐあとに ⇒⇒ で僕のコメントをはさむ形にしています。

 

 

 

”もうひとつ重要なことは、これまでの人生において、僕には小説の師もいなければ、文学仲間みたいなものもいなかったということだ。だから自分一人で、独力で小説の書き方を身につけてこなくてはならなかった。自分なりの文体を、ほとんどゼロから作り上げてこなくてはならなかった。そして結果的に(あくまで結果的にだが)、優れたテキストを翻訳することが僕にとっての「文章修行」というか、「文学行脚」の意味あいを帯びることになった。翻訳の作業を通して、僕は文章の書き方を学び、小説の書き方を学んでいった。いろんな作家の文章・物語という「靴」に自分の足を実際に突っ込んでみることによって、自分自身の小説世界を立ち上げ、それを自分なりに少しずつ深め、広げていくことができた。そういう意味では翻訳を通して巡り会った様々な作家たちこそが僕の小説の師であり、文学仲間であった。もし翻訳というものをやってこなかったら、僕の書いている小説は(もし書いていたとしても)、今とはずいぶん違った形のものになっていたはずだ。”

~(中略)~

⇒⇒
久石譲も、クラシック音楽から学べることはたくさんある、とよく語っています。ここで最も注目したいのは最後の文章です。”もし翻訳というものをやってこなかったら~”、これは久石譲音楽にも言えることだと思います。「もし指揮というものをやってこなかったら、僕の書いている曲は、今とはずいぶん違った形のものになっていたはずだ」、ファンとしてもそう感じるところありますね。クラシック音楽や同時代作家の作品を指揮することで、久石譲音楽は一構えも二構えも広く深くなってきたことは、ひしひしと感じるところです。

まあ、それを良しと思っていない人もいるかもしれません…。端的にいえば、久石譲らしくなくなったと。でも、それは本当にそうでしょうか…。何かに強く影響を受けるということは、これまでのオリジナリティや武器を強烈に覆い隠してしまうこともあります。取り入れたいものとすでにある持ち味が作品のなかで戦っている。それに潰されてしまうか、一皮むけて突き抜けるか。久石さんは間違いなく後者でしょう。近年の交響曲や室内楽のどれかひとつでもどれか一楽章でも好きなものがあるなら。それは指揮活動なくして生まれなかったものです。ちゃんとそこに久石らしさを感じるから好きになる。その数やバランスは変わってきたかもしれませんが、まあ、衰えを感じさせるどころか突っ走っているほどの久石さん…すごいことだと思います。

 

 

”そういう風に自分の創作と、翻訳の仕事とを、長期にわたって交互にやってこられたのは、僕の精神性にとっておそらく健全なことだったんだろうなと推測する。自由に好きにやれることと、制約の中でベストを尽くさなくてはならないこと。どちらか一方だけの人生だったら、やはりちょっと疲れていたかもなと思わなくもない。そういう意味ではたしかに恵まれていたと思う。”

~(中略)~

⇒⇒
村上春樹は、これまでに70冊以上の翻訳をしています。久石譲は、これまでに70作品以上のクラシック音楽を指揮しています(ちゃんと調べました)。「自作と古典を並列してプログラムすることは大変だ」と語るとおり、優れた作品を指揮することは、次の創作活動へ向かわせる原動力にもなっているように思います。

いろいろなフィールドでその作家性を多面的に発揮できる人はいますね。器用だとも思うし、そうすることで創作活動のバランスをとっている。そんなマルチさのなかでも明らかに村上春樹と久石譲には違うところがある。やれるからやっているではなく目的がはっきりしている。おそらく長編小説のため(その長い構想期間も含めて)に翻訳をしているだろうし、久石譲もまたはっきりと「作曲のために指揮している」と言っています。すべての多面的な活動が、自らの主軸に集約されるようになっている。アウトプットのためのインプットといったところでしょうか。

 

 

”ときどき「おまえの書く小説はあまり好きではないが、おまえの翻訳はなかなか悪くない」とおっしゃってくれる方もいて(もちろんもう少し婉曲な言い方ではあるけれど)、それはそれで僕としては嬉しく思う。何も褒められないよりは、少しでも何かを褒められた方がもちろんいいということもあるけれど、そこには、「僕は僕なりに何かをかたちにして残してくることができたんだな」という達成感のようなものがあるからだ。もちろん自分自身の小説だって、かたちとしてはいちおう残されているわけだが、翻訳書の場合はそれとはまた少し違った種類の「かたち感」なのだ。あるいはそれは「貢献」に近いものなのかもしれない。自分の創作の場合は、そういう「貢献」という感触はまず持てないから(そこで持てる感触はもっとべつのものだ)。”

~(中略)~

⇒⇒
作家ってそんな感覚をもつものなんだと新鮮でした。とすると、久石譲が指揮することもまた音楽文化への「貢献」であり「何かをかたちにして残してくることができ」ていると同じになりますね。音楽を未来へつなげたいとは、つまるところ演奏しつづけることです。録音やパッケージとしての有無は別として。読まれているから本はのこるし、聴かれているから音楽はのこる。のこるからこそ未来の人も触れることができる。

最初の文章を置き換えて、「おまえの書く音楽はあまり好きではないが、おまえの指揮はなかなか悪くない」、ああ、そんなこと思う人いるのかな?いるのかもな?あまり考えたことなかったです。でも、これからますます久石さんの指揮活動が充実するごとに、「久石譲の音楽はほとんど聴かないけど、久石譲の指揮するベートーヴェンはなかなかいいよ」そんなリスナーも出てくるのかもしれませんね。いやあ、嬉しいような悲しいような。すごいことだと思う。

 

 

”ここにこうして集めた僕の翻訳書を順番に眺めてみると、「ああ、こういう本によって、こうして自分というものが形づくられてきたんだな」と実感することになる。ただただ自分の楽しみのために訳した本もあれば、「よし、今回はこれに挑戦してやろう」と意を決して、腹を括って作業に臨んだ本もある。いずれにせよ、それらの本によって僕は形づくられてきたのだ。いつも言うことだけれど、翻訳というのは一語一語を手で拾い上げていく「究極の精読」なのだ。そういう地道で丁寧な手作業が、そのように費やされた時間が、人に影響を及ぼさずにいられるわけはない。”

~(中略)~

⇒⇒
文章そのまま本を音楽に置き換えてみると、ぐっと伝わってきますね。僕は最近ふと思うんですけれど、受けた影響もまるっと含めてその人のオリジナリティなんじゃないか、そんなことを思ったりします。ここは先人の影響を受けていて、ここはこの人のオリジナル性の部分で、って作品のなかで切り分けることなんてできません。もっというと、誰に影響を受けてきたかでその人のオリジナル性も変わってきます。だから、うまく言えないけれど、ミニマル・ミュージックに影響を受けていない久石譲やベートーヴェンに影響を受けていない久石譲は、今僕らが聴いている久石譲音楽じゃない、それははっきりわかります。だとしたら、オリジナリティってその人が形づくられた影響すべてひっくるめて…その人が触れてきた好きの蓄積からオリジナリティはもう始まっていて…うまく言えないからまたいつか出直したい次第、です。

 

 

”いつも言うんだけど、翻訳するというのは、なにはともあれ、「究極の熟読」なんですよ。写経するのと同じで、書かれているひとつひとつの言葉をいちいちぜんぶ引き写しているわけです。それも横のものを縦にしている。これはね、本当にいい勉強になります。”

~(中略)~

⇒⇒
よく語られていることで同旨あります。

 

 

”「このメス犬」とか、「売女」とか、ああいうのはかんべんしてくれよなって思いますよね(笑)。でも最近、”bitch”は「ビッチ」である程度いけるようになってきました。「ファック」もだいたいそのままいける。これは翻訳者としてはすごくありがたいことです。社会的にみればあまり褒められたことじゃないのかもしれないけど(笑)。最近は「マザーファッカー」も、僕はそのままにしちゃってることが多いですね。「クール」もそのまま使えるシチュエーションが増えてきて、なかなか便利になりました。

古い翻訳書を読んでいて、「イカしてる」なんて書いてあると、なんなんだと思うものね。「すかしてやがるぜ」とかさ。ですから、僕が翻訳する場合にも、早く古びそうな言葉はできるだけ使わないというのが、けっこう大事なことになります。「これはあとまで残るかな? それともそのうちに消えちゃうかな?」というぎりぎりの境界線上の言葉や表現もあって、このへんの判断はなかなか難しいですね。結局は翻訳者のセンスの問題になります。英語がすごくできる人でも、必ずしも良い翻訳者になれないというのは、そういう部分があるからでしょうね。”

~(中略)~

⇒⇒
村上春樹が語る「翻訳には賞味期限がある」、これについてもPart.1-6のなかに同旨あります。また異なる具体例を挙げていたりしておもしろいです。

 

 

”僕もあの作品はちょっと苦手です。サリンジャーの短篇は、良いものはすごく良いけど、ばらつきも激しいから。でもね、最近では電子ブックの短篇集ばら売りみたいなこともやっているでしょう。あれはどうかなと僕は思うんです。やはり短篇集というのは、中にすごい作品もあり、それほどすごくない作品もありで、そうやって総合的に成り立っているものだと思うんです。そういう成り立ちはやはり大事にしていかなくちゃならないんじゃないかと。レコードの場合もそうだけど、最初はつまらないと思っていたトラックが、あとになってだんだん気に入ってきたり、みたいなことはありますよね。”

~(中略)~

⇒⇒
音楽についても、アルバムというパッケージについても、強く同じことが言えると思います。少なくとも、好きなアーティストなら単曲で買うのはもったいないかなと思います。あなたの好きは単曲程度なの?!ってね。冗談はさておき、ベースに好きがあるんだから、いつかだんだん気に入ってくるということは大いにある。僕は好きなものに対してはけっこうな信頼を置いているので、もし曲や物語がそのとき好きになれなかったら、それは自分がまだ追いつけていないって思うほうかもしれません。久石さんの音楽はもちろんそう、村上春樹さんの小説もそう。あとからわかったり好きになったりする自分に出会えたときはとてもうれしいし、そこまで全幅の信頼を寄せれる作家が自分にはいるってうれしい。全部を好きにならなくてもいいし、無理にわかろうとしなくてもいい。ファンならゆっくり一生かけて付き合っていきましょうよ。そのなかで変化してくることなんていっぱいありますよ。そんなゆるさです。

 

(以上、”村上春樹文章”は『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事/村上春樹』より 引用)

 

 

少し追加します。

同書からは離れて、同旨なことを語っているものを、ここにまとめて紹介させてもらいます。いろいろな方向から眺めてみると、いろいろな言い回しの言葉から触れてみると、吸収しやすくなったりすることあるな、と僕なんかは思います。

 

 

”さっき柴田さんがいまの翻訳が次の創作に影響を与えるかどうかとおっしゃったけど、影響を受けていたとしてもそれを次の僕の創作に使うかというと使わない。でも十年ぐらい経ってから、何かの形で役に立ってくるんじゃないかなという気はしています。たぶんまったく別の形をとって出てくるというようなことですね。”

(「翻訳教室/柴田元幸」より 一部抜粋)

⇒⇒
村上春樹は、取り込んだものから大事な部分だけ抽出したり別のかたちで書く、とも言っています。宮崎駿監督は、オリジナルがわからないように真似ろ、とも言っています。久石譲は、後から気づいたらブラームスの弦の扱い方に影響を受けている、とも言っています。すべての創作家たちは、多くのものを取り込み吸収し自分のフィルターで時間をかけて濾過したものを新しいかたちで出す。すごく尊いサイクルだなと思います。

 

 

”他言語のリズムなり生理なり、あるいは思考システムなりは、月の引力が地球の海の干満をもたらすように、その翻訳者の固有の文体に否応なく影響を及ぼします。言語システムを転換するという行為を通じて、僕らの「こっち側」の文体=言語認識は多少の差こそあれひとつの洗いなおしを受けることになります。そのような洗いなおしは、多くの局面においては有意義、有益なものであると僕は信じています。文体とはとりもなおさず「意識のあり方」であり、僕らはそのような意識な交流の中から、多くの種類の価値を学ぶことができるからです。僕らは翻訳作業を通じて、複合的な意識の視点を、自然に身につけていくことができます。

しかしプラスばかりではありません。同時にそこには危険性もあります。それはつまり「入超」になるということですね。外部からの「意識」流入が強く大きくなりすぎて、そちらに力が吸い取られてしまって、内発的な要素がうまく吸い上げられなくなる。そうなると、たしかに立派な文章スタイルはできたし、小説的ヴィジョンも立派だけれど、地面に根っこがうまく張れていないということにもなりかねません。これは小説家としては命取りになりかねないことです。”

(「若い読者のための短編小説案内/村上春樹」より 一部抜粋)

 

⇒⇒
ちょっと難しいことが書いてあるんですけれど。簡潔にすると、翻訳することは自分の文体にも影響を及ぼす。洗いなおしを受け複合的に広がる良い影響もあれば、そこに自分の文体を持っていないならば潰されてしまう悪い影響もある。そういうことだと思います。

上の、最初のほうに書いたことと重なりますね。久石譲らしくなくなった?のところ。クラシックの手法にならうことで、(従来の)久石譲らしくなくなったところもあるでしょう、同じく作風の幅が広がったことはたしかです。今までにはなかった構成や形式、そうは進まなかっただろう曲想や展開、自ら指揮することで磨かれる表現や輝きをますオーケストレーション。こう書きたい書いてしまう文章やメロディ、その馴染んだ手くせを大きく解放してくれるものこそが翻訳活動であり指揮活動だとしたら。その活動を追いかけることはとても魅力的だと思います。

村上春樹さんが書いている後半センテンスの危険性や入超って。もし久石譲に揺るがないオリジナリティがなかったとしたら。指揮活動に影響受けすぎて、何を書いてもベートーヴェンの影が見え隠れするとか、ブラームスしか浮かんでこないとか、よもやクラシック音楽に圧倒されて何も書けなくなってしまうとか。いまだかつてそんなことってないですよね。だから僕は、強靭な個性と精神性をもって、自作と他作に対峙しつづけている村上春樹は久石譲は、すごいって思うわけです。

 

 

 

今回とりあげた、『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事/村上春樹』。これまでに訳された70冊以上の翻訳本は、村上春樹小説と同じような好きを感じることはないかもしれません。でも村上春樹のフィルターを通して触れることができてよかったと思える本はたしかにあります。これまでに指揮された70作品以上のクラシック音楽が、久石譲音楽と同じような好きを感じることはないかもしれません。でも久石譲のフィルターを通して触れることができてよかったと思える音楽はたしかにあります。指揮することでのまた違った久石譲の魅力を感じることができたなら。帰り着く先は久石譲音楽がさらに豊かに好きになる。好きの円運動が活発な人って遠心力もすごいでしょうね、きっと。

 

 

-共通むすび-

”いい音というのはいい文章と同じで、人によっていい音は全然違うし、いい文章も違う。自分にとって何がいい音か見つけるのが一番大事で…それが結構難しいんですよね。人生観と同じで”

(「SWITCH 2019年12月号 Vol.37」村上春樹インタビュー より)

”積極的に常に新しい音楽を聴き続けるという努力をしていかないと、耳は確実に衰えます”

(『村上さんのところ/村上春樹』より)

 

 

それではまた。

 

reverb.
村上春樹の翻訳第1作目は「マイ・ロスト・シティー」です。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Overtone.第86回 「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for Two Violoncellos」を聴いて

Posted on 2022/12/16

ふらいすとーんです。

「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for Two Violoncellos」を聴いてメモをもとに記します。いつもと同じく新曲を聴いたときの感想ですが、少しシビアなところもあるかもと思い、Disc.ページのレビューからは切り離すことにしました。

 

2022年12月9日開催「現代室内楽の夕べ 四人組とその仲間たちコンサート2022」にて初演されました。公演の詳細、久石譲による楽曲解説、コンサートライブ映像などについてはこちらにまとめています。聴けます。

 

 

久石譲:《揺れ動く不安と夢の球体》

Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Guitars (2012)

Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas (2014)

Shaking Anxiety and Dreamy Globe for Two Violoncellos (2022)

 

2台チェロ版(2022)を聴いてすぐに浮かんだキーワードは「2012」「チェロ」「デュオ」でした。この3つを絡めながら進めていきます。

 

チェロ

2台チェロ版になったこの作品は、調性も違う、テンポも少し遅いというのがすぐにわかる特徴です。久石譲解説にあるとおり、開放弦をうまく利用するためにキーが変わっていることがわかります。速いパッセージの連続するこの楽曲は、ギターやマリンバであれば弾きこなせることもチェロでは易しくありません。例えば、粒の細かい4つの音符をギターなら近距離の弦音程をスピーディに指で押さえたり、マリンバならピアノみたいに鍵盤の速さで打てることも、チェロはそうもいかない。大きく長い弓を行き来する時間もいる。そうすると、粒の細かい4つの音符のうち1つでも開放弦を利用できれば、3つのポジショニングで音程をとり少し余裕が生まれる。1つの音は弦を押さえずに開放弦の音を使えるから。ずいぶん素人解説ですが、そういうことを大小いろいろ駆使しているんだろうと思います。

次に、楽器ごとにできる表現の違いに目を向けてみます。ギター版は速弾きがこなせることはもちろん、1奏者で5音の和音を鳴らすこともできます。スコアを見ると2奏者で同時に計9音の和音をかき鳴らしている箇所もあります。また音色の効果として、2奏者でありながらひとつの統一した音色として散っているような音像や、シンクロするように(ある種機械的に無機質に)演奏することが本来の意図にあるのではないかと思っています。演奏をエモーショナルにしすぎずに音符の強弱や音符の長さを均一にすることで俯瞰的な響きになる、そんなイメージです。

マリンバ版も速弾きがこなせることはもちろん、片手にマレット2本を挟んだりもできるので、最大で2奏者4手4音以上の和音が鳴っている箇所あります。また音色の色彩として、マリンバ1はグロッケンシュピールに、マリンバ2はヴィブラフォンに持替になっています。ここからみても、ギター版とマリンバ版は単純な楽器の置き換えではなく楽曲の放つ意図や狙いも変化していることがわかります。

チェロ版は、器用に和音を奏でる楽器ではないので、単音による旋律をベースとしながら、ときに重奏やピッツィカート、そして弦をなでるようなスライド奏法も使いながら表現に幅をもたせています。言い換えると、特殊奏法も用いることが作品世界の表現に求めらている。

 

デュオ

本公演シリーズは「楽器2台による」「新作」を作品の条件としています。ギター版やマリンバ版の再演ではなくチェロ版として改訂した経緯はここにあります。弦を弾いたり鍵盤を打ったりで音の減衰していくギターやマリンバとそのサスティン効果、弓を引くことで音を伸ばすチェロの違いがあります。減衰音楽器は音価をそろえやすい(一音一音が均一)ですし、持続音楽器は数小節ならともかく楽曲全体にそれを求めるには端から性格が違います。

またひとつの大きな楽器(ピアノの連弾のような)として見立てることもできるギター2台と、音色や音域にも広がりのあるマリンバ版(高音グロッケンシュピールもある)。それに比べて、動く音域として狭いチェロ、単音でありながら線の太いチェロ、この作品でどれだけ効果を発揮しているかというシビアな側面もあるのかもしれません。低音寄りの重厚で野性的な音像が2台チェロ版のストロングポイントだとすれば、細かい音符の粒立ちが無くなり層のように聴こえる音質、旋律や音域が広範囲に動き回れないのがウィークポイントになるかもしれません。

 

2012

2012年作品だからだと思います。多忙を極めた久石譲が本公演で「新作」を書き下ろすことができなかった。2台チェロ版へのアイデアが浮かんだとしても、楽曲構造は2012年当時の久石譲です。チェロのメリット・デメリットを踏まえて改訂しようとすると、構造をそのまま引き継ぐことに無理がでてくる。かといって、構造を変えるということは、完成されたフォーマットを一旦崩すことになる、組み替えないといけない、それは一から作曲するのと同じに等しい。新作を書き下ろすスケジュールがないなか、自身による既存曲の改訂作業も同じ。限られた時間のなかで整合性と新しい可能性を追求していくことは難しい。

久石譲楽曲解説にあるとおり「しかし時間がなかったこと、新たなアイデアがいることなど考慮し、最も信頼する作曲家長生淳氏に編曲を依頼した。チェロの開放弦を利用することなど打合せした上で彼に全て任せた。」、そういうことなんじゃないかなと思います。

「楽器2台による」作品の候補が「Shaking Anxiety and Dreamy Globe」しかなかったのか、なかったような気がします。ずっと遡れば『MKWAJU』『Shoot The Violist ~ヴィオリストを撃て~』収録作品やいくつかのアンサンブル作品から候補もあがるかもしれません。しかし、2022年の今から最も近い作品というとおのずと絞られてきます。

じゃあ、ピアノ2台でもよかったじゃないか、ギター、マリンバからみても無理ない選択肢だと思うけど。そこは現代音楽の演奏会です。どの楽器の組み合わせを提示するかということも、、コンセプトとして大切、、あるんじゃないでしょうか。個性的な楽器組み合わせ、異種格闘技、、この作品は同じ性質の楽器2台でというのが作曲時の前提にあるような気がします。

積極的にも消極的にもどちらの理由からもなるべくしてそうなった作品。選曲から完成したかたちまで。行き着くところは自然な着地点だったんじゃないかな、これが僕の回答です。「新作」は準備できないけれど再演はない、このシリーズにそって実験と挑戦で応えたい、、そう思ったかどうかはわかりませんが、僕の回答です。

 

ギフト

僕にとってはギフトです。音を聴かせてくれないとわからない。だから、どんなかたちであっても音楽でみせてくれることは、いつもワクワクするギフトです。チェロだとこんなふうになるんだ、なんでこうなったんだろうと好奇心です。新しい気づきです。激しい勘違いです。でもマルバツで直感に終わらせてしまうよりこっちのほうが断然おもしろい。今回は半分久石さんの手も離れている。思いがけないボーナス・バージョンとして楽しくうれしくギフトもらいました。

 

志向性

最近のインタビューで「ソならソでいい、なんの楽器でも」「特殊奏法なんかも極力排除したい」みたいなことを言っていました。これはけっこう深いところを突いているような気がしています。つまり、ある楽器でしか演奏できない曲や、ある楽器ならでは(特殊奏法など)の響きをもった曲構造は今とりたくないと思っているということになります。

例えば、バッハの作品はいろいろな楽器に置き換え可能で無伴奏チェロ作品も他の弦楽器はもちろん管楽器で演奏されることもあります。インヴェンションとシンフォニアのピアノ作品も弦楽になっていたり。だから同じインタビューで「バッハのようにそこを目指したい」というのは言葉そのままつながります。どの楽器でも演奏できる骨格や基盤の強いもの、特定楽器の音色・響き・奏法から生まれるサウンドテクスチャに左右されない論理的なフォームによる作曲へアプローチしたい。

この時点でもう「Shaking Anxiety and Dreamy Globe」の自身による改訂は土台無理だった、あまりにも当時の着想と現在の思考には乖離がある。僕にはそれほどまでに思える決定打でした。ギター版はギターでしか成立しないし、マリンバもチェロもそう。もう久石譲の手を離れてでしか解決することができなかった、今回の時間と思考とのせめぎ合うなかで。

話はそれて。デュオや室内楽よりも大きな編成になりますが、近年盛んにリコンポーズしている作品は、楽曲構造をそのままにきれいに置き換えができているとわかります。「Variation 14」アンサンブル版/オーケストラ版や、「Variation 54」「2 Dances」などもそうですね。「The Black Fireworks」のバンドネオン版とチェロ版もそうですね。システム、フォーム、音の運動性、、今久石譲がタイムリーに発言しているキーワードには大切なヒントが落ちていそうで、なるたけ拾って注目して追いかけたいところです。周回遅れなのはいつだって覚悟していますから(笑)だって到底、ムリ。

 

とても収穫の多い楽曲でした。2台チェロ版ありがとうございます。ライブ演奏じゃなくてセッション録音で聴くことができたらまた印象も変わるでしょうね。

 

それではまた。

 

reverb.
管楽器も息が続かないし、なにがあるかな?

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Overtone.第85回 モチーフ「Honor of Kings」

Posted on 2022/11/27

ふらいすとーんです。

Overtone モチーフです。

きれいに考えをまとめること、きれいに書き上げることをゴールとしていない、メモのような雑文です。お題=モチーフとして出発点です。これから先モチーフが展開したり充実した響きとなって開けてくる日がくるといいのですが。

 

モチーフ「Honor of Kings」

2022年6月久石譲が新曲を提供したゲーム「王者栄耀 / Honor of Kings」です。主人公をテーマにした曲「The Road to Glory」を書き下ろしています。ニュース・インタビュー・楽曲・Music Videoなどについてはインフォメーションしています。

 

 

久石さんの話じゃないんです、ごめんなさい。この時に別のテーマ曲も発表されました。ほかの作曲家による書き下ろし曲です。同じタイミングでキャッチすることになったので一緒によく聴いていました。とても好きなテイストでぐっとくる、すっと入ってくる。なかなか紹介できる音源がなかったんですけどこれならいいかな。レコーディング風景MVみたいになっています。

「星垂平野」
「桑木為引」
「满山风起」
作曲・編曲:古川毅

Sang Qi – Theme Music 桑启 主题音乐 桑木为引/星垂平野 | 王者荣耀 Honor of Kings Original Game Soundtrack (約7分半)

from TiMi Audio Lab YouTube

 

3曲はひとつのモチーフからのバージョン違いです。うち2曲が紹介されています。1曲目「桑木為引」イントロから「タララ、ラーラー」のくり返しです。ずっと、ずっと、ずっと。静かに入ってくるコーラスパート(00:30-)も、膨らんでくるストリングスパートも(00:50-)。素材の一品盛りというかこれしか使ってない。どうしてなぜか惹き込まれる。

2小節たらずのモチーフは、言ったイントロも00:30-も00:50-も小節の頭から鳴っています。1拍目にメロディが始まる。それがどっこい間奏を挟んだ01:40-から位置がずれています。「タララ」が前の小節に引っかかって助走して「ラーラー」からが小節の頭になっています。この効果は絶大ですね。メロディの音符も「タララ」と駆け上がってきて「ラーラー」が一番高い音だから、山を描くように1拍目にピークを迎えて。(言葉にするとわかりにくいことも聴いたらわかりやすいと思います)…ホルンの高鳴るオブリガードもきれいです。

 

さて進んで。

2曲目「星垂平野」も同じモチーフからできています(03:40-)。メロディのずれについては1曲目と同じような展開をしていきます。調性も違うけど、1曲目とはコードワークが違うので、メロディに添えられているハーモニーががらっと変わっています。平たく言うと、1曲目のほうが強い2曲目のほうが優しい雰囲気に聴こえます。クロテイル(アンティークシンバル)も映っていましたね(04:50前後)。久石譲『THE EAST LAND SYMPHONY』2.Airにも登場するキラキラした音です。

メロディの位置がずれるだけで、それを支えるハーモニーの変化も誘導する。和声がずれることで雰囲気も変化する。曲想からの第一印象はとてもアジアな雰囲気かなと思います。選びぬかれた素材を使って料理するやり方はハリウッド音楽もそうです。ひとつのテーマ、ひとつのモチーフで、フルコース作ってみせる。この曲も聴けば聴くほどハリウッドサウンドというか、アジアを越えてファンタジーな広がりをもっています。とても職人技の光る一曲です。

 

 

さて変わって。

紐解いてみると、このゲーム音楽すごい布陣です。ハンス・ジマー&ロアン・バルフェが数曲参加していたり。そう『トップガン マーヴェリック』のコンビです。あとは映画音楽常連のハワード・ショアとか。すごいパワーです。すごいマネーです。こちらは日本でもデジタルリリースされていてサブスクもあります。

 

Honor of Kings Collector’s Edition (2020)

 

 

さて変わって。

2022年10月最新はアレクサンドル・デスプラさんです。久石譲とも親交のある作曲家です。映画『ハリー・ポッターと死の秘宝』の音楽担当もしています。そこで麻衣さんも歌っています。2曲書き下ろしていて、それをフルサイズつなげたレコーディング風景MVみたいになっています。

「千色云中 Alsahraa」
「瀚海图兰 Karaturam」
Music by Alexandre Desplat

Alexandre Desplat | 2022 Concept Theme Music Alsahraa & Karaturam|Honor of Kings Original Soundtrack (約7分)

from TiMi Audio Lab YouTube

 

1曲目もすごくいい、こっちがメインたぶん、だけど飛ばします。2曲目「瀚海图兰 Karaturam」(03:00-)です。デスプラさんは、映画サントラもたくさん手がけていますが、その繊細な音の組み立てが特徴です。この曲なんてもう聴いてアンテナにビビッとこなかったら久石譲ファンじゃない、ん?なにかおかしい。

序奏は木笛や独奏チェロを絡ませながら悠々とした大陸的なメインメロディから(03:00-)。勇壮なリズミックになって、はいイチ・ニンマリ(04:10-)。厳しい表情から一転して明るく開ける転調に、はいニ・ニンマリ(04:50-)。さらに二段構えの躍動転調に、はいサン・ニンマリ(05:00-)。一貫して同じメインメロディを繰り返しながら魅力的な伴奏音型に、はいヨン・ニンマリ(05:30-)。力強い管楽器のメロディユニゾンに、絶妙な不協和音のスパイスに、はいゴ・ニンマリ(05:45-)。和太鼓もうまく使って鼓動に、はいロク・ニンマリ(06:05-)。悠々としたメロディにかたときもリズムを忘れないオーケストレーション、最後はジャン!と終わって、はいナナ・ニンマリ。きっとそうなります。

 

メイキング(インタビュー)

Alexandre Desplat | Behind the Scenes of Alsahraa & Karaturam | Honor of Kings Original Soundtrack (約5分)

 

 

王者荣耀 游戏原声 2022 千色云中赛年 概念主题音乐 Alexandre Desplat

※Unreleased in Japan (Only in China)

 

 

さて追加になった。

2022年11月開催イベント「2022共創之夜」にて「久石譲:光之奇旅 (The Road to Glory)」がオーケストラパフォーマンスされました。このゲーム音楽から3曲演奏されたうちの1曲目です。テンポ速いなあ、ライブらしくていい、そんな思って楽しんでいました。そして、その3曲目に演奏されているのは、デスプラさんの1曲目「千色云中 Alsahraa」です。ぜひ紹介したMV動画とLIVE動画どちらも楽しんでみてください。

 

 

 

 

 

いろいろ聴くとおもしろいですね。

そんなモチーフでした。

それではまた。

 

reverb.
久石さんのお仕事のおかげで出会えた曲たち♪

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Overtone.第84回 長編と短編と翻訳と。~村上春樹と久石譲~ Part.6

Posted on 2022/11/20

ふらいすとーんです。

怖いもの知らずに大胆に、大風呂敷を広げていくテーマのPart.6です。

今回題材にするのは『職業としての小説家/村上春樹』(2015)です。

 

 

村上春樹と久石譲  -共通序文-

現代を代表する、そして世界中にファンの多い、ひとりは小説家ひとりは作曲家。人気があるということ以外に、分野の異なるふたりに共通点はあるの? 村上春樹本を愛読し久石譲本(インタビュー記事含む)を愛読する生活をつづけるなか、ある時突然につながった線、一瞬にして結ばれてしまった線。もう僕のなかでは離すことができなくなってしまったふたつの糸。

結論です。村上春樹の長編小説と短編小説と翻訳本、それはそれぞれ、久石譲のオリジナル作品とエンターテインメント音楽とクラシック指揮に共通している。創作活動や作家性のフィールドとサイクル、とても巧みに循環させながら、螺旋上昇させながら、多くのものを取り込み巻き込み進化しつづけてきた人。

スタイルをもっている。スタイルとは、村上春樹でいえば文体、久石譲でいえば作風ということになるでしょうか。読めば聴けばそれとわかる強いオリジナリティをもっている。ここを磨いてきたものこそ《長編・短編・翻訳=オリジナル・エンタメ・指揮》というトライアングルです。三つを明確な立ち位置で発揮しながら、ときに前に後ろに膨らんだり縮んだり置き換えられたり、そして流入し混ざり合い、より一層の強い作品群をそ築き上げている。創作活動の自乗になっている。

そう思ったことをこれから進めていきます。

 

 

今回題材にするのは『職業としての小説家/村上春樹』(2015)です。

自伝的エッセイです。語られている内容は、これまでどこかで読んだことあるかも、と重複しているものも多いのです。でも、この本の文章はとても研ぎ澄まされていて、同じテーマもそのすべてを総括するように体系的に文章化されています。

なんでかなと思ったら「あとがき」でわかりました。”いつか語っておきたいことを、数年間かけて断片的に書きとめておいたもの”。つまり時間と推敲を重ねるなかで、文章と思考が磨かれてきたかたちとして収まっている。繰り返し語られるのは、それだけ大切であり本質であるということ。だから、とっても噛みごたえあるというか、しっかり噛んでゆっくり咀嚼したい、そんな本です。

 

自分が読んだあとなら、要約するようにチョイスチョイスな文章抜き出しでもいいのですが、初めて見る人には文脈わかりにくいですよね。段落ごとにほぼ抜き出すかたちでいくつかご紹介します。そして、すぐあとに ⇒⇒ で僕のコメントをはさむ形にしています。

 

 

”そういう作業を進めるにあたっては音楽が何より役に立ちました。ちょうど音楽を演奏するような要領で、僕は文章を作っていきました。主にジャズが役に立ちました。ご存じのように、ジャズにとっていちばん大事なのはリズムです。的確でソリッドなリズムを終始キープしなくてはなりません。そうしないことにはリスナーはついてきてくれません。その次にコード(和音)があります。ハーモニーと言い換えてもいいかもしれません。綺麗な和音、濁った和音、派生的な和音、基礎音を省いた和音。バド・パウエルの和音、セロニアス・モンクの和音、ビル・エヴァンズの和音、ハービー・ハンコックの和音。いろんな和音があります。みんな同じ88鍵のピアノを使って演奏しているのに、人によってこんなにも和音の響きが違ってくるのかとびっくりするくらいです。そしてその事実は、僕にひとつの重要な示唆を与えてくれます。限られたマテリアルで物語を作らなくてはならなかったとしても、それでもまだそこには無限の──あるいは無限に近い──可能性が存在しているということです。「鍵盤が88しかないんだから、ピアノではもう新しいことなんてできないよ」ということにはなりません。

それから最後にフリー・インプロビゼーションがやってきます。自由な即興演奏です。すなわちジャズという音楽の根幹をなすものです。しっかりとしたリズムとコード(あるいは和声的構造)の上に、自由に音を紡いでいく。

僕は楽器を演奏できません。少なくとも人に聞かせられるほどにはできません。でも音楽を演奏したいという気持ちだけは強くあります。だったら音楽を演奏するように文章を書けばいいんだというのが、僕の最初の考えでした。そしてその気持は今でもまだそのまま続いています。こうしてキーボードを叩きながら、僕はいつもそこに正しいリズムを求め、相応しい響きと音色を探っています。それは僕の文章にとって、変わることのない大事な要素になっています。”

~(中略)~

⇒⇒⇒

ん?これは小説を書くことじゃなくて音楽についてのことなの?というくらい音楽的にみてもとても説得力があります。作曲家や演奏家が強くうなずきそうです。逆に物書きで強く共感する人はいるのかな、というほうが気になってきます。いかに村上春樹さんが作家性としての特異なオリジナリティをもっているか、それもまた浮き立ってよくわかります。

 

 

”でも僕は基本的には、というか最終的には、自分のことを「長編小説作家」だと見なしています。短編小説や中編小説を書くのもそれぞれに好きですし、書くときはもちろん夢中になって書きますし、書き上げたものにもそれぞれ愛着を持っていますが、それでもなお、長編小説こそが僕の主戦場であるし、僕の作家としての特質、持ち味みたいなものはそこにいちばん明確に──おそらくは最も良いかたちで──現れているはずだと考えています(そうは思わないという方がおられても、それに反論するつもりは毛頭ありませんが)。僕はもともとが長距離ランナー的な体質なので、いろんなものごとがうまく総合的に、立体的に立ち上がってくるには、ある程度のかさの時間と距離が必要になります。本当にやりたいことをやろうとすると、飛行機にたとえれば、長い滑走路がなくてはならないわけです。

短編小説というのは、長編小説ではうまく捉えきれない細部をカバーするための、小回りのきく俊敏なヴィークルです。そこでは文章的にもプロット的にも、いろんな思い切った実験を行うことができますし、短編という形式でしか扱えない種類のマテリアルを取り上げることもできます。僕の心の中に存在する様々な側面を、まるで目の細かい網で微妙な影をすくい取るみたいに、そのまますっと形象化していくことも(うまくいけば)できます。書き上げるのにそれほど時間もかかりません。その気になれば準備も何もなく、一筆書きみたいにすらすらと数日で完成させてしまうことも可能です。ある時期には僕は、そういう身の軽い、融通の利くフォームを何より必要とします。しかし──これはあくまで僕にとってはという条件付きでの発言ですが──自分の持てるものを好きなだけ、オールアウトで注ぎ込めるスペースは、短編小説というフォームにはありません。

おそらく自分にとって重要な意味を持つであろう小説を書こうとするとき、言い換えれば「自分を変革することになるかもしれない可能性を有する総合的な物語」を立ち上げようとするとき、自由に制約なく使える広々としたスペースを僕は必要とします。まずそれだけのスペースが確保されていることを確認し、そのスペースを満たすだけのエネルギーが自分の中に蓄積されていることを見定めてから、言うなれば蛇口を全開にして、長丁場の仕事にとりかかります。そのときに感じる充実感は何ものにも代えがたいものです。それは長編小説を書き出すときにしか感じられない、特別な種類の気持ちです。

そう考えると、僕にとっては長編小説こそが生命線であり、短編小説や中編小説は極言すれば、長編小説を書くための大事な練習場であり、有効なステップであると言ってしまっていいのではないかと思います。一万メートルや五千メートルのトラック・レースでもそれなりの記録は残すけれど、軸足はあくまでフル・マラソンに置いている長距離ランナーと同じようなものかもしれない。”

~(中略)~

⇒⇒⇒

”長編小説こそ”という内容は村上春樹の根幹にあたることよく語られます。久石譲でいうと「今はクラシックに籍をおいている」という根幹に近いかもしれません。自分の創作活動のフィールドやポジショニング、常に位置を定め確認している。そして、周りを見渡しながら(作家・大衆・社会)時代のなかで共鳴できるポイントの距離感を測っている。

先頭のほうの文章に戻ります。”長編小説こそが僕の主戦場であるし、僕の作家としての特質、持ち味みたいなものはそこにいちばん明確に──おそらくは最も良いかたちで──現れているはずだと考えています(そうは思わないという方がおられても、それに反論するつもりは毛頭ありませんが)”、久石さんもそんなふうに思っているんじゃないかな、なんとなく。そう思っていてほしいなとも、なんとなく。

 

(「職業としての小説家/村上春樹」より 一部引用)

 

 

 

今回とりあげた、『職業としての小説家/村上春樹』。これまでにどこかで書いた語った散文的なものとは違います。小説家としての姿勢、大きく言えば小説家としての生き方のようなものが、作家自らによって思考をまとめあげるように、丁寧に濃密に記されています。とても価値のある稀有な種類の本だと思います。

今回はピックアップしたものがふたつ。自伝的エッセイらしい多彩なテーマについて記された本です。そのなかに、オリジナリティについてたっぷりと頁をさいた章もあります。オリジナリティとは何か、何をもってオリジナリティとするか、みたいなことが説得力たっぷりに記されています。ここはまたいつか、それだけでOvertoneしたいくらいの内容です。

今回はピックアップしたものがふたつ。いちばんロジカルにまとまっています。どちらもよく語られる内容で同旨あります。

 

 

-共通むすび-

”いい音というのはいい文章と同じで、人によっていい音は全然違うし、いい文章も違う。自分にとって何がいい音か見つけるのが一番大事で…それが結構難しいんですよね。人生観と同じで”

(「SWITCH 2019年12月号 Vol.37」村上春樹インタビュー より)

”積極的に常に新しい音楽を聴き続けるという努力をしていかないと、耳は確実に衰えます”

(『村上さんのところ/村上春樹』より)

 

 

それではまた。

 

reverb.
好きな小説とか、まったく触れていない、今さらながら。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Overtone.第83回 「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.9」コンサート・レポート by tendoさん

Posted on 2022/11/08

10月26,27日開催「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.9」コンサートです。春の開催発表から7月には追加公演(10/26)決定、そして公演前日にライブ配信の発表、なんとも直前まで目が離せない。2日間を完売にできる現代音楽のコンサート。日本国内だけでなく世界各地からも視聴できるコンサート。シリーズを重ねるごとにリスナーの好奇心をつかみ、さらにその少し先をいってみせてくれるコンサートです。

今回ご紹介するのは、韓国からライブ・ストリーミング・レポートです。ライブ配信レポートの皆勤賞じゃないかな、忙しいときもあるでしょう、いつもありがとうございます。どうぞお楽しみください!

 

 

久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.9

[公演期間]  
2022/10/26,27 and 2022/11/05

[公演回数]
3公演
10/26,27 東京・紀尾井ホール
11/05 ニューヨーク・カーネギーホール(ザンケルホール)

[編成]
指揮:久石 譲
作曲・ピアノ:ニコ・ミューリー
ヴィオラ:ナディア・シロタ
室内楽:Music Future Band

[曲目]
久石譲:室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra
ニコ・ミューリー:Selections from the Drones and Viola
久石譲:Viola Saga (世界初演)
ニコ・ミューリー:Roots, Pulses (世界初演)

 

 

久石譲のMUSIC FUTUREコンサートは、ミニマル曲をはじめとした様々な現代音楽を紹介するコンサートです。WDO、FOC、MFと久石譲の3大コンサートです。MFではWDO、FOCと同じく久石譲の新曲がよく初演されます。WDOからジブリアニメの交響組曲シリーズとしてアルバムが発売され、FOCでベートーベン、ブラームスの交響曲がアルバムとして発売されたように、MFでは久石譲 presents MUSIC FUTUREアルバムシリーズも一緒に進行しています。

今回も久石譲 presents MUSIC FUTURE VIが発売決定しました。

コンサート会場では先行発売になったそうですが、とても羨ましいです!今回のアルバムは異例に前回のコンサートの全曲が収録されました。韓国では海外配送なので、アルバムが届くのにも時間がかかる上、値段もはるかに高いんです。ファン層がさらに強くなって、韓国にたくさん輸入されたらいいですね。

 

今度のコンサートはNico Muhlyとヴィオラ奏者Nadia Shirotaを招待して共演します。それにニューヨーク公演も決まりました!これはデヴィット・ラングさんと一緒にしたMFコンサートのパターンと同じですね。

 

 

はじめに

実はMFコンサートの前に久石譲とテリー・ライリーの合同公演が予定されていました。公演直前に久石譲の体調の問題で公演が中止になったのですが、それから時間があまり経っていないMFコンサートなので心配でした。しかもストリーミングは以前と違って数日前まで告知されなかったので自暴自棄していたのですが。予期せぬストリーミングのニュースが聞こえてきました。 聴くことができて本当に良かったです!

今回のコンサートは、いつもと違って長さの長い数曲で選曲されました。インターミッションの前に久石譲とニコ・ミューリーの1曲ずつ、そしてインターミッションの後に久石譲とニコ・ミューリーの世界初演曲1曲ずつですね。プログラムも事前に公開されましたが、今回は予習せずにコンサートを聴いてみました。

 

 

Joe Hisaishi:Chamber Symphony for Electric Violin and Chamber Orchestra

Chamber SymphonyはMFvol.2で演奏され、Joe Hisaishi Presents Music Future 2015のアルバムにも収録されたことがある曲です。

 

vol.1でエレクトリック・ヴァイオリンでニコ・ミューリー作品を演奏する様子

 

この曲の最大の特徴はエレクトリック・ヴァイオリンがメインになるということですが、実はMFvol.1で演奏されたニコ・ミューリーの作品から、自身もエレクトリック・ヴァイオリンで曲を書くのはどうかというアイデアを得て書いた曲です。ニコ・ミューリーとのコラボ公演にふさわしい選曲といえます。

さらに、久石譲さんの公式チャンネルに8分間抜粋で数シーンを選んで演奏される様子が公開されましたが、全曲が演奏される場面を見るのは初めてです。

 

vol.2での演奏シーン

 

過去に演奏された姿と比べると、今はみんな立って演奏するなど、舞台セッティングの変化も目立つのですね。

 

 

ステージを始める前に、エレクトリック・ヴァイオリンをアンプにつなぐシーンも見られました。特に前にあるペダルを使ってループステーションを利用するシーンがありますが、アルバムで聴くのとは違った発見でした。アルバムで聴くときは、何が起こっているのかよく分からないのです。

第3楽章はBorderの第3楽章の原曲になる曲なのでお互いによく似ています。お互いに比べて聴く楽しさがありました。

最後に、サックスの組み合わせが目立ちました。かつては日本武道館コンサートにもサックスが登場するなど、よく登場する楽器でしたが、最近は何らかの理由でサックスをあまり編成していません。 サックスを演奏される方はいつも同じ方のようです!

 

 

Nico Muhly:Selections from the Drones and Viola

 

ニコ・ミューリーが奏でるピアノと、ナディア・シロタさんが奏でるヴィオラによる作品です。今回のコンサートは特に予習していなかったので初めて聴く曲でした。舞台を始める前に携帯電話をつなげて神秘的な雰囲気の音源を再生しながら始まるんですね。

作曲家はやっぱりピアノが上手ですね!ピアノは和音を連打する姿を見せてくれますが、タイトルにある「ドローン」の感じを生かしたのではないかと思います。

時には静寂としたり緊張感がある部分もありますが、全体的にリラックスして静かな感じの曲でした。vol.8で演奏されたアルヴォ・ペルトのFratres for Violin and Pianoという作品も思い浮かびました。MFコンサートは久石譲だけでなく、現代の各作曲家の個性をよく知ることができるコンサートのようです。

 

 

Joe Hisaishi:Viola Saga

 

この曲は、ナディア・シロタさんの演奏を想定して作曲されたヴィオラ協奏曲です。すでに2年前に演奏予定だった曲ですが、COVID-19によってキャンセルされ、ようやく世の中に現れた曲···ということですが、意外に作曲完了の時点はすごく最近だったそうですね。

とにかく、このコンサートが終わり、私が恋に落ちた曲です!

第1楽章はまるでいろんな場面とストーリーがある曲のようです。そういう面で二ノ国の感じもしたし、vol.8で演奏されたMurder Ballades for Chamber Ensemble(ブライス・デスナー)の感じもしました。雰囲気が何度も変わりますが、ボンゴが加わって軽快になる短い瞬間も印象深かったです。途中でジャーン、ジャーン、ジャーン!とポイントを与えたりもしたのですが、結局ジャーン、ジャーン、ジャーン!で締めくくられます。面白い曲でした。

第2楽章は真剣な曲でした。感情を起こす曲です。全体的に静かな感じでもあり、オーケストラはおおむね静かにヴィオラの演奏を支えてくれる程度でした。ヴィオラは演奏を通して休んでおらず、同様のフレーズを繰り返し演奏します。そういう面で典型的なミニマル曲のようですが、ずっと少しずつ静かに変奏しながら感情を引き出します。

そしてインスタグラムでちょっと出た部分で泣きました。思わず涙がこぼれました。どんな感情だったんでしょうかね。まだ説明されません。たぶん曲がとても美しいという感じたようです。私の他の感情も刺激したのかもしれません。本当に魅力的な曲です。演奏時間が本当に短く感じました。

 

 

Nico Muhly:Roots, Pulses

 

MFの委嘱作品であり、世界初演となるニコ・ミューリーの作品です。しかもニコ・ミューリー本人による指揮です。ピアノ演奏に続いて指揮だなんて。ニコ・ミューリーも久石譲も万能音楽家として通じる面があるようです。

この曲はすごい夢幻的な雰囲気です。神秘的な感じもしました。よくわからないけれど、聴きながら音楽的想像力がすごいと感じました。とてもオーケストラが出す音のようには思えないほどでした。

 

 

特にトランペットの演奏も印象的でした!

現代音楽の魅力をたっぷり感じることができました。久石譲とニコ・ミューリー、二人の作曲家のそれぞれの魅力もわかった気がします。久石譲とニコ・ミューリーの世界初演曲を同時に聴けるものすごいコンサートだ。まだ信じられません。

 

 

おわりに

久石譲のスニーカー姿での公演は初めて見るようです。どうぞ末永くお元気でいらっしゃるといいですね。インスタグラムを見ると、テリー・ライリーもMFコンサートの楽屋に寄って久石譲さんと会っていました。テリー・ライリーはMFコンサートも聴いたんじゃないかな?Viola Sagaをどう聴いたんだろう。MFに少し関心ができただろうか。いつかテリー・ライリーのMF委嘱作品とともに合同公演を実現できるのではないでしょうか。想像するだけでもワクワクします。

 

2022年11月7日 tendo

 

出典:TENDOWORK|久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.9 콘서트 리뷰
https://tendowork.tistory.com/91

 

そうか、久石譲:室内交響曲がフルサイズで映像になるのは初めてでしたね。ルーパーを駆使する様子がよく見れてCDだけで聴くよりも楽しくわかりやすかったですね。Viola Sagaはほんと感動ものでしたね!同じタイミングで一緒に聴けてよかったです。ライブ配信がないと、コンサートに行った熱い感動をつらつら書いてもなあ…温度差ハンパないしなあ…と思うこと近頃あったので、こうやって同じタイミングで感想を言いあったりSNSだったり共感できるのは、ほんとうれしいです。簡単なことじゃないですねこういうシチュエーションが提供されてるのって。CDになった1年後に初めて共感できるのとは…えらい違いです…未知との遭遇は冷めちゃってますから。ほんとライブ配信ありがとうございます!!

 

tendo(テンドウ)さんのサイト「TENDOWORKS」には久石譲カテゴリーがあります。そこに、直近の久石譲CD作品・ライブ配信・公式チャンネル特別配信をレビューしたものがたくさんあります。ぜひご覧ください。

https://tendowork.tistory.com/category/JoeHisaishi/page=1

 

 

こちらは、いつものコンサート・レポートをしています。

 

 

 

「行った人の数だけ、感想があり感動がある」

久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋 では、久石譲コンサートのレポートや感想、いつでもどしどしお待ちしています。応募方法などはこちらをご覧ください。どうぞお気軽に、ちょっとした日記をつけるような心もちで、思い出をのこしましょう。

 

 

みんなのコンサート・レポート、ぜひお楽しみください。

 

 

reverb.
新しいCDもゆっくり着実にゲットしてください!

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

Overtone.第82回 モチーフ「久石譲秋2022」

Posted on 2022/11/01

ふらいすとーんです。

Overtone モチーフです。

きれいに考えをまとめること、きれいに書き上げることをゴールとしていない、メモのような雑文です。お題=モチーフとして出発点です。これから先モチーフが展開したり充実した響きとなって開けてくる日がくるといいのですが。

 

モチーフ「久石譲秋2022」

秋に聴きたい曲を移ろい流れる雲のように。毎年秋になったら聴く久石譲オールタイム・セレクトです。新譜が出るとまたそこから振り分けられたりする春夏秋冬プレイリストです。2013年頃にサイト特集したこともあります。今回は気ままに一口コメントとツイートしていた2022年版です。

 

  • INTRO:OFFICEKITANO SOUND LOGO
  • Silencio de Parc Güell(ENCORE)
  • Silence(ETUDE ~ a Wish to the Moon ~)
  • 恋だね(ハウルの動く城 サウンドトラック)
  • 夢の星空(ETUDE ~ a Wish to the Moon ~)
  • 帰らざる日々(紅の豚 サウンドトラック)
  • A Gift From Parents(NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体III~遺伝子・DNA サウンドトラックVol.1)
  • Sunday(PIANO STORIES II ~The Wind of Life)
  • 旅情(NOSTALGIA~PIANO STORIES III~)
  • おくりびと〜Memory〜(おくりびと サウンドトラック)
  • EVE-Piano Version(パラサイト・イヴ)
  • Nostalgia(WORKS II ~Orchestra Nights~)
  • Oriental Wind ~for Orchestra~(Works III)
  • Silence(空想美術館 ~2003 LIVE BEST~)
  • Angel(HANA-BI)
  • HANA-BI(HANA-BI)
  • タムドクのテーマ~メインテーマ~(太王四神記 オリジナル・サウンドトラック Vol.1)
  • コムル村(太王四神記 オリジナル・サウンドトラック Vol.2)
  • Asian Dream Song(WORKS II ~Orchestra Nights~)
  • Welcome to Dongmakgol(トンマッコルへようこそ オリジナル・サウンドトラック)
  • 奇跡のリンゴ(奇跡のリンゴ オリジナル・サウンドトラック)
  • TENCHI MEISATSU(天地明察 オリジナル・サウンドトラック)
  • 風のとおり道~Acoustics Version~(となりのトトロ サウンドブック)
  • 人生のメリーゴーランド
  • Dream More(The End of The World)
  • Gene(NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体III~遺伝子・DNA サウンドトラックVol.1)
  • Instrumental ~ ぴあの(ぴあの Volume 1)
  • 小さいおうち(WORKS IV -Dream of W.D.O.-)
  • Two of Us(My Lost City)
  • Tango X.T.C.(My Lost City)
  • 山里(かぐや姫の物語 サウンドトラック)
  • 彷徨(悪人 オリジナル・サウンドトラック)
  • 何故(悪人 オリジナル・サウンドトラック)
  • 懺悔 (Instrumental)EXILE ATSUSHI & 久石譲
  • 交響幻想曲「かぐや姫の物語」(WORKS IV -Dream of W.D.O.-)
  • この世界の片隅に~メインテーマ~(TBS系日曜劇場「この世界の片隅に」オリジナル・サウンドトラック)
  • すずのテーマ~望郷~(TBS系日曜劇場「この世界の片隅に」オリジナル・サウンドトラック)
  • 赦し(花戦さ オリジナル・サウンドトラック)
  • HANA-BI [Live](Songs of Hope: The Essential Joe Hisaishi Vol. 2)
  • Oriental Wind(Melodyphony ~Best of JOE HISAISHI〜)

 

こんな感じで。コメント見たい人は#久石譲秋で。あまりたいしたことは…移ろい流れる雲のように。

from the most likes

 

 

ハッシュタグ参加してくれた人もありがとうございます!実り豊かな秋になります。

 

  • 遥かなる時を超えて(NHKスペシャル 驚異の小宇宙・人体III~遺伝子・DNA サウンドトラック Vol.1 Gene-遺伝子-)
  • BROTHER(BROTHER オリジナル・サウンドトラック)
  • TWO OF US(Shoot The Violist ~ヴィオリストを撃て~)
  • The Border Concerto for 3 Horns and Orchestra II. The Scaling(Minima_Rhythm IV ミニマリズム 4)
  • Symphonic Suite “Kiki’s Delivery Service” – Mother’s Broom(Symphonic Suite “Kikiʼs Delivery Service”)

from tendo(@tendo01)

 

  • 今、風の中で(マリと子犬の物語 オリジナル・サウンドトラック)
  • Stand Alone (Vocalise)(NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 オリジナル・サウンドトラック)
  • 青春のモニュメント(青春デンデケデケデケ オリジナル・サウンドトラック)
  • Angel Springs(PIANO STORIES II ~The wind of Life)
  • 真紅の翼(紅の豚 イメージアルバム)
  • 少年の日の夕暮れ(illusion)
  • Mr.J./しばたはつみ(VOICES)
  • 青春のモニュメント(ピアノ)(青春デンデケデケデケ オリジナル・サウンドトラック)
  • Mother’s love(はつ恋 オリジナル・サウンドトラック)
  • THE WALTZ (For World’s End)(地上の楽園)

from むーん(@HisaishiM)

 

  • 運命(時雨の記 サウンドトラック)

from ken*(@bellaortensia)

 

 

季節ごとにプレイリストを作り出した頃が、主要曲からセレクトしようとかシンセ曲はなるべく入れないとかでやってました。今ならもっと柔軟にカーディガンのように新しくさらっと羽織りたいものもあるかな。アルバム曲からなら「坂の上の雲」「二ノ国」「人体」シリーズから見つけても楽しいし、「Dolls」「風の盆」「Asian X.T.C.」からいろいろありそうです。あとは楽器とか。

 

バンドネオン

  • Tango X.T.C.(My Lost City)
  • Jealousy(My Lost City)
  • THE WALTZ (For World’s End)(地上の楽園)
  • 太陽がいっぱい arr.(NOSTALGIA ~PIANO STORIES III~)
  • Constriction(FREEDOM PIANO STORIES 4)
  • Woman 〜Next Stage〜(Asian X.T.C.)
  • 室内交響曲 第2番《The Black Fireworks》~バンドネオンと室内オーケストラのための~

 

チェロもいいなとか思い出すわけです。でもアルバムジャケット眺めて見つけるのってけっこう大変です。たとえば、管理してる曲データのところにメロディの楽器とか情報を入れといて、チェロ!とセレクトかけると瞬時にプレイリストできる、みたいな。そんなことできたらいいのにな。その下準備するのが面倒すぎるやらない。メインテーマをチェロが歌ってるバージョンのサントラ曲とか、フルートやホルンの伸びやかさがとか、オーボエが哀愁誘うとか、いろいろありますよね。結局のところ、季節と一緒にたくさん聴いて体に染み込ませていこう。たっぷりじっくり年月かけて。

「昨年の自分と今年の自分は違う」なんか違うなと紹介しなかった曲もあります。諸行無常です。古い曲集になってはいけない。プレイリストもアップデートしなきゃいけない。

 

Special

 

 

(四季:久石譲は、指揮:久石譲にかかっています。季節を指揮する人ですね。今更ながらお粗末さまです)

 

お知らせ
「秋に聴きたい久石譲曲」お待ちしてます!リプから曲名リストだけでも#久石譲秋で一曲でもコメントからでもどしどし豊作に!〆切:秋の深まるころ

 

同じ季節に、同じ曲を、同じファンが、聴く。

肌感覚の合ううれしさ、肌感覚で伝わる楽しさ。

 

そんなモチーフでした。

それではまた。

 

reverb.
もし好評ならほかの季節もやってみたい♪

 

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

このコーナーでは、もっと気軽にコメントやメッセージをお待ちしています。響きはじめの部屋 コンタクトフォーム または 下の”コメントする” からどうぞ♪

 

Overtone.第81回 モチーフ「赤い袖先 The Red Sleeve OST」

Posted on 2022/10/23

ふらいすとーんです。

Overtone モチーフです。

きれいに考えをまとめること、きれいに書き上げることをゴールとしていない、メモのような雑文です。お題=モチーフとして出発点です。これから先モチーフが展開したり充実した響きとなって開けてくる日がくるといいのですが。

 

モチーフ「赤い袖先 The Red Sleeve OST」

韓国ドラマ『赤い袖先 / The Red Sleeve』です。2021年11月~2022年1月まで放送、2月に韓国でサントラ発売。春くらいまでずっと聴いてました。今年のマイベスト10に入る勢いキープしてます。メインテーマやモチーフのバリエーション(変奏)三昧でおもしろくておもしろくてほっぺが落ちる。6月に日本でサントラ発売、同時か時間おいてかデジタルリリースもされて、やっと広く聴ける紹介できるようになりました。

韓国エンタメの勢いを感じます。韓国映画や韓国ドラマが次々と世界で大ヒットしています。世界に照準を合わせたその戦略は、脚本・演技・カメラワーク・セット・CG・編集、そうそして音楽、すべての制作パーツの水準を上げることになるからです。音楽以外の分野のことは全くわかりませんが、欧米からそして日本から大ヒット作や注目作を相当に研究している。うまく取り入れている。

ということは、映像音楽を日本の作曲家から学ぼうとしたときに、まず名前が挙がるのは久石譲 JOE HISAISHIに違いない。実写からアニメーションまで幅広く手がけていないジャンルはないに違いない(否定の連打は肯定)。この作品は歴史ロマンスというこもとあってオリエンタルのテイストもいる。そうじゃなくても同じアジアだし久石譲感あるものいてしかり、かなり楽しいサントラです。

 

赤い袖先 オリジナル・サウンドトラック
The Red Sleeve Original Soundtrack

 

1. ドクイム、愛 (Main Theme)

from Official Audio, YouTube

イントロから久石みましまし。チャーミングでぬくもりのあるメインテーマです。00:30-くらいがそのメロディ、この短いワンテーマからできています。この1曲だけでワクワク突っ込みたいところ全開なんだけど先に進める。

 

2.灯火と子ども二人

イントロもメインテーマからのどかに、そしてメインテーマのバリエーション。00:40-のフルートに始まる木管で軽やかな蝶のようです。クレジットを見ると作曲者が違う、チームで音楽制作しているんです。同じメインテーマをもとにして各々が彩りを加えている。

01:40-くらいから曲想が展開して第2テーマみたいになります。そしてこれがまたさらにバリエーションを生んでいくことになる。作曲者間でバトンリレーされたメインテーマが、さらに違うアイデアを得て、新しい主要テーマが生まれて、どんどん広がり発展していく。

 

3.語り部 幼い宮女

英語のタイトルは「Faily Tale」となってたと思いますけど、なんとも羽ばたくメルヘンです。00:40-くらいからのびのびとフルート歌っています。01:30-くらいからまた違う感じでバリエーションしています。この曲は2曲目と同じ人ですけど、02:00-くらいからまた新しい曲想を生んだりして。

ここがこの作品のキーポイントです。チームで制作する方法は、作曲家ごとに得意なカラーを打ち出して全体をコンピレーションみたくするのはよくある。ジャンルもテイストもバラエティパックのようなもの。でも、曲想や楽器といったカラーを統一したなかで、かつ、メインテーマを軸にして作曲家たちがバリエーション(変奏)で競演している。この方法はなかなかない。もうおもしろくてしょうがない。まだ3曲目ですよ。

『肩の上の蝶 / Rest on Your Shoulder』っていう久石譲が音楽を担当した中国映画があって…サントラないか…先に進める。

 

8.東宮の書庫

ハープもストリングスも、リズミックな音型が久石さん好きにはたまらない。『花戦さ』っぽくていいよねと違和感なく聴きすすめる。おっと最後01:15-くらいから第2テーマの変奏みたいなのが登場します。2分足らずの曲なのに耳が名残惜しそう。

 

11.寵愛を受ければよい

英語のタイトルは「Destiny」だっと思いますけど、そっちのほうが曲にあってます。ストーリーからみたらどちらも正解。ぐっとくる1曲。力込めて盛り上がってくる01:55-くらいなんて聴きどころですね。時代に翻弄される感じ。ここで高音ヴァイオリンの下で鳴っている中弦の対旋律は、上で紹介した「2.灯火と子ども二人」01:50-のオーボエの旋律からのバリエーションだったりします。同じ作曲者による。

こうやってメインテーマから派生して新しい展開を加えた曲、その第2テーマを使って、その第2テーマのパートから旋律の一部をうまく使って、その第2テーマのパートから旋律の一部を対旋律として支える役割で。チームプレーかたい。

 

16.英祖、怒り

歴史ものらしい重みのある曲。『太王四神記』を思い起こしそう。似てるマネしてるそういうことが言いたいわけじゃない。好きなテイストの曲がさらに広がって聴ける喜びってある。世界共通のヒサイシズム。

 

21.謎

ミステリアスな雰囲気をまとったメインテーマです。ハープ、グロッケンと反復音型を幾重にも散りばめてるものそうだし打楽器群の使い方もそうだし、うまいなあ。後半に進むにつれ久石成分多め。

 

25.ドクイム、運命

CDサントラ終曲。きれい。もうメインテーマは覚えましたか?オーボエ?チェレスタ? いやあほんと、曲のもっていきかたが、楽器の使い方が、シンセサイザーのなじませ具合が、対旋律の絡ませかたが。美味しすぎてお腹いっぱいごきそうさまでした。これをもって久石譲を研究してないといえようか。01:40-ああ、万感の主旋律×対旋律よ。

 

 

まだある?

(Bgm) The Red Sleeve OST || 70. Noh Hyung Woo – San, The Moment (노형우 – 산, 순간)

from Viet Tam Tran

これはTrack.70「San, The Moment」という曲です。70曲目?! CD1に18曲(SongとInst.ver)CD2に25曲(BGM)なんですけど、いち早く韓国でリリースされたデジタル限定版には8曲(Song)と71曲(BGM)というのがあります。だから本当は25曲目で終わりじゃなくてそのさき怒涛のバリエーションが続く、日本ではあまり聴けない、残念、入手方法知りたい人は要相談、さておき探せばあるかもしれません、どうかな。全部聴こうと思ったら4時間25分あります要時間。ドラマで使った曲全部入れた?

00:40-くらいからピアノで切なく。あの高揚感いっぱいの1曲目メインテーマが、長い長い物語のエンディングには、こんなにしっとりとやさしく涙に濡れるよう。メインテーマ作曲者ですけれど、他の作曲者たちが紡いできたメロディたちも織りなす。人生の黄昏。どうしても紹介したかったのでun-officialゴメンナサイ。

 

魅力の半分も広げれてないけど、そのエッセンスはたっぷりお伝えできたと思います。

 

参考:
赤い袖先 オリジナル・サウンドトラック | HMV&BOOKS online – KICS-4056/7
https://www.hmv.co.jp/artist_TV-Soundtrack_000000000029998/

赤い袖先 (袖先赤いクットン) | HMV&BOOKS online – L200002344
https://www.hmv.co.jp/artist_TV-Soundtrack_000000000029998/item

*日本/韓国 2CD 全43曲(2022.6)

*韓国限定デジタル版 全79曲(2022.1)は日本リリースされていない

 

 

Overtone モチーフは、モチーフの範囲を越えたり広がったりしてはいけない。そうらしいので、言い足りないことをメモ書してまたいつか。

サントラのチーム制作のかたち(バラエティパックorシェア)/Symphonic Variation “Merry-go-round”はすごい/久石譲は変奏の魔法使い/韓国でも大ヒットした映画『君の名は。』後の音楽的影響/海外サントラは名前で聴かないからおもしろい(作曲家の名札で聴かない)/純粋な音楽センサーで好きなものをキャッチする楽しさ

 

そんなモチーフでした。

それではまた。

 

reverb.
WOWOW(10/28- 全17回)TV初放送も始まります。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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